政治とは結局支配することですし、不要なものが一つあるとすれば、それは支配体制だ、と私はしばしば言ってきました。フラーはもっと巧くそのことを説明していますね。つまり、もしすべての政治家、政府の指導者、大臣やその他の官僚をつかまえて月に送ってしまっても、現在のように彼らを私達のもとに置いておくより事態はよくならないにしても、これ以上悪くはならないし、おそらく今とたいして変わらないだろう。
John Cage pour les oiseaux
ジョン・ケ−ジ 「小鳥たちのために」
(訳: 青山マミ)
しかし有用なもの(ユーティリティ)を受け持っている専門家を月に送ってしまったら、私達はそのことで困るだろう、と。そういうわけで政府などは全く必要ありません、政治と同様にね。
今朝「ル・フィガロ紙」で政府の誰かが言っていたんですが、国家といったものが存在する根底的な理由は、人々を人々自身の弱さから守る必要、言い換えれば弱者を強者の支配から守る必要性に基づいていると言うことでした。この意見は本当はなにを意味しているのでしょう。国家の役割は、金持ちになった弱者を貧しい強者から守ることだ、ということですよ。この文の本当の意味はそういうことだとは思いませんか?
私がよりよい政治体制などないというのは、現在の政治体制がよいという意味ではありません。どんな政府であろうと、あらゆる政府をなくすべきだという意味を含んでいるんです。
統治するという行為をなくさなければならない。そのためには闘う必要があるわけです。そしてこの闘いはあらゆる領域でなされなければならない。最も重要なのはテクノロジーの領域です。
彼らが本当にまず政治的な活動をしているのならば、それは政治体制という考えに固執しているということです。
ところで、政治体制がなんであるかを子細に眺めれば、嫌悪を感じざるをえないでしょう。
1957年に私は法廷に行ったんですが、シンシナティで、精神分析医に招かれて行ったのです。法廷にはあらゆる種類のとても貧しい黒人達が出頭させられていました。毎晩シンシナティの通りで黒人を不意に捕まえ、一定期間の懲役刑を言い渡すか、更生施設へ収容するために裁判にかけていたんです。
ところで彼らが何をしたかわかりますか。彼らは現実に罪を犯していました、禁止されているのにポーカーをしたというね。彼らがしたのはそれだけなんです。金持ちはシンシナティでその同じ晩ポーカーをして遊んでいた、なんの不安もなく。シンシナティではだれもが、金持ちも貧乏人も、夜はポーカーをしているのだと思いますがね......。
統治するという行為自体に結びついている、そしてまた一般的な現象である組織行為が、これに類する個々の不正をひき起こすのだと思いますね。つまり、そいうことは組織がなければ起こりはしないのです。
---あなたは統治ということにずいぶん広い意味を与えているのですね。政治だけでなく官僚主義まで含めている。
組織のあらゆる形態、そしてそれらの形態や組織を望むすべての人達もね。組織のシステムには怒りを覚えますね。私達はあらゆる人間を分類する。老人はここへ、若者はあそこへと送り込む。青年を戦場に追いやる。毎日あらゆる人々を牢獄へ送りこむ。子どもは学校へ、親は事務所か工場へ、音楽家を夜のコンサート・ホールへと。そして金持ちと貧乏人を区別する。政府とは何でしょう。このあらゆる区分を存続させるものです。
別の言い方をすれば、私達の身体はそれ自体で一つのものなのに、分割されている。人が組織しようとしても、つまり身体を関節でつなげようとしても、およそどんなところでも、うまくいかない。ということは、健康な生物体の組織は問題にされないわけです。