JA局が駐留米軍人局だった頃:社会情勢は?(其の4)

 マーカット少佐は2階級特進したりして1949年春少将で日本教育制度視察に再来日、大目玉。日本流に言えば「先生がこれでは仏作って魂いれずだ!」全国高中学校教員大入替。若造先公が居残り熟年が大異動各県教育委員会も青天の霹靂、大わらわ。先生も心ここにあらず。昔の郷里を知る先生が居なくなって仕舞った形。詰まり「刷新」荒療治。いい校長もいい先生もどっかえ飛ばされてしまった、無味乾燥の学校。今思い出せる先生は皆それ以前の赤い血が流れていた先生のことばかり。マーカット氏の思いがこんな事だったとは思えない!誰かが「画龍点晴」を欠いたに違いない。魂は入らなかった。

 夏前海のアチャラで、ざこばか小松政夫みたいな顔した1人のボードビリアンが、Redd Foxxと改名した。其のせいじゃないのだが上院議員が「赤い狐狩り法案」提出、議会通過し、マッカーシー旋風を巻き起こす。当時黒白TVだったから、Redd Foxxは一躍TV番組の売れっ子になったが数年してTVがカラー化したら普通の狐色だったんで、急に人気もしぼんでしまった。このマッカーシイ旋風を聞いて、日本の大学の先生達も慌てだし11月、「レッド・パージ反対声明」をSCAP(解るかなあ?)(Super Commander of Allied Powersの略詰まり連合軍最高司令官)宛送達。しかし「蟷螂の斧」。翌年解る。同じ11月、湯川秀樹博士の中間子理論がこの年のノーベル物理学賞にケッテー!世の中中間子も内股膏薬もイッショコタ兎に角目出度い騒ぎ。1950年の年賀状は、私達は「何が目出度い?」の受験生だった!がSCAPマカーサー元帥は、其の年頭教書で日本の自衛権を強調、引いて日本を赤波の防波堤と位置ずけ期待。赤狐狩り来襲。時吉田第3次内閣。破防法提案の動き噂さる。5月東北大での「イールズ博士」の講演会、学生の反対行動で阻止され北大でも中止さる。憲法記念日にマカーサーは、日本共産党の非合法化を示唆している。同じ日の東大南原繁総長の「全面講和論の講演」を吉田首相は「曲学阿世の徒」と痛烈批判。6月はじめ、警察本部が、各地方本部ごと全国集会デモ禁止通達。6月6日マカーサーが、日本共産党幹部22名の公職追放を指令レッドパージは始まったのでした。(吉田内閣の閣議決定は官報に依れば、9月1日)朝鮮事変勃発6月25日。マカーサー翌日「赤旗」発行停止30日間を指令。更に7月8日、日本に警察予備隊創設、海上保安庁の大幅増強を指令。吉田はオンリー・イエスマン。「赤旗」7月18日以降無期限発行停止。7月28日新聞放送報道界のレッド・パージ(党員以外のシンパを含む)GHQ指令。こうして戦争放棄平和憲法から遠出する日本の姿が始まったのでした。しかしこの頃から、漸く急速に朝鮮戦争特需景気と、米駐留軍の日本への増強が物資の補給を促し加速度的に食糧補給も良くなり、ララ物資のタマネギや、オーストラリヤQBBチーズが配給から忘れられ、木造コンテナーの中で腐って秋葉原や台東市場の空き地に野積み放置され学生アルバイトが高給で募集され、私も行きましたが、コンテナーの中は、完全無酸素状態の上に催涙毒ガス猛臭気充満。側板を打ち破ってひっぺがす迄が大変。山が独りでに崩れるとひとしきり近所迷惑、100mは逃げなくちゃ、でしたが、数時間放置して猫車でなんとかなるものは風上に運び選別、腐ったものは近くに大穴を掘って埋めてしまいました、夕方、タマネギの腐ってないものはアルバイトの奥さん達が引き取りに来て、何でも輪切りにして干して、からして、空揚げにすれば・・という話でしたが、何しろものすごい量でした。半月ほどしたら、新宿西口のほっ建て飲屋街の突き出しは軒並み例外なくそれで、臭いも悪くはなかったが私は、状況を思い出してとても手も出せず口に出来ませんでした。多分これが後年の「文化フライ」の発祥と思われます。

 QBBチーズの腐っていない箱とチーズは別々に回収されて、組み合わされオート三輪で飴屋横町に引き取られました。今アメリカ横町と思われて「アメ横」と書かれますが、語源は「飴屋横町」デス。この頃からかなり急速に外食券食堂でも外食券無しで麦入り飯ややがて「銀シャリ」と称して白飯が食べられるようになりました。鮫洲・大井と赤羽連隊跡に蒲鉾兵舎が建ち並び、ソルジャーとサージェントが、そして代々木練兵城跡に所狭しと将校兵舎のバラックが建ち東上線成増にも将校兵舎が建ち並び、戦後五年の焼け出され庶民には指をくわえて見つめるばかり、♪向こう通るはジープじゃないか・・・」とオフ デユーテイーに、ジープに乗り合いして「東雲のストライキ」の洲崎や「墨東綺談」鳩の街・玉の井へ繰り出す船底帽のジーアイ(GI = Government Issue 兵士のこと )共が引きも切らず、洲崎のヤリ手ババーア奴、ショートタイムを毎週段々短縮 遂に23 min. per head 迄ケチりゃーがった。

 こうして、GIがらみの仕事は結構あり、大学1年(現役だと何歳?)で既に喫煙歴5年で中毒状の私は洋モクの必要から蒲鉾兵舎に出入して請負仕事してました。夏休終近くの8月30日全学連の召集が掛かりレッド・パージ反対総決起集会しかし翌々日の閣議で吉田内閣は「マカーサーのご意向により」閣議最終確認レッドパージ決定。逆に約1万名の公職追放者の解除をGHQに申請。10月13日GHQ承認。10月はじめ、東大駒場でのレッドパージ反対全学ストライキ総決起大会ピケラインに、警察予備隊1ヶ中隊が棍棒で殴りかかって史上初の学生警官乱闘、学内警察乱入。以降、学生運動には警官機動隊・警察予備隊は付き物となる。警察予備隊は後の自衛隊に発展。其の基礎となる警察予備隊令はこの年の8月に既に発布済み。11月電気事業再編成令公布戦前からの日本発送電は電源開発に、各電力社は、9電力会社に。中部地方の電力会社は伝統名「東邦電力」から中部電力と改称した。後に、「電力の鬼」と呼ばれた、松永安左右衛門が電発総裁に。某大学学生新聞のインタビューのために私が、総裁室にコネを付けさせられた。女好きの偉丈夫だった。第一声が、「何?君じゃなく新聞記者をよこす?ちゃんと筆卸した奴を寄越せ。女もしらん青い奴に事業が語れるか?!」96歳まで毎年アメリカに渡ったが、94歳まで、芸者帯同だった。

JA局が駐留米軍人局だった頃:マッカーサー の 洗濯屋さん。

 日除け眼鏡つば付き軍帽にとうもろこしパイプをくわえ、ロッキード三枚垂直尾翼のコンステレーション機「バターン」号のタラップを下りるマカーサーの写真は有名で、割に親しみ易そうに思うが潔癖でエリ好みが強くアジア人に対する偏見も強く、これが朝鮮戦争の終結局面で出てしまい、彼我双方から煙たがられて1951年半ば、急に罷免されて極東を去る。後任は、覚えている人も少ないだろうがリッジウエイ中将。因みに引きずり降ろしたのは彼ではなく、全くの別人。この男には大統領にのし上がる野望があったから仕掛人。この間、6年間、マカーサーの下着、Yシャツ、軍服洋服の洗濯を、不思議にもしっかりと任された日本人がいた。其れまでは気に入った従卒の洗濯でなければ決して気に入らず、癇癪を起こして窓を開けて、下着の洗濯物の山を庭に投げ落とすこともあったらしい。これは、後年中央公論だったか文春かで読んだ。為に従卒は、なかなか兵階級も上げてもらえずマカーサーの従軍将校生活中あまりに固執するのでホンの2-3人しか代えられなかったらしい。これは、下士官止まりで将校にして貰えなかった元従卒の帰国後のげろ吐き述懐。NWかタイムズで読んだ。

 なのに、6年間マカーサーが其の洗濯屋は日本人と知った上で、其の洗い方、アイロンの当て方、のり付けの程度、全てが気に入って洗濯させ、ごくまれに当番兵が洗濯したりすれば直ぐ見分けて、ゴミ屑缶に投げ込んだり窓から庭に放り投げたりしたという。

 この洗濯屋さんは、何と35年前氷室一家が田無に居を構える前、うちの近くに住み洗濯屋さんをやっていたのでした。そうとは知らず、30年余付き合っていてクリーニングはここと決めていた。うちの筋向かえに別のドライクリーニング屋が開店しても女房も娘も一向に興味を示さず相変わらずこの洗濯屋だったのです。

一昨年独居老人していた私は或る朝突然世の中が回転しだし119番入院したのでした。救急車が来て運び込まれるとき、近所の人々が、アレッ!クリーニング屋さんが来てない、娘さんに連絡したの?アンテナさんは?と言ったが・・・救急車が1分も掛からず来ちゃったの!平和さんと大久保さんに入院したと伝えて貰えば娘の所へ伝えて貰える手筈。と言い置いて入院したら、2-3日して落ち着いてから隔日毎に洗濯屋さんが、下着も寝間着も2日分ずつそっくり取り替えて洗ってきて呉れるようになった。「済みませんねえ!わざわざ取りに来てお届けで」と言ったら洗濯屋さんが口の中で「いや、まっ何とかカントか・・」と言った、私には「マッカーサーに・・・・」と聞こえたが、そのまま3週間ほど1日置きお世話になっていた。或る日曜日、何組かお見舞いがあって、この6月は、氷室さんが田舎からポット出て来た年には今日朝鮮戦争が始まってねえ・・・という話になり、翌年マッカーサーが罷免されて・・・そうそう・・と私がマッカーサーの洗濯屋は6年間日本人でただ一人だけが気に入っていたと言う話になっていた。衝立をずらして洗濯物を下げて洗濯屋さんが入ってきた。「私が其のオ、洗濯屋です。」「アー、コンチハー済みませんネー何時も。有り難う御座います。」と私。全然気が付いていない!「衝立の陰で一寸話し聞いてたけど、マッカーサーの洗濯屋、氷室さんは何でもよう知って見えるねえ、其の通りで実はこの私です。」全員、偶々は入ってきた看護婦さんまで「アッ!エエーッ!」暫くだれも言葉がない!。

 立ち話で彼が語ったところによればマカーサーは台湾で、糊エリの軍シャツを一日着て襟首が青くかぶれ、夜会食の時に婦人少佐だかに、「将軍、誰から送られたキスマークですか?又青い口紅を誰に贈ったのですか?」と散々揶揄されてから洗濯糊の使い過ぎと、アイロンの当て方に滅法神経質になったのだそうで、着任当時、六軒の洗濯屋を一ヶ月近くテストして、自分の洗濯を選んでくれたのだそうでアイロンを1段重いのに代えさせられただけでずっと六年間、着てくれたのだそうです。青い口紅は、・・・私も台湾なら解るのですが、・・・糊は汗や水でしめって二−三時間で真っ青にかびが生えて洗濯には使えませんし、糊ずけして畳んである新品Yシャツや作業服をそのまま卸して着ていると半日で汗で糊がゆるんで黴が生え、マッカーサーと同じ事かぶれるので、新品は着る前に一度ちゃんと洗濯して糊抜きして良く日に干してからしか台湾の人は手を通さないのです。

 台湾で工場をスタートさせる日、日本人グループは大きな失敗しました、其の立ち上げの日全員にまっさらの作業服を着て貰おう、本社からお偉いさんも来ることだし、その前から渡して、間違って着て汚されても何だからと、直ぐ前日に全員に配ったのでした。ところが翌日全員が相変わらず、事務課長も現場課長も古作業服、事務長が、怒って、1時間で全員新品に着替えてこいと命令したが、皆、出来ませんと言う、今頃洗濯中でしょう、今日は雨ですから乾くのは明日です。事務長は、だから新品を昨日配ったろうが?と繰り返す。「ええ、新品ですから糊落とし洗いしてます」が彼らの答え。典型的な文化の落差。カルチャーショック。


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