JA局が駐留米軍人局だった頃:社会情勢は(6)−付録:「三国人」って?−

 この程、強気の慎太郎こと、石原都知事が自衛隊の練馬駐屯地で祝典挨拶してチカジカ行われる3軍の連携演習に「・・・・地震などの災害時に、不法入国したような三国人が、不穏な行動を起こすかも知れない、そんな時には警察力だけでは限界があり自衛隊の力を借りなければならなくなるかも知れない、・・・」云々の発言が物議を醸したがでは一体「三国人」って一体全体何?・・・御存知でしょうか。其れは丁度、マカーサー元帥以下の連合軍が日本を占領していたときの特殊条件下で派生造語された言葉なのです。明治時代から、日本は日清戦争で台湾を、日露戦争で南樺太を領有し、余勢を駆って朝鮮の李王朝の政治無関心につけ込んでこれを併呑領有していました。1945年敗戦により、これらの併合領土は、解放されましたが、連合軍の占領下にありました。 戦前戦中大日本帝国臣民として日本本土というか内地に移り住んでいた多くの人々がいたわけですが、これらの人々の立場は明らかに、本性日本人とは異なってマカーサー麾下の駐留軍ではなく、又占領されている日本人でもないことから、日本占領の当事者でない、詰まり法的には「3rd Party」第三者であり、法的に「第三国人」又は「三国人」と呼ばれたわけです。占領下の、これらの人々の扱いを決めた占領時限付きの法律も施行され、日本の法律には必ずしも縛られない人たちでありましたし其の多くが、二重国籍を取得していました。勿論いい人が殆どなのですが中に1950年6月(1948年に南北分割されていた)朝鮮に動乱が起こって占領下の日本にも米軍が増強され且つ特需で一挙に日本の景気が 良くなると、この特権目当てに米軍がらみで、不法入国してきてブラックマーケットで荒稼ぎする三国人が目立ちました。隠退蔵物資のころがしにからんで国会で槍玉に挙がったドンも流石にゲロはしませんでしたが、そんな国を揺るがすところから街角の闇市まで彼らの特権が活かされた様でした。ドンの事件は世に「世耕事件」と言います。

 この法的根拠のある「第三国人」の他に当時の文士雑誌のどれだったかで風刺論説的に中国の「中華思想」と「目くそ鼻くそを笑う」を、面白おかしく結びつけた「三国人」怪説を呼んだ記憶があります。誰だったか著者名が記憶にありませんし、又、雑誌が「群像」だったようなでなかったような曖昧ですが、論旨ははっきり覚えています。中華思想で中国は孤高で四囲を見下し、各四方の国を東夷・西胡・北荻(マイナス草)・南蛮と蔑みます。では、四囲の各国同士の間ではどうなりましょうか?当然中華思想の影響は受けて、何かにつけ周囲よりは、自分を高く置くことを試みます。然し強大中国には逆らい得ません。勢い、四囲中の残り三国を蔑むことにする、詰まり「目くそ、鼻くそを笑う」に等しい近隣国を蔑む偏狭な考えが則ち「三国人」と言う表現を呼ぶ、と言うモノです。この響きと、「3rd Party」(当事者外)外国人が結びつくと、法律用語も「軽蔑用語」に変身しかねませんネー!ご用心ご用心。まあこの頃の、物情騒然の中には、そんな要素もありやがて右翼行動隊の剣道猛者等による三国人黒幕つぶしがこれらの大物を闇から闇へ葬り去ることになります。 実際この時期神田、秋葉原界隈の物流を取り仕切っていた三国人黒幕は1952年5月までに付近の住民の環視の中で右翼が踏み込んで消されています。


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