オリンピックセレナーデ:火事場の力 VS 運も実力

 「火事場の馬鹿力」と昔から言うでしょう? 又、マアジャン等で良く憑く人は、「憑きも実力の内」と良く嘯きます。 スポーツ勝負でも憑きはあり、又人によってですが、程良く緊張する方が、平常心に帰る人と、一寸上がるともう平常心が何処へ行ってしまったか解らなくなって取り返し付かなくなる人とあるようで、オリンピックの常勝者は殆ど前者、内弁慶で、自己ベストなら金メダルと騒がれながら、鳴り物入りで出場しても鳴り物で上がってしまって予選で敗退したりここ一番で下手って、メダルに手も届かない人が多い。今年もそんなにして、積年の努力を一瞬にして水の泡にした選手も多い。泣くに泣けぬ情けなさでしょう。

 そこえ行くと昔、岩崎恭子ちゃんという中学生が、ケロッと決勝に残って、あれよあれよと言う間に金メダル取ってしまった事がありましたよね? ところが帰ってきて色々大会に出てみると、、、どんなに練習しようが、どんなに良いコーチに就こうが、3位までにも入れなくて結局若い内に引退してしまった。運を味方に付けた上に、火事場の馬鹿力もうんと出た、足し算でなくて掛け算で二つとも味方に付けたごく稀なケースだったに違いありません。 同じ様なケースは、幕末悲運の最後の剣豪と言われた上田馬之助にありました。 抜き打ちの斬り合いと、オリンピックの競泳200メートル平泳ぎは一緒にはならぬと言う勿かれ。

 道場では、稽古師範と渾名され、師範代も勤まると噂されながら、何故か、仕官の話があっても、其の腕試しとなると、其の藩の指南番を打ち負かすことが出来ないが指南番を凍らせ汗だくにするのは毎度のことで指南番は推挙するが殿様にはちっとも面白くなく仕官は失敗続き、肝が小さいかと言うと決してそんなことはなく、豪胆な話はいくつも持っていたようです。

 ある日隣の町内で出火、横町の老人が寝たきりで逃げ遅れ火に囲まれた時、火消しもあわあわ言うばかりの所へ駆けつけた彼は、老人の寝ている間取りを聞くや、水をかぶって濡れ筵と手斧を小脇に掻い込むと火を潜って床下に潜り込み、畳を跳ね上げて濡れ筵で老人を包んで又床下を伝って 救出に成功、火消しも及ばぬ知恵と豪胆さと機転を町奉行からお褒めを戴いたことがあるらしい。なにやっぱり火消しの知恵サ、屋内で火に巻かれたら床下に逃げロッテ。ただ往復使っただけさ、、、、

 其の彼が、一生に一度だけ、神技としか考えられぬ腕を見せてしまう。時は既に、将軍が大政を奉還し、上野の山の彰義隊の反乱も収まって、庶民に平常が戻った頃、馬之助は近所の子供を連れて、船宿まがいの川魚料理屋へ昼飯を食べに上ったらしい。席は二階で、折悪しく立て込んでいて2つ空いている席は対面に意地汚く安酒を飲み始めた2人連れの浪人者がいたという。子供が対面 の人の顔をじろじろ見るのは別に他意はないのだが、浪人はこれに難癖を付け始め馬之助が、子供をなだめると今度は、馬之助に、喧嘩を売ろうと掛かってきた。馬之助にはここで喧嘩をしようと言う気はない、軽く頭を下げて小女に注文を取り消すと、子供を促し、階段を下りようとした、二人の浪人が難癖付けながら、追ってきて階段で追いつこうとした、丁度そこへ小女が一旦下りて注文取り消して再び階段を上がろうとしたので子供を預けて降ろした。その時馬之助の背後の階段を下り掛けた浪人が馬之助に抜き打ちで斬りかかったのでした。

 馬之助が階段の途中で下へ子供を渡し両手が下向きに伸び、背が曲がった形の隙を狙って背後から振り下ろしたのですが、馬之助は背中で殺気を感じ、首筋に太刀風を感じて忍び抜きに抜き上げて相手の刀を払いざまざま体を捻って伸び上がり階段を降り掛けた相手を真っ向唐竹割りに切って落とし、自分も同時に切られたと思い失神した後ろの男と二人が重なって階段を落ちてくるのを馬之助は飛び越えたのだが、この時、階段の潜り口、二階の床を支える横梁にしたたか頭をぶつけたらしい。

 ご一新が成って、新しい時代が来ると世の中が緊張していた日々だったので、馬之助は神妙に、やむを得ずながら、人を斬りましたと、番屋に自訴して出たのですが、聞き書きを取っていた役人もかなり使える人で、直ぐ、階段の途中で上から切り下ろしてくる者を下から唐竹割りに切り下ろせる筈がない、必ず潜り梁が邪魔になる、と指摘したらしい。言われて見ればもっともな話。確かに斬った奴らが転がり落ちてくるのを避けようと飛び上がっただけで頭はしたたかぶつけたが、、、、確かに刀は真っ向から竹割りに振り下ろしているのだ、それ以外の切り方はしなかったのだ。

 彼はその後一生、この問題が解けず思い悩んで其の研究のために後半生を過ごすことになったのです。いや彼だけじゃない、彼の剣を教えた師も、兄弟弟子も、吾こそはと言う、日本中、剣豪?回してみることになったのです。しかしだれ一人、この頭をぶつける横梁を避けて上から下りて来る人を切り下ろせる太刀筋を見いだせる人はなかったのでした。岩崎恭子ちゃんが優勝したが、その後、これだけのタイムがどうしてもどうしてもとても出ないと聞いた時、先ず私の頭に真っ先に浮かんだのが、この上田馬之助のことで、、、火事場の馬鹿力と運の両方の掛け合わせなんて一生一度あるか無しかなんだぜえ !、、、と思ったことでした。

 だけど一生に一度でも良い、出来た人の偉さには変わりはないことは事実です。たとえ一生悩むことになっても、、、それは、、、羨ましき人生です。

 オリンピックに出たならやっぱり何時も並みの、出来れば火事場の馬鹿力を発揮して貰いたいモノです、ヤッパしそれを期待しちゃいますよ。

科学教育の危機(1):IT革命には教育革命が必須条件

∈∋⊆⊇⊂⊃∪∩、、、先ずこの話から、、、これ何だか解りますか?多分、これは未だクイズ・赤っ恥・青っ恥に出題投書しても没でしょう。

 広義の数学の記号で、印度では、コンピューター教育の基礎として、数字を習う一番はじめに最初に数の大小関係を教えるために、どうしても必要と考えられ使用されている集合論の記号です。皆さんのコンピューターの中にも必ず記号として入っていていつでも使用できる記号なのです。

 そもそも数字は数の表記記号で、其の「数」には、「大小関係がある」と言うことを子供に最初に教えなければ、1、2、3、4、5、6、、、、、も意味曖昧で、子供が数字に興味をはっきり抱くはずがありません。文部省教育はこの点どうでしょうか?コンピューター時代ならばこそ、最も基礎的なこのことを一番最初にはっきりして置かなくてはなりません、なぜならコンピューターとは、「(大小関係を)比較するモノ」の意味ですから!。

 もう十年余前一度、集合論のこの大小関係のごく初めの所だけでも数字を教える幼稚園か小学1年の内に教えたらどうかという議論がなされましたが、そんな難しいことを教えるのは子供が可哀想だ論に押し切られて沙汰止みになりましたが、それは、「赤っ恥」大人の勝手な無知蒙昧な議論で、数の大小関係もはっきり教えないで、大人にされてしまう子供の方がもっと可哀想じゃないのかな?

 数年前、「分数の出来ない大学生」という本がベストセラーになりましたが、まあ「可哀想なはこの子で御座い」まして、、、ムヅカシイ事を教えたら可哀想だ、を続ける限りコンピューター論理数学に強い学生は育ちようがないのです。

 で、it is a pen....のitの大文字くらいに思っているこの国の宰相が何と言ったか、「コンピューター数学にはインド人が強いらしいしあの国ではドンドン教育して余っているらしいからドンドン連れてきて使ったらいい」、アメリカ南部開拓史の講義やってんじゃないんだ !日本人はドンドン失業してあぶれろってか?

 首相の立場で言う言葉じゃないわな、文部大臣叱責してしかるべきでしょう。印度ではドンドン教育できていることがどうして日本では出来ナイの?って。これじゃ日本人が可哀想だって。

 閑話休題。(これも意外に意味を知らない人が居る、赤恥青恥「それはさておき」)日食、月食、流星群と言うと、急に天文に興味を示す子供は多いが、小学校高学年中学高校と進むに連れ、興味を示さなくなることが極めてハッキリ統計に現れ教育問題になっているらしい。これは、私に言わせりゃ、先生出来る教師が居ない、親が天文現象が子に説明出来ない、親親譲り現象で、今更急にはどうにも出来ないでしょう。小学校の先生に天文の専任教師でも置いて、天文教育しなくちゃ、日食月食の原理の違いが説明出来る先生がやっと10人に一人くらいしか居ないのでは、どうにもなりはしない。世代毎にドンドン衰退するしかない。これも「親親譲り」並みだろう、大学入試に問題がでないのが致命的でしょう。ひょっとかしたら、先生や大学生に天動説人間が居るかも知れない世の中だモノ。

 一度アンケート結果が見てみたいモノですね?コペルニクス以前に戻っているのかも。

失敗は成功の素:其の要素(沃素)

 いろはカルタにも「失敗は成功の素」ってあるじゃないかと、いつもチョンボしては、周りの人や助手泣かせしている学生って結構居ます。学生の時にも居ましたが、企業内研究所の同じ研究室にも「チョンボの・・さん」と呼ばれる不思議な人が居ました。ノーベル賞には届きませんでしたけど結構、面白いこと見つけていました。

 この度は又、チョンボが素で、ノーベル賞に届いた方が出たとは全くおめでたいことです。チョンボと言う表現は正しい言葉でなく、品質管理の言葉では「過誤」が「正しい」言葉です。実験や、品質管理の分野では、「過誤」には、2つの種類があり、第一種が「あわて者の過誤」もう一つ第2種を「うっかり者の過誤」とし区別します。

 一般に、命令や指示で情報の伝達があるとき、情報授受の両者共通の認識・常識を持っていると思うと、情報のかなりの部分の伝達を省略してしまって、ここで情報の折れ目が出来て食い違ってしまうことがあります。どちらかがあわて者だと早とちり・早のみこみになるわけです。最近の医療ミスには看護婦さんの多忙から「気が急いて」のこのケースが多い、命一つが掛かっているのだから、ドンナニカメサンイソイデモ、いろはカルタにあるじゃないか「急いては事をし損じる」情報の確実連絡復唱と、薬のダブルチェックは欠かさないで貰いたい、殆どの医療ミスはダブルチェックさえされていれば避けられているモノだろう。民間企業の品質管理生産現場では考えられない凡ミス、手抜きチョンボです。因みに、昔から、浪花節など唸るときにも、「何が何して何とやら、」ですし、おとぎ話昔話でも「いつ」・「何処で」・「誰が」・「何を」・「どうして」・「どうなった」がお話の要素です。

 industrial engineeringと言う舶来の手法でも、情報は同じく、「5W1H」の6つの要素に分解して確実に伝達せよと言っています。5W1Hとは、What to: Who to: When to: Where to: Why to: そして How to: と、昔からのお話要素と全く変わりません。難しい事じゃない当たり前の事なのです。

 ノーベル賞の白川氏の失敗は、大学院生と共通の認識を共有していると誤認識して実験指示したが、先方が、外国からの留学生で、別の認識で早とちりしたため、触媒を1000倍用いてしまったので旨く行ったと言う、きわめて宝籤的ラッキー賞からその後の研究が始まっています。其の留学生の国で、化学の計算問題を習うとき、こんな符号の使い方をするらしい。1例だが、物質Aをm molと、物質Bを n molとを反応させたら、物質C x molと物質D y mol及び 物質 E z mol が生成した、、、。 等々。

 白川さんは、この留学生に、実験指示するに当たり、触媒量を、単位ミリ・モル(1000分の1モル)のつもりで、 「mmol」と続けて書いたらしいが、計算する某国からの留学生は、いつもの「物質A m (エム)mol ネ!」で1000分の1が消え失せた!ヤア、運のいい人ってえのは何処までも幸運なのですね、運も実力の内というわけです。

 未だ幸運はあったようです、こうして出来たポリアセチレン樹脂は、黒い皮膜から、アルミ箔のようにピカピカにはなったのですが、そして殆どグラファイト構造なのでしたがどうしてか電気が流れない、アメリカへ呼ばれていったら同じ事で化学者と共同研究の物理学者も悩んでいたらしい。これに電気さえ銅箔ほどスムースに流れてくれれば、、、と言う興味でこの先生必死でいてくれたらしい。同じ研究指向だったと言う。物理学半導体理論的にどんなことになっていそうかをいろいろ 説明してくれたらしい。3人はある仮説にたどり着くのにそれほどの時間は要らなかった。其の対策は化学サイドから解決できそうだった。白川氏は、1年以上居てもしょうがないと、私は沃素をドープしてみると言い置いて帰国したのだそうです。

 やってみると何のことはない、アルミ箔のようなフィルムが然し電気は殆ど流さなかったモノが殆ど銅箔並みの電導度で電気を流すようになったのだという。これで一挙に実用化の目途が立ったのだそうです。20数年前の話だそうです。

 やっぱりヨウソは、大切なのですねえ。いつの場合でも。情報の要素も、そして化学物質としての沃素も。


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