西東京市の話(2):地誌

 東京都の輪郭を西向きのシーラカンスの様な魚の形として喩えると西東京市の位置は、ほぼ真ん中に立つ背鰭の後ろの付け根に位置します。元々廃藩置県直後の両市の所属県は保谷が埼玉県、田無が神奈川県でした。神奈川県多摩地区が勅撰県令(今で言う県知事)に反発し再々不穏の動きを示したので、明治10年代に次々3多摩郡を東京府に移管した。このとき田無は東京府に編入された。10年以上も遅れて、埼玉県が日本一小県だった岩槻県を併呑したゴタゴタにかかずらわって荷重になったので、最も東京府に食い入っている清瀬、保谷付近を東京府に移管して東京府に編入された歴史を持っています。このとき背鰭が出来たわけです。決して東京都の西の部分を占めるわけではありません、東端西端を結んでの中点よりわずかながら東です。なのになんーで「西東京市」の?・・・・・答えは極く単細胞的。

 東京地区にMCA無線とか言う無線の鉄塔が3本有るのだそうです。曰く北東京タワーが赤羽付近に、東東京タワーが小岩か新小岩付近に、そして西東京タワーがここ田無の西端に。毎夜ライトアップの色が明日の天気予報をするので、今では市民に無くてはならないタワーでもあるのです。夜更けてひっそり帰ってもテレビ点けたり新聞をガサゴソ音を立てて家族の眠りを妨げなくても明日の天気は判り安心してバタンキュウー出来るのですから。で、市民投票の結果ダントツで1萬3千500票ほどの得票数でケッテー!となってしまったのでした。ですから、皆さん、西東京市と言っても決して東京の西の部分を占める市ではなくシーラカンスの真ん中の背鰭の東側の付け根にこびりついている、西東京タワーのある市だと覚えて戴きたい。二つの市庁舎の位置を示しますと、


平均海抜、標高67mとされています。

 元々関東ローム層10m以上の武蔵野台地のほぼ中央、東京都のほぼ中央北部に位置し北は埼玉県新座市に東は練馬区に南は武蔵野・小金井両市に西は小平市及び東久留米市6市区に接しています。総面積15.85平方キロ、差し渡し 東西 4.8km南北5.6 km。

 地勢は北に白子川、中央部に同支流の新川、南部に石神井川があり何れも西から東に流れその沿岸は周りより2-4メートルの低地となっています。一般的にはほぼ西から東のなだらかに傾斜したほぼ平坦な平野といえましょう。


西東京市の話(3):武蔵野としてどんなところだったのか

 櫟や欅の林が続く武蔵野の台地にいくつかの川が刻んだ起伏で、林が途切れてはいるが、ローム層に川が運んだ砂地で、米はもちろん穀類も育たない、甘根などの草と、葛や八重葎などの巨大豆類が砂地を覆う広大な荒れ地だったようです。谷戸、保谷、田無、狐山、、、、などの古名は、それらを偲ばすに充分です。狐山は、田無高校の西から向こう台の台地を東に続いていて東伏見までの台地だった様です。葛は、米の次ぎにネズミの好物でネズミが又狐の御馳走で、結局、深草の少将も通い詰めたという傾城白拍子[葛の葉]もうたた寝の隙を見せて、狐とばれてしまい篠田の森に逃げてしが、、深草の少将は葛の葉が忘れられない。狐は葛の繁茂する森の端に棲息していたのです。ここら当は、日本武尊、更には坂上田村麻呂の東征以来、征夷将軍とその参謀将校「尉殿」(じょうどの)様たちの領地と住居のあったところらしく1000年の歴史がある地名のようです。田無にも保谷にも尉殿神社が古くから祀られています。

 田無の有名なお百姓さん、知らぬ顔の半兵衛さん達が狐族と共存していたうちはよかったが幕末に近付くと治水と開墾が奨励され、荒れ地も年貢の対象となっては、開墾せざるをえない。更に、明治のご一新。侍は食うに困って半数は帰農せざるを得なかった。荒れ地の開墾しかなかった。狐はドンドン追いつめられて、、、一番沢山松の生い茂った台地の東端に追いつめられた。17家族の狐の親子。松葉燻しにあって敢え無い御最期。今も跡が残るわずか10m四方の所に17の狐穴があったらしい。無惨。狐族は絶えた。

 祟りを恐れたこの地の地主連が浄財を募って稲荷を建立、稲荷信仰の大本山伏見稲荷に願って勧請しここを東伏見と定めて狐族の霊よ安らかに豊穣を給われとばかり祈ったのです。もし東伏見のお稲荷さんを訪れることが有れば裏山の狐家族の終焉の地に追い詰められて逃げまどったであろう彼等の苦衷を察してやっていただきたい。動物とて命有るモノ、だけではない我々人間の主食であった、米を初めとする穀類をネズミの横取りから護る大切な役目を果たしていたのでした。

 西武新宿線東伏見の赤鳥居、更に参道鳥居から約300メートルの松山。又車なら、青梅街道関前から東伏見の乗越交差点から100メートル足らず。新春と初午は植木市もあり賑わいます。是非一度如何かな?子供さんの教育の参考と動物愛護の精神昂揚に格好の教材でしょう。

 更にこの西東京に限らずこの多摩台地の一帯の旧農家には、必ず一家に一カ所、邸内稲荷が祀られているのも特徴的です。それほどこの地区には極普通に狐が棲息していた昔があって人との関わりも深かったことを思わせます。是非散歩の途次にも気を付けて見て下さい。


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