西東京の話(9):某女子大ギャルの好み(アンケートなど)

 西東京市はかつて、田無市とその5角形の4辺を取り巻く保谷市が合併した市なのですが、一番ホッとしたのは此の女子大でしょう。と言うのは、そのキャンパスの中の一つの校舎の一隅が、他市、詰まり一つの教室が2市に跨っている、境界線を跨いで校舎が建てられてしまっていたのでした。この度合併して晴れて、全体のキャンパスも此の教室も全部西東京市になったのですから。

 それはさておき「秋深し隣の客も柿を食い」(古川柳)は学園祭のシーズン。ご多分に漏れず、ここも。ピチピチギャルが張り切ります。登校するギャルの目が輝き頬が紅潮しています、この時期。見直しますね。

 そこで、発表するためあらかじめ採ったアンケートの結果が判りました。学園祭側のウエブサイトがないか調べたのですが見あたりませんので、ここで発表することにします。

【 MG学内アンケート 2001 】
好きな先生:(自所属科1人選び)
<文学部><現代社会学部>
1.F.K.先生♂1.F.F先生♂
2.S.Y.先生♂2.A.Y.先生♂
3.N.S.先生♂3.K.K.T.先生
<人間関係学科> <短大>
1.K.D.先生♂1.K.T.先生♂
2.S.K.先生♀2.Y.K.先生♂
3.H.U.先生♂3.K.O.先生♂

此の女子大の好きなところと嫌いなところ
<好きなところ><嫌いなところ>
1.緑・大樹が多い1.遠い・人里離れている
2.女子だけ大であること2.虫が多い
3.グリンホール・7号館が綺麗3.1号館のトイレ
人里離れ、緑が多いから虫が多い、カミヒトエって感じですネ

学内で和む場所
1.グリーンホール
2.学生ホール
3.7号館(ソファ)

よく行くお店は?
1.セブンイレブン
2.吉祥寺PARCO
3.マクドナルド
ロンロン

教授だったらいいなと思う芸能人(男女1人ずつ)
<女性><男性>
1.和田アキ子1.北野 武
2.桃井かおり:田中真紀子:山口 智子2.三谷 幸喜
3.デヴィ夫人:松嶋菜々子:中村玉緒3.所ジョージ:明石家さんま

入り込んでみたい映画やドラマは?そしてその役柄は?
1.ビバリーヒルズ90210(ケリー・その仲間)
2.踊る大捜査線(青島・仲間の刑事)
ER(患者)---------<─(ジョージクルーニー大人気でした)
アリーmyラブ(アリー)
3.3年B組金八先生(学級委員長・不良)

月にどのくらいお金を使う?
1.1万円
2.2万円
3.3-5万円

 因みに、此の女子学園は、仏教系の中学以上短大・大学までと、幼稚園併設の女子学園です。学園祭は、10月下旬の週末、釈迦の母の名を冠して、摩耶祭と言います。関係者でハムは、英語の先生♂、JH1LFP(八王子在住)が居られます。

戦後余話(1):学制改革と日本画壇の確執

 戦後の最大の改革は何てったって此の6・3・3・4男女共学をおいてないでしょう。私学は4年制になる筈の新制大学は1947年春から、国公立大学は1948年春から始まりました。高校以下は、横滑り、旧制中学と、高等女学校が組合わさって、統合され、男女共学の新制高校となりましたが、旧制の高校と専門学校が組み合わされて、国公立の大学になりました。地方の大学で、駅弁大学と酷評される所もできました。一寸変わった国立大学もできたのです。

 その昔、藤山一郎や淡谷のり子が、学んで、藤山一郎は学生時代から、流行歌のレコードが売り出されて人気が出てしまう、きわどさ、、、淡谷は卒業してクラシックを歌っても喰っていけない、で流行歌を歌ったのですが。「ふんなのないわ」だったか「だって嫌よ」のどちらか?兎に角その上野の音楽学校。それに日本の画家を輩出し、絵描きになろうというモノが目指した「美校」。此の2つが統合して、国立芸術大学となったのです。大学ともなれば学長が居る。要る。が、きょうびの大臣様と訳が違って2人とはまでは要らない。所が困ったことになった、日本画壇には殆ど相容れない2つの集団が出来ていたのです。

 明治のご一新。文明開化。日本は世界に目を開かなければならなかった、全てを西洋から入れ直さねばならなかったのだが、、、。明治新政府が多くの分野の先生にすべきお雇い外人を連れてきて研究させてみた所、繪の分野ではイタリヤ。

 ここから日本へ来たフェノロッサと言う大先生がたまげてしまった。西洋に繪の旨いのはあちこちに輩出した。妖怪変化や、亡霊が出た繪はある。然し日本画狩野派の写生画のように、二条城のふすま絵の雉や、あちこちのふすま絵ならいざ知らず、名も無き旅宿で路銀を無くした宿代変わりに、ふすまやついたてに描いた雀が、毎朝朝日と共に抜け出して餌をあさり、又ふすまやついたてに戻る、時の殿様が、千両2千両を積んで、お城にふすまやついたてを運んだ途端朝日が射し込まなくなるし、抜け出してもお城の庭には餌が落ちて無くて雀が死ぬ話が、日本中に至るところにある。話*)だけでなく雀のお宿は実在していて、宿に泊まって朝抜け雀を見たという何千人の証人が存命していた宿まであったのである。こんな国は初めてだってんで、フェノロッサはビックリしてしまった。繪の技法、そして、繪に込める心に。

 西洋画を学ぶことの意義も判るが此の日本画を大事に育てることももっと大切だと言い出してしまったのです。更に彼は日本人の諸事に対しての心構え、に傾倒します。茶、茶道の心、これを日本画の心と共に岡倉天心に説きます。

 狩野派は、確かに、名人達人の正統一系ですが、幾組かの親子関係を除いて、血のつながりでなく繪の技法、繪の心を継ぎ得た者への相伝なのでした。いわば天才の発掘で派家名を継がす。他にも名人、達人は複数あり得ます。然し戦前の世の中は家名格式でした。明治以来のこれら格式から遠のけられた連合軍も、多く美校には集まっていたのです。

 敗戦後未だ3年目の学長選挙、狩野派は、当時の当主、36歳の気鋭狩野寿一氏を守立てた。他は連合軍。然し戦前から、日本画の指導育成に心を砕き評判の良かったこれも気鋭の矢代静一氏のモトに集まった。下馬評では、正統派を頭に戴きたいと思っている人も意外に多く選挙はしてみないと然し殆ど互角との予想であった。所が結果は、、、新時代、自由、を反映した。矢代連合軍の完勝に終わったのでした。

 あまりの下馬評と実数の差に、狩野さんもいたたまれず日本を去り、矢代学長が亡くなって平山学長に変わるまで、35年余の長きに亘りパリで日本画を指導して居られました。

 学制改革の余波とはいえ、こんな事件も、当時、一般人にとってはひっそりと、、、然し当事者には、何で何でこんな時代に、、、。とあったのでした。

 後日談があります。
相撲のパリ場所3日間の興行のあった年の、、、秋も深まった頃、ムッシュ・ル・プランス路の日本寿司屋のテーブル、未だ暮れきらない頃。客一人。私は当時、17区のワグラム大通りのスツジオ住まい、毎朝と、休みの日の夕刻ジョギングをしていた。14区のカルチェ・ラタンの辺りまで、夕刻のセーヌ河岸を走るのは又一興でした。秋とはいえ、一汗掻きます。両道はとてもなので片道。となると、汗拭いて着替えさせてくれるところが要ります。ここい寿司は、神田のオーナーも昔の文学青年で駿河台下の銭湯稲の湯で、背中を流させられた兄貴分。店の奥でサッと水浴びして、ジョギングスーツを脱いでさっぱり着替えて、チョイと一杯は応えられない。店へ出ていくと、客は品のいい白髪の紳士。W店長に耳打ちすると、狩野さんという絵描き、知ってる?と言う返事。会うのは初めてだがこりゃ大変、様子を見るかと、先ずビール。後お酒ね、と言った途端。離れた先客から、声が掛かって、「お互い一人ずつって事もないでしょう、こちらにいらっしゃい。」これ遠慮すると絶対気まずい。酒飲みの心理。待ってましたという顔は出来ないが、、ではBKさせていただきましょうか初対面で、雑なスタイルで相済みませんと、差しになる。店長から狩野さんと聞いてしまっているのでよけい複雑。型通り名刺交換簡単な自己紹介。狩野寿一とある。やっぱりだ。気を静めて、自己紹介を終わり、「ずいぶん長い事こちらにおいでだったようで、、」と切り出してみた。お一つを薦めながら。「ええ、うん、いや、去年やっと35年振りに日本へ帰りまして、、、昔のことご存じでしたらそれは止めて下さいね、所で氷室さんおいくつですか。おひとりでパリで、、。世に言う意味で、頑張って下さいね。私も11年前にフランス人と結婚して、今9歳になる子供がいるのですよ、それで毎年、一度か二度は来なくちゃならない。55歳を過ぎたからって萎れちゃ困りますよ」さしつさされつ、Sメーターは上がる。

 私「先日、パリ在住64年の荻須画伯が亡くなりましたが、あの方は私の旧制中学の大先輩で、尾張の津嶋、愛知県立第3中学です。唯一先輩と誇れる先輩でした。残念です。」「そうですか、パリを描くために生きた人でしたね、生涯筆致が変わらなかった。大した絵描きです。なかなか出来るモノじゃない。みんなそうありたいと思っているが。、、、そうですか同郷ですか。」

 「明日は4時起きで出掛けますので今日はこの辺で、日本でも是非お会いしたいですね。是非名刺の所お電話下さい。」「飛んでもない、恐れ多いことです。」「何仰有います、フランス人相手に戦った戦友みたいなモノじゃないですか。遠慮は要りませんよ。」とホテルは近いと歩いて行かれました。私は、隣の地下のカラオケスナック「あなぐら」の住人になって歌い明かしました。今から15年程前の秋でした。

頭の体操:君は単一乾電池で3Vが出せるか?

 テレヴィで、工業専門校の生徒達による「ロボコン」が放映されていますね、さまざまのアイデアで、問題要求項目にあったロボット振りが製作されています。見ていてとても楽しいのですが、参加している学生達にとっては、生き甲斐です。その眼がそれを物語ります。負けて、一瞬悔し泣きしますが、必ず勝者をたたえ、次は負けないぞと力強く次を誓う姿の方が、ただ飛び跳ね喜ぶ勝者よりも何故か頼もしく感じます。此のリヴェンジを誓う人たちこそ更なる頭の体操に挑むのではないかと。

 此のNHKの「ロボコン」企画は、初め東工大の生徒と、アメリカ・マサチュウセッツ工科大学(MIT)の学生の対抗でやろうとのアイデアだったようですが、MIT側の許可システムがややこしく、スローで、許可に3年も掛かったようです。

 NHKはとても待てず、且つ大学や工業高校となるとその数幾百とても1日で決戦が終わらないことを考慮して、当初企画を持ち込んで快諾いただいた東工大の先生の助言に従い、当時全国50校ほどだった、工専校に絞って、此の東工大の先生に問題を出して貰う形でスタートしたのでした。

 此の企画は、いくつかの工専校の生徒の目の輝きを変えました。よーしやってみせてやローじゃないか、授業の試験では良くないが俺には一寸した別の才能があるんだぜ、今に見ていろ僕だって、、派が結構何処の学校にもいたんですね。

 第1回の出題は、新品の乾電池1個で体重60キロの人を道路で60m運べるか?5万円以下の材料で装置を考案せよ。新品乾電池はスタート直前に渡す。但し電機部品を使用する場合、その装置内の全ての蓄電器、蓄電池は完全放電状態であることをスタート直前の10分間審査する。と言うモノ。

 各校生徒の単純な疑問は、問題は可能か?と言うことだったようです。出題者にも実は判らないのだと答えると、皆却って盛り上がったというのです。

 然し第1回の最終決戦に作品を持ってきたのは4チームだったよし。アイデアはそれぞれユニークだが、いずれも古自転車の車輪を応用、重いタイヤチューブは外してリムの軽さでスタートトルクを克服に努めたよう。4チームとも、車の走り出しのトルクが乾電池でマブチモーターを回すだけでは到底克服できないことを実感。どうやって、60キロプラス自重をスタートさせるかに集中したようです。

 1.人の体重の位置のエネルギーの利用。伸身で水平に近く寝ている人をモーターでゆっくり支持枠を立てて行き垂直直前で一気に倒す,此のエネルギーでギヤを回し車を回しあとは惰性に頼る。モノ。-- 60mを一気に駆け抜け成功。但し巻き上げ時間はたっぷり掛かった。

 2.3.省略。いずれも成功。

 4.非常に感動的で、泣き出した女生徒もいた程という。DC−DCコンバーターと、3.3ファラッド(μFではなく)のスーパー・コンデンサーを30個パラにして99ファラッドのコンデンサーにして12Vを15-6分掛けて充電し、ギヤシフトメカの付いたモーターに繋 ぎ替えてリムを回す、初め調子よく走行したが、充電量は、56─7mが限界か止まった。あと3m一寸。、、、チームリーダーも運転者も渋い顔、未だしかし時間内。どうしようどうする?観衆の嘲笑も始まった。審査員のあと10分で競技終了としますのアナウンス。するとそれをまっていたかの様に、観衆の 嘲笑がどよめきに変わった。なんと微速ながら動き出したのである。超ローギヤで動いて10分では3mに足りなかった。然し、制限時間は過ぎたがなんと完走したのだ。コンデンサーは放電したあと又時間が経てば電荷が溜まることがあるのだった。その動き方は、いかにも必死という感じで、観衆の感動を誘ったのでした。

 このことがあってかあらずか、此のコンテストの第2回目の問題は、新品単一乾電池2個という事になりました。第一回出場者は勿論、他の学校も今度こそと頭の体操、役割分担を決めたチーム編成で挑戦したのでした。

 第一回では、DC-DCコンバーターとスーパーコンデンサーという文明の利器が登場、本当に五万円以下で出来たのか?と言う意見が相次ぎました。所が、第2回では、そんな意見を吹っ飛ばす、審査員も委員長もアッと驚く、ノーベル賞的工夫が出てきたのでした。乾電池2個で、6Vを取り出したチームが現れたのでした。乾電池は、2個セットのモノが、横長の机の上に出場者分の数だけ並べられ、ヨーイドンで、それぞれ受け取るのですが、これを受け取りに来た中に手になにやら持っていた組がありました。

 そうです。一人がV字型に切り込みの付いた材木。もう一人が金切鋸。ヨーイドンで乾電池を受け取るやいなや、V字型のジグに挟んでもう一人が、鋸で、胴切りに次々切り落としたのです。それを4個手製の電池ケースにはめ込むと審査員にニヤッと笑って自分のチームの所に駆けていったというのです。審査員は声も出ないほどに驚いたと言っていました。

 最近は、英語圏の諸国に倣ってしまって、日本の小学校ではコロンブスの卵と言うことを教えなくなったそうですが、コロンブスの卵より実用向きに、此の工専生の乾電池の輪切りを教える方がいいかも知れませんね。既成の概念を打破する楽しさ。審査員にニヤッと笑った彼等は、既にそれまでに何度も輪切り電池が立派に役立つことを実験し尽くしてのことだったのでしょう。日本の学校教育に救いがもしあるとすれば、ロボコンに参加できるような実験教育を今直ぐ復活することではないでしょうか。


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