パピーの昔噺:TRIOブランド時代の送・受信機の変遷

 通信型受信機 9R4 の変遷について戦後のアマチュア無線史の記述は、可成りの関心を呼んだようでした。その前に菊水電波、delicaの三田無線、そしてstar の富士製作所が、それぞれ幾つかの通信型受信機を思い思いに上市していたことも思いだして戴いたようです。 但しこれらは忘れられて、市場から消えていったことは残念でした。 命脈を保ったのは、コイル捲きに強かった印象のトリオだけでした。 いろいろなコイル、コイルキット、やがてはコイルパックを供給し、日本初のミュウ同調型の中間周波トランスを辛抱強く開発し続けて、同調コイルのL調整にダストコア入りのコイルを供給したことも影響したのかも。

 実はフェライトコアもフェライトダストコアも戦前アメリカで、開発実用化が始まっていましたし、戦時中オキサイドコアの開発も進んでいたようでした。 日本も戦時中、乏しい資源の中から、浅虫海岸の砂鉄鉱床資源から報国製鉄が精錬したフェライトなどを北大研究室に持ち込んで平社(JA8BNの御尊父)・北川(曉)(後の日立中央研究所長)両教授のもとで、実用化研究されていたようでした。 戦後これをいち早く工業化して実用品に活用する道を開いたのが、後のJA1KJ春日二郎氏他2名計3名の技術者、詰まり「トリオ」だったのでした。 ブランドがトリオ、社名は春日無線工業でした。

 9R4と9R42は同じ大きさのケース。 外観同じと言っていいでしょう。 ミニチュア管化した9R42Jはケースが少し小さくなりました。 ミニチュア管用中間周波トランスと真空管でスペースが空いたからでした。 回路上などのの特別の変更はありませんでした。 東京オリンピック前で東京が大改造されつつある頃から、アマチュア無線にも大変革の兆しが芽生えました。 A3詰まり、振幅変調の電話に、単側帯波変調SSBが加わるようになったのでした。 現在のJ3Eでなく、A3jになる前のA3aやA3hなどが混在しました。未踏分野時代でQRH、それに伴ってキャリモレする、それが当たり前の時代でした。

 こうなる数年前に、TX-1キットの発売を止め、TX88という、A3/A1で3.5/7Mc/s10wの送信機が発売されました。 当時の定番、X'tal発振6AG7GT-終段 UY807を、変調出力管6L(V)6GTでハイシング変調するというモノ。 2年ほどして、TX88A というマイナーチェンジがあったようですが見た目は替わりませんでした。 通信型受信機の方も,SSB化に対処すべく、モデルチェンジが必要でした。

 1962年頃、ハリクラフター型9R42Jの生産が終了、替わって横行ダイヤル型の9R59の登場でした。 未だサフィックスDは付いていませんよ。 どなたかトリオの通信型受信機は9R-42Jが最初、それが9R-59Dになったとしか爪らしく書かれた方がおられて、歴史がねじ曲げられています。 最初の9R4は間にハイフンなどは入っておりません。 歴史に嘘を書くことはとてもいけないことです。 もっとも昔から生徒が先生を揶揄するとき「先生は見てきたような嘘を付き」と相場が決まっていました。 当時はメガヘルツでなく「目が再繰る=一秒間に何回眼エが廻るかの数」でした。 それを知っている人が書いて下さい。 9R−59からは合い中にハイフンが入りました。 シカツメ派は「横行ダイヤルにした記念ナンヤロナ?」と思うテマシテン。 SSB検波用に、Q5'erが標準装備でした。 読めますか?当時のSWLやHAMには「キュウ・ファイバー」と簡単に読めるのにJARL/D講習HAMには読んで貰われしまへんのは、先生も知らはらへんよってでっせえ。 不勉強ほんま困りま。 詰まり、SSBの検波にキャリヤーを正確に受信周波数に注入して普通のAM検波をするために受信周波数の発振をさせるのに中間周波増幅のグリッド同調回路の見かけのQをうんと高めての自己発振を利用とする魂胆だったのです。 この時代の考えとしては成功でした。 QST誌などには既に6BN6と言う専用ゲート管を使ってSSBをゲート検波をする方法が紹介されていました。 しかしこれはその専用真空管を使う必要がありました。 続いて専用管なしで6BE6や6WC5の安定5グリッド管を使って、代用ゲート検波する方法が考え出されました。 この回路を使って回路が改められたのが、R-59Dなのです。 Dは、代用ゲート検波回路採用ですよの積もりでしょう。 リングバランスダイオード検波法の前のセットアッパー対策時代の産物でした。

 SSB時代のあさぼらけ、いつまでもムンズカシイSSB送信機を自作させて置くつもりはなかったでしょう、JA1MP長谷川さんは、永年の研究の結晶を自作機で、20mの電波で優秀なSSBを世界中に振りまいて、各国のHAM仲間から、製作の注文までされている有様でしたし、各無線雑誌に製作記事を依頼されててんてこ舞いでした。

 トリオがTXー20と言う、14メガ単バンド水晶格子フィルター型の試作機を世に問い、一年後から注文生産販売を開始したのが東京オリンピックが終わって世の中が落ち着いた頃ではなかったか。 更に数年の間に、TX-40;TX-15;TX-10;と機数限定販売ながら手を広げると共に、受信機も、D検波に替わる、リングバランスダイオード検波型で、3.5-30メガのSSB受信機の試作機 JR-388を発表しました。 TX-88をマルチバンドでSSB化するときにTX-388と命名してコンビにする積もりだったのですがこの目論見は脆くも崩れ去りました。 外国の著名受信機にR-388/JR−388が先に実在したのでした。

 これらは翌年88を急遽捨て10wの10にか、JR-310とTX-310として、発売されました。 結構9Rー59Dが実用出来て安く、JR−310は売れ行き今一だったようですが、自作で苦労したハムには、HFマルチバンSSBの10wTXは、金には換えられず、好評だったようでした。 初物のSSB送信機ということで、仕様変更が続きサフィクスが猫の目打線だったようです。 3年目に、3.5−28だったのに、6mが加わって10w。 TX-310XVSNだったかサフィックスが4文字の名機が完成されました。

 一方の旗頭と台頭したのが、前評判のJA1MPさんの製作SSB機が会社を起こすことになった、YAESU無線のSSBライン・シリーズでした。 これは別項に譲りましょう。

 TX-310の最終仕様4文字サフィックスのは、6mをも含んだこともあって大好評でしたが、八重洲が、トランシーバー型を計画していることが判ったために、トリオも、トランシーバーの開発を急ぐことになりました。 受信機と送信機と双方にそれぞれSSBを作るバンドフィルターやキャリヤーフィルターを設けなくともトランシーバーにすれば一つで共通に使える利点が知られていたからです。 こうしてTX-310十JR-310の必要最小限の機能を一つの筐体に納め、泣きの涙で好評の6mの馬謖を斬って、3.5-28のトランシーバーの元祖らしきモノが発売されたのが、TS-311と言う、あの可愛ゆいブルーのアンテナ同調ランプがポカポカするトランシーバーでした。 直ぐ後を追って、送信機能を少し弄って、ダイヤルつまみが増えた、50w型もあるTSー511が出ました。

 ここから先の、TS−520からは、2002年2月号のCQハムラジオ誌の、CD-ROMフロク「ケンウッド社のHFトランシーバー」に詳しいので、端折らせていただきますがkenwoodブランドになる前に、TRIOブランドでもトランシーバーが開発されていたし、それ以前に9R4から始まる通信型受信機と送信機の歴史が、後のkenwoodを支えていたことを書き留めさせていただきこの稿を終わります。

 

パピーの昔噺:八重洲無線の創立期のHF無線機の変遷

 私はトリオの通信型受信機と、送信機キットと言うよりは送信機コイルキットに近いモノで、最初のアマチュア局の開局をした関係で、その後もトリオの製品の変遷については、関心がありましたが対抗馬八重洲無線の創業の頃からしばらくは子供の教育費に追い回された時期でもあり余りアマチュア無線商品学に関心を示すことが出来ませんでした。 で、それを書くつもりは余りありませんでした。 ケンウッドのトランシーバーに就いてCQハムラジオ誌がCD-ROMで紹介した以上、きっと八重洲無線の製品についても紹介されるでしょうから。 しかも、八重洲無線(株)は、SSB用の無線機を作るために起こされた会社で、いわば,トリオが受信機JR-310とSSB送信機TX-310を上市した頃からの登場なのでしたから。

 八重洲無線の創業を語る前に、パピーの昔噺 前稿「TRIOブランド時代の送・受信機の変遷」に書き落とした一寸したエポックメーキングな事項を書き足しておきます。 一つは、JR-310/TX-310の後、上級者用に、ラインモノとして受信機R599/T599送信機が発売されています。 可成りの自信作で有ることが名称から窺えると思います。 更に東海道新幹線の開業が東京オリンピックにカツガツ間に合って日本経済復興は本格的になり、アマチュア無線も自作機器よりは安直に出来合いの送・受信機を引っ張ってくる時代に入ってきました。 何よりの変革は、ボチラボチラながら、自家用車が普及し始めたこと、そして、その自家用車に無線機を積むことが、一つのステイタスシンボル化しようとしていたことでした。 TRIO の SSBトランシーバー第一号は、TX310XVDNデシタかの6mを犠牲にして、トランシーバー化されたTS−311でしたが、直ぐ、車載用に小型化できないかという要望が強く、殆ど回路をそのままにかなり大きな平べったい車載機TS-801が作られたと思います。 終段とドライバー段が、未だ真空管のままだったので図体がでっかくなっていました。 八重洲の固定機はかなりでっかいモノでしたが、モービル機として開発されたFT-7は車載用と云うよりモービル機と言えるモノで、輸出仕様のFT-7Bは、50w 以上のパワーも出ると云われました。 このため、トリオのTS801は進化することなく消えていきました。 噺は10年程遡ります。

 八重洲無線は、JA1MP 長谷川佐幸氏によって創立されました。先に仕事が山積みされて、会社が必然的に作られた、そんなユニークでハッピーなスタートでした。 昭和30年代の半ば、未だ誰もが自作機で試行錯誤SSBの有利性の実験に填っている時代、14メガで、際だって安定で、しっかり、綺麗なSSB電波が現れたのでした。 他ならぬJA1MPのSSBデシタ。 世界中のSSB自作者の興味は自然にこの電波に注目したのでした。 自作記を英語で、アメリカのラジオマガジンに書いてくれなどは云うニ及ばず、わざわざ日本まで見に来る者、金に糸目は付けないから自分のために一台作ってくれないか等々のリクエストが殺到したのでした。 作りかけの試作機や壊し掛けの失敗機が何台か工作場を占領していて、家族の顰蹙を買っていたのだそうです。 さっぱりと片づけようと完成機にして譲り渡した途端世界中から、送金付きで、注文が殺到してしまって、無線機の評判はそれ自身が送信するモノだと云うことを忘れていたことに気づいたのだそうです。 友人に助けを求めたら、会社創って手広く作って綺麗な電波を世の中に広めるべきだという意見が出てきて、それじゃあそうすべえ、と会社が出来ちゃったというのが、本当のところとJA1MPさんは空で語っていた。 「良い製品に広告費は要らない」を地で行ったのでした。

 JA1MPのSSB電波は主に14メガでしたから、諸外国が対象だったのです。 ヨーロッパは出力100Wが殆どの国のリミット、アメリカは多々益々弁ず、まあしかし入力400wまで位かな、それ以上はアンプリだろうから、と言うことで、先ず、FR100/FL100のラインモノ送受信機のセットモノを上市。 注文生産で送信機はFL400もありだった。 売れ始めてみると100wは使えない身10w機を売ってくれないかの注文も来る。 廉価版は、FR50/FL50とした。 これはQRHが大きく、ずれるとキャリモレがひどいので、何百台かで生産完了したようでした。 トランシーバー化が行われ、雑誌にはFT-75が試作機登場した。 しかしこれは上市されなかった、代わりにかなり横に長い重いトランシーバーFT400DXが現れた。 続いてFT100DXも。 この辺りで前述のFTー7の原型が出たのではなかったか。 もう一寸筐体が小さくできないかということで、DXの取れたFT400が試売され、実用機はFT401となったようでした。 やがて輸出モデルとして、ニキシー管デジタル周波数表示FT901DMが作られ、国内にもリリースされたが、やはり輸出も安いが一番のFT101、国内用にFT101Bが発売され、完成モデルは、FT101Eとして名機の称号を得て国内外でロングセラーとなるに至る。 FTー7は、輸出モデルFTー7Bが好評。 パネル面ケース半導体を一新して、FT77にモデルチェンジしたが評判は今一、FTー7Bに今も根強い愛着を持つ人が多い。 固定機にも使えるようにFT77は更にモデルチェンジしFT707に進化?メッチャ重くなる。 デジタル周波数表示になったのでした。 この後更に->FT757=>FT747->FT767とシリーズ進化するのは大分後の噺。 一方、FT101Eは、結構いいのに何故かマイナーチェンジFT101Z/FT101ZS/ZSDなどとなる。 この間に毛色の変わったPSN変調SSB*)機FT200が市販されるが声色が良くなく売れない。 ブラックフェースFT102も評判今一。 白いフェースのFT107もQRHが大きいと敬遠される。 等々。 短命モデルが出没しています。

 

この辺りから先は、おおかたの皆さんのご記憶の方に譲ってこの稿を終わります。

 


(C) Copyright 2002-2003 JA2RM and JA9IFF All right reserved.