パッピーの台湾話:南投の5W1H

 5W1Hと言っても何も、西サモアのコールサインではない。 民間工業界で重宝される、IE(これもインターネット エクスプローラーではない)即ちインダストリアルエンジニヤリングの情報伝達の際の手法です。 何も情報の伝達が正確を期さなければならないのは、洋の東西を問わず古今を通じて、すべての分野で必要で、近年とみに多い医療事故などは、情報の伝達が正確を欠いた思いこみ優先情報による最たるモノであろう。 知ってる人は知っているが、知らない人の勉強までに云っておけば、昔からある、あの、昔話でも、説話でも筋を通すに必要なあれ、即ち、何時、何処で、誰が、何してどうなった、どうしようか、、、と言うあれです。 桃太郎でも、一寸法師でも、大体この線で行っています。 これを横文字にしただけと考えれば腹も立たない。 When to, Where to, Who to,Why to,What to,で5W。 それでもう1つ、How toが加 わって、西サモアのコールサインになる。 情報要素の分解法。 この分解法で覚えておけば先ず、情報の伝達、桃太郎の話でも、一寸法師でも、肝腎の要素を落として、とちることはないとされる。 前置きが長くなった。

 今から20年ほど前、台湾が、電子工業界化戦として、島全体が沸き立っていた。 多くの日本企業が台湾に橋頭堡を作ろうと懸命に進出していった。 台湾の人たちは、明治以来の日本の政治によって文明開化したと恩義を感じている。 台湾はずっと文政であった。韓国は軍政で、ここが大きく違っている。 韓国では石井中将など碌でもない軍政総督府に苛斂誅求されまくったから日本は不倶戴天の敵。 台湾のことを日本に反抗できない骨なしと軽蔑し「テーマン」と蔑称する。 事実はここが違うのです。 台湾総督の中でも、多くの独自の改革をし慈民政策を実行した吉田総督は、神様のように崇められている。 いや神様以上かも。 不言実行で改革を進めた。 誰かさんの様に口先鯉幟並ではなかったのです。

 日本でも有名な北投はご存じでしょう?では南投は?台湾の何処に工場を造るか、立地をまかされた私は、16県を単身周り、その後10大工業区を廻って、南投県で開発中の南崗工業区を推奨、もしここ以外でやれと云われれば即プロジェクトから降ろして他の人にやらせてくれと云いました。 しつこく理由を聞かれましたが私の夢判断が信用されるはずはなく物笑いの種になるだけなので、そう言ったのです。 操業開始5年で借入金を返済、140%の源田サーカス操業をさせられながら増設を敢行、非A非B肝炎に冒され丸っと1年体調を損ないながらも日本びいきの塊家族に助けられ自発的に一年365日の内363日毎日1升の蜆を蒸かして下がり汁と蜆を届けていただいて、この激務を何とかやり遂げました。 今IT不況で、大変らしいですが、頑張ってくれることを祈ってます。

 南投県には、この工業区が出来る前から成功している企業、台湾佳美工がありました。 読んで字のごとく「タイワン・ケミコン」日本ケミコンの現地法人でした。

 ここの日本人総経理さんから習ったのが標題の「南投の5W1H」でした。 16の県の内、海岸線を持たない県が1県、それが南投県。 そのかわり日月タンと言う観光名所を抱えています。 又台湾ケミコンのある甫里は水が良くて、輸出用の紹興酒の旨いのが作られています。 台湾ケミコンがここに立地したのも水故にデス。 台湾中で、もっとも樹木数が多く群を抜いています。 鹿谷という谷間には、谷から山の稜線まで、烏龍茶が栽培され、冬の凍頂に位置する茶葉は毎年特賞を獲得、品評上位は常にここの茶が独占です。 台風も高山が遮り盆地内はまあ穏やかです。こう書けば、南投の5W1Hはすべてお見通しですね。

 5つのWと一つのH、、、を頭に置いて、もう一度読んでみて下さい。 解りましたでしょう。 正解は、
 Weather 気候・天候
 Water 水利・水質
 Woods 森林・烏龍茶
 Wine 甫里の紹興酒
 Women 甫里の美人
そして1Hは、Humanity(or Heart)人なつっこく労りの心に富み、物静かで古き良き時代の 日本人に迫る 粘りと頑張り。 これが南投人のハート。 甫里以外にもひな希美人多し。

 台北ばかり見ていないで台湾へ来たら、一度は南投県を廻ってみて下さい。 ここにしかない良さを見つけてしまうでしょう。 どう説明も出来ないが私もそう決めてしまったように。

 

終戦秘話(3):巣鴨プリズンの復讐

 日本嫌いのダグラス・マッカーサーが意外にも、台湾で女性将校に揶揄されて以来、洗濯物の糊付けに異常な関心を示し、宿舎出入りの米人洗濯屋を首にして、6人の洗濯屋を呼びつけ最終的に選抜したある日本人の洗濯屋に専属契約していたことを前に書きました。 今この「マッカーサーの洗濯屋」は内のそばから一寸離れて引っ越して、田無の境新道通りで開業しています。 その名も一貫して、「平和クリーニング」と名乗っています。 そのことを記念して。

 太平洋戦争を戦ったアメリカ人にとっては、真珠湾攻撃は宣戦布告なしで抜き打ちに攻撃された「卑劣きわまる」攻撃として、忘れがたいモノでした。 日本は十分間に合うと思って、暗号文で、駐米大使来栖大使に訓令と、宣戦布告文を打電したのですが、訓令で、大使自身が解読と英訳、タイプライテイングをすることを指定したため、意外に時間が掛かり、日曜のため、相手も出勤に暇取り、米国側が受け取ったのは東時間で午後三時とっくにハワイは壊れ、沈み、燃え、死に、傷ついた後だったのでした。 これが何で忘れられようか、、、。 「リメンバー パール ハーバー!」がアメリカ国民の合い言葉になったわけです。 「この卑劣な攻撃には鉄槌を!」で、国民は一丸となって戦ったのでした。

 ♪戦い済んで日が暮れて、、、。 日本では、沢山の戦争犯罪人が拘束されPOWの背文字付きのつなぎ服を着せられて、巣鴨拘置所に収監されました。 開戦当時の陸軍大臣だった東条英機は、MPのジープが東条邸に向かったことを知り、ピストルで自決しようとしましたが、ためらい傷となっただけで、ジープは救急車代わりになって、命を取り留め収監されていました。 東条は酒が余り好きでなく甘い物好きで、結構若い頃から入れ歯だったそうですが、収監され前尋問で、入れ歯が合わず、ハグハグ云って、言葉が通訳によく聞き取れなかったのでした。

 巣鴨の監獄で、東条の新しい入れ歯を作ったのは、従軍歯科医E.J.マロリーと言う少佐でした。 空軍に籍を置いたこともあり、トンツーの名手でした。 甥っ子を真珠湾で亡くしていましたので、リメンバーパールハーバーの思いは殊の外で、東条を目の前にして、益々メラメラと燃える炎をどうすることも出来ませんでした。

 歯形に合わせて作った入れ歯の最終修正を彼は随分時間を掛けて、入念に行っていました。 東条はこの入れ歯がとても具合が良くて、レイションも美味しく食べられたし差し入れの甘いモノにも食が進んだそうでした。 ある日の朝、東条はふと気がついたようでした。「なんだこれは?入れ歯が虫歯になっている!なんてこった俺はそんなに甘いモノに未練があるのか?」武人としての反省を込めて家族に甘いモノの差し入れを止めるように伝えて貰った。

 A級戦犯東京裁判の判決に従って、東条は従容として絞首刑で死に就いた。 それから40年。

 歯科医 E.J.マロリー氏も死の床にあった。いろいろなことを、分厚い手帳に書き残していた。 その中に、最後の告白と題して、海軍の信号兵であったために卑劣な真珠湾攻撃で戦死した甥っ子に宛てた、2人だけが解るトンツーによる文があった。

 甥っ子よ、仇はとってやったぜ!40年前絞首刑になった東条英機の入れ歯に俺はトンツー符号で、リメンバーパールハーバーと刻み込んでやったぜ。 東条は軍人の癖にトンツーを知らず、入れ歯が虫歯になった、残念だが甘いモノを断つってよ。 入れ歯が虫歯になるわけねえよな。」


 PS:以上は、JG1GWLさんから10年ほど前戴いた、外国通信コピーから採用し、若干の脚色を加えたモノで実話もどきデスが入れ歯にトンツーを刻んだのは事実のようです。


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