パピーの昔話:愛国心と無線雑誌

 今をさる、70年余の昔、帝国陸軍という狂気じみた怪奇集団に煽られて、日本人の間に何が何でも大陸進出だあ、という人たちの声が力を得てきて、帝国陸軍なる怪奇集団が国の意向も斟酌せず、茶番劇風自作自演の匪賊反抗劇を演出して、軍事行動を開始し、以降泥沼となる15年戦争を拡大していくことになったのですが、、、。

 ここから暫くだけ自分史の第1ページ目に関係します。ところは現在は中国東北部と言われる当時の「赤い夕日の満州の、、、」戦線拡大第二年目、1932年、私が愛知県海東郡が海部郡と改まって間もなくという所で生まれて第2日目、2月22日午前五時、廟江鎮の城壁攻めで、帝国陸軍は甚大な犠牲を払って尚攻めあぐんでいました。 最後の攻撃隊の爆弾筒は、工兵隊の江下、北川、作江が担当しました。 導火線が、3人が城壁wに爆弾筒を仕掛けてすぐに破裂しない様な余裕で逃げると、すぐ敵兵が出てきて導火線を踏みつぶすので、此の最後の隊の導火線は短くギリギリで、火薬もしっかり詰め込まれていたようです。 それで、火縄を消しに来た敵兵も吹っ飛びましたが、3人も犠牲となり城壁の爆破に成功したのでした。 当時も我が身を犠牲に攻撃成功した戦争美談として、文部小学唱歌にもなりましたので、知っているのですが、、、。 その後、ノモンハン事件で、東北部、(満州)西境に侵入したソ連軍を制圧しようとして戦車及び機関砲の圧倒的性能差によって、寡衆敵せず、帝国陸軍は壊滅的敗北を喫したにも関わらず、軍部はひた隠しに隠しますが、、、兵士も国民も何かあったと意気消沈、士気の低下を来します。 元より政府関係者らはいい加減に止めたらどうかという振りをしますが、正面切って言い出す人はなく、陸軍参謀将校は怒って、海軍士官も抱き込んで、、先に首相を暗殺したりしていたのですが、この時は、かの有名な首都制圧を諮ったクーデターを起こそうとします。 雪降りしきる2月26日。 しかし、「今からでも遅くない帰ってこい」のラジオ放送で、何も知らされずただ動員された兵士たちの良心を呼び起こすことによって、事は回避されるに至ります。

 次は、東北部でない、北中国で、廬溝橋という所で、又自作自演の、一発の銃声事件から、又大陸で戦線拡大して侵攻します。国内でも士気を高めたい陸軍は、筆の立つ文官中将桜井忠温中将をおだてて、先の、江下北川作江の爆弾3勇士の戦争美談をことさらに褒めちぎった「ノンフィクション」と言いたい小説「肉弾」を執筆出版させ、全国の学校という学校に買わせたり、送りつけたり懸命なベストセラー騒動を巻き起こします。 作られたベストセラーになりますわね。 全国的に煽られた肉弾ブーム。 今度は、桜井忠温中将のゆかりの地、爆弾3勇士の故郷、出生部隊地、兎に角因縁ありそうな地を求めて肉弾碑と、爆弾三勇士のレリーフ碑の建立運動を煽る。

 最近日本語に関する、色々な種類の本が出ていますが、この時も、日本語が話題になりました。

 ある此の肉弾記念碑の除幕式に出席して、帝国陸軍怪奇集団を代表して、記念大演説をぶった将官が、たまたま九州弁が抜けない人で、「、、、日本人として生まれたならば、必ず尽忠報国、肉弾となって、国に捧ぐるの心がなからねばならぬのである。」と事もあろうに関西弁エリアでぶっ放した。 九州弁の抜けない標準語化では極一般的な訛りで、別におかしくは感じないが、聞き慣れない人々にとっては、「ナカラネバナラヌ」は耳にドリルが入ったらしい。 九州を除く殆ど全国で、これがやり玉に挙がったのでした。 かまびすしい論争が起こって。 尽忠報国論争などはそこのけで、「ナカラネバ」論争が本州を圧したのでした。 日頃言葉遣いに一言ある人々は必ず此の論争に一言発言ナカラネバならなかったようでした。

 2重否定、いや標準語としては3重否定に当たる、と自称言語学者まで新聞にシャシャリ出て、大論文を掲載したとかです。 昭和13年頃の無線雑誌にも、コラムでも、愛読者室でも、九州弁の標準語化としては極ふつう「何何しなければならぬ」が「ある?なし?」の「アッとかなかとか?」の「ナカバイ」の「ナカ」と結びついたまま連用形で使われたモノ、と言う解説があって、これは九州弁を知るモノには甚だ容易に納得出来る指摘でした。 そうなれば、ナカラネバナラヌは3重否定でも何でもなく標準語変形の「なけらにゃならない」と同じ2重否定での肯定の強調に過ぎません。 全体must=have to に当たる日本語訳自体が、ナケレバナラナイとナが3回出てくる二重否定でしか訳せないのもおかしな話ではありますね? いつの日か一重肯定強調語に進化するのでしょうか。

 もし古い無線雑誌などで、此の辺りの年次の本をひもとかれるときには、頭の体操を兼ねて、J5コールの方々とJ3コールの方々の論戦を読まれると、多分空でも無線を通じて標準語と方言の行き違いが起こり得たのかも知れないと思われて結構勉強、いや反省さえさせられますよ。

 教育基本法が抜本的に改正されて、文部科学省教育の柱の一本に愛国心がナカラネバナラヌ教育時代になるようです。 いくら何でも靖国参拝から進化して大陸侵略ヤモウエズ教育や、肉弾礼賛教育にならないような道を選んでいただきたいモノです。

 

パピイの爺怪説:瓜の蔓に、、、の巻

 犬棒カルタの「ウ」に「瓜の蔓にナスビはならぬ」と言うのがあって、子供の頃何でこんな当たり前のことが、、、?と気になっていました。 長ずるに及んで、成る程と思い当たったのが、子供の将来に対して親が抱く「過大な妄想」が常に此の手のことだと言うことに気づきました。 親が産んだ子。 それが親を凌駕した大人物になるには親がした苦労以上の努力が生まれ落ちた時からずっと続かないと先ず望めません、瓜の蔓には瓜しかなりませんから。 これが遺伝子に関わる遺伝の大法則です。

 瓜やなすびの中で「親の意見となすびの花は、千に一つの無駄がない」ですが、瓜は種によって、かなりの違いが出ます。 カボチャは孫枝の雌花にしか実が止まりませんし、西瓜は、子枝にしか実が止まらず、元枝孫枝の雌花は皆無駄花なのです。 なす科の花は100%かというとどうしてどうして、なすびは千に一つの無駄もないその通りですが、同じナス科でもトマトとなると、元枝と孫枝にしか実が止まりません。 瓜と違って雄雌はありません。 なすびは胡瓜と違って、多年生です。トマトもです。 筑波科学博をご覧になった方々は、ご記憶でしょうが、元枝と孫枝を何年も伸ばして、2千数百個の結実をさせた一株のトマトの樹が展示されていました。 もう20年以上前、南洋群島ポナペ島に農業指導に行っていたJICAの方が、私とのアマチュア無線交信で、「なすびの樹が柿の木ほどになりまして、木の皮も柿の木の幹と同じ様で、へたも柿のへたの様に開いて来て、実も丸っこくなり一株に、数百個も実が結実して、柿の木と見まがう様になりましたが皮が固く、皮剥いて煮るより食べようがありませんわ。参っています。 チョイとした植物のガラパゴスですわ。 日本からもってきたなすの苗5本ですが、、、。ナスは多年生です。」と言っていました。

 ところで胡瓜が、明治20年代、東京市民の生活が安定した頃いくら位したか言い当てられますか? 市場から、八百屋さんが仕入れてくる値段ですが、どのくらい? 因みに当時の通貨は一厘銅貨が最小通貨単位。 明治21年は、東京近郊の胡瓜に「ヘド」なる病害が発生、胡瓜が売り物にならず、夏場に高騰したらしい。 農学校の玉利喜造教授が対抗菌を見つけ翌年克服、その3年後は大豊作の胡瓜の当たり年になった。 明治24年の7月7日の東京日々新聞。 「300本で5銭に値下がり」 胡瓜ますます下落す  今年は胡瓜の当たり年とてその値の廉なる近年未曾有なり。 目下、並等百本四、五銭なるが、小なる分に至りては参百本一山にて五銭なりと言う、 とある。 それなりの発明考案があってのことだが「明治の御代はよかったね!」です。 今夏のスーパー価格、参本一袋百円!。 「自根胡瓜」に至っては、1本70円が底値。 とあります。

 自根胡瓜ってお判りでしょうね? 今は、自分の根の上で育つ昔当たり前の胡瓜が逆に特別扱いなのです。 ではスーパーで売られる並等の真っ直ぐ胡瓜は? 当然自分の根では育てられないのが当たり前の世の中。 大型カボチャの根に接ぎ木されて、すくすく育てられるのが胡瓜の85%それが胡瓜栽培法の大勢・主流なのです。 国産輸入の別はありませんフィリピン・マレーシヤ・中国等から輸入の胡瓜もそうなのです。 30年程前、マレーシヤからある商社に引き合いがあり安値で、輸出出来るというので箱詰め胡瓜のサンプルを見て飛び上がりました。 曲がった胡瓜が100%上手に曲がりなりのぎゅう詰めに箱一杯に詰めてあったというのです。 真っ直ぐ並べて箱詰めにしたら輸入して良いと言ったら、次のサンプル箱はどの胡瓜にも紐で重石を吊したくびれが着いていたそうです。 結局商談にならず、ほおっておいたら数年を経ずして別の商社が真っ直ぐ胡瓜を廉価でびっしり箱詰めにして輸入し始めたというので慌てて調べたら、カボチャの根に胡瓜の茎を接ぎ木して育てていたというわけで、一挙に国産も輸入も此の栽培法になったというのです。 しかし病虫害に強く収穫量も多く、生育も早く、真っ直ぐという、此のカボチャ接ぎ木胡瓜は、一番肝心の匂いと味が殆どない、粉も吹かない棘もいたくない、ないないづくしの胡瓜になったのです。 高級料亭などからは昔ながらの胡瓜の匂いと味が好まれるため、又自分の根で育つ胡瓜も需要が起きてきて、区別するため、「自根胡瓜」と別称されるようになっています。 時期によりますが、並等真っ直ぐ胡瓜の1.8倍から3倍の価格で取り引きされると言います。 変な世の中ですが、そお言う世の中なのです。

 瓜の蔓にならせたのが、なすびでなくやっぱり瓜でしたからまあ良いじゃありませんか! 瓜の蔓のくせになすびになってくれと胡瓜をねじ曲げてひねくれ者にしないで育てたいモノですね。 世の中の子育て中の親御さん! 「瓜の蔓」には「瓜はなってもなすびはならぬ」のですわ。 申し訳ないが私が決めたわけではないのです。

 

パピイの爺怪説:カミオカンデ/スーパーカミオカンデ

 小柴名誉教授が、京都一本槍だったノーベル賞に東京の字を記したのは、どうやら東京大学にとっては「念願の」であり、「小柴先生はいつの日か派」にとっては「やっと」でしたが、それはカミオカンデによる「ニュートリノ天文学の創設」、と言う偉業によってでした。 ニュートリノという素粒子は、最新の素粒子論物理学の本でお読み下さい。 天文学で言う超新星の爆発の瞬間の10数秒の間に、原子核も破裂して、クオークなどの更なる素粒子に分裂するときにニュートリノが放出されて、高速より一寸だけ遅い早さで、放出されると大統一理論によって推論されていたのですが、誰も此の痕跡をとらえる方法を具体化できないでいたのでした。 それは、ニュートリノという超微素粒子は、あらゆるモノを抵抗なく通過できる性質を持つ、ので捉えようがなかったのでした。 カミオカンデもこの為に作られたわけではなかったのでした。 此の意味では、小柴教授というのは、ラッキーとも言えますが、その信条に「我々の素粒子論物理学などというモノは、人間生活に何かを付加できたり、国民の富を増やしたりできるモノでなく、自分たちの夢の実現と言うことを通じて天文学の解明という現実世界からほど遠い仕事であり、国民の血税を決して無駄遣いしてはならないのだ」と言うのが、もろに役立ったと言えるでしょう。

 小柴教授が、大統一理論のどれかを自分の手で実際の証拠を捕まえて証明して見せたい、と考えて先ず取りかかったのが、すべての原子でもその寿命は未来永劫ではあり得ない自然崩壊もあるはず。 と言うこれからやってみようとしたのでした。 大ざっぱに言って、1000トンのモノがあると、その内のどれか原子が2年に1個か2個自然崩壊する可能性があり、そのさいにチェレンコフ光が出るはずと言う計算結果が得られたのでした。 此の極微弱な光、それも2年に1回か2回極短時間に出る微弱光をどうやって捉えるか、考えに考えたあげく、安価な水を1000トン入れたタンクは透明で、光増倍光電管で検出できる可能性は見えましたが、それよりも何よりも地上に降り注ぐ宇宙線を始め人工の放射線、その他の影響を防ぐシェルターの構築に結構悩みは深かったのでした。 そんな時ふと目に留まった新聞に、神岡鉱山の休止閉山の報、鉱山側のコメントに地上では出来ない研究などにご利用して戴ければそれなりの協力は惜しまない、とあり、これこれと話はトントン拍子に。こうしてその名も、神岡+Neuclear Decay ExperimenntsのNDEをつけたカミオカンデが、1993年に地下1000mに誕生。 1994年から二年余、水の水素の陽子の自然崩壊を待って、ひたすらチェレンコフ光の補足が待たれたのですが、、、。 案に相違して1個のチェレンコフ光も観測されませんでした。 ここで投げて居れば、巷の小父さんと変わらないし、ひたすら続ければ馬鹿丸出し、と小柴教授は悩んだが、丁度運良く、1997年3月、天文学的大事が発生、地球からは8光年余離れて、南十字星のソバに見える大マゼラン星雲に超新星が出現、前述の大統一理論どうりなら10数秒間大量のニュウトリノが宇宙空間にまき散らされたはずであったのです。 直ちに計算が開始され、地球到達は、光に遅れる約3ヶ月、10数秒間に地球のお尻から来てカミオカンデの1000トンの水を通過するニュウトリノの数は少なくて12個、多ければ16個と計算されたのです。 そして運命の6月、カミオカンデは10秒の間に12個のチェレンコフ光の発生を見事に捉えたのでした。 これが、新しい天文学の創設でなくて何でありましょう。 又カミオカンデはその、朝ぼらけの曙光を世界で初めて受け取った、1st ever、マルコーニやアンデレフが無線電波を初めて受信したコヒーラーの様なモノに相当するわけでした。

 ニュートリノのチェレンコフ光でカミオカンデの受光感度が正しく較正され、太陽が絶え間なく放つ、太陽ニュートリノを受け止めるには、もう少し多くの水と、光電子増倍管の数と感度を上げねばならないと判り、その後、茂住坑内の更に深いところに、3000トンの水タンクと、14000個足らずの超大型光電子増倍管を取り付けた、スーパーカミオカンデが、新設されましたが、昨年試運転の漲水中に、光電子増倍管が一個が割れた振動連鎖で6900個ほど次々連鎖破損、補充が間に合わず、半年掛かって、漸く、残りの6900個ほどにアクリルカバーをつける工事が行われ、つい先頃観測再開が可能になったところでした。

 それにしても、国民の血税を無駄には出来ないと言う小柴教授の不屈の闘志と検出装置を自身で編み出す柔らかい頭脳、そして何よりも、つきも実力のうちにしてしまう、強運。 これらが相まって、今回のノーベル賞になったのだと思います。 文字どうりの「人事を尽くして天命を待つ」。 かくして、カミオカンデのNDEは今日、Newtorino Detection Experiments の頭文字に変わっているとのことです。


 注) 大統一理論:語呂の関係で斯う書き表しました。 電磁力、大きい力、小さい力、等、場の理論を、統一して宇宙の現象を一つの共通の基礎を待つモノとして理論づけるための理論、未だ色々実証されなければならない仮組立ての理論。 しかし今回この研究の中でもいくつか実証されたわけです。

 


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