爺怪説:電波望遠鏡・概史(1)ジャンスキーのアンテナ

 月や木星の4大衛星を自作した望遠鏡で覗いて最初に望遠鏡を学術に実用したのは、ガリレオ・ガリレイとされる。 眼鏡屋のレンズ磨き職人が最初に望遠鏡を作ったというのが小学生のなぞなぞの答えだが。その辺の決まりは、読者の判断にお任せするとしよう。

 現在電波天文学も、電波望遠鏡の発達によって、すばらしい発展を遂げたので、爺の脳味噌を以てしては正しい解説は出来ない、が、怪説ならで出来ようというわけ、知らないよりはましになると思ってお読み下され。

 宇宙からの電波を捕まえて、宇宙を知るよすがとしようと言うのが電波望遠鏡の範疇とするなら、その偶然を問うことさえなければ、その嚆矢は、ジャンスキーのアンテナとされよう。1910年代半ばから、減衰電波いわゆるB電波でない持続電波の発射が可能になっての電波の性質についての色々な研究が進みつつありましたが一方で、電波が伝わるについては、宇宙空間にはエーテルなる未知なモノが充満していて、此の振動によって電波が伝わるのだなどという推論とも憶測ともつかないモノがまことしやかに言われていた時代でした。 ケーブルの中の電話の声が遠距離になるに連れて崩れることから、音響信号のケーブル搬送や、交流電力のケーブル搬送についてはかなりの研究実績が上がりつつありました。その中でもヘビサイド兄弟の研究は実用上の問題を解決に導いていました。 此のヘビサイド弟と、ケネリー氏が、殆ど同時に、別々に、地球の周囲の高空に、電波を反射し返す反射層があるのではないかという推論をそれぞれに発表したのが、1920年頃。以来此の地球の周りの高空には、ケネリーヘビサイド層があって、電波は此の層によって何度か反射される、従って電波は思いも掛けぬ遠くまで到達することがあるのだと信じられました。 しかし、此の仮説推論は又又、イギリスとアメリカの複数の学者グループによって、殆ど同時に1925年に実験によって、実在が確認されたのでした。 しかしではそこには何があるのか、なぜ反射だけが起こるのか、未だ実験し足りない人々があって不思議でない時代でした。 未踏分野にはそれなりの魅力が付き物ですから。

 1925年にヘビサイドらのグループにより、実際に電波の反射の起こる多分イオン層が成層圏よりもずっと高い天空に存在することが証明確認され他にも関わらず、いやもっと遠い宇宙から来る電波を誤認したのでないか、その種の宇宙電波をどう区別したのかと喰い下がる人もいたのです。 此の人たちとのやりとりも横目で見ながら、沢山の波長に同調しそうなアンテナをやたら張り廻して100mー5mくらいまでの波長の受信をひたすら続けた人がいたのです。未だ電灯線による電気の供給が都会には始まったばかりの頃、又無線通信やラジオ放送は小電力でしかも長波に頼っていた頃でした。 世の中の殆どの波長には未だ人工雑音は考えられず、そこにあるノイズは自然が発するモノと考えて良い時代だったのでした。 此のジャンスキーという人のアンテナには雷の空電ノイズが掛かりましたが、弟子に耳のいい者が居て、ジャンスキーが病に倒れて代行したときに、聞き慣れて空電のノイズいくつかのパターンを耳から覚えてしまったのでした。 彼は、7m-9m付近と、12-13mの波長付近に雷・空電ノイズに近いパターンだが一寸違う特徴あるかすかなかすかなノイズに注目します。 病から復帰したジャンスキーはこれらの波長のアンテナを再整備して、此の波長の此の電波は、ケネリーへヴィサイド層からの反射ではないことを証明します、1931年此の空電に似た、短波から超短波に掛けての波長で、地球外から電波が到達している可能性を証明して見せたのでした。 弟子が増え、後継者が現れます。此の電波が日周運動的に決まった時間にかなり強くなることを突き止め、何か、たとえば月面からの反射でないかと調べますが、1ヶ月もあればそうでないと判ってしまいます。 実は後年これらの電波は、なんと木星の大気中の雷放電の電波が、近いときで数分遠いときは何十分も掛かって、地球に到達していたことが判るのですが、、、この時は地球外電波の検出と言うこと迄っだったのでした。最近までの電波の利用割り当て経緯を見ても、此のジャンスキーらの示唆した波長範囲が、殆ど電波割り当てから外されているのは世界的にいかに此の研究に過去多くの敬意が払われたかを示して居るとも言えましょう。

 

爺怪説:電波望遠鏡概史(2)アンテナを絞って銀河系中心目指す

 ジャンスキーのアンテナは、半波長の線の真ん中に、当時既に波長測定によく使われたレッヘル平行線をつけて、倍調波用に広い範囲に同調できる、ハムではダブレット・アンテナと呼ばれるモノや、1/4波長の平行線を挟んで、1/2波長の線を繰り返し並べる型のいわば水平型のコーリニヤーアンテナを重畳させる形式のモノだったようです。 これでは打ち上げ角が垂直で、確かに地球外に向いているには違いないのですが、的を絞るとなると、さて、と言うことになります。

 というのは当時の天文学の常識で先ず地球外からのノイズで太陽や月以外のノイズ源となると、一番に疑われたのが銀河系宇宙の中心だったからです。 これが天頂を通るところは難しく、アンテナを絞ることを考える方が早そうだという事になって、最近の電波望遠鏡と言えば、直ぐ頭に浮かぶ、パラボラ型のアンテナが思いつかれたわけです。 しかしジャンスキーのグループが見つけた7m-13m付近の波長の電波を効率よく絞り集めるパラボラの直径はそして首が振れると言うことになると当時としては「天文学的」数字のコストが掛かることになってしまうのでした。

 ジャンスキーのグループは、諦めずに、HF用コーリニヤーをAWX型に繰り返し重ねる型のアンテナ・ネットを考案し、これに移動用の台車をつけて、方向が変えられるアンテナにしたのでした。 台車に斜めに立てかけるネット網とすることによって、天空のかなりの%の方向に向けることが出来たのです。 実は此のタイプは後に、イギリスが敵機発見用ラジオロケーターのアンテナに盛んに利用することになるのですが、、、。 その原型は既に此のジャンスキーの未知の天体ノイズ用のアンテナへのアイデアにあったのでした。

 ジャンスキーの一派が苦労を重ねている一方で、では、波長を7−13mに拘らないで、天文学的数字のコストにならぬよう拘って、パラボラアンテナを作ってみたらどうなるか、と挑戦した学者が現れたのでした。 首を振れる直径9mのパラボラを金網で作って自宅の庭で銀河のあちこちに向けてノイズがどんな周波数で聞こえるのかを逆に試したわけです。 リーバーのアンテナといい、これを電波望遠鏡の元祖だという人も多いのです。 いや、あれはドイツのウルツブルグのレーダー研究用に試作されたモノのジャンク品の流用で、ロクナモンジャナイと、けなす一派も多いのです。 銀河から来るノイズでメーターの針が振れたと言う報告があったのですが、さて、周波数なり波長は?となると記録がないようです。 やはりジャンク品そのまま使ったのでしょうかねえ?しかしその最初の報告は銀河電波天文学に偉大なショックを投げ与えたのでした。

 その波長が判らないメーターの針の振れという奴が、光学望遠鏡で、明るく見える銀河位置よりも寧ろ、光学望遠鏡では薄暗いか黒く抜けている位置に多く存在するという、このことでした。 このことは、戦後多くのレーダー改造型電波望遠鏡の観測対象となって、世界中のにわか電波天文学者が観測し裏打ちしたのでした。 光で見える天体より、光で見えない天体が沢山あるという事、その方が電波的には色々ありそうで、光とは違ったエネルギー源やプロセスで発射されていそうであること、などが推論されたのでした。 優秀なレーダーは一時期優秀な電波望遠鏡に改造されていた時代もあったのです。

 イギリスのジョドレルバンクの電波望遠鏡は、ジャンク品流用の、集大成として、鉄材及び回転上下装置は、戦艦の砲塔の旋回制御装置をそのまま使って、鉄材調達の手間を省き、設計手間も省き、パラボラと受信装置は、レーダーと電波兵器を改良して、最良のモノとして。世界初の電波天文台として、ほぼ完成された形で、1957年デビューしたのでした。(続く)

 

パピイの台湾噺:台湾のカッパドキア、野柳(イエ・リョウ)

 自然の力で、地球表面を造形する絶景・奇形には色々あり驚かされますが、日本の隣国の一つといえる、台湾も太平洋プレートの西端にあり、中国大陸プレートの下にメリ込むはずが、多くの逆断層で、のし上がっていることで知られています。 又その乱れの故に、太魯閣(タロコ)を始めとする絶景が存在します。 苗栗縣(ミヤオリシェン)・梨山(リイシャン)の700mに何何とする逆断層絶壁はフランスのスイスとの国境地区グルノーブル地溝の2000m超の大絶壁には及ぶべくもないですが、台湾に住み此の絶壁を毎日・山線の車窓に見て育った人には何の変哲もない只の切り立った山でしょうが、此の絶壁が一枚の逆断層だと言うだけでも、一見の価値ありでしょう。

 最近は観光・推理小説なるジャンルでしょうか、いわゆるTVの2時間モノという奴にも、格好の舞台として登場する奇岩群観光地、アジアとヨーロッパの内股膏薬トルコのカッパドキア、売れに売れているようですが、殆どあれにきびすを接しての規模で台湾で見られるのですよ、あの手の浸食型奇岩群。 サツマイモの形をした台湾の頭の国際要港・基隆(チイロン/キイルン)から車やバスで1時間余の野柳の海岸線に突如として現れる奇岩群。

 奇岩の配置、基本浸食系はカッパドキアと同じですから、基本形は椎茸型。椎茸頭傘の岩が茶褐色、椎茸の柄の部分が真っ白の砂岩。傘の岩は溶岩らしく、区域によって、塊が大きく、あるいは小さくかたまって、奇岩群は上から見るとキノコの栽培苗床の観です。

 キダムのコマーシャルの「象は出るの?」じゃありませんが「象は出ません」、カッパドキアで有名な駱駝岩も残念ながら野柳にはありません。 そのかわり、泰西名画で有名なヴィーナスの誕生そこのけの、髪を海風に靡かせた美人岩がひときわ誇らしげに立っています。 思うに此の海岸東向き、ヴィーナスは小さな貝の舟に乗りきっと此のフォルモッサ(スペイン語で麗しい島の意・台湾の島名)のここの海岸に着いたのでしょう。 その何よりの証拠がここからほど近い、西に金山(キンシャン)九扮(チョウフェン)の2大金鉱脈があり、東には金瓜石と呼ぶ、大銅山がかつては存在したのです。 殆ど日本の統治時代に掘り上げられてしまって今は廃坑同然、今も残る銅製錬所に昔をしのぶのみですが。

 台湾に観光旅行に行かれるなら、台北・基隆から程近いイエリョウのビーナスによろしくお伝え下さい。 では、いい旅を!旅行愉快・観光快楽!

 


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