はみ出し者伝記(1):一戸直蔵(10)反射大鏡登場の段

 ヘール博士は、天文学の理論がいかに展開され進歩しようと、その実証には、すべて光学的な到達と、分解に頼らなければならないことを、熱っぽく直蔵に語った。 此の熱は言葉の壁を越えて、直蔵は十分理解したようだ。 此の後ヘール博士は、此の天文台に余り足繁くは足を運んでいないが来る機会には此の髪も目も黒く目を輝かせる青年に会うのを一つの楽しみとしたようです。

 前前章で、荒野の決闘で、とんでもない間違いを書いていますが、お詫びして訂正しながらたとえ話に使わせていただけば、此の町にやってきた新米の保安官ワイヤットアープが、よく事情は飲み込め無いながらも、大径望遠鏡が天文学には絶対必要と理解した直蔵とすれば、此の新米に、何が何でも自分の熱を吹き込んで、加担して、旧式の屈折大鏡には限界があることを理解しようとせずただ徒党を組むことによって、象牙の塔を守ろうとする人々、すなわち悪徳地主で牧場主のクラントン一家にたち向かう決意を固めたアープに力を貸した肺病やみのドクホリデーを、ドク・ヘールにたとえるのはチョイとたとえが行き過ぎでしょうか。

 ともかく、直蔵は、此のヘール博士が自分に何かを期待してくれたことは十分理解し、荒野に屈折大鏡を据えることを諦めたヘール博士の立場に同情したことは想像に難くない。 ヘール博士本人が、これからは高山に、屈折ではなく反射望遠鏡が大径の問題が致命的でないからどんどん大径で作れることを証明してくれることを期待していたに違いない。

 はじめ、未だ102cmの屈折大鏡が充分力を発揮しないので、天文学の権威共がヘール博士に圧力を掛け、段々それとなく嘲笑するようになった。 ヘール博士も此の屈折に随分未練を感じ、その改善に智恵と金と時間を使ったようだ。 然し、既に限界を超えていることを知らず作られたモノに根本的解決策はなく、屈折の本来持つ限界に、打ちひしがれてしまった。 これは、エンジニヤリング・センスがない天文学者には理解の外であったでしょう。

 学者とエンジニヤの微妙な位相の差がここにあります。 ズレでもあります、位相差です。 「灯台もと暗し」灯台は遠く沖行く船には光を届けますが、直ぐ足元には届きません。 ペンキ屋では「灯台もと暗し」でばっかじゃなjかろかとよく笑われました。 大学ではそんなことは習わない!と威張ってみても始まりません。 クリカラモンモンのオッサン共は「先ずペンキ缶の蓋あけてみな?」と大学出には言うらしい。 あの天ぷら屋などにある、業務用の油18リットル角缶の丸い蓋。 ペンキの20kg角缶やシンナー缶の蓋はあの蓋です。 私は学生時代に看板屋で仕事していましたから親指一本で明けましたが、文科系理科系に関係なく最近の大学出は天ぷら屋や汚れ仕事のバイトを嫌うので駄目でしょう。 あの蓋は特許で、バッチリしまっていますが、親指の腹を蓋の中央に当てヒョイと押すとペコンと凹んで周りのグリップが開いてワンタッチで開く仕掛けになっています。 知らない人は指だけでは怪我ナシでは先ず開かないでしょう。 オッサン共はこれで、先ず溜飲を下げるわけです。 次ぎに、栓を明けて口元いっぱい18リットル入ったシンナー角缶から、50ccのビーカーほどの豆缶にシンナーをこぼさず注いで見ろと言います。 角缶の○穴口を下の豆缶に近づけて注ごうとすると、当然ながら、内容物の圧力が口に集中しますからダバッとこぼれて、大変です。 オッサン共は、此のガキ、大学で何習ってきた?とこづき回す因縁つけるのに丁度いいわけです。 オッサン共だって、きっとトウシロウの昔は同じことしたんだろうが。 不思議に大学出は10人が10人丸口を下にして位置のエネルギーが全部口に掛かる方法で注ごうとする。 ソロソロ注ぐには何処から注ぐか、全く反対、丸口を上にして傾けて自由液面から注ぐに限る。 水差しでも、やかんでも液体のでる穴は液面より下でも、注ぎ口は必ず液面以上にしてあって、これを液面に下げることによって、ゆっくりこぼさずに液面からコップなり茶碗なりにつぐことが出来るんです。 小学校で教えたら子供が可哀想でしょうか?大学で教えることでしょうか?教えない方が可哀想なことだと思うのですが。 まさかに先生が知らなくて教えられないのでしょうか。

 先年、ノーベル賞の小柴教授のカミオカンデの、おニューの方のスーパーカミオカンンデでも、似たようなことを失敗して、浜松何とか製の特注超大型光電子増倍管を漲水中に半分ほどの6千500本以上も割ってしまい、来年度予算で血税22億5千5百万円で補修されますが。 ホンの一寸注意して水の張り方に上述と似た注意をすれば多分割れなくて済んだと思われます。 多分ホースの先を水面下に入れないで上からだぼだぼ落としていたのだと推測されます。 これでは溜まってきた水の水圧プラス位置のエネルギーで落ちる水の動圧がプラスされて、一番弱い位置の一つがはじけ、更にその破裂動圧がプラスして次々はじけて、水面下の全倍増管が半分ほどの水位まで水を張ったときに割れてしまったのでした。 ホースの長さをけちけちせずに底まで届くほどにして、下から水面下漲水すれば、なんと言うことは無く水張りできて直ぐ観測に入れたモノを。 血税の他に時間を無駄にしましたね。 エンジニヤリング・センスの不足でした。 お風呂に水入れるのとは違うのです。 ワレモノが一杯の縦長の水タンクですモノ。 もっともチョンボ無しにはノーベル賞は取れないのでしたね。 アハハ。

 そうです。20世紀の到来と共に産業技術が一歩前進の兆しを見せ、兵器産業からネジの規格化から始まってその材料たる棒、針金の規格化が始まり、材質の規格だけでなくサイズ形状の規格化の浸透により工業材料の共有化が捗り、全産業の進歩が足早になってきたのでした。 自動車工業も成功裏に旗を揚げることが出来たのでした。

 丁度その頃ヘール博士が、屈折レンズでの大口径望遠鏡に見切りをつけ、光線がガラスの中を通過しないだけ問題の少ない、且つ、球面よりは、ホモロガスな余裕が取れる放物面鏡が使える反射望遠鏡の優位性に着目、筒がないことを、空気のきれいな高山で使うことでカバーすればいいとして、大型の反射鏡の研磨方法を研究することにし、ここに高山・反射望遠鏡時代が到来しました。 たまたま20世紀の到来を記念してスノー嬢という女性が、名指しでヘール博士に寄贈した水平太陽望遠鏡をウィルソン山に設置したのですが、博士は思い切った大直径257cmの巨大反射鏡を発注、出来上がりを待って、銀メッキし(後に1917年再研磨されたのを機にアルミ蒸着メッキされるが)ウイルソン山で反射望遠鏡として組み立てられた。 此の257cm鏡は、何のケレン味も無いクリヤーな光像を示し、ヘール博士の期待に応えた。 このことを記念して、此の天文台は、以後ヘール天文台と呼ばれている。 反射鏡の製作者はRitchy、ガラスの冷却方法の考究にほぼ3年、回転放物面研磨法と研磨機の試作に10年の時日を費やした後実研磨に4年余の歳月を費やし、ヘール博士の期待に応えたが、望遠鏡としての完成直前に病で急死したと伝えられる。

 一戸直蔵は、此の計画については博士から聞かされていて、熱くなったのだが、ウィルソン山には行っていない。 このことが、日本では、昭和になっても未だ依然として天体望遠鏡は屈折望遠鏡であるべきだという空気を保ってしまった一因なのかも知れない。 もし彼の帰国レポートに「新しい天文台にはウィルソン山の257cmの反射望遠鏡」と言うようなパンチの効いた表題のレポートがあれば、事情は変わったかも。


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