パピイの昔話シリーズ:昔むかしその昔

 昔、むかし、そのむかし、日本はどんな国だったのだろう。 ナンセンス落語や漫才に東でも西でもどんどん行くと先ず海がある。 ソノサキ更にどんどん行くと、海の果てがある。 海の果てだろうと地の果てだろうとドンドン行くと奈落がある。 その奈落も構わず更にドンドン行くとモヤモヤしたところがある。 そのもやもやも構わずドンドン行くと、、、。 と言うのがある。 きりがない。 これを時間に置き換えて、昔々に置き換えたら、どの辺まで遡れるのだろうか。 歴史をさかのぼるのは、結構手数が掛かろうが、地の果てを構わずドンドン行くのよりは楽しいことが多いのではないでしょうか。

 たとえばの話、私は行ったことがないのですが、桶狭間の戦いで有名な、桶狭間の公園に、今川義元とそのゆかりの者の墓が数基あるのだそうですが、そのうちの一つの碑銘を解説した愛知県文化財委員会の立て札に「津嶋の神社の宮司、氷室豊永これを建つ」と言うのがあるそうです。 私の氷室家も(私は長男でないが)代々津嶋神社の宮司や神官を勤めたのですが、姓(かばね)は「紀]で代々長男は「○長」たとえば親父はあざなが「寿長」兄は「祐長」その息子は「禎長」と言った具合に。 「なが」の字がこの豊永さんと違うので、津嶋でも太夫家が違うようです。 津嶋氷室には3太夫家があり「光太夫」家、「七太夫」家、そして我が家「作太夫」家があります。 この今川義元を桶狭間にほふった織田信長は、津嶋神社「牛頭天王」信仰篤く、津嶋神社に飾り刀と木瓜の紋所を寄進して武運と厄除け祈願をしています。 敵対した義元のゆかりの者の墓碑銘をこの津嶋の宮司が書いているのは何か仔細がありそうです。 残念ながら、私には判りませんが。

 孫悟空で名高い西遊記にも現れる牛頭天王信仰の日本総本山ですから中国系の神の神官です。 一応南朝、後醍醐天皇第三皇子宗良親王の二人の男孫を奉じて中国系社を頼って、落ち延びてきて、ここで一人はなくなったようです。 良王さんというのが、ここに居着いて社を建て直し、館を築いて、、、その子孫と言うことになっていますが、南北朝の頃の話、真偽のほどは判りません。 ただ城跡(館でしょう)や、良王町という地名は残っています。 津嶋神社の宝物に織田信長が寄進した飾り刀が残っていたことは確かです。 豊臣秀吉も楼門と社殿を新築寄進したようです。 3太夫家が分かれるのはその一寸前ですから、桶狭間の墓を建てた氷室豊永さんというのはその内のどれかでしょう。 氷室の総本家は分家に当たり関東に去り、代々鎌倉大神宮の大宮司家として鎌倉にあったようです。 第2次大戦直後まで大宮司家を勤め、その後他家に申し送ったようでした。 大戦終戦後、神社の管理は、神社庁の管理に委ねられ、宮内庁の公務員の仕事になったようなので、世襲による宮司や神主ではなくなりました。

 あれから50年余、逆に面白い出会いがあります。 私の息子は天文少年でしたが中学時代から天文友達と連れだって、天体望遠鏡を担いで山に入りキャンプして観測して楽しんだ様ですが、天体望遠鏡は、一人で、自分の荷物の他に背負っていたようです。 それもあってか、大学の滑り止めも滑ってしまって浪人、アルバイトで強力を始め、結局山に棲んでしまいました。 縁あって彼女も出来、戸隠中社で神前結婚式するというので、行きました。 式の前に、宮司さんに挨拶に行きましたら開口一番「氷室さんというのはひょっとかして、津嶋神社の神主家の氷室さんでは?」と仰言るので「そうですが」と答えると「私、親父が津嶋神社の宮司しましたので、中学卒業まで津島市で育ちました。 その後、津市の神社に引っ越しましたが。 ご縁でしょうか、、、」奇縁を経験。

 戦時中の全体主義・神国主義の元では、中国の神はあり得なかった。従って伊勢の神宮の天照大神の弟神、素戔嗚尊と言うことになっていた。 荒ぶる神、つまり荒っぽくて、手に負えない神の意味です。牛頭天王(ゴヅテンノウ)とはにても似つかぬ。 こちらは、多少ユーモラスでさえあって、疫病・悪魔を払うことを司る中国でも特に有名な閻魔大王と並び称されるほどのこちらは天王。

 今、世界では一神教同士が角突き合って世界の平和を脅かしている。 日本の神は800万(ヤオヨロヅ)、多神教でも多い方だろう、中国系であろうと、陰の国の神であろうと諍いなく飲み込んでしまう。 大国主命はオーバーシーの神様であったらしい。 国引きによって併合されたことになっている。 それが書き表されているのは稗田の阿礼が口述により伝えるモノを太安万侶と言う書記官が文字に書き記した古事記にある。 そして、大国主のお使いに目と耳が真っ赤な白兎がいて、これがイタズラに鰐鮫の集まっている岸辺に来て、鰐鮫を騙して、向こう岸にわたれるように並ばせて数を数える振りして向こう岸に渡る。 騙された鰐鮫は気付き白ウサギを捕まえて毛皮を剥ぐ。 赤剥けになって泣いているウサギを大国主命が通りかかりきれいな清水で洗う、蒲の穂綿にくるまれと教えます。 、、これは古事記にあり、はっきり「鰐鮫」と書かれています。 小学校で国語読本でこれを習って以来私は50年以上昔々は、日本にも鰐がいたのか、と思っていました。

 60歳になる頃、フランスに5年ほど棲んでパリである人が、アルバイトで、UNESCOの仕事で、東南アジアの民話集を翻訳するのを一晩突き合わされました。 インドネシヤの民話でした。 驚いたの何のって、それは、鰐が、白兎に騙されて、橋の代わりに並んで、ウサギが数を数えながら渡り、うまく行ったと最後の一匹の前に口に出してしまい、鰐共が寄ってたかって、白兎の毛皮を剥ぐ話で、ビックリしました。 鰐とウサギの共通の友達狐が見ていて、お為ごかしに、ウサギに、海の水で消毒して、白胡椒の粉にくるまると直ぐ治るよと教えます。 ウサギは騙されてその通りにすると体中ヒリツイテ生きた心地はありません。 そこへ情け深い土地の氏神様が通りかかり、きれいな川の水で洗い流して、蒲の穂綿にくるんで、元の白兎に治して上げるのです。 何のことはない「因幡の白兎」と習った古事記の話は、昔々のインドネシアの民話にあった話なのでした。 稗田の阿礼の口述に既に日本の因幡の話として伝えられていたのでした。 日本の話がインドシナに伝わったのでしょうか?逆でしょう。 「鰐鮫」と言う日本で聞き慣れない動物が登場しなければならない処が鍵です。

 そんな昔どうしてインドシナの話が、日本まで伝わったのでしょう。 当時の文化の中心はずっと中国でしたでしょう。 日本は直接間接的に、中国と交流がありました。 同じように、インドシナと中国の間に交流があったと考えられます。 中国を介してこの話は伝わったモノと考えられます。 そんな昔に?と言うなかれ、縄文文化時代よりも前、新石器時代という、1万年ほど前から、日本の、伊豆七島の御蔵島か新島だったかの北岸に露出していた黒曜石(現在は標準潮位マイナス2.6mにある)が、切り出されて、北海道、サハリンを経由して、シベリヤ沿海州で、鏃や石器として使われ、又太平洋岸を渡って、済州島を経由して、山東半島、遼東半島まで、輸出されていたことが、近年確かめられているのです。 以前はサハリン、沿海州のは北海道伊達の黒曜石、済州島や山東半島のは九州有田の黒曜石と思われていたのが、近年不純物特徴分析で伊豆のモノが半分以上を占めることが確認されたそうです。 随分古く石器時代から交易の為海を渡って行き来していたのでした。

 日本列島と、大陸の文化交流が、朝廷の遣唐使や、遣隋使だけであったなどと言う制限を付けて考えるのはあまりに狭量な考えです。 証拠もあるのですから素直に昔、昔のその昔ほど人類は逞しくみんな自由奔放にそして諍いもなく平和に生きていたと考えた方が楽しいじゃありませんか。

 

はみ出し者伝記(2):ピラミッドを造ろうとしたリック

 身も心も解けてしまうような幸福な恋におぼれた男が突然美人の恋人からもっと素敵な王子様のような男が現れたわ、と言って愛想づかしをされたとしたら、、、、。 どんな事になるでしょうか。 1830年過ぎのサンフランシスコでも、そのような恋の破滅がある日突然、起こったのでした。 振られた男は、彼女を呪い、世を呪い、王子様のように現れた男を呪い、不男ではないまでも、10人並み一寸上には生んでくれた親ではあるが、親まで呪って狂わんばかりでした。 「たとえ自分は地の果てまで流離うともきっと金儲けしてここサンフランシスコに帰ってきて、ど真ん中にクフ王のようなピラミッドを建てて見返してやろうでないの!と傷心の身を南米行きの船に置いていました。 コロンビア、チリ、流れ流れて、ブラジルへ、然し、コーヒー園の中にも、金どころか幸せさえ落ちてはいませんでした。 パラグアイにも行ってみました。 路銀を使い果たしただけで、これと言った金儲け仕事はなく、又船に乗りました。 船の皿洗いをしているうち、お客が置いていった一枚の新聞に目が止まったのでした。 カリフォルニアで一儲けした小金持たちが教会を作って、ピアノを寄付することが流行って、ピアノが足りないと言う記事でした。 早速カリフォルニアに戻ると丁度産業革命がアメリカにも浸透して、良い鋼線(現在ピアノ線という)が入手できる時代が来ていました。 昔の友人とピアノ作りを始めたのでした。 徐々に売れ始めると良い商品はそれ自体が広告、加速的に個人消費も起こって、売れに売れました。 一応の札束を手にしていました。 恋に破れて南米で苦労をしてから10年が経とうとしていました。

 メキシコからアメリカ合衆国に領有権が移って、10年経つか経たないかのカリフォルニアで砂金が見つかり、その川上で金鉱脈が発見されたという事件が突然起こった1848年、山へ入る連中は、一日を争って一旦入植した土地を売払って、砂金堀や、金鉱堀の装置道具器材を買って、馬車を仕立てて山奥へ急ぐわけで、土地はそこそこの値段が付けばさっさと売り払うことが判った。 そこで友人が止めるのも聞かずピアノ製造の商権を友人に譲って、儲けた金で金塊には目もくれずお為ごかしに、二束三文で片っ端から暴落した土地を買い漁った。 翌1849年にはゴールドラッシュと称して、フォーリーナイナー共が、全米は勿論の事ヨーロッパ大陸からもどっとカリフォルニアに押し寄せてきた。 金鉱脈などと言うモノはそこにもあるあそこにもあるモノでなく、且つ無尽蔵って事はない。 アッと言う間に掘り尽くされてしまうと、今度は人口大過剰が問題になった。 何時までも無い金をみんなが掘っているわけには行かない。 仕方なく土地を購入して帰農することが流行した。 東部やましてヨウロッパにはとても帰れない。

 斯うして土地は暴騰してリックが持っていた紙切れ同然に買い占めたサンフランシスコの約半分と、サンノーゼ付近そっくりの土地の権利書は数年を経ずして札束の山に大変身していったのでした。 この札束を持って、大富豪となって、1874年サンフランシスコに帰ってきたリックは既に77歳、念願のピラミッドをサンフランシスコのど真ん中に立てようとした。 「想い出のサンフランシスコ」である。 顧問弁護士にこの構想を語ったところ、顧問弁護士らはキチガイ扱いし愚行を中止させようと色々言ったが、リックは恋に破れて以来の長年の夢であったと語ってそれらの制止に全く耳を貸さなかった。

 顧問弁護士の一人は、カリフォルニア科学アカデミーの会長ダヴィッドソンを良く知っていたので途方に暮れて相談したのであった。 さすがにダヴィッドソン会長も数日考えた末、ピラミッドの代案として、世界一の望遠鏡を据え付けた方がより価値があると伝えてきた。 然し、リックは、世界一の望遠鏡は賛成したが、その設置場所はあくまでサンフランシスコのど真ん中と主張して譲らなかった。 ダヴィッドソンは顧問弁護士に、リックの昔の彼女の消息を調べさせていた。 彼女は、晩年離婚してサンノーゼに寂しく暮らし既に他界していたことを突き止め、彼女の墓の見えるサンノーゼに近いハミルトン山に天文台を作ることで説得した。 遂にリックも折れて、その案に同意した。 但し、この天文台の名はリック天文台とすること、カリフォルニア大学によって管理されることを条件とした。 更に遺言状にもう一つ書き残していたのであった。

 リックは、この天文台を見ることはなく1876年に没した。 当時世界一の口径91cmの屈折望遠鏡がこの天文台に収まったのは更に10年後の1887年であった。 サンフランシスコの墓地にあったリックの遺体は堀上げられて、この望遠鏡の台座の下の石棺に納められたのである。 リックは将に現代科学のピラミッドに収まったのだった。

 リックの強情なまでの名誉欲と、ダヴィッドソンアカデミー会長が説得に困って、ふと湧いた名案の大富豪と大望遠鏡天文台の結びつき、アメリカのジャイアンチズムは斯うしてここリック天文台に始まり、汚職電鉄王ヤーキスが次ぎ、最後に石油王ロックフェラーがパロマー山の天文台を寄付,そしてカーネギー財団が口径508cmの反射大望遠鏡を調達寄付して仕上げることになるのだが、その事始めは、「バクチは裏に張れ」を貫いた「振られのリック」がやってのけたのでした。

 

屋久島シリーズ(1):「屋久の大鹿」 の章

 自分史のページにしても未だ10数ページの頃でしょうか、「のらくろ」漫画の付録があったりする幼年クラブだったか、他の童話本だったか、「ヤクノオオジカ」と言う童話を読んだ鮮やかな記憶があります。 ただどんな書き出しだったか、誰が書いた童話だったかの記憶は当時は当然ありませんでした。

 屋久という大きな島の森の中に森の掟を守って猿、鹿を始めとする動物が、人間と平和に暮らしていた。 代々猿は猿で、いくつかの群で棲んでいたが、鹿は、大鹿が統率して、群の鹿を守ってきた。 大鹿の子供が若者になり、力比べで勝って、次のかしらになる準備をする頃になると、色々大鹿から学び取らなければならなかった。 此の島には限りがある、だからこそ餌を食い散らすことは出来ない。 群が繁栄してもえさを確保するためには森を守らなければならないのだった。 そして子孫の餌を確保するためには、小動物や、鳥たちが、木の実をせっせと運んで食べて、種まきしてくれなければ木々が新しく育たない。 そのために鹿は鹿の事さえ考えていればいいのでなく、森の動物たち全部のことを守っていかなければならないことも判って来た。

 若鹿たちは、年取ってきた大鹿に代わって、森の大木を切り倒そうとする人間共を森から追い出そうと力を合わせた。そして何年か経ち、森に分け入った木こりのおじいさんが谷に落ちかけたのを、大鹿が身を挺して助けた弾みに大鹿が足を滑らせて、おじいさんの代わりに谷に落ちて帰ってこなかった。 若鹿たちは、人間の為に鹿が命を落とすなんてまっぴら、馬鹿なことだ、と口々に叫んだが、跡を継ぐべき大鹿は、いやそうじゃない。 あの木こりのおじいさんの様に若木が良く育つように間伐をしたり下枝を払って、森の勢いを守ると言う鹿には出来ない仕事をしてくれたいい人だった。 だから父鹿は命掛けで守ろうとしたのだったのだ、考え違いをしてはいけない。 ああいう考え深い人たちのおかげで此の島には、世界中の何処にもない程の何千年の大きな杉が育ち続けてきたのだと大鹿は誰にともなく言って胸を張った。 と言う話。

 私の当時の小さな胸のうちに湧いたごく自然な感激、しかし当時の日本を取り巻いていた観念はお国のためには、天皇陛下のためには自然も猿も鹿も人もその身を犠牲にしなければならない教育であったのでした。 その教育の重圧の下をくぐり抜けた感激の残滓は戦後になって、此の童話を書いた人のことが取り上げられている本に、私を釘付けにしました。

 その人の名は椋 鳩十、戦前の昭和一桁時代に、此の「屋久の大鹿」を始めとする、自然と野生の動物のことをいわばシリーズモノのように童話や詩に書いた事で、日本児童文学賞の候補に挙がったのでしたが、椋 鳩十さんはたといその作品がそれに値したとしても自分の出身がそういう賞に値しない卑しい身分の者だと発表してしまって、受賞を辞退してしまったのだそうです。 戦前、いや戦後も暫くはそんな社会でした。 大正から昭和にかけて売り出しの文豪島崎藤村の小説「破戒」に説明されるように、日本民族は一つじゃない!と社会が叫んでいるような時代だったのでした。 その社会にあって、70年先取りした地球環境自然保護を下敷きに動物達の声や叫び、自然のバランスを守ることが人間の生活を守ることと直結ですよ、と言うことを童話の中にごく自然に取り入れて書いた、椋 鳩十著の「屋久の大鹿」他此のシリーズの童話は、異色のモノでしたでしょう。

 その社会の延長線上で、今から35年前は、此の緑豊かな屋久島の国有林は、人間の生活を脅かす猿や鹿などが棲むから半分以上伐採してしまえと言う、馬鹿な国会議員と、お役人と伐採材木業者が組んで、屋久島島内に本格的な林業鉄道を敷設して、伐採重機を運び込み、向こう見ずな、絨毯伐採を始めて、5年ほどで、島の森林の巨木大木の半分本数を倒し且つ、森林面積の殆ど3分の1を表土を裸にしてしまう勢いであったという。 絶海の孤島、2000m級の山、従って此の島では月に35日雨が降るという表現があるくらい雨が降る、降るときは又、半端じゃない、叩きつける様に降ることが多いらしいから、根こそぎ伐採された部分は当然山肌が流れ落ちてしまうから自然発芽は期待できない。 こうして山はアッと言う間に荒れてしまい河は濁り赤水となり生活用水は雨水だけに追いやられ、海も濁り魚群が痩せ、島から遠のいてしまい、漁獲高は3分の1になり、乗り込んできた材木業者は潤ったが、島民の生活は完全に破壊された。 公共事業というのは往々にして業者事業であって、住民のための事業ではない。 そして、屋久の大鹿の口振りを借りて椋 鳩十さんが言ってのけた、森を守ることが、結局住民を守ることになるのだと言った70年前の言葉に立ち上がった住民代表が学会の先生を動かし、お役人を動かし遂に鉄面皮な議員と業者の重機を足止めした。 彼らは去ったが荒れた山と河が残った。 森は育たない。 本来は儲けた業者が原状回復するのが当然だろうが、結局被害者の島民が結束して、モッコを担ぎ、苗木を植林して、30年の歳月を要して、漸く緑は帰ってきた。 鬱蒼とした森、猿や鹿の楽園が帰るまでは、数百年が掛かる。 樹齢数百年の森を根こそぎ伐り取ったのだから。

 今漸く屋久島にきれいな川の水が帰ってきたところらしい。 付近の海の漁獲量は減った儘回復の兆しは未だ無いらしい。 森が充分育たないと魚も海藻も貝類も育たないらしい、やっと今や定説となった。 自然というモノのバランス、これが「屋久の大鹿」の童話シリーズに既にあの時代に書かれていたのでした。(続く)


屋久島のハムが送ってきた屋久島の画像の紹介(1)

 屋久島南岸の屋久町のJO6PRM長澤氏が20m/17m/15mバンド等で,SSTVで、彼の傑作写真を、各地のハムに送りつけています。 SSTVを運用される方は是非直接、これらの画像を空で貰って下さい。 私は古いカタワのパソコンでSSTVがQRV出来ないでいます。 RMコールサインファミリーとして画像の使用許可を戴きましたので、何度かに分けて、屋久島の素晴らしい自然をご紹介致します。 NHKの連ドラ「まんてん」でもこれらの風景は紹介されていますが、TVでは短時間ですので、よろしければここでお楽しみ下 さい。

 


西から見たモチョム岳 by JO6PRM


屋久島の猿 by JO6PRM


屋久島の鹿 by JO6PRM


世界一の笹川杉 by JO6PRM


志戸子の海 by JO6PRM


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