屋久島シリーズ(3):

 現在放映中のNHKの連ドラ「まんてん」は映画ではない、映画で屋久島がでてきたのは、2つではなかったか、前の一つは大した場面はなかったような気がする。 神代杉とウイルソン株位だったか、何という外題だったかも今となっては思い出せない。 兎に角非常に数少ない。 ドキュメンタリーではNHKのプロジェクトX。 屋久島の自然破壊のドラマとそれに敢然と戦った島民達の記録。 これも映画ではない。

 次に覚えているのは山田洋次監督の学校シリーズの登校拒否生徒を扱った「学校IV」だったと思う。 山田洋次監督「寅さんシリーズ」に出てくる満男君を演じた、吉岡秀隆演ずる登校拒否生徒が、一念発起して、屋久島に至る。息を弾ませ、平素の運動不足を反省しながら、お姉さん風のトレッキング女性に引っ張られて、縄文杉までは漸くたどり着く。 ここで、お姉さんは更に上に登るが、彼は、体力の限界を思い知って、ここで分かれて、帰路を急ぐが、一天俄にかき曇り、夕暮れの暗さの中で道に踏み迷う。 登りに来た道のようにも見えるし、違う道にも見える。 上がったり下がったり、サッパリ、道しるべのある道からははぐれてしまった、その中で日が暮れる。 懐中電灯を頼りに下へ行くように見える道を辿って、、歩くが遂に睡魔に負けて、獣道から外れ足を踏み外して、崖から谷へ真っ逆様、幸い水中へ落下、平らな砂地まで水中を歩いて下る。 荷物を失い、そのまま疲れて眠る。 短い夏の夜は既に明けて、谷間に響く登山客の声に目覚めると朝は晴れ上がり、見れば川下に登山道の橋が見える。川の中を下ったのが正解だったのだ。 ドンドン歩いて、やっと、上屋久町の町にたどり着いて、威勢良く威張っている爺さんに一夜の宿と食事をせびる。 シベリヤ抑留帰りの龍とか言う丹波哲郎演じる老人である。 所が其の晩龍はいつものカラオケバーで飲み過ぎ唄い過ぎ出来上がり、、夜更けて、戦友に送られて、帰宅するが、朝起きて、布団をズブズブに濡らして思う存分失禁している自分を発見し、あまりのことに辺り構わず泣きじゃくる。 離れで寝ていた、秀隆君が黙って布団を物干し竿に掛けて干し、バケツに水をくんできて、タヲルと雑巾で哲郎をきれいに拭いてやり、朝飯と味噌汁を作って食べさせる。 更に、町の薬局まで自転車を飛ばし老人用おしめパンツを買いに行く。薬局のおばさんが、上手に誰がそれを必要になったかを聞き出し、そうか無理もない年だからしょうがない、しかしあの人には博多に息子夫婦がいる、電話番号を預かっているからと息子に電話するが日曜日にしか来れないと言う。 身内も冷たいもの、満男がどうせとそれまで面倒を見る。 炊事洗濯、風呂沸かしと頼られてかいがいしく働く満男。 生活の自信を取り戻し笑顔を取り戻す。 日曜日に息子がやってくる。 満男が遠慮がちに立ち去ろうとする。 前田吟演ずる息子、哲郎が漏らした布団をクセエ、汚いだのと叫びながら、いやいや物干しに持っていくのを、満男が、モノも言わずに奪い取って、丁寧に物干し竿に干す。 有り難うも言わずに五千円札一枚を差し出す吟,「金じゃない、心です。」と立ち去る満男。 やがて、東京へ帰ってくる。 自分で学校へ行き、又復学すると一人で手続きする満男。 学校からの連絡でオロオロする母親。

 此の映画でももう少し、屋久島の自然が見たかった思いだったのでした。 監督自身がTVインタヴィユーで言っていた。 フィルムは風景もふんだんにあの4−5倍は撮していたし、使いたい映像はあったのですが、登校拒否生徒が心理的に自信を得ていく過程を説得力を込めていこうとすると、どうしてもあの程度の自然映像しか入れられなくて、、、と残念がっていたのが印象的でしたね。

 思うに、屋久島の自然のスケールが大きすぎて、既成の入れ物や標準サイズのファイルには収まりかねるのでしょう。 それで、挑戦された方はあっても、一度では手に負えなくなったのではないだろうか、何度か反省して、それを活かして、何時の日か再度挑戦して貰いたいものです。 その時こそ既成のスケールに囚われず、話の筋に左右されず、逆にスケールの大きい自然を積極的に生かして映画に調和させてみて貰いた い、そんな気がしています。


屋久島のハムが送ってきた屋久島の画像の紹介(3)

 


紀元杉 by JO6PRM


大川の滝 by JO6PRM


西から見たムツチョム岳 by JO6PRM


ムツチョム岳 by JO6PRM

 


爺怪説:問題は何?本質とは。

 先日大学時代の化学部のゼミナールの級友が集まる機会があった。 50周年記念でした。 私は実験室で割とマジに実験して、大方の先生に信頼を得ていた。 しかし級友がどう評価していたかは初めて聞いた。 同じゼミナールにいて、クラスメートで、染料中間体や、医薬品中間体の有機合成に行っていた友人が聞かせてくれた。 君はいつの間にか実験装置を組み上げてしまうが、我々の組み立てるのは教科書通りで壁に沿って、横に机を継ぎ足して2mも3mも横長だったのに君はガラス細工で部品作りに何日か掛けるが、作るのは実に早く、コンパクトに腰掛けて、操作、測定部分は直ぐ手の届くところで操作して実験が早かったね、Y助教授が、君は実験のプロだと感心して今にノーベル賞も夢じゃないね、あれは!と言っていたが、、、とこそばゆい話だったが、学生時代から毒舌家の渾名のがやってきて「そうだね、我々の実験装置は冗長の名に恥じない実に散漫な装置だったが君のは違ったまるで石油コンビナートの模型並みだった。 ところで一生かかってノーベル賞に手が届いたかい?あれでは取れない。 失敗しないとノーベル賞は取れない。 チャンスがあったのは我々で、キミジャナーイ。」と。 何処の世界にも此の手の奴は蔓延る。 したたか。しかし以外に本質を突いているやも。

 スペースシャトル・デイスカバリー号の事故で毛利さんも含めて、推論や解説が、色々あったが、氷を取り上げたのはさすがに毛利さんだったが、一寸的を外していました。 保温材が外れて、主翼左翼に当たったのが問題、確かに問題なのですが、、、。 本当に、保温材が致命傷を作れるかな。 目線で見るとそうですが、も少し観念的な視線を注いでみる必要がなかったか。 機能というパラメタを通じて。

 桶屋が儲かる風の吹き様は、シミュレーションの道筋に問題があり過ぎますが、相当低い確率で、あり得ないことはない繋がりです。 保温材の衝突はこの程度です。 しかし、「保温材が、45cm x 85cm の大きさで剥がれて落ちた」そのことは可成りの確率で、此の左翼を破壊に導く可能性に繋がるのです。 なぜなら、何故に此の液体燃料タンクに保温材がいるのでしょう、ロケットが全力噴射すると、水化ボロンや液体水素と液体酸素がガス化して燃焼して飛ぶわけですが、この時、零下2百数十度という低温でも液状物が沸騰してガスになるとき、廻りから気化熱というもの凄い大量の熱を奪うのです。 この為、液体燃料タンクは冷えて冷えて、廻りの大気中の水分や二酸化炭素を氷結して固まり付いてしまい重くなってしまうのです。 此の熱交換は殆ど1対1で起こりますからそのままでは中身とほぼ同じ重さの氷結物がタンク表面を覆う可能性があるのです。 それを防ぐにはタンクの表面に氷結物が付かぬよう又表面の温度を突き進む大気に曝さないように保温材で、しっかり熱絶縁する必要があるのです。 其の必要な保温材の外れたタンク面には、氷がドンドン成長する。 大きく重くなった氷塊が、自重とタンクの猛烈な振動で、外れて保温材の大きさで今度は氷の塊として、断熱耐熱材の硬くて脆い面に当たったとしたら、、、今度は確実に、セラミックを傷つける、破砕する可能性が、十二分にあるのです。 つまり、保温材が剥がれて左翼に当たったことより、タンクの保温材が此の大きさで剥がれてタンクがむき出しになったことがもっとずっと危険な事、其のむき出しの位置が、氷剥がれたら左翼を傷つける位置だったことが判っていたのに、当たった保温材に目線が行ったばかりに、此の保温材の機能が此の後どうタンク表面にどんな現象をもたらすか視線が行っていなかった。 そこにはタイや収納庫の蓋があり、其の耐熱材が少し傷ついていたとすれば、アルミ材の温度が上がり収納庫内のタイヤの温度があがる。 タイヤの温度が上がるとタイヤが膨張して精一杯膨れて破裂する、其のショックで収納庫の蓋が吹き飛ぶ、もう姿勢制御どころでなくなる、耐熱タイルのない部分が風を切るようになればマッハ18ではアルミは耐えられない。 フラッシュバルブのマグネシュウムの次に酸化しやすいアルミは薄い空気の中で強制酸化が起これば、プラズマ状燃焼になる可能性もある、もう空中分解しかなかっただろう。 どうにも痛ましいことではありますが。

 氷塊がタンク表面から外れる理由は? 液体燃料が、精一杯使われるとき、液体酸素や液体水素は、零下2百何十度でも沸騰状態になるのです。 液体が沸騰するとき、ボイラーはどうなりますか? 囂々と音を立てて細かく強い振動、つまり猛烈な周波数で胴震いしているのです。 氷が硬く付いているほど振動で振り落とされるとき一挙に一体の大きなブロックで剥がれます。 こんな事が現実に起こってしまったのですね。 大河の堤防も蟻の1穴で崩れるたとえに近いことが。

 冒頭の、化学実験室で、私は、反応の早さ、熱の発生の場所、其の冷やし方、などもシミュレーションしながら実験装置を組んでいました。 市販の既製品では形状が不似合いなときは、ガラス細工用バーナーを使って、自分でガラス細工で、部品を作ったものでした。 それで、他の人が作った実験装置とは似ても似つかぬこみ入った感じの装置が他人より後で完成したりしました。 しかし実験に取りかかるとすべてがスムーズに運んで、友人達の途中チョンボを横目で見ながらすいすい済ませて、ジャーお先に、がんばれよ、壊すなよ、など言いながら、先に帰ったりしたものでした。 Y先生が実験のプロだと言っていたなんて知りませんでした。 確かにYせんせいは、コピーマシンがない時代私がA4版のレポート用紙2枚を4つ折りにした16ページに、ガラスペンの細いのでビッシリ書いた、レポートを透明セルロイドケースに入れて、学生に良く見せて居られて、12−3年後に日本化学会でお会いした時に今度コッピイ取る機械が大学に入るので一番にこれをコッピイして貰うのだと見せて戴いた。 懐かしかったねえ。 しかし、毒舌君が言った通り、時には失敗もして反省しなければ進歩はなかったのかも知れない、しかし其の失敗に人命という貴い犠牲が伴うことは私には耐えられないことです。


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