化学知りーズ:亀の甲に親しもう、先ず防虫剤

 今更イヤなこった、、、、と言うなかれ。 手遅れですぞ。 季節の変わり目ごとに衣替えの季節には、電車の中でも、防虫剤の匂いがぷんぷん臭います。 匂いで防虫剤の種類が判ります。 子供の頃セルロイドは、硝化綿に樟脳を可塑剤兼安定剤として配合したプラスチックでした。 此の樟脳という防虫剤は、お宮やお寺などに生えている楠木の幹から樹液を取って、蒸留精製して作られました。 台湾などでは今でも昔、生えて居るままの木の心をくりぬいて、樟脳を取った皮だけの楠が大木になって廟の廻りに生い茂っていたりしますね。 合成化学が発達する前の天然化学物質精製時代の防虫剤でした。 精製が易しいのですが、揮発昇華が早く、しかしスカッとした匂いが好まれ、和服の文庫にはなくては成らぬ、又天然動物繊維の絹織物系に強い防虫剤でした。

 やや時代が進んで、鉄鋼生産のためにコークスが必要になって、石炭の蒸し焼き、コークス炉が稼働し、石炭タール化学が発達した時代に、ナフタリンが精製されました。 洋服タンスの中やタンスの中で、ゆっくり揮発して、じわっと永いこと虫を寄せ付けない毛織物に適した防虫剤でした。 更に石油化学系から合成された万能に近い、塩素化合物の防虫剤として、毛皮から紙にまで効くと言われたのがパラジクロールベンゼン。 商品名には色々ある。

 この辺りから化学名で頭が痛くなってしまう方が多い。 有機化学物質の名前は誰が、どうやって付けるのだろう、勝手に名前を付けるなと云わないで下さい。 戦前から、ジュネーブ合意によって有機化合物命名法が決まっており、私たちは、旧制中学一年生で、理化学辞典のお尻の付録の此のジェネバシステムを副読本として習い、有機化合物の構造式と命名法の序でに作り方や性質の概要を習いました。 亀の甲がちっとも怖くなくなりました。 大学の化学に進んでも級友が私に聞くので俺に聞かずに理化学辞典の付録を読めと、何人にも薦めたモノでした。 文字通りトオダイ元暗し、でした。

 世俗には亀の甲に弱い序でに何も化にも商品名も化学名も混同してごっちゃにする人が居ますが、モノの本質はごったまぜに覚えないで、系統だって覚えるのが整理しやすく、応用が利きやすい。 例えば、此処で冒頭述べた樟脳、ナフタリン、パラ・ジ・クロール・ベンゼンは、防虫剤です。 殺虫剤とは本質的に異なります。 虫が発生してしまった衣類の虫は殺しません。 虫が入ってこないように防ぐ役目、そして大事なことは、アルコール溶液や、油剤殺虫剤のように液状には成らず、固体から直接有効気体に揮発することです。 これを化学用語で昇華と言います。 防虫剤ではこれがとても大切なことです。 液体を経て蒸発すると、繊維衣類にどうしても蒸発残査に埃などが混じって、シミや色代わりの元に成るのです。 此処が殺虫剤と本質を異にします。

 ところで、では、樟脳、ナフタリン、パラゾールなどのパラジクロールベンゼンは絶対液状になることはないかというと、あるから気をつけなければ成りません。 此処が素人の生兵法が怖いところです。 とても大事な、注意書きですから此処だけはしっかり読んで置いて戴きたい。 お嬢さんの一張羅の成人式の和服にシミを付けて嘆かぬ為にも。

 上で、樟脳はいい匂いだが昇華が早い、ナフタリンはじわじわゆっくり、そしてパラゾールは、万能だと言いました。 じゃ、3種類全部同時に混ぜて、洋服ダンスも和服の文庫も、毛皮のは子にも混合して使ったらドオだ。 名案だろう!。 やったら大変ですよ。そこが素人の赤坂査じゃない浅はかさ。 化学物質には化ける性質があります。 此の三種混合は絶対に避けなければならないのです。 相互共融現象を起こして液状になる組み合わせ条件域があり必ず、点々シミか雀斑シミか同心円シミを起こして大失敗します。 昔はパラジクロールの袋に必ず大きな字で注意書きがありました。 最近は注意書きがないか、あっても他の事項と併記程度ですが、性質が変わったわけではありません。 さあ明日着ようという今夜シミになっていては間に合いません。 防虫剤の混用は絶対におやめ下さい。 亀の甲はそう有意味で、怖いのです。 頭に入らないから怖いんじゃありませんよ。 親しみましょう。

 

はみ出し者伝記(3):ドン・ガバチョ 売れっ子芸人誕生、、、の章

 TV本放送開始50年とかでNHKはしきりにドン・ガバチョを丸でシンボルマークのように使い、記念切手にまで登場しています。 所で、此のドン・ガバチョがヒョッコリひょうたん島で活躍した連続放映人形劇の声を演じたのが、チョイと変わったコールサイン二つで活躍したハムだったことをご存じかな? 猛烈に癖っぽいが芸達者なコメデイアンと言うよりボードビリアン、又の名を「ストンチョのオッサン」と言えば思い出される方も多かろう。 芸名も本名も藤村有広と言った。 彼の名はこの度のTV50年でNHKで放送されることは只の一度もなかった。 よって、彼の供養のために私がこの稿を書くことを決意しました。

 夏目漱石などの小説にも出てくるし漱石自身が大好物だった、本郷追分の正統羊羹老舗「ふじむら」の係累だったが中学に入った頃から冗談がきつく巫山戯すぎと言うより巫山戯好き、あまりに奇行が重なるし学校でも先生を揶揄するなど激しかったので退学処分直前に当時としては前代未聞「自主退学」し、勘当同然に早くから実家からも親戚からも絶縁されたという説がまことしやかだった。 本人も敢えて否定はしなかった。 兎に角金に不自由はしたことがないらしいから意外に本当かも。 伝記とはいい条此処では其の説に従っておこう。 駆け出し時代は多分寅さんの大先輩のストリップ小屋の口上師、いつの間にかストンチョの小父さんとして伴淳のギョギョ!ギョ!!が飽きられた頃のラジオに登場、TVにもコメデイアンとして出てくるや一躍時代の寵児の芸達者として話題となり、映画にも森繁久弥・小林桂樹・有島一郎、三木のり平等の社長三代記シリーズなどにも出演したりしていた。 TVで連続人形劇の始まりは確か、黒柳徹子、里見京子等のチロリン村とくるみの木。 次いで ヒョッコリひょうたん島が始まって人気番組になったのもその頃。 ドンガバチョは、人気キャラクターだった。 ストンチョの小父さんが当然の如くドン・ガバチョの声優をやっていた。

 戦前を知る視聴者にとって此のボードビリアンの出現は懐かしいモノでした。 戦前と言うよりは既に戦時色濃い頃の、、、でしたが。 一組男女の漫才師、島ヒロシ・ミスワカナと言うのが、「大日本愛国婦人会」(後に大日本国防婦人会と改名)と言う解題で、日本の島は広いとばかり日本各地の方言をやりとりして面白く聞かせる漫才を流行らせて当たりを取りました。 わかなは亡くなり戦後のコンビ、ミス若さは、違う人です。 日本の十数カ所の方言を操り、大阪と京都を比べ、最後に、名古屋弁で落とすのですがそれが、尾張生まれの我々でも使い切れないモノでした。 「、、、ゴッサマガグザラッセルで、すかたらんにオキャアセ!、、、」名古屋の方々お判りでしょうね? 土地勘のない方のために通訳しておくと「奥さんが文句言うので、好きじゃないから止めておきなさい」と言う忠告。 何でこれを持ち出したか。 テレビの始めの頃に一度だけ、ストンチョの小父さんの漫談に、これの焼き直しがあった。 日本各地の方言同士の頓珍漢な会話に続いて秋田弁と津軽弁が喧嘩する。 秋田弁で津軽弁をぞんざいだとけなすのだが、其の地方以外の人にはサッパリ判らない、カタカナでは書けないが秋田弁では「ずっぱりあがさまい」と丁寧にご馳走を客に勧めるのに、津軽弁はぞんざいで「づっぱ、ガサメイ」としかいわね、というわけで有る。 結構受けたのだが放送コードに引っかかり、消えた。 彼の持ちネタが一つ減った。 彼はそれならそれでいいよとばかり、外国語で6カ国語ほどを口まねして挑戦した。 本物の外国語を話さず、例えばタバコの名前ばかりを綴って、英語に聞こえさせるわけ。 国鉄の駅名を綴って、なまらせて、イタリイ語に聞こえさせるし、野菜の名前と缶詰の名前を綴って、フランス語に響かせたり、中華料理の名前を並べて、中国語に聞かせるなどは天下一品だった。 後にも先にも此の芸の真似できるモノは絶えてない。 生まれつきの芸達者だったのだろう。 藤村有広と言えば、これが代表芸だったろうに、「ストンチョの小父さん」と言う代名詞は変わらなかった。 此の芸が最高に発揮されたのは、皇太子殿下が、美智子妃殿下を連れて、東南アジア始め海外を外遊された時を再現して、此の出任せ当て振り外国語でやったときだっただろう。 皇太子の英語は、アイホープ、何とかカントかラッキーストライク、バット、ピースなんじゃらかんじゃらフィリップもーリス・キャメル・ゴールデンリーフ、シンタンジン、、、。 タバコの名前だが、美智子妃殿下のは短いながらもちゃんと英会話、だって、聖心の英文学専攻だモノ、、相手の外人のは又野菜の名前や、電車や汽車の駅名、中国料理の名など。 これを短時間に呼吸良く交互に使い分けるのだから大したモノでした。 確か少なくとも6カ国語は語感を使い分けたと記憶しています。 しかし、右翼だけでなく、お堅い人の多い教育界・文部省から不敬罪に次ぐモノとして、注意が発せられ少なくともNHKでは二度と此の漫談は出入り禁止だった。 こうして彼の芸はあぎだ弁津軽弁だけでなく羽をもがれ、足かせを填められて行く。 イロハがるたにもある、出る釘は打たれる。 ドンガバチョだけが残っていった。

 やがて昭和40年代の始め頃、どの無線雑誌かが青山南か南青山のお屋敷町のJH1BAN局が、ストンチョの小父さんのハム局とスクープしてグラビヤ頁に登場した。 「エッそんなに早くJH1が?と言うなかれ、JA1XZZの次はJH1AAAだったのですぞ。 Japan Amatureの次はJapan Ham、其の次はストン、チョトJapan Radioまで行くのよ、 アルファベット順じゃないところが、日本のお役所仕事。 ワカッカナア!」、、、。 ストンチョの小父さんはこんな風に言うわけ。 しかしも蜂の頭もない。 一級局でした。 この前後から彼は芸のマンネリ化を強要される世間の風潮に悩んで、かなり無理して見栄を張り実は荒んだ生活だったようで、後からすごーく反省していました。 反省を始めた頃から仕事は入らなくなり、世をすねたように難しい男にもなったりしていたらしい。 今日、NHKが彼を無視する態度に出たのは其のせいかも知れない。 どちらも大人げないことだが。

 

パピーの昔話:昔の雑誌から

パネルの蔭から;(署名)雷 次雄]==「無線と実験」誌:昭和7年9月号811頁-817頁から抄録:

◇オリンピック==競技とラヂオ--関係諸氏の労を多とする--
おそらくは、もしラヂオが無かったならば、オリンピックに対する一般の人気はあんなに湧かなかっただろうと思はれるほど、今度はラヂオは其の威力を発揮した。 惜しいことには、競技場から直接に放送出来ずに、競技が済んでから想像放送したので、其のアナウンサーの実感効果が少くて少々間が抜けたところがあった。 だから、トーランの百メートル競技の新レコードが松内君の放送で二十七秒も掛かったと野次る不届き者が出る事になる。 今度中継放送されたオリンピックの放送は、競技場から自動車で15分かかる KFI局から中継されたので、実際の競技から1−2時間遅れた勘定になる。 競技場に出張したAK、BKの諸君の労をねぎらうと同時に、かくれたる働きをしてくれたサンフランシスコ市郊外のポリナス局及び受信した岩槻無電局局員の諸君の努力に対しても衷心から感謝する。

◇警察ラヂオの実現か--警視庁の新しい試み--
従来電信電話によって各署と連絡を取っていた警視庁では、米国あたりの警察ラヂオに刺激されたモノか、また、通信費節約のためか最近警視庁と管下警察署間のラヂオ通信試験のテスト許可願を逓信省に出した。 此の結果が良成績であれば、直ちに4萬圓くらいの予算で、自動車と本庁の間にラヂオ通信を開始し取締り現場と本庁との間の連絡命令を通信することとなる。 此のラヂオ自動車実現の暁は、シカゴ、ニューヨークその他の都市並みに、火事、大衆運動その他の事項についての速報が伝えられる様になって、大いに検挙成績を上げられるとはお巡りさんの理想で、広い東京ではラヂオ自動車5台やそこらではそう実用成績は出来まい。

◇対欧満州電報の回り道--名古屋無電局中継で通信--
従来満洲から欧洲に向けて発信される電報は、奉天日本郵便局又は在満支那郵便局で取り扱っていたが、支那政府が没義道に「郵務断交」を申し込んで来たので、満洲の電報は一時宙に迷い掛けたが、今後満洲からの対欧無電は全部日本の名古屋無電局に集められて、此処から日本無線ご自慢の名古屋無線局の手によって欧洲に送られることとなった。 因強に通信まで邪魔する蒋介石君の居る南京の空をラヂオは、フワーリフワリいやスーっと走っていることとは、お釈迦様でも鬼様でもご存じあるまい。

◇新設された福岡無電局の対米設備--オリンピック専用通信装置--
ロスアンゼルスのオリンピックの状況が、各新聞通信社によって報道されるために、一般商業通信が邪魔されると不可ないというので埼玉県福岡受信所と、栃木県小山発信所に新たにアンテナを作ったが、押し迫った7月27日に完成した。 これは米国ポリナス局--KKZ、波長21m--と我が国との間に使用された。 これは1分間に600字(125語)が送受信される能力あるモノであったが、さてどのくらい使はれたものであったか。

◇富士山頂のラヂオ試験--研究所や電気会社の企て--
今年の夏は富士山も大分驚いたらしい。日頃良くピンピンと当たった電波を発生する発振器を、八月下旬には逓信省電気試験所員が、その前に七月下旬には東京電気(株)研究所員が持ち込んで赫々たる超短波実験を行った。 使はれた電波は通信を目的とする5、6メートルのものだったようだ。電気試験所では山頂と平磯出張所間、東京電気では山頂と川崎の本社間、またかねてから設置してあった中央気象台でも本台、東京市外砧村の日本放送協会研究所及び横浜神戸間航行中の船舶との間に通信を交換したさうだ。

◇小型テレビジョン装置の発明--家庭用として誂え向きのもの--
東京市外大崎町の逓信省電気試験所技師曽根有工学士が小型テレビジョン装置を発明し、其の公開試験が七月二日同試験所で行はれた。 新装置は高さ1.3メートル、幅と奥行きが各0.75メートルの送像機と、高さ0.75メートル、幅と奥行きが0.5メートルの小型受像機とから成って、受像の大きさは12センチメートル四方くらいで鮮やかに像が浮かび出る。 価格は両装置を合わせて千三百五十圓くらいである。 今まで、日本のテレヴィジョンと云へば、早大式と浜松式とに限られていた感があった際、こんな実用(個人用として)価値の多い装置の現れたことは日本のラヂオ界の為には大いにハラショ。 序で乍ら此の発明をした曽根有工学士は、大正15年早大電気を出て、同試験所に入り、高津所長の命によって、助手斉藤正、森友芳二郎両氏と協力して此の新装置の研究をしたものである。

◇台湾の広告放送オヂャン--新聞協会の運動によって--
前号(八月号)の本欄でご披露に及んだ台北放送協会が我が国最初の広告の放送を開始することはその節も申し上げたとおり果然問題化して、遂に中止命令が下って、オヂャンと相成った。 其の裏を聞くと東京に於いて梁田中外新報社長(日本放送協会関東支部理事)光永電通社長(新聞協会理事長)及び永井台湾日々新聞東京支局長等が、台湾総督府に向かって、ラヂオの広告放送は、新聞広告を圧迫するものと台湾総督に申請したので、六ヶ月後即ち十二月から中止と云うことになった。 6ヶ月という理由は、JFAKが既に広告主と契約し、またその為のプログラムも立て終わった為である。 此の喧嘩永くこのまま行くかどうか。 折りも折、朝鮮放送協会でも、来る十一月の二重放送を期して、広告放送をしようとしている。

◇テレヴィジョンに超短波を--近頃盛んに研究されて居る--
最近ニューヨークのエムパイヤーステートビルデイングの屋上から、光線に近い波長の電波で、テレヴィジョンが放送されて人々を驚かした。 また飛行船ロスアンゼルス号が、スケネクタデイ市の上空二千五百フィートの高空を飛行中、アデイロナックス山の小丘の所の自動車から光を聴取した。 ある自動車運転手は、其のヘッドライトの光を鏡で反射させて通信したが、これは光線を利用したラヂオ装置に成った。 洋服 屋のジョン・ベラミーは光線と音をトーキーのように送る装置を発明した。 E.F.Wアレキサンダー博士は、電波も電線も使わずに光線で、テレヴィジョンを送った。 このほか各階級の人で光線及びそれに近い波長で、テレヴィジョンを送る研究をする人が多くなってきたそうだ。

◇米国のだ大放送局続々完成--放送業者は設備改善に夢中--
強力な電波で自分の会社の勢力を張ろうと努力している米国の各放送会社の努力は、最近急に激烈になって来た。 それでも、電力は50キロワット以上はラヂオ委員会が許可しないので、其の範囲で大努力している。 最近新しく50キロワットにしたものを1-2点挙げてみると、ニューヨーク市のフラッシングにあるWMCA-WPCH局、ペンシルヴァニア州WOR,デラウエア州WCAU、WCCO局などがある。 日本放送協会が、全国鉱石化なんて、0.5キロワット局を騒いでいる間に其の百倍出力の放送局が日本の全放送局数より多く出来ている。 桁の違い方が少々度外れて居るとも言へる。

◇放送波長変更の変更の希望--欧州放送局から万国放送連盟へ--
欧州放送局から最近しきりと国際放送連盟に対して放送波長変更の希望が来ている。 それによると従来の160キロサイクルを285キロサイクルに370キロサイクルを460キロサイクルにしようと云う案である。 此の案に対して370キロサイクルを460キロサイクルになどすると、現在の商業用、自動車用、陸上局では、波長の改正に大困難を来すと反対をする者もある。 これに賛成するのは欧州でも米国でも艦船と航空に関係のある者である。 米国では目下此の問題についていろいろと研究中である。

********************
<氷室註>

名古屋無電局ご自慢の欧州向け無電塔:==これが数年前巨額の費用を使って取り壊され撤去された、4エレ1/4波長垂直2段大スタックとも云うべき有名な、東海道従来線新幹線のいずれからも見えていた、依佐美の長波用垂直アンテナ群であった。 50年以上其の威容を誇っていた。 戦後は米海軍や海上自衛隊が対潜水艦用の長波通信用に活用したが、老朽が酷く、遂に撤去のやむなきに至った。

ラヂオ電波の広告利用問題:==此処に見えるように昭和一桁時代に海外領土では、相当真剣に官営放送局と云えども資金源に広告営業が検討されたが、やろうとすれば民間新聞広告を圧迫すると大反対。 と云ってならばの放送の民営化は軍/官僚帝国主義下の日本では全く考えられないアイテムだったのです。


(C) Copyright 2003 JA2RM and JA9IFF All right reserved.