西堀流真空管語録1:「ソラ・ソラ・おしゃか!」に誰がした?

 西堀栄三郎生誕100年。南極に行っても、全国講演行脚しても京都弁と関西アクセントの抜けない山男、旧制高校魂を失わない、岩に寄りかかってその昔の「デイアボロの唄」が似合うオッサンでした。
♪ 岩に凭れて物凄い人が、、、鉄砲片手にシカと抱いて、、、」

 若い人々には通じませんかね。じゃあ、
♪ 雪よ岩よ吾等が宿り俺たちゃ町には住めないからに、、、」の作詞者は?
作曲は問うまい、西部劇「荒野の決闘」主題歌「オーマイダーリン、クレメンタイン」の替え歌。 主題歌だけに主題を急ごう。

 戦前戦中戦後の真空管全盛時代に、泣く子もだまる、マルにマツダのマツダ真空管、東芝の真空管研究室の異才、西堀栄三郎氏の真空管開発について、私がご本人から聞いた、打ち明け話の一端を、後世の為に書き残しておきたい。 このデイアボロ氏の生誕100年記念にもなろうかと思う次第である。

 巷間この人の開発に拘わる真空管として、功罪ともにひときわ名高いのはカタカナ名前の「ソラ」という真空管であろう。 アメリカのメタル管6SK7:6SH7:6AC7に対抗して、日本の軍用管にもガラス球にブリキのカバーを付けた、RH-2:RH-4:RH-8:などが作られていた。 戦局奮わず本土空襲も始まって、物資欠乏して、多種類の真空管を作ろうにも工場も材料も限られる騒ぎになって、少なくとも、空軍機には無線が必要、その為の共通仕様の真空管を作ろうと謂うことを軍部が急ぎ、FM2A05Aとソラが浮上した。

 ソラの特徴は、電源電池が寿命に近づいて電圧が、下がっても真空管の電子エミッションが続くように、フィラメント電圧が、5ボルト以下から充電直後の12.6ボルトまで、追従できてしかも断線しないフィラメントカソードを西堀さんが提案したのである。

 そのカソードフィラメントは二重構造で、断線しにくく、その上に低温でも電子エミッションの出安いアルカリ土属酸化物に特殊な稀土類を鼻薬的にドープしただけの物で何とか材料は間に合っていたそうである。 所が、東芝の研究室や研究所の工作室製のテスト用は軍の研究所で全数厳しい検査に合格したのに、7月になって、軍部から厳しいお達しで、某焼け残り工場で生産を始めたソラが、全数働かない旨の咎めで、10日以内に対策しないと軍への全部品の納入を差し止めるその場合一切の代金支払いにも応じない、と言う厳しい物であったそうな。

 軍の要請に応えて軍発行の列車乗車券を持って現地工場へ行った係員から長距離電話が掛かってきたが、蚊の鳴くような声で、内容が把握できない。 口笛モールスと耳のいい者が代わって、やっとやりとりして判ったのは、どうやら、ゲッターが、マグネシウムが間に合わず、亜鉛ゲッターが使われているというのであったそうな。

 更に軍に電話局に命令して貰って、翌日地声でかすかな声で、会話したところ、もう外から見ただけで、ゲッターは全量酸化亜鉛になって、管内に散乱し天瓜粉だらけの電極が見え、逆さにしてとんとん手のひらで叩くと白い粉と灰色の粉が、トップドームにどっと落ちてくると謂うのである。 真空ポンプが貧弱で、油拡散ポンプもうまく働いておらず、真空度を上げているのは燃焼した亜鉛ゲッターと反応した消費酸素分だけと判るお粗末さ。 これでは真空管とは言えず、勿論折角の稀土類ドープフィラメントも亜鉛が触媒毒とあって働かず、、このことを報告書に纏めて、翌日軍の調達司令部に乗り込んだそうな。 しかし肝心の部長はおらず、若い副官が応対し「そうか、、そうか、、、しかし我が国危急存亡の時、理屈とヘチマはいらん、はちまきと大和魂を持ってすべての理屈を打破すべきの時である。 マグネシウムは既に尽きた。 亜鉛で代用すべきであると軍需省の書類にある。 貴様は軍需省を愚弄する気か?」と気色ばんだだけという。

 終戦後、ソラのジャンク品どころかストック解放新品も始めから働かないと不評であった。 「ソラ・ソラおしゃか!」とはやされた。 おそらくマツダ真空管の中で、カン・マツでないマツダ独特のマークでのっけから働かなかったマツダの真空管はこの手のソラだけではなかったか。 西堀氏のこのお話で、丸っと納得がいった。 軍部は、開発者で、責任担当の東芝には一言の断りもなく、ゲッターをマグネシウムから、亜鉛に切り替えて知らん顔し責任だけを東芝に押しつけてきた、「無理編にゴジラと書くキチガイじみた集団だった」と謂うのが西堀語録にある。

 この噺には一寸だけ微笑ましいしかし悲しい後日談があったようだ。 終戦後落ち着きを取り戻した頃、京大・三高合同山岳会のOB会が催されたとき、一瞬あれ?どなたはんだっしゃろと思う顔に出あったという。 宴たけなわに、耳元で、先輩、覚えていやはりまっか?と声がしたので、振り向くとその顔がそこにあったという。 そして思い出した!その大和魂で、、、軍需省を愚弄云々を!その副官が今そこにいた。 「先輩と判っていましてん。 戦争とはどないもなりまへんですよって、、、」と。 しかし程なく「薬石効なく」の訃報が届いたという。 終戦後若い人を襲った結核の犠牲だったという。 世の中は儚く悲しい。 まして戦争は空しいと。

 

西堀流真空管語録2:ガラスは固溶液体・・・電気分解が起きる!

 何が怖いって?落語なら「饅頭怖い」でんなあ。 しかし、真空管で、ほんまに起こってほしう無かったことが起きタンやさかいに、ガクッと来まして、ガラスに対する信頼を一時無くしてましたんや。

 RCAから超短波用のエーコンチューブのアイテムライセンスを買ったときのことだという。 アメリカとの外交交渉は風雲急を告げ、ライセンス受け渡しは何が何でも国交断絶までに、全部終わりたいのに、、、と謂うのに。 当然エーコンチューブと謂えども、真空管ステムのコバール線をプレスする部分は、鉛ガラスと思って居た所、じゃあやってみなさいと謂う返事。 うまく成形でき仕上がりも美麗だが、何故かプレート電圧DC250vを掛けての実用試験で何日という単位で、超短波特性ががっくり低下してしまう。 何でだろうと皆首をひねるが判らない。 「早くしないと俺は次の船で帰ってしまうぞ」と、技師の方が焦れた。 エーコン球を抜き取って、脚の廻りのガラスを鉛筆の先で指した。 何となく黒ずんで見える。 促進試験にと思いDC450ボルトを掛けた物で続けた。 判った。 カソードの脚のプレート向いた側に黒い物が析出して、そこからプレートの脚までが段々黒ずんでくるのだった。 分析室に分析を依頼したら、分析をするまでもない、直流を掛けましたね、電気分解で鉛が析出したのですよ、と平然と言われてしまい驚いたのだそうです。 次にもっと愕然としたことに研究室の中でも、真空管の長寿命テストをしている者は既に先刻承知で、ステムの線間に黒い物だけでなく時には金属光沢を持つ物が見えることさえあり、金属冶金を習って来た者は鉛は。 電気精錬では珪弗化鉛を電解して得ると教科書に出ていますからガラスも珪酸塩ですから直流高圧では電気分解が起こっても不思議はないと思っていましたなどと小賢しいことを聞かせる始末。 やむなく、ガラス工場に命じて、石英ガラスで、エーコン管が作れるか、コバール線がプレスできるか実験を命じたという。 これを聞くと来日技師は見ろ!っとばかり合点して、次の便船を予約帰国したという。 しかし、それは容易な技術ではなかったという。 エーコン管の不良率は実にこの脚の廻りのガス抜けが主因であったようだ。 一寸ソケットが硬いだけで、直ぐガス抜けした。 本格的、ボタンステム技術が成功するのは、戦後GT管やミニチュア管の大量生産技術に待たねばならなかったという。 「工業技術は、雑学の天下とも言う」が、西堀さんの語録にある。 難しい理論より身近な雑学を応用できる形でそこら辺に広げて置けと言う。

 此処に西堀氏の貴重な反省もある。 若い頃だから、この時の小賢しい珪弗化鉛の電気分解、と思ったが、そう思うから、先輩に恥は掻かせまいと知っていても教えてくれなくなってしまう。 聞くは一時の恥知らぬは末代の恥、雑学を身につけるには大いに先輩に恥を掻かせてくれと言う姿勢が大事という。


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