西堀流真空管語録4:素人の早とちり・玄人の錯覚

 氷室註−−このシリーズでは主として、QA/QC 受講者を対象とする、西堀栄三郎氏の、講演行脚の途中の車内での講演準備の際の雑談などの間にやりとりされた、貴重なエピソードを拾い上げてみております。 講演の中にそのまま現れた物とそうでなく、若干異なる表現でご講演では話された物もあることをお断りしておきます。

 メッキ設備や、電気精錬の電解糟などでも似た現象が見られますが、アノードを両側でフレキシ・バスで、バス・バーへ繋いでいたりすると、同じ電位同士の接続であるにも拘わらず一方のフレキに電流が偏流してアノードの片焼けを引き起こし、ひいてはメッキが著しく均質を欠く結果に陥ったりしますが、ビーム管や、稀には五極管でも、プレートやスクリングリッドの片焼け現象を起こすことがあります。 ビーム形成電極や、スクリーン・グリッドは、いずれも共通の電極支柱にそれぞれ繋がれ支えられて対称形で且つ対称配置接続されているにも拘わらずに、です。支柱の脚への接続はスポット溶接接続の位置が違ったりしますが同じ脚に接続されます。

 此処で問題です。 真空管の電極設計は、プロの範疇ですが、メッキのバス・バーから先の、アノードまでのケーブル接続やフレキ・バス接続は、素人が目にすることもあり、メッキの仕上がりが均質を欠けば偉いさんが口を挟む余地が生じます。 アノードの片焼けしておるぞ、片側の締め付けボルトが色が変わるほども熱持っているジャナイか、あっち側のケーブルが足りないからジャナイか熱持つからには。 直ぐもう2本ほどもケーブルを足しなさい、ってなことになる。 現場で偉いさんの仰いますことは金科玉条。 しからばとケーブルを足すと、、、ありゃりゃ、もっとしっかり片焼ける。 プロから見れば当然の帰結。 キルヒホフの定理にもあるジャナイか。 同電位を繋ぐのに抵抗が低いから電流が偏流して居るのに電流の多い方へ更にケーブルを繋いで、抵抗を減らしておるのですからもっとそちらに偏流するようになりますわな。 偉いさんの言わはることやら聞かずハイハイとほっときプロにまかさはったらよろしい。 焼けている方のケーブル減らし焼けてない方に廻したらよろしがな。 此の解決策が変に見える内は電気の素人、と言うわけです。 12BY7と言う6AG7よりもgmの高いgm=11000-12000マイクロmhoと言う球が作られましたが、各社一斉にプレートスクリーンの片焼け問題に悩んだ様です。 現在の12BY7Aではほぼ解決しているようです。 同様に、50メガまで使える小型送信管として重宝された2E26も始めは、片焼けの多い球でした。 現在でもその傾向がある球です。 此のジャンク球は殆どが片焼けおしゃかです。 スクリーン電圧を欲張らないで控えめに使って下さい。 807級をボタンステムGTにして好感を持たれた6146も同じ運命を歩きました。 片焼けでフルに使えない憾みがありました。 これを直したのが6146Bです。 こちらはバランス良く直っています。 これがプロの技というモノでしょう。 これを真似したs-2001は2001年までは持ちませんでした。 後継管として設計されたS−2002は2002年になっても現れませんでした(6146B級のコンパクトロン管化)。 玄人の錯覚で問題が解決できなかったようです。 素人の早とちりは、プロが見ればたやすい解決だが、玄人の錯覚はプロも同じ錯覚に填りやすく、なかなか狢の穴から這い出せないことがあるらしい。 虫眼鏡で見るだけでなく、少し離れて、お茶でも呑んでいた方がいいかも、と。 昔からの教えにも、下手な考え休むに如かず、と。

 第一次南極越冬隊長を買って出た西堀隊長は、一番心配だったのが、国産の鉄鋼材で未知の南極のブリザードの極寒の中で本当にテスト通りの抗張力を発揮してくれるのだろうか、別に更なる安全係数を見ておかないと行けないのではないか悩んだそうです。 当時自動車用深絞鋼鈑は国産化出来ず、100%輸入に頼らざるを得ない状態でしたから誰も胸を叩いて保証できたりその言い分を鵜呑みに出来たりは出来ませんでした。 果たせるかな、越冬に入ってブリザードがやってきて一晩中基地の合板木造建家のタイロッドが、猛烈な合板木材の軋み音と別に、チチチ、、、チチチと泣き出したときはホントに泣き出したい想いで、隊員達と一緒にまんじりともせずに夜を過ごし、ブリザードの収まるのを待って、皆睡眠不足なのに、命令して、タイロッドの増し締め作業をさせたのだそうです。 睡眠不足の儘食事を取らせて満腹感で眠らせると必ず食欲不振を起こし、益々睡眠不足-食欲不振の悪循環に陥る可能性があり、疲労困憊で、風呂なりシャワーを浴びて、寝るようにさせていたが、それでもブリザードが来るのが頻繁で、隊員一同大いに此の合板建家やタイロッドの軋み音の凄まじさには悩まされたらしい。

 此の報告が、極低温用高抗張力鋼の開発を急がせた筈なのだが結果的には自動車深絞り用鋼鈑の国産化に先に役立って、軋みは建家の設計自身を根本的に見直して変えて抜本的に音の出ない、ブリザードが来ても安眠出来る建家にする事で、解決していったということです。 設計上ではそれがブリザードの中で軋むかどうかは予測できない時代から、何が何でも予測してブリザードの中でも安眠出来ますと保証して貰わなければ採用しない時代に突入してしまったというのです。 これが南極越冬器材についての品質保証の事始めだったという話です。

 

爺怪説:予測理論と不測の事態

 昨年度の文化勲章受章者、どんな方だったか覚えていらっしゃいますか? たとえば、予測理論の東大名誉教授、近藤次郎さん。 ご自分の予測理論は、ご自分のことは当たらないと仰言った。 八卦見や手相見の占い師も自分の卦が見えれば今頃八卦などは見ていないと言うのに同じ。 「思いがけず」文化勲章を貰われたようです。 これが予測理論の実体だ、現状だと云ってしまえば身も蓋もないのですが。

 予測と言うこと、明日のことは判らないし明日は明日の風が吹く、と言うが、ただ判っているのは明日は今日の次に必ずやってくる日であって、身近なモノだし、近未来も、未来も、その積み重ねであろうことに変わりがない、とすれば、身近はそれなりに遠のくが、推計学やORの手法に情報解析を組み入れ演繹してのデーターを有効活用することによって、かなりの精度で、予測することが可能になってきたようです。

 自分のことは当たらない、、、の大部分は情報解析に際して、欲得が入ってきて、そのデータの取り扱いに私情が入ってしまうことによるらしいが、原始データーから他人に取らせたらじゃあたとえば、近藤名誉教授が、2002年の文化勲章受章が他人が予測出来たのは何年前だったか、と言うことも研究しておく必要があるらしい。 小柴さんのノーベル賞受賞は、廻りの人の間では、5年ほど前から5年後くらいにはきっとと言っていた人が随分居たらしい。 これはデーターと言うより寧ろ、ニュートリノ天文学へのその検出方法が、水際だって見えていたからに他ならないでしょう。 廻りの人々の欲得とは言わない期待勘が言い当てさせたモノでしょう。

 今はどっちが有名でしょうか、数学者?大道芸人?と言えば、ピーター・フランクルさんですが、数学の、いろんな事態や場合への応用に素晴らしい才能を発揮されて居るようです。 15年ほど前まではフランスに居られました。 実に幅広く、且つ自在にいろんなことに数学を填め込んでいくあのフレキシビリテイーにはただ驚嘆の他はありません。 そうかと思うと、教育テレビの番組で、日本語を流暢に駆使して、実に子供達にわかりやすい論法で、算数や数理の解説をしている。 私も子供の頃こんな先生にこんな方法で算数を習ったら、もう少し真面目に数学に取り組めたのにもっと身近に数学を置いて置けたのに、、、と思いました。 大昔の日本では学者は、子供や素人を決して近づけなかった。 今もその気風が残っているように思う。 なのに、大道芸人よろしく、巧みな論法で、子供達を算数の虜にしてしまう。 身近に置いてしまう。 来日して、4−5年目にもう雑誌の要望に応えて、漢字交じりの日本語で、コラムをもたれた。 ハンガリーへ住み込んで4-5年で、何でも好きなことでいいからハンガリー語で雑誌に毎号書いてくれないかと言われて、出来る日本人が何人居るだろうか? 「数学のことでしたら、、、」とやってのけたこの人の脳味噌は半端じゃない。 大道芸でジャグリングを手玉に取り、数学を手玉に取り、日本語をも手玉に取りと言えば表現は悪いが、そのくらい軽々と脳味噌を効率よく回転速く、色々なことに使い捲っているという風に見える。 桁違いですわ。

 此の手の、フランス人の桁違い脳味噌、いわゆる若いエリート日本研究者が5人、5年以上日本に住み込んで調査研究予測し、1990年に21世紀の日本の未来を、これはフランス語で発表している。 日本の雑誌の21世紀予測特集号に日本語で、1991年の春に紹介されているからお読みになった方も多いことかと思うが、採録しておく。

 それによると日本の、政治制度や、社会制度は2015年までは大きくは変わらない、と言うか変えられまい。 ただ少子化は景気に関係なく進み、外国人の流入が戦争のあるなしに関わりなく漸増するだろう。 日本に於ける、日本人と流入外国人の発言力は個人あたりでは圧倒的に日本人が口数が少ないので、外国人種の発言力が伸びて行くことになる。 早ければ2015年遅くても2018年頃までには発言力の大きさが匹敵しそうになるだろう、こうなると日本国では済まされなくなり、共和国制が云々されることになるだろう。 それまでの4半世紀が日本の正念場となるだろう、政治は硬直化し諸税は増税の一途となり民心は政治を離れ、社会不安は増し、道徳は乱れ、景気は低迷、アジア生産力に席巻されかねない。 これが前出の外国人定住者の発言力をヨイショする事になって、次の4半世紀中には好むと好まざるに拘わらず、日本共和国に移行し、大統領選挙制となる。 韓国に後れをとること約一世紀。 漸く、道徳の復活、町をゴミの山から救おう、と言う運動が始まるだろう。 此の国は間違いなく墜ちるところまで墜ちないと立ち直れない。 指導者が次々一層日和見であって改まる筋が見えない。

 日本の雑誌の紹介では大分粉がまぶしてあった。 予測理論による日本の将来は間違いなく共和制による雑種民族国家になってやっと立ち直りの兆しを見せるのだとの紹介は省いては居なかったが。 去る3月10日東大安田講堂で行われた近藤次郎名誉教授の講演では、まだまだ近未来でも「不測の事態」で予測が正反対ほども外れることはあるそうだから、今の日本は不測の事態を宛にするシカまともな国にはなれないのかも。 どうする、お歴々。近藤名誉教授にもお聞きしてみたいモノです。

 

パピイの昔語り:尾張野の英雄達

 「英雄嘗て野にいでて、歴史を飾る尾張野や、、、」と米語詩人ヨネ・ノグチ(野口米次郎:彫刻家イサム・ノグチの父)によって謳われた尾張野に現れかなり偶像化された男は、太閤にまで上り詰めても尚、サルと陰口をきかれた秀吉ではないだろうか? コキ使った部下共に論功行賞領地を迫られ、六十余州では足りぬと、検地を厳しくしても尚足りず、フンナモン、海の向こうにぎょうさんあるぎゃあも!、、と自分ではよう行かず小西行長に命じて隣国を侵略しに行ったが、虎と冬の寒さに、尻尾を巻いて帰りそうになると、蛮勇男の加藤清正をやって虎は何とか退治したが、冬は寒いという小西には、鷹の爪のピリカラ唐辛子を大量に持たせただけであった。 現在、韓国で、大量消費*)されている唐辛子は、この時小西軍が、かの地の人たちに教えたモノなのだそうです。 そういう小細工に長けたケチな男であったようです。

 その少年時代の話はあとから作られたモノのようですが、まんざら真っ赤なウソ(ハングル語でもセッパルカン、コウジンマル「ホントに真っ赤なウソ話」と言う)ばかりでもなく当たっているようだが、最近異な事も調べて判り始めている。

 市制施行50年を済ませた津島市のホーム頁にもあるように、織田信長がはい刀と木瓜紋を贈って信心した程の津島神社の神官家の一つ、堀田家の古文書に、サルと呼ばれた小器用だが時々大言壮語する少年が奉公していた時期があることが判り、落語の「垂乳根」じゃないが、我が母33歳の折、或る夜日輪の腹に入るを夢見て身ごもり、十月十日の月満ちて元旦に生まれた我は、、、と、朋輩に言っては威張っていたという。 差配に注意された折りに、俺は大望を抱く身と、堀田家を辞したあと、暫くして針売りとして一丁前に売り込みに訪れた旨の記載もあるとか。

 一方、私の旧制中学・新制高校を通じての級友で、銀行員として定年後も努めながら、尾張野に於ける蜂須賀小六の行動伝承を克明に追っている男が居る。 現在地方のミニコミ紙に連載中だが、彼によれば、蜂須賀小六と日吉丸が矢作川の橋の上で、遭ったというのは完全に作り話。 当時矢作川の橋は氾濫で壊されて、掛け替えのため数十年という長年に亘り取り外されていたというのである。 しかし、針売りをしていたとすれば、日がな一日宵にまで、針の売り込みに、この尾張野を隅から隅まで歩き回っていたであろうから、何処かで、野武士・群盗のたぐいの小六グループとも尾張野の北のはずれあたりでやり合っていないとは限らない、と言うことだそうだ。 そして、大言壮語して織田が斉藤を攻めることがあれば、よろしく、俺が金はないが知恵を貸す、お前は子分と力を貸せ位は言った可能性はあるだろうと指摘する。 そしてそれは間もなく現実となったのだった。 織田の西征にこの二人が組みしたのは可成りの力だったようだ。

 余談だが、蜂須賀の地名もあった美和町に、篠田という森も残っていて、此処も、葛の葉の狐伝説があった所。 惜しむらくは、深草の少将を誑かしたが、不覚にも狐と正体を見せてしまった葛の葉ははっきり地名を歌に残しているので紛れはない。
「恋しくば  訪ね来て見よ  和泉なる  篠田の森の  うらみ葛の葉」
残念ながらこちらの篠田の森にはコーンのであります。

 人間の体内時計は個人差が大きく、最近の学説では、人間に必要な睡眠時間は、個人によって、4時間ぐらいから11時間ぐらいのカイ二乗分布を示している由で、有名人で分布フリンジにいたのは、相対性原理は夢の中で見たアインシュタインの11時間と、発明王トーマスエヂソンの4時間という。 エヂソンの弟子共は4時間寝ると必ずエジソンに叩き起こされたという。 徳川家康が10時間組で、信長・秀吉は4時間組だったらしい。 加藤清正は、ナポレオン並みの3時間で気性が激しかったとのことです。 清正公モこの地の生まれで、少年時代、野武士の群を追うのに井戸に隠れて、天狗の面を着け、急に飛び出して驚かせて追い払ったという天狗の面が、津島市に残って伝えられています。 昔は毎年秋に清正公様祭りと言って、この面を被って練り歩くお祭りがありました。こういう伝承がドンドン消えていくのは寂しいことです。

 

*)赤唐辛子の韓国への輸出国: 香港:中国:ベトナム:台湾:マレーシア:等。


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