戦前の国際的拉致事件:浅間丸事件(5):妥結に向けて解決案(最終回)

 法的解釈を云々すればきりがない、法理論を展開すれば折り合うすべはない。 いわゆる、智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、とかくこの世は住み難いじゃないが、交渉は行き詰まるかに見えたが、裏の思惑が働いたか事態急転して解決案が飛び出しこれを英国側が条件付きで検討することとなった。 更にほぼ原案で、受諾、引き渡しドイツ人が高級船員を除く点で日本側が手間取ったが、、、結局当面果実ありとして進捗。(残念ながら新聞スクラップ欠除)

 [ドイツ人一部引き渡しで妥結]
 =(昭和15年2月4日 東京日々(夕刊))=
  2日夜の谷・クレーギー会談で浅間丸事件に関する日英交渉は、既に既に両国政府の政治的見解が出尽くし最終的折衝の段階に立ち至っていたところ、2日午後11時、クレーギー大使は外相官邸に谷次官を訪問、本国政府の訓令に基づき別項の如き解決案を受諾することを明らかにしたので、引き渡し漏れとなるドイツ人(高級船員)に対する交渉を残し、22日外交折衝が開始されて以来約2週間で、さしも難行が予想された浅間丸問題は一応解決することとなった。 世って有田外相は3日正午、院内において吉田海相と最後的打ち合わせを遂げ、直ちに米内首相と面会して事件解決の経過並びに結果を詳細報告した。 なお、日英両国政府の法理的見解を明らかにした公文は、右解決の顛末とともに4日午後、東京及びロンドンにおいて同時に発表せられることとなった。
 [解決案骨子]
 浅間丸事件に関し日英間に成立せる解決案骨子は次のごとくである。
 1.英国政府は浅間丸臨検の措置に関し、文書をもって遺憾の意を表明すること。
 1.帝国政府は将来交戦国人の本邦船乗船に対し特別の考慮を払うこととし、英国政府は本邦船に対する臨検を行わざる方針を執ること。
 1.浅間丸の抑留ドイツ人中、下級船員(下士官)及び兵籍に関係なきものは、英国政府より帝国政府に引き渡すこと。 なお引き渡し漏れとなる抑留獨人(高級船員)に関しては、帝国政府は今後とも引き渡し交渉を継続する方針を堅持するものである。

 [法解釈は日英対立の儘、交換公文発表]
 =(昭和15年2月7日 東京朝日)=
 浅間丸事件に関する日英交渉は英国政府の2月5日付際回答公文によって解決の一段階に到達し、有田外相は6日の議会で交渉経過並びに日英諒解の内容を説明し、かつ日英両国政府では同日午後五時(日本時間)、東京及びロンドンで日英同時声明の形式で両国の交換公文を発表し、兎も角事件はこれを以て一つの解決をもたらした。 しかしながら帝国政府としては決して拉致獨人の引き渡しを9名に譲歩したのではなく、なお公正、妥当なるその法的根拠から21名全員の引き渡し要求を堅持しているもので、この点については2月5日付英国政府の公文に対する回答公文の形式で、適当の機会に帝国政府の見解を更に、英国側に通告することとなろう。
 なお日英諒解の要点は既報の通り
 「1. 英国政府は先ず遺憾の意を表明し、
  2. 21名の内から9名を返還し、
  3. かつ日英両国は、浅間丸事件の如き遺憾事を繰り返さない様に相互に友好的措置を講ずる」
 の三点からなっているが、その内最も重要なる拉致獨人の内9名の引き渡しは、日英両国間に引き渡しの時期及び場所を打ち合わせの上で、成る可く早く実行されることになるであろう。(後略)

 [近海での英艦行動は不愉快, 海相言明]
 =(昭和15年2月18日 東京朝日(夕刊))=
 吉田海相は17日の衆議院予算海軍分科会において小山亮氏(時同)の質問に答え浅間丸を臨検した英艦はリヴァプール型であると明言した。 小山氏は浅間丸事件に関し、「浅間丸の船長が英艦を認め停船を命じられた時、何故鎮守府なり館山の航空隊なり、軍令部に打電して指令を仰がなかったかとの非難が国民間に強いが、もし仮に浅間丸の船長が無電を以て海軍当局に指令を仰いだとしたら、いかなる処置をお採りになったか。 又第二、第三の浅間丸事件が起きぬとは断言出来ぬが、今後の場合に対してはいかなる態度を持って臨むつもりか。 公海とはいえ日本の重要作戦圏内日本近海に艦名、艦籍の判らぬ怪軍艦の出没するのは、国民として危惧の念を禁じ得ないし、又公海とはいえ英国が敢えてかかるかかる近海で臨検、拿捕の挙にい出るは、我が国に対する挑戦的態度と思うが、如何?」と訊したのに対し、吉田海相は「浅間丸の船長が艦影を認めて、それを回避するために打電すれば、打電したことが拿捕の理由となるもので、拿捕を免れるために打電しなかったことは十分認められねばならぬ。 又打ったらどうしたかというご質問だが、飛行機が飛んでいっても降りるわけには行かず、軍艦を派遣しても現場は事件のすんだ後だったろう。 日本近海に怪軍艦が横行すると言われたが、怪という字の付いたものは一隻もなく、皆判っている。 浅間丸を臨検した英艦は自分の見るところでは、リヴァプール型(英国の最新式乙巡型、9100トン、6インチ砲12門、時速35ノット、バーミンガム号等がこの型に属す*註)であるが、公海とはいえ玄関先でやるのは、法的はともあれ面白くない。 非礼であり非友誼的である。 今後は法的に拘泥することなく、実質的に処理する考えである。」と海軍の毅然たる態度を表明した。

 *氷室註):イギリスの、戦後まで生き残った最新鋭の巡洋艦:ベルファーストの写真を添付しました。 残念ながらこの本文の内容とは直接の関係ありません。 (これは多分「甲巡」)TNX JA1AEC

 [抑留ドイツ人9人の受け渡し完了]

 =(昭和15年3月1日 東京日々(夕刊))=
 [横浜発] 既報、郵船浅間丸から英国軍艦に拉致されたドイツ人船客、油槽船船長ヘルマングロース氏以下21名中、今回わが方に返還されることになった9名のドイツ人は29日午前8時半、英国仮装巡洋艦カニンプラ号(10,985トン)によって香港から横浜港外に到着し、同艦上で受け取りに出向いた外務省山田欧亜第二課長にたいし、英国大使館付海軍武官タフネル大佐立ち会いの下に引き渡された。 去る1月21日、浅間丸事件発生以来40日目、英国政府が去る5日付公文をもって返還引き渡しを帝国政府に通達し来たってから25日目である。 かくて全国民を憤激せしめた浅間丸事件解決の一段落たる9名のドイツ人引き渡しは、ここに実現したわけである。 (中略)

 [獨横浜総領事へ身柄引き渡し(横浜発)]
 英艦カニンプラ号から午前十時、感激の上陸第一歩を踏みしめたドイツ人9名は、直ちに横浜税関港務部長室に入り、約2時間に亘りドアを密閉したまま受け取り使山田外務省欧亜局第二課長のがドイツ人の身分その他について、詳細尋問を行い、午後零時半、漸く完全に引き渡し手続きを完了、ドイツ大使館マルヒターラー書記官立ち会いの上横浜駐在のゼールハイム総領事に対し、山田課長から正式に引き渡しを終わった。 大任を果たした山田課長は語る。

 「今朝八時半、カニンプラ号に赴き、艦長室でタフネル大佐立ち会いの下に艦長ゲッテイング大佐からドイツ人9名の引き渡しを受けた。 パスポートと本人を一人一人対照して、9時過ぎ引き取りを終わったが、携帯品などがあるので案外手間取ったが、艦長の応対は非常に親切丁寧であった。 上陸後、港湾部長室で、今一度、本人の身柄、旅券、所持している書類、金などを一々照合して取り調べた上、獨大使館のマルヒターラー書記官の立ち会いでゼールハイム総領事に身柄を引き渡した。 浅間丸から拉致されて香港に着いてから、香港の対岸九龍のラッサアル大学の校舎に臨時に充てた捕虜収容所に今月23日まで収容されていたそうであるが、食事など待遇も案外良く、皆思ったより元気でした。 23日、9人の者を呼び出して、これから日本へ行って引き渡しを行う旨申し渡されたそうだ。 兎に角引き渡しが円滑に終わってなによりだ。 外務省としては、残る12名の釈放も引き続き要求することになるだろう。」と。

 既に日本は、ドイツとは、日独伊防共協定で親密な関係にあり、為に、ロジカルには英国の法理論に一理ありと思っても、それを避けて、ドイツへの手前ごり押しを試みたようである。 残念ながら、これ以降に新聞記事は見あたらない。 世論も一応収まって水面下で処理されていたのであろうか。 前述の註のように、東郷平八郎が国際法を楯に、日清戦争時、清国兵を満載した英国船舶を撃沈した先例(東郷の拡大解釈とも言われたが英国はしつこくは追求せず)があり、対英的に日本は必ずしも強い立場にはなかったといえるが。(終)

 

童謡・童話知りいず(4):雨情と本居長世・白秋と山田耕筰

 30億8千万個の異なる核酸分子配列の並び方、ヒトゲノムは同じでも、その人となりはなんで恁うも違うのか、その結果、組み合わせによって、佳いモノは佳い、が出来上がってしまうらしい。

 前回、満蒙教育会に関連して、2つの佳いモノは佳い、を紹介しましたが、これらはいずれも、九州柳川の詩人、途中全盲になりながらなお色鮮やかな詩を書き続けた、北原白秋作詞、そして何故か、白秋の詩を好んで作曲した、レオニード・クロイツアの弟子と言うより兄弟弟子と言うべき山田耕筰の作曲が2曲。 大正から昭和にかけて、童謡の沢山のコンビの中でも、このコンビの打率は出色のモノだったでしょう。 ん打率?だって?、だって歌謡曲だってフォークだって、歌をバッと出して当たればヒットだって言うんだから、当然打率に決まってるじゃん? 何が問題だって言いたいんでしょうか?

 大正も二桁に入った頃から山田耕筰の活躍が始まりました。 先ず不朽の名曲となった三木露風の詩「赤とんぼ」に曲をつけて好評。

 ♪夕焼け、小焼けの 赤とんぼ
  負われて見たのは いつの日か。

 ♪山の  畑の  桑の実を
  小籠に摘んだは  幻か。

 ♪十五で、ねえやは 嫁に行き
  おさとの たよりも 絶え果てた。

 ♪夕やけ 小やけの あかとんぼ
  留まって いるよ 竿の先
  =「樫の実」(大10.8)

 この前後、童謡作詞の大量生産の筆頭は、野口雨情、作曲は本居長世とのコンビが多 かった。 歌詞が焦って、よく判らないが流行った第一作が、「七つの子」、一般的日本語で は、「私には七つの子がある」と言えば誰が読んでも聞いても、七歳の子供がある奥さんか、となるのが常識。 その常識にどうも反した歌詞ですねえ、このカラスの歌は。 カラス7歳にしたら、子とは言えず、玄孫の子ぐらいがいるでしょう。 「可愛い七つの子があるからよ」ってどういうつもりでしょ? カラスの勝手でしょ!って言われても仕方がない歌なのです、元々。 このほか、この売れっ子の童謡詩人は作詞上などで、チョンボが多いです。 指摘されて「これはついうっかりでやんした!」と有名だったそうです。 「波浮の港」でも大チョンボ。それは又の楽しみにして先ず、七つの子。

 ♪カラス、何故鳴くの、 カラスは山に
  可愛い 七つの子が あるからよ

 ♪可愛い 可愛いと カラスは鳴くの
  可愛い 可愛いと 鳴くんだよ

 ♪山の古巣に 行ってみてご覧
  可愛い目をした いい子だよ

  =「金の船」(大10.7)

 もう一つ、二つ。先ず「赤い靴」

 ♪赤い靴はいてた 女の子
  異人さんに連れられて 行っちゃった

 ♪横浜の 波止場から 船に乗って
  異人さんに連れられて 行っちゃった

 ♪今では 青い目になっちゃって
  異人さんのお国に いるんだろう

 ♪赤い靴 見るたび 思い出す
 異人さんに遭うたび 考える

  =「小学女生」(大10.12)

 「青い眼の人形」

 ♪青い眼をした お人形は
  アメリカ生まれの セルロイド

 ♪日本の港へ 着いたとき
  いっぱい 涙を浮かべてた

 ♪わたしは 言葉がわからない
  迷子になったら なんとしょう

 ♪やさしい 日本の嬢ちゃんよ
  仲良く 遊んでやっと呉れ

  =「金の船」(大10.12)

 と言う具合に。 この青い眼の人形は、尾崎東京市長が、ワシントンのポトマック河畔 にもソメイヨシノを並木にして植えたらいいだろうとワシントン市長に桜の苗木を送ったのに対して、返礼として、日本の女の子達にと大量生産され始めたセルロイドの人形が大量に全国の小学校の全クラスに行き届くほど、送られてきたのでした。 これを記念して、雨情が作詞し、このコンビで、全国で歌われたわけです。

 一方、白秋と山田耕筰が始めてコンビを組んで、歌曲として今も残る一番古いのは「かやの木山の」と言うのでしょう。 かやの木ってわかります? 囲碁の名人戦など、本物の座机の高さほどもある高級正式碁盤は、このかやの柾目材で作られます。 でっかい真っ直ぐな巨木です。

 ♪かやの木山の かやの実は
  いつかこぼれて 拾われて

 ♪山家のオ婆サは 囲炉裏ばた
  粗朶たき柴たき 明かり点け

 ♪かやの実かやの実 それはぜた
  今夜も 雨だろう、

 ♪お猿が鳴くだで もうお寝よ

  =「童話」(大11.10)

 この後、不朽の名曲、「からたちの花」が発表されて評判となり、このコンビは不動のモノとなったのでした。 童謡と言うべく、節回しはよく似て非で、繰り返しに乏しく、覚え難いのですが、一旦覚えれば、これが結構グッと来ます。 現在では当然のごとく歌曲扱いです。

 ♪からたちの 花が咲いたよ
  白い、白い、花が 咲いたよ。

 ♪からたちの トゲはいたいよ
  青い、青い、針の トゲだよ。

 ♪からたちは 畑の垣根よ
  いつも、いつも、 通る道だよ。

 ♪からたちも 秋は実るよ
  まろい、まろい、金の玉だよ。

 ♪からたちの そばで泣いたよ
  みんな、みんな、 やさしかったよ。

 ♪からたちの 花が咲いたよ
  白い、白い、 花が咲いたよ。

  =「赤い鳥」(大13.7)

 野口雨情は相変わらず、「あの町、この町」「ウサギのダンス」「証城寺の狸ばや し」など単打量産が続きました。 この間を縫って、不朽の名作、中村雨紅の「夕やけ小やけ」((作曲)草川 信)が空前の大ヒットします。 八王子の西北の、徒歩一時間以上かかる山村育ちの雨紅が、赤羽近くの学校に勤務していて、週末を実家で過ごし、日暮れ前、八王子へ降る峠から、山のお寺の鐘の音に触発されて、フッと浮かんだ詩想だったと言います。 赤羽の下宿に帰り着いたのは、小鳥が夢を見るどころか、子どもも大人も夢を見る頃だったと言うことです。 汽車、終列車、の時代です。

 ♪夕やけ 小やけで 日が暮れて
  山の お寺の 鐘が鳴る
  おテテつないで 皆帰ろ
  カラスと一緒に 帰りましょう

 ♪子どもが 帰った 後からは
  丸い 大きな お月様
  小鳥が夢を 見る頃は
  空には キラキラ 金の星。

  =「新しい童謡(一)」(大12.2)

 丁度この月、現在、かなり見直されている、薄倖の女性詩人金子みすずの「大漁」が、「童話」(大12.2)に発表されましたが、「濱は祭りのようだけど/海の中では何萬の鰯の弔いするだろう」のくだりが、賛否両論あり、誰も曲を付ける者無く打ち捨てられた儘となりました。時代の流れですね。 (続く)


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