JIM HALL Maniacs

since 2001/12/01

Jim HallがMiles Davis にさそわれていた?


 Jim HallがMiles Davisにさそわれていたらしいとのインタヴューを、 WEBサイトで読んだので紹介する。

 String jazz magazineのChris Burden氏が1996年1月にインタヴュー した最後の方に、下の様なくだりの応答がある。CBはChris Burden氏、 JHはJim Hall。
 尚、String jazz magazineは、既に廃刊である。

CB  Is there any one you'd particularly like to record with and haven't yet done so?

JH  I'm not sure about that. I regret that I never got to play with Miles Davis even though he called me a couple of times.

 どうであろう?Milesより数回さそわれたが、一緒に演奏できずに、残念であると 読み取れる。但し、この前後の文脈には、いつ頃かが書いてない。そこで、いつ頃なのか を、勝手に妄想してみたい。

(追記 2008 05 06) 2008年にJH来日時のインタビューが、 粟沢博幸氏によって行われ、ギターマガジン2008年3月号に掲載されました。 で、結論を言えば、1965〜1967年頃、電話でレコーディングに2回程、誘われたとの事。 丁度病み上がりで、ツアーを止めてTVの仕事をやっていた頃。ジョージ・ベンソンを 代わりに推薦したとの事。で、1968年発表の「Miles in the Sky」には、ベンソンが入った トラックがある。この時、オファーを断ってなかったら、どうなってたのでしょうか? 又、妄想のネタが増えましたが、一つ謎が氷解しました。以下は、2002年時点の妄想を初出の侭、アーカイブしておきます。

 Jim Hallは、1960年代初めに、活動拠点を東海岸に移している。初リーダーアルバム は1957年だが、2作目は11年ブランクの後、1968年ヨーロッパツアーの中で録音している。 それまでは、エポックメーキングな録音にサイドメンで入ったり、Rolins、Desmond、Farmer 、のバンドの実質的には双頭バンドといってもいい役割を果たしているのだが、自己のコンセプト を実現するバンドのリーダーとは、なりえなかった。むしろ、No.2の役割の中で、自己の 様々な可能性を、模索している様にも思える。

 2作目、3作目は、その同時期の他のギターがリーダーであるアルバムと比べると、 サウンドがかなり斬新で、画期的である様に思う。Jim hall in Bellinの"Up up and away"にみる、表現 の方法は、ギタートリオとは思えないほどのサウンドで、今、聴いても新しく感じる。

 本格的に、リーダーとして自己のコンセプトを前面に出せ、世間的にも 容認されだしたのは、1975年の"Concieto"がブレークしてから以降である。1980年代、1990年代、 地味な佳作もあるが、聴き込めば聴き込むほどに奥が深い。ストリングセッションの作曲(クリーブランド音楽院の頃の曲や新作)、 中編成のオーケストラの編曲、若手との共演等手口を変えているが、基本的には変わってない様に思えたり、 変化、進化している様にも思える。自身は常に進化したいとの表明をしているが、ベースに何故か Charlie Christianが見え隠れする。どこか、Milesの手口と似ている様な気がする。

 一方Milesは、1950年中期より、自己のグループを、1940年代のParkerのグループの編成と同じく、 Quintet(2管プラスリズム隊)様式で1960年代末期まで統一している。1959年が"Kind of Blue"、1963年 よりShoterが加入した黄金Quintet、1969年が"ビッチェスヴリュー"。以降フュージョン フォーマットで初期はRock,Blues色の濃いギタリストが加入。1975年から1980年まで活動休止。 休止状態以降は、Jazzの最先鋒ではなくなった。1980年から1985年迄はギタリストは Mike SternとJohn scofield、その後数点アルバムを残すが、1991年に永眠した。

 1970年代初頭に、Milesのグループが来日した時の公演を見に行った。確か、Reedは Dave Lievmanであった。ワウワウ、ファズの効いたツインギターにエレベ、前半1曲、 後半1曲であった。それぞれの1曲はMilesの指揮のもと、途中でリズムチェンジがあり、曲の色合い が、次々と変化するものであった。黄金Quintetから"ビッチェスヴリュー"へと移行 していたのは、知っていたが、相当の戸惑いがあった。まあ、プレステッジセッション や"in Tokyo""in Europa"のMilesを目撃しに行ったと言った方が正解だろう。数年後 同じホールでカウントベイシーオーケストラを見た時の、フレディ・グリーンのノーアンプ のカッティングギターの方が、インパクトがあった。

 さてMilesは、どの時期にJim Hallに声を掛けたのだろう?インタビューの時期が1996年 という事もあり、1985年以降、永眠するまでの時期しか、もはや入り込む隙はないではないかと 思っていた。どんなアルバムになっていたのであろうか?"My Funny Vallentaine"をDuoでやったの だろうか?マーカス・ミラーが絡むのだろうか?8Beatも当然やらねばなぁなどと妄想していた。

 ある日、前頁に紹介した"ジャズギターの探検"をパラパラとめくっていたら、こんな部分に遭遇 した。"ビレッジ・バンガードに対しては特別の思い出と感情を持っている。------リー・コニッツ とデュオをマイルス・ディヴィスのグループとチェンジでやってたこともあるし-----"

 むむむむ!!!!1967年にKonitzの"Duo"というアルバムがあり、2曲Jim Hallも演奏している。 が、その前に、Jim Hallが1960年に東海岸に活動拠点を移してすぐに、 ビレッジ・バンガードでマイルス・ディヴィスのグループとチェンジでKonitzとのギグをやっていたのだ。 1960年頃は、マイルスのグループはコルトレーンが抜けて、ウェイン・ショーターが入る前で、 Saxを色々と変えていた時期ではないか!
 むむむむ!!!!もしかしたらこの時期ではないか!むむむむ!!!!

 ということは、もしMilesと共演していたら、RolinsとのQuartetはどうなるのだ?Art Farmerは どうなるのだ?Jim Hallは急速調は苦手だぞ、Hancockみたいな展開は無理だぞ。Pianolessで やるつもりだったのかなぁ?1975年の"Concieto"は実現してないかもしれないぞ。そうするとJazz 史の展開が変わっていたかもしれないぞ!

 と、激しく妄想に入ってしまった。ともあれ、共演しなくてよかったのかもしれないと思う今日 この頃である。どなたかご存知のかたはご教示ください。

 さて、このインタヴューはほかにも、最初のリーダーアルバムの録音に関して、Drumが オーバーダブされていたことに関するコメントや、引退の予定はありますか?というような 不躾な質問、ギターやアンプに関する質問事項等、大変興味深い。興味のある方は、Dave Gould's Guitar Pages のH.P(http://www.gould68.freeserve.co.uk/default.htm)にアクセスしてJim Hallの項より たどってみては、いかがですか?

(2002,01,12.)(追記 2008,05,06)