JIM HALL Maniacs

since 2001/12/01

Jim Hallの足跡を大雑把に3期に分けてみる。

 Jim Hallの約半世紀に及ぶ足跡を、少し距離を置いて、眺めてみると、大雑把に 3つに分けてみたらどうだろうかと、何となく考えていた。そういう風に、簡単に 分けられるものではないのは、承知の上で、敢えて試みてみようと思います。賛否両論は、あろうが、 とりあえず、暫く、家主の妄想に耳を傾けてください。

 そこで、下の、3つの期間に、大雑把に分けて、改めて、その時期のアルバムを、 聴いて見て下さい。成る程、そう言われれば、そうだなぁと段々思うかも知れません。
 1)発心・修行期  1955--1968   25歳--38歳
 2)開花・修練期  1969--1989   39歳--59歳
 3)老練・熟成期  1990--2002   60歳--72歳
 少々、命名が、大層ですが、ご容赦、ご勘弁ください。

 1)発心・修行期  1955--1968   25歳--38歳

 25歳のHall青年は、自分の将来の事に、関して重大な決意をします。当時の事を、述懐 している部分を、原文のまま、紹介します。既に、チャリー・クリスチャン、ジャンゴ・ラインハルト のプレイをレコードで聴き感銘を受け、この決意の後、友人と共に、サンフランシスコへと 旅立つわけです。

"I played guiter on weekends but wasn't all that involved in jazz.I thought I was going into classical composing and teach on the side.Then halfway through my first semester towards my master's degree,I knew I had to try being a guitarist or else it would troble me for the rest of my life."(Lushlife.com-Jim Hall Biographyより)

 いいですねぇ、特に後半の or else it would troble me for the rest of my life の ところなぞ、グーッときますねぇ!ここが、Jim Hallの原点です。温厚で、柔和な風貌に反して、 強靭な意志を貫いて歩いてくれたお陰で、その恩恵を私たちが、享受できるわけです。

 この時期は、サイドメンとしての役割に徹し、貴重な経験と、自己の個性が確立されていく。
・チコ・ハミルトンのグループで、ウェスト・コースト・ジャズのエッセンスを、
・ジミー・ジェフリーのグループで、ドラム、ベースレスでのリズム・キープの重要性を、
・ソニー・ロリンズから、曲の解体と再構築の方法、及び、奔放さと冒険心を、
・ビル・エバンスから、ナルシズムとリリシズムとディレッタンチズムを、
・ポール・デズモントから、アドリブラインのミニマリズムを、
・アート・ファーマーからは、リリカルなストイシズムを、
知らず知らずに、体に沁み込ませていったのでしょう。

 他にも、、ジェリー・マリガン、ズート・シムス、リー・コニッツ、 ジョン・ルイス、スタン・ゲッツ、ソニー・スティット、ベン・ウエブスター、ハンプトン・ホース、イブ・モンタン、 エラ・フィッツジェラルドらと共演、現在入手不能なアルバムを含め、少なからずの 録音に名脇役として、名前をクレジットされている。クールでコントロールされているが、 1960年以前のHallの演奏には、演奏できるその事が、楽しくて仕様がないと感じられるのは、 小生の妄想でしょうか?

 Hall自身は、ロリンズとの共演において、ロリンズの方法論に触発され、その時期がひとつの 転換点であると述懐しています。確かに、1960年を境に、それまでのクリスチャンの影響が、 少しずつ、別のフレーズに置き換わっています。又、Jazzの演奏方法も、モード手法が出てきたり、 ボサノバの黎明期に遭遇したり、Hall自身も少しずつ、スタイルやアドリブのラインが変化し、内容も濃くなって います。コードの使い方も、格段の進歩が見られます。但し、ミュージシャン仲間からは、充分 認知されてはいたのでしょうが、世間的には、名脇役であり、ましてや、リーダーとして バンドをマネージメントしていくことは、実質上なかったわけです。

 1965年、HallはDownBeat紙のジャズギター部門で、ポールウィナーを獲得する。実力 知名度は充分あるのだが、リーダーアルバムは1枚しかないという、不思議な現象である。 その理由は、東海岸にHallをサポートするレコード会社が、カラーが違ったり、先輩を 既にプッシュしていたり、会社自体を縮小していたりで、積極的に関わらなかったからである。

 Jazzで生計を立てるのは、困難であると思う。志が高くなければ、くじけると思う。 前出の"ジャズギターの探検"のSelf Expressionのなかに、Hallは、こんな風に言っている。
 "大体、大勢の人の前で演奏できて、そのことで収入も得られるようになるなんてこと自体、 ボーナスというか予定外の特典みたいなものなんだ。そんなものは手に入れた時と同じように、 これといった理由もなく突然なくなるかもしれないよね。もし「成功」ということにとらわれて 音楽をやろうとしたら、一番大事なことを見失ってしまうし、この芸術ならではの個人的、 内面的財産を手にすることができないだろうね。"

 そうはいっても、ツアーに嫌気がさし、35歳での結婚を機に、N.Yに定住、暫くの充電期間を持ちます。 レコーディングやスポット的な仕事はやっていますが!もし、Hallが生活の安定を求めて、 そのまま引っ込んでいたら、以後の諸作は、幻であったわけです。初心を忘れず、志の高い求道者Hall は、3年半後から、また、精力的に活動を再開するのです。

 2)開花・修練期  1969--1989   39歳--59歳

 1969年、久しぶりのリーダー・アルバム"It's nice to be with you"(MPS)が、発売される。 これは、1967年のベルリン・ジャズ祭での"ギター・ワークショップ"でのパフォーマンスが 好評であったことが、伏線にあったようだ。ギター・トリオとしては、その当時、斬新なサウンド を提示しており、今でも、コンテンポラリィに聞こえる。以後、"Where would I be?"(1971) "Alone together"(1972)とそれまでに、溜まっていたアイディアが沸々と具体化された様に 思える。

 1975年に"Concieto"が、世界的にブレーク、一躍、名声をあげてしまった。45歳のときである。 この件について、Hallは、"僕もヒットしたレコードを何枚か作ってはいるけれど、決して 売り上げをねらってレコーディングしたことはないんだ。----それにヒットしたからといって 必ずしも気に入ってるわけではないしね。----お金なんてあっという間に無くなってしまうが 、つくったレコードはいつまでも残る。だからこそ、いいものを作って、その中でしっかり自分 を表現し、大切なものをそこに残しておきたいんだ。"(ジャズギターの探検)

 1970年代後半は、ジャズがフュージョンに移行し、1980年前半には、ロフト・ジャズへと 表面上、流行していき、従来のジャズ・クラブでのメイン・ストリームなジャズが運営上 、苦しい状況が続いていった。小規模な人数構成のバンドが、必要であり、そのニーズに ギター・ベースのデュオは、もってこいであった。Hallの、得意技、出番がまわってきたのである。

 ところが、この時期に、リーダーとしてバンドをマネージメントしていくには苦労したのでは 無かったかと推察する。ピアノレスのフォーマットの中で、ギターのスタイルは、徐々に進化していくの だが、一朝一夕には進まない。名脇役だけではすまないリーダーとしての重責もあっただろう。 溜まっていたアイディアは出してしまえば、そう次々に出てくるものではない。と、グジグジ考えたかどうかは知らない。 それでもピアノレスのフォーマットは好きだったみたいで、String Jazz Magazineのインタヴューに 下の様な部分がある。

"In any case,I like a piano-less trio actually, because that gives me a lot more leeway with chords and stuff. I play more of the guiter that way. If I'm working with piano, a lot of time I just stand by and grin!"

 この時期も不思議な現象がある。アルバムのクレジットの件だが、"Ron Cater&Jim Hall" であったり、"George Shearin&Jim Hall"であったり、"Art Farmer&Jim Hall"であったり、 Hallがリーダーであろうというアルバムに、Hallがセカンドクレジットされている。知名度や、格や、 先輩後輩の問題で、ミュージシャンは特に気にしてないのだが、アルバム発売に関しては、 重要な問題であろう。後年、大物になったミュージシャンが、サイドで入っていたアルバム が、大物のクレジットで再発される事が、多々ある。心もとないが、致し方ないか! Art Farmerとは、"Big Blues"の時、確執が在ったらしい。近作の"パノラマ"で、共演しているが、 "Little Blues"とは、意味深でないか?いずれも、Hallの作曲、Bigがメージャー、Littleが マイナーのBluesである。

 小生は、Hallの"It's nice to be with you"から"Alone Together"までのアルバム、再発されない2枚のアルバム、それと1986年の"Power of Three"をこよなく偏愛している。 1981年からコンコードと契約し、地味だが、小編成のデュオ(George Shearing,Ron Carter)、トリオ、カルテット(Tom Harrell)、 で味わいのある佳作を残している。が、少々、同工異曲の感がぬぐえず、多少煮詰まったかなと思えた。 1985年、健康を害したとの情報もあり、1989年の"All Across the City"が、キーボード入りで、それまでの集大成 の如きアルバムに、仕上がった時には、これが、最後のアルバムかなぁと、勝手に妄想した。

 1968--1989年を、1981年で折り返してみると、小生には、前半が"光"、後半が"影"という イメージがどうしても直感的に、沸いて来るのである。前半が、意気揚々と油の乗りきった イメージがあり、後半は、耽美的で自己陶酔的な人を寄せ付けない様な部分が時に少しだけ 散見されるのである。具体的に言えば、Tom Harrellとの"These Rooms"(1988)は、本腰 を入れて集中しないと、なかなか中に入り込めないと思うのだが!思い過ごしかもしれない。録音のせいかも知れない。

 1980年代の後半に、ビル・フリーゼルとのギター・デュオ、又、パット・メセニーとの ギター・デュオを、やっている。アルバムだけで、勝手に妄想してしまうのは、危険だが、 コンコードの諸作は、少々地味で、話題性には欠けるような気がしてならない。実際の活動 の情報がなければ、イメージ・流れが掴めない。光・影は小生の妄想であるかもしれない。

 3)老練・熟成期  1990--2002   60歳--72歳

 1990年 JVC Jazz FestivalにてJohn Snyderプロデュースにて"Jim Hall Invitational"コンサート開催。 従来のグループの寄せ集めのJazz Festivalではない、企画物をやろうではないかと言う趣向 に対して、Jim Hallが、槍玉に上がった訳である。言わば、還暦お祝いイヴェントであろう。 実は、1988年にタル・ファローが67歳の時に、似たようなイヴェントを開催して、ヴィデオ 化されている。

 そこで、Jim Hallは、お勉めご苦労さんにはならなかった。むしろ、発奮してしまった。 Subsequently (1991),Something Special (1993)と創作意欲が枯渇していない事を、まざまざと 証明してしまった。実は、"Something Special"も、小生の愛聴盤の1枚である。初リーダー作"Jazz Guiter/ Jim Hall","Good Fraiday blues"と同様のピアノ、ギター、ベースのトリオで、内容が 凄くよろしい。一部で、ハーモナイザーを使用しているのだが、最初、聞いたときに、どうやって こんな複雑なクローズなコードを、押さえるんだろうと、面食らった。

 1993年からは、クラシックのレーベルのTelarcと契約。コンコードの時の、二の徹は踏むまいと Jim Hallという素材を、様々な形に料理する。素材自体は、一緒だが、調理の仕方で工夫を 見せる。Telarcも偉い。アルバム自体が、ペイできてるのだろうかと、余計な心配をしてしまう。 ほぼ、年に1枚のペースで、手を替え、品を替え、既に8枚ものアルバムを発売している。 大したもんだ!と驚嘆する、今日、この頃である。

 しかも、来日して、クラブサーキットをする頻度は、この10年間が、1番ではないか? 46年前の、発心から、常に前向きに、求道してきたHallの強靭な意志のなせる業である。 益々の、活躍を祈念せずには、いられない。

CB  Do you have any plans to retire?

JH  I have no plans to retire. I hope that I'll be doing more and more writing of music. I seem to have been writing more and more in the last couple of years and that's the kind of direction I'm going in. Touring is physically rough, not just on me but on guys half my age and on Jane as well. But I do enjoy performing - It's important to me. ( String Jazz Magazine 1996)

(2002,01,20.)