JIM HALL Maniacs

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Sonny Rollinsとのコラボレーション

 J.HとSonny Rollinsとのコラボレーションについては、Rollinsの2回目の失踪からの復帰アルバム 「Bridge」(RCA 1962)とRCAの1962年から1964年にJ.Hが参加したアルバムの中に、見出される。 但し、その主要な部分は、ほとんど「Bridge」に濃縮されている。

 Rollinsについては、色んなところで、既に各論出ておりRollins論をここで展開する気はさらさらない。 但しJ.Hとの関係に於いて関連する流れを、ある程度かいつまんで紹介しておこう。

 Sonny Rollinsは、1930年生まれであるから、J.Hと同い年である。N.Y生まれで、1940年後半、20歳前から 既に脚光を浴び始める。アイドルは、コールマン・ホーキンスとチャーリー・パーカー。 マイルス・デイヴィス、バド・パウエル、セロニアス・モンクのコンボに加わり更に頭角を現す。 1954年末に、麻薬の悪癖を断つ為に、半年失踪する。最初の失踪、行方不明ということだが、後年 本人は「自己修養」という言葉を使っている。

 1955年末に、マックス・ローチの依頼で、ローチ/クリフォード・ブラウン双頭バンドのサックス奏者ハロルド・ランドの トラ(代理)でシカゴより、参加し復帰、そのまま半年在籍する。1956年6月22日に歴史的名盤「サキソホン・コロッサス」 をロリンズ25歳で録音、その4日後にクリフォード・ブラウンが交通事故で逝去。ローチ・ブラウン・ロリンズの 強力なコンボは、6ヶ月の短命に終わった。その後も約1年間ローチのバンドに在籍する。

 その頃、J.Hはチコ・ハミルトンのバンドに、1955年に採用され、1年半在籍。東海岸での演奏も何回かあった。 1956年、クリフォード・ブラウン、ロリンズが在籍中のローチのバンドと、チコのバンドが「ベイズン・ストリート」 で交代で出演することがあった。ここで、J.HとRollinsの初邂逅が実現することとなった。

 ロリンズは1957年夏に、一時期マイルス・デイヴィスのグループに在籍するが退団。10月末から、ドナルド・バード を擁した自己名義のクインテットでヴィレッジ・バンガードに出演するが、バードは1週間で退団、ピアニスト も出入りが激しく、最終的に「ウェイ・アウト・ウエスト」(Contemporary 1957年3月)と同様の サックス・トリオに至る。ヴィレッジ・バンガードでのサックス・トリオがこれも歴史的名盤「ア・ナイト・ アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード」(Blue Note 1957年11月)で堪能できる。

 その後、様々なギグ、レコーディングをこなし、1959年には渡欧し大歓迎される。帰米し、全米横断ツアー を敢行するが、8月に各種出演予定があるにもかかわらず、突如第一線から消息を絶ってしまう。2回目の 自己研修である。後に、ロリンズは、この自己研修の真相について、「自信がなくなってしまったから、 最初からやり直す為の充電期間が必要であった。」と仰っています。実際、約2年3ヶ月の隠遁生活で ボディビルとバラ十字会への入会により、フィジカルな、そしてメンタルな鍛錬を自らに課し、 ウィリアムズバーグ・ブリッジでのサックスの猛練習によって再起の機会を待っていた。

 1960年J.Hは、活動拠点をN.Yへ移していた。ある日、ロリンズから郵便箱に「音楽について今度一緒に話がしたい」 不思議なメモが入るようになった。そこで、J.Hはロリンズの郵便箱にメモを入れたところ、ある晩ロリンズ が、J.Hを訪問してきたとのことです。「どうして私がグループに選ばれたのか、大変な名誉であったけれど はっきり言えないね。」とJ.H。1956年の初邂逅で、ロリンズもJ.Hに対して独特の嗅覚でその人間性を 察知していたのではないかと小生は妄想している。人と人の関係は、やはり「のりそり」や「相性の良し悪し」で 決まるのではないでしょうか?シャイで真摯で謙虚な人間性!類は類を呼ぶ!

 といった流れがあり、Rollinsの2回目の失踪からの復帰アルバム「Bridge」がJ.Hを伴って実現したのである。 50年代のロリンズが最高であると、皆さん仰いますが、「Bridge」は「Bridge」でそれなりに面白いと 成果が上がっていると思います。楽器編成の妙、ロリンズの人を食ったような作曲「ジョン・S」「橋」、 モールス信号、変態ファンファーレ、伸び縮みする八分音符、吃音気味のアーティキュレーション、そして 多分ブランク後の不思議な緊張感、そしてJ.Hのコンピング、J.Hの急速調での上手な逃げ腰(うーん、苦手だよなぁ!)・・・・等。

 J.Hはロリンズの演奏について、次の様に語っている。

“He (Sonny Rollins) had a way of taking a tune apart and putting it back together again right in front of your eyes… his loose adventuresome way of playing influenced my playing.” (E.J.N-Jim Hallより)

 復帰2作目、カリプソ調の「ホワッツ・ニュー」(RCA 1962)を上梓するとなんと 3作目は、オーネット・コールマンと一緒にやっていたドン・チェリーとフリージャズを やってしまう。ロリンズの真摯さは認めるし、コルトレーン、オーネット・コールマンの方法は その時代の先鋒であったのかもしれないが、結局ロリンズには必要がなかったのではないか? その事を自覚する為に、1960年代の諸作は、習作になって しまったのかもしれないなあと妄想する。RCAにバップ曲集、スタンダード曲集を残し、 インパルスへ契約替え、そして3度目の自己修養が1968年に始まり、また再復帰する。

 ロリンズとは、ポール・デズモンドとのコラボレーションみたいに、長期でなくスポットであり、録音数も少ない。 サウンドのマッチングはポール・デズモンドがよく、ロリンズの方は、J.Hがロリンズの要求に充分対応できてない様に 特に急速調の場合思える。ロリンズは、天才型であり、既に巨匠、アドリブも冗長でラフな部分もあり、一方J.Hは 努力型で、発展途上で、ミニマルな形の数コーラスのアドリブを得意とする。それでも、J.Hはロリンズとの 作業で、得手不得手を含めて色んな部分で勉強になったと思われる。何しろ巨匠ロリンズの方からのラヴ・コール であったのであるのですから!年齢は一緒ですが!

 「スタンダーズ」(RCA 1964)の中でのJ.Hの参加している曲「Love Letter」が、なかなかよい出来である。 「Trav'lin'Light」では、部分的にオブリガードで、入るだけだが、音色、フレーズとも充分納得が いきました。ゴチャ・ゴチャしなくても充分ですという見本みたいな演奏です。アルバム全体としては 色んなところで不満が多々あるのですが。

(2002,05,11.)