JIM HALL Maniacs

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EllaとBossaとJ.Hと。

 左の写真は、ジャズ・ボーカルの超有名盤です。

 Ella in Berlin/Ella Fitzgerald (Verve 1960)

 そして、この超有名盤の、Ellaのバックバンドのポール・スミス・カルテットの中に、J.Hが クレジットされているのです。その昔、このアルバムをよくジャズ・喫茶でリクエストして聴いては、 元気を分けてもらっていたような気がする。 タップリ脳裏に刻み込んだつもりであったのでアルバムは、入手するつもりがなかった。 そして、このアルバムにJ.Hが入っているなんて事は、忘れておった。ギターが入っているイメージが全然 なかったのだ。全篇Ellaの、サービス精神と充分過ぎるくらいのテクニックとコケットリーな声質に出会えて世間の流行 とは関係なく一人で悦に入ってほくそえんでいた様な気がする。しかしどうやってこのアルバム に出会ったかは、記憶にないのである。超有名盤であることも知らずに、世間知らずの駆け出しJazzFanであった頃である。

 このサイトを、立ち上げていなかったらそのまま入手する事はなかったかもしれない。ということで、 最近入手して聴きなおしてみたが、やはりいいですねぇ!J.Hもバッキング、オブリガードで入っていますが なんといってもEllaが素晴らしい!”How High The Moon”が特にお気に入りです。1961年クレジットで J.H以外のピアノ・トリオはメンバーが変わっていますが”Ella in Hollywood”というライヴ盤があるそうなので 今度、哺猟してみようかと思います。JHMとして必須アイテムかどうかといわれたら、うーんと言ってしまいますが、 このアルバムのEllaは、一聴に値すると思います。よろしければぞうぞ!

 ところで、J.Hはこの時期エラ・フィッツジェラルドの歌伴で南米にツアーに出ている。 その南米のツアーの最中に、その土地の音楽にすっかり夢中なり、ツアーを降りてリオ・デ・ジャネイロ に六週間も居ついてしまった。その土地の音楽とは、まだ”Bossa Nova”という名前がつく前のそれであった。 その成果は、前出のロリンズの”What's New 1962”や、デズモンドの”Take Ten 1963””Bossa Antiqua 1963” に結実している。このリオ・デ・ジャネイロ滞在の折に、アントニオ・カルロス・ジョビンもしくはジョアン・ジルベルトと接見したのか どうか?は大変興味があるのだが、どなたかご存知の方は、ご教示下さい。

 左のジャケ写は、

 Big Band Bossa Nova/Stan Getz (Verve 1962)

である。そして又、ここにJ.Hが出没しているのです。ここで、J.Hはガット・ギターで全篇参加、アドリブ も”黒いオルフェ”を含む2曲で聴けます。アレンジをゲーリー・マクファーランドがやっていますが、 渡辺貞夫氏にBossa Novaの楽しさを教えた人でもあります。

 Bossa Novaというクロスオーバー・ミュージックでヒットを放ったのは、このアルバムのプロデューサーでもあり、後のCTIのプロデューサーでもある クリード・テイラーであります。そして、Bossa Novaといえば、アントニオ・カルロス・ジョビン、 スタン・ゲッツ、チャリー・バード、ルイス・ボンファ、ジョアン・ジルベルト、アストラッド・ジルベルト、バーデン・パウエル といった名前で代表されるが、USでの発展・展開にJ.Hが少なからず貢献していた事はあまり理解されていないのではと やや憤懣たる気持ちの今日この頃である。

 ブラジルで、Bossa Novaといわれる音楽が世界的に脚光を浴び出し、その創始者のアントニオ・カルロス・ジョビン の初渡米が1962年末のカーネギー・ホールでのブラジル音楽のコンサートであった。”イパネマの娘”は 1963年の作品であるから、1962年に既にBossa NovaがUSで注目を浴び、クリード・テイラーはJazzとの クロス・オーバーの絵を描き、J.Hは創成期の”Bossa Nova”の事情通ということがあっての採用ではないか? と妄想する。

 ということで、オリジナルがどういう形のアルバムかは定かではないが、左の様なコンピレーション ・アルバムにもJ.Hは出没している。

 Recado Bossa Nova/Zoot Sims (Ubatuqui 1962)

 小生が所有しているものは、Made In Spainになっており、USで”Bossa Nova Session/Zoot Sims”で発表されたコンピレーション ではないかと思います。Zoot Sims and his Orchestraとなっており、アレンジがAl CohnとManny Album 、2つのセッションの合体で、全曲で18曲、1曲が2分から3分ですが、J.Hは各曲1コーラス程度の簡潔な アドリブを聴かせてくれる。Rhythm GuiterにKenny BurrellかもしくはBarry Galbraithが入っています。

 また、Lalo Schifrinという「燃えよドラゴン」「ミッション・インポッシプル」の作品で知られている 作曲家が1962年にVerveから出したアルバム”In Sensatez”というボサ・ノバ自作集にもJ.Hは参加しています。 こちらは、リズム・ギターのみで特にJ.H目当てで購入しても期待はずれでしょう。 1960年代の前半には、J.Hは相当無節操にあちらこちらのレコーディングに顔を出しています。 ジャズ評論家の小川隆夫氏によると、J.Hはこの時期しのぎを削るのが大変で、Rock、Popsの アルバム・レコーディングにも参加していたとの事です。
[追記] 「アントニオ・カルロス・ジョビン−ボサノヴァを創った男」(エレーナ・ ジョビン 1998 青土社)ジョビン逝去後に妹によって書かれた著作が大変面白かった。逝去8ヶ月前に ヴァーヴ設立50周年記念の際、隣席した山下洋輔氏の小論「等身大の栄光−世界にとってアントニオ・カルロス・ジョビン は一人しかいなかった」が、目から鱗でした。ボサノヴァについてもう少し突っ込んでみようと思われる方 お薦めです。

 さて、エラのアルバムが出てきたついでにJ.Hが歌伴をしているアルバムをもう一枚紹介しておきます。

  ”I Just Dropped By To Say Hello/Johnny Hartman” (Impulse 1963)

  これは、渋い!!!”Charade”がよいです。Johnny Hartmanの声質は独特な雰囲気があるよなぁ!  J.Hは数曲、バッキングをしており、別の曲では、Kenny Burrellもバッキングをしています。  J.HとKenny Burrellはこの時期よく同じアルバムで棲み分けしているのを見かけます。

(2002,08,11.)