JIM HALL Maniacs

since 2001/12/01


1962年のJ.H。

 左のアルバムは、ご存知歴史的名盤です。既に、2回程その内容については、言及しています。 当初、このアルバムの録音は1959年という事で流布していたことがあったらしい。 正確な録音日が、判明したのが何時からかは、記憶にないし気にも留めていなかった。、 どうやら、1962年4月24日と5月14日が正確な、録音日らしい。

 「I hear rhapsody」「Stairway to the stars」「I'm Getting sentimental over you」の3曲が 4月24日の録音(但し、後者2曲はアナログ盤の際、未収録)、「My funny valentine」を含む 残りの曲が、5月14日の録音である。

 1962年のJ.Hが参加しているアルバムを、下に列記して見ます。そうです、Rollinsとの「Bridge」も 1962年ですね!(  )は、未入手未チェックです。

・Jazz Goes to the Movies/Manny Albam/Impulse/1,12,1962 - 2,12,1962
・Bridge/Sonny Rollins/RCA/1,30,1962 - 2,14,1962
(・Vintage Dolphy/Eric Dolphy/GM/3,10,1962 - 4,18,1963)
・What's New?/Sonny Rollins/RCA/4,18,26,1962 - 5,8,14,1962  [5,14 without J.H]
・Undercurrent/Bill Evans and Jim Hall/United Artists/4,24,1962-5,14,1962
・Impromptu/Billy Taylor/Mercury/5,8,1962 - 5,10,1962
・Interplay/Bill Evans/Riverside/7,16,17,1962
・Listen to Art Farmer and the Orchestra/Art Farmer/Mercury/8,10,1962 -9,20,1962
(・Trombone Jazz Samba/Bob Brookmeyer/Verve/8,21,1962 - 9,14,1962 )
・Loose Blues/Bill Evans/Riverside/8,21,22,1962
・Big Band Bossa Nova/Stan Getz/Verve/8,27,1962 - 8,28,1962
・Big Band Bossa Nova/Quincy Jones/Mercury/9,1962
(・That's How I Love the Blues/Mark Murphy/Riverside/10,1,1962 - 11,28,1962)
(・Full Nelson/Oliver Nelson/Verve/11,19,1962)
・Bossa Nova Sessions/Zoot Sims/WestSide/Recorded in NY 1962

 多岐にわたるアルバムに参加しているし有名盤に参加しているなぁと、 こうやって並べてみると感心します。それから、「Undercurrent」とSonny Rollinsの「Bridge」に 次ぐ2作目「What's New?」は、同時期に併行して収録されていたのがわかります。れれれ…… 5月14日が被っているぞ!そういえば、「What's New?」には、2曲ほどJ.Hが参加していないトラック があります。Rollinsがこの2曲を録音している時に、J.Hは「My funny valentine」をEvansと録音して いたのです。もし、スケジュールの都合がついていれば、J.Hは参加していたのだろうか? そのかわりといっては、なんですが、J.H抜きのトラックにはcongas/bongosが入っているのです。 最初から、恣意的にJ.H抜きで考えられていたのだろうか?謎です。妄想が果てしなく、湧き上がってきます

 ところで、J.HとEvansが最初に遭遇したのは何時頃だったのでしょうか?1959年の録音の Lee Konitzのリーダー・アルバム「You and Lee」にJ.HとEvansがクレジットされています。 また、1960年のJohn Lewisの問題作「John Lewis Presents Jazz Abstractions」には、J.HとEvansそして Scott LaFaro、Ornette Colemanがクレジットされています。1961年の、「Sunday at the Village Vanguard」 には、J.Hが客席にいたことは、”余談”に紹介しています。50年代の末、Jimmy Giuffreつながりで邂逅したのでは と妄想します。

 さて、1962年にJ.HはEvans絡みの3枚のアルバムに参加しています。実は、Evansは他にもこの年積極的に アルバムの録音、セッションを行っています。それには、ある理由があったのです。 Evansは、マイルス・デイヴィス・セクステットに参加してしばらく経ったころから、麻薬の常習を するようになりました。以後ヘロイン、メタドン、そしてコカイン中毒の深みに20年もの間溺れたのです。 1961年のScott LaFaroの急逝には、相当の気落ちをしたと、Evans自身は後に述懐しています。 その気落ちから、さらに薬物への依存を深め、そして経済的な困窮も引き起こしていたのです。 それでも、LaFaroの急逝後1年間はPianoTrioは、手掛けなかったのです。

 「Undercurrent」は、J.HとのDuoとはいえ、Evansの頭の中にはJ.Hを「LaFaro‐Motian」に置き換えて いるのではなかろうかとの妄想をふとしてしまいます。また、J.Hもそれに答えるようなリアクションを ギターひとつで、頑張っているような気がします。「Undercurrent」は、1962年でしかありえなかった ということです。勝手な、思い入れ、妄想かもしれません。LaFaroへの鎮魂歌「Undercurrent」で吹っ切れたEvansは 数日後、その後4年も続くチャック・イスラエル(b)とのPianoTrioに注力し始めるのです。

 Evansは、「Undercurrent」の録音の2ヶ月後、「Interplay」という当時新人でアート・ブレーキー とジャズ・メッセンジャーズに在籍中のFreddie Hubbard(tp)とJ.Hを含むQuintetのアルバムを録音します。 当初、Art Farmerの起用予定だったそうですが。ここでは、PianoTrioの様な、緻密で繊細で稠密な 世界とは違う、ある意味でブローイング・セッションの愉快・痛快が記録されているように思います。 Evansのオリジナル1曲と、あとはスタンダードで構成されています。少なからず、J.Hも触発されて Hotになっているような感さえします。

 さて、「Interplay」の1ヶ月と一寸たって、Evansは、後に「Loose Blues」としてまとめられる 全曲オリジナルのアルバムを録音する。ところが、このアルバムは、録音されて20年後のEvans逝去後に 陽の目をみるいわくつきのアルバムなのである。実は、このアルバムは、Evansの理解者で友人でRiversideの オーナーでもあるOrrin Keepnewsに前払いで金を工面してもらって、行った録音であったのだ。 何故か?薬代の取立屋から、Evansが「金が工面できなければ、指を折るぞ!」と脅されていたからである。 しかも、EvansもPhilly Joe Jonesもヤク切れかもしくは、ラリラリだったかで録音が容易に進まなかったのである。

 なんと、「My Bells」という曲は、その構成やリズム・チェンジも難しいのだが、Philly Joeのtimekeeper としての役割がこなせず、Take25までいったということです。1982年のOrrin Keepnewsのライナー・ノーツ には、次のように述懐させてしまいました。
 I learned also that Zoot and Jim and Ron,who might at times have seemed a bit unhappy on those afternoons, had actually been models of patience.

 すっかり嫌気のさした、Orrin Keepnewsは、この録音のアルバム化には多大な編集時間が必要であろうと 倉庫の奥積みにしてしまった。その後、Riversideの倒産後、版権委譲した後もお蔵の中にあったらしい。 その内、「Loose Blues」のみ1975年に、1959年録音のTrio(Paul Chembers、Philly Joe Jones)のアルバムに カップリング。1982年に「Interplay Session」のアナログ盤Two in ferとして、初めて陽の目をみたのである。 Evansは、死ぬまでこの録音が陽の目を見ることを敬遠していたようだ。まあ、しかしそのような 事情があったかも知れないが、これはこれでなかなか結構いい出来だと思いますがねぇ!

 Evansの話ばかりになってしまったが、J.Hも同時代でこの様な修羅場に同席していたということです。 1962年に、J.HはピアニストのBilly TaylorのTrioにプラス1として参加しています。こちらは、 文句なしにハッピーで陽気な出来上がりです。苦手の急速調も上手に交わしています。 しかし、多様なアーチストと自己の本来のスタイルを保ちながら、協調し、かつ融合できる能力には 恐れ入ります。あらためてJ.Hに脱帽です。近年、サインに「和」と日本語で書き添えることが 多いのですが、この頃から資質として、いや、生まれ持って「和」の意味を了解していたのではないか と妄想してしまう今日この頃なのです。

 そして、同じく1962年に、オリバー・ネルソン編曲の中編成のオーケストラバックのArt Farmerの リーダー・アルバムにJ.Hが参加しています。その後、双頭バンドを作ることになろうとは、 全く脳裏にはなかったのでしょう。いや、Artの脳裏には、J.HがRollinsのとこから開放されたら 一緒にやろうというシナリオがあったのでしょうか?それにしても、1962年のこれだけのアルバムへの 参加、それとは別に、クラブ・サーキット、ツアー、ロフトでのギグ凄いですねぇ! JHMな皆様方は、ご存知でしたでしょうか?

(2003,01,13.)