JIM HALL Maniacs

since 2001/12/01

"I"氏の「ジャズとはなんでしょう?」

 小生の友人で、九州在住のジャズ・ピアニスト兼開業医の"I"氏が、暇だったら、読んだら、 と、ワードのファイルをメールしてきた。本H.Pの主旨にオーバラップする部分(特にJ.Hの即興論)もあるので、そのまま 転載する。いわゆる、番外編という奴だ。後ノリについては、彼とギグが終わったあと”駄目だし” の後の定番の議題であった。すばらしく、そして熱いピアニストである。朝方近く迄、よく話し込んだものだ。

ジャズとはなんでしょう?
音楽のカテゴリー
 世の中にはいろいろな音楽があふれており、それらは多くのジャンルに分類されている。クラシック、ロック、ジャズ、フュージョン、R&B、ポップス、歌謡曲など多すぎて困るほどである。これらの音楽を区別するものは何だろうか?この問いにはあまり意味がないと考える人もいるだろう。つまり、音楽は音楽であって、良いのと悪いのを区別しておけばいいんだという意見である。しかし、これは例えて言えば、女性を美人とブスに分けるようなもので、個人の顔かたちの持ち味や微妙なバランスといった個性を無視することになり、評価のしかたとしては実におおざっぱで、結局その音楽を理解し楽しむのにはあまり役にたたぬ考え方と思う。

 ジャズという音楽の個性や特質は独特で魅力に富んでいる。ジャズにあって他の音楽にはないものは何であるかを分析することは、その本質を理解する助けになるだろう。長年にわたって楽しませてもらっているこの大好きなマイナー音楽のために、またこの小文を読んでくれた方が一人でもジャズファンの入り口に迷い込んでくれることを期待して、「ジャズとはなにか」を考えてみた。

ジャズの特質
 私がジャズと出合ったのは、中学生の頃見た映画の「ベニ−グッドマン物語」と「五つの銅貨」の中であった。グッドマンの清冽なクラリネットの音色とわくわくさせるフレーズ、ルイアームストロングの暖かいトランペットとボーカル、これらは私のジャズ原点といえるサウンドの記憶となった。それ以来、他のジャンルの音楽に時々浮気したこともあったが、35年間ずっと、ジャズ、なかでもモダンジャズと共に暮らしてきた。高校3年の時には、聴くだけではもの足りなくなって、ジャズピアノとバンドをやり始め、夢中になって気がつくと50に手が届く年齢である。このおかげで、浪人し、大学では授業をサボり一日中ピアノの練習に明け暮れ、入局後は出来の悪い研修医といわれ、結婚後はいつも家にいないお父さんであり、開業後はますます夜中のライブハウスをうろつくオヤジとなっている。こうして、現在までに実に膨大な時間と手間をジャズに費やしてきたのだが、他の音楽との違いが本当に実感として解かるようになったのは、やっと10年前くらいからであった。

 結論からいうと、ジャズを他の音楽と区別するものは即興(アドリブ)とリズム(4ビートとノリ)であるといってよいと思う。しかし、即興とはなにか?4ビートやジャズのノリとはなにか?ということになると、きちんとした意見を聞くことは少ない。これは、本来ならこのような基本的事実を世の中に啓蒙すべきジャズ評論家といわれる人達のほとんどが、ジャズを感覚でしか捉えておらず(彼らがただの聴衆ならこれで十分だが)、その音楽的構造や理論を勉強していないので、人に説明するだけの能力に欠けるためであろう。一方、ジャズ演奏家はその音楽でものをいうのが仕事であり、なかなか言葉にして説明しようとはしてくれない。かくして、ジャズをジャズたらしめている音楽的現象は、知性でなく感覚の対象であるという間違った考えがはびこることになった。そこで、ここではジャズ演奏で起こっている特徴的現象を言葉で説明してみたい。

即興の方法
 ジャズは即興で行われるといわれている。何も無いところから即座に素晴らしいアドリブメロディーが紡ぎだされる。それはなにか神秘的なものにも思えるが、果たしてそうであろうか?実際には多くのジャズ演奏家は、例えば曲のなかである響きの和音が鳴ると、その響きにあうメロディーの断片をたくさん記憶しており、そのストックのなかからひとつ選び出して演奏する。次の響きに移ると、前のメロディーにうまく繋がりかつその新しい響きにあうストックを出してくるという具合に「即興」するのである。これはちょうどお中元を頂いたお礼のはがきに書く機械的文章に似て、時候の挨拶に始まり、お礼の慣用句を繋ぎ合わせて一文を作るようなものである。そのなかにちょっとだけその場で考えたフレーズを混ぜるのだが、慣れればいろんなパターンでいっちょうあがりとなる。このような演奏は実際には真の意味で即興とは言い難く、全くその場で初めて思い浮かんだメロディーを演奏している真の「即興」ともいえる時間はおそらく一曲の一割にも満たないであろう。極論すれば、メロディーの順列組み合わせともいえる。

 オスカーピーターソン−超絶技巧で知られるジャズピアニスト−などはこの種の即興の大家といえよう。慣用句とはいえ、ものすごい正確さ、速さ、バリエーションで演奏されるので、聴くものは圧倒される。いわば職人芸の極致である。しかし、多くの人は、達者だが機械的なお中元のお礼より、拙くとも心のこもったその人自身の言葉が聞きたいのではないか。もちろんそれが名文であればいうことはない。

 キースジャレット−現代を代表する天才的ジャズピアニスト−は自身の内面をピアノをとおしてさらけ出し続けている。彼のアドリブソロをいくつか採譜して比較検討してみると、慣用句がほとんど見当たらないのに驚かされる。彼はピアノの鍵盤に指をおくが、頭の中になにか音が聴こえてくるまでその指は動かさない。彼は聴こえてきたメロディー、そこでその時に弾かれるべきメロディーしか弾かない。弾かれたメロディーを最初に聴くのは聴衆としての彼自身であり、次にどんなメロディーが聞きたいのか演奏者としての彼に向かって教えるのである。このようなやり方で破綻なく即興するには、極度の集中力が要求される。彼の演奏を真剣に聴くと、このような真の即興の過程が、キース本人が体験し創造してゆくさまが、曲の進行とともにリアルタイムで味わえる。キースは身を削りながらメロディーを紡ぐ真の即興詩人であろう。

真の即興
 演奏する側から即興を考えてみる。ジャズ演奏の学習は、始めは慣用表現をたくさん覚えてそれらをうまく繋ぎ合わせる段階から、次はその人なりの言い回しの癖とでもいうべき独自の慣用フレーズを持つようになる。多くのプロの演奏家はこの段階で熟練し、それぞれ個性的ではあるが職人芸的なジャズを提供している。さらに、少数の人がこれらの慣用句を排した(または減らした)真の即興のレベルに近づき、聴く人ひとりひとりの心に直接話しかけてくるような創造的ですぐれた即興芸術を体験させてくれる。

 しかし現実には、すぐれたアドリブソロといわれているものでも、一曲のなかで慣用句が50%以下に抑えられている演奏はそれほど多くはないと思う。ジャズ演奏家の多くは、多かれ少なかれ真の即興が起こった瞬間を体験しており、その時世界が輝き喜びがあふれる事を知っている。また、演奏したメロディーが結果として慣用フレーズであっても、それを自然に、用いるべき時に用いた場合には、ちゃんと息づいて聴こえることを知っている。しかし、それらのフレーズをもう一度なぞろうとすると、もう輝きと喜びはそこにはない。これは、カメラマンの存在をしらずに撮影された写真にはその人の自然な魅力が映し出されていても、カメラを意識したとたん、その息づかいが失われてしまうのに似ている。これら生き生きとしたメロディーはすべて、習慣的な音を出す事をやめ、演奏すべき音を頭のなかに聞き取り、それに従うことによってもたらされる。その瞬間は即興者と聴衆の共有の喜びであるが、この状態を保つことは簡単なことではなく、普通はあまり長くは続かないので、彼らはそれを求めて彷徨うことになる。キースのような即興演奏はごく少数なのである。

 実際のジャズ演奏では、複数の即興がバンドのなかで同時進行している。ピアノソロのバックでドラムスとベースが一緒に演奏している時、三人ともお互いに相手の音を聴きながら、自分の内部で鳴っている音が互いに影響されながら音楽が形成されていくのである。ドラムスとベースはピアノを支え、鼓舞し、一緒に盛り上がり、啓発し合い、反発し、ある時は無視しながらその方向をその場で自由に決めてゆく。このため、バンドメンバーの音楽性以外にも、性格や社会性、互いの人間関係といった要素が他の音楽に比べてジャズでは強く演奏に反映されることになる。バンドにおける即興は常に自分と周囲を重層的に意識しながら行うダイナミクスのなかにある訳である。これは、演奏者の感性、知性、社会性、ひいては人間性をさらけだす作業となる。ここに、ジャズをやることのひとつの困難と喜びがあると思う。自分の内面と向き合い、同時に他人とも影響しあう。まさに、チャーリーパーカー(モダンジャズのパイオニア、アルトサックス奏者)がいったように「ジャズは人生そのものだ」ということを実感する。

4ビート
 4ビートはジャズの代名詞といわれるほど、ジャズの大きな特徴である。しかし実は、4ビートという言葉はあまり実態を表しておらず、世間に誤解を与えている。4ビートの他にもロックに代表される8ビートやフュージョンなどの16ビートという言葉があるのはご存知だと思う。8ビートは1拍を均等に2分割した、16ビートは1拍を均等に4分割したビートを基本としたリズムが刻まれているかまたは感じられるものをいう。このため、1小節が4拍の時、刻まれるビートは8ビートなら2×4拍=8、16ビートなら4×4拍=16となり、この故に8ビート、16ビートとよばれているのである。聴いた感じは8ビートの1小節はタタ・タタ・タタ・タタとなり、16ビートの1小節はタタタタ・タタタタ・タタタタ・タタタタとなる。ところが、4ビートというのは1拍を3分割したビートを基本としたリズムであり、1小節が4拍の時、刻まれるビートは3×4拍=12となり、これは8ビートや16ビートの例でゆけば、本来なら12ビートと呼ばれるべきなのである。聴いた感じはタタタ・タタタ・タタタ・タタタ、またはタタタの前2つのタタをつなげてタータ・タータ・タータ・タータとなる。さらに4ビートでは演奏するテンポの速さによって、このタータのターとタの長さの比率が変化する。ミディアムテンポといわれる中くらいの速さでは、タータはほぼ本来の長さで(2:1)演奏されるが、テンポが速くなるにつれて、タータはタタ(1:1)に近くなる。つまり、8ビートに近くなるのである。このリズムの可変性も他の音楽にはみられないジャズの特徴の1つである。
ジャズのノリ
 へたなカラオケの典型パターンは伴奏からはずれた音程とずれたリズムである。ところが、はずれた音程とずれたリズムこそは実はジャズをジャズらしくさせている大きな要素なのである。「ブルーノート」はジャズでよく使われる音使いであり、同名のライブハウスの由来ともなっているが、これはドレミファソラシドのうち、ミ、ソ、シを半音さげたミの♭、ソの♭、シの♭をいう。長調の明るい背景(ドレミファソラシド)でこれらの音を使うと、ミとミの♭、ソとソの♭、シとシの♭との音のズレや衝突(長調と短調の衝突ともいえる)により、ダークで哀調を帯びた感じに聴こえるので、「ブルー」ノートと呼ばれるのである。ブルーノートは今では広く他の音楽でも使われているので(ビートルズや宇多田ヒカルにも)、ジャズの特徴とはいえなくなったが、もとはジャズを主とする黒人音楽をルーツとしている。そして、実は本来のブルーノートはミの♭、ソの♭、シの♭からさらにわずかだけズレた音なのである。この微妙なズレを表現することはピアノではできないが、サックスなどでは音程の調節がきくので行われており、ジャズっぽさを感じさせる魅力となっている。ただ、最近ではあまりこのような本来の微妙さを表現する演奏家は減ってきた。

 これに対して、リズムについてのズレは日常的に行われるジャズの重要な語法となっている。ジャズバンドのよくある編成のサックスカルテットを例にとる。リズムセクションと呼ばれるピアノ(もしくはギター)、ベース、ドラムスは前述したタータ(またはタタタ)という4ビートの基本的なリズムの出し方をほぼ3人が一致して行っている(詳しくいうとこの3人も全く一致しているわけではないが、ここではその点は触れない)。このリズムセクションの伴奏の上に、フロントと呼ばれるサックスがアドリブソロをとる。この時、サックスのフレーズは伴奏よりわずかに遅れて奏でられる。これがいわゆる後ノリである。

 ジャズらしいなとジャズ好きに思わせる演奏のほとんどは後ノリだといってもよいくらいである。速いテンポでは意識的に前ノリでやることもあるが、ミディアムテンポでは後ノリはジャズの必要条件と思う。後ノリが聴衆に与える聴覚印象はゆったり、おおらか、豪快、おちつきなどであり、前ノリは勢いや意気込みといった正の印象もあるが、多くはせせこましさ、性急、おちつきのなさといった負の印象をひきおこす。なによりも、聴衆は後ノリの中にジャズを感じ、前ノリには非ジャズ的なものを感じるのである。

後ノリの構造
 では、具体的に後ノリのソロの時、フロントのサックスと伴奏のリズムセクションとの音のタイミングはどうなっているのだろうか?伴奏のタータというリズムが鳴っている時、同じリズムのタータをサックスが吹くとすると、最初の「ター」はサックスがわずかにリズムセクションよりも遅れてでる。そして、あとの「タ」はサックスとリズムセクションのタイミングはほぼ同じか、わずかにサックスが早いのである。これらのタイミングはサックス奏者によって少しづつ異なっており、それは各人の持ち味の一部となっている。

 一般に、合奏を合わせる場合に、いちにーのさんでタイミングを合わせてジャストに音を出すというのが常識的と思うが、ジャズにおいてはリズムセクションよりもソロがわずかではあるが遅れて音をだすのが普通なのである。私は実感としてこのことを納得するのに、ジャズを演奏し始めてからなんと20年近くもかかってしまった。まったく鈍いというしかないが、このようなことをきちんと指摘して教えてくれる書物が日本にはほとんどないのである。アメリカのジャズのトレーニング本には後ノリ会得のための練習方法がちゃんと記載されている。

 実際、本場のジャズマンと演奏すると、自分の弾くピアノの伴奏の後ろからサックスやトランペットが追っかけてきて、後ろ髪をひかれるような妙な感覚を覚えてしまう。しかしこの時リズムセクションであるピアノ、ベース、ドラムスは後ノリにひっぱられることなく一体となって突き進まなければならない。このフロントとリズムセクションの緊張関係がリズム的スリルとスピード感を生みだす。演奏者は常に重層的にリズムを意識しておかないと、バンドのリズムを見失ってしまうことになり、スウィングは消えてしまう。このようなリズムの構造こそはジャズの本質のひとつと思う。

お薦めのこの人、この一曲
 私が大好きなジャズミュージシャンの名演のなかから、ジャズ本来の魅力を強力に放っており、この小文の内容の参考ともなる演奏を選んでみた。
Keith Jarrett / The Song is You
 キ―スジャレットトリオのStill Liveという2枚組CDのなかの一曲である。キースはイントロをソロピアノで始めるのだが、これがすごい。どうやって弾いているのか想像もつかない音の奔流のなかから、次第にテーマのメロディーが浮かび上がる頃には、畏敬の念に打たれ胸が熱くなる。まだイントロなのに、観客の感きわまった拍手と叫び声が聞こえる。アドリブソロも息もつかせぬ緊張感の連続で、ゲーリーピーコック(ベース)とジャックディジョネット(ドラムス)との協調とせめぎ合いのなかで、怒涛のエンディングへと突入してゆく。このトリオは真の即興とはなにかということを常に示してくれる。
Clifford Brown / Valse Hot
 3 Giantsというアルバムの中の曲で、ソニーロリンズ(テナーサックス)やマックスローチ(ドラムス)と共演している。クリフォードブラウン(トランペット)のソロを採譜してみると、非常に数学的な音の配列が多くみられる。この点キースジャレットの散文的アドリブとは正反対である。ブラウンのソロは伝統的ジャズフレーズの慣用句にみちている。しかし、彼が吹くと慣用句は魔法のように息づき、歌があふれだす。暖かく、分厚く、しかも輝かしい音色で、誰の心にもダイレクトに響く美しい旋律となる。彼のソロはすべて傑作といってもよいが、これはその中でも最高のものと思う。
Wynton Kelly / All of You
 マイルスデイビス(トランペット)のリーダーアルバムでブラックホークのライブ盤に はいっている。マイルスもよいが、このアルバムのウイントンケリー(ピアノ)は素晴ら しい。特にこの曲のマイルスにからむケリーの伴奏はとにかくカッコイイし、粋である。 ソロはいわゆるケリー節とよばれている彼一流の慣用句であるが、後ノリのタイミングが 絶妙で抜群にスウィングし、タッチの切れ味よく飽きさせない。ついでに紹介すると、同 じアルバム中の次の曲、No Bluesのケリーのソロはブルースとして完璧なものである。ど のフレーズもこれ以外ありえなかったのではと思わせるほど、非のうちどころがない。
Herbie Hancock / New York Minute
 本人がリーダーのThe New StandardというCDの1曲目のナンバーである。ハンコック(ピアノ)のソロは完璧な後ノリの教科書のような演奏となっている。例えていうと、彼の弾きかたは「抜き足差し足」のように聴こえ、私はこの感じをつかむことで、後ノリの弾きかたができるようになった。ハンコックはジャズ以外の音楽もいろいろとやっている才人だが、彼の弾くピアノやキーボードにはいつもジャズが感じられる。その原因はこのノリにあると思う。エロールガーナ―(ピアノ)やデクスターゴードン(テナーサックス)はかなり露骨な後ノリをするので、彼らのCDも聴いてみるとよい。
 最後に、ジャズらしい演奏とはいえないかもしれないが、最近の私の愛聴盤を紹介したい。キースジャレットが病気療養中(慢性疲労症候群?)に録音したソロピアノアルバムで、「Melody At Night With You」である。この中で、キースはほとんどアドリブをせず、スタンダード曲のメロディーを淡々と弾いてゆく。ここには溢れる才気やリズムの興奮はないが、そのかわりに哀しみを秘めたやすらぎがある。どの曲も良いが、なかでも素晴らしいのは「Be My Love」である。きっとその切なさに胸うたれると思う。