実験企画
  「あそこ」へ行って今しか乗れない「あれ」に乗ろう!
漂流旅記


 
「実験企画」として、4月14日夜から旅の記録を随時更新していく予定です。

2000.04.16 01:00 1718更新
2000.04.16 9:20 19更新
2000.04.16 10:35 20更新




 
01.プロローグ(2000.04.06 10:00pm)

それはとある木曜の夜、残業中のことだった。
ふと、どこか遠くへ行きたくなったのである。
べつにどこでもいい。とにかくどこか遠くへ行きたい…。
それは仕事からの、義務からの、逃避から始まった。

しばしの妄想の後、ふと一つの考えがわたしの中に浮かんできた。

…行きたいところは色々有るが、いま、行くなら「あそこ」しか無いな。今行かなければ後悔しそうな「あそこ」。「あそこ」に行っていましか乗れない「あれ」に乗りに行こう。行くだけなら2日もあればいいし。
こうして、逃避から始まった妄想は少しづつ現実味を帯びはじめてきた。
02.情報収集(2000.04.07 0:30)

そろそろ電車も無くなるので仕事を切り上げ、帰宅する。
帰宅途中の電車の中でも、その「旅」についてのことばかり考えていた。
「あれ」はできるかなぁ。「あそこ」に行くのはちょっとツラいかなぁ…。
そういえば「あれ」を使う手もあるなぁ…
帰宅するなり、なにはともあれ現地の情報を確認する。
今いちばん旬な場所だけに、ネットでもちらほら情報が出回っている。しかし「あそこ」は「今」だけの限定で、なおかつ状況は刻々と変化しつづけているようである。基本的な情報はあちこちのサイトに上がっており、ただ「行く」だけならそれほどの困難もないようだが、詳細情報はほとんど無い。わたしとしてはいろいろなオプションを設定したいので、それに関する情報が欲しいのである。

結局数少ない断片的な情報と、普段の状況から、現地の現状を推測し、時刻表片手に日程を決める。時間が足りないのが最大の欠点だが、こればかりは仕方が無い。限られた条件の中で最大限の効果を得る為のプランを構築していく。

結局なんとか満足いくプランが出来上がる頃には時計の針は3時近くをさしていた。
出発は4月14日金曜日の夜に決まった。
 

03.旅立ち(2000.04.14 21:00)

そしてその14日がやってきた。
その日はいつもと変わらない時間に出社し、いつも通りの仕事をこなし、いつもどおりに過ごしていく。ポケットに指定券と、ちょっと大きめの鞄に洗面道具とノートパソコンが詰め込まれていることを除けば。
ふだんは9時10時当たり前のだらしの無い仕事をしているわたしだが、今日は7時に仕事を切り上げ退社する。
目的の列車の発車時間までまだ間があるので、飯田橋の蕎麦屋へ向かい腹ごしらえをする。
そして21:20、店を出て駅へと向かう。
いよいよ旅立ちである。
04.上野へ(2000.04.14 21:30)

やはり、仕事からの逃避の旅であれば、その出発点はここしかあるまい。
そう、上野駅。
「上野発の夜行列車」で旅に出るのである。
蕎麦屋で偶然であった友人S氏とU氏が見送ってくれる中、寝台特急はくつる号で北へと向かうのであった。
上野駅15番線22:08、はくつる号が入線してくる。
S氏、U氏と馬鹿話をするうち、発車の時刻がやってくる。

22:23 「寝台特急はくつる号」は客車列車特有のショックとともに発車し、東北本線を一路北へと向かう。
 

05.黒磯から那須塩原あたり(2000.04.15 1:30)

深夜、発車の軽いショックで目覚める。午前1時、黒磯である。
大宮停車までは覚えているが、連日の疲れもあり、また心地よいアルコールの酔いとこれまた心地よい寝台車のゆれのため早々に寝てしまったようだ。

しばし、窓からの景色を堪能する。
周りはすっかり寝静まっている。通路は静まりかえり、規則正しい列車のジョイント音だけが眠りを誘う。
「はくつる」は北を目指し駆けていく。
わたしの気持ちもだんだんと「東京」という現実から離れていく。
さあ、もう一眠りしてさらに遠くの「非現実」に行こう。
 

06.青森(2000.04.15.8:20)

はくつる号は定刻に終着駅青森に到着した。
青森では小雨がぱらついている。春の陽気だった東京に比べると肌寒い。
ここで乗り換えである。さらに北を目指すべく。

接続する列車はこれまで乗ってきた「はくつる号」と同じ寝台特急の「日本海1号」である。この列車は昨晩大阪を出て、今青森に到着、さらに北の函館まで向かうのである。
青森で編成の半分を切り離し、客車5両(うち1両は荷物車)という身軽な編成となり、「日本海1号」は函館に向けて出発する。
いよいよ北海道に入る。「あれ」に逢うために。
 

07.青函トンネル(2000.04.15 9:50)

9:40 青函トンネルに入る。
もう、何度と無くこのトンネルをくぐっているが、いまだに感慨深いものがある。むろん、「北海道に行く」ということへの感慨もあるが、それ以上にこれを建設し、維持されているという事実に深く思い入るのである。
それだけに、今JR北海道が展開しているイベント「ドラえもん海底列車(※)」という企画は哀しいものがあるが。
※函館青森間の快速海峡号を、ドラえもんのぬいぐるみやステッカーで装飾し、観光列車化する企画。もうずいぶん古い客車たちにのび太やジャイアンが貼られている姿はあまりに忍びない…
トンネルを抜けるとそこはまだ所々に残雪の残る早春の北海道であった。
海峡沿いにしばらく走り、車窓に函館山が見えてくる。
函館も近い。
08.「あれ」との出会い(2000.04.15 11:30)

11:26 寝台特急「日本海1号」は薄日が差す函館に到着する。
いよいよ今回の目的の「あれ」との出会いである。ということで、これが「あれ」、そう、「臨時特急北斗号」である。
見た目は普段函館と札幌を結んでいる特急「北斗号」となんら変わらない、というか、そのものである。函館と札幌を結んでいることにも変わりが無い。しかし、いまこの特急列車には頭に「臨時」という文字がついている。
そう、普段長万部から札幌まで室蘭本線・千歳線経由で運行されている特急「北斗号」は、いま洞爺湖畔の有珠山の影響で室蘭本線が寸断されてしまっているせいで、その区間を函館本線経由で運転されており、そのため頭に「臨時」の文字がついているのである。

なぜ、わざわざそんなことのために北海道くんだりまで来るのかと疑問に思われる向きもおられるだろう。しかし、この函館本線経由というのが、実は非常に重い意味を持つのである。

かつて、まだ鉄道が長距離輸送の雄として君臨していたころ、函館本線は、青函連絡線のターミナル函館から道内各地へと優等列車が運行されていた第1級の本線だった。しかし、函館本線の長万部小樽間は、鉄道ファンが「山線」と呼ぶほど、そのほとんどが険しい山の中であり、勾配やカーブが連続する区間で、輸送上のネックとなっていた。そのため、距離は長くなるものの、平坦な区間が多い内浦湾沿いの室蘭本線の整備が進み、いまでは優等列車のすべてが、鉄道ファンが言うところの「海線」、すなわち室蘭本線経由となった。いっぽうの函館本線は1日に数本、1〜2両のディーゼルカーが走るだけのローカル線に成り下がってしまったのである。
しかし険しい地形を走るということは、それだけ景色の良い路線であるということでもある。日本最大の蒸気機関車C62が走っていたり、有名撮影ポイントが多数あったりしたこともあって、この「山線」に特別の思い入れがある鉄道ファンは少なくない。

そして今回、有珠山の噴火のせいでその「海線」が寸断されてしまった今、「旧街道」である「山線」が函館と道内各地を結ぶ唯一の鉄路となった。かつての栄光を取り戻すかのように「山線」には、いまだけの「臨時」ではあるが、多くの特急列車が走っている。
交換設備の多くが撤去されしまってはいるが、「第1級本線」として建設された過去を持つ「山線」ならではの「復活劇」なのである。わざわざわたしがこの北の大地までやってきたのは、それを見届けるためなのであった。
今回のタイトルの『「あそこ」へ行って今しか乗れない「あれ」に乗ろう』のあそことは「函館本線山線」、「あれ」とは「臨時特急」だったのである。そしていま、その目的の列車にたどり着いた。

いよいよ、「臨時特急北斗65号」の出発である。
 

09.臨時特急北斗65号(2000.04.15 13:00)

そしてその「臨時特急北斗65号」である。
従来函館札幌間を結ぶ特急北斗号には183系と新型の281系の2種類の車両が使われている。今回「臨時特急北斗65号」に使われているのは、従来型の183系のほうである。
今回の旅に際して、わたしは「1号車17番A席」の指定券を準備してきた。何を隠そうこの席は知られざる「展望席」なのであった。ただし先頭部の7号車は自由席であり、乗換え時間が少ない今回の日程では確保が不可能であったため、最後尾からの景色となってしまうが、それでもほかの席に比べるとおおきなメリットがある。
流れ去る鉄路を見ながら車内販売のワゴンで買い求めた「大沼牛 牛めし」とホットコーヒーで昼食をとる。

森でこのページのアップロードを試みるが、まだここにはPHSのアンテナは来ていないらしい。すると、次回のアップロードは小樽になってしまうだろう。

内浦湾沿いに列車は快調に飛ばしていく。海越しに今回のたびの遠因となった有珠山でも見えるかと思ったが、雲にさえぎられ見ることはできなかった。

列車は長万部へ近づく。そう、「山線」の始まりだ。
 

10.「山線」(2000.04.15 13:20)

「臨時特急北斗65号」は長万部からまっすぐ進む「海線(室蘭本線)」から分かれ、大きく左にカーブを切り「山線」に入る。
とたんに乗り心地が変わる。
これまでのコンクリート製の枕木、長いレールを使った線路から、木製の枕木、短いレールを使った線路へと変わったためである。
周囲の残雪も深くなっていく。
  
左が長万部まで、右が長万部からの線路。枕木が木製になっている

山線に入って二股、蕨岱の駅を通過する。両駅ともかつての交換設備は撤去され、わずかにその線路配置に名残をとどめるのみである。
 

11.目名峠(200004.15 .13.40)

最初の交換可能駅、黒松内を通過し、続いて交換設備が残る熱郛で上り「臨時特急北斗」と交換する。
熱郛の駅を出ると、いよいよ最初の難所「目名峠」である。
エンジンのうなりが大きくなる。勾配がきつくなってくる。線路は右へ左へと身を捩りつつ、峠へと向かっていく。
ガードレールが必要なくらい急なカーブをいくつも曲がり、「臨時特急北斗65号」は峠を登っていく。
雪が深い。

峠の長いトンネルをくぐると、旧上目名信号所である。かつて全力で峠を登った蒸気機関車たちがしばしの休憩を取った信号所も、もちろんいまは交換設備も撤去され、名残の保線詰め所がぽつんと立つのみである。
それからまたしばらく急なカーブで蛇行しつつ「臨時特急北斗65号」は峠を下っていく。
 

12.倶知安(2000.04.15 14:30)

目名峠を越えた後も、引き続きカーブの多い線路が続く。
最高速度時速130キロを誇る特急型ディーゼルカー183系も、ゆっくりゆっくり先を進む。

蘭越、昆布、ニセコと通過し、川沿いを進む。晴れていれば見えるはずのニセコアンヌプリも低い雲に隠れて見ることができない。
そして、「臨時特急北斗65号」は、小樽を除くと「山線」唯一の停車駅「倶知安」に停まる。
かつて胆振線が分岐していた広い構内は、胆振線が廃止されてから長い月日を経て、がらんとしている。わずかながらの停車の後、列車は次の難所「銀山越え」に挑む。
 

13.銀山越え(2000.04.15 14:50)

倶知安の次の小沢もかつて岩内線が分岐していた。崩れかけた一番線ホームにその跡が残る。
そのホームから、恐らく地元の子供たちであろう、この特急列車に手を振っている。普段なかなか見ることの無い列車だけに、彼らにも珍しいのだろう。

小沢を出るといよいよ「銀山越え」である。人気の無い谷あいに敷かれた線路を「臨時特急」は、あいかわらず身をくねらせつつ、ゆっくりと上っていく。
もう4月も中旬だというのに、谷は雪で埋まり、線路以外には家どころか道すらない。寒寒とした景色を、車内販売で買ったバニラアイスクリームを食べつつ、観賞する。MDプレーヤーには溝口肇。チェロの響きが雪景色とうまく重なる。
エンジンのうなりが高まる。雪に覆われた山肌が迫ってくる。

いよいよ峠の長いトンネルをくぐり、銀山駅へ進入する。
銀山駅の近くには数人の鉄道ファンがカメラを構えている。
彼らの前を「臨時特急北斗65号」はゆっくりと通過していく。
 

14.小樽(2000.04.15 15:30)

いよいよ最後の停車駅小樽が近づく。
カーブと急勾配の多い「山線」もここからは海沿いの平坦な複線電化の路線となる。
あと30分ほどで終点の札幌だ。「臨時特急北斗65号」は最後の力走にエンジンの唸りを上げる。

15.札幌(2000.04.15 16:10)

目的は達せられた。
無事「臨時特急北斗65号」は小雨の降る札幌に到着した。
普段は速い列車なら2時間半で走りきる区間を、この臨時特急は4時間半もかかってたどり着いた。しかし、それも「山線」があったからであって、また、その「旧街道」に優等列車を走らせたJR北海道を始めとするさまざまな人々の努力があってのことだろう。ありがとう。

16.さて…(2000.04.15 17:30)

さて…、目的は達せられた。
「ここ」に来て今しか乗れない「それ」に乗った今、あとやるべきことは、そう、帰るだけである。

札幌に1時間11分滞在したわたしは、そのまま17:13発の「寝台特急北斗星2号」で東京へ向かうのであった。もちろん「山線」経由で。
 

17.その後(2000.04.15 20:30)

(すでに酔っ払いモードに付き注意)
今年の3月11日にJRのダイヤ改正が行われた。
どこかに新型の特急列車が走るようになったりしたが、個人的には今回のダイヤ改正のもっとも大きな変更点は、「昼行列車からの食堂車全廃」であると思う。3月10日を持って昼行列車の食堂車として最後まで残っていた東海道山陽新幹線から食堂車が消えたのである。
いま、日本で食堂車で食事ができるのは、カシオペア、トワイライトエクスプレス、そしてこの北斗星だけになってしまった。

食堂車での食事がいかに心豊かなものであるのかについては、内田百閧フ阿呆列車を始めすでに語り尽くされている感がある。しかい、日本の鉄道会社はそれに反して食堂車をどんどん廃止に追い込んでいるのである。

今宵は久しぶりに列車での食事を楽しめる晩である。予約客以外でも食堂車に行くことができるパブタイムが始まると、わたしはいそいそと食堂車に向かうのであった。
 

18.グランシャリオ(2000.04.15 23:00)

北斗星の食堂車は「グランシャリオ」という名前で呼ばれている。いわゆる大熊座のことである。
そんなことはどうでも良い。パブタイム開始の車内放送とともに、わたしは食堂車に向かう。
きっと、多くの客で混雑していることだろう、もし着席できなければいったん部屋に戻ろう、などという覚悟の元に食堂車に向かったのだが、予想に反して、「大熊座」は一人の客もいなかった。

「お好きなところにおかけください」というウエイトレスの声に促され、近くの席に着き、とりあえずビールと、そしてビーフシチューを頼む。

そこで列車は行き違いのため、黒松内に停車した。窓越しに見える「くろまつない」という駅名票が旅情を誘う。かつてこの駅から私有鉄道が延びており、米国ボールドウィン製の美しい機関車が古い客車を従えて寿都という町まで走っていた。いまではもうほとんどその痕跡は無いが、先人が残した写真などで得た姿がすっかり暗くなった駅構内に浮かび上がる。

車掌から放送が入る。黒松内で行き違い予定の臨時特急が15分ほど送れているという。大変申し訳ございませんと放送は謝るが、わたしにとってはむしろ歓迎すべきことである。この豊かなひとときが延長されるのだから。

ほどなく、ビールとビーフシチューが運ばれてくる。きっと「レンジでチン」であることは容易に想像がつくが、それでも列車内で皿に盛られた料理が食せることを考えれば文句は言えない。

結局、この他にワイン赤白各1本、つまみふた皿を消費して、この日の夕食は終わった。
途中数人の客が出入りしたが、わたしがパブタイム最初の客であり、最後の客であった。要するに長っ尻。
勘定は7,500円。しかし、非常に心地よい。この満足が7,500円で得られるのであれば安いものである。再来を期して「大熊座」を去る。
 

19.そして東京へ(2000.04.16 9:00)

函館を出てしばらくしてから「大熊座」の席を立ち、上機嫌のままこのページを書き散らし、青森で送信してベッドに入る。「ILMA会議場」に、まるで書き捨てのごとく今回の旅の予告をしておいた。当然のごとくほかの発言に埋もれていったが、管理人のおかちん氏より反応があり喜ぶ。誰も見ていなくても自己満足として進めていた企画だが、誰かが見てくれていたということはなんだか嬉しい。

その夜は当然ベッドに入るなり意識を失う。

翌朝、7時ころ目が覚める。ほどなく郡山到着の案内放送がある。「山線」経由のための遅れはまだ尾を引いており、40分ほど遅れて運転しているという。昨晩「大熊座」にて買っておいたシャワーカードで、「湯水の如く」シャワーを浴び目を覚ます。当たり前のことかもしれないが、列車内に「シャワールーム」を設置するための必要な設備を考えると、310円は破格である。

さっぱりしたところで、朝食を食べに再び「大熊座」へと向かう。
さすがに今回はわたしが着席したところですべてのテーブルが埋まった。薄日がさす食堂車で「洋朝食」を食べる。そういえば今回のたびはほとんどが曇りや雨であった。しかし、特段気にならなかったのも事実である。スクランブルエッグとハムステーキを片付け、ミルクティーで仕上げる。

そうこうするうち、「寝台特急北斗星2号」は宇都宮に到着する。もう関東平野である。東京が近づいてくる。そして日常が近づいてくる。しばしの現実逃避ももうまもなく終わる。しかし、わずかな時間ではあったが、明日からの現実に立ち向かう気力が補充できたように感じる。

空の明るさも増してきたようだ。
 

20.エピローグ(2000.04.16 10:20)

10:15、「北斗星2号」は雨上がりの上野駅15番線ホームに身をくねらせつつ入線した。結局40分遅れの到着となった。
金曜日の夜、ここを出てから所要35時間52分、約5万円の現実逃避も終わった。

こんな駄文をここまで読んでいる方などおそらくほとんどいらっしゃらないだろうが、もしそんな奇特な方がいらしたら、「お付き合いどうもありがとうございました」。

…さぁて、家に帰るか。



おしまい

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2000.04.13〜16 (c)おりじゃ