国産旅客機YS11が往く! 漂流旅記


 
・旅の始まり
かつて日本には「日本航空機製造株式会社」という会社が存在し、そこで日本で最初の、そしておそらく最後になるであろう国産旅客機が製造されていた。その飛行機の名を『YS11』という。
昭和40年から180機以上が製造され、いまなお80機近くが就航しているという名機である。
しかし、製造以来30年を超えた今、いつ消え去ってもおかしくない状況である。機会があれば一度乗ってみたいと思い続けてきたが、なかなかそのチャンスは巡ってこなかった。

しかし1999年の年度末も押し迫った3月下旬のこと、ひょんなことから「午前中札幌、夕方釧路」という願ってもない用事が発生したのだった。もちろん札幌釧路間にはJR北海道の誇る283系気動車のスーパーおおぞらや、千歳空港からはジェット機も就航している。しかしわたしは迷うことなくエアーニッポン835便の予約を入れたのだった。
そう、そこにはYS11がいるのだった。
 

・丘珠空港
親戚が丘珠空港の近所に住んでいるという会社の同僚が、「丘珠ぁ?使ったことないけど前の道はよく通るから良く知ってるわよ、空港というよりは基地ね、基地!」などと言っておったんで否が応にも期待は高まっていたが、実際に始めて見る札幌丘珠空港は、やはり「基地」のよう。隅っこのほうに申し訳程度についてる空港ビルでチェックインすると、いるいる、YSが3機も!

さっそくさり気なく待合室の窓際に移動し、デジカメで撮影などしつつ搭乗時間を待つ。薄日が差しているものの雲が多いのが気掛かりではあったが。
 

・そして搭乗開始
いよいよ搭乗開始時間となり、期待に胸を膨らませつつ機体へと向かう。まじめなビジネスマンの振りをしながら、またもさりげに撮影しつつ搭乗。怪しさ満点の客である。
なぜかわたしはむかしからYS11は「ずんぐり」した機体だというイメージを持っていたのだが、間近で見るYS11はずいぶんとスマートであった。そして四枚羽根のプロペラがとても大きいものであることを改めて知ったのであった。
油圧収納式の関節がいっぱいついたタラップもじっくりと観察したいところだが、周囲の作業員や客の目もあり早々にタラップを昇り、前方左側の6Aの席に座る。
と、窓のそとには破れかけのロールズロイスのステッカーの貼られたダート10ターボプロップエンジンがわたしを出迎えた。

エンジンカウルのステッカー

・離陸
やがて最後の客が乗りこみ、ハッチが閉じられる。タービンのうなりとともにプロペラの回転が始まると、私の気持ちもどんどん盛り上がっていく。「うるさい」と評判の騒音もわたしには天国である。その騒音が一段と大きくなり離陸。決して最近のジェット機のような力強さはないが、北海道の晴れた空に着実に昇っていく。そう、知らないうちに空はすっかり晴れ渡っていたのである。

飛行高度が低いこともあり、地上の眺望はばっちりであった。ふと目をやると岩見沢市街、かつて石炭列車が列をなしていた操車場の広大な跡地が雪に覆われて輝いている。

三笠市から南富良野を通り、狩勝峠を越え、鹿追、士幌、本別と広大な十勝平野上空を飛ぶ。かつて地図とにらめっこしながら車や列車で何度も通っていたおかげで、体内ナビシステムの調子は好調、車窓の地形と脳内地図との照合もばっちり。地図など見なくても航路は手にとるように分かる。
 

・狩勝峠

この航路は狩勝峠はちょうど真上を飛ぶ。そこでは相対高度が低いこともあり、かつて猛吹雪の中ジムニーSJ10で苦労した(※)国道38号線「狩勝国道」のヘアピンカーブがくっきりと見える。。そして、その横の根室本線旧線の狩勝信号場のスイッチバック跡もはっきりと浮かび上がる。そして峠の向こうには蒸気機関車の名撮影地として名を馳せた根室本線旧線の大カーブの築堤も見える。ほかにもこの航路では国鉄幌内線や士幌線、白糠線、雄別炭坑鉄道の廃線跡や東鹿越の専用線まで見ることができ、鉄マインドも十分満足である。

(※)今を去ること12年前の2月、ジムニーSJ10で北海道放浪旅行をしていた時のこと、零下15度の猛吹雪の中、この峠を越えようとした。しかし、車載ヒーターの熱をすべてデフロスターにまわしても、フロントウインドは凍り付き、待避所ごとに停車し、ウインドの氷を溶かしながらなんとか越えた。そのときの車内温度は車外温度と大して変わらなかった。
…今となっては良い思い出である。

その後、用もないのに、設計に苦労したという後部の化粧室に行ってアルミ挽き物のドアノブに感心したり、申し訳についてるギャレーを見せてもらったりしているうちに、シートベルト着用サインが点いてしまった。YS11は定刻どおり無事釧路空港に着陸してあっという間の初搭乗50分間が終わった。

・旅の終わり
もはや現在の日本には自力で旅客機を作る力がない以上、YS11はおそらく史上最後の国産旅客機となることだろう。今YS11と同等の飛行機を作ろうにも、その設計・製造ノウハウは人々の引退とともに失われ、販売のルートは消えうせている。
YS11にはあのゼロ戦や紫電改、一式陸攻や二式大艇といった技術が生き残っていると言われている。かつての航空技術大国ニッポンに思いを寄せつつ、釧路空港を後にした。


夕日のYS11

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漂流旅記
2000.07.17 (c)おりじゃ