瀬戸内のちいさなフェリー航路 漂流旅記


 
・東京駅10番線22時00分
1999年7月のある日、東京駅22時ちょうど発の寝台特急「サンライズ瀬戸」号に乗り込む。明日の昼までに岡山に行く野暮用が出来てしまったのである。主催者側とすれば東京から来る人のことを考え、昼の集合にしたのだろうが、昼に岡山にたどり着くためにはどっちにしても朝から丸々会社を休む必要がある。しかも新幹線で岡山までというのは全く芸がない。それならば、ということで、前日の夜行で出発することにしたのである。
このサンライズ号の出発時間の22時というのは、わたしにとっては非常に都合が良い。21時ごろ仕事を終え、食料と飲み物を買い込み、東京駅10番線ホームに上がると、そこに列車が待っているという絶妙な時間なのだ。1998年7月の運行開始以来すでに数回お世話になっている。
この日も翌日の有給休暇分の仕事を残業でこなし、東京駅に向かう。いつもなら、東京駅近郊で酒やつまみの手配にかかるところだが、しかしこの日は事前に「また夜行列車で出かけるんだぜ! い〜だろ〜!」と 自慢 連絡してあった友人U氏が東京駅まで見送りに来る。しかも赤坂May−W1謹製おつまみ&ワインセットを携えて。
「流れ去る夜景を見ながらグラスを傾ける」というのは夜行列車の楽しみのひとつである。しかし、すでにほとんどの夜行列車から食堂車が消えてしまい、このサンライズ号にも食堂車の設備はない。そこで毎回自衛策として自ら食料・酒を持参するのだが、つまみが坂May−W1謹製とくれば、今夜の酒は一段と美味いものになろう。
・四国へ
至福の一夜が去り、目を覚ますと列車は瀬戸内地方を走っていた。まもなく岡山であるが、岡山到着は6時27分。集合時間の昼間でには時間がありすぎる。そしてもちろん岡山市内で時間を無駄に過ごす気はない。サンライズ瀬戸号に乗ったまま先に進むこととする。瀬戸大橋線児島駅を出ると、いよいよ瀬戸大橋を渡る。7月の日差しが瀬戸内海の水面に反射しキラキラと輝いて美しい。
 
 
 
 
・丸亀フェリーターミナル
さて、このまま高松を往復しても時間が余るし、第一「芸がない」。そこで今回はサンライズ瀬戸号を坂出(さかいで)で下車し、予讃線を西に向かい2駅目、丸亀駅で改札を出る。ここから今回の真の「旅」がはじまる。
駅の案内地図でおおよその場所を確認し歩き始める。乗換え時間は20分少々。その便を逃すと次の便まで2時間近く待たなければならない。途中には案内の看板も無く少々不安になりながら歩く。しかし時刻表にも記載の通り約5分で乗り場に到着し、胸をなでおろす。
丸亀のフェリーターミナルは鉄筋3階建ての堂々としたものである。
今回の目的はここ丸亀から対岸の岡山県下津井までを結ぶフェリー乗船である。この航路は江戸時代の金毘羅参りのころからつづく由緒正しい航路であるが、国鉄が宇野高松航路に鉄道連絡船を就航させたため、本州四国連絡のメインルートから外れてしまった。地元資本によりこの航路に接続する私有鉄道が建設されたが、本州側では岡山からの直通列車が走り、四国側では直接高松に入るという地の利に恵まれた国鉄に太刀打ちできるはずも無く、それらの私有鉄道ももうすでに廃止されて久しい。
そして航路の真横に瀬戸大橋が開通すると、その劣勢は致命的かと思われた。しかし本四連絡道の通行料が高かったこともあり、この航路も奇跡的に生き残っている。
 
・乗船
窓口で900円を支払い対岸下津井までの切符を買い、朝7時45分発のフェリー「まるがめ」に乗船する。乾舷の低い、波の低い内海に良くあるタイプのフェリーである。
乗船する車両は大型トラック2台、小型トラック1台、ライトバン1台の合計4台。車両甲板のほとんどが空いている。乗客は約40人ほど。皆クーラーの効いた船室に入っていくが、わたしは右舷前方のデッキに陣取る。露天デッキとは言え空は晴れ渡り、朝の日差しは柔らかく、海の爽やかな風もすがすがしく吹き、非常に快適である。だが、わたしのほかにこの特等席に来るものは誰もいない。
7時45分、定刻出航。約40分の四国滞在であった。「まるがめ」はまるで湖面のような穏やかな瀬戸内海に滑りだし、進路を北に向ける。
 
・瀬戸大橋
丸亀を出航するとすぐ、右舷側の輝く水面の向こうに瀬戸大橋が見えてくる。空は晴れているが遠くのほうは霞がかかり、本州側までは見えない。巨大な構造物である。しかもその下をくぐった小船が、フェリーの近くに来ると実は大きな船だったりして、改めて瀬戸大橋の巨大さに驚く。その橋を1時間前に渡ってきたのだ。

8時15分ころ、同時刻に下津井を出航した丸亀行きのフェリーとすれ違う。この「まるがめ」と同型船のようだ。逆光で良く見えないが、こちらの船名から類推するに、おそろく船名は「しもつい」であろう。

・本島
やがてフェリーは途中寄港地である本島に立ち寄る。瀬戸内海の小さな島である。
ここで小型トラックとライトバン、そしてわたしを除く乗客全員が下船した。フェリー乗り場には多くの車が停まっていたので、これから乗船するのかと思いきや、そのまま出航してしまった。あの車はいま下船した乗客たちの島内移動用のようだ。どおりでほとんどが軽自動車だった。
大型トラック2台とその運転手、そしてわたしを乗せた「まるがめ」は最終目的地の下津井へ進路を向けた。
・そして下津井
本島を出ると航路はますます瀬戸大橋に近づく。海は相変わらず穏やかで、橋は海の上に遥かに遠く続いている。いつもならこの時間は東京で満員電車に揺られていることを、爽やかな海風を受けながらふと思い出す。満員電車と同じ時間軸にこういうものが確かに存在しているのだ。来て良かったと思った。
現実逃避的な思索に耽るうちに、前方に下津井港が見えてきてしまった。すぐ近くまで丘陵地が迫る典型的な瀬戸内のちいさな港町である。フェリー用の埠頭の他には駐車場と古いプレハブの建物しかない。フェリーターミナルはどこなのだろうなどと考える。
そして下船準備の放送が入る。乗客も車両甲板まで降りてこいという指示に従い階段を降りる。ほどなく軽いショックとともに接岸し渡り板が下ろされる。わたしが岸壁に降り立つと、その脇を大型トラックが走りぬけていく。

下津井港側のフェリーターミナルはやはりその古ぼけたプレハブだった。あまりに的確にこの航路を象徴するその姿に哀しみを感じる前に笑ってしまった。
 

・そして幻に
それから2ヶ月後の9月、ふたたびこのときと同じようなシチュエーションで岡山に行く用事ができた。7月の印象が非常に良かったわたしは再びこの航路に乗ろうと時刻表をめくった。
しかし、そこにはすでに丸亀下津井航路は消えていた。1999年8月末で廃止になったと時刻表の隅に小さく記されていた。7月に訪問した時点ではその様な掲示が一切無かっただけに驚きは大きかった。たった2ヶ月前のあの思い出が遠い昔のことのように思えてきた。

今となってはあの小さなフェリーにはもう乗れない。そして古くから続いた由緒ある航路も途絶えた。

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漂流旅記
2000.08.06 (c)おりじゃ