ことばの路地裏(3) 小矢野哲夫(大阪外国語大学教授)
『毎日新聞』(大阪本社版)毎週木曜日夕刊に連載。(2004年4月1日からの分)
ご愛読のほど、よろしくお願いします。
2003年10月2日から2004年3月25日までの分はこちら
2004年10月7日からの分はこちら

2004年4月1日(第52回)

自分

 反照代名詞の一つ。「おのれ」「自己」と同類。話し手・聞き手・第三者のどれをも指す。その人自身。「自分を」「自分で」などの形では、文の主語の人称によって指す人物が異なる。
 「自分は」の形で話し手自身を指すことは全国共通で、主に男性が使う。ところが、関西では聞き手のことを、助詞を付けずに使う。「自分、今、何してる?」「自分、何学部?」「自分、これやっといて」など。この用法は非関西圏の人には違和感があるようだ。男女ともに使うが、聞き手は話し手と同等か目下に限る。
 類語の「おのれ」はかなり乱暴な響きを持つが、「自分」はそれよりまし。しかし、親しい関係が前提なので、やたらに使わない方がよい。4月から関西暮らしを始める人たちは気を付けてほしい。

2004年4月8日(第53回)

飯台

 食卓。ちゃぶ台とも。子どものころ、脚が折りたたみ式の円形のものを畳において座って食べた。聞くところでは、ちゃぶ台(座卓・ローテーブル)は、独身者や小家族で使われているとか。だが、「飯台」の語自体は、方言以外では消えつつある。俵元昭氏は「半死半生語」と名づけている。
 ただし、寿司飯台というものがあり、これは半切りのこと。
 飯台は茶の間にあり、家族が食後に談笑する場所でもあった。勉強机がわりにもなった。今の食卓にも同じような光景があろう。
 ことばは事物の消長と運命を共にすることがあるが、事物の機能は単一ではない。飯台は食卓・座卓などへと変ったが、機能は昔と似ている。古き良き時代を思い出す流行も手伝って、事物が残り、ことばが変った。

2004年4月15日(第54回)

ウエスト

 外来語をカタカナで表すと原語の発音やつづりが違っても同じになり、同音異義語ができる。
 @waist。人体の胴の一番くびれた部分。細腰。胴回り。
 Awest。方角の一つ、西。
 Bwaste。むだにする。
 長い間、野球の和製英語「ウエストボール」(waste pitch)や「ウエストする」の意味が分からなかった。調べたら分かることだが、労を惜しんだ。捨て球。
 カタカナ語としては同音異義語だが、使われる場面や構文が異なるために誤解は生じない。
 AとBは外来語を使わなくても済むが、@はウエストが最適だ。外来語に対する風当たりが厳しい。分かりやすい表現に言い換えるとしても、だれにとってそうなのかが問題。もはや細腰や胴回りにはもどらないだろう。

2004年4月22日(第55回)

筋金入り

 思想や身体が鍛え抜かれてしっかりしているさま。筋金は物を堅固に補強するために内部に入れる鉄の棒や線。これが比喩(ひゆ)的に用いられたもの。
 今では「筋金入りの身体」「筋金入りのファン」など内容が多様化して当たり前に使われるが、実は1949年の流行語。
 『日録20世紀』(講談社)によると、共産主義の信奉者のこと。抑留されていたシベリアから復員した日本兵が共産主義者に変わって帰国したそうで、その精神的な強さを「筋金入り」と呼んだ。
 半世紀を過ぎた今日、このような思想的な堅固さは影を潜めた感がある。「右向け、右」の号令一下、条件反射的に従ってしまうところに個性の輝きも自己の良心もない。上を見てばかりの「ヒラメ」に筋金を入れなきゃ。

2004年4月29日は夕刊が発行されないので掲載されていません。

2004年5月6日(第56回)

目を切る

 野球・サッカーなどの用語で、ボールから目を離すこと。
 球技では球の行方を絶えず追いかけていなければならない。投手や打者やスコアラーや審判員には「目を切らない」ことが求められる。「球から目を切る」「目を切るのが早い」「最後まで目を切るな」のように使う。目を切った結果、空振り、ベースカバーの遅れ、記録のミスなどが生じる。
 この「目」は「目を向ける」「目をそらす」「目を離す」の「目」と同様に「視線」の意。
 「目」も「切る」も普通の語だが、単純な足し算では意味が出てこないのが慣用句。そして、「目」は多義語だ。石臼(うす)にみぞを刻むのも、人形作りで義眼を埋めた部分を切って目を作るのも「目を切る」だ。文字通り目を切ってけがをすることもある。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年5月6日夕刊)

2004年5月13日(第57回)

遠足

 学校行事の一つ。社会見学・娯楽・運動などのために学校を出て遠くまで行くこと。
 言葉自体は江戸末期に使用例があり、文字通り歩いて遠くへ行くこと。少人数でも使われた。
 小学校のとき、全校児童が4`の距離を海まで歩いた。弁当と水筒を持ち、口には一里玉というあめ玉をしゃぶりながら。
 教育活動としての遠足は明治にさかのぼる。山住正巳『日本教育小史─近・現代─』によると、1886年2月に行われた東京師範学校の「行軍旅行」が遠足・修学旅行の起源とされる。集団訓練の目的も含み、運動会とともに、文部省が国策に沿って奨励したそうだ。
 学校では「校外学習」とも呼ぶ。教育活動面を表に出したもの。教育内容によっては徒歩では無理で「バス遠足」も行われる。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年5月13日夕刊)

2004年5月20日(第58回)

どぶどぶ

 「泥などの深く没しやすいさま」(大辞林)。田植えの時期の田んぼを想像するといいだろう。深いぬかるみに足がはまって抜けない状態になることを連想する。どぶ川やどぶさらいも思い浮かぶ。
 擬音語・擬態語は日本語の中に豊富にある。ワンワン、ニャンニャンのように多く2度繰り返す。部分的に音節を変えるとニュアンスも変わる。「どぼどぼ」は液体を大量に注ぐさまだし、「どばどば」は血が大量に流れ出るさまだ。「どろどろ」は粘りけをもって溶けるさま。繰り返さないで「ん」や「っ」や「り」を付けて「どぶん」「どばっ」「どろり」になると1回的で短時間のさまになる。
 長崎や佐賀では雨が激しく降るさまを「ザーザーザーで降る」と3回繰り返して言うそうだ。いかにも激しそうだ。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年5月20日夕刊)

2004年5月27日(第59回)

「を」と「に」

 格助詞が一つ変わるだけで意味が変わることがある。
 「手をかける」のは手間をかけることと暴力をふるうこと。意味が正反対だ。「手にかける」には人を殺す意味もある。「目をかける」と「目にかける」はほぼ同義で、ひいきすること。
 人が「楽をする」のを見ると腹が立つ。親を「楽にする」のは子の願い。「体を触る」と犯罪にもなるが、「体に触る」のは意図的でないこともある。
 「山を去る」のは人間で、「山に去る」のはサル。「舞台を降りる」のは演技の終了で、「舞台に降りる」には特殊な装置が必要。
 「壁をペンキで塗る」と全面塗装だが、「壁にペンキを塗る」のは部分的。「部屋を花で飾る」には花がたくさん要るが、「部屋に花を飾る」のは一輪挿しでもよい。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年5月27日夕刊)

2004年6月3日(第60回)

懐メロ

 NHKのラジオ番組「なつかしのメロディー」の略称が起源。ある人・世代にとって懐かしく思い出される流行歌など。
 電通の「広告景気年表」によると、この番組は1949年6月12日に放送開始。60年4月2日まで続いた。49年には「私は誰(だれ)でしょう」「とんち教室」「ラジオ寄席」「陽気な喫茶店」などが始まった。戦後のラジオ全盛時代。
 「懐メロ」の語の出現時期は未詳だが、『三省堂国語辞典』は60年の初版になく、74年の第2版にある。俗語扱いだからか、当たり前すぎる言葉だからか、普通の小型辞書には載っていない。
 「歌は思い出に寄り添い、思い出は歌に語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れてゆきます」という中西龍氏の名せりふが中年以上の者の懐メロ感覚に合う。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年6月3日夕刊)

2004年6月10日

ダブる

 二重になる。重なる。
 英語の「double」を動詞化したもの。最後の「る」が活用語尾となった。『秘密辞典』(1920)に出ており、「だぶった」の形も使われていたようだ。同様の例に「トラブる(trouble)=問題が起きる」「バトる(battle)=口論で対決する」「バブる(bubble)=頭がおかしくなる」がある。古くはドイツ語の「doppeln」(2倍にする)からできた学生用語「ドッペる」(留年する意)があり、「ダブる」にも同じ意味がある。
 「Wる」の表記もある。「W」は「uが二つ」の意だから「Wる」は奇妙だが、「W」に「ダブる」の意味を担わせたのだろう。
 最近できた語に「ググる」「グーグる」がある。インターネットの検索エンジンGoogleを使って検索すること。同題の本も出た。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年6月10日夕刊)

2004年6月17日

もく

 タバコの隠語。『ポケット隠語辞典』(1929)にてきやの隠語として載っている。「えんた」とも。
 語源は未詳だが、英語のsmokeからとか、煙を雲に見立てて逆に言ったものとか説明される。カタカナで書く方がしっくりする。
 「しけもく」は『警察隠語類集』(1956)に「煙草がない」ことで「煙草に時化(しけ)ている」とあるが、吸殻のこと。ただの吸殻ではなく、煙草がないときにやむなく火をつけて吸う。「もく拾い」で集めた吸殻を、紙で巻いて吸えるタバコにする。これも「しけもく」と呼んだ。「洋もく」は外国製のタバコ。学生時代、洋画の影響でいきがって吸った。「連れもく」は一緒にタバコを吸うこと。
 喫煙率は男性が減少、女性が増加の傾向にある。健康増進法が施行されて1年。紫煙の行方は?
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年6月17日夕刊)

2004年6月24日

断然

 比較を通して程度差が明確なさまを強調する語。昭和初期に流行。現在も一般語として使われる。
 二字漢語で「然」の付く語は多い。多くは「敢然、決然、公然、雑然、整然、漠然、平然、漫然、猛然」のように「と」を伴うが、断然は「が然、全然、当然」のように何も伴わず修飾語になる。
 1930年から32年のモダン語辞典に出ている。『モダン語漫画辞典』(中山由五郎著、31年)は「ダンゼン面白い」「ダンゼン凄(すげ)え」のように「ダンゼンと片仮名で書いてもらいたい。そうでないと気の抜けたソーダ水のようでピリッと来ない」と記している。当時のモガ(モダン・ガール)、モボ(モダン・ボーイ)が使っていた。モガが歩くのを、二人のモボが振り向いて「断然スマートだぜ」と言っている挿絵がついている。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年6月24日夕刊)

2004年7月1日

ありがとう

 所変われば品変わる。各地域には共通語とは異なるさまざまなことばがある。国立国語研究所の『方言文法全国地図』は約20前の高年齢層が使った語形の記録だ。
 「ありがとう」の地図に約30の方言形がある。近畿地方は「オーキニ」だが、高知、山口、鹿児島を除く九州各県、秋田などにも分布する。英語のサンキュー・ベリー・マッチの前略表現に相当する。「ダンダン」(鳥取県西部・島根県東部)も前略式だ。
 謝罪表現にも使われる「スミマセン」は中部地方以西で感謝表現として分布する。「キノドク」(福井・石川)、「タエガタイ」(山口)というのもある。静岡、山梨、長野、新潟などでは「ゴチソー」「ゴチソーサマ」と言う。
 各感謝表現には土地の人の暮らしの息づかいが感じられる。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年7月1日夕刊)

2004年7月8日

ものもらい

 まぶたにできるはれもの「ものもらい」の方言形は多様だ。国立国語研究所の『日本言語地図』に代表的語形が30近く採集されている。大阪・和歌山・奈良・兵庫南部は「メバチコ・メバツコ」、京都・滋賀・兵庫北部・香川を除く四国・山口・広島南部は「メイボ・メボ」。犬のくそに由来する「インノクソ」が九州に広く分布するが、熊本では「オヒメサン」と共存する。鳥取・岡山・広島北部・島根西部は「陪堂(ほいとう)」が変化した「ホイト・ホイタ」「メボイト・メボイタ」が分布する。
 これを治すまじないがある。20年前に大学生に聞いた。「患部に大豆を当て、その大豆を川に落とす」「つげのくしを畳でこすって温め、患部に当てる」「井戸にかごを半分だけ見せ、治してくれたら全部見せると祈る」など。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年7月15日夕刊)

2004年7月15日

鉛筆をなめる

 @何かの目的を実現するために、生の数値を都合のいいように調整すること。悪く言えば数値のでっち上げ、ごまかしだ。
 予算を獲得するために承認されやすい数値に修正する。選挙の結果を予想する際に、アンケート結果で出た客観的な数値を、見込みによって変更する。結論が出ているとき、それに合わせて数字をこじつける、など
 A国の政策に従ったら見返りとして、地方自治体に応分の予算措置を講じるというように、原則的な基盤予算とは異なる金額に変更すること。「アメとムチ」のアメに相当するやりかた。
 鉛筆をなめて書くと文字が多少濃くなる。鉛筆書きは下書きだ。このことが、変更する、修正するという比喩(ひゆ)的な意味を生んだのだろう。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年7月15日夕刊)

2004年7月22日

洋行帰り

 欧米へ留学・旅行して帰国すること。また、その人。
 現在では海外旅行や留学は日常的で話題にもなりにくく、ふざけて使う程度の価値になった感があるが、明治時代には、権威や知識や格調などの高い人として尊敬されていた。船で往復した。
 日本は近代化のために優れた人材を西洋に留学させた。洋行は一部の特別な人が受ける特権的なことだった。1884年、22歳の森鴎外はドイツへ留学を命じられた。
 鴎外は『妄想』(1911年)の中で述懐する。「これまでの洋行帰りは、希望に耀(かがや)く顔をして、行李(こうり)の中から道具を出して、何か新しい手品を取り立てて御覧に入れることになっていた」のだが「自分は丁度その反対の事をした」と。西洋一辺倒に傾く日本を憂えたのだ。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年7月22日夕刊

2004年7月29日

よろめきドラマ

 1957年、三島由紀夫『美徳のよろめき』が刊行され、同年の映画化で「よろめき」が流行語になった。ラジオで放送されていた「よろめきドラマ」は、60年、フジテレビが昼の時間帯に「日日の背信」を放送。よろめきドラマのはしりとなる。浮気・不倫をテーマにしたドラマで、ベッドシーンもあった。「昼メロ」(昼のメロドラマ‘melodrama’)の語も現れた。
 米川明彦編著『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』に「よろめき夫人」「よろめきマダム」などが紹介されている。中学生のころ、廊下でよろめいた女子を見て「よろめきマダム」などと言った。
 「よろめき」は「よろめく」の連用形派生名詞。この語に大人の女性の色っぽさ、切なさを感じるのは、よろめきドラマを見すぎたせいだろうか?
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年7月29日夕刊)

2004年8月5日

過疎

 この語が公的文書で使われたのは1966年7月、経済審議会地域部会が答申した「二十年後の地域経済ビジョン」が初めて。
 『日本経済新聞』66年10月11日朝刊「きょうのことば」欄で「人口の激しい減少のため、一定の生活水準が維持できなくなり、部落や村、町といった地域社会の単位が崩壊現象をひき起こすような状態」と説明される。国語辞典への登録は中型辞典で『広辞苑 第2版』(69年)、小型辞典で『岩波国語辞典 第2版』(71年)が早い。
 70年度から10年間の過疎地域対策緊急措置法以後、10年度ごとに、振興、活性化の特別措置法が施行され、現在は2009年度まで自立促進特措法が実施中。過疎地域は人口と財政力で認定される。少子高齢化の進行に伴って都市部でも過疎化が起きるかも。
(『毎日新聞』2004年8月5日夕刊)

2004年8月12日

顔に泥を塗る

 「顔」は多義語で、この慣用句では面目・名誉・メンツのこと。英語でもこの意味で‘face’と言う。泥は汚いもの。泥を塗られて名誉を傷つけられ、面目を失って激怒する人は権威を笠(かさ)に着る人。名誉や名声と無縁な暮らしでは泥は飛んでこない。
 紅顔の美少年も泥をかぶったり顔役になったりしているうちに、悪いことをしても何食わぬ顔をして知らぬ顔を決め込み厚顔無恥になることもある。
 文字通り、顔に泥を塗ることがある。泥んこ美容と呼ばれるもので、美顔泥パックなるものをする。泥にも身体への有効成分が含まれているものがあるそうだ。
 泥を投げ合ったり顔に塗ったりして無病息災や稲の豊作などを祈る泥んこ祭が各地で行われる。泥まみれになった顔も美しい。
(『毎日新聞』2004年8月12日夕刊)

2004年8月19日

ばば

 江戸後期ごろから使われている、大便を表す幼児語。猫には自分の糞(ふん)を、砂などをかけて隠す習性があることから、拾ったものなどをそのまま自分のものにすることを「猫ばば」と言う。
 きたないことを幼児語で「ばばい」「ばばっちい」と言った。「ばば色」は大便のようなきたない色で、「根性ばば色」は意地悪いこと。略して「根ばば」と言った。
 1998年ごろの若者ことばに「最悪」のことを表す「最ババ」というのがあった。「自転車、盗まれてん」「うわっ、最ババ!」。
 「ばばつかみ」は辞書に載っていないが、手相について言うと「ますかけ」「百にぎり」と逆で、手相が悪いこと。「くそにぎり」とも。野球の打球をしっかりつかまないことも「ばばつかみ」と言う。汚いものをつかむ手つきだ。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年8月19日夕刊)

2004年8月26日

しゃれ言葉

 だじゃれやオヤジギャグはひんしゅくを買うが、大阪には遊び心あふれる気の利いたしゃれ言葉が多くある。
 「夜明けの行燈(あんどん)」(うすぼんやり)、「下手な将棋」(金銀持って苦しんでいる)、「赤児のしょんべん」(ややこしい)。これは、ある調査で、現在でも日常生活の中で知られているベスト3。
 「八月の槍(やり)」も、盆の槍で、「ぼんやり」。「ややこ」は赤ん坊、「しい」はおしっこ。そもそも「ややこしい」はぐずる赤ん坊のように、わずらわしいさま。
 「赤子の行水」というのもある。赤子がたらいで泣くことだが、「たらいで」を「足らいで」(足らなくて)にかけている。
 「夏のハマグリ」「糊(のり)屋の看板」「糊屋ののの字」のなぞ解きに挑んでみてはいかが?
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年8月26日夕刊)

2004年9月2日

檄(げき)を飛ばす

 「檄」とは「自分の主張を述べて同意を求め、行動を促す文書。檄文」(『大辞林 第2版』)。だから「飛ばす」のは変だ。言語行動で「飛ばす」ものに「野次」「デマ」がある。これは口頭表現。これに「檄」が加わって慣用句化した。「檄」の誤用の下地がある。「激励」の「激」と解釈されたのか?
 文化庁の2003年度「国語に関する世論調査」で、74.1%の人がこの慣用句を誤解していることが分かった。「元気のない者に刺激を与えて活気付けること」だと。誤解率が高いのは20代と30代で8割強。16歳〜19歳の若者は誤解率が62.3%、正解率が19.8%と全年代で最も成績がいい。
 1970年11月25日、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で「檄文」をまいた。その内容をバルコニーから自衛隊員に向けて絶叫した。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年9月2日夕刊)

2004年9月9日

バイオ野菜

 細胞工学の技術を使った植物の品種改良が行われ、新種が誕生してきた。命名が面白い。
 細胞融合による方法では、カラタチとオレンジから「オレタチ」、ジャガイモ(ポテト)とトマトから「ポマト」などが作られた。ヒエとイネから「ヒネ」、メロンとカボチャから「メロチャ」なども試みられたが、系統がかなり遠いもの同士のため、うまくいかなかったらしい。1985、86年ごろのこと。その後、市場に出ていると聞かないが、必ずしも良い結果が出たとは言えないのだろうか。
 胚(はい)培養の方法では、ハクサイと赤キャベツを交配した「ハクラン」、キャベツと小松菜を交配した「千宝菜」があり、生産・出荷されているそうだ。
 トマピー、シューブル、グレーブル。これの元は何でしょう?
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年9月9日夕刊)

2004年9月16日(第75回)

ぽてんヒット

 野球で、飛球が内野手と外野手の中間に落ちてヒットになったもの。テキサス・ヒットの俗称。テキサス・ヒットは和製英語で、英語ではテキサス・リーガー(Texas leaguer)と言う。blooperとも。
 「ぽてん」はあまり重くない物が落ちるさまを表す副詞で、「ぽてんヒット」は和語と外来語が合成した混種語。カタカナ語の多い野球用語の中では珍しい造語だ。
 国語辞典には「ぽとり」の形で登録されているが、「ぽとん」「ぽてん」の語形もある。「ぽてん」は、やや俗語っぽい響きがある。必死で飛球を追う2、3人の野手のだれのグローブの中にも入らずに「ぽてん」と落ちてヒットになる。狙って打てるものではないだろう。だれが言い始めたのか分からないが、攻撃側のラッキーな感じが表れているようだ。

2004年9月30日

マドロス

 オランダ語の‘matroos’から。マタロス、マトロスとも。海員、水夫、船乗り、船員などと対訳される。しかし、それぞれに独自のイメージが伴っていて、マドロスとは一致しにくい。
 1950年代後半から60年代前半にかけて、歌謡曲でマドロスものが流行した。岡晴夫、春日八郎、田端義夫らが歌い、美空ひばりは10曲ほど歌っている。「マドロスさん」と呼ばれている。
 マドロスに伴うイメージは外国航路。夜霧の波止場。いったん航海に出ると長らく会えない。見送る妻や恋人。切なくもロマンチックな雰囲気の別れのシーンが思い浮かぶ。
 マドロスは今ではほとんど聞かれなくなったが、マドロス・パイプで紫煙をくゆらす愛煙家はいるかもしれない。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年9月30日夕刊)

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