第6回 すっきゃねん若者ことばの会 配付資料1996年11月16日 高槻市立生涯学習センター

『ロングバケーション』の若者ことば

小矢野哲夫

(1)
 みなさんはご覧になりましたか? 最終回(6月24日放送)の視聴率36.7%、トータル平均視聴率29.6%を記録した「ゲック」(フジテレビ月曜午後9時からのドラマ)のメガヒットドラマ『ロンバケ』こと『ロングバケーション』。(1996.4.15〜6.24)
 主人公の、山口智子演じる葉山南と、キムタクこと、SMAPの木村拓哉演じる瀬名秀俊のコミック・ラブストーリー。共演者も好演し、幅広い年齢層の視聴者が見ました。どこでも聞かれるような自然な会話がテンポよく進み、ドラマを盛り上げました。たとえば次のような会話がそれです。

 インスタント焼きそばを作ろうとして、瀬名は冷蔵庫を開けた。野菜籠を見て、彼は、あれ? と思った。中をいくら探しても、出てくるのは、にんじんやじゃがいもしかない。そこに電話のベルが鳴った。

「はい、もしもし」
「あ、もしもし、瀬名さんのお宅でしょうか」
「あ、ね、あなた、キャベツになんかやった?」
「ゲッ。所帯臭い第一声」
「違う。焼きそば作ろうと思ったんだけど、キャベツがないんだよ」
「ごめん。千切りにして食べた」
「それ、俺のキャベツじゃんよ」
「あたしのじゃがいも、あったよね」
「じゃがいもなんか普通、焼きそばに入れないでしょ」
「入れるもんねー、あたし。(送受器を離して)男のくせに細かいんだよう。(元に戻して)出て来ない? 萬金集合!」
「ええ?」(第6回 南と瀬名の会話。説明部分はノベライズ版、会話部分はビデオから)

 このドラマの中で、若者ことばがたくさん使われていました。一部のことばについては、『日本語学』9月号に書いた原稿で取り上げました。この発表では、それを踏まえて話します。

 「若者ことば」について、米川明彦さんの「若者語」の定義を引用しておきます。

 若者語とは中学生から三〇歳前後の男女が、仲間内で、会話促進・娯楽・連帯・イメージ伝達・隠蔽・緩衝・浄化などのために使う、規範からの自由と遊びを特徴に持つ特有の語や言い回しである。個々の語について個人の使用、言語意識にかなり差がある。また時代によっても違う。若者ことばともいう。(米川明彦『現代若者ことば考』丸善ライブラリー、1996年、p.12)

 また、米川さんの次の新聞記事も紹介しておきます。

 若者語についてまとめておこう。
 第一に、若者語は仲間内のことばであって、ヨソ者には使わない。ヨソ者が聞いて訳のわからぬ変なことばだという批判は見当違いだ。
 第二に、若者語は会話のノリを楽しむことが一番の特徴だ。そのために既成のことばにない語形・意味・用法を用いて、会話を楽しんでいる。
 第三に、若者語は大人の社会・歴史の産物だ。とくに七〇年代以後、社会の消費・娯楽化と密接に結びついた。若者語批判はそのまま日本社会批判につながる。
 第四に、若者はいつも若者語だけをしゃべっているのではない。ヨソに向かっては普通のことばで話している。
 第五に、若者語調査をしたところ、積極的・外交的で仲間が多く、自己主張が強く、物やことばの流行に敏感なタイプの若者ほど、よく使うことがわかった。
 第六に、若者語は「チョベリバ」に代表される「コギャル語」も含むが、それは特殊な例で、若者語とイコールではない。
 若者批判には、場面・目的・社会背景を無視した的はずれのものが多い。若者語への誤解や偏見がとけたら幸いだ。
(『朝日新聞』1996年10月27日日曜版3面「日本語よ」欄(30) 米川明彦「若者語 地雷踏む」)

(2)
 ドラマは1996年春から始まります。葉山南は4月15日で31歳になる、花婿に逃げられた売れないモデル、瀬名秀俊は24歳の落ちこぼれピアニスト。真二(竹野内豊)は南の弟で瀬名と同い年の24歳。奥沢涼子(松たか子)は芸大でピアノを専攻している学生で、瀬名が思いを寄せている女性。小石川桃子(稲森いずみ)は南と同じ事務所に所属している後輩のモデル。るうこと氷室ルミ子(りょう)は真二の恋人。佐々木(森本レオ)は芸大の教授。登場人物のうちで「若者」の部類に入るのは、20歳代がほとんどで、若者中期および後期とでも呼べる人たちです。南と瀬名の会話からは、南の、7歳年上の女性としての余裕が感じられます。いわゆる若者ことばが同年齢、同年代の中で取り上げられることが多かったと思いますが、『ロンバケ』は一味違ったシチュエーションの中で若者を描いていると言えるでしょう。
 ところで、ドラマのノベライズ版『ロングバケーション』(北川悦吏子著、角川書店)も出版されています。たいていの会話はドラマと同じですが、とくに南と瀬名の会話には、かなりの違いが見られます。これは、ふたりのアドリブによるものと考えられます。ほかの登場人物の発話にも違いの見られる部分があります。会話の表現を、ノベライズ版とドラマで対比してみようと思います。

 先日の『毎日新聞』に、次のような主旨の記事がありました。

 NHKの番組「ことばてれび」に視聴者から「テレビドラマや小説の中で、よく、『……してくれたまえ』とか『……したまえ』ということばが出てきますが、現実には耳にしたことがありません。実際にそう言っている人がいるんですか」という質問があったそうです。これに対して、国立国語研究所の杉戸清樹さんが「小説などでは、現実に話されるかどうかよりも、それらしくきこえる、らしく読める、ということを重視するので、こういうことばが使われるのだと思います」と答えたそうです。
(『毎日新聞』1996年9月19日夕刊「月刊しみずよしのり新聞」)

 さらに、「らしくきこえる、らしく読める」ための特徴が示してありました。

 1) 約束ごとの、記号的台詞
 2) 現実をテープに録音して、テープ起こししたようには台詞は書けるものではない
 3) 小説の中の会話は、小説用に再構成された虚構のことばである。
 4) 小説の中には小説の中の記号としての女性ことばが氾濫する。
 (太字は小矢野)

 さきほど、「どこでも聞かれるような自然な会話がテンポよく進」んだと言いましたが、上の指摘からすると、『ロングバケーション』は、一般的なドラマや小説とはいささか様子が違っているということになるでしょう。作者の北川悦吏子さんが、若者ことばだと思って、あるいは若者「らしくきこえる」ように、小説の会話部分(おそらくシナリオにも)に使った用語や言い回しが、同じものもありますが、テレビドラマの出演者である若者によって、いくぶん修正された形でドラマで放送されました。
 たとえば以下の例がそれです。(「」はノベライズ版、「」はドラマの略称)

 お茶する(←お茶飲む)

 「ねえ、瀬名。私たち、ともだちでいようね」
  「何だよ、気持ち悪い」
  「恋人出来ても、結婚してもさ。いや、瀬名は結婚出来ないかもしれないじゃん。そしたら、老人ホームにね、たずねてってあげる」
  「いらねえよ」
  「そいでね、縁側でお茶飲むの。屋上のビールの代わりに」(p.168、瀬名に対する南の発話)

 「瀬名くん、ずっとともだちでいようね」
  「気持ち悪い」
  「たとえ恋人出来たとしても、結婚したとしても。あ、瀬名くん、結婚出来ないかも  しれないか。そしたら、老人ホームに、たずねてってあげるよ」
  「いいです」
  「なら、縁側でお茶しようぜ」
  「しようぜ?」
  「ぜ」(第6回)

 ごまける(→ごまかせる)(「ごまける」が若者ことばかどうかは未詳です。)

 「ねえ、瀬名くん、早いとこエッチしちゃえば」いきなり南が言った。
  「えっ?」
  「そうすれば、趣味の違いとか、性格の不一致とか、結構、いろんなことごまけると思うよ」(p.140、瀬名に対する南の発話)

 「早いとこエッチしちゃえ」
  「はい?」
  「エッチ。そうすれば、性格の不一致とか、趣味の違いとか、結構、ごまかせるんじゃないの」(第5回)

 自分(自称としての)(注1)

 「あわてて髪、黒くして清純派で売り出そうとしたんでしょウチの事務所が」
  「はあ……」と南は感心して言った。「あなた、そういうとこ鋭いね」
  「同じですからね。自分も……」ヤンキーっぽくそう言うと、桃子はラーメンをズズズッと食べた。
  「……そうだったんだ……」南は何かいけないことを聞いたような気がした。(p.70-71、南に対する桃子の発話)

 ド「あわてて? 髪? 黒くして 清純派で売り出そうとしたんでしょ? ウチの事務所が」
  「桃ちゃん、そこのところ鋭いわ」
  「おんなじですからね。自分も……」
  「……そうすか」(第3回)

 〜(っ)しょ(注2)(→でしょ)

 「かんべんして下さいよ。自分、いくつと思ってんですか? そんな仕事あるわけないっしょ」(p.24、南に対するマネージャーの斉藤の発話)
 「かんべんして下さいよ。自分、いくつと思ってんですか? そんな仕事あるわけないでしょ」(第1回)

 「私のじゃがいも、あったっしょ」(p.177、瀬名に対する南の発話)
 「あたしのじゃがいも、あったよね」(第6回)

 「斉藤さんじゃなくても、いっぱいいたっしょ」(p.222、るうに対する南の発話)
 (この部分のセリフはない)

 「現に、姉ちゃん、今日、杉崎さん、迎えに行ってんだぜ。瀬名と何かあるわけないっしょ」(p.236、真二の桃子に対する発話)
 「だって、姉ちゃん、杉ちゃんとこ行ってんだぜ。瀬名と何かあるわけないっしょ」 (第8回)

 〜(っ)す

 「……そうだったんだ……」(p.71、桃子に対する南の発話)
 「……そうか……」(第3回)

 「渋いっすね」(p.106、佐々木教授の方をうっとり見ている桃子の、南に対する発話)
 「渋いっすね」(第4回)

 「ねえ、桃ちゃん、まずいよ。まずいってば」
 「いいじゃんすか」
 「だって、今日は、涼子ちゃんが来るから、遅く帰るって言ってあるし……」
 桃子はつと立ち止まると、言った。
 「とか言いながら、先輩。さっきから口だけですよね。ぜんぜん、止めてないっすよ」 (p.119、南に対する桃子の発話)

 「ねえ、桃ちゃん、まずいよ。まずいんじゃないかな」
 「いいじゃんか」
 「だって、今日、涼子ちゃん来るっていうから、わたしはなるたけ遅くに帰らせていただきますって、ゆってきたんだよ」
 「とか言いながら、先輩。さっきから口だけですよね。ぜんぜん、止めてないっすよ」 (第4回)

 ぜんぜん(注3)

 「ごめんなさい、こんな夜中に……私、どうしても話したいこと……」(p.154、瀬名に対する涼子の発話)
 「ごめんなさい、こんな夜中に……」
 「ううん、全然大丈夫」(涼子に対する瀬名の発話)(第6回冒頭)

 「今までより、きっと楽しい」(p.338、南に対する瀬名の発話)
 「今よりもさぁ、ぜんぜん楽しいと思うから」(第11回)

 やっぱ(←やっぱり)

 やっぱ、水商売するの?」(p.57、弟の真二に対する南の発話)
 やっぱり、水商売するんだ」(第2回)

 「でも、来なかった。やっぱ人違いだったのかな」(p.62、瀬名に対する南の発話)
 「あ、でも、やっぱ来なかった。人違いだったなあ」(第2回)

 〜入ってる

 「君の声が、今も胸に響くよ、それは愛が彷徨さまよう♪♪……私の方がうまいじゃんねえ」(p.73、桃子に対する南の発話)
 「(南と桃子が一緒に歌う)君の声が、今も胸に響くよ」

 「先輩、演歌入ってるぅ」(南に対する桃子の発話)(第3回)
 「時々、女になってるから。言葉が」(p.137、南に対する瀬名の発話)

 「時々、言葉に女が入ってるから」(第5回)
 「涼子ちゃんの指は、他の人の指と違う」
 「……」
「水鳥が湖を舞うように、ピアノの上で舞う」
「先輩……こんな時に、ポエムしてる」(瀬名に対する涼子の発話)

「涼子ちゃんの指は、他の人の指と違うんだから」
「……」
「なんていうかなあ、涼子ちゃんの指はさあ、水鳥が舞うみたいに、ほら、鍵盤の上をこう舞ってるじゃない」
「先輩、また詩人入ってますよ」(第9回)

  このほかに単語レベル、フレーズレベルの若者語(と思われるもの)がありますので、先の原稿でも紹介しましたが、一部を再掲します。

 アマン(=恋人) エッチする ゲットする サイテー(=最低) 渋い 死んでる 地雷踏む 先輩 タメ ダー(=ダーリン) チョベリバ パニる(=パニックに陥る。混乱する) バリバリ ブリブリ(=ブリッ子) 目がラブラブ

駄洒落

タロイモー(=ただいま) お帰りーゼのために(=お帰り) ただいまカロニグラタン(ただいま)

程度の表現

 上に挙げた「チョベリバ」「バリバリ」などは、程度を表現する若者ことばです。どんな程度を表現して入るのかということは、客観的にはなかなか分析しにくいのですが、声の調子や顔の表情によってある程度、理解することができます。有名になった「チョベリバ」の使用例を見てみましょう。

「(瀬名を見て)ここはひとつ、ゲットするかな」
「あー、もうなんか、この辺(首筋をかきながら)かゆくなる。そのゲットとか言うのやめて」
「じゃあぁ、チョベリバー」
「なにそれ」
「超ベリーバッド」
「ぜーったいダメ。省略形、ぜったいダメ、一切、ダメ」
「じゃあ、トヨエツは?」
「それはいいー」
「なんでぇ?」
「結構好きー」(第1回 桃子と南の会話)

 ここでの「チョベリバ」は、単なる素材としての単語であって、具体的な文脈において使用されているものではありません。次の例は、場面に合った使い方になっています。

(南と桃子が一緒にチェストを運んでいる。桃子が手を離したためにチェストが落ち、脚が折れてしまった。桃子があわてて帰ったあと、南が独り言のように)
「チョベリバ」(第1回 南の独話)

 南は覚えたての用語を、チェストが壊れてしまった状態について使用しています。呆然とした表情です。これは外的な状況といい、南の心理状態とその程度といい、「チョベリバ」の語がさししめしている意味を的確に表現しています。

 このほかに、次のような表現があります。

「1ミリも〜ない」「1ミクロンも〜ない」

「あと、安心して。私、年下には1ミリも興味ないから。あなた襲うなんてこと、ないないない」
「ぼくも、年上には1ミクロンも興味ないですから」(第1回 南と瀬名の会話)

「結構」

「おれ、あなたの結構、ファンだったから」(第5回 南に対する杉崎の発話)

 「結構」の程度性はやっかいですが、杉崎は「サラッと」表現しています。このあと、この状況を南が瀬名に話すとき、「結構」というのが「さりげなくて」よかったと言っています。「おれ、あなたのファンだったから」のように、程度を明示しないで表現するより、「サラッと」ではあっても、「結構」を挿入することによって、中年の入り口にさしかかっている杉崎の、南に対する好感・好意が現れています。それをまた、南は素直にうれしいと感じています。「結構」を媒介にして2人の淡い恋心がうまく描かれていると思います。

「チョー」

 「その人ね、チョー有名なカメラマンでね、チョーカッコいいんだよ」(第5回 瀬名に対する南の発話)

 南は、杉崎から「結構ファンだった」と言われたことがうれしくて、心底うれしいといった満面の笑顔で明るく「チョー」と長く延ばして使っています。ドラマは発話の具体性を映像および音声の両面から支えています。

「一生」

「暇んなったら電話するって……」
「暇になったら電話する、……怖い言葉だな」
「どういう意味ですか、それ」
「なんかさ、暇になったら電話するってさ、もう一生かかってこないような気ィしない?」(第5回 瀬名と南の会話)

 最後に、直接、程度を表現しているのではありませんが、程度のはなはだしさをうかがわせる表現を紹介しておきます。

「何かいいことあったの?」
「なんで分かんの?」
「顔で打ち上げ花火バンバンあげてたら分かりますよ」(第5回 瀬名と南の会話)

(3)

平板アクセント

 「平板アクセント」は専門家アクセントとも言われていて、もとは、ミュージシャン、コンピューター関係、アパレル関係などの業界の人たちが、仲間内で使用していたものだと思います。とくに東京にはいろんな地域から人が集まってきますから、それぞれの地域のアクセントが飛び交うことになるだろうと思います。そこで、いわば仲間同士の会話では一定の共同意識、連帯意識を形成するために、このようなアクセントが生まれたのではないでしょうか。また、東京以外の地域の出身者で、地域固有のアクセントで出身地を見破られないために、あるいは、出身地域を隠すために便利であるという特徴も認めることができます。出身地を隠すことは、相手側に同化しアクセント面で予想されるコミュニケーションの阻害を未然に防ぐ機能をもっていると思います。

 ドラマのなかでは次のような語が平板化していました。

 アシスタント オーディション カメラマン ドラマ 美人 マネージャー ライブ

(4)

半クエスチョン

 近年、若い人に多く見られる、文中のある語の語尾を上げ、相手に尋ねるように間をあけるイントネーションについては、煩わしいと感ずる向きもあるが、個々人の音声表現の問題であり、相手や場面によることであって、一概に否定できるものではない。(第20期国語審議会「新しい時代に応じた国語施策について」(審議経過報告)1995年)

 「ああ、あの、表通りンとこのパチンコ屋。あそこでさあ、昨日あいつ、(ちょっと瀬名の方を振り返る)朝倉?(前を向く)見たの。で、また来んじゃないかなあって思ってたんだけど、あ、やっぱ来なかった。人違いだったなあ」(第2回 瀬名に対する南の発話)(?の部分で語尾を上げる)

 2人は面と向かい合っているのではなく、南が前にいて、瀬名がその1メートルほど後ろにいるという場面である。言及されている「あいつ」がだれなのか、シチュエーションからは瀬名に分からないところなので、南が、それが朝倉であることを明確に伝えるために(瀬名にはっきりと聞き取れるように)、語尾を上げてその語を際立たせて発音していると考えられます。

ラーメン屋「萬金」のカウンターに南と桃子が並んで座って、ラーメンを食べている。
「桃ちゃん、あいつ、そうとうなタマだよ。かわいい顔して、ねこかぶってるけど、絶対(チャーシューらしいものをかんだまま)もとは? 茶髪? ヤンキー系↓」
「そんなの見ればわかりますよ。(次第にヤンキーっぽい表情になる)スカート長ーくして、トイレに気に入らないやつ呼び出してましたよ」
「(ラーメンを口の中に入れたまま応答しているため、聞き取れず)」
あわてて? 髪? 黒くして↓清純派で売り出そうとしてたんでしょ? ウチの事務所が」(第3回)

 南が新人モデルと取っ組み合いのけんかをしたことを話題にしている場面です。食べながら、時々隣にいる相手に目をやりながら、食べることとしゃべることを同時に進行させているために半クエスチョンになっているのではないかと思われます。一方の桃子は、その新人モデルの付き人をしているので、素性をよく知っています。桃子のキャラクターとして、ゆっくりとした、いわば間延びしたしゃべりかたを出すために、この半クエスチョンを使用していると思われます。もっとも、桃子は、べつの場面では、「〜でぇー」のようなしゃべりかたもしています。

 半クエスチョンのイントネーションは、親しい間柄で使用されるもので、ある程度フォーマルな会話では抑制されたり、「〜ですか?」を付加したりする形になるでしょう。
 半クエスチョンが若い人に多く見られるということですが、次のような記事を見て、次第に使用年齢が上昇し、男性も使用しているさまがうかがえます。

 そうはいっても日本に住んでいるわけですからまったく日本語と関係なく生きるわけにはいきません。若い人同士の会話などは無視することにしていますから平気(理解しようとするからイラだつのです)ですが自分との会話となるとそうはいかない。話を前に進めるためには相槌のひとつもうたなければと思うからです。
 そこで今一番困っているのが若い人の話し方に多い半疑問というやつです。聞かれているかどうかがわからない。したがって返事をしていいのかどうかが分からない。こちらがオロオロしている間に話はどんどん前に進んでいく。一方的に相手のペースです。これにはさすがにイライラします。
 そして困ったことはこれが最近若い人から若くない人に移ってきたことです。プロ野球中継の解説者までがこの半疑問を使うようになった。「松井選手のですね、ホームラン?」てないい方を平気でする。自分の解説に自信がないからでしょうか?
(『毎日新聞』1996年6月17日夕刊「月刊しみずよしのり新聞」「冗談じゃネーム」欄「???」漫画家・高信太郎)

 「半クエスチョン」「半疑問」と呼ばれる奇妙なイントネーションをよく耳にする。これは文中の単語の語尾を疑問のように上げる言い方で、たとえば『昨日、喫茶店?で、お茶?してたら、田中さん?に会って…』のように、?マークのところで語尾を上げる。今や若者だけでなく、中高年にも広がっている。
(加治木美奈子「“日本語の乱れ”意識は止まらない〜第10回現代人の言語環境調査から〜」『放送研究と調査』1996年9月号 p.52)

 私の言っている「ハーフ・クエスチョン」は、観察するかぎり、若者にかぎらず、かなりの歳の人、あるいは男の人でも使っている様子をちょくちょく見かけるので驚くのです。
 最初にあれっとおもったのは三年前、一年間のアメリカ滞在から戻ってきたときです。友達や仕事仲間と話をしていると、今まで聞いたことのない話し方をする。こういうイントネーションは明らかにアメリカに行く以前にはなかったものだ。いったいいつからみんなして、こんな話し方をするようになったのだろう。(中略)
 私はどうもこのハーフ・クエスチョンが気に触ってしかたない。若者言葉だというならまだ納得もいくのですが、それ相応の年輩の方や、言葉を大事にしているはずの編集関係の人も、ときどき使われる。なんじゃ、この言葉の乱れ方は! と怒っているのです。
(阿川佐和子「ハーフ・クエスチョン?−言葉について(佐和子→弘之)」『ちくま』筑摩書房1996年9月号 pp.48-49)

(5)

〜じゃないですか

 「たとえば、恋人がいて、ほかにもう一人男の友だちがいるとするじゃないですか。『でもね、彼とはいいお友だち……』ウソつけこのやろう! とか思いませんか?」(第5回 南に対する桃子の発話)

 「〜じゃないですか」は、対話においてくだけすぎず、固くなりすぎないという人間関係を示しているように思います。学部の学生や大学院の学生が、教員である私に対して使用しても、違和感を持ちません。対等の関係なら、「〜じゃない」「〜やんか」といった形式になりますが、この形式を使用すると、「社会的な訓練の未熟な若者が、多少気を遣うべき相手に対して、さほど緊張しなくてもよい雰囲気で対話を継続するのに便利」だと思います。この形式の使用に気がついてからは、耳にする機会が多いと感じます。(参考記事 鳥居寛之「『じゃないですか』の自己主張」『月刊 日本語論』1994年10月号、p.140-143)

(注1)自称の「自分」について。 戻る

 NHKテレビの夏の高校野球中継に、対戦する両校野球部の部員が一人ずつ、ゲスト出演している。チャンスではことばに力が入り、チームが負けると涙を浮かべる。さわやかな印象だ▼しかし、見ていて一つ、どうも気になる点がある。「自分もそう思います」というふうに、彼らの多くが、一人称として「自分」を使うことだ。「ぼくもそう思います」とか「私も」のたぐいは、あまり聞けない。もっとも、野球部員たちに限らず、いまの若い世代では、「自分」という呼び方はかなり一般的らしいが▼私の場合、「自分」と聞くと反射的に、「旧軍」で兵隊が使った「自分」を連想してしまう。それで気になる。たとえば角川必携国語辞典の「自分」の項の説明には、〈一人称単数。わたくし。もと、軍隊で使われた〉とある。日本国語大辞典の例文の一つは、旧軍を舞台にした野間宏の作品『真空地帯』の兵士のことばだ。〈自分はいま(略)これをかかしてもらっています〉▼「私などといったら、たるんでいる、とビンタを食らったものだ」。軍隊を経験した人の話である。「いろいろな地方から軍隊に若者が集められた。わし、おら、わて……自分を指す呼び方もさまざまだ。おかしい、とからかわれる者もいた。それで『自分』を軍隊の統一用語にしたのだそうだ」。そんな解釈も聞いた▼もちろん、軍隊だけの用語ではない。江戸期の作品にも出てくるし、武者小路実篤は頻繁に用いた。けれども、昭和二十年代から三十年代にかけて学校教育を受けた私の世代では、「自分」は例外的だったと思う。これもいまの若者がよく使う「〇〇先輩」との言い方も聞かなかった。戦争の記憶が、まだ濃かったからだろうか▼わし、おら、わてなどには、土地土地のにおいが感じられる。「自分」は、どこかのっぺらぼうだ(『朝日新聞』1996年8月14日朝刊「天声人語」欄)(『朝日新聞』1996年8月19日朝刊同欄にも関連記事あり)戻る

(注2)「〜っしょ」については、次の記事にあるように、若者ことば化しつつある様子がうかがえます。戻る

 「昨日の宿題やってきたっしょ」
 これは、私が中学生のころ普通に話していたせりふだ。
 「〇〇っしょ」という言い方は、一般に北海道弁だと考えられているようだが、千葉県の君津、木更津辺りの若者もけっこう使う。高校生の弟のおしゃべりを聞いていても時々気がつくし、アルバイトしていた塾の中高生も使っていた。
 例えば、問題をはやく解けた生徒に講師が「お、はやいじゃん」と言えば、
 「はやいっしょー」とこたえる。
 講師の説明に納得できない生徒は、
 「えー、ちげっしょー」と反論する。
 また、書店でわいわいやっている女子高校生が、雑誌に載っている女の子を見て、
 「この子あたしたちより年下なんだよー」
 「えー、しんじられおー」
と言っているそばを通る別の女子高校生は
 「私『ラ・ラ・ラ・ラブソング』歌っちゃったー。あれちょー難しっしょー」と言っている(たぶんカラオケに行ったのだろう)。
 「〇〇っしょ」が方言だとはおととし大学のゼミで初めて知った。そのときはまだ千葉でも話されているという報告は無いということで、ちょっとした発見をしたような気になってうれしかった。それで興味をひかれ、卒業論文のテーマに取りあげることにした。アンケートを作り、君津の中学生と、君津周辺の大人に協力していただいた。
 ところで、君津市にある新日本製鉄株式会社の君津製鉄所には、転勤で他地域から移ってきた方が多く、北海道出身の方も多い。そこでアンケート結果を、親が北海道出身の人と生粋の千葉っ子とに分けて集計した。その結果、親が北海道の方が使用率が高く、大人より若者のほうが使うことがわかった。
 「〇〇っしょ」は、北海道から人間とともに千葉に渡り、千葉の新方言になったのではないだろうか。
 このごろ、この語尾は少し広まっているような気がする。雑誌で見かけたり、テレビから聞こえたりするし、千葉でも北海道でもない人の口から出てきたりするからだ。
 私が「〇〇っしょ」を方言だと思っていなかったように、君津の中学生にも共通語だと思っている生徒がかなり(50〜60%)いる。ということは、初めて「〇〇っしょ」を聞いた人でも「あ、方言だ。だっせー」とは思わないだろうし、タレントが使っているのを聞けば、自分も使ってみようとするだろう。
 今後、内房線、総武線、山手線と、もう少し上っていけば「〇〇っしょ」は、北海道でも千葉でもない、東京のちょっと耳新しい言い方として、若者たちに採用されていくかもしれない。(木更津市・清水りょう子「千葉県人も使うっしょ」『月刊言語』1996年8月号、p.144-145)戻る

(注3)「全然」の使用例で、若者が使用している例を追加しておきます。戻る

 「うちの母親はお姉ちゃんさえいればいいの。小さいころから成績が良くて美人で、親や教師ウケも全然いいし、入れたくてたまらなかった一流大学に入ったし。『あんたはママの子と思えない』っていつも言われてる」(『AERA』1996年11月18日号、p.63 東京の私立高校を中退した女子の発話)

【おまけ】

 何が若者だけに使用される若者ことばなのか、実のところ、はっきりしないことがあります。次のは、高橋章子さん(1952年東京生まれ)の『ビックリは忘れた頃にやってくる』(筑摩書房1996.6)から「若者ことば」と思われることばを中年の高橋さんが使用している例です。

・「あー、ノブさんって結婚してんだ
 などと単純に思った私であったが、まあ、その時はダンナさんだかお兄さんなんだか、聞けるよーな精神の状態じゃなかったから。(p.13)
・私、『話の特集』なんて読んだこともなかったけど、ヒマこいてたから、「じゃあ、行ってみよーかなー」となった次第。(p.20)
・私はビビった。(p.21)
・そんでなにか言われた時、状況がわかんないからどーゆうリアクションをしたらいいかって、どんどん心配が先に立つわけよ。そうするともう舞い上がっちゃって、発汗して心臓バクバクになって、電話が取れない。(p.25)

【おまけのおまけ】

 ところで、みなさんは「断然」という副詞を使いますか。「こっちの方が断然安い」とか、「断然トップだ」あるいはこれを略した「断トツ」などの言い方をなさるでしょうか。どうも、この「断然」は、若い人達はあまり使わないのではないかと思います。若い人なら、こんなとき、「絶対」を使うのではないでしょうか。『ロンバケ』でも「絶対」がよく使用されていました。
 ところが、ちょっと古い記事ですが、こんな表現がありました。

 後ろの方に、神戸から来たという女子校生の五人グループがいた。「SMAPより断然、良ちゃんと健ちゃんがいい。だって、じかに話ができるし、握手もできる」
 客席の一番後ろから、制服で舞台を見つめていた大阪市鶴見区の女子校生は「舞台が終わってから、出口の所でしゃべれるんよ」と、うれしそうだ。(『朝日新聞』1996年7月2日夕刊2面「夢芝居そして 大衆演劇の世界 第二幕 女子高生」)

 女子高校生が「断然」を使っているのです。身近な大学生に聞いたところ、「使わない」ということでした。ちょっと信じられません。あるいは、新聞記者が作った談話かもしれません。しかし、若い人は、古い、いわば「死語」のような言葉でも復活させることがありますから、実際に使ったのかもしれません。大阪外国語大学でちょっと調査しました。そのごく一部の声を引用しておきます。

 久しぶりに「断然」という活字を見たと思った。「〇〇ちゃん断トツトップやで。」ということはよく言うのだが、「断然」などということばは最近使った記憶がない。「そっちの方が断然いいよなあ。」と言っているのは最近でも良く聞くのだが、これと同じくらいよく聞かれるのが「そっちの方が全然いいよなあ。」ということだ。「全然」ということばの後ろには打ち消しの語をともなうはずだから「あれれっ?」と思うのだが、「断然」が「全然」にとってかわられつつあるのかもしれない。
(大阪外国語大学2年・山本亜久里さん、1996年9月17日)

 次は、比較的年配の人が使用している例で、この方は「断然」が流行語だった時期に少女時代を過ごしています。

 次に、付き合う範囲の人の頻度を聞いてみたら、断然女性のほうが社交関係の付き合いが多い。男性は仕事関係の付き合いが多い。(1939年生まれ女性の発言)『国文学解釈と鑑賞』1991年7月号26ページ)

 いま見渡すと、メモとりも書くのも断然エンピツ派はやっと一割ぐらいだろうか、メモとりはボールペンで、書くのはワープロでという“先進派”が多いようだ。(1931年?生まれ(1991年3月31日当時満60歳)女性の発言)、1991年3月31日当時満60歳、『国文学解釈と鑑賞』1991年7月号105ページ)

 私より若い男性が使用している例がありました。

 2年ぐらい前から、ピチピチTシャツにシースルーみたいな、武田真治的な格好をする男の子が出てきた。ああいう連中は女の友達のほうが断然多いんです。女の子とのコミュニケーションの方が合ってると考える。(宮台真司さん(1959年生まれ)の発言。『毎日新聞』1996年8月27日夕刊10面「pop culture」欄「ヒーリング」)

 次の例は、若い女性に言わせています。

 国際電話をかけるほど、
 だんぜん、おトク。
 KDDカード、誕生。(『朝日新聞』1996年9月29日朝刊17面 KDD広告)

このほかに阿木燿子さんの「ちょっとだけ堕天使」の中の「超M(『IN☆POCKET』講談社、1996年7月号、PP.125-129)、天野祐吉さんの「彼氏のゆくえ」(『朝日新聞』1996年11月10日朝刊20面「CM天気図」)を添付資料とした。

1996年11月16日(土)
高槻市立生涯学習センター展示ホール
第6回 すっきゃねん若者ことばの会
小矢野哲夫
『ロングバケーション』の若者ことば

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