マンガの漢字

小矢野哲夫

1.現在、マンガはどう読まれているのか

 マンガは現代日本における言語文化の一つとして位置づけうる。マンガに使われている漢字を考察するのが本章のテーマである。

 現在、各種のマンガが読まれている。マンガの媒体としては月刊誌、週刊誌、新聞、単行本などがある。月刊誌や週刊誌にはマンガ専門のものもある。読む対象によって、少年マンガ、少女マンガ、ヤング・コミック、レディス・コミックなどに分類される。しかし、すべてのジャンルのマンガを調査対象とすることは困難なので、本章では、マンガを限定し、筆者の子どもがよく読んでいる少年マンガを中心に、観察し、考察する。必要に応じて少女マンガも参照する。

 子どもに聞くと、マンガを読むときに、絵だけを見ることもあるし、言語表現を読むこともあるのだそうだ。連載マンガは雑誌が発売されると同時に買って読み、同じ雑誌を何度も繰り返し読んでいる。せりふを覚えてしまうこともある。

 近年、マンガのテレビアニメ化が盛んである。劇場映画化、テレビドラマ化されているものもある。アニメの場合は声優が言語表現を担う。絵柄の躍動感は動画によって構成される。色彩や光、音響や音楽、効果音などもアニメに相乗効果を生み出して視聴者に迫る。子どもは、アニメの動きや声優の声を想像しながらマンガを読んでいることも考えられる。現に、アニメで繰り返されるせりふを真似することがある。マンガの連続するコマとコマを、アニメの動きを連想して補いながら読んでいるとも考えられる。筆者が子どものころとは違ったマンガの読み方が行われていると考えるのがいいだろう。

 アニメの声優の声は、マンガでは文字による言語表現に置き換えられている。声には大小や高低といったパラ言語要素(非言語要素)があるが、マンガではそのパラ言語要素が文字のサイズや字体や飾りによって表現される。マンガの文字による言語表現は子どもが読む教科書の言語表現とは異なり、生の声の息遣いを感じることが出来るように工夫されている。仮想現実の世界を描くマンガは、黙読であっても内なる声を通じて、単なる観念的な読みではなく、身体動作として読まれているだろう。

 マンガは、一面においては絵である。極端な場合、言語表現のないマンガもある。言語表現のない絵本や写真と似ている。絵としてのマンガは絵柄によって意味を読み取ることになる。

 マンガは通常、複数の絵(コマ)が連続的に組み合わさってストーリーを形成している。この点で、語りのない紙芝居にも似ている。マンガは印刷媒体を使った静止画であるが、無声映画や音を消して見るテレビドラマのような映像にも通じる面がある。

 しかし、たいていのマンガには言語表現が伴っており、絵と一体となって受容されている。マンガの絵には躍動感が表現されたり、心的状態や対人的態度や心理が描かれたりする。それを補完するのが言語表現である。

 

2.マンガの表現・伝達機能

 こういった現状において、印刷されたマンガにおける文字による言語表現はどんな機能を持っていると考えればいいのだろうか。

 マンガは、言語表現が伴っていなくても、見るものにイメージを喚起し、メッセージを伝達することが可能であり、ある程度、その表現内容を理解することができる。

 マンガに言語表現が伴っていても、その言語が外国語である場合は、言語による表現内容を理解することができない。しかし、絵を見るだけで、ある程度、ストーリーや人物の心情といった内容面を理解することができる。文字が読めない年少者でも、マンガの絵を見るだけで、それなりに何かを理解しているだろう。アニメになった場合でも、「トムとジェリー」のように、ほとんど音声のないものがあるが、動きや表情や場面によって、おおよその内容をつかむことが出来るし、テレビの音声を消して見ることも可能で、内容はかなり理解できるだろうし、事実、子どもは楽しんで見ている。

 では、マンガにとって、文字による言語表現はどんな意味を持つのか。

絵が主で、言語表現が従の関係なのだろうか。逆の、言語表現が主で、絵が従の関係なのだろうか。後者ならば、絵は挿絵であって、マンガではない。したがって、マンガにとって、文字による言語表現は従属的な位置にあると考えられる。

ならば、その言語表現において、文字が果たす役割は何だろう。総ルビの少年マンガや少女マンガでは、ひらがなとカタカナが読めれば、読者にとって、マンガの言語表現としての機能は達成されていると言える。

しかし、実際には、マンガの言語表現に、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字などが使用されている。このように複数の文字種を使用して言語表現を行うことは、マンガに限らず、文字による言語表現一般に共通することがらである。マンガ作家は、ストーリーを考え、絵を描いて、言語表現を加える。読者を想定して、ひらがなだけで書くか、漢字交じりで書くかといったことを決定する。漢字交じりで書くときでも、幅広い年齢層の読者のことを考えてルビを振る。ルビがあると、ひらがなとカタカナが読める年少の読者もマンガを見て、読むことができる。小学校一年生の子どもは夢中になってマンガを読んでいる。

 本講座は横組みで編集されている。事務文書でも白書などの政府刊行物でも横書きが主流である。

横書きの日本語表現は、小中高校の教科書の、国語を除くほとんどの教科で見られる。しかし、部分的に横書きになっていることがあるものの、新聞や雑誌は、たいていが縦書きである。日本語の文字表現における伝統にのっとった方式である。マンガもこの例にもれず、縦書きが基本であり主流である。ただし、作品のタイトルや、コマの中の掲示文書、案内板、看板などが横書きになっていることもある。

慣れの問題でもあろうが、縦書きにすると、それを斜めに書いて、勢いを表現することができる。漢字は縦書きになじんでいるといえそうである。ただし、かなで書かれる擬音語や擬態語の場合には、横書きであっても程度強調の手段として波形の文字配列や、左から右にかけて、文字サイズを大きいものから次第に小さいものへといった配列が可能である。マンガにおいては縦書きと横書きが混在していて、平面的で視覚的な表現方法でありながら、立体感を構成しているといった点で、他の言語表現とは違った効果を実現しているといえるだろう。

このように、言語表現と一体となったマンガは、表現・伝達において十分に機能を発揮しているのである。

 

3.言語表現における漢字の機能

 普通、文章は漢字仮名交じりで書く。実質概念を表す語を漢字やカタカナやローマ字で書き、実質概念の乏しい語や文法的関係やモダリティを表す形式をひらがなで書く。漢語を漢字で書き、和語をひらがなで書くという試みも、一般の文章では行われている。

小学校の国語教科書には学年ごとに新出漢字が掲出され、文章中に使用される。小学校教育全体では1006字が教育漢字として教授され、学年配当の漢字が示されている。小学校1年生から、習った漢字をできるだけ使って文章を書く、すなわち、いわゆる交ぜ書きをするように指導を受け、漢字の読みと書きを習得していく。国語の教科書ではそれがはっきりと実現されている。

小学生は、自分の名前も、既習漢字であれば混ぜ書きで使うことになる。たとえば、筆者が小学生だとすると、1年生で「小」、2年生で「矢」と「野」を習うので、3年生の段階では「小矢野」と書ける。さらに、4年生で「夫」を習うが、「哲」は小学校では習わない。したがって、6年生の終わりの段階では、「小矢野てつ夫」という表記になる。しかし、実際には、6年生にもなれば、自分の名前の漢字の部分は、既習・未習に関わらず、一般的な表記法にしたがって漢字で表記する。

子どもが日常の言語生活で接触する漢字はたくさんある。小学校教育で指導される教育漢字を含む常用漢字表の漢字1945字だけでなく、人名漢字にも接触する。子どもは、学校で習う以前に生活の中でかなや漢字を形態として認識していることが多く、かなや漢字に興味を持つようになると、次々に習得していく。幼児がマンガを読むことは、ひらがなやカタカナや漢字などの文字を覚えるのに効果があり、さらには各種の語彙や語の用法を覚えるのに効果があると考えられる。親としては、けっしてマンガ全般を否定的に捉える必要はないだろう。子どもの活字離れ、文字離れが言われるが、読書の概念にマンガを含めることによって、マンガの効用についても、大人は認識を新たにする必要がある。このような読書によって、子どもは、学校での未習の漢字に接し、学び、覚えていく。漢字学習は学校教育だけに頼っているわけではないし、学校教育の中だけで達成されるものでもない。ふだん子どもがマンガを読んでいる様子を見ている実感や、本章の考察のために調査し分析した結果として、マンガの効用を指摘しておきたい。

 

4.マンガの中の漢字のルビの機能

 ルビと漢字については他の章で扱われるが、普通の文章におけるルビの振り方とは異なる特徴が見られるので、漢字使用との関わりにおいて、いくつか指摘しておく。

 少年マンガと少女マンガには総ルビの作品が多い。読者層が少年・少女に限定されず、特に少年マンガの読者層は若いサラリーマンにまで広がっている。総ルビはこのことに配慮した処置であろう。

 ひらがなが読める子どもはルビを頼りにマンガを読み進める。絵本感覚で文字を見ないで絵だけを見てページを繰る場合もある。ルビを読んでいて、新出語や聞いたことのない言い回しに出会うと、親などに意味を尋ねる。筆者の子どもは、ルビのことを、「読み方を教えてくれる」と捉えている。ルビがないときは、「教えてくれない」と言って、読むのをやめることがある。

このようなマンガの読み方を通して、言葉の形態と意味とを獲得していくようである。そして、同じ表現に繰り返し出会うことにより、ルビの本体である漢字の形態も理解するようになり、漢字を使った言葉とその概念を結合することになる。ルビは年少の読者に対する漢字学習上の教育効果が大きいと考えられる。

 最近の小学生の学習雑誌はマンガの占める割合が多いと思われる。『小学四年生』(20027月号、小学館)の表紙を見ると、左上に小さく、「6年生までの学習漢字使用」と書いてある。表紙には「大興奮」「大観戦」「究極」「巻頭企画」「運勢」などの語がルビなしで書かれているが、「興」「企」は教育漢字外の漢字である。本文のマンガは総ルビで、「撮影」「毒味」「邪悪」「幻影」「聖獣」「降臨」「追撃」「捕獲」などの語が使われている。このうち「撮」「影」「邪」「幻」「獣」「撃」「捕」「獲」は教育漢字外の漢字である。「6年生までの学習漢字使用」というのは、マンガと表紙には適用されず、読み物に適用されるものであろうか。それにしても、読み物の中にも、「衣装」の「装」、「活躍」の「躍」、「冷凍」の「凍」、「撮影」「豪華」「踊る」「歳」など、教育漢字表外の漢字が使用されている。

 また、「ふろく」と書いてある。「ふろく」は「付録」または「附録」と書き、いずれも常用漢字表の漢字である。「付」は教育漢字に入っているが、「録」は入っていないので、混ぜ書きを避けたのであろうか。しかし、マンガの中では「たん生日」という混ぜ書きが使われているので、混ぜ書きを避けているとは断定できない。「ふろく」の表記で、具体的な概念を持ったひとつの単語であるという認識があるのだろうか。

 さて、ルビの振り方の基本は、漢字語の場合、たいていは漢字の音読みや訓読みの規則にしたがって、ひらがなで読み方を示す。筆者が子どものころはそうだった。しかし、最近のマンガを見ると、漢字の音読みや訓読みに関係なく、外来語ないしは外国語のカタカナ表記で漢字のわきにルビを振ることがさかんに行われている。一例を示してみよう。( )内がルビ。

 

 「四方封印陣」(カルテットシーリング)(青木たかお「ベイブレード」)

 「勝利竜巻」(ヴィクトリートルネード)(同)

 「音速突破」(ソニックブレイク)(てしろぎたかし「音速バスタDUNGUN弾」)

 「烈風銀河」(トルネードギャラクシー)(同)

(以上の用例は『コロコロコミック』2002年3月号から)

 

これらのルビの振り方を見ると、漢字の音読みが出来、かつ、漢字語の概念が理解できた上で、さらに外国語との連関を理解する能力のある読者しか、漢字表記とカタカナルビの関係を知ることが出来ないのではないかと思われる。マンガがテレビアニメ化されている場合は、たとえば「トルネードギャラクシー」という言葉が耳から入っており、具体的な場面と結合して一定の概念を形成していると考えられる。このような形式と概念の結合が、ルビとしての「トルネードギャラクシー」と結びつき、やがて、「烈風」や「銀河」といった語の通常の読み方と概念を習得し、「烈風銀河」と「トルネードギャラクシー」との結合へと至るのであると考えられる。筆者には、日常語として、「銀河」を意味する「ギャラクシー」や、「音速」を意味する「ソニック」は、使用語彙にはもちろんなく、理解語彙としてもない。こういった、外来語ないしは外国語が耳から入り、やがて漢字語と連合するという現象がマンガの世界において実現しているのではないかと想像する。

マンガの漢字のルビの振り方で興味深いものがある。T,Uはコマを表す。

 

 T いわゆる全盛期ってやつだ……!!

U たぶん てんどんは今が全盛期なんだろう……(島袋光年「世紀末リーダー伝 たけし!」『週刊少年ジャンプ』2002年(平成14年)2月25日号75ページ)

 

 この二箇所の「全盛期」で、Tのコマのルビは「ぜんせいき」で、Uのコマのルビは「それ」である。「ぜんせいき」は通常のルビの振り方の規則にしたがっている。つまり、発話の中で「ぜんせいき」と発音することを示している。この二つの発話の話し手は同じだが、コマが変わっており、Uのコマで使われた指示語「それ」が発話の中で発音される形であることを示している。発話の流れから判断すると、「それ」の指示対象が何であるかは理解できるのだが、指示対象がTのコマの先行発話において出現している「全盛期」あるいは「ぜんせいき」であることが明確に読み手に分かるようにするために、このようなルビにしたものと考えられる。通常の文章表現では見られないルビの振り方であり、漢字の使い方である。

会話では同語反復を避けるために、こういった指示語が使われるが、同じようなことが、他の指示語にも見られる。

対称詞の例

「おまえ」は目の前の相手を指す人称代名詞である。対面型であれ、非対面型であれ、コミュニケーションは話し手と聞き手との間に成り立つものである。マンガでは、登場人物のだれもが自分のことを自称詞で表現でき、聞き手を対称詞で表現できる。したがって、コマに描かれた人物がだれであるか、そこに描かれているのが話し手だけなのか、聞き手も含まれているのかによって、対称詞をどう表現するのかが異なってくる。

『コロコロコミック』(20023月号)の「音速バスタDANGN弾」(てしろぎたかし)の714ページから715ページにかけて、TからVをコマ、@からCを会話文として再現してみる。( )内にコマの絵の状況を示す。「ダンガンレース県大会、百目鬼慧(どうめきけい)の弟、反町レオと戦うことになった隼音弾(しおんだん)。だが勝負は百目鬼の卑劣な行為により、反町のマシンがレース中に大爆発、メチャメチャにされてしまった。勝つためなら、弟さえ見捨てる百目鬼に対し、弾は激しい怒りを覚える。」(714ページ)という前号までのストーリーを受けて、このページが始まる。

 

T(百目鬼がライターを「カチッ カチッ」と鳴らしながら弾に近づいてくる。弾に向かって)@ラッキーだったな。A……弾(おまえ)もろともと思ったんだが。(714ページ)

U(「カチッ カチッ」とライターを鳴らす)(715ページ)

V(弾が百目鬼に向かって)Bま…まさか、C百目鬼(おまえ)が……。(715ページ)

 

 登場人物の名前は読者にはすでに知られているが、連載のこの号の最初の場面であり、相手がだれであるのかを明示するために、このような表記がなされたものと考えられる。

 この作品には、さらに、他称詞の例もある。他称詞は基本的に話し手及び聞き手双方と対立する位置にある人物ないし事物を指示するものである。

 レース中のコマで沖田が叫ぶ。

@ザコどもはオレに任せろA弾(おまえ)は百目鬼(ヤツ)を追え!!738ページ)

 

Aの「百目鬼(ヤツ)」が他称詞の例である。

 場所の代名詞の例もある。

「高校」に「ここ」とルビを振っている例。

 

@うーん あたしも よーちえんまで だったからなあAでも高校(ここ)では あんなかんじだよ 頭は めっちゃ よくなったけど(『別冊マーガレット』20028月号「煩悩クラス」片岡吉乃、21ページ)

 

「ここ」と言えば、基本的には発話の現場を指示する。具体的な発話場面では聞き手に了解されていることであるし、通常の文章表現では先行文脈に指示対象が示されている。しかし、マンガでは、コマで描かれているのがどの場所であるのかということが必ずしもはっきりしているわけではない。会話の展開において推測可能な場合もあるけれども、そしてその場合には、このようなルビは必要ないのだけれども、問題にしているケースでは、このような表記方法をとる必要があったのだと考えられる。幼稚園での様子との対比において発話時に高校生になっているために、その状況をこのようにして示しているのである。

 「韓国」に「こっち」とルビを振っている例。

 

T@おい! 見ろよコレ! ウワサのドラグーンVだぜ! A韓国(こっち)じゃ、まだ発売されていないのに……

U@ということは……Aきみ、日本から来たブレーダーなのか!Bえ…? う、うん。(『コロコロコミック』20023月号「爆転HEROブレーダーDJ」(おおせよしお)300ページ)

 Tのコマの@とA、Uのコマの@とAは韓国の少年の発話である。韓国でもベイブレードの人気が高く、本場の日本に追いつく勢いにあるといった状況を描いている。韓国の少年が本場日本のベイブレード事情に通じていて、新しい種類のベイブレードを見て、「あっち」の日本を意識して、自分の国を「こっち」と捉える意識が表現されていると考えられる。

 

5.マンガの中の漢字の字種

 マンガに使用される漢字の字種は、基本的には常用漢字表及び人名用漢字に準拠していると考えられるが、ストーリーによっては、特殊な語彙が使用され、したがって、常用漢字表以外の漢字も使用される。

 

「髑髏(どくろ)」(『週刊少年ジャンプ』2002年225日号「シャーマンキング」武井宏之)

「喰(く)う」(同)

「鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)」(同)

「憑(つ)く」(『少女コミック』200285日号「ミルククラウンLovers」水都あくあ)

「刮(かつ)」(『少年ジャンプ』2002年4月29日号「Mr.FULLSWING」(鈴木信也)

 

 ひらがな書きが普通だと考えられる語を漢字で表記することもある。

 

「成程」(『週刊少年ジャンプ』2002年2月25日号「あっけら貫刃帖」小林ゆき)

「尚の事」(同)

「其」(それ)(同)

「馳走になった」(同)

 

 この作品は時代劇である。漢字で表記することによって、発話者の重厚さ、表現の仕方の重々しさを表現しようとしたものだと考えられる。

 同じ語を文字でどう表記するのか。表記の仕方で伝達効果に差が出るのか。同じ語を漢字で表記する作品もあれば、ひらがなやカタカナで表記する作品もある。例えば、「最高」「最低」「最悪」などは、報道の文章の中の通常の語としてなら漢字で表記されるはずだが、若者が使うことばとしてなら「サイコー」「サイテー」「サイアク」などとカタカナで表記されることもある。漢字表記が無標であり、カタカナ表記が有標であるとみなすことができる。

 

あんた サイテー!!(『コロコロコミック』20023月号「怪傑!金剛くん」大内水軍)

@なんなの おまえ 嫌いじゃないからって なんだよAこんな女だなんて思わなかったBサイアク(『少女コミック』200216号「トモダチ以上×H未満」宇佐美多恵、21ページ)

T@(未来の友だち)未来! この前のテスト 平均以下は居残りだって!!A(未来)うそおっ

U@(未来)サイアクーA(哲平)あれー 未来もしかして居残り組?(『少女コミック』200216号「トモダチ以上×H未満」宇佐美多恵、8ページ)

 

しかし、若者ことばであっても、「超最悪」「最低」という表記もある。ルビ付きである。

 

@もーっ うちのお母さんて 時々ああなのA冷蔵庫の中のもの処分してるとしか思えないもん作ったりするんだもんB超最悪っ(『別冊マーガレット』20028月号「ハッピー・ライスの作り方」坂もち板子、25ページ)

最低!!(『りぼん』20023月号「花まるGO!GO!」榎本ちづる、29ページ)

 

 「学校」「趣味」「調子」「感謝」などを、それぞれ「がっこー」「ガッコ」「シュミ」「チョーシ」「カンシャ」と表記している例がある。

 

@    ねぇ 今日も 放課後 体育館 行く?A行くよー 寿々喜くん 見たーいB今 ウチのガッコの女子の間では どうした事か(『別冊マーガレット』20028月号「私の恋人」咲坂伊緒、ぺージ)

@    あ でも ここの がっこーってね クラス分けのレベルが激しーんだA1組から6組まで まんま成績順なの(『別冊マーガレット』20028月号片岡吉乃、8ページ)

 

この「煩悩クラス」は比較的、かな書きが多い。他に

 

むぅーりでーす」(無理です)

「転校生をしょーかいするぞ」

「ううん いーよへーき

「血ィふかせるのシュミとか」

「横山センパイこんにちわー」

チョーシのんな やんなら真剣勝負しろよっ」

 

などがある。アンバランスな印象を受ける。

 

 

「ちゅうとはんぱ」を「中途ハンパ」と混ぜ書きしている例もある。

 

こう挙げてみると なんかホント 深田さんて全て中途ハンパね(『別冊マーガレット』20028月号「ドロップキス」工藤郁美、4ページ)。

 

 「すき」という気持ちを表すのに、同じマンガの中で「すき」「スキ」「好き」を混在させている例がある。

って オレもスキなんだけどっ♪

Tあたしは だいすき なんです…っU@うわっ つい力説してしまったーAオレも。V大好き

T…あたしっU@ずっと…ずーっとAはじめて会った時からV深田さんのこと好きなんですっ…

@    なにが出てくるか分からない缶入りドロップみたいAそんな深田さんが大好きです(『別冊マーガレット』20028月号「ドロップキス」工藤郁美)

 

発話者の性による区別、同一人の中の心理的な違いによる区別はなさそうであり、シーンごとに感覚的に表記しているのではないかと思われる。

 

6.マンガの中の文字の大きさ

 かつて、程度強調表現の「超」を大きなサイズで表現したものがあった。最近のものを見るかぎりでは、程度強調語や擬音語を大きなサイズで表現するものはしばしば見られるが、漢字に限って観察したところ、該当するものはなかった。

程度強調表現以外で、漢字が大きく書いてあるものは、ある。

たとえば、『少年ジャンプ』2002年4月29日号「Mr.FULLSWING」(鈴木信也)に、「かつ」のルビ付きで「刮」の字が大きく書かれている。

これは、野球の打者が片手打ちでボールを真っ芯でとらえた瞬間のシーンで、B5判見開き2ページにわたる絵の左ページ、左上に約9センチ四方の文字である。「刮」は常用漢字表外の漢字で、「刮目」以外には使われない文字であるし、「刮」の字義「こする」が周知されているとも思われない。

この絵の前のページにある二コマは、ボールが打者の直前に迫り、打者がバットを振ろうとするシーンで「臨兵闘者(りんぴょうとうじゃ)/皆陣裂在(かいじんれつざい)」の呪文のような文字があり、隣のコマには打者がボールをとらえた顔の表情に「前(ぜん)!!」の文字が書かれている。

こういった場面で、マンガの読者は、文字情報をどう捉えているのだろうか。筆者は、「望兵闘者/皆陣裂在」の文字を飛ばして、絵の連続を追い、次のページの見開き二ページのシーンに至り、「刮」の字を、ルビを無視して横目で見ながらクライマックスの絵を見る。しかし、小学校一年生の、筆者の子どもは、「りんぴょうとうじゃ/かいじんれつざいぜん」と読んで、意味の把握よりも、呪文のような言葉として理解して見ていた。

作者の表現意図は何であったのか。漢字に注目してマンガを読む読者がどれくらいいるのだろうか。筆者は、このシーンでの、引用した文字情報のうち、「前」の字に、目前にボールを捕らえたこと以外の意味を理解しなかったし、「刮」の字自体にも字義を把握することなく、「打ったー」という感動を絵から得た。

 よくよく考えてみると、「刮」の字に、「刮目」の「目をこすって対象に注目する」といった語義を理解しないでもない。その語義が、このシーンにおける漢字「刮」の使用に反映されているのでもあろう。

これは特殊なケースであろうと思われる。感覚的に分からなくもないが、マンガの作者と、普通の読者との間にある、表現と理解のギャップを示すものではなかろうか。

 

7.マンガの中の漢字の使用比率

 マンガの中で漢字がどれくらいの比率で使用されているのか。通常の文字による言語表現に比べて少ないと、直感的に感じる。少年マンガ、少女マンガでは特にそう感じる。主に会話文や心内発話を連続させることでコマを展開していく。しかも、日常の話し言葉で表現されることが多いと感じられる。話し言葉では、その表現を漢字でどう書くかということを、いちいち反省しながら、話したり聞いたりしているわけではない。すでに音韻的形態を認知し、概念を了解していることを前提として、表現と理解を行っている。新聞の文章や小説・エッセイなどは、既に漢字を読むための、期待されている能力を持った読者を前提として書かれているために、漢字の使用比率が高くなっても、読む側の負担は多くはなく、理解に支障が生じることは少ない。しかし、マンガは、同じ作品であっても、読者層が多様であり、絵だけでストーリーを展開することに、ある程度の限界と制約があると考えられる。したがって、見た目にも、身体感覚的にも、会話感覚でテンポよく進めることができるように、実質概念を託した漢字の使用を、極力、抑制することが必要なのではないだろうか。

 マンガの漢字を総文字数における使用比率の点から少し調べてみた。( )内の数字は%。

 

総字数

漢字数(%)

カタカナ数(%)

遊戯王

881

236(26.8)

275(31.2)

テニスの王子様

540

143(26.5)

21( 3.9)

ギャルズ

787

185(23.5)

66( 8.4)

天然はちみつ寮。

604

91(15.1)

44( 7.0)

ベイブレード

869

201(23.1)

129(14.8)

ちょっとだけマーメイド

852

84( 9.9)

175(14.8)

天声人語

535

187(34.9)

44( 8.2)

「遊戯王」「テニスの王子様」は『週刊少年ジャンプ』2002225日号から

「ギャルズ」は『りぼん』20023月号から

「天然はちみつ寮。」は『少女コミック』200285日号から

「ベイブレード」「ちょっとだけマーメイド」は『小学四年生』20027月号から

「天声人語」は『朝日新聞』2002728日付から

作品の開始から10ページ分を調査した結果、マンガでは漢字の使用比率は平均して25%前後であった。ページによっては、10%に満たないものから40%近くに達するものまで、さまざまである。新聞の文章と比べてみると、マンガでは圧倒的に漢字の使用比率が低い。新聞の報道文章でリードに当たる部分では、漢字の使用比率が6割を超えるものもある。「天声人語」では約35%であった。この漢字とひらがなとのバランスが、マンガの内容面を特徴づけているとも言える。また、作品によっては漢字よりカタカナの比率の方が高いものもある。これは外来語の使用の多さと比例している。

『朝倉漢字講座3 現代の漢字』(前田富祺・野村雅昭編、2003年10月30日刊、朝倉書店)

大阪外国語大学 小矢野哲夫

研究成果にもどる