日本語と国語はおなじもの?

小矢野哲夫

 かつて外国人留学生に日本語を教える仕事をしていた。当時、日本語を教えている、と日本人に自分の職業を紹介すると、国語の先生ですかと納得されてしまったことがある。二〇数年前のことである。ここでの「日本語」と「国語」は異なっている。「日本語」は世界に数ある言語のうちの一つとしての言語名であり、英語や中国語やロシア語などと並ぶものである。「国語」は日本の学校教育において学習指導要領に従って教えられる教科の名前である。この当時、日本語教育は相当の歴史を持っていたはずであるが、一般の日本国民には周知されているとはいえない状況であった。国語教育の長い歴史と伝統がその背後にある。日本語といえば国語と同義であった。しかし、国語といえば日本語であるという認識はなかったと考えられる。
 ちなみに、「国語」について『大辞林(第二版)』を引いてみると、以下のように説明されている。

  (一)国家を形成する成員が自国語として使用し、共通語・公用語となっている言語。
  (二)(自国語としての)日本語。
  (三)漢語・外来語に対して、日本固有の語。和語。やまとことば。
  (四)学校教育の教科の一。「国語科」に同じ。「―の授業」
  (五)書名(別項参照)。

 (一)は確かにそう言えないこともないが、実際の用法ではあまり見かけないし聞くこともない。「言葉」とか「言語」と言われることのほうが多いだろう。(三)の用法も、専門的には「和語」「やまとことば」と称していて、「国語」ということはないと思われる。(五)は専門的な知識がないと知らない意味である。今日もっとも一般的な用法は(二)と(四)であり、(四)を知らない日本国民はほとんどいないのではないかと考えられる。問題は(二)にある。
 「自国語の」という注記自体が問題である。「自国」は辞書編集者及び読者にとって「日本」を意味することは自明のこととなっているのだが、ソトを意識しない主観的な規定である。しかも、このような注記はあるものの、「国語」は「日本語」であると片付けている。つまり、「日本語」のほうが一般的な、よく知られた語であることを物語っているのである。辞書記述の常道として、言い換えを行っているわけである。
 「日本語」の記述を見ると、使用者数、音韻、文法、文字、敬語法、語彙、語種、方言差、位相差などについて、四六三文字を費やして説明してある。「国語」の(二)の三文字とは大きな開きがある。
 「日本語」については労を惜しまずに説明するのに、「国語」については「日本語」に同じという扱いである。この意味で、Qにある「日本語と国語はおなじもの?」という問いに対する答えは「はい」である。
 しかしながら、そう簡単には処理できない事情があるから、このようなQが成立するのだろう。語の形態が異なれば意味も異なるという言語研究の基本的な認識である。
 つい最近まで、国語辞典に「国語教育」の項目が子見出しとして、長く存在していたが、「日本語教育」の子見出しはなかった。日本語教育に従事していて、自分の職業が世間で認知されていないのかと情けない思いを持っていた。
 小中高の一二年間、筆者が受けてきた国語教育の成果、そして大学から大学院にかけて学んできた国語学の成果をひっさげて、一九七八年、初めての就職先である大阪外国語大学留学生別科での外国人に対する日本語教育に応用しようとしたのである。しかし、そこには埋めがたい溝が横たわっていた。学校教育における国語科の内容と日本語教育における教授内容の間には大きな隔たりがあったのである。
 日本語教育においては、学習者が初めて学ぶ言語としての日本語を、理解し表現できるレベルにまで教授、支援しなければならない。日本語を母語とする学習者には必要のない、いわば分かりきったことであっても、きちんと説明し、誤解や不適切な使用が生じないよう配慮しなければならなかった。日本語を、世界の中の言語の一つとして、第二言語習得といった言語教育理論を踏まえて学習者に向かう必要があったのである。
 この衝撃的な認識から二〇数年が経過した。日本語教育に対する世間の認識、理解も深まったものと思われる。われわれが住んでいる地域には外国人の姿が目に付くようになった。帰国児童生徒も小学校や中学校に入ってきている。希望する外国人に外国語である日本語を適切に教育することは必要である。しかし、日本語教育が「日本語を母国語としない外国人に行う日本語の教育。」(大辞林)だと簡単には言えない状況が存在する現在、「国語」という錦の御旗をかかげて教化、順化する発想は古いものと認識する必要がある。
 近年、国語教育と日本語教育の橋渡しの実践を日本語教育の側から発信している。言語教育としての日本語教育のノウハウは国語教育にも多々あるのだが、国語教育の現場ではさほど理解されていないように思われる。国語教育界に日本語の言語教育の視点を期待したい。

(『日本語学』2002年11月臨時増刊号)

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