小矢野哲夫

流行語にみる現代若者像


 一九九二年の新語・流行語大賞(自由国民社主催)からは、若者の現況がうかがえるものはほとんどなかった。若者の新造語が二十世紀末の日本の世相を映し出す活力を持たないことを示している。
 『イミダス1992』によれば、中学・高校生の友だち付き合いは「ひるねだいすき」である。ココロは「人並み/ルンルン/ネアカぶりっ子/団体行動/スポーツ/気配り」。新入社員では「人並み意識/ルンルン気分/ネアカ/団体行動が好き/一応無難にこなす/スイマセンを連発する/気配り」。こういったところからいわゆる仲間言葉が仲間内の隠語として作り出され、若者が集団としての意識を共有し、明るく素直に元気よく過ごす姿として映るのではないだろうか。
 若者像を、中学生からヤング・ビジネスマンまでを包括した全国的な規模で把握することは無理だし、流行語も全国的な広がりでとらえることも難しい。筆者に身近な若者として、「ひるねだいすき」のあてはまりそうな女子短大生の観察から描いてみよう。
 彼女たちはおしゃべりを好む。通学途中の電車内や歩道で。喫茶店で。授業中や休憩中の教室で。ありとあらゆるTPOでおしゃべりをする。
 「しばく」は関西方言で「たたく」「なぐる」意の品のない動詞だ。彼女たちはこれを飲食する意味で使う。「茶ぁしばく」(お茶を飲む、喫茶店に行く)、「鳥しばく」(ケンタッキーにフライドチキンを食べに行く)。意味的に関係の薄い単語を無理に転用して使うところがウケるのだろうか。「トリシバコー」で意味が通じるのが仲間なのだ。
 衣食は共通の話題になりやすい。ただ、ふところ具合はいつも豊かとは言えない。「ボンビー」(貧乏)、「一銭ピー」(お金がまったくない。昔の「ゲルピン」)。でも、おしゃれはしたい。だから「ビンパ」(お金を節約するために髪を三つ編みにしてウエーブをつけてソバージュ状態にすること。貧乏な人のパーマ)。けなげな乙女心を垣間見る。仲間同士では目立つことを嫌う。「ヒカリモノ」を身につけたド派手な同性はフツーの女の子から「イケイケねえちゃん」として、ちゃかされる。こういう用語は隠語性が強い。言葉はソト(の集団)に対しては異化し、ウチ(の集団)に対しては同化する。
 異性とのお付き合いはグループ交際が変形した合コン。夜のTV番組を結構見ているらしく、それがマニュアルになっている。A子「きのう、桃(ぴん)大の人と合コンしてん」B子「どうやったー?」A子「それがもー。イモ掘りやってん。おわってるわー」B子「きっつー」。「イモ掘り」とは、コンパなどでつまらない男しかいなかった時のこと。「おわってる」「きっつー」は最悪の状態。
 人や事柄に対して感動するより、さげすみ、けなす方が好まれる。感覚語とでも言うべき造語が頻繁に使われる。朝から授業で「だるだる」、かっこ悪い、ださいは「ヘボヘボ」「ださださ」、場が盛り上がらないのは「シケシケ」。C子「昨日のコンパ、シケシケやったわぁ。むっちゃもっさいコばっかり。おわってたで」D子「ほんまや。もォ、ださださでシケシケ状態」。こういう用語をテンポのいい会話の軽いノリにあわせてポンポン入れて、しらけさせないように気配りする。うまく言葉が出ないでいると、「今、カミカミ(言うことをかんでしまう。うまく言葉が出ない)やったでぇ」とフォローしてやる。けんかを好まない仲良し同士だ。
 一つのテーマについて掘り下げた討論をすることは、若者も、それこそ、一応無難にこなすだろう。しかしそれでは息がつまる。だから、お互いがしゃべりたいことを一方的にしゃべるところに成り立つ「テニス会話」。相手を傷つけず、自分も孤立しない気配りであり、方策である。ただ、お付き合い上手な彼女たちも、夜、布団の中では一人で何を考えているのだろうと気になる。