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2018年07月10日最終更新

シュトックハウゼン音楽情報

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インデックス[論考] 『歴年』1977初演 (執筆中)

[論考] 『歴年』1977初演 −時間をとめた「誘惑」− (執筆中)

文責 シュトックハウゼン音楽情報 管理人 山下修司

2014年8月7日 初回上梓
8〜23日 加筆訂正
 2014年9月18日    加筆

1、はじめに

 2014年8月、シュトックハウゼンの問題作『歴年』<雅楽版>が初演以来37年ぶりに再演される。これまでに過ぎ去ってしまった時間の貴重さを思うと、ストラビンスキー『春の祭典』が初演時の有名な大騒動(1913年)からほどなく何度もの再演を経て、やがて「20世紀音楽の代表作」としての地位を獲得していったという幸福なエピソードと比べるまもなく、『歴年』の再演までに要した年月は日本の音楽界にとって世紀をまたぐ大損失だった、と言えるのではないだろうか。
本稿では1977年初演時に主要メディアによって報じられた『歴年』の批評を通じて、その時代の受容の特徴と限界を、そして2007年の死去によりその創作歴を閉じたシュトックハウゼンの作風を俯瞰し、考察するものである。
なお、執筆者の都合により本稿は記述の出来上がった部分から上梓する「ワーク・イン・プログレス」のかたちをとっている。主な理由は「8月28日の『歴年』<雅楽版>再演に間に合わせたい。」のだが「日程的にちょっとムリ〜!」という理想と現実の妥協である。まことに勝手ながら、読者のご理解をお願いする次第である。


2、主要メディアの論調

(注記:2014年8月16日の時点において以下に引用されていない論説・記事などがいくつかあるようですが、当方ではまだ原典が確認できておりません。これらについて、ご存じの方がおられましたら、掲載紙・誌名と年月日、著者名などをご教授賜りたく存じます。なお「掲示板」管理人あてメールも新設いたしました。)


1977年11月5日 朝日新聞 夕刊
「前衛の亡霊が咲かせた徒花」 −シュトックハウゼンの雅楽作品−


 国立劇場第二十二回雅楽公演<舞楽>というタイトルの催しで、まことに不思議としかいいようのない出しものを見た。シュトックハウゼン作曲のLICHT-HIKARI−LIGHT(これが題名の正確な標記法らしい)、副題には−歴年−とある(十月三十一日所見)。
題名の肩書き「四人の舞人と管弦のための」が額面通りなら、舞楽の形式や精神に沿った現代の新しい創造物であるべきだが、私見ではまったくそうではなくて、雅楽はたんなる音源にすぎず、舞人は運動の表現にすぎないから、おそらく雅楽の代わりに西洋楽器を、舞人の代わりにバレリーナを登場させた方がまだしもスッキリしたであろう。

 ステージ上に大きく緑色で1977の文字が描かれており、最後の7の上では一年の舞人、次の7の上で十年の舞人、以下百年の、千年の舞人がそれぞれ固有の楽器の音色に伴われつつ、互いに大きな運動量の差をあらわしつつ舞う。その意味づけは十月二十七日付本欄の彼自身の解説にくわしいが、とにかく視覚的にはその効果ははっきりせず、美しいとも感じられなかった。背景の窓を歴年を数える数字がやたらと走るのがひどく目ざわりであった。

 最もひどいと思われたのが(日本人の出演者の人達にはまったく気の毒だが)、その歴年を妨害し停止させるために悪魔の走り使いが登場することで、燕尾服に菊の花束を持った男達、ワゴンを押してくるコック、本もののバイクに乗ったぬいぐるみのサルが、本装束の舞楽の舞人たちと何やら演技めいたからみをするのには目をそむけずにはいられぬ観客も多かったろう。批判の効果も、ユーモアの効果もさっぱりで、公演そのものに絶望を感じさせる効果だけは十分であった。十万円の大プラカードが舞台を横切るころには、それが何なのかと考える気力も失(う)せた。終わり近く雷が鳴り、舞台が暗くなった間だけ、雅楽が生き生きと生命力をとり返したように感じられた。

 一九五〇年代の前衛の亡霊が西欧文化の衛星国で季節はずれの徒花(あだばな)を咲かせた、というのが大方の感想のようだった。西欧の知性が非西欧を物質的素材としか見ない時代は、未だ終わっていない。だが、それと同種の危険はわれわれの内部にもある。今回の上演の最大の教訓はそのことだ。

(柴田南雄・音楽家)



1977年11月9日 毎日新聞 夕刊
音楽週評(10月29日〜11月4日)
岩井宏之
「初々しい緊張保つイ・ムジチ」 −シュトックハウゼン新作は共感できず−

…略(イ・ムジチ評)…

国立劇場第二十二回雅楽公演(1日、国立劇場)で初演されたカールハインツ・シュトックハウゼンの新作、四人の舞人と管弦のための『HIKARI』は、前衛音楽の旗手と雅楽という異色の組合せが興味深かったが、わたし自身は、ついに音楽的共感あるいは芸術的共感を得るにはいたらなかった。舞台(視覚)と音(聴覚)の完成されたスタイルを持つ雅楽の体系の前に、シュトックハウゼンの才能ですらはじきかえされた、というのが私の実感である。完成された芸術様式の前では、人はそれをそのまま受け入れるか、それとも黙殺するしか方法がない。シュトックハウゼンは雅楽という枠のなかで自己を主張しようとしていたようだが、たとえば、四人の舞人の舞の間に<混入>された雅楽とは異質の要素(料理人、ライオン、猿)の導入は、完成された芸術様式を前にした作曲家のたじろぎではなかったか?私はこの点に関して、初演に参加した雅楽の専門家たちの意見を尋ねてみたいと思う。

…略(中村紘子コンサート評)…



1977年11月17日 毎日新聞 夕刊
音楽時評
遠山一行
「国立劇場の前衛雅楽」 −シュトックハウゼンのヒカリ−
無謀な実験とはいえないが 宣伝も内容もお粗末

−国民と関係なしに行われた感じ強い−

 ドイツの前衛作曲家の第一人者であるシュトックハウゼンの新作『ヒカリ』が、先日国立劇場で上演された。この上演については一部の新聞が事前に紹介し、本紙にもすでに批評が出たが、評判はおしなべてかんばしいものではなく、私もまったく感心しなかった。愚作といわれても仕方のないものである。

 つまらない作品についてわざわざこの欄で書く必要は本来はないわけだが、あえてそれをやろうというのは、ひとつにはそれが国立劇場という公の場所での出来事であるということと、この機会に、前衛音楽あるいは現代音楽というものの現状について、一般の読者に簡単な御紹介をして、多少なりとも関心をもっていただければと思ったからである。

 日本の国立劇場でドイツの前衛作曲家の作品が上演されるというのは珍しいことで、いままでならば到底考えられなかっただろう。それが今回何故実現したかについてはあとでふれるつもりだが、結果として一部の音楽家、音楽愛好家などを除くと、一般の国民にはほとんど関係のないところで行われたという感じが強いのは残念である。もちろん西洋の前衛芸術家の作品にそう沢山の人が集まるとは思えないが、それ以前に彼等は何も知らされてはいなかった。私共、というより、私自身がこの公演を知ったのも、主催者の国立劇場を通じてではなくて、今回の企画に手をかした(と思われる)ゲーテ文化研究所のパンフレットによってである。一般の人ははじめから知りようがないだろう。国民の税金でつくられ運用されている(費用の一部にすぎないかもしれないが)施設で毎日何が行われているかは、国民はもっと知る必要がある。芸術祭などもそうだが、お国は宣伝ということを軽視しすぎているのではないだろうか。

 特に今回のような企画が行われる場合、外国の国立劇場ならばやっきになって国民に対する宣伝や啓蒙活動をやるにちがいない。先年、黛敏郎のオペラがドイツで上演された時もそうであったときいている。黛の名前がドイツの大衆に知られていないのと同じように、シュトックハウゼンの名前は日本国民に知られていない。手をつくして納税者に説明し、納得してもらうのが当然の義務である。私共のような音楽関係者、ジャーナリストが知らないようでは国民ははじめから関心をもつ方法がない。

 国立劇場が前衛音楽や前衛劇をとりあげるのは外国でも珍しいことだが、私はそれが間違っているとは思わない。実験劇場は原則として別のところであるべきだが、自信のあるものなら勇気をもって国民に問う場合があってもよいし、今回もある意味では当事者の勇断といえぬこともない。特に今回の意図は、雅楽という日本の伝統音楽(もともとはこれも輸入芸術だが)の楽器や音体系を用いて新しい作品をつくり出すのが目的で、すでに黛や武満徹による新作の上演という経験をふまえた上でのこころみであるから、無謀な実験というのは必ずしも当たらないだろう。まして、シュトックハウゼンは戦後の作曲界のスターの一人であり、この数年は東洋的な美学への関心を明らかにしているのである。

−シュトックハウゼンの仕事は退潮−

 結果が不幸なものになったのは残念だが、シュトックハウゼンの起用がまちがっていたという意見もある。彼は確かに作曲界のスターだが、最近に仕事ぶりはどう見ても退潮である。私はこの機会にレコードで彼の代表作をきき通してみたが、個人的な好悪は別にして−私はどうしても好きになれないが−初期の作品には良いものもある。結論的には彼は一九五〇年代の作曲家だと思うが、六〇年代に入ってかいた「モメンテ」という声楽曲もそれなりに立派なものである。しかし、それ以後の彼の作品で果たして本当に見るべきもの、きくべきものがあるかどうか。少なくとも私にはかなり疑問に思える。殊に七〇年代に入って非西欧地域の音楽に眼をむけた作品や特に東洋的な宗教性や神秘性に近づこうとした音楽は、正直にいってきくに耐えぬものである。

 今回の「ヒカリ」も、音楽的にはほとんど問題にする余地がない。雅楽の手軽なイミテーションをつくり、それをバックミュージックとした一種のシアターピースであるが、「歴年」の思想と称するものが1977の四つの大文字の前の舞人たちによって演じられる。1の字の前の舞人はほとんど動かず、9はゆっくりと舞い、次の7はやや速く、最後の7は急速に数字の形の上をゆききするだけである。聴覚にも視覚にも何ひとつ快く訴えるものがないばかりか、独創といえるものもない。変わっているといえば、そこに時々「悪魔」の誘惑が現れて観客をびっくりさせることで、それも百万円というおさつをふりまわす少女とか、スクーターにのったお猿とか、舞人たちのお尻をかぎまわるライオンとか、およそ陳腐でパンチのきかぬ思いつきの連続にすぎない。

−音楽の都合で呼び出された東洋の亡霊−

 シュトックハウゼンのこうした作品に直面して、私共はやはりいろいろなことを考える。本紙の週評欄で岩井宏之氏は、東洋の伝統の前でたじろいだ作曲家の姿に想いをめぐらしておられたが、ヨーロッパの音楽の伝統がこわれてしまったからといって(それは半分は本当である)東洋だアフリカだとさわぐのは軽薄すぎる。私共が明治百年の近代文明の摂取のなかで果たしてヨーロッパをどこまで理解したかも明らかではない。この十年来の「世界音楽」の探求が軽薄だとは必ずしもいわないが、今回の作品は、どうみても音楽の方の都合であわてて呼び出された東洋の亡霊のようなものでしかない。音楽にはそんなことをする権利はもともとないのである。

 現代音楽の現状の解説という最初の目的も結局果たせなかったが、もうひとつだけ書いておきたいことは、今回の作品もそうであるようなシアターピースの最近の大流行についてである。

 戦後音楽のいままでの経過を私の眼に写った通りに大きくまとめて考えてみると、それは結局、音楽がひとつの自律した表現あるいは言語であることを放棄してしまった歴史と言うことができる。それは、明確な意図と意識のもとでそうなったのではなくて、さまざまな試行錯誤をくりかえした末の結果であるが、たとえば日本の音楽が、かつて独立した器楽というものをほとんどもたず、いつでもほかの表現手段とむすびついて成立していたというような状態が、いま音楽家たちによってえらびとられようとしている。東洋とか宗教性という言葉がそこで手軽に呼び出されているが、私共がそうしたヨーロッパ音楽の危機の外にいるという考えは、私にはまちがっているように思われるのである。

(音楽評論家)


[注記:当時の読売新聞に広瀬量平氏の批評が掲載されていた、との情報がありますが、当該時期の読売新聞縮刷版ではその記事を確認することができていません。もし、以下の引用を含む記事の所在をご存知の方がおられたら、ぜひともお知らせください。]

「(・・・)これは音楽の不毛、これこそ耳目をおおうばかりの退廃ではないか。少しも楽器の機能を生かしていない無機的な音の貧弱なひびき、幼稚な構想の涸渇した創造力を糊塗するための下品な手段。そしてこのような仕事の背後にひそむ黒々とした思考。(・・・)開演中、憤然と席を立ってかえる女性、終わったとき「くだらないぞ」「引っ込め」と叫ぶ人達。多くの人が怒りの中に居たが、私はその人達に共感する、少なくともこのような独善と無能の延長に未来はない。(・・・) =広瀬量平(讀賣新聞評)」

#こんなに「おいしい」批評の所在を明確にできない、というのは悲しむべき事態である。筆者は読売新聞縮刷版1977年11月、12月全ページに目を通してみたが、残念ながら見つけることができなかった。もちろん目次にも記載は見つけられなかった。ケチをつけるからにはきちんと「筋を通す」のが最低限の礼儀だと思うので、この批評に関してはあくまでも「未確認情報」として提供するものである。(8月9日記)


3、「シュトックハウゼン」という神話 −「相互変調」、「越境」と「侵犯」−

 1977年の時点で「現代音楽」や「前衛音楽」、ひいては「シュトックハウゼン」とは、そんなにも「お上品で、おっとりした、みやびやかな、そんなにおだやかでおとなしく、うやうやしく、つつましく、ひかえめのもの」だと思われていたのだろうか?
すでに1年前の1976年11月には、セックス・ピストルズが『アナーキー・イン・ザ・UK』でレコード・デビューをはたしていることから、エルビス・プレスリーが「いかがわしい」とされた50年代はおろか、ビートルズが「不良」といわれた60年代も遥かに遠い過去の記憶になっていたことだろう。映画では『未知との遭遇』が上演され、テレビはピンク・レディーや「8時だョ!全員集合」が大人気だった頃である。

 そのような時代の雰囲気にして『歴年』が、なぜそれほどまでにスキャンダラスたりえたのか。それには現代音楽や前衛音楽、シュトックハウゼン、そして雅楽や国立劇場を取り巻く(通俗的な)イメージ=神話が大きく影響していたものと思われる。
#11月17日付毎日新聞・遠山一行氏の批評の前半は、まるで前近代的な「興行」にまつわるエピソードを想起させるもので、いまとなってはむしろ微笑ましい。たとえ夕刊とはいえ全国紙上で「俺様に挨拶もなしに…」という縄張り意識丸出し具合をご披露されるのはいかがなものかと…

 雅楽や国立劇場の「伝統」や「格式」を不可侵なる「権威」として尊重する立場からは、『歴年』はテッテ的に酷評されるだろう。
同じく現代音楽や前衛音楽が「理知的」で「高尚」な---たとえ一般大衆の理解の外にあるとしても---洗練された「お芸術」であって欲しいという願望は、『歴年』の存在そのものを強く否定することになるだろう。
 このような立場からすれば、上掲の酷評はすべて「正しい」のである。なぜなら、シュトックハウゼンの『歴年』とはこのような「権威」「お芸術」を越境する作品なのだから…

11月5日付柴田南雄評は流石の慧眼である。「雅楽が音源」「舞人が運動」と作品の本質を鋭く見抜いている。さらにこれに留まらず、洋楽器や「バレリーナ」とは、まるで<洋楽版>の存在を知ってか知らずか、『歴年』の最重要な作曲コンセプトである「和⇔洋の相互変調(あるいは相互浸透)」という根幹思想を明らかにしている。

 雅楽器や舞人をいわゆる「雅楽」のコンテキストから切り離したところで、シュトックハウゼン流の(西洋音楽・芸術の)セリー技法により、「雅楽」をダイナミックに再創造することが『歴年』の最重要課題であった。
 この作曲時点においてシュトックハウゼンのセリー技法は50年代の「比率要素の順列組合せ」から段階的に「相互変調(インターモジュレーション)」、「フォルメル技法」へと大きな飛躍を遂げている。
 『歴年』の作曲コンセプトを「相互変調」の観点から展開すると、「雅楽」⇔「洋楽」を両極としたセリーは次のようなものになる。

「雅楽」⇔『洋楽訛りの雅楽』⇔『雅楽訛りの洋楽』⇔「洋楽」

当然ながらここでの「洋楽」は、そこにアイデンティファイされるシュトックハウゼンの音楽という意味である。

 相互変調のアイデアは、音楽の世界においてはさほど斬新で画期的なものではない。
 バッハの『イタリア協奏曲』の原題は「ConcertonachItalienischemGusto(イタリア趣味によるコンチェルト)」であり、『フランス風序曲』は「OuverturenachFranzösicherArt(フランス様式による序曲)」だということを、往時のヨーロッパにおける相互変調の記憶として、あえて詳細を述べる必要もないだろう。
 そしてこの相互変調はやがてアフリカやアジア、新大陸あるいは「土着のヨーロッパ」へと拡大されたが、それによりもたらされた音楽的成果についても、ここでいちいち列挙する必要もないだろう。
また、電子音楽や電子的手段によってもたらされた声楽・器楽面での拡張が、20世紀後半以降の音楽を代表する新たな概念となったことも衆目の一致するところであろう。
 #シュトックハウゼンは、きわめてマジメにこのような相互変調のもたらされる「美」を「FREMDESCHÖNHEIT(ALIENBEAUTY)」と呼称し、マクロ⇔ミクロ(「宇宙」⇔「素粒子」)の世界という人類の発見によってもたらされた新たな概念やファンタジーを自作の主要コンセプトとして掲げている。

 「前衛」作曲家たるシュトックハウゼンは、文化と文化の接触によって生じた混交状態から---「雅楽器とオーケストラのための…」というバイリンガル的方向ではなく---<雅楽版><洋楽版>の二つが存在する事実からも容易に推察できることだが、

雅楽器の響き⇔洋楽器の響き

によって「雅楽器のなかに洋楽器の響きを」「洋楽器のなかに雅楽器の響き」を、ひいては「雅楽のなかにシュトックハウゼンを」「シュトックハウゼンのなかに雅楽を」に見出しているのだ。
#そう、ピアノの響きに「電子音楽の響き」を見出したように…

 上掲批評群に代表される『歴年』への音楽的観点からの(いささかヒステリックな)酷評には、「完成されたスタイルを持つ雅楽の体系」という伝統・文化(という「神話」)が、シュトックハウゼンの手によって、まさに「越境」「侵犯」されたことへの不快感があからさまに刻み込まれている。
 そして、この気持ちの根底には---あえて、明け透けにものを言うと---「島国根性」や「神国日本」、蛮戎夷狄の理解を超えた「ニッポン!最高!!」という、愛国心というにはあまりに差別的で排他的な感情発露とイデオロギー、そしてこのような仕事の背後にひそむ黒々とした思考…

 とまれ、<洋楽版>は海の向こう側で幾度も再演されている。たとえ好評/不評はあろうとも、「愚作(駄作でも失敗作でもなく)」として「なかったこと」にはされていない。
 『歴年』<雅楽版>の再演に37年を要したという事実、それを背後で支えていたのは文化的な「神話」(あえて人種的とは言わないでおこう)と、それに挑んだ「前衛」芸術、という底流に他ならない。


4、時間をとめた「誘惑」 −「伝統」と「格式」、「アイデンティティ」vs「プルラモン」−

…『歴年』初演時の「最初の誘惑」は菊の花束だったそうだ。菊の花言葉は「高貴」「高尚」「高潔」、この花束を『歴年』の舞人たちは受け取らなかった…

 「完成されたスタイルを持つ雅楽の体系」というショーヴィニズムに依拠した自明性の「神話」に抵触したシュトックハウゼンの「神話」とはいかなるものだろうか。
 これについては21世紀になってから清水穣氏が「60年代までの『理知主義的』作品は評価するが、70年代以降、ことに77年《光》以降の『神秘主義的』で『誇大妄想的』な後期作品を否定するという二分法は、シュトックハウゼンをめぐる鄙びた言説の一つである。」と喝破しているが、上掲の遠山一行氏評もその例に漏れない。

 『歴年』が『光』の端緒となったことは現在でこそ広く知られているが、1977年初演の時点ではその後のシュトックハウゼン作品の新たな展開については知るよしもなかったことだろう。
 さすがにそれは差し引くとしても、やはり60年代に評価の分水嶺が始まるとすれば、それは何に由来するのだろうか?

 シュトックハウゼン作品の年譜を見てみると、この分水嶺には

…『ツィクルス』・『ルフラン』・『コンタクテ』・『モメンテ』 / 『プルス・ミーヌス(+−)』・『ミクロフォニーI』・『ミクストゥール』・『ミクロフォニーII』…

といった作品群が存在している。
 つまり分水嶺にあるのは「ライブ・エレクトロニクス」である。

 かつての「前衛」音楽は、西洋音楽における「参照性」の規範から外れるものではなかった。すなわち「楽譜にこう書かれている」ことと「実際にこう演奏されている」ことの整合性が担保されていた。

 しかし「ライブ・エレクトロニクス」ではこの「参照性」が大幅に棄却されてしまう。「楽譜に書かれている」ことと「こう演奏されている」ことと「実際にこう聴こえる」こととが、かつてのように明白な整合性を持ちえない事態が生じたのである。
 これはテープに固定される電子音楽でも同じことで『テレムジーク』はその好例である。ここで用いられた「雅楽回路」の音響的な機能と本質はアナログ電子回路の「偏差」によって成立している。すなわち、定格値どおりに機能しないこと---気温、湿度、経年劣化、部品規格許容誤差、電源の安定性などに由来---が音楽上の主要なキャラクターを担っている。

 これらは「参照性」を自明の規範としてきた西洋音楽にとって、かつてない「アイデンティティの危機」であった。
 「これはもはや音楽ではない」という「伝統」からの強烈な拒否反応が生じたであろうことは想像に難くない。

 そして、さらに「ライブ・エレクトロニクス」がもたらしたもう一つの「厄災」が、電子的手段によってもたらされた音響の質感である。
 音楽家、特に演奏家にとって「音色」は生命線である。「ライブ・エレクトロニクス」、ことに「リング・モジュレータ」はこの「音色」を質的にまったく別なものへと変容させてしまう。音楽家たちが矜持してきた「格式」を侵犯するこの電子的手段がもたらした「音響」に対する生理的拒絶反応は著しいものであった。
#現代においてもリング・モジュレータは「ブッ飛び系劇薬エフェクト」として別格の地位を保っている。

 「前衛」音楽はこうして「ハイカルチャー」から「カウンターカルチャー」あるいは「サブカルチャー」、「アンダーグラウンド」へとその戦線を推移していった。
 まさにシュトックハウゼンも「世界音楽」と題されたテキストの末尾で「アンダーグラウンド」宣言を表明している。
 シュトックハウゼンの音楽が「ハイカルチャー」の価値観を突き抜けた瞬間、まさに評価の分水嶺はここから始まるのである。

 そして「相互変調」は音響素材の演算処理という手段のレベルを超えて、シュトックハウゼンの作曲技法に大きな影響をおよぼすことになるだろう。
 まずは素材の拡充。オーケストラや合唱といった「西洋音楽」的素材に始まり、銅鑼から発される諸々のノイズへ、そして民族音楽や国歌を経て、シュトックハウゼンの過去作を参照した「イベント」、さらには「短波」から「直観」へ…
 そして同時に、演算処理のモジュール化・オブジェクト化によって、作曲・演奏・聴取は三位一体の体験となり、宇宙⇔素粒子の投映として、極大⇔極小のプロセスを統合することで、「不確定性」や「偶然性」の限界を遥かに超越していく…
 磁気テープ上に固定された電子音楽においても、過去と現在と未来、そして此処と彼処と彼方は、レイヤー(層、重合)として統合される。

 このようなプロセスを経て、素朴な12音列に始まったシュトックハウゼンのセリー技法の概念は、時空間の彼方へと飛翔していった。
瓦礫に覆われた廃墟から星空を眺めていた少年が、憧れの宇宙へと飛び立ったのである。
#そして「直観音楽」は、日本を含む世界各地の音楽家たちによって、さらに今なお継承探究され、発展し続けている。



ジョディー・フォスター主演の映画『コンタクト』に例えれば主人公の無線大好少女だったエリーが「…ポッドに乗り込んで宇宙へ旅立ったところ…」でしょうか…
毀誉褒貶の激しい70年代のシュトックハウゼン作品と、エリーの「体験」には共通するものが…
…「ここに来るべきだったのは詩人よ」…作曲家でも良かったかもね…


「私はたしかに経験しました。証明できないし説明もできません。
でも、私のすべてが、全存在がこう告げているのです、あれは事実だったと。
私はすばらしいものをもらったんです、生まれ変わるような。
宇宙のあの姿を見て、私はあらためて気づいたんです。
我々がいかにちっぽけな存在であるかを。そしてまた、いかに貴重であるかも。
私は知ったんです、我々はより大きなものの一部であることを。」

これはシュトックハウゼンの言葉ではなく、エリーのセリフである…
さらにエリーが「地上」に帰還してからは…「フォルメル」や『光』以降と重なるよなぁ…


 

 閑話休題、まるで宇宙飛行士が地上へ帰還するかのごとく、シュトックハウゼンは「(記譜された)音楽」の世界へ戻ってくる…「フォルメル」である。
 「フォルメル」は遺伝子(音符)やミトコンドリア(カラーノイズ)からなる万能細胞のようなものである。
 全体⇔部分が一体化した多重体としてのフォルメルはさらに発展し、『光』において三つの「フォルメル」の「相互変調」から膨大な作品群を生みだしていくことになる。

 すでに「宇宙」「無限」を体験してしまったであろうシュトックハウゼンにとって、世俗的な「伝統」や「格式」にどれほどの価値があったのだろうか。
 さらには「人々が数多くの言葉を話し、さまざまな民族が一緒に暮らすことが、人類の特徴」とするシュトックハウゼンにとっては、国籍や言語や文化といった「アイデンティティ」さえもが、決して不可侵・固有の領域ではなく、「プルラモン」の一側面の表象となる。この時期の「世界中の神々」や「祈り」、「星座」をテーマとした作品群は、人類にとって天上的な表象をテーマとしている。

 しかし「地上」へ帰還したシュトックハウゼンにも、現実の原理原則の要請はどうしようもなく抗いがたいものである。
 それは、ハイカルチャーが包含する傲慢さ、美食の誘惑、モータリゼーションの功罪、「娯楽音楽」と「性の商品化」などなど…
 こうした世俗的な要素も、人類の一面として存在することは否定できない。
 シュトックハウゼンは天上的な存在への意識の集中を瞑想的に高めていくにしたがって、この高度な集中を強力に阻害する「挿入部」の破壊力を増強していくこととなる。



---参考資料---

・比率要素の順列組合せ→二極を仲介するメディア
・12音列→五つのパラメータ(音高、音価、音強、音色、方向)→点描主義→「フィギュール(かたち、音型)」→音群→「モメンテ」
・話声⇔音響⇔電子音(ホワイトノイズ⇔正弦波)、確定⇔不確定→領域→密度、器楽⇔電子音(レイヤー、色彩)
・+⇔−、リング変調→相互変調(インターモジュレーション)、「タイム・ウインドウ」→時制の混在→時間と空間の超越→「世界音楽」
・倍音列、素材・契機・変容(作品断片→短波→直感)→プロセス→「直感音楽」⇔「フォルメル」
・母音⇔子音(楽音⇔ノイズ)、演奏⇔演技、「ミヒャエル」・「エーファ」・「ルツィファー」
・「色づけられた静寂」、微分音程、「サウンド・シーン」、有機物⇔無機物、ヘリコプター

・純粋構造への不純要素の混入 … 「無機結晶体」と「虫入り琥珀」 … 「タイム・ウインドウ(時間窓)」

5、「痛い」シュトックハウゼン −聖と俗、あるいは崇高さと悪趣味−

 あらゆる「挿入部」の手法は『コントラ・プンクテ』や『三つの歌曲』…個人的な意思をはるかに上回る内面的サウンド・ヴィジョンの圧倒的な体験そのものに基づいて大学の夏休み中にとても短い期間で書き上げられました…にさえさかのぼることができます。他方では、エンジニアとして、精神的な作業に取り組むとき、時として二つの間に矛盾を生じることがあります。それは、まだ具体的にすることができない何かを必要とし、そしてそれらは新しい技術的なプロセスの発明へと導くものですが、しかし時として技術的なプロセスはわが道を行き、別の技術の出発点になります。それは今度は新たな意図をもつもので、人は照射されたイメージによって再び自らを発見するのです。[StockhausenonMusic,London,1988]


 「理知的」であったとされる60年代までのシュトックハウゼン作品で見落とされていたこと、あるいは「隠れキャラ」や「イースターエッグ」として作品に実装されていたにも関わらず、見過ごされがちだったこと。

・50年代:隠れキャラとしての「挿入部」(『習作I』、『コントラ・プンクテ』、『グルッペン』のアルプス稜線)
・60年代前半:「タイム・ウインドウ」としての「挿入部」、「名前」と「言霊」(『モメンテ』、『ミクロフォニーI&II』、『カレ』…)
・60年代後半:『ヒュムネン』の「見いだされたオブジェクト」・「スタジオでの会話」など、『シュティムング』の詩
・70年代前半:『マントラ』の掛け合い漫才、『トランス』の「四つの奇妙な音楽的イベント」、『私は空を散歩する…』の演技や「昔話」
・70年代後半:『ハルレキン』のギャグ・マイム、『シリウス』の「提示」と「布告」
・『光』:木曜日『祝祭』、土曜日「ロケット」「アッハ〜ン!」「ストライキ」、月曜日「サウンドシーン」の魔法、火曜日『歴年』、金曜日「サウンドシーン」と諸星大二郎『生物都市』、水曜日「ホール管理人」「サウンドシーン」と連想記憶、「ヘリコプター」、日曜日…


6、『歴年』 リスニング・ガイド

 悪魔とは堕天使にほかならないということを忘れてはなりません。ルツィファーの名は「光をもたらすもの」という意味です。彼が謀反を起こしてからは、できるかぎり数多くの魂が抵抗し、阻止し、否定することを望んでいます。それはまさに時の流れを、『歴年』そのものを、止めようとさえし、音楽の宇宙に静寂をもたらします。そしてさらには、もしルツィファーの誘惑とそれに伴う天使の鼓舞がなければ、『歴年』は劇場的に一本調子で面白みに欠けた、味気ないものになってしまうでしょう。そのようにして悪魔でさえも創造的なプロセスや魂の上昇の一部を担っているのです。[TextezurMusikIV]


・概要

 基本の拍節構造は主に太鼓(バストロンメル)が提示するが、指揮者はいない。

 最も演奏至難なのは、各層各楽器の自律に大きく委ねられた響きの総体バランスである。各演奏者は刻々と推移する全体的な響きを聴き取り、そのタイミングや強弱・音色を瞬時に自発的にコントロールしなければならない。
 あらゆるパラメータを駆使する演奏の「腕」と全体を適切に把握する「耳」、そして研ぎ澄まされた「直観」…
これは個々の演奏者たちに極めて高度なアンサンブル能力を要求する、そういう作品なのである。

 演奏と同じように---そのすべてを聴き取ろうとすると---聴取も至難を極める。個々の楽器や各層の動き、そして音響総体の内的生命として間断なく推移していく諸相の変化を精緻に把握することには、相当な集中力を必要とするし、それほど簡単なことではない。ポリフォニックな聴取能力である。

 しかし、心配ご無用。極度の集中力を必要とする部分は4つの[挿入部]で時間的にちゃんと区切られている。ここはリラックスして、無邪気に楽しめるように配慮されている。燕尾服の男たちはともかく、お猿にライオンに「ヌード」である。花束に食事に自動車(バイク)に娯楽音楽である。
 これら[挿入部]をシュトックハウゼンからの「深遠な」メッセージ?と勘違いしてしまうと、上掲批評群のような「痛い」結論付けに繋がってしまいかねない。

 ここは、大人ならば余裕をもって「シュトックハウゼンはこういう作風だもんね…」と軽く受け流し。緊張と弛緩のケジメをハッキリさせておきたいものである。
 もちろん、お小さい方々にだって。お猿やライオンの登場する寸劇は充分にお楽しみいただけることでしょう。
 これら[挿入部]にあたっては、心のチャンネルを切り替えて、想像力を自由に膨らませましょう。


入場

  ・「ゲイシャ・ベル」の響き … ベルごとの---音高、強弱、アタック数の---変化と総和としてのポリフォニックな響き

#<洋楽版>ではミヒャエルとルツィファーのやりとりが追加されているが、特にルツィファーのセリフで多用されるグリサンドは、篳篥(ソプラノ・サキソフォン)の演奏と類似している。

[全奏I] 四層のヘテロフォニー/ポリフォニー

  ・千年=笙(ハーモニウム/シンセサイザー)
  ・百年=龍笛(ピッコロ)と鉦鼓(アンボス)
  ・十年=篳篥(ソプラノ・サキソフォン)と羯鼓(ボンゴ)
  ・一年=楽箏(ハープシコード/シンセサイザー)、琵琶(ギター)と太鼓(バストロンメル)

四層の楽器はそれぞれに音高・音価・音色・強度を間断なく変化させ、揺らめくようなグラデーションを描く。拍節構造の重合と分節がもたらすリズムの無重力状態と浮遊感。寄せては返す波のように、変幻自在な密度の濃淡と音域の推移は大きなウネリとなる。個々の楽器の描く点や線の運動と、それらの音響の総和として立ち上ってくる夢幻的な音響的ゲシュタルトは跛行的にその密度を高めていく…
#羯鼓(ボンゴ)のアタック数の変化はまるで『クロイツシュピール』のよう…

[第一の誘惑]花束・[第一の鼓舞]拍手

  ・燕尾服と花束…最上級の礼服と儀礼
  ・花束を拒絶し、拍手で鼓舞される、ということの意味

タキシードまたは燕尾服を着た男たちが「花束」を舞人たちに手渡そうとするが、誰もそれを受け取らない。タキシードや燕尾服は男性の最上級の礼服で、『光』ではルツィファーが多くの場面で着用している。「花束」も演奏会での儀式としてご存じのとおり。
この[挿入部]にあえて意味を求めるならば、「伝統」や「格式」の誘惑に耽溺しない、ということか。ちなみにシュトックハウゼン本人は形式的な儀礼やパーティといった社交的な付き合いには「興味がない」ことを常々口にしていた。そんな暇があるなら「作曲に専念したい」とのこと…
しかしながら、心のこもった「拍手」は芸術家にとって大きな糧となる。2005年の来日公演で満場の拍手喝采をあびるシュトックハウゼンの感極まった表情を思い出すのは、私だけではないだろう…

[全奏II] 

龍笛(ピッコロ)は再び点を描き、緩やかに上昇を始める。笙(ハーモニウム/シンセサイザー)は思い思いに短い線で彩りを添える。篳篥(ソプラノ・サキソフォン)の弱音で縺れ合う細い線は、最初の楽箏(ハープシコード/シンセサイザー)のアルペジオと羯鼓(ボンゴ)の合図で冒頭にグリサンドを伴った和音へと急激に変化する。羯鼓(ボンゴ)はアタックの間隔を加速していく…
#特徴的なアタックを契機に音楽がガラリと変化するところは、まるで『テレムジーク』のよう…

龍笛(ピッコロ)独奏

テープの早回しのように加速されたアンサンブルから、突然に龍笛(ピッコロ)の独奏が始まる。音程・リズム・強弱や音色(アタック、トレモロなど)の跳躍は、雅楽と電子音楽を仲介するメディアとしての気鳴楽器の用法に他ならない。東洋と西洋、古代と現代、器楽と電子音楽が、人の息を通じて渾然一体に結実する、濃密で美しい時間体験。
#あぁ〜、なんと美しいことよ…

典雅なソロ、鉦鼓(アンボス)の鋭利なアクセント、笙(ハーモニウム/シンセサイザー)の朧々とした音調…
それはやがて、鳥の囀りのような高音域のトリルへと収束していく…
#このソロを起点として『シュトックハウゼンの器楽法は『光』の後続作品において驚異的な発展を遂げていくことになる。

篳篥(ソプラノ・サキソフォン)の三重奏

呟くようなグリサンドの断片は、次第に伸び縮みする包絡線を描くようになり、断片的なフレーズへと転化していく。その背後では、龍笛(ピッコロ)が高音域で鳥のように囀り続けている…

[第二の誘惑]料理・[第二の鼓舞]ライオン

  ・ワゴンと白いテーブルクロス…豪華な料理の誘惑
  ・舞人に噛みつくライオン…尻をかぎまわるのではなくて…

テーブル・ベルのけたたましい響きによってアンサンブルが中断されると、コックさんが白いテーブルクロスに「豪華な料理」---といっても、なぜかフランクフルト・ソーセージ---を運んでくる。
白いテーブルクロスは13世紀は貴族の特権を象徴するものであり、現在でも正式の晩餐会などでは重要な小道具として使用されていることはご存知のとおり。
#フランクフルト・ソーセージがそんなにご馳走か?ということには充分な議論が必要であろう…

ライオンはシュトックハウゼンが獅子座の生まれということもあって、夢の世界での化身の一つでもあるらしい(と『シリウス』のセミナーで語っていた)。この化身は、他にはワシ(イーグル)だったり鳥人間ミロン(『腹の中の音楽』)だったりするらしい。
ライオン=獅子とすれば、獅子舞が頭を噛みつくこと---尻ではなく---は無病息災のおまじないで、これは日本のお正月の風物詩…

楽箏(ハープシコード/シンセサイザー)と琵琶(ギター)の二重奏

『コントラ・プンクテ』の終結部を連想させるかのような、繊細で落ち着いた雰囲気で離合集散しながら楽箏(ハープシコード/シンセサイザー)と琵琶(ギター)の二重奏が始まる。背後では笙(ハーモニウム/シンセサイザー)は短い線から点へと、そのアタックをさらに強調していく。突然に現れては消えていく龍笛(ピッコロ)。やがて加減速と密度の変化を加えながら、対話は次第に熱を帯びてくる。

[全奏III]

鉦鼓(アンボス)を合図にして、龍笛(ピッコロ)の高音クラスターが緩やかな下降線を描きながら、篳篥(ソプラノ・サキソフォン)の和音と融合する。一本一本の線が精妙にグライドしながら和音をゆらめかせる。楽箏(ハープシコード/シンセサイザー)と琵琶(ギター)の二重奏と背後の和音内部の動き、笙(ハーモニウム/シンセサイザー)のアタック密度は大きなカーブを描きながら加減速を繰り返し、これらが急加速され頂点に達したとき、クラクションの喧しい音が聴こえてくる…

[第三の誘惑]バイク・[第三の鼓舞]百萬円

  ・オープンカーやバイク…モータリゼーション
  ・なんで猿?
  ・百萬円の行方…芸術家にだって日々の糧は必要だよね…

シュトックハウゼンは論文「世界音楽」で「現代の自動車は、それを一度も見たことがなくとも、それによる移動の可能性を把握する人をあまりにも魅了する。」とモータリゼーションの抗いがたい魅力について述べている。これは「人類は表面下で、あらゆる文化にあらわれる様々な発展の底流によって影響されているという事実である。」(同論文)という文脈に沿う具体例の一つとして挙げられている。

そして猿はキリスト教社会では「悪徳」や「卑しさ」の象徴であるという。その一方で、孫悟空やハヌマーンは「空を飛ぶ」ことから遠距離移動やスピードのイメージを内含している。
#1970年代後半は日本の自動車産業が輸出を大きく伸ばしていた時期で、これが80年代になって貿易摩擦を引き起こしたことも歴史的な事実である。それを考えると、この[挿入部]はかなり毒気が強いものになるが、このような解釈は「火星の人面岩」と同じようなものでしょう。

そして初演時に絶賛?された「百萬円」…シュトックハウゼンを「神秘主義」や「誇大妄想」とする人は、このように直截的な---情けないほどに、しかし切実かつ具体的な---[鼓舞]をどのように解釈するのでしょうか?
#「金をやるから、頑張れ!」ですと…いやぁ、頑張っちゃいますね…

いかに大芸術家といえども、霞を食って生きていくことはできやしませんから、やはり生活を維持するためには御銭が大事。意識は宇宙へ無限へと拡がろうとも、毎日の食費や月々の光熱費の支払、生活費のやりくりや公租公課の手続き…さらに作品上演ともなると、機材や人員の調整確認作業などの凡庸な原理原則が厳然と立ちはだかる…となると、やはり「神秘主義」ではヘリコプターは空を飛ぶことができないのです。
#シュトックハウゼンにはお金にまつわる面白いエピソードがあるが、ここでは秘密…カティンカはこの面でも(以下自粛)

 

篳篥(ソプラノ・サキソフォン)の三重奏

エンジン音とクラクションが遠ざかり、直前に寸断された急速アンサンブルが一気に減速する中で、鼻歌とも詠唱ともつかない不可思議な旋律がグリサンドを多用した三重奏で繰り広げられる。その背景には龍笛(ピッコロ)の持続和音と笙(ハーモニウム/シンセサイザー)の点描的な短線、楽箏(ハープシコード/シンセサイザー)と琵琶(ギター)のオブリガード、羯鼓(ボンゴ)のアタックが加速され、鉦鼓(アンボス)を合図に一同は静まる…

篳篥(ソプラノ・サキソフォン)独奏

『ハルレキン』『イノリ』『マントラ』の三作品のフォルメルが---「タイム・ウインドウ」として(シュトックハウゼン談)---連続して奏でられる。これらのフォルメルに込められたシンプルながらもニュアンスに富んだ「旋律」は、これら作品群の壮大なスケール---『ハルレキン』=約55分、『イノリ』=約72分、『マントラ』=約65分(全集CD)---を包含している。それぞれの短いフォルメルから、これらの記憶が想起されることで、時間と空間を超えて想像力が拡がっていく、どこまでも夢想的な時間体験。
ここでのフォルメルは精巧なミニチュアとして再現されているので、奏者のシュトックハウゼン作品への理解度が演奏の深さに直結する。
#『歴年』を10倍楽しむ方法は、ここでフォルメルが演奏される諸作品を事前に(たっぷりと)「体験」しておくこと。なぜかというと、ここで引き込まれる夢の世界から次のシーンへの落差が大きければ大きいほど「破壊力」が強化されるから…ここをただの「鼻歌」で済ませてしまうのか、それとも至高の夢の世界へ誘う「窓」としてとらえられるかは、聴き手次第なのですよ。

[第四の誘惑]娯楽音楽と美女・[第四の鼓舞]雷鳴

  ・ラジオと娯楽音楽と裸の美女
  ・雷鳴の意味するもの

さきほどまでの夢幻的世界から急転直下、一気に世俗的享楽へと引き戻される瞬間。しかし、これも人類の現実として否定しがたい側面。お下劣な「真っ裸だぁ.!」の声はシュトックハウゼン本人のもの。
#<洋楽版>では、ミヒャエル・ルツィファーの(どうしようもない)歌唱によって、破壊力はさらに増強されている。「1、2、3、4、5、セックス」ですから…(絶句)

雷鳴は北欧神話の「トール(ドイツ民話の「ドンナー」)」の象徴としてあまりに有名。あるいは金剛夜叉明王(=ヴァジュラヤクシャ神)と金剛杵(ヴァジュラ)の逸話を持ち出す必要もないだろう。
要するに天上から与えられた覚醒の契機という「そのまんま」な意味で、素朴に用いられているとして差し支えないだろう。
#ここで用いられている雷鳴が「遠雷」を含めたバリエーション豊かなものであることにも注目。

四層のヘテロフォニー/ポリフォニー・総奏

雷を契機として急加速された大音響高密度のアンサンブルは、長い時間をかけて徐々に速度を落としつつその密度を減じていく。やがて音楽が停止してしまうほどに減速し、モールス信号風の龍笛(ピッコロ)への収束をきっかけとして、アンサンブルは次第に密度を増しながら加速し、最後は力強い総奏の和音へと急転換する。
#まるで『シリウス』の電子音楽のように…

退場

可搬楽器を携えた奏者たちが『歴年』の記憶を奏でながら、舞台から遥か遠くへと消え去っていく。奏者たちの姿が見えなくなり、音楽も次第にフェードアウトしていく…
#まるで『イレム』のように…

 


 

7、おわりに

 『歴年』初演後の1977年の「季刊邦楽第13号」(邦楽社刊)125〜140ページに「シュトックハウゼン公演『HIKARI』の反響」のタイトルにて包括的な特集記事が掲載された。
 当時の状況や、この前後に大きく変化したシュトックハウゼン受容についての貴重なドキュメントであることを考慮し、いささか長文ではあるが、そこに掲載された文章をテキスト化しておこう。

 「雅楽」とは、「シュトックハウゼン」とは、そして『歴年』とはいったい何だったのか?そして37年間もの空白期間は何によってもたらされ、それはいったい何を意味する空白期間だったのか?

「私は『テレムジーク』を、私を客として招いてくれた国の人々に、つまり私が無限に賞賛しそして古き日本と新しき日本の間の矛盾に信じられないほど深くかかわっている日本の人々に、献呈したいと思っています。世界統合の過程を通じて、そしてありとあらゆるものの破壊と平板化という不可避的な過渡期を通じて彼 らにもたらされる深刻なダメージのあいだ、あるいはその後に、彼ら日本人が新しい日本を産みだすことを、私は心から望んでいます。なぜなら私が ---特に日本で---学んだように、伝統はただ単に存在するのではなく、日々新しく創造されなければならないのですから。今日に現代的なものが、明日の伝統になるのです。私たちの為すこと言うことのすべてが、一つの連続した伝統の一環として理解されねばならないということを、忘れないようにしたいものです。さもなければ伝統は死ぬ。伝統は死ぬ。伝統は死ぬのです。」(『テレムジーク』ライナーノートより)


季刊邦楽13号 シュトックハウゼン公演「HIKARI」の反響

 折しも芸術祭たけなわな十月三十一日と十一月一日、東京の三宅坂にある国立劇場(大劇場)では、ドイツの現代音楽の鬼才、カールハインツ・シュ トックハウゼンが、国立劇場から委嘱されて作曲した「HIKARI」が初演された。

 雅楽とシュトックハウゼン!!その組み合わせは、レスリングの猪木とボクシングのマホメッド・アリの試合にも似た前評判で、会場には雅楽の愛好 家や邦楽研究者ばかりでなく、洋楽側からも著名な作曲家や批評家が出席し、外人のお客もかなり多かった。

 開幕以前の場内アナウンスが、「開幕後は場内への出入りは固くお断りいたします」を繰り返したのも、一種の緊張感をただよわせた。この出入り禁 止は、客席を何らかの目的で使用するためかと予測したが、この予想ははずれた。日本の---特に邦楽の---聴衆は演奏中に出入りする者が多いと でも聞いたシュトックハウゼンが、予防策として命じたものらしい---と、終わってから想像した。

 本誌はこの破天荒な公演、おそらく雅楽の歴史上、空前にして絶後の公演を取り上げるため、急遽、関係者にそのいきさつや感想の執筆を依頼した。 まず、シュトックハウゼンと活動を共にした経歴を持つ英国人トンプソン氏に批評を求めて承諾を得た。

 次に、作曲家で近年日本の伝統音楽にも研究を進めている柴田南雄氏と広瀬量平氏に依頼したところ、すでに柴田氏は朝日新聞に、広瀬氏はサンケイ 新聞に書く約束との話であったが、角度を変えて書いてもらうことになった。

 しかし、批評は「切り捨てご免」になりがちなので、この企画者である国立劇場の当事者や演奏者たちにも何か言い分があるかもしれないので、何か 書いてもらうことにした。そこで国立劇場の木戸氏と楽部のS氏に執筆を依頼して引き受けてもらった。しかし、S氏は宮内庁その他に迷惑を及ぼすこ とを恐れて、結局は断られた。それほどにこの公演には複雑な問題がからんでいるのであろう。ついに、一演奏者と一問一答するよりほかなかった。

 「週刊新潮」(11月17日号)も、「『シュトックハウゼンの雅楽』の評判」と題して、

天皇陛下がご覧になれば、腰を抜かさんばかりに驚かれたのではないか、不謹慎きわまる!

という声で始め、雅楽愛好家からの怒りの電話として、次の声を伝えている---

雅楽の尊厳を冒す、とんでもないシロモノです。国立劇場の舞台にオートバイ、ヌード(もっとも首だけ本物の人間、下は写真)、ぬいぐるみのサル などを登場させて、低俗な見せ物にした。まるで座敷に汚水をまき散らされた感じ……

しかし、同誌は、この「HIKARI」の振付けの責任者といわれる元宮内庁学長の東儀和太郎氏の弁護の言葉を添えている---

最初は非常に心配したんですが、雅楽器の可能性を引き出した点で、音楽的には実に有意義だったと思いますね。賛否両論出て当然でしょうが、どん なかたちにしても、国民の皆さんの関心を引いた点では成功といえるんじゃないでしょうか

 関心を引いたことは事実であるが、関心を引きさえすれば、悪いことをしても構わないかどうか?少しわからない議論のようにも思える。まして、国 立劇場は、評価の定まらない新作歌舞伎さえやらないという、日ごろの慎重さとの関係はどうなるのか---という声も聞く。

 では、ここでまずどのようなことが行われたかを知るために、作曲者であり、同時に舞台演出の企画者である当のシュトックハウゼン自身の解説の要 所を、当日のプログラムから転載する---

 司祭は一年の舞人の傍へ行き(皆は準備態勢にある)「歴年」をスタートさせる。その際司祭と三人の助手はスターターの様に腕を高くあげてストッ プウォッチを作動させる。同時に打楽器の楽人は演奏を始め、次いで楽人全員の演奏が始まる。舞人は衝撃的に舞いはじめる。左端の数字1の所の舞人 は殆ど動かないように見える。次の9の数字の舞人は非常にゆっくりと動く。三番目の7の数字の舞人は目に見えて速く動く。最後の7の走者は非常に 速く動く。司祭は審判のように後へ廻り、すべてを正確に観察する。三人の司祭助手は退場している。

 一年の舞人が数字7の終わりで素早く向きを変える毎に太鼓が打たれ、楽箏と琵琶が演奏される。後方中空にある窓の左から四番目の窓には、1、 2、3、4、5、6、7の数字が方向転換の度に現われ、7で終わるとまた1から繰り返される。

 一年の舞人が7の数字の上を七回舞う間に十年の舞人は一回だけ動く。そして方向を変える毎に鞨鼓が時計のように打たれ、篳篥が和音を奏でる。和 音の間にその度毎により多くの個々のグリッサンド音が奏せられ、音程はその度に高く上ってゆく。こうして篳篥の音の点、音の一ひき、グリッサン ド、周期的にくりかえす和音により、より密度を増し、上昇して行く音によって十年の舞人の舞を音楽的に形成してゆくのがわかる。方向を変える毎に 十年の舞人は装束の一部と動作を変える。それは彼が時と共に、異なる無〔編注:舞か?〕の形式、異なる装束様式を経て行くことを意味する。左から 三つ目の窓は十年の舞人が方向を変える毎に1から7までの数字を順次に示し、そしてまた1にもどる。鞨鼓はその度に一打、二打、三打と窓の数字が 示す数だけ打たれる。

 十年の舞人がその数字上を七回舞う間に、百年の舞人は9の数字の上を一回だけ動く。向きを変える度に澄明な鉦鼓が一回、強く打たれる。龍笛は、 第一の転換までは多くの音の点により徐々に低音から高音になり、遂にはその音域全体が音の点で満たされる。転換の後に、いくつかの音の点を結び合 わせたメロディーが奏でられる。こうして龍笛が大きな波によって百年の流れを形成する事がわかる。百年の舞人も転換の度毎に装束の一部と、動作を 変える。

 百年の舞人が9の数字を一回動く間に千年の舞人は数字1の上をほんの少し動くだけである。その装束と動きは永遠の一片、あたかも遠くの大きな星 から来た人間のようである。長く尾を引く笙の音はその本質とリズムにうまく合っている。他の音に比べて遥かにゆっくりであるが、この音も他の音の 層と同じように徐々に高くなってゆく。

 ここまでは、変わってはいても、まだそれほど驚かない。本当に驚くのはこれから先の部分である。オートバイが、舞台の舞人の間を縫って乗り回さ れるあたりに至って、最高潮に達する---そこを彼自身は、こう書いている---

 楽箏と琵琶の激しいパッセージが頂点に達し、篳篥が最も集中し、高音の時、そして笙の和音が最も密な時、突然に陰で車の荒々しいクラクションが 聞こえてきて、悪魔の頭が現われる。全員硬直する。右手から一台の車が大きな音をたて、するどいカーブを切って勢いよく走ってくる。運転している のは一匹の猿で、狂ったように四つのクラクションを鳴らす。クラクションの音程は楽箏の最高四音と同じ。車は舞人達の方に向い、皆は驚ろいて飛び 上がったり、脇に飛びのく。車は大きく8の字を描く。千年の舞人は身動きせず、空を見つめる。しかし、他は魅了されたように車に見入り、ついには 好奇心をそそられて近寄り、四方八方からジロジロと見る。猿は十年の舞人に乗ってみるように勧め、クラクションの鳴らし方を教える。今や、千年の 舞人もこれ以上自制できなくなって、興味深そうに見る。その時、天使の頭が現われ、同時に悪魔の頭が引っ込む。小さな女の子が左手から走って来 て、タオル大の十万円紙幣を持って振る。彼女は舞人の前にかけ寄り、「十万円、十万円」と叫ぶ。舞人と猿は不思議そうに女の子と紙幣とを見る。司 祭さえも背後から出て来て、うっとりと見る。再び、女の子は三回「十万円」と叫ぶ。一瞬、全く静かになり、全員が紙幣に集中する。すると打楽器が 入り、楽人全員が演奏を始める。三人の舞人は各自の場所に大急ぎで戻り、女の子は司祭に素早く紙幣を渡し、走って戻る。舞人は前より速めに舞を続 け、猿は荒々しくクラクションを鳴らしながら、勢いよく右手に走り去り、天使の頭は消える。司祭は辺りを探し、棒をつかみ、紙幣をそれにつるし、 右側に二本目の旗のように立てる。クラクションは、まだ長い間遠くに聞こえる。

右の「十万円」は今のインフレで、実際の舞台では「百万円」に増額され、大きな旗のような作りものを押し立てて、舞台上を移動した。
さらに観客を驚かしたのは、次の部分である。

 Mantra(シュトックハウゼンの作品)のメロディーの終わりに、ラジオの軽音楽がかすかに聞こえて来る。悪魔の頭が現われる。笙を除いて、 演奏はやみ、皆、手を耳にあてて硬直する。右手から、横顔のとても美しいヌードの女性を乗せたワゴンが入って来る。彼女の隣にはラジオののった机 があり、音楽が小さく流れて来る。(中略)

 と突然、雷電を伴った嵐が起こり、楽人達は爆発的に演奏を再開する。

どのような公演が行われたかを説明する代わりに、シュトックハウゼン自身の解説を引用したのであるが、この現象面に幻惑されて、聴衆(観客) は、この作品の真意を理解しにくいかもしれないので、今度は彼が何を意図したのか、彼の企画について、彼自身の言葉を聞くことにしよう---

「歴年」の中で「悪魔の誘惑」と「天使の煽揚」とが登場することの意味、その私なりの解釈が、誰の考え方にも通用するという性質のものでないこ とは明らかである。私が考えるところでは、創造的な行いを阻止しようとするものはすべて悪魔の産物である。悪魔とは否定の精神、つまり死である。 それは「歴年」を止めようとする。悪魔はかりそめの楽しみで人を惑わす。「歴年」の中に登場する四つの誘惑とは、賛同を述べる者、コック、自動 車、それに裸婦である。言い換えるならば、賞讃の花束を持って来て賛辞を述べる者は、常に終焉や離別の墓場の匂いがする。

さらに、問題のオートバイの乗り回しなどについては、次のように述べている。ただし、彼自身はオートバイでなく「常用車〔編注:乗用車か?〕」 と 書いている。

 猿の運転する上品な常用車〔ママ〕とその超モダンな四段階不協和音警笛と……これらの象徴するものは機械、器具類---簡単に言ってしまえばす べての「物」あるいは俗に言う「がらくた」---に対して生れる眩惑である(高価で複雑な物に対する程、その度合いはすさまじい)。人間は他のど んな生物にも増してこういったものに惑わされ、その手入れや修理、改新に執拗に追いたてられる為に、創造的な活動も制約されがちなのである。

 そして最後に、性的欲望の力がある。混乱、うぬぼれ、ねたみ、買収、気晴らし、疲労、麻痺等々、ありとあらゆる形で、この悪魔の最大の勝利は 我々の創造性を麻痺させんとして常に我々を襲うのである。

 これらの力に対して一体天使に何が出来るというのだろう。破壊と策略という手段を用いることの許されていない彼に、である。

さらに、肝心の音楽の使い方、その意味については。こう書いている---

「歴年」の中の音楽が、純粋に音楽的なエネルギー、波、リズムによって描き出すものは、時の様々な層の重なり合いであり、時というスペクトルの 中で分析された時間の共存する状態である。従ってこの作品は同時にコンサートとして、ということは舞台をつけずに演奏することも出来る。その場 合、「誘惑」は、関係ない音---たとえば船で鳴らす鐘やディナー・ベル、自動車の警笛とかエンジンの音、ラジオから流れて来る娯楽音楽等--- による聴覚的妨害で表現すれば良いし、同様に「煽揚」も聴覚による表現、即ち拍手喝采だのライオンのうなり声、「十万円、十万円」と叫ぶ子供の声 や雷の音を使うことになる。こういう音が入る時には、音楽の方は常に、笙の静かな和音の、長く尾をひかせたフェルマータで止む。終りの方になっ て、だんだんと明かるくなってゆく光も、一定の周期でだんだんと大きくなる、鉦鼓の澄んだ音によって、はっきりと聴覚に訴える形で表現することが 出来る。


[企画制作者より 木戸敏郎]

 雅楽はもともとは日本の民族音楽ではないし、いまだに完全に日本化してもいない。

 広大無辺の古代アジア大陸の音楽舞踊を贅を尽くした唐代文化のもとに集大成したもので、八世紀に日本へも伝えられたのである。奈良・平安初期に は唐から伝えられたほぼそのままの姿で演じられていたようである。今では知識としてしか把握できないが雅楽の最もオリジナルなものである。これを 第一の雅楽と考える。

 しかし藤原時代以降中世になると雅楽は日本の国情に応じて姿を変えてゆく。雅楽が定着した環境は皇室を中心とした宮廷サロンであった。そこで雅 楽は中世の宮廷サロンを支配していた美意識のもとに新しく秩序づけられてゆくことになる。現行の雅楽がこれである。韓国・ベトナムの雅楽なども含 めてローカルカラーをまとった一連の雅楽をオリジナルに対して第二の雅楽とでも言うべきであろう。

 ここで注意すべきことは唐から伝えられた雅楽の中から中世貴族の美意識にかなったものだけを選び、家風に合わないものは切り捨てて日本の雅楽を 形づくったことである。残念なことに、時代が現代に移行した今日、中世の公家と現代の我々との間には美意識にずれが生じている。現在雅楽が、尊敬 されてはいるが敬遠されがちなのは、ここに原因のあるよそよそしさのためであろう。雅楽を現行のままに固定した状態で伝承することはもちろん必要 なことであるが、他方において、中世的なものを克服してゆくことも、伝統の継承には必要なことではあるまいか。

 ここに至って雅楽の原種とでも言うべき第一の雅楽---中世の手垢がつかない雅楽---が懐かしく思い起こされる。もう一度ここに立ちかえり再 出発はできないものだろうか。

 幸いなことに第一の雅楽の形見の記念品を我我は今も伝えている。それは雅楽の楽器である。中世の宮廷サロンで唐の雄大な雅楽が色あげされた際 も、楽器の構造にはほとんど手がつけられていない。だから現在も雅楽で使われている楽器には、現行の雅楽では使っていない表現力や音域が、今も埋 蔵されている。楽器だけいじってみると非常に面白い表現が現われるが、現行の雅楽曲を演奏すると、その多くは埋没して消えてしまう。雅楽を日本中 世の宮廷サロンの枠から開放して今は眠っている本性---他のいかなるものにも代えがたい古代アジアの血---を発揮させる第三の雅楽が想定でき ないものか。古楽器・古譜の再興や、黛氏・武満氏への依嘱〔ママ〕などはその可能性の模索である。

 そして今回のK・シュトックハウゼン氏に依嘱したLICHT-HIKARI-LIGHTもその延長線上のものである。依嘱には 次の条件がついていた。

1 雅楽の演奏家による伝統的な雅楽の楽器のみを用いること。

2 音を電気的に変形しないこと。

 氏は雅楽の三管(笙・篳篥・龍笛)は所有しており、やや自己流であるが、指遣いも正確に演奏する。こちらで作成した録音と五線譜による資料を参 照しながら、雅楽の楽器が保持する音階や音域についての検討からはじめた。そして雅楽の楽器による音楽はAの音を基本にして構成するのが最も適当 であると考え、その線に沿って実に精密機械のような見事な曲をかきあげた。

 九月二十二日来日以後は異常なまでの熱意をもって演奏法を指導した。あくまでも雅楽の楽器に則しながら新しい表現力を引き出してゆくのである。 実に多くの表現の可能性が開けていった。稽古に立ち会っていて、紛れもない天才をまのあたりに見る驚きを感じた。これはもはや中世の雅楽ではな い。人によっては雅楽と呼びたくないかもしれないが、第三の雅楽の出現である。雅楽に関する発見であり発明であった。

 発明といえば、リズムはお水取りのリズム構造を導入して日本的な特色を出そうとしている。氏の言によれば、十一人の僧が下駄のようなものをはい て走る音は、打楽器を足につけて肉体運動で演奏しているリズムであり、走る、歩く、呼吸をする等のリズムは人間にとって大切なものという。この曲 でも音楽は舞人の動きを見て演奏されるのであり、特に一年の舞人が折り返すごとに打たれる太鼓は、この曲の心臓の鼓動である。彼の気持や疲労によ る緩急が曲のテンポに影響する。この有機的なリズムは、日本の古い芸能から学んだものである。

 歴史の古い日本にちなんで、この曲は時の流れをテーマにしている。サブタイトルは、DER JAHRESLAUF(デア ヤーレスラウフ)と なっている。歴年と訳したが、日本人には、難解な言葉である。年月の起動であるが、LAUFEN(ラウフェン)には走るという意味があり、この言 葉で積極的な姿勢を表わしたものだから、この意図を生かして訳して欲しいという。ドイツでは時計の針が廻ること、年末から新年になること、人の履 歴書などを走るといういみでLAUFENと言うが、日本語でこれに相当する言葉に訳して欲しい、年が走ると日本語で言っておかしいかと聞く。日本 にはそのような表現はない。

 フンボルトが言葉は概念を表わすといったが、まさにそのとおりで、概念のないところに言葉はない、これは大変興味深い問題だということになっ た。確かに大変興味深い問題である。というのは公演後にここから無数の誤解が生じているからである。この作品で氏はキリスト教思想に由来する人類 の進歩、未来への前進をうたいあげている(公演パンフレット・朝日新聞)。ところが日本には、古くから末法思想こそあれ、進歩の概念はない。ある のは時代の変化=流行の概念である。進歩という語は翻訳語であろう。明治以前の言葉では何と言ったらいいか、しかし流行にははやりという言葉があ る。つまり進歩の概念は、日本人には身についたものではなく、現象面しか見なかった。それは今も続いていて、この作品の批評も本質をついたものよ りも現象面だけを見たものが多い。曰く猿が云々。ヌードが云々。

 音楽の演奏は約四十分、それに対して四つの誘惑は約五分、しかし人々はこの誘惑だけを注目したがる。またこの舞は舞台全体を見渡さなければ理解 できないはずだが、新聞批評の写真は部分写真で、これもまた猿であった。

(国立劇場・制作担当)


[演奏者との一問一答]

 あの「ヒカリ」に雅楽器を使う意味があったでしょうか。

 シュトックハウゼン氏は特に雅楽器に限定しているわけではありません。来年ヨーロッパで演奏するときには、洋楽器でやるようです。龍笛はピッ コロ、篳篥はオーボエ〔ママ〕、というように譜面に書いてあります。ですから、楽器よりも、二千年の歴史のある雅楽という音楽を表わすことに意味 があったようです。

 しかし、あの曲と雅楽曲との間に、どんな類似性、共通点を感じられますか。

 わたしは、あれは雅楽だとは思いませんでした。雅楽器の制約の中で書かれた一つの現代音楽だと思います。その点、あれを雅楽だと受け取られ て、抵抗を感じられた方が多いようですが、わたしは雅楽だと思っていませんから、何の抵抗もなく演奏することができました。

 そういえば、あの曲には、「雅楽」という肩書はありませんね。ただ、雅楽でないもの、単なる現代音楽の初演を、国立劇場でやることには問題が ありますね。国立劇場という伝統芸能の保存と普及をはかってきたところでやるものだから、雅楽だと思ったり、抵抗を感じるのも無理はない……。

 ですから、日生劇場あたりでやるんだったら問題はないですね。ところが、国立劇場側では、雅楽として扱ったのではないかと思われます。

 その辺、シュトックハウゼンと国立の当局とが、どのように話し合って作ったかに問題があると思います。
ところで、あのような雅楽曲でないもの、特に、妙な見せ物(?)がついているあんな公演を、あなた方が引き受けたのもおかしい、断わるべきで あったという意見がありますが……。

 いや断わりたかったのですが、断わると大変なことになるので、結局やらざるを得なかったのです。

 シュトックハウゼンに注文をつけたり、抗議したりされたことがありますか。

 あります。しかし、通訳の人が大変に彼に遠慮され、こちらの思うとおりに意思を通じてもらえないこともありました。だいたい、あまりに彼に気 兼ねしすぎる劇場側の姿勢でした。通訳は劇場の通訳でしたが、通訳を通さず直接に申し込んだことで、彼が応じてくれる場合もありました。とにかく 非常に熱心でした。
彼の譜面は大変こくめいに書かれていて、非常にエネルギッシュな人でした。

 今度の公演は、演奏よりも舞のほうにいっそう問題があったと思いますが、彼はダンスなどにも造詣のある人なのですか。

 そんなことは聞いていません。ただ今度の場合、ワーグナー的存在で、音楽ばかりでなく、舞の演出も、細かく厳しく指揮しました。舞を受け持た れた東儀和太郎先生は大変でした。非常に妥協して、あの程度でおさまったのです。
なにしろ、舞だけは聖域として、あまり手を出してもらいたくないと申し入れてあったのですが、彼はそういうことの容赦はまったくなく、一番速い 動きの舞人は、オリンピックに出たマラソン・ランナーでもよりというのです。
そして、舞人にオートバイを乗り回すことが指定されていたのですが、それは断りました。それでは「クラクションを鳴らすように」と命じるので す。それを断ると、「なぜそんな簡単なことができないか」というわけです。
とにかく、舞のほうは大変で、舞人が降りたい(やめたい)と言い出したり、シュトックハウゼンが帰ると言い出したり、トラブルも多かったので す。

 しかし、今度の公演で、これは面白いと思われるものもありましたか。

 まず、四人に別々のテンポの舞を舞わせたという点は面白いですね。また、篳篥の使い方には、なるほどと思うところもありました。半音とか四分 の一音とかの使い方、それに拍を、いっぱいに吹かせる使い方。雅楽では終わりは少し休むという吹き方ですが……。

 特に、難しかったのは……?

 琵琶・箏・打楽器、これらはたいへん難しかった……。

 もっとも、それらは従来雅楽での使い方が単純というか、控えめすぎたともいえますが。で、総体に、どういう結果になったと思っておられます か。

 労多くして功少なし---と思います。しかし、外国でやれば案外受けるんじゃないかと思います。でもやはり、品位とか次元を考えると、どうも われわれには納得しにくいものがあります。

 彼の意図はどういうところにあったと思いますか。

 二千年の歴史を持つ雅楽を使ってヌードやオートバイのようなものに興味を持つ現代の日本を皮肉る、茶化すということでしょうか。
しかし、彼は大まじめでした。初日のカーテンコールのとき、ブラボーの声のほか、「バカヤロー」とか、「引っ込め」とかいう声も聞かれました が、楽屋裏に入った彼は、大変な喜び方で、抱きついてキッスしたくらいです。

* * *

 彼は公演がすんだ翌日、日本の新聞の批評を見ることもなく、シュトック旋風をあとに残して帰国の途についたのである。



[「歴年」と最近のシュトックハウゼン 柴田南雄]

 シュトックハウゼンの「四人の舞人と管絃のためのLICHT-HIKARI-LIGHT, DER JAHRESLAUF---歴年」と題する新作が十月三十一日(と翌十一月一日)、東京の国立劇場において、第二十二回雅楽公演≪舞楽≫のタイトルのもと に世界初演された。
元来は、昨一九六七年秋の国立劇場開場十周年記念に上演されるべく、七〇年には作曲者に作曲意志の有無の打診がなされ、七四年には正式に依嘱が 行なわれたにもかかわらず、完成はまる一年おくれた(以上のデータは当日のプログラムの、劇場側執筆の序文による)。そして昨年秋はその穴うめ に、シュトックハウゼンがアメリカ建国二百年祭にワシントン(だったと思う)で初演して来たばかりの「シリウス」を移動公演の形で上演したのだっ た。

 定められた記念行事の期日までに音楽作品が完成しなかったという例は音楽史上、けっして前例がない訳ではない。ベートーヴェンの畢生の大作「ミ サ・ソレムニス」もそうであった。けれども、今回の新作を見終わってわたくしは、シュトックハウゼンほどの経験のある作曲家なら、この程度の作曲 とステージ上のアイデアを完成するのに、集中的に仕事をすれば一か月でじゅうぶんであろうと思った。家に帰ってプログラムに載った彼自身の解説 (それはほとんど十月二十七日付朝日新聞夕刊、文化欄に掲載されたほぼ四〇〇字七枚程度の彼自身の原稿と同じものだったが)の末尾に、「私は一九 七七年晩夏から初秋にかけて書き、京都でこれを完成した」と作曲期間がほぼ一か月くらいであったことを自ら認めている。もちろん、期日に遅れよう と、二回目の締切間際の一か月間に蒼煌(そうこう)のうちに完成させようと、すぐれた芸術作品がわれわれの前に提供されるなら、だれしもそんな経 緯はすぐさま忘れ去ってしまうだろう。

 ともかく、今回の新作は音楽の面においてはまったく感銘を受けるどころではなく、あのような西欧の前衛的手法は洋楽器でのほうがまだしも効果的 であったろうと思える程度であったし、コメディア・デル・アルテ(十七世紀イタリアの即興喜劇)ふうの道化役の出現は、アイデアとしても幼稚きわ まりなく、イメージの貧因は明らかであり、わずかに、案としては利用価値があると思われた、ステージ上の1977の文字上で、千年の舞人、百年 の、十年の、一年の舞人が、それぞれ時間的な次元を異にする舞を見せるのさえ、一向に効果的ではなかった。すべては、端的に言ってバカバカしかっ た。すでにわたくしは十一月五日付、朝日新聞夕刊紙上に短評を書いているので、これ以上、この作品のつまらなさには触れない。

 これまでにも国立劇場において黛敏郎・武満徹両君の、また他の機会には松下真一・石井真木両君の雅楽の新作に接した。いずれ劣らず個性的な新奇 な語法も使われていたが、雅楽の様式を踏まえた現代の創造に対する真摯な挑戦という姿勢は、この四作品に共通して貫かれていた。今回の新作は、そ れらとは根本的に異なる理念によっている。それを日本人とヨーロッパ人の相違である、と簡単に割り切ることはできない。たとえば、ヨーロッパの前 衛的作曲家のクセナキス(ギリシャ生まれ、フランス国籍)や、リゲティ(ハンガリー生まれ、オーストリア国籍)の名前と仕事ぶりをすぐ思い浮かべ ることができるが、仮にこの人たちが雅楽の創作に関与するとしたら、お互いにとって実りのある、音楽的にも豊かな創造物が生まれるだろうと思われ る。

 今回のシュトックハウゼンの新作上演が索漠たる試みに終わったその原因は、彼のここ十年ほどの音楽観に求められると思う。一般に、一九六〇年代 半ば以後、ヨーロッパの作曲界には大きな価値観の変化があった。その時期に、一部の人たちの間で、非ヨーロッパの国々の音楽への態度、対処の仕方 に重大な誤りが生じたのではないかと思うし、今回の作品への評価も窮極的にはそこへ行きつく問題であると思われる。

 順序としてシュトックハウゼンの初期の仕事をふり返ってみると、一九五三年に完成し発表した電子音楽「習作第一」および翌年の「習作第二」(と もにケルン放送局の電子音楽スタジオで制作)の成功によって注目を浴び、以後の数々のピアノ曲、室内楽曲、オーケストラ曲は発表されるたびにセン セーションをまき起こし、ヨーロッパ作曲界の寵児となった。

 彼がもっともめざましい活動を示したのは一九五〇年代であり、電子音楽「少年の歌」(一九五六)「コンタクテ」(一九六〇)、室内楽「ツァイト マーセ」(一九五六)、三組のオーケストラのための「グルッペン」(一九五七)などは、とりわけすばらしい創造力と響きの魅力を示している。

 しかも、この時期のシュトックハウゼンは独自な理論を発展させながら、それを実作品で証明し、さらにそれを次の理論と作品に発展させていく、と いう他の追随を許さぬ仕事ぶりを見せ、まさに作曲界の牽引力そのものであった。一九六六年の二月、NHKで彼が行なったゼミナールは彼自身の体系 の講義と、作品演奏が緊固に結びついたみごとなものであった。そこで彼は一九五〇年代の発展を、まず形式においては要素を第一義的に考慮に入れた 時期(点=「コントラプンクテ」、群=「グルッペン」、集合=「少年の歌」)、次に部分を重視した時期(確定=「クロイツシュピール」、可変= 「ツァイトマーセ」、多義=「ツィクルス」)、さらに全体への考慮を重視した時期(方向〔劇場〕=「ピアノ曲第九番」、並列〔叙事的〕=「ルフラ ン」、瞬間〔叙情的〕=「カレー」)と定義している。さらに空間音楽の問題や、電子音楽における四つの基準(時間領域の移行、合成と分解、多層 性、楽音と雑音の綜合)といったテーマをとり上げ、これも自作品との関連において明快きわまる説明と結論づけを彼は行なった。まさに、十世紀この かた、ひたすら音響物理学的な合理性に沿って発展してきたヨーロッパの多声音楽の、数多くの作曲家たち、中でも理論的なドイツの作曲家たちの最良 な資質の今日的な姿がシュトックハウゼンに集約されているとさえ思われた。一九二八年生まれの彼は時に三十八歳、創作力においても想像力、構想力 においても絶頂期にあったと言えよう。

 ところで、その時点で、彼はまさにNHKの電子音楽スタジオで「テレムジークI〔ママ〕」という作品を完成したところであった。これは五チャン ネルのテープ作品で、テレ=遠隔、の字義通り、世界各地の民族音楽の断片の、いわゆるコラージュである。彼自身、当時次のように解説している。 「私は私の音楽のみならず、全世界、あらゆる国、あらゆる民族を一つに統合するという昔からのそして絶えずくりかえされる私の夢に近づこうと思い ました。アマゾン、南サハラ、お水取り、薬師寺、高野山、スペインの片田舎、ハンガリー、雅楽、バリ島、ヴェトナムの山奥、あるいは中国からのい くつかの音の断片をお聞きになることができるでしょう。これらの神秘にみちた訪問者たちは、TELEMUSIKの一つの部分になりたがっているよ うです。(下略)」(一九六六年三月二十一日、試聴会パンフレットより)

 これと同じアイデアのもとに、世界各国の国歌の断片を電気的に変調などしてコラージュふうにえんえんと流した電子音楽ふうの作品「ヒュムネン」 (一九六六〜六八)はレコードにもなっている(ドイツグラモフォン、MG9348〜9)。二枚四面、二時間弱を要するが、ラ・マルセーイエーズに インターナショナル、君が代にアメリカ国歌、その他さまざまな国歌の聞きずらい断片が、電子音の波間に見え隠れする、といったもので、ここで彼は 国歌を時間と歴史の重みに耐えうる、普遍性を持った、まただれもが知っている音楽であるから、こうした形式で全人類のための音楽を創造したと確信 しているらしい。

 このような主観的な説明は人々をじゅうぶん納得させるものであろうか。こうした没論理的、神秘的な理論が、前記の明晰な、西欧合理主義の嫡流を 思わせる理論とどうつながるのか、全く理解に苦しむといわねばならぬ上に、こうした系列の作品はふつうの意味での鑑賞に耐えるものでは到底なく、 いちじるしく独善的な様相を帯びている。

 今回のLICHT-HIKARI-LIGHTも、この系列にぞくしているが、要するに、この系列では観念が、理念が先行しており、彼があれほど かつて重視した形式や響きの構造---それがまさに音楽作品を成立させるものであるが---への関心を放棄している。その理念は、音楽構造への関 心の犠牲において遂行されているのであるが、それは、非ヨーロッパ諸国の音楽現象を、自分の音楽帝国の体系の中に組み入れようとするときにまさに 起こるのである。

 それは、たしかに音響科学の合理的体系の中に包摂できぬ、別種の存在である。それを彼は以前の西欧作曲家のように疎外することなく、ヨーロッパ のそれとたんに対等に並列させることで、かつはヨーロッパの創造の不毛を救い、かつは第三世界の音楽をも幸福にする、つまり、その永久的な存続に 手を貸すことになる、と信じているかに見える。

 しかし、これは昔ながらのまことに平凡な彼らの思想なのだ。非ヨーロッパ音楽にどのような汚染や破壊が生じようと、それはヨーロッパ音楽の光輝 ある伝統に組み込まれるに際しての、とりに足りぬ犠牲にすぎぬと彼らは考えているのではあるまいか。
だが、少なくともシュトックハウゼンの一九五〇年代のみごとな西欧合理主義の創造体系からは、このような第三世界への対応の姿勢は、必然かつ自 明の理であったのだ。非ヨーロッパへけっして「下りる」ことなく「上へ」拾い上げ、たんなる素材として自己の体系に無理矢理に慴伏(しょうふく) させる以外の方法で、諸民族の音楽に接することは彼には不可能なのだ。雅楽に対しても、それは例外ではなかった。

 しかし、この問題はけっして他人事ではない。われわれ自身が日本の伝統的な音楽や、他の第三世界の音楽現象を取り扱う場合、つねに戒心と反省を 怠ってはならぬ、肝要な問題でそれはあるのだ。

 第一銀行が創立百年を期してシュトックハウゼンに依嘱した「いのり」は本邦未初演だが、この純西洋ふうオーケストラ曲はけっして悪くない。おそ らく今回の「ひかり」のスコアも、オーケストラとバレリーナによって演じられるなら、それなりの効果を発揮することであろう。



[高価で貴重な実験 −新植民地主義と排外主義− 広瀬量平]

 現代ドイツの作曲家、シュトックハウゼン氏に雅楽の作曲を委嘱するという、大胆な試みに賭けた勇気を、私は讃えたい。なぜなら、このような危険 をも恐れない前向きの姿勢だけが、物事を前進させるからだ。そしてそれが失われるとき、それまでの営みは退嬰(たいえい)し、矮小(わいしょう) なものとなり果ててしまう。伝統とは、創造への意欲があってはじめて生命を保ちうるものである。伝統とは、日々創られるものである。単なる伝承墨 守からは精神の躍動は生まれない、と信ずるからである。問題は作品発注者のそのような熱意と創造意欲に、受注者であるシュトックハウゼン氏がどう 応えたか、ということなのである。

 十月三十一日に、国立劇場で、四人の舞人と管絃のためのLICHT-HIKARI-LIGHTの初演に臨場して、この種の営みの不毛を、いやと いうほど味わわ〔ママ〕された。そのときの感想を書いたり話したりしたのだが、それがどうしても激しい調子になるのを、私はおさえることができな かった。時間も経た今や、距離をおいて考えられるようになった現在も、そのことについての基本的な考えは変わらない。

 私がシュトックハウゼンの作品とはじめて接触したのは、一九五〇年代に彼の初期の作品、「コントラプンクテ」においてである。その後の彼の作品 を聴いて、その都度、考えることはあったが、昨年国立劇場で民音主催により演奏された、「シリウス」を聴くに及んで、ほぼ今度の結果を予想はでき た。これはアメリカ建国二百年に際し、西ドイツ政府が彼に委嘱したという代物であるが、ドグマを強引な論理によって鎧(よろ)わせたものであり、 真の創造的なインスピレーションから生まれる芸術作品、という種類のものとはちがっていた。あのとき私は、曲の前半の部分で席を立って帰ったのだ が、今回はこのことの成りゆきを見届けたいという思いで、最後まで席を立たなかった。

 曲の構成・しくみについては、私もすでに二、三書いたし、他の方々が書かれたのであまりくり返したくないが、要するに、1977という西暦年号 を表わす数字が、斜めになった舞台の床に大きく画かれ、その上に一人ずつ四人の舞人が立ち、その後方にそれぞれ楽器群が陣取り、司祭の合図で助手 がストップウォッチを作動させ、演奏がはじまるのである。四秒に一度太鼓が鳴り、その都度一年の桁の舞人が床の7の数字の上を動く。それが七度く り返されると、十年の桁の舞人がこれまた7の数字の上を動く、というふうに、百年、千年の舞人がそれぞれ動き、歴年を視覚化する。舞人につれて各 楽器の群が楽を奏する。舞台の正面、舞人・楽人たちの後ろに壁があり、そこにデジタル時計のような数字が現われて、0年からはじまる歴年の進行が しめされる。

 そしてそのような歴年を阻止しようとする者たちが次々と登場する。三人の黒い洋式礼装の男たち、天使のような少女、食べ物をのせたワゴンを引く コックたち、ライオン、ヌードを装ったヴィーナスの書き割り、本物のスクーターに乗り、クラクションを鳴らして出現する縫いぐるみの猿、大きな百 万円札を持った少女、等等、それらと舞人たちとのやりとり。このくだりが、まるでテレビのドタバタショウ、はるいはギャグ、コントのような次元で 行なわれ、見るも無惨な舞台であった。真の創造意欲に溢れた真摯な実験と見、聴くことはどうしてもできない、というような質のものではあった。

 やがて雷鳴とともに舞台は暗くなり、歴年のスピードははやまり、はや現代、1977年の今日に達してしまう。司祭は今回の最優秀演者をえらぶと いって二人の名を呼び、彼らに例の百万円札などを授け、全員は整列してその百万円札を旗のごとくかかげて退場するのである。

 疎外者たちが雅楽に対するパロディとして機能することもなく、全くの無意味、無内容な行為につき合わされるという結果になってしまった。

 シュトックハウゼン氏を今日の最も創造的な作曲家とみようが、二十世紀後半の現代音楽をきり開きつつある指導的作曲家とみようが、主催者の自由 であるが、今回の公演を見て、はっきり何かが終わったということを感じたのは私一人ではないと思う。不毛をいかに粧(よそお)うとも、人はその無 内容さに、敏感に気づいていたようである。

 我々はシュトックハウゼン氏の方法、ひいてはそれを支えている芸術しそうが、すでに破産していることを知る必要があるだろう。非ヨーロッパ的価 値は、ヨーロッパ人が評価しとり上げて、はじめて価値を生ずるという思想、つまりはヨーロッパ人のために世界はあるという、植民地主義的芸術観か らすれば、雅楽は単なる材料にすぎないのである。ヨーロッパ音楽こそ普遍的音楽であり、その他の地域の音楽はローカルミュージックであり、それを 新たな素材として、ヨーロッパ人がヨーロッパ音楽に利用する、という思想は結局、新植民地主義であるといえよう。そこでは東洋の、アフリカの、ラ テンアメリカの音楽は、新しいヨーロッパ音楽のための素材でしかない。

 今日、世界観があらゆるジャンルで書き変えられようとしているとき、なおこうして音楽の中に、十九世紀の世界観が根づよく残っている。そしてそ れをゆるしているのは、我々の中にある拝外主義である。結局のところ、海外での評価のみを気にして、真の芸術性を失ってゆきつつある演奏家や作曲 家、外来のものなら何でも飛びつく音楽愛好家等々、我々の周囲に満ち満ちている拝外主義が、このようなことをゆるしている。かくて我々は、ヨー ロッパ・アメリカの文化的植民地になる。今回のシュトックハウゼン舞楽をめぐって、それらの諸問題が、実に象徴的に浮き彫りにされているように思 う。

 ある新聞が、公演前の取材で「楽壇のヒットラー」とその独裁ぶりを書いていたが、たしかに彼の作品や作品活動には、動かしがたい倨傲(きょご う)があり、それは絶大な自信と極めて主観的な論理によって拡大されているのだが、その独善的な押しつけがましさと、黒々とした無機的な肌合いを 私は好まない。

 それはともかく、今回の公演を終わって、多くの人々が、権威にまどわされず、はっきりと意思表示するのを、耳にした。人々がこんなにはっきり自 分の言葉で語るのをきいたことはなかった。先ほど、何かが終わりつつあると書いたが、今回の公演でいちばんの収穫は、そのことかもしれないと思 う。「王様は裸だった」。

 さまざまな実験、試行錯誤が我々を豊かにする。今回のことも、日本音楽史にとって、高価ではあるが貴重な実験であったと信ずる。そのような実験 をあえてした意欲を、私は壮とするものである。そしてそのことの重大性を感じたからこそ、私はそれを体験し、見届けたいと思ったのである。

(京都市立芸術大学教授・作曲家)


[大シュトックハウゼンの失敗 −特に「ヒカリ」の劇的構想について− ロビン・トンプソン]

 将来において、二十世紀の西洋音楽を評価するとき、この世紀の後半期においてシュトックハウゼンは中心的役割を果たしてきたと見なすことに疑いの 余地はないであろう。一九五〇年代において、ブーレーズをしてほとんど作曲活動を断念させたような行き詰まりに陥ることなしに、ブーレーズと共に ヴェーベルンの十二音法をその最終段階まで発展させた。その当時、彼は初めての意義ある電子音楽の作品を作りもし、その方法は電子音楽の発展につ れて前衛派だけでなく、ジャズやロックの音楽家にも広く影響を与えた。彼の優れた才能は音に対する特殊な感受性、それに新しい形式を創造し、組織 化するというところにあると思われる。

 今日の作曲家が直面している問題は、十九世紀においてのように既成形式が存在していないため、一つ一つの曲が作曲家によって全体的に構成されね ばならないということである。それゆえ、今日の作曲家が心得るべきことは、彼自身が作り出した構造を土台にして彼の聴覚的創造力を具体的な形に表 わすことである。

 この点ではシュトックハウゼンが抽(ぬき)んでていて、実は彼が六〇年代に作曲した作品のあるものは音の構成を示す表に過ぎず、本質的な音が譜 面に表現されていないため、演奏家は即興で奏する音を指示どおりに作り出さねばならない。しかし、彼の構成要素表(フォルム・スケーマ)はいつも 成功であったとは言えない。なぜならば曲が終わって記憶に残る部分はフォルム・スケーマ以外のところにあるということがしばしばであるからだ。一 九七〇年以前の作品にはフォルム・スケーマに付け加えられているところが音楽であったが、それ以来の作品においては、これらのところは劇的なもの になってきた。これは「ヒカリ」において顕著であった。この曲を聞かれた読者の記憶に残る部分はたぶん音楽ではなく、音楽には本質的に無関係な劇 的要素ではないかと思う。

 シュトックハウゼンが初めて彼の作品の中に非音楽的要素を取り入れたのは、一九七一年に作曲した「トランス」という曲であり、そのときから、去 年国立劇場で演奏された「シリウス」を含めて、どの曲にも劇的な部分が入っている。「イノリ」というオーケストラと踊り手のための曲を除いて、こ れらの作品の演奏を見るとき、まず気づくことは劇的構想のたわいなさである。これは特に「ヒカリ」において感じられることであり、この曲でたわい なさはシュトックハウゼンが違う文化の材料を使っていることを忘れたということによって強調されている。彼は一九七〇年から雅楽のための作品を書 く意志があったが、これを実現したのは結局今年の夏であった。

 この曲は、雅楽の楽器の代わりに西洋楽器でも演奏できる。曲が始まると、無台〔ママ、編注:舞台〕の上に人はいず、脇から鐘の音が聞こえる。音 楽家と舞人がゆっくりと舞台に出て、四人の舞人はそれぞれ舞台の上に置いてある1977という大書された四つの数字の上に立つ。能式に謡っている 司祭が、音楽家、舞人と曲の名前を告知した後、演奏が始まる。一年の舞人は非常に速く、十年の舞人はかなり早く、百年の舞人は遅く、千年の舞人は 目にほとんど見えないほど遅く動き始める。背景には歴年を数える数字が走り出す。龍笛は低い音域に個々の音を出しながら、篳篥はグリッサンドを奏 でて、笙は絶えず変わる和音の伴奏を与える。だんだんピッチが全体的に上昇して、テンポがより速くなることにより、クライマックスが生じる。そこ で船鐘が鳴る。舞人は立ちすくむ。笙を除いて楽器の音が途絶える。大きな悪魔の頭が舞台の右側から入って来る。燕尾服を着ている三人の男が入って きて、舞人に花束を渡そうとするが、舞人は受け取らないので、男たちは怒って花束を投げて舞台から消える。曲が終わったように見えるとき、左側か ら大きな天使の頭が入ってきて、一人の女の子が演奏者に拍手を求めながら舞台に駆け寄り、演奏を続行するように促す。この劇は四つある誘惑の中の 最初であり、それは歴年の流れを妨げようとする機能を持っていて、天使の煽揚によって打ち負かされる。

 二番目の誘惑は、鐘の音と共に舞台に出てくるコックであり、手車の上にのっていた彼が作った料理を舞人に食べさせようとするが、ライオンによっ てコックは追い出される。三番目の誘惑は、猿が動かしている小さな車の形で舞台に現われ、笙の音色に気味悪いほど似ているホルン〔編注:クラク ション(笙に似てるか??)〕を鳴らしている。今度は百万円札を持っている女の子によって追い出される。ところで、ここに示されている金が善の力 と規定されている心理はシュトックハウゼンが現体制で人気を拍していることと全く無関係であるとは言えないだろう。最後に出てくる誘惑は矢代亜紀 〔ママ、編注:八代亜紀〕の歌を流しているテープレコーダの隣に座っている裸の美人である。この誘惑は雷と稲妻によって掃き出される。

 最初と二番目の誘惑の間の音楽は最初から始まった音楽のプロセスを完了させて、長い龍笛のソロに移行する。テキスチューア〔ママ〕が徐々に深ま り、それは音楽がコックの鐘によって妨げられるまで続く。次の部分の主な特色は楽箏と琵琶の間の速いデュエットであり、それは篳篥と龍笛の長い 音、それに笙の短く強い音が伴う。

 三番目の誘惑が消えた後、クライマックスに達し、そして長い篳篥のソロは、矢代亜紀〔ママ〕の歌が聞こえて、最後の誘惑が舞台に出るまで続いて いる。この誘惑は篳篥の強烈なスタッカート・アタック、龍笛の激しいトリル、それに他の楽器の強い演奏による音楽的背景に追いやられる。この緊張 感は全体的のピッチを下げ、またテンポを遅くすることによって徐々に和らげられる。静寂なムードに達してから緊張感が再び少し増し、長く続く和音 で終わる。司祭はまた舞台に現われて、一番上手な演奏家を発表し、翌年の演奏に聴衆を招待する。音楽家は演奏しながら退場して、曲が終わる。

 この曲を聞いて、私が最初に感じたことは、二十世紀での最も偉大な作品のいくつかを創作した作曲家が、こんなにひどい曲を作るのであろうか、と いう戸惑いであった。劇的な要素は、非常にくだらないし、音楽の内容そのものは薄っぺらである。
前に示したように、「ヒカリ」の基本的音楽構造は------全合奏---誘惑A---龍笛ソロ---誘惑B---楽箏・琵琶デュエット--- 誘惑C---篳篥ソロ---誘惑D---全合奏------である。全合奏の部分は単一の音楽プロセスであるので、構造的に非常に簡単である。聞 き手の耳がその卓抜した音色によっていつも篳篥に向いており、また、音楽の内容そのものに反映されていない楽器のヒエラルキーが出てくるので、あ る程度の誤算があると思われる。

 ソロの部分は当てもなくさまよっているように聞こえ、それは特に楽箏と琵琶について言える。ソロのパートは全く西洋音楽のように考えられ、龍笛 の奏者は速い音階のパッセージ、それにラッター〔ママ、編注:フラッター〕・タンギングを演奏させられ、篳篥奏者も速くタンギングをしなければな らない。これらのテクニックはいうまでもなく伝統的雅楽に使われていない。

 「ヒカリ」の重要性は、主なヨーロッパ作曲家が非ヨーロッパの楽器アンサンブルのために作曲した最初の曲であり、このような作品を作ることに関 する問題点をはっきりと示している。

 雅楽のための曲を委嘱するのには、おそらくシュトックハウゼンほどふさわしくない作曲家はいないであろう。彼の非西洋文化に対する態度は、文化 現象そのものへの尊重ではなく、彼自身の作品にそれを素材として使えれば興味を持つにすぎないということである。

 雅楽のための作品を作ることは、単に楽器の音域を示す表を持って自分の机の前に座りながら、西洋音楽の場合と基本的に構想が変わらないようなや り方で作るべきではないであろう。こういう曲を作る前提条件としては、雅楽の古典レパートリーとその中での楽器が、どのように取り扱われているか を詳しく認識し、それを踏まえた結果、西洋音楽の概念ではなく、雅楽それ自身に由来する、新しい音楽を創作する能力が必要であるに違いない。言う までもなく、この基本的知識を得るのに長年の研究と経験を必要とするが、私が知っている限りでは、シュトックハウゼンはさほどの知識をもちあわせ ていない。もし、自分自身をその文化に適合させて、内面からそれを観察する能力がなければ、良い作品を作るのは不可能である。西洋文化が世界の他 の文化に及ぼす抑圧的関係によって、西洋作曲家が雅楽のような音楽を取り扱うとき、非常に繊細な心遣いがさらに必要である。それがなければ彼の仕 事はその音楽を物質的素材として扱うにすぎないであろうし、またそれは彼が対象とする文化に対する侮りとして解釈されうる。ゆえに、シュトックハ ウゼンは彼の仕事に対してもう少し謙虚な気持を持ったらいいのではないか。

 「ヒカリ」のどこを取っても彼の理解不足が目立つ。楽器の取り扱い方は、古典雅楽におけるそれと共通するものがないし、舞楽に見られる視覚と音 楽的要素の美的調和が、ここでは舞と音楽の認識段階で無関係であり、背景で絶えず動く数字の存在によって損なわれている。また、シュトックハウゼ ンは日本語の知識がないゆえ、司祭が作品と演奏家を告知する際の、能式謡い方による不自然な結果を、想像することができない。これはどうして「ヒ カリ」が失敗したかの手がかりとなる。

 日本音楽に対するシュトックハウゼンの認識しているものは表面的なものにすぎないし、内容自身への理解と興味を持っていない。その結果、全く西 洋の内容の上に日本という皮膚が押し付けられているにすぎず、日本の文化を知っている人にとっては、形式とその伝統的内容がお互いに結び付き合っ ていないこのような作品は、日本文化をおかしているように見える。

 ある程度、雅楽のために新しい作曲をすることは西洋の概念に根拠を置かざるをえない。なぜならば、こういう作曲をするアイデアが、西洋での文化 的原動力の概念に依拠しているからである。しかし、これは私が全く認めるところの非西洋文化が、西洋文化から取るべき唯一のことである。形成時期 の後、日本文化の現象は、化石化しがちであり、一方、ヨーロッパでは、発展過程が途絶えると何もかもおしまいになる。ヨーロッパでは、理想的に言 えば、芸術家、文化とそれを鑑賞する人の間の、持続的創造的交流がある。しかし、日本では、この関係が沈滞気味で、また権威的になりがちである。 もし日本の音楽の中に、この西洋文化の原動力が注射されるならば、西洋音楽に人々の目を向けさせなくてもいいような現代意義性を、日本音楽は持つ だろう。「ヒカリ」における唯一の価値は、シュトックハウゼンが雅楽にこのような態度で接触したことにより、雅楽が生きている芸術として残るため には、創造的に発展、または認識されねばならないことを示したということである。

(東京芸術大学大学院生)


 

参考文献:カールハインツ・シュトックハウゼン「世界音楽」、清水穣「プルラモン−単数にして複数の存在」(現代思潮新社)、朝日新聞縮刷版1977年11月、毎日新聞縮刷版1977年11月

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