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2014年09月16日最終更新

シュトックハウゼン音楽情報

インデックスニュースコンサートスコアCD┃テキスト┃オーダーメールリンク

テキスト:シュトックハウゼン全集・ライナーノート:CD53A-B

ヘリコプター弦楽四重奏曲 <1992/93>
(『光の水曜日』より)

弦楽四重奏、4ヘリコプターとパイロットと4技師/4テレビジョン・トランスミッタ、4×3サウンド・トランスミッタ/段積みテレビ4組と段積みスピーカー4組を備えたオーディトリウム/サウンド・プロジェクショニストとミキシング・コンソール/司会者(任意)のための

序文

1991年初頭に、私はザルツブルガー・フェストシュピーレのハンス・ランデスマン教授に弦楽四重奏曲の作曲の委嘱を受けました。アルディッティ弦楽四重奏団が1994年に世界初演するということでした。
 私の最初の反応は---そのような場合は以前にもよくあったように---私は弦楽四重奏曲を書くつもりがなく、なぜなら私は形式、内容と演奏実践を決して分離していないからで、そして「弦楽四重奏」は18世紀の典型的なジャンルだというものでした。
 同様に、45年間にわたって、私は交響曲、ソナタ、ピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲などを書いていません。私の作品はそれぞれがそれ自身の形式、楽器編成、演奏実践を備えています。

 そしてそれから私は夢を見ました。4台のヘリコプターに乗った4人の弦楽器奏者が空中を飛びながら演奏しているのを私は見聴きしました。同時に地上の人々がオーディオ=ビジュアル・ホールの中で椅子に座り、他の人々が屋外の大きな公共広場に立っているのを私は見ました。彼らの前には、テレビ・スクリーンとスピーカーのタワーが4本、左側、左半ば、右半ば、右側に設置されていました。四ケ所のそれぞれに4人の弦楽器奏者が一人ずつ聴こえてクローズアップで見えていました。
 ほとんどいつも、弦楽器奏者たちはヘリコプターの楽器のように聴こえる回転翼の音色とリズムにとてもよく混ざり合うトレモロで演奏しました。
 私は目が覚めた時に、私自身では決して考えるはずもないことが伝達されたのだと強く感じました。私はそれについて誰にも何も話しませんでした。
 夢を見てから私には作曲する時間がなかったので、私は文章といくつかのスケッチを書いて---『光』のスーパー・フォルメルから---1977年から私が作曲している音楽ドラマのサイクルの『光の水曜日』の第3幕としての『ヘリコプター弦楽四重奏曲』に展開しました。

1992/93年にようやく『ヘリコプター弦楽四重奏曲』を作曲する、そして特にカラーの楽譜の清書をする時間をみつけました。

演奏は以下の方法で上演されます:

最初に4人の弦楽器奏者が司会者(サウンド・プロジェクショニストでもよい)から聴衆に紹介されます。彼は来たるべき上演の技術面を簡潔に説明します。それから、演奏者たちはヘリコプターへと歩いて---あるいは自動車で---行き、その間は絶えずビデオ・カメラが追随してテレビ・モニターへと送信されます。司会者は(ミキシング・コンソールで)何が起こっているかを説明します。
 彼らがヘリコプターに搭乗してから降りるまで、それぞれの弦楽器奏者と彼のヘリコプターはカメラ、テレビジョン・トランスミッタ、3本のマイクとサウンド・トランスミッタを経由して聴衆のためのモニターのグループへと送信されます。それぞれの弦楽器奏者は絶えず聴き取れて常にクローズアップ---顔、手、弓、楽器---で、いかなるカメラ・チェンジも他の画像のフェードインもなしで目に見えなければなりません。
 それぞれの演奏者の背後には、ヘリコプターのガラス製コクピットを通して地上が見えます。
 上昇はタービンの点火から小節(1)までの約5分間続きます。世界初演までは、計算上の楽譜の音楽は(小節(1)ではじまって)18分30秒間の演奏時間でした。後の追加のため、今は約21分30秒間の演奏時間です。降下と着陸にはそれぞれ約5分間かかります。
 それぞれのヘリコプターからのマイク・トランスミッションは回転翼と楽器のサウンドが良く混ざるようにして、そして楽器の方がわずかに大きく聴こえるようにします。これを達成するために、ヘリコプター一台あたり3本のマイクが必要です。1本は楽器のブリッジのコンタクト・マイク、1本は演奏者の口元、そして一本はヘリコプターの外側で回転翼のサウンドとリズムをはっきりととらえます。
 4×3組のマイクの信号は12個のトランスミッタ---あるいは衛星中継で---送信されてコンサート・ホールだけでなくさらに遠い場所でも受信でき、そしてミキシング・コンソールで4×3組のフェーダーを使用して4つのモノラル信号へとバランス調整されてミックスされます。
 同期した演奏が始まって(0分00秒)から終わる(21分37.8秒)まで、4機のヘリコプターは上演場所の上空を半径約6Kmの範囲内で個々に飛行高度を変化させながら旋回します。それらは回転翼の直接音がスピーカーから出る音よりもかなり弱く---あるいは聴き取れなければさらに良い---なるように高く飛行しなければなりません。
 着陸後に、弦楽器奏者たちと4人のパイロットたちがヘリコプターから降りてコンサート・ホールへと歩く(自動車に乗る)のをカメラが追随します。オーディトリウムでは、パイロットたちも司会者から紹介されます。演奏者とパイロットは体験について尋ねられ、そして最終的には聴衆も討論への参加を求められます。午後には、少なくとも3度のフライトが適切な時間をおいて連続して、異なる聴衆のために、行われなくてはなりません。

作曲は10分の1秒単位で徹底的に構築されています。演奏者はヘリコプターへと送信されるクリックトラックを使用し、それをイヤフォンから聴くことで同期します。4人の弦楽器奏者たちは大抵十字交差するグリサンドをトレモロするので、私は旋律軌道を追従できるように彼らの音高直線とカーブを4色で互いの上に描かなければなりませんでした。

***

1993年の秋に私はザルツブルクのランデスマン教授に、彼が仰天して憤慨する可能性をわずかに心配しながら、楽譜を送りました。驚くべきことに、彼とフェストシュピーレの総監督ゲラルド・モルティア博士の反応は意外なことに肯定的、激励的で勇敢なものでした。フェストシュピーレの監督とオーストリア軍の間でのヘリコプターの確保、オーストリアのラジオ局とテレビ局との必要な12音声と4ビデオの送信チャンネルの確保、そして当局との数多くの必要な許可の確保のための一連する長い交渉が引き続いて行われました。私はヘリコプター内でチェロ奏者の演奏している写真、さまざまなマイクを使用して作られたテープ録音と文書のコピーを受け取りました。

私はフェストシュピーレが私の楽譜を認可してからアーヴィン・アルディッテイに電話をかけました。彼の最初の言葉は「ワォ−ワォ−ワォ!」でした。それはどういう意味であろうとも、彼がすぐさまにあきらめなかったことが私には幸せでした。しかしながら、彼はすぐに四重奏のヘリコプターなしで、ヘリコプターのサウンドのテープを使用しての上演を認めることを私に納得させようとし、その提案に私はとても不機嫌に反応しました(もちろん、私が夢で体験したことは彼には想像できませんでした)。
 すぐ後で、私は彼に楽譜の4色刷コピーと息子のジモンが作った、それぞれの小節の番号を英語で話し、そしてそれぞれの小節の拍子をインパルス音で示してドイツ語で数える、クリック・トラックのテープを送りました。

 フェストシュピーレ監督の努力にもかかわらず、1994年の上演プランは実行することができませんでした。ただシュトックハウゼンの音楽のためにザルツブルク上空で四機のヘリコプターが飛行することを認めるのは環境にとって耐えられないことであると「緑の党」が公に警告し、そしてオーストリアのテレビとラジオの総監督が機材に天文学的な高いレンタル料金を設定したために、すべてがあまりに高額になったと聞かされました。

 私はこの話をオランダ・フェスティバルの監督ヤン・ヴァン・ヴリジメンに話しました。最初は、彼は何も言いませんでした。しかし彼にも私の夢が伝染していたのでしょう。彼がすべての許可とスポンサーを得るためにどのようにうまく対処したかは神のみぞ知ることです。いずれにせよ、彼は成功させるためにいくつかの実験を考慮に入れていましたが、しかし『ヘリコプター弦楽四重奏曲』が1995年6月26日にアムステルダムにて確実に三回上演されるであとうという知らせを彼が私に送ったのは1995年の4月半ばになってからのことでした。

1994年12月14日に、アーヴィン・アルディッティがオランダのディーレンの飛行場で最初のテストを行いました。すべてうまくいくと思えると彼は後で私に話しました。私は彼が空中でどんな感じがしたかについて尋ねると、あまりに身震いしたので自然にトレモロのような演奏になったと思えたと彼は言いました。
 1995年の4月4日から7日に、私はハーグの王立音楽院でアーヴィン・アルディッティ(第一バイオリン)、グラエム・ジェニングス(第二バイオリン)、ガース・ノックス(ビオラ)、ロハン・デ・サラム(チェロ)とリハーサルをしました。技師のバート・メスマンとポール・イェウケンドルップがこれらの最初のリハーサルから世界初演まで私たちを援助してくれました。5月4日と5日に私たちは一つの部屋で、そして5月6日と7日は四つの別々の部屋でリハーサルをしました。演奏者はそれぞれにイヤフォンからクリック・トラックを聞きました。

 四つの別々の部屋でのリハーサル期間中、私はコントロール・スタジオにいて弦楽奏者たち---彼らの演奏は4本のマイクでピックアップされた---を個別に4本のスピーカーから聞きました。
 スピーカーの配置は上演時と同じものでした:

   左      左半ば     右半ば      右
  チェロ     ビオラ   第二バイオリン 第一バイオリン

これらのリハーサル期間中私はマイクとスピーカーを経由して演奏家たちと話し、そして8トラック・テープ・レコーダーを使用してすべてのセクションを録音しました。定期的な間隔で、演奏者たちはスタジオに来て録音を聴きました。
 これらの部分的な録音と完全な録音のテープはシュトックハウゼン音楽財団のアルヒーフに収蔵されています。

 1995年5月10日にはさらにマイクと送信のテストがディーレンの飛行場で行われました。これらのテスト期間中には、信号がミックスされて録音される地上局のミキサーだけでなく、ヘリコプター内のバッテリー駆動式小型ミキサー(トランスミッタとイヤフォンへの信号の分配用)の両方が使用されました。

 6月8日に、これもディーレンで、アーヴィン・アルディッティとロハン・デ・サラムが(ヘリコプター内で)コンタクト・マイク付きの特別な弦楽器、種々のマイク、トランスミッタ、レシーバとミキシング・コンソールを試用しました。
 最終的に、1995年6月24日にアムステルダムの西部ガス製造所の構内にて、すべての技術的機材が特に適したオーディトリウム内に設置され、そして6月25日に四機のヘリコプターとの最終リハーサルがはじまりました。
 私はヘリコプター内の技術的な送信ユニットをすべてテストしてから、ミキシング・コンソールを準備し、そしてすべての機材をテストしました。2度のテスト演奏で飛行して、12チャンネルで録音されてそのたびに参加者全員で聴いて、コメントされて訂正されました。演奏者とパイロットのプレゼンテーションも、私を司会者として、リハーサルしました。

6月26日の世界初演では、4時30分、6時30分と8時30分の3度のフライトが別々の聴衆のために行われ、毎回私が紹介してディスカッションが後に続きました。
 リハーサルのフライトと上演はすべてがフィルムと16トラック・テープに記録されました。録音は32トラック(4×タスカムDA-88)で作成されました:リハーサルと上演の録音用の2×12チャンネルと安全コピー用。オランダのラジオ局がこれらのチャンネルのステレオ・ミックスをDATに録音しました。これらのドキュメントのうちのいくつかはシュトックハウゼン音楽財団のアルヒーフに収蔵されています。フィルム撮影の大半はオランダの会社、アレグリが行いました。

世界初演の後で、私は作品の最後の「降下」と「着陸」の前に約3分間の同期したフォーメーションを追加しました。


演奏実践

人員、機材

以下のリストは世界初演時の経験を考慮に入れています。

1 弦楽四重奏団。

4 ヘリコプターと4名のパイロットと4名の音響技師

4 カメラとヘリコプター内のトランスミッタ、と地上要員
オーディトリウムとヘリコプターの間の数台のモバイル・カメラ



世界初演:カメラはヘリコプター内に設置され、補助機材と要員は飛行場にいました。オーディトリウムとヘリコプターの離陸と着陸地点の間のあらゆる進行は最初と最後のプレゼンテーションと同じくポータブル・カメラで直接に送信されました。

4 譜面台、ヘリコプター内に設置

4×3マイクと4×3トランスミッタ−レシーバ:演奏者ごとに
 1 コンタクト・マイクを楽器のブリッジ上に
 1 スピーチ・マイクを口の前に
 1 回転翼サウンド用大型機外マイク

4×3マイクの信号は衛星中継経由で受信してもよい。



世界初演:機外マイクの設置のための数多くの実験の結果、それらはヘリコプターのドアの下の搭乗用階段に固定されて、特別なウインド・シールドでカバーされました。安全規定により、その他の可能性はありませんでした。
演奏者たちのシュプレヒゲサング(数字の歌い語り)はスピーチ・マイクでピックアップされ、ビデオ・トランスミッタを経由して送信されました。コンタクト・マイクと機外マイクの信号は4×2オーディオ・トランスミッタを経由して送信されました。

8 密閉型イヤフォン(しっかりとフィットするもの)4演奏者用と4音響技師用

1 クリック・トラック・テープ:リハーサルと上演用に、ジモン・シュトックハウゼンが2トラックで製作。左トラックでは各小節の第一拍を英語でその後はすべてドイツ語で数え、右トラックでは各小節の第一拍を高音のインパルスでその後の拍子はそれぞれ低いインパルスで示しています。トラックを入れ替えたこのテープのコピーもあります。テープと楽譜の間にはわずかなタイミングの不一致があります。これらはクリック・トラック・テープを製作するときのメトロノーム・テンポの近似値に起因しています。
演奏者はクリック・トラック・テープの数える声を一方の耳で、もう一方の耳でインパルスを、そして彼らの楽器と声を両方の耳で聞くことが元来は求められていました。
声とインパルスは、それらのバランスが個別に調整できるように、二つのチャンネルに別々に録音されました。元々、私たちは両方の信号のモノラル・ミックスを製作していましたが、しかしインパルスを充分な音量にした時に演奏者たちは声を充分な音量で聞くことができませんでした。声はヘリコプター内のノイズによって覆い隠されてしまいました。
クリック・トラックはモノ・トランスミッタで送信され、したがって声とインパルスのバランスは地上局で調整されたのでヘリコプター内では変更できませんでした。演奏者たちはその代わりに---結局は---声、インパルスと彼ら自身の楽器を両耳で聞きました。

演奏者はそれぞれマイクとクリック・トラックの異なるミックスを持ち、それはリハーサル期間中に変更することができます。

4 音響技師(イヤフォンを装着)がヘリコプター内の小型ミキサーを操作。



世界初演:音響技師は各ヘリコプター内で弦楽奏者と向かい合って座り、小型ミキサーを操作し、3つのマイクと演奏者のイヤフォンのクリック・トラック・テープの音量バランスを調整しました。

4 テレビ・モニターのタワー、コンサート・ホール内。

4 グループのスピーカー、コンサート・ホール内。



世界初演:世界初演では、4×4組のスピーカー(各グループに3台のスピーカーと1台の低音用スピーカー)と4×3組のテレビ・モニターが聴衆の前方に設置されました。4台の追加テレビ・モニターがホールの中程の天井の真下に吊り下げられました。

<図:略>

最も外側のスピーカーとテレビ・モニターは最前列の両端に座っている聴衆にも対角線上に反対側の列が良く視聴できるような方法で設置しなければなりません。
 世界初演のテレビ送信には、テレビ・モニターと大きなプロジェクション・スクリーンを当初は予定していましたが、財政的な理由からスクリーンは除外されました。


ミキシング・コンソールによるサウンド・プロジェクション

ミキシング・コンソールはフェーダー、フィルターなどの付いた4×3入力と4合計出力を備えていなければなりません。

12チャンネルとクリック・トラックを16トラック・テープ・レコーダーで同時に録音できるようし、リハーサル期間中にこの録音を再生できるようにするためには、ミキシング・コンソールが相当する数の追加の出力と入力を備えていなければなりません。

16トラック・テープ・レコーダー(あるいは2台の同期した8トラック・テープ・マシン)

いくつかの場所への同時送信が計画されている場合は、テレビ・モニターの4本のタワーとスピーカーの4本のタワー、ミキシング・コンソールとサウンド・プロジェクショニストはそれぞれの上演場所で見越しておかなければなりません。



世界初演:世界初演の前日のテスト期間中に約1時間30分にわたって、私は回転翼のサウンドの聴取状態を試しました。この間に、私は4グループのスピーカーで明確に音色が区別できて聞こえるように、4×3チャンネルにフィルターをかけました。

各ヘリコプターからのマイク・トランスミッションは回転翼と楽器のサウンドが良く混ざり合いながらも、楽器のそれぞれの音がはっきりと聴こえるようでなければなりません。

サウンド・プロジェクショニストは4×3フェーダーをバランス調整してそれらを4つのモノラル信号に4つのグループ・フェーダーでミックスします。

回転翼のサウンドと楽器/声の間の強弱バランスの確立にはもっとも時間がかかります。16トラック録音はプレ・フェーダーであり、すなわちミキシング・コンソールで私の行った強弱バランス調整は録音されていません。したがって後のミックスダウンの時にバランスを改善することが可能でした。


上演経過

弦楽器奏者たちは弓を持ってオーディトリウムに登場して、聴衆の前方の台上へと歩を進めます(配線の都合上、楽器はヘリコプターに置いておくのが良い)。彼らはテレビ・モニターとスピーカーが受信するのと同じ順番で隣り合って立ちます:

 チェロ奏者 ビオラ奏者 第二バイオリン奏者 第一バイオリン奏者



世界初演:私は演奏者たちが特別の方法で衣装を着たほうがよいかどうかと尋ねられ、そして楽譜と同じ色のシャツを着ることに決めました:第一バイオリン奏者「赤」、第二バイオリン奏者「青」、ビオラ奏者「緑」、チェロ奏者「オレンジ」。

サウンド・プロジェクショニスト(あるいは別の司会者)が演奏者たちの中央へと歩いていき彼らを紹介し、次の上演のための準備と技術的なプロセスを簡潔に説明します。この間に、カメラはすでに演奏者たちをテレビ・スクリーン上に送信しています。

弦楽器奏者たちは退場し、一台のカメラ(あるいは数台のカメラ)が追随して---次々に---ヘリコプターに到着して搭乗するまでをテレビ・モニター上に送信します。



世界初演:ヘリコプターはオーディトリウムの建物から約100メートルから200メートル離れて前後に駐機していました。リハーサルの日と上演の日のいずれとも、天候は快晴で空には雲一つありませんでした。

各演奏者はヘリコプター内に座り、準備を整えて、搭乗するときから、取り付けられたカメラからオーディトリウム内の割り当てられたテレビ・モニターに送信されます。
 最初に、タービンを始動し、それからローターが始動します。回転翼が廻りはじめると、各演奏者は最初のページ「上昇」を演奏し始めます。第一列は、そのために、同期しません。

「上昇」は希望の飛行高度に達したことをパイロットが合図するまで続きます。一人の技師がオーディトリウムのミキシング・コンソールで、パイロットのうちの一人との無線連絡で、飛行高度に達したこときに知らせをうけ、サウンド・プロジェクショニストにクリック・トラック・テープの再生をスタートするための合図を送ります。演奏者たちは第二列を同期して演奏し始め、21分37.8秒までクリック・トラック・テープによって同期します。

飛行中は、顔、上半身、楽器と指板と演奏者のあらゆる指の動きをテレビ・モニターの4本のタワーでとても接近して見ることができます。演奏者の背後には、風景、街などがガラス製のコクピットを通して見ることができます。最初から最後まで演奏者だけが送信されなければならず、他の画像を挿入してはなりません。



世界初演:「降下」の5分前に、パイロット・チームのリーダー、ハルデンボル大佐は技師のポール・イェウケンドルップから(第二技師のバート・メスマンを経由して)合図を受信してハルデンボル大佐が着陸地点へ帰還する合図を伝えました。合図は2分、1分、30秒、15秒、10秒のところでくり返えされました。「降下」の前に、メスマン→ハルデンボル→4名のパイロットのために、イェウケンドルップが5-4-3-2-1「降下」とカウントダウンをしました。

演奏者たちはローターが停止してしまうまで演奏を続けます。
 彼らは降機してパイロットと一緒に歩き、次々に、オーディトリウムに入ります。ヘリコプターを離れるときから彼らをカメラが追随してテレビ・モニターに送信します。
 サウンド・プロジェクショニスト(司会者)は彼らが近づいてくる状態について実況解説します。
 弦楽器奏者たちは以前とおなじように台上に並び、その隣にパイロットが立ちます。彼らの前にマイクが置かれます。
 サウンド・プロジェクショニスト(司会者)が彼らのほうへ歩いていきパイロットたちを紹介します。彼はそれから各演奏者と、パイロットたちと、最終的には質問を尋ねることを求められた聴衆との会話を司会します。



世界初演:「グラスホッパー(バッタ)」と呼ばれるディスプレイ・チームがオランダ王国空軍のアルーエッテ・ヘリコプターを飛行させました。
各ヘリコプターに一名のパイロット、一名の演奏者、一名の音響技師が搭乗しました。地上局では各ヘリコプターに一名の地上エンジニアが割り当てられました。以下の人々が1995年6月26日の世界初演に参加しました:

第一ヘリコプター 演奏者(チェロ)      ロハン・デ・サラム
         パイロット         エリック・ボエケルマン大佐
         音響技師          ヨーク・ヴァン・アメルスフォート
         ヘリコプター地上エンジニア アルフレド・フホンホルツ少佐

第二ヘリコプター 演奏者(ビオラ)      ガース・ノックス
         パイロット         ロバート・デ・ランゲ大尉
         音響技師          モーリス・ボム
         ヘリコプター地上エンジニア エド・スピークスマ軍曹

第三ヘリコプター 演奏者(第二バイオリン)  グラエム・ジェニングス
         パイロット         デニス・ヤンス大尉
         音響技師          ジェロェン・バス
         地上エンジニア       マルコ・イェウケン軍曹

第四ヘリコプター 演奏者(第一バイオリン)  アーヴィン・アルディッティ
         パイロット         マルコ・オリビエ大尉
         音響技師          ヨス・ムルダー
         地上エンジニア       ハンス・マツィエ軍曹

私が4名のパイロットを紹介した後で、私はチームのリーダー、ペーター・ハルデンボル大佐を台上に来るようにお願いし、そして彼を会話にまき込みました。


録音

世界初演

1995年6月26日の三度の上演は---前に述べたように---2台の同期した8トラック・テープ・マシンで、4つの弦楽器奏者とヘリコプターの4×3トラックと小節カウントとクリックの2トラックが録音されました。

          トラック
      チェロ  1 声
           2 楽器
           3 ローター
      ビオラ  4 声
           5 楽器
           6 ローター
  第二バイオリン  7 声
           8 楽器
           9 ローター
  第一バイオリン 10 声
          11 楽器
          12 ローター
クリック・トラック 15 声
          16 インパルス

これら三度の上演の録音(3×2タスカムDA-88、8トラック・テープ)はシュトックハウゼン音楽財団のアルヒーフに収蔵されています。

『ヘリコプター弦楽四重奏曲』の世界初演(1995年6月26日のアムステルダムの西部ガス製造所での三度の上演のうちの最初のもの)とスタジオ録音がこのシュトックハウゼン全集CD52A-Bに収録されています。

研究目的のために、以下のテープがシュトックハウゼン出版社に注文できます:楽器、声とヘリコプターによる双方の録音の8トラックと4トラックのテープ;ヘリコプターなしの4楽器と2チャンネルのクリック・トラックの8トラック・テープ。クリック・トラック単独のCDもあります。

『ヘリコプター弦楽四重奏曲』の1995年6月26日の二度目と三度目の上演の録音は、世界初演のためのリハーサルと三度の上演(1995年)の数多くの写真と一緒に、シュトックハウゼン音楽財団のアルヒーフに収蔵されています。『ヘリコプター弦楽四重奏曲』のドキュメンタリー・フィルム(アレグリ・フィルム、アムステルダム)はシュトックハウゼン出版社に注文できます。このビデオは『ヘリコプター弦楽四重奏曲』についてのシュトックハウゼンとのリハーサルと会話を含み、世界初演のための最初のリハーサルからの準備、テスト飛行と上演の一部の様子ををドキュメントしています。

スタジオ録音

世界初演の後に、アルディッティ弦楽四重奏団の演奏者たちが、特に世界初演の後で作曲された64-79小節(約3分間)を含む完全な録音を製作するために、CDのための作品のスタジオ録音を希望しました。(訳注:CDブックレット34ページにこの部分の手稿譜が収録されています。この部分は出版楽譜には収録されていません。)
 録音は1996年12月7日と8日にキュルテンの学校施設にてWDRによって移動スタジオ2を使用して製作されました。演奏者たちは世界初演を上演したものたちです。彼らは4つの異なる教室に、それぞれが声と楽器のためにたった一本のマイク、クリック・トラックのためのイヤフォンと移動スタジオとのコミュニケーションのための一台のスピーカーとともに配置されました。
 移動スタジオの人員は録音技師のヴェルナー・ヴァルラヴェンス、録音技術のマーティン・シッキーで私が録音監督でした。私たちはソニー24トラック・デジタル・テープ・マシンに録音しました。

ミキシング

1999年2月16日-22日に私はこのスタジオ録音をキュルテンの町役場前の広場に駐車したWDR移動スタジオ1にてミックスしました。共同作業者はライナー・ケール(録音技師)、ユルゲン・ケーニッグスフェルド(録音技術)とカティンカ・パスフェーア(音楽アシスタント)でした。1999年2月23日から3月2日に、私は1995年6月26日の三度目の上演の録音からの4機のヘリコプターのトラックを弦楽四重奏のミックス・ダウンに追加しました。

楽器の始まりと終わりのタイミングが1995年の上演とは異なっていたので、私はそれに応じて、ヘリコプターがそれぞれの楽器と一緒に始まって終わるように、ヘリコプターの始まりと終わりの位置を変えました。

ミキシングの最初の結果は8トラック・テープです(1999年3月3日):

トラック
   1 チェロ
   2 ヘリコプター(チェロ)
   3 ビオラ
   4 ヘリコプター(ビオラ)
   5 第二バイオリン
   6 ヘリコプター(第二バイオリン)
   7 第一バイオリン
   8 ヘリコプター(第一バイオリン)

3月3日の第二の結果として、私はトラックをペアにしてデモンストレーション用の4トラック・テープをミックスしました:

トラック
   1 チェロ+ヘリコプター(チェロ)
   2 ビオラ+ヘリコプター(ビオラ)
   3 第二バイオリン+ヘリコプター(第二バイオリン)
   4 第一バイオリン+ヘリコプター(第一バイオリン)
   7 クリック・トラック(声)
   8 クリック・トラック(インパルス)

第三の結果(3月4日と5日)は3月3日の8トラック・バージョンの2トラック・ステレオ・バージョン(全集CD53B)へのミックス・ダウンです:

                パノラマ
           チェロ  -20
    ヘリコプター(チェロ) -20
           ビオラ  -10
    ヘリコプター(ビオラ) -9
       第二バイオリン  +10
ヘリコプター(第二バイオリン) +11
       第一バイオリン  +20
ヘリコプター(第一バイオリン) +20

それから、1999年3月8日-11日に私は世界初演(1995年6月26日の最初の上演)の12チャンネル録音を8トラック・バージョンにミックスしました。

トラック
   1 チェロ(声+楽器)
   2 ヘリコプター(チェロ)
   3 ビオラ(声+楽器)
   4 ヘリコプター(ビオラ)
   5 第二バイオリン(声+楽器)
   6 ヘリコプター(第二バイオリン)
   7 第一バイオリン(声+楽器)
   8 ヘリコプター(第一バイオリン)

3月12日に、私はこの結果から4トラック・バージョンをミックスしました。1995年6月26日のアムステルダムの西部ガス製造所での上演中の私のライブ・ミキシングは調整された実際の音量では録音されていなかったので(すなわち演奏はプレ・フェーダーで録音されていた)、私は1999年に録音をリミックスしなければなりませんでした。

この4トラック・テープから、私は1999年4月2日にバルホーン・スタジオ(オーデンタール)にて全集CD53Aのための2トラック・バージョンをミックスしました。この2トラック・ミックスの前後は、私の世界初演の即席の紹介と演奏者、パイロットと聴衆のコメントを伴う終わりの司会です。

[翻訳:山下修司]

このホームページに関するお問い合わせは山下修司まで