Makihiko Arase
Cumberland Presbyterian Minister
Pastor, Megumi Cumberland Presbyterian Church



荒瀬牧彦 (カンバーランド長老キリスト教会めぐみ教会 牧師)
 

    めぐみ教会ウェブサイト「こころを高く上げよ」         ブログ「めぐみ教会牧師の日記」megumiboxy.exblog.jp

1960年
 1960年、神奈川県横浜市に生まれる。
上智大学法学部卒業、東京神学大学大学院修士課程修了、
カンバーランド長老キリスト教会富士峰山伝道所牧師、日本中会主事、在外研究員を経て、
1993年よりカンバーランド長老キリスト教会めぐみ教会牧師。
日本聖書神学校教授(実践神学)、青山学院女子短期大学非常勤講師(キリスト教学)。
賛美歌作家(作詞)めざして修行中。
息子と娘は独立し、夫婦二人暮らし。

 [詳しくは下の「自己紹介」と「やってることなど」を御覧ください。]
やや長ったらしい自己紹介


  横浜市中区、石川町駅前にある横浜中央病院で産声をあげる。(ちなみに、僕の生まれた10日後に、ごく近くにある『マリンタワー』が開業したということを、後で知った。マリンちゃんと「タメ」というわけだ。)

  牧彦という名前は、旧約聖書、詩篇23編の「主は我が牧者なり」から取られている。この名前でばれてしまうことが多いが、両親はクリスチャンであった。僕が母のおなかにいる頃、父の勤めていたアイレスカメラが倒産し、若き夫婦は不安を覚えたそうだが、私が生まれるまでには新しい道が開かれていた。父と母は自分たちの信仰告白として、この名前をつけた。こどもの頃は、マキちゃんなどと呼ばれると女のようでいやだと我が名を嫌っていたが、結局僕は名の通り、牧師になってしまった。名前はあなどれない。

  2歳の頃に転居し、横浜市保土ヶ谷区(後に旭区となる)笹野台という典型的な新興住宅地−−−ベットタウンと森や畑のせめぎあっているような風景の中で育つ。悪がきたちと毎日、野球をしたり、裏の森をぬけて田んぼの中の道を自転車でひた走り、保土ヶ谷カントリークラブ横の池(今から思えばゴルフ場から出る汚水であった)で筏を浮かべたり、だだっ広い造成地で戦争ごっこをしたりと、遊び呆けてすごした。
小学校低学年の頃までは、親に連れられて菊名の教会に行っていたが、家から遠いこともあって、やがて行かなくなった。そのうち友だちに誘われて、日曜には剣道へ通うようになってしまった。中学・高校時代、教会へは行かなかった。これは今考えると、とても惜しいことであった。多感な時期に聖書に触れることは、たとえそこに反発や猛烈な懐疑があったとしても、魂を深く耕すことだったろうから。

  横浜市立希望が丘中学校、横浜市立桜丘高校と、平凡な学校で平凡な生徒として過ごした。保土ケ谷の丘の上にあった高校では、適当に勉強し、適当に遊び、単車で学校に行き喫茶店でタバコを吸ってと、適当に悪いことをし、なんだか不完全燃焼だった。
  剣道部の仲間と暴れたりするのも楽しかったが、それだけでは何か物足りなくて、太宰治や坂口安吾、(初期の)大江健三郎、サルトル、カミュ、などを読んでは、良くわからないままに、虚無感の中に浸っていた。人はなぜ生きるか、といったことを大真面目に話しできる相手がほしかったが、周りにはいなかった。学校の先生たちは、忙しかったのか、生意気な生徒につきあうのが嫌だったのか、テレビの熱血学園ドラマのような場面はなし。そもそも、なにごとも、かる〜く、あさ〜く、可もなく不可もなく、熱くもなく冷たくもなく・・・というのが校風。ないものねだりをしては欲求不満に陥っている、という感じだったのかな。

  上智大学法学部法律学科に入った。カトリック・イエズス会の経営している学校だから、神父もいっぱいいるし、周囲にカトリックの学生やプロテスタントのクリスチャンが割合多かった。活動の盛んなESS(英語研究会)に入り、そのお蔭で1979年東京サミットの会場(大学のお隣のホテルニューオータニ)で外務省下働きのアルバイトをしたりして、世界が広がった。ESSの活動の後は、四谷のしんみち通りに繰り出す日々。
 それほど深い考えなしに受講した(でも今考えればやっぱり求めはあったんだろう)一般教養科目の「愛の哲学」、「新約聖書思想」が契機となって、キリスト教信仰にひかれるようになる。一方では人生をすべて賭けるような真理を純粋に求め、もう一方では若さという狂気を好きなように発散しと、考えていることと行動することがかけ離れた、矛盾に満ちた求道期であったが、そんな破れた自分を丸ごと受けとめる大きなイエス・キリストにとらえられた。 

  1980年の春に洗礼を受けた。神父さんや修道士さんの影響も受けたのだから、カトリック教会に行ってもよかったわけだが、非常にタイミングよく、隣り町の教会の牧師が「話をしにきませんか」と誘ってくれた。両親がその数年前から行くようになった希望が丘の教会である。タイミングよく、と言うのは、その電話があった数日前の晩に、部屋でベッドにすわって『わが涙よ、わが歌となれ』という本を読んでいる時、説明のつかないような強い感動に襲われ、不覚にも涙がぼろぼろとこぼれ、「ああ自分は大きな神の御手にのっているんだなあ」と全身で感じるような、不思議な経験をしたのである。ジョン・ウェスレー流に考えれば、あれが私のコンバージョンの体験だったということになろうか。その時の部屋の様子をはっきりと思い出すことができる。そんなことがあったところだったから、牧師が電話してきてくれた時には、とても素直に「伺います」と答えていた。希望が丘教会牧師の瀬底正義という先生は、せんだみつおに似た小さな人だったが、大きな目でこちらをじっとみつめて、いろいろと繰り出す質問に一所懸命答えてくれた。
牧師館はおんぼろで、食事もひどく質素なものだったが、そのシンプルな生き方にかえって感銘を受けた。

 やがて僕は熱心な青年会員となった。同年代の仲間たちと、よく遊んだ。夜中にも、至るところに出没。
イノルンダーズというゴスペルバンドを結成し、古い礼拝堂が実際に振動するぐらいの大音響で練習し、音楽集会を開いた。好きなことを好きなだけやらしてくれた鷹揚な教会に感謝している。よく追い出されなかったものだ。でも、あの時、つるんでた連中の多くは、牧師や役員として、また、キリスト教団体職員やキリスト教学校教師として、「親方キリスト」(K氏の言葉)で生きている。悪ふざけしながらも、キリストに従うことを本気で考えていたからだと思う。

 大学4年になる春休みに、フィリピンに京葉教育文化センター主催のスタディ・ツアーで行った。地方の小さな町で、教会にクリニックを開いて、町の人たちに仕えている修道女たちのところに何日か滞在した。今は亡き千葉の名物牧師、石丸 実先生も一緒だった。彼女たちは、マザーテレサのように有名でもないし、どこにでもいそうな普通のおばさんであった。でも、本当にキリストの手となり足となって、貧しい人々の友となっていた。その力強さに圧倒された。その夜、聖書を読むと、民数記の「兄弟が戦いに行くというのに、あなたがたはここに座っていようというのか」という言葉が、まさに神の語りかけとして私に迫ってきた。
  日本のクリスチャン人口は1%といわれている。100人に1人しかいない。私は他の99人がやってくれる仕事はその人たちに任せて、残りの1人しかできない仕事をするべきだと考えるようになった。そして、祈った。「神様、あなたが私にやれとおっしゃる仕事をやらせてください。そのことに私の人生をささげます」と、心からそう祈った。そうでなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか、と思った。そして、神の言葉をもって、人々に仕える仕事、牧師という務めが示されたのだった。

 →このへんのことは、『神に呼ばれて  召命から献身へ』という本(日本キリスト教団出版局 2600円)に書きましたのでお読みください。23名の牧師や神父たちがなぜどのように“その道”にはいったかを綴ったエッセイ集。神様って人それぞれの仕方で導いてくださるんだなあ、って思います。

 大学卒業後、東京神学大学に編入学し、学部2年、大学院2年の計4年間をそこで過ごした。修士課程の一年目に結婚。妻は幼稚園教諭。川崎市高津区下作延、南武線が目の前を通るアパートに2年間居住。

 神学校を出てすぐに、静岡県富士宮市北部、名勝白糸の滝のすぐ近くの丘にプレハブを建て、開拓伝道を開始。一所懸命やったが、大石寺のお膝元での伝道は困難をきわめ、非力を痛感した。初めて知る挫折だった。3年しかいることができなかった。その間に、二人の子供が与えられた。3年の間にそこでつきあった高校生たちは皆、進学してよその土地へと旅立っていった。今はどうしているかな。
 幸いこの開拓伝道は、矢野文伝牧師という猛烈にエネルギッシュな先生が引き継いでくれて、今や白亜の礼拝堂が富士山に向き合って立っている。ここで結婚式を挙げる人も多い。英語塾も盛んで、多くの高校生が来ているようだ。でも、高校を卒業すると、よそへと出て行く。「苗床伝道」の苦労は今も続いている。頑張れ、矢野先生!

 1990年4月から日本中会主事という仕事を一年間やらせて頂いた。これは教会政治の良い勉強になった。

その後、アメリカの神学校に留学する機会を与えられるテネシー州メンフィスにあるカンバーランド長老教会の神学校 Memphis Theological Seminaryで1年間学び、神学的にも随分と頭を活性化され、多くの友を作り、家族もすばらしい経験をした。礼拝学への興味も与えられて帰国。
 メンフィスでは、お隣りさんがリベリアから到着した新婚ほやほやの
ストライカー夫妻。そのお隣りが、ケニアの聖公会から来ていたロビンソン・オクワロ氏とウガンダの長老教会から来ていたアトウォーキ・ワマラ氏の男二人。庭の向こうには、ガーナ出身のインツィフル夫妻。あたりにはアフリカ訛りの英語(東北弁のように聞こえるから不思議)と日本語訛りの英語が飛び交う不思議な一帯と化していた。
 ケニアのオクワロ氏はその後、博士号を取るべくオックスフォード大学へ進んだのだが、交通事故で亡くなってしまった。そのことを伝えてくれたウガンダのワマラ氏は、ウガンダに帰国し、親のないこどもたちの施設
Christian Family Helpersと学校を彼の教会で経営し、大活躍。(私の教会もささやかながらそれに協力して、二人のこどものサポーターになっている) ところが、昨年、首都カンパラの危険な道路事情のなかで交通事故死。今は、連れ合いのヘレンさんが、施設と学校を守っている。 一度はアフリカに渡り、彼らの墓や、彼らの残した家族や教会を訪ねたいと思っている

   
(追記: 2004年8月、世界改革教会連盟 World Alliance of Reformed Churchesの総会がガーナの首都アクラで行われ、それにカンバーランド長老教会の代議員として参加。アフリカの大地を踏むという夢が現実となった。ウガンダやケニアを訪れることはできなかった。が、アクラの宿舎で最初の食事の際、前に座った人がケニア長老教会の牧師で、話をしたら、ワマラ夫妻をよく知っているという。驚き、そして感動した。神様は本当に不思議な導きをお与えくださる方だ。リベリアにも行くことはできなかったが、リベリアからの難民キャンプにいるカンバーランド長老教会牧師、アーロン・スミス氏との出会いへと導かれ、リベリア難民の兄弟姉妹たちと三日間を過ごし、主にある豊かな、そして熱烈な交わりをいただいた。)

 帰国して、1992年12月に東大和へ移住。国立のぞみ教会を親教会とする開拓伝道を開始した。1993年1月3日に最初の主日礼拝。Tさんが提供してくださった小さな家の10畳のスペースで5年間礼拝を守った。最後の頃は、もう本当に文字通り立錐の余地がなかった。時には階段にすわって礼拝を守る人も!
もっと広い貸家はないものかと探しまわり、何軒かみつけたが、どれも断られた。オウムの事件の影響は大きかった。土地を買うお金はなかったが、教会のみんなで祈り始めた。人間的な計算でいくと、とても無理な話しだったが、神様には無理ではなかったのだ。不思議な導きで、とても良い場所に土地を買うことができ、その後、3階建ての教会堂を建設することができた。今考えても、どうして実現したのかよくわからない。神様は不思議なことをなさる御方だ。

1993年以降今までの信仰の冒険については、またいずれゆっくり書いてみたいと思っている。

(1999年秋 めぐみ教会ホームページ開設にあたって執筆)





2016年7月5日更新

やってることなど

 カンバーランド長老キリスト教会 めぐみ教会 牧師 (小会議長)
                      日本中会 運営委員会委員

                      日本中会 司法委員会委員
                      日本中会 礼拝・礼拝音楽小委員会委員長

 日本聖書神学校 教授 (実践神学)

 青山学院女子短期大学 非常勤講師(キリスト教学T・U)

 日本キリスト教団出版局『礼拝と音楽』 編集委員

 日本賛美歌学会 会員・運営委員会書記

 賛美歌工房 会員 (賛美歌を作っています)

 東大和9条を守る会 代表呼びかけ人
       東大和9条の会 「想像してみよう」ポスター夏バージョン        「想像してみよう」ポスター秋バージョン

 日本ラッキョウ愛好者連盟(Japan Rakkyonist Federation) 特別研究員(Special Researcher) ・・・現在活動停止中

書いたもの

著書
(共著) 『神に呼ばれて  召命から献身へ』 日本キリスト教団出版局 2003年
(共著) 『聖霊の降臨  使徒の働き・初期教会の歩み』 キリスト新聞社 2006年
(共著)『日本のキリスト教芸術1 音楽』 日本キリスト教団出版局 2006年
 (項目執筆)『キリスト教礼拝・礼拝学事典』 日本キリスト教団出版局 2006年
(共著)『「新しい教会暦」による説教への手引き』
日本キリスト教団出版局 2008年
 (共著)『牧師とは何か』  日本キリスト教団出版局 2013年
訳書
ポール・F・ブラッドショー 『初期キリスト教の礼拝 その概念と実践』 日本キリスト教団出版局 2006年
賛美歌翻訳(日本賛美歌学会での共訳 他)・賛美歌創作
翻訳『竹を鳴らせ』CCA Hymnal2000 SOUND the BAMBOO 日本賛美歌学会 2006年
翻訳『おおなんという恵みよ!』Pablo Sosaによる賛美歌集 日本賛美歌学会 2009年
翻訳『Jumping Jesus』コリン・ギブソン編 ニュージーランドの創作賛美歌集 日本賛美歌学会 2012年
翻訳『ヨセフのキャロル』 日本賛美歌学会 2013年
翻訳・創作『未来に向かって 〜平和をうたう〜』 日本賛美歌学会 2014年
創作『賛美歌工房歌集T』  賛美歌工房 2014年
翻訳『神をたたえよ』アンガー・フランツ編 Gotteslob(2013年より) 日本賛美歌学会 2015年
翻訳「主に向かって新しく”うたおう!<3>  『礼拝と音楽』NO.169
God, Be the Love to Search and Keep Me
!Alas and did my Savior bleed (秋岡陽氏・佐々木潤氏との共同作業)
日本基督教団出版局 2016年
論文
「ラインホールド・ニーバーの政治哲学」
 (東京神学大学神学会『神学』49号) 
教文館
1988年
「現代の英語賛美歌に見る平和の歌の多様性――
     Glory to God <PC(USA)2013>の収録歌を中心に」
横坂康彦氏との共著(日本賛美歌学会紀要第6号) 
日本賛美歌学会紀要編集委員会
2014年
「第一回共同研修に参加して」(沖縄宣教研究所・富坂キリスト教センター神学共同研修)
 (富坂キリスト教センター紀要第6号)
 富坂キリスト教センター 2016年
雑誌寄稿
『讃美歌21』の再検討 『福音と世界』 新教出版社 1999年9月
教会の祭司性に仕えながら 『福音と世界』 新教出版社 2003年6月
頌歌を歌う恵み――ザカリア、シメオン、マリアの信仰を私たちも
『礼拝と音楽』NO.95 日本キリスト教団出版局 1997年秋
賛美歌に表現される聖霊 『礼拝と音楽』NO.105 日本キリスト教団出版局 2000年春
日本の諸教会における式文改訂の動き 『礼拝と音楽』NO.111 日本キリスト教団出版局 2001年秋
20世紀アメリカ長老派の礼拝書を辿る 『礼拝と音楽』NO.121 日本キリスト教団出版局 2004年春
礼拝における牧師のリーダーシップ 『礼拝と音楽』NO.125 日本キリスト教団出版局 2005年春
各教派の賛美歌集、聖歌集 『讃美歌21』刊行後10年の動き 『礼拝と音楽』NO.133 日本キリスト教団出版局 2007年春
夜の静けさの中で−−カンバーランド礼拝書の前夜礼拝
『礼拝と音楽』NO.137
日本キリスト教団出版局 2008年春
人生という旅に注がれる祝福 『礼拝と音楽』NO.140 日本キリスト教団出版局 2009年冬
世界の式文に見る祝福と派遣 『礼拝と音楽』NO.145 日本キリスト教団出版局 2010年春
礼拝と礼拝音楽を豊かにする150冊 「礼拝史」 『礼拝と音楽』NO.150
日本キリスト教団出版局 2011年夏
礼拝の祈りの再検討 『礼拝と音楽』NO.153
日本キリスト教団出版局 2012年春
「ことば」を語る声の力 『礼拝と音楽』NO.165
日本キリスト教団出版局 2015年春
礼拝と平和がつながりますように 『礼拝と音楽』NO.166 日本キリスト教団出版局 2015年夏
(対談}「説教」か「礼拝」か 説教学と礼拝学の共働をめざして 『礼拝と音楽』NO.168
日本キリスト教団出版局 2016年冬
礼拝案――「からだ」で礼拝しよう 『礼拝と音楽』NO.169
日本キリスト教団出版局 2016年春
私の研究ノート「ホームページの試行錯誤」 『アレテイア 聖書から説教へ』NO.37 日本キリスト教団出版局 2002年
こどもの祝福式 『教師の友』 日本キリスト教団出版局 2002年
子どもたちと主の日を喜ぶ 『教師の友』 日本キリスト教団出版局 2016年
神を証しする熊の一家 『いのちのことば』2003年9月号 いのちのことば社 2003年9月
No Labor in vain --- Learning from the pioneer
  missionaries to Japan
The Cumberland Presbyterian CPC 2001年2月
That All May Have Life in Fulness The Cumberland Presbyterian CPC 2004年12月
The Fruit of 200 Years from a Japanese Perspective
( Bicentennial Reflections of Cumberland Presbyterians)
The Cumberland Presbyterian CPC 2010年2月
In the midst of the tragedies
The Missionary Messenger CPC 2011年5月
礼拝全体をもって福音を響かせよ! 『信徒の友』2007年7月号 日本キリスト教団出版局 2007年7月
続・「讃美歌21」刊行から10年 賛否を問う 『キリスト新聞』2007年11月24日号 キリスト新聞社 2007年7月
平和を求める礼拝 『信徒の友』2011年8月号 日本キリスト教団出版局 2011年8月
共同研修会報告「植民地主義と神の国の宣教
 ――沖縄で聖書を読み直す』
『信徒の友』2013年8月号 日本キリスト教団出版局 2013年8月
季刊『 Ministry 』 連載 うたといのりの資料室
「キリストの昇天」を覚える礼拝 『Ministry』2009.vol.1 キリスト新聞社 2009年4月
日本には今どんな賛美歌集があるか 『Ministry』2009.vol.2 キリスト新聞社 2009年7月
プレイズ・ウォー勃発? 『Ministry』2009.vol.3 キリスト新聞社 2009年10月
レントのこころを祈り歌おう 『Ministry』2010.vol.4 キリスト新聞社 2010年1月
結婚式の「ことば」は重い! 『Ministry』2010.vol.5
キリスト新聞社 2010年4月
平和への道は祈りと賛美が伴う 『Ministry』2010.vol.6 キリスト新聞社 2010年7月
葬儀のリタージーと死の個別性 『Ministry』2010.vol.7 キリスト新聞社 2010年10月
洗礼にも更新手続きがいるの? 『Ministry』2010.vol.8 キリスト新聞社 2011年1月
つける?つけない?アーメン論争 その1 『Ministry』2011.vol.9 キリスト新聞社 2011年4月
つける?つけない?アーメン論争 その2 『Ministry』2011.vol.10
キリスト新聞社 2011年7月
何故あなたは歌うのか 『Ministry』2011.vol.11
キリスト新聞社 2011年10月
礼拝の終わり方  祝福して送りだす 『Ministry』2012.vol.12
キリスト新聞社 2012年1月
釈義と黙想/説教黙想
マタイ19・16−30 『アレテイア 聖書から説教へ』NO.19 日本キリスト教団出版局 1997年
ヨハネ15・1−10 『アレテイア 聖書から説教へ』NO.42 日本キリスト教団出版局 2003年
ヨハネ19・16b−27 『説教黙想アレテイア』NO.43 日本キリスト教団出版局 2004年
ヨハネ黙示録5・6−14 『説教黙想アレテイア』NO.44 日本キリスト教団出版局 2004年
コリント一2・11−3・9 『説教黙想アレテイア』NO.45 日本キリスト教団出版局 2004年
ヨハネ黙示録19・11−16 『説教黙想アレテイア』NO.46 日本キリスト教団出版局 2004年
マタイ12・22−32 『説教黙想アレテイア』NO.47 日本キリスト教団出版局 2005年
使徒言行録4・32−37
『説教黙想アレテイア』NO.48 日本キリスト教団出版局 2005年
ヘブライ11・17−22、29−31 『説教黙想アレテイア』NO.49 日本キリスト教団出版局 2005年
ルカ2・1−20 『説教黙想アレテイア』NO.50 日本キリスト教団出版局 2005年
マルコ9・2−10 『説教黙想アレテイア』NO.51 日本キリスト教団出版局 2006年
使徒言行録16・16−24 『説教黙想アレテイア』NO.52 日本キリスト教団出版局 2006年
コリント一12・27−13・13 『説教黙想アレテイア』NO.53 日本キリスト教団出版局 2006年
イザヤ書55・1−11 『説教黙想アレテイア』NO.54 日本キリスト教団出版局 2006年
ルカ11・14−26 『説教黙想アレテイア』NO.55 日本キリスト教団出版局 2007年
使徒言行録2・37−47 『説教黙想アレテイア』NO.56 日本キリスト教団出版局 2007年
ガラテヤ6・14−18 『説教黙想アレテイア』NO.57 日本キリスト教団出版局 2007年
書評・本の紹介
星野正興『湖畔の小さな教会』 新教出版社 クリスチャン新聞 いのちのことば社 1986年
Emilio Castro,  When We Pray Together. WCC Memphis Theological Seminary Journal メンフィス神学校 1994年春夏
ウィリアム・ウィリモン『礼拝論入門』 新教出版社 『本のひろば』 キリスト教文書センター 1998年
ジェームス・ホワイト『キリスト教礼拝の歴史』教団出版局 『本のひろば』 キリスト教文書センター 2002年
フランクリン・M・セグラー&ランドル・ブラッドリー
『キリスト者の礼拝 神学と実際』キリスト新聞社
『本のひろば』 キリスト教文書センター 2009年
越川・塚本・水野編 『教会音楽ガイド』教団出版局 『本のひろば』 キリスト教文書センター 2010年
由木康『礼拝学概論』新教出版社 『本のひろば』 キリスト教文書センター 2011年
ジェイムズ・H・コーン『十字架とリンチの木』教団出版局 『本のひろば』 キリスト教文書センター 2015年1月
       
エバーハルト・ユンゲル『第一説教集』 教文館 『季刊教会』 日本基督教団
改革長老教会協議会
リチャード・ビラード、ロバート・リンダー
『アメリカの市民宗教と大統領』 麗澤大学出版会
『季刊教会』 日本基督教団
改革長老教会協議会
ジェームス・ホワイト『キリスト教の礼拝』 教団出版局 クリスチャン新聞 いのちのことば社 2000年
ジェームス・ホワイト『キリスト教礼拝の歴史』教団出版局 クリスチャン新聞 いのちのことば社 2002年
カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』教団出版局 クリスチャン新聞 いのちのことば社 2002年
芳賀 力『使徒的共同体 美徳なき時代に』 教文館 クリスチャン新聞 いのちのことば社 2004年
ジェームス・ホワイト『プロテスタント教会の礼拝』教団出版局 クリスチャン新聞 いのちのことば社 2005年
松永希久夫『新約聖書における教会形成』教文館 クリスチャン新聞 いのちのことば社 2007年
江藤・宮越編『人物でたどる礼拝の歴史』教団出版局 クリスチャン新聞 いのちのことば社 2009年
原 恵・横坂康彦『新版 賛美歌』 教団出版局 日本賛美歌学会紀要第1号 日本賛美歌学会 2005年
江藤・宮越編『人物でたどる礼拝の歴史』教団出版局 聖公会新聞 日本聖公会 2009年

 




趣味

サッカーを観るのが好き。なかなかスタジアムに足を運ぶ時間が取れませんが・・・。本当はやるのも大好きですが、体力の問題と、技術の問題があります・・・(-_-;)。 それでも、時々サッカーを楽しんでます。牧師対神学生の試合に出場することも。

ちなみに、Jリーグのクラブでは、JFL日産自動車の時代から
横浜Fマリノスを応援しております。が、最近の横浜マリノス株式会社の姿勢には首をかしげることも多し。
代表の試合も、首都圏で水曜夜に行われる時で切符が手に入った時には観に行きます。(めぐみ教会の夕礼拝が水曜ではなく木曜でよかった!)NAKAMURA 10と背中に入ったユニフォームを着てね。2002年10月、ブラジルに行った際、自分へのおみやげとしてセレソン(ブラジル代表)のユニ(これはRONALDです)を買ってきましたよん。

東大和に来てから、山歩きの楽しさに目覚め、1995年頃から奥多摩や奥秩父を歩くようになりました。が、1999年あたりから月曜・火曜にも時間を取りにくくなり、最近はほとんど行かれなくなってしまいました。あ〜、山に行きたいなあ。
  追記: 2002年7月、北岳に登ってきました。やっぱり山はいいっすね。2003年夏は富士山、2005年夏は八ヶ岳に、息子と二人で登ってきました。2006年夏は、父・私・息子の三世代で磐梯山へ。

かつてプロレスを熱愛しておりました。技をかけては教会のかわいい中学生たちを泣かしてしまうこともよくあった。ごめんね。今はもう会場に足を運ぶこともありませんが、かつては新日本プロレスの興行に行って「イノキー!」なんて絶叫していたときもあるんですよね。あはは。

音楽の話になると書ききれませんが、好きなミュージシャンは、エリック・クラプトン、ジャクソン・ブラウン、B.B.キング、フレディ・キング、アルバート・キング、小田和正、沢 知恵、ジュエル、キャロル・キング、カーリー・サイモン、キャスリーン・バトル、ジェシー・ノーマン・・・。2002年10月、ブラジルに行った際、トッキーニョのCDを買ってきましたが、とっても気にいっております。

ゴスペル(ブラック・ゴスペル)、アフリカン・アメリカン・スピリチュアルズを愛好。CDもよく聞きますが、なんといってもゴスペルはライブに限ります。アメリカで黒人教会の礼拝に出席すると、血液の温度が実際に10度ぐらいあがったような感じになりました。苦境の中で、ただ神に信頼をおいて生きぬいてきた人々の汗と涙がしみこんだ歌。ソウル(魂)のこもった歌は、人に勇気を与えます。

最近買った宗教音楽のCDでとても良かったのは、メンデルスゾーンの詩編歌集(指揮ミシェル・コルボ リスボン・グルベンキアン財団管弦楽団&合唱団)。詩編42篇、95篇、115篇、114篇、98篇の詩編歌が入っています。「詩編を歌う」ことは教会の大切な財産。自分の教会でもこのテーマを追及していきたい!

家族

妻と一男一女

牧師室

教会の玄関を入って左手にある階段をのぼり、つきあたりを右手にまがると牧師室がある。会堂建設委員長のKさんが作ってくれた、壁二面全部を覆う書棚と大きな机がしぶい。我が教会には玄人肌の木工職人が二人もいるのだ。

 さて、この牧師室をいろいろな人が訪れ、 胸のうちにある思いを語ってくれる。私は何もできないわけだが、とにかく一所懸命に話しを聞いて、思いを受けとめようとする。アドバイスできることがあればアドバイスするが、できないときや、しないほうがいいときもある。そういう時は、一緒にため息をついたり怒ったりするだけ。その人の抱えている問題が、押入れの奥にしまわれてしまうのでなく、神様の光のもとにおかれるよう手伝うのが私の仕事。そして、その人の傍らで、その人と共に神様に心から祈る。
 生きることには悩みがつきない。科学技術の発達は悩みを解消するどころか、よけいに深くしてしまっている。こういう社会において、人間が普通に生きていく、というのは、当たり前のことではなくて、本当にすごいことであり、奇跡的でさえあると、最近思うようになった。そんな切ない人間であるが、しかしなんといってもいちばん面白いのも人間。
  結局、私は人間が好きなのだと思う。


影響を受けた人物

ラインホールド・ニーバー  一般にはセレニティ・プレアーの作者として知られていますが、キリスト教信仰によって現実の政治を少しでも良いものにしていくことを真剣に考えた稀有の神学者です。東京神学大学で書いた修士論文の題は、「ラインホールド・ニーバーの政治哲学 キリスト教現実主義の研究」でした。(東京神学大学神学会編 『神学』49号 1987年教文館 所収)

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
  
最も尊敬する牧師、説教者、預言者、祭司、思想家、活動家、著述家、そして人間です