§ 騎士の述懐



 これは、一人の人間が世界を破滅へと至らしめた事の顛末である。
 ここに反省と謝罪、自責の念をもって述懐する。


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 二九七四年七月四日、ヴァイスディーン家の長男として俺は生まれた。今でこそ病気とは無縁の生活を送っているが、幼少の頃は大病を繰り返し、病院のベッドで生死の境を彷徨うことも一度や二度ではなかったらしい。五年前、無事成人を迎えたその日に母から言われた一言は、「あんたが今日まで生きているとは思わなかった」であった。あっけらかんとしたその口調に、何ともはや複雑な思いに駆られたものだ。これが目元をハンカチで押さえて、とかならまた違った情に浸ることもできただろうに。
 今になって思えば、病弱だった幼少期を除いて、ほぼ順風満帆な人生だった。裏を返せば、取り立てて特筆すべきこともない、至って平凡な人生だった。人並みに恋もしたし、失恋もした。生意気に反抗期なんてものもあった。学業では美術が苦手だったこと以外、進級や進学で特に困ることもなかった。何事も『死に物狂いの努力』というものをしてこなかった結果というのが、この平坦な人生曲線に表れているものと理解している。俺にもう少し上昇志向というものがあれば、社会に出てからの活躍の仕方もまた違ったものになっていただろう。王宮近衛隊、医者、天文学者、昆虫博士、お菓子屋さん──子供の頃、無邪気に思い描いた幾つもの夢。何にでもなれる可能性が、漫然と時をやり過ごすにつれ、一つ、また一つと潰えていった。あの頃の自分が知ったらどう思うだろう。天文学者になる筈が、こんな名も通らぬ小さな新聞社の平社員として使役される身になるのだと知ったら。落胆するだろうか。あるいは安堵するだろうか。前代未聞の就職難のこの時代に、激務とはいえ安定して働ける会社に拾ってもらえたことを。
 世は退廃的なムードで満ちている。就職がどうのこうのと悩んでいられるのは、まだ気楽な方だ。窃盗、強姦、殺人、街を歩けばそこらじゅうに物騒な記事が転がっている。最近では、同じ殺しの記事でも、より凄惨を極めた殺害方法でなければ読者の気を引けなくなってきてしまった。更には、より血生臭い写真を求めて新聞各社が鎬を削るという異常な構図が出来上がってしまった。以前のように、記事の脇に犯人の顔写真を載せておくというやり方だけでは、報道機関としての市民の要請に応じているとは言い難い。どこかで誰かが殺された瞬間、我々記者が犬のように血の匂いを嗅ぎ取り、捜査機関をも凌ぐ早さで現場へ駆け付け、警察が現場の検分を始める前にシャッターを切る。当然、故人の顔が写り込まないようレンズの角度に気を付けなければならないし、血に染まった服や切断された足、地面に転がる『かつて人間であった何か』については、必ずファインダーの枠の中に収めるよう意識しなければならない。正気を疑いたくなるような業界作法も、場数を踏むにつれ何も感じなくなった。また、それらを紙面で目にして平然としていられる読者についても、正常な感覚というものが欠落していると思われた。
 少なくとも、俺が物心がついた頃にはまだ、世の中にモラルという言葉を見出すことができたと思う。今のようにゲーム感覚で窃盗を繰り返す子供もいなかったし、息をするように老人に騙し文句を操る悪党もさほどのさばってはいなかった。肩がぶつかったくらいでキレてナイフを振り回すなど、想像の範疇を超えていた。
 『その日』が世界に忍び寄る気配を感じるにつれ、皆の心が荒んでいった。何もかもがどうでもよくなるという気持ちは、分からないでもなかった。どうせ近いうちに死ぬのだから──そう考えれば、未来に向け努力をしようという気になれなかった幼き日の俺の気持ちも、少しは理解してもらえると思う。子供の頃に何度命拾いをしていようと、どうせ二十五かそこらで尽きる命だったのだ。
 時は二九九九年。そう遠くない将来に、この世界は滅亡の危機に瀕することになっている。それは予め決まっていることであると同時に、避けようのない運命である。誰かがこんな風に言っていた。「呪われているのだ、この世界は」、と。




「おーい、エリオット。写真の現像できてるぞ」
「あ、悪ィ、貰っとく」
 エリオット、という名前は、『誇り高い騎士のような男になってほしい』という両親の願いと共に、一二五七年の黒薔薇戦争においてアーノルド家サイモンを討ち取った英雄、エリオット・ベルナルドに肖って付けられた。とはいえ『蛙の子は蛙』という言葉の真正性を身をもって証明してしまった俺に、そのような事実を大っぴらに語って聞かせる勇気はない。役所の職員と農家の娘の血を引く息子が受け継いだのは、騎士の誇りでも何でもなく、『目の前の仕事に着実に取り組む凡庸な誠実さ』であった。
 俺は椅子から腰を上げ、斜向かいの席に座っている同僚から大きめの茶封筒を受け取った。再び椅子に腰をおろし、書類が散乱する机上のわずかな隙間に、封筒の中から取り出したものを広げた。
 昨日、この同僚の社員と一緒に街で撮ってきた写真である。距離やアングルを変えて撮ったものが五枚ほどあり、この中から最適な一枚を選び出し、記事となる原稿に添えて校閲担当に回す。そこまでが俺に任された仕事だ。
 だがこの写真の選定作業というものが最も難儀な作業であったりした。最適な一枚、と言われても、どれも不適切ではないかと言いたくなるようなものばかりだからだ。このような写真を朝食のトーストを齧りながら見て、いい気分になる人間などいるのだろうか──そう常識人ぶれたのももはや昔の話だ。会社の方針と社会の需要に後押しされるがまま、俺の手は機械的に一枚の写真を抜き取っていた。その殺戮の瞬間を、最も鮮やかに脳裏に思い描けるであろう一枚を。
「うわ、またえぐい写真撮りやがって」
 隣の机の男がひょいとこちらに身を乗り出し、俺の手元にある写真を見て嫌そうな声をあげた。ジュアンというその男は、つい二年ほど前に入社してきた俺の後輩にあたる人間である。
「また例の狂信者集団の犯行か」
 動揺の欠片も窺えないジュアンの横顔に、俺は平坦な声で答えた。
「おそらくな。毎度毎度同じような写真ばかり見せられて客は飽き飽きだろうが」
 心臓が抉り取られた遺体の写真と原稿とをクリップで留め、それを背後のキャビネットの上にある『未裁』と書かれた木箱の中へぽんと置く。
 机へと向き直ると、ジュアンは偉そうに自分の机の上に足を投げ出し、今朝出来上がったばかりの新聞を眺めていた。首の後ろで無造作に束ねられた長い茶髪が、どこか馬の尻尾を彷彿とさせてならない。
「『骨董店店主、五百万バロン強盗被害』『花壇の中に少女の死体。首から上見付からず』『切断した遺体、飼い犬の餌に』『ベルネット銀行アルバド支店へ爆破予告』」
 淡々とした声が一面の見出しを読み上げた。どれもこれも昨日この街で起きた出来事だ。
「こんだけ色々起きてくれれば、オレら新聞記者も食うに困らねえってもんだよな」
 ジュアンの唇の端がにやりと緩んだ。「三歩歩けば記事にぶつかるとはよく言ったもんだぜ」
「お前の場合は道端に記事が転がっていようと拾ってこようとしないだろうが」
 机の上に残った四枚の写真を封筒に戻しながら指摘するも、ジュアンは鼻で短く笑うだけだった。
「オレはハッピーな記事しか拾わねえ主義なの。てめーらみてえに血の匂いに引き寄せられる習性はねえもんでよ」
「そのハッピーな記事とやらはこの街をくまなく探せば見付かるものなのか」
「さあ?」 ジュアンはおどけるような仕草で一つ小さく肩を揺らした。「血眼になって探せばそのうちどこかで見付かるんじゃねえの」
 俺が勤務する大陸中央新聞社は、総社員数十数名ほどのさほど大きくはない新聞社だ。『大陸中央』と付くからには大手の新聞なのだろうと思いたくなるところだろうが、社名の由来を明かすとそれはただ単純に地理的な会社の位置関係を表現したものに過ぎない。要するに大陸の真ん中付近に会社が存在するため、大陸中央と偉そうに名乗っているだけの話だ。完全にこじつけな上分不相応なその社名は時に住民からの冷やかしの対象になったりするし、何より俺自身が恥ずかしい。ただこの社名に騙されて新聞の購読を決めてくれる客も少なからず存在するため、申し訳ないやらありがたいやら何とも複雑なところである。
 地元の高等学院を卒業するに伴い、俺の記者人生が始まった。だが、理想やら崇高な志やら何らかの目的意識に従ってこの職業を選択したわけではなかった。最低限の賃金、それと適切な労働条件を満たしているところであればどこでも良かった。会社員としての生活がそう長く続くことにならないのは分かっていたから、所詮腰掛け程度にしか在籍しない会社を真剣に選ぶつもりなど毛頭なかった。たまたま目に留まった求人票、何となく受けてしまった面接、気が付けば手にしていた採用通知──その程度の縁で行き着いた先が大陸中央新聞社ということになる。
「さてと、今日も張り切って労働に勤しむとしますか」
 雑に畳んだ新聞を机に放り、うーんと大きく伸びをしたジュアン。時計の針は午前十時を回ろうとしていた。既に数人の記者が取材に出ており、室内には主のいない机が散見される。
「どうせお前は今日も街をぶらついてきて終わりだろう」
 くたびれた黒のコートに袖を通し、外出の準備を始めたジュアンを横目に呟いた。ふふん、と得意げに笑う声だけを残し、泰然とした足取りで部屋を出て行くその後ろ姿を、俺は冷めた目で追う。
「……あの給料泥棒、また働きもしねえで街をほっつき歩きに行くのか」
 扉が閉まる音と同時に、先ほど写真を寄越してきた同僚が顔を上げて呆れた声を発した。
「ただでさえ人手が足りねえってのに、あいつは何をしにここに来てるんだ?」
「今更それを問うか?」
 諦めろ、という意味も込めて苦笑いで応じるも、彼の苛々は収まる気配を見せない。書き損じた書類をぐしゃぐしゃと乱暴に丸め、少し離れた場所にあるゴミ箱へと力いっぱい投げつける。
「ろくに働かない、毎日が重役出勤、しかも定時退勤、なのにそのふざけた勤務態度を社長から咎められることはない!一体あいつはどういう仕組みでこの会社に雇用されてるんだ!」
「さあな。何か社長の弱みでも握ってるんじゃないのか」
「弱み?」 冗談だろ?という目がこちらを向いた。「あの完全無欠の冷血女に弱み?盛大に屁をこいたところを見られたとかそういうことか?」
「……そういう発言は慎んだ方が身のためだぞ」
 大丈夫だって、と彼は聞く耳を持たなかった。何かと無茶な社命を下す社長に溜まっているものがあったのだろう、ぶつぶつと一人不満を漏らし始める。
「あの人がいねえ時くらい少しは愚痴らせろよ。ったく、何かっちゃ危ねえ場所に引っ張り出されて何度死にそうな目に遭ったと思う。あの穀潰しを一人雇う金があるなら、オレ達に危険手当の一つでも付けて欲しいってもんだぜ」
「そんな手当をいちいち人件費に計上してたら、会社の経営はあっという間に火の車だ」
 引き出しから領収証の束を取り出しながら、俺は冷静に事実を述べた。「そもそも、そういう場所に行くことが俺達の仕事だろうが」
「そうか?呼ばれてもねえゴロツキ連中のアジトにわざわざ乗り込んでって騒ぎを起こして記事にするのがオレ達記者の仕事だったか?」
「あの時は酒場の看板娘がそいつらに捕まってるって情報を掴んだ上で突撃したんだろう。無意味な喧嘩をふっかけに行ったわけじゃない」
「違う、オレが言いたいのはそういうことじゃねえ」 彼の声に少しだけ力が篭った。「記者ってのは、その事件の傍観者として一連の事実を拾ってくるのが仕事じゃねえのか?捕まってる女を救い出すのは警察の役目だ。オレ達が我先にと事件に首突っ込んで犯人どもと一戦交えるなんざ出過ぎた真似もいいところだと言いてえんだ」
 正論だ、と頷きたい気持ちと同時に、お前は何年記者をやっているんだと言ってやりたいところだった。職務的な経験年数からすると俺とそう大差ないはずなのだが、彼はいまだにこの業界独特の風潮に馴染みきれていない様子であった。それはある意味、すっかり会社の色に染まってしまっていた俺にとって、少し羨ましくもあったものだ。
「この会社が……いや、客が紙面に欲してるのは何だかお前も分かるだろ」
 諭すような口調で言うと、ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえてきた。
「酒場のアイドルは無事警察の手により救出されました、めでたしめでたし──そんなことを書いておいて喜ぶのはせいぜい彼女を慕う男どもだけだ。何も知らない大多数の市民が求めているのは平和的解決なんかじゃない。残酷な結末か、あるいは『事件そのものの瞬間』を知ることだ。だから社長は、警察が介入してくる前にゴロツキどもに銃口を向けられる瞬間の彼女の恐怖に染まった顔を撮りに行った」
「ああ、そんなことは百も承知さ」 彼は皮肉げな笑みと共に頷く。「同調はしかねるけどな」
 余談だが、その時現場で彼が撮ってきた写真は、被害者であるエイルという女性が五人の下衆どもに輪姦されている場面だった。奴らが潜伏していたのは長らく放置されていた空き家の地下室で、同僚と社長が扉の影に身を潜めて現場を覗き見た瞬間、まさにその忌まわしき悪行が繰り広げられている最中であったらしい。
 言葉を失いその場に立ち尽くす同僚の耳元で、社長はこう囁いた。「さっさとシャッターを切れ」、そして得るべきものを得た後は、「さっさと奴らを片付けろ」。
 我々新聞記者が行動するにあたっては特別に定められた法的な縛りが幾つかあり、その中の一つに、『目の前の出来事に明らかな事件性がある、若しくはそれが確実に事件へと発展するであろうことを認知しておきながらそれを放置した場合、罰金が科せられる』という仕組みが存在する。例えばこのまま黙って見ていれば目の前の人質が殺されると分かっておきながら、その瞬間の写真欲しさにカメラを構えたままその者が殺されるのを待つようなことがあってはならない、といった具合だ。新聞社間の情報合戦が過激さを増すにつれ、このような非人道的な取材活動が横行するようになったことから、業界全体に行動の規制が求められるようになってきた。だがそのような法整備がなされたからといって、記者達の行き過ぎとも思える取材活動にブレーキをかけさせるまでには至らなかった。
 被害者を見殺しにすることはできない。法律に則った取材活動を行わねば、冗談では済まされない額の罰金が待っている。その上折角手に入れた写真も水の泡だ。ではどうすればよいか。記者達が出した答えは簡単だ。犯人が凶行に及ぶ寸前にシャッターを切り、同時にその場で被害者を救出してやればよい。
 だからこの国の新聞記者は、そういった現場の写真を狙いに行く際には必ず武装して社を出る。そうした場面での犯人どもとの格闘に備え、我々は銃と予備の弾、それから腰の両側にフラットエッジと呼ばれる刃渡り四十センチほどの定規のような形の短剣を二本携行するのが一般的である。基本は二人一組で行動し、俺の場合はこの同僚と組むことが多かった。彼が主に撮影担当、そして俺が始末役。始末といっても本当に相手の息の根を止めてしまってはまた別の法に触れることになるため、力の行使は犯人の武装解除、はたまた奴らの戦意を削ぐ程度に止めておく必要がある。要するに悪党どもを半殺しにして、その後やってくる警察に引き渡せということだ。警察に楽をさせる意図が見え隠れして仕方がない法律だが、金になる写真を撮るためにはそうしたルールに従いながら自ら危険に飛び込んでいく勇気が求められるし、会社にもそれを要求される。新聞記者という職業は、時代の変遷と共に時にそうやって己の命を危険に晒しながら金を稼ぐ商売へと様態を変えてきた──彼のように、それを是としない社員も少なからず存在するが。
 机の隅に置いてある電話が鳴った。受話器を取って通話を終えると、俺は机の上の書類をざっと片し、財布や手帳など外出に必要なものを揃え出かける支度を始めた。
「どこに行くんだ」
 訊ねてきた同僚に、溜息交じりで応じる。
「社長からデートのお誘いだ」
「……嬉しくねえな」 うんざりとした声と目。「死ぬなよ」
 銃のホルダーがついたベルトを腰に巻き付け、剣が格納された鞘を腰の左右の部分に金具で固定した。椅子の背にかけておいたままのコートを手に取り羽織る。胸部に護身用の金属が仕込まれているこいつがまた結構な重量で、記者の多くが悩まされる慢性的な肩凝りはもはや職業病だと言ってもよい。
「そのナリでただの新聞記者だってんだから、世の中どうかしてるぜ」
 同僚がぼやく声が聞こえ、俺は弾倉に弾をこめる手を止めた。顔を上げると、右手でペンを回している同僚の姿が視界に映った。その口元にあるのは自嘲的な笑みだ。
「オレの爺ちゃんが記者をやっていた頃はこんなじゃなかった。ペンと情熱だけ持ってひたむきに真実を追いかけるあの背中に憧れてオレも記者になった……はずだったんだが、道を誤ったかな」
「……昔と今とじゃ事情が違う」
 弾を装填する作業を再開しながら、俺は言った。世界の安寧を害されることなく、情熱を燃やしながら寿命を全うしていった先人達と自分達とを同じ視点で語ろうだなどと馬鹿げている。何しろこの時代に生きる人間の大多数は、生まれた瞬間からいずれ世界と共に滅ぶ運命と決まっているのだ。
 そうだな、と彼の苦笑じみた溜息に送り出されるように、俺は踵を返して部屋の出口へと向かった。ぐずぐずしていると社長の機嫌を損ねてしまう。
「エリオット」
 足早に歩く俺の背後から、同僚の声が聞こえてきた。立ち止まって振り向く。
「……気を付けろよ」
「ああ」
 俺はそう短く答え、部屋の扉を開けた。



 社屋を出ると、すぐ目の前はこの街のメインストリートである。石畳で舗装された大通りは真っ直ぐに街を南北に貫き、その両脇には幾つもの商店が建ち並んでいる。全体的に煉瓦造りの建物が多いのは、かつて火災による延焼で街が壊滅的な被害を受け、以降一定の人口密度を超える地域では木造での建物の建築が制限されることとなった背景があるためだ。
 ここアルバドの街は、王都として機能するだけでなく、かつては大陸有数の巨大都市としても大いに注目を集めていた。俺の故郷であるオーガスタンもそこそこ大きな街だと思っていたが、就職の際初めてこの街に越してきて、自分が井の中の蛙であると同時にただの田舎者でしかなかったことをまざまざと自覚させられた。
 入社したての七年前、俺の目が見た光景、それに伴う感動は今も心が憶えている。人の多さ、街に溢れる活気、王都としての風格とでも呼ぶべき洗練された街並み。学業、医療、産業技術、全てが最先端であると同時に、何もかもがこの街にはあった。まだ十八だった俺は、街の最北にそびえ立つ王城を仰ぎ見るたび、ここが世界の中心なのではないかと幼い錯覚を抱いたものだ。そしてその数年後、突然の経済活動の失速と共に街が衰退の一途を辿ることになろうなどとは夢にも思わなかった。
 社長から指定された待ち合わせ場所は、街の西側にある大聖堂にほど近い広場であった。乗合馬車に乗って十分ほど、着いた時そこにはちょっとした人集りが出来上がっていた。ここでは主に休日に何かの集会や催しが開かれていることもあるのだが、この日は普段のそれとは少し違った様相だった。具体的に言うと、しきりに空を見上げたり、上空を指差しながら何かを話し合っている人々の姿が目立つのだ。
 何かあるのかと、俺もつられて顔を上に向けた。青い空に白い雲──ひとまず今日も好天だという情報以外に得られるものなど何もなかった。一体何だと疑問に思いながらも、目的の人物を見付けて合流することの方が先だと思い直し、俺は広場へと視線を戻した。その時である。
「よお、遅かったな。どこほっつき歩いてたんだ」
 ふいに背後から何者かに話しかけられた。俺は軽く見開いた目と共に顔の向きをそちらへと変えた。そこにあった顔を見て、驚きの声をあげる。
「!? ジュアン!」
 何でお前がここに。率直な疑問が喉元を通過するより早く、目の前の男が軽薄な口調で言う。
「デートで女を待たせるなんざ、紳士の風上にも置けねえ奴だぜ」
「社長に会ったのか」 俺はきょろきょろと辺りを見回した。「どこにいるんだ」
 彼女はいつも腕を組んで、部下が到着するのを仁王立ちで待ち構えている。その威圧的な立ち居姿だけでも十分目立つのだが、彼女の身体的な特徴の一つでもある銀色の髪は、こういった人の集まる場所では分かりやすい目印としての機能を果たしていた。
 俺は、広場に集う人間の中にその髪色を探そうとした。だが───
「社長はもうここにはいねえよ」 ジュアンが言う。
「は?」
「何か別の急ぎの用ができたとか言って、その辺の馬車捕まえてどこかにすっ飛んでいっちまったぜ」
「何だって?」
 唖然とする俺に、彼は更に続けた。
「で、これは彼女からの伝言。『後はお前に任せる』、だとよ」
 これから社長と向かおうとしていた先は、人の心臓をほじくり出して殺すような猟奇殺人集団の潜伏先である。先ほどの写真の被写体をあのような姿にした犯人が、ついに尾を出したというのだ。
 だが、いくら武装しているとはいえ、こちらは社員教育で基本戦術を身に付けただけでしかないしがない新聞記者。そのような身の程で一人突撃したところで、新たな被害者として記事にされて終わる結末しか脳裏に描くことができない。
「冗談だろ?」
 誰にともなくそう訊いた。だが俺には更に厄介な現実が待ち受けていた。
「そう暗い顔するな。誰も一人で行けとは言ってねえ」
 ジュアンの言葉に、俺はほっと口元を綻ばせる。「誰か他に応援に来てくれるのか」
「来てくれるっつーか、もうここにいるだろ」
 ジュアンは親指を立て、自身の顔を指し示した。
「俺がお前と組んでやる」
「……………………」
 俺は数秒ほどかけて、彼の言葉を頭の中で咀嚼した。記者としての仕事をろくにしたことがない人間からこのような申し出を受けたところで、「何を言ってるんだ」という一言を返すことしかできなかった。
 そうは言いつつも、目の前の男の首から提げられた一台の撮影機が俺の目に見えていないわけではなかった。うっかり壊そうものなら、最低でも三か月の減給は免れない高額な機械だ。所定の手続き、若しくは上司の許可なくして携帯できる代物ではない。それを彼が所持しているという事実が示すことなど、ただの一つしかなかった。
 だがそれにしたって……と俺は戸惑いを隠すことなく顔に出した。それを見て何を勘違いしたか、ジュアンは「任せろ!」とばかりに胸を張った。
「安心しろ。場所は社長から聞いてある」
「いや、丸腰の人間に安心しろと言われてもな……」 ジュアンのすっきりとした腰回りを見ながら、俺は強張った表情でそう返す。「それに、お前……今まで誰かと組んで現場に乗り込んだことが──」
「ねえよ。でも仕方ねえだろ、社長命令なんだからよ。それにお前一人で行くよか、オレがいた方がちっとは心強いってもんだろうが」
「いや……」
 はっきり言うと、戦闘スキルが皆無な人間と組むことなど、余計な荷物を背負って歩くも同然である。邪魔以外の何物でもない。一体社長は何を考えて自分の代わりにこの男を置いて行ったのかと些か頭が混乱した。俺の能力を過信しているのか、それとも取材相手をナメきっているのか。現在までに少なくとも十人以上の人間を惨殺してきた狂信者集団が相手だというのに、この謎の采配には疑問しか残らない。
「とにかく急ぐぞ。さもなきゃ十三人目の被害者が出る」
 そう言うと、ジュアンは棒立ちになったままの俺を置いて、広場の外へと向かって歩き出した。俺は躊躇いながらも、慌ててその背を追った。
「被害者?誰か捕まっているのか」 彼の横に並び、訊ねた。社長からの電話ではその点についての言及はなかった。
「ああ。女の子が一人な」
「女の子……」
「意外だ、って顔してんな」 ジュアンは横目で俺を見た。「これまで奴らに狙われてきたのは、騎士だとか神官だとかその辺ばかりだったもんな」
 普段仕事はしていなくても、出来上がった新聞にはきっちり目を通すし、社員が持ち帰ってきた情報を野次馬根性で聞き出す習慣が彼にはある。だからそういった事情についても一通り把握しているようであった。
「唐突に加害対象を変えた理由は何なんだろうな」
 首を傾げる俺に、ジュアンは仔細顔で答えた。
「そりゃあ、奴らが殺したくて殺したくてたまらない『勇者』だと思える要素が彼女にあったからだ」
「? どういう意味だ」
 ジュアンはにやりと笑った後、右手の人差し指を上へと向けた。先ほど広場で街人達がしていた仕種が、頭の中に蘇る。
「降ってきたんだよ、何もねえ空からその子が」

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