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 事の始まりは、二九九九年初頭…というより年の初めの一月一日のことだった。世界が破滅へのカウントダウンを始めたこの日、大通りのど真ん中に男の死体が転がっているのが発見された。
 第一発見者は、早朝四時に犬の散歩をしていた老人である。彼は臓器の一部が胸部からはみ出た死体に驚くでもなく、道端に財布が落ちていたとばかりの落ち着き払った様子で警察にその事実を届け出た。
 捜査機関が被害者の身元を調べたところ、殺されたのは王城に勤務する騎士であることが判明した。彼の親族や勤務先、交友関係を中心に捜査の手が広げられたが、犯人に結び付く手がかりは得られなかった。
 その約一か月後である。やはり胸部の臓器、率直に言えば心臓を抉り取られた形の死体が街の郊外の川に浮かんでいるのが見付かった。今度の被害者の職業も、王城所属の騎士であった。殺害方法や被害者の職業が前回の殺しと一致する点に注目されたが、単なる偶然と見る向きも当時は少なくなかった。何故なら世界の崩壊を前にして、人間社会では一足お先に秩序の崩壊が進んでおり、ここ数年日常茶飯事となっている殺人事件においては似たような犯行手口がそこそこ散見されていたからだ。
 だが三件目、四件目と同様の事件が相次ぐにつれ、次第に同一犯の犯行を疑う線で捜査が進められるようになってきた。続々と被害者が増え続ける一方、相変わらず犯人を特定する証拠のようなものは何一つ現場に残されてはいなかった。思うように捜査が捗らない中、警察はようやく一連の犯行においての被害者の共通点を見付け出す。
 被害者の職業は、主に騎士、ないしは神官、司祭等の神職であることが多かった。だが重要なのはそこではなく、被害者の殆どが共通してとある一つの強い主張を自身の周囲に展開していた点に警察は着目した。『私自身こそ、世界の救世主たる勇者である』───無残に殺された社会のエリート達は皆、家族や友人等にそのようにうそぶいていたのだ。
「『自称』勇者ってだけで見境なくそいつを殺しちまうとは、頭のいかれた集団だよな」
 ごちゃごちゃと民家が乱立する区域に伸びる狭い路地を、俺とジュアンは小走りで進んでいた。ある意味時間との勝負という状況なのだが、ここで全力疾走して疲弊してしまっては、後に控えているであろう立ち回りに支障が出る。加えて、凸凹とした粗い舗装の石畳が走りにくさを助長していた。
「奴らもそれだけ追い詰められてるってことだろ」 俺は言った。「俺達は皆、明日…いや、数分後には死んでいるかもしれないという世の中に生きてるんだ。犯人どもを庇うわけじゃないが、真っ当な精神状態でいられなくなるのもある意味仕方がない」
「だからって、『フォービドゥン』の唯一の対抗手段である勇者を殺しちゃ世話ねえだろうが」 呆れた口調でジュアンはぼやいた。「やっていることの意味が分からねえ。この世界を完全なる破滅から救ってくれるのは勇者しかいねえんだぞ。そいつがこの世界からいなくなっちまったらどうする。人類は一人残らず滅亡だ」
「別にそれでもいいと思っているんじゃないか、奴らは」
「何だと?」
 ジュアンは、意味が分からないとでもいうように眉を顰めてみせた。俺は建物の向こうに荘厳にそびえ立つ大聖堂を見据えた。
 目的地がここだと聞いた時には、まさかと耳を疑った。この大陸における最大宗派であるロンディード教の大司教が、事件に一枚噛んでいた──これからその裏取りに向かうわけだが、そのような事実を大々的に報じた際の世間の混乱ぶりが目に浮かぶようだった。人々の心を絶望から救い、勇者の出現を共に待ち望んでいた教会が、その実裏では勇者を殺そうとしていた。それを知った人々は、教会を潰しにかかるだろう。教会関係者や信者を根絶やしにするという極めて単純な方法で。世界崩壊の年に現れるとされる『勇者』という存在は、それだけこの世界に生きる人々の心の拠り所になっている。
 俺は溜息を一つついた。
「…理不尽な仕組みだな、この世界は」
 ジュアンの顔がこちらを向く気配が伝わった。心の中で呟いたつもりが、声に出ていたようだ。
「千年に一度のサイクルで、これまで人類が築き上げた文明をリセットするかのように突如世界は破壊される。瓦礫と焦土と化す世界に生き残るのは、全人類の一パーセントにも満たない」
「何だよ、今更そんなこと嘆いてんのか?」
 俺のぼやきに、ジュアンはせせら笑いで応じた。
「運が悪かった、と諦めるこったな。生まれてくる時代を間違えたんだよ、オレ達は。せいぜい次に生まれ変わる時には、その世界にフォービドゥンなんていう化け物が存在しねえよう祈るばかりだ」
「見事な開き直り具合だな」
 世界の破滅を、『運が悪かった』の一言で片付けるその潔さは大したものだ。その単純な思考回路が羨ましくもある。
「じたばたしたって仕方ねえだろうが。嫌だ、死にたくねえって喚いたところで何かが変わるか?この年のどこかでフォービドゥンが現れ世界を滅ぼすってのはもう既定路線だ。受け入れるしかねえ」
「…まあ、正論だがな」
 世界の終わりを前にしてどこか達観したその運命の捉え方には、正直感心すら覚えた。どう悟りを開けば、彼のような考えに至ることができるのか。この時代を生きる人間全員が彼と同じ境地に達することができたならば、世界はもう少しましな姿を保ったまま最後の時を迎えられたかもしれない、と今になっては思う。
 フォービドゥン───思い出すだけで陰鬱な気分が蘇る。それは、千年ごとにこの世界に出現し、世界を破滅へと導いたとされる得体の知れない化け物の名称だ。とはいえ、過去にそいつが現れた際に自らそう自己紹介したわけでもないため、どこかの時代のどこかの誰かが便宜上付けた呼び名ということになる。別名『破壊の神』、そう呼びたくなるほどの圧倒的な力をもってしてかつて世界を蹂躙し、『地獄からの使者』、『黒炎の悪魔』など様々な呼称で人々から恐れられてきた。
 古代遺跡から出土した各時代の文献によると、その体躯は一国の国王が住まう城ほどの大きさにも達し、黒く燃え盛る炎がその身を包むとされている。その高温は鉄をも溶かし、生物など近付くだけで灰燼と帰す。千年前に現れた際、いとも容易く片手で城を薙ぎ倒したその様は、まるで子供が積み木を崩して遊んでいるかのようであったと先人はその恐怖の光景を後世に残していた。
 一体その正体は何であるのか。何故千年置きにこの世界に現れては破壊の限りを尽くすのか。今まで様々な議論が交わされ、幾つもの仮説が立てられてきたが、所詮は机上の空論である。人知を超えるその存在の謎を解き明かすことができないまま、前回の出現からちょうど千年後にあたる二九九九年のこの年を迎えてしまった。
「けどまあ、そう滅入るな。教会が殺してきた連中が本物の勇者でなかったなら、まだ希望は残っている」
「希望…ね」
 雑貨屋の角を曲がりながら、俺は小さく口元を曲げた。ジュアンが「何だよ」という目で見返してきた。
 希望。俺はその二文字を心の中で反芻する。ひどく久し振りにその単語に触れたような気がする。
「家も街も、今まで築き上げてきた文明も何もかもが破壊されて、家族も友人も皆死ぬ。そんな荒涼とした大地に何かの運で生き残れたとしても、それは『希望』と呼べるものなのか」
 ふいにジュアンが立ち止まった。視線を上げると、彼は真顔でじっとこちらの顔を見ていた。仕方なく俺も足を止め、言葉を続ける。
「千年前も、二千年前も、三千年前もそのまた昔も、フォービドゥンはジャスティシア一族…勇者と呼ばれる人間に討ち取られてきた。だがこの世界から化け物を消すことができても、歴代の勇者は奴が世界を破壊するのを止めることはできなかった。いくら僅かな人間がそこに生き残ろうとも、史実が語ってきたのは一貫して『世界の崩壊』だ。それでも勇者を希望と呼ぶ理由は何だ」
 俺には分からない──最後の一言は胸中で付け加える。
 ジュアンは口を噤んだまま、相変わらず俺の顔を見続けていた。沈黙が支配する傍ら、誰かが何かを怒鳴り散らす声が遠くから聞こえてきていた。続いて、どんがらがっしゃん、とでも形容すべき派手な音。どこかで喧嘩でもしているのだろう。あるいは殺し合いか。「死ね!」と叫ぶのが聞こえた気がしたが、どうせ記事にするほどのネタにはならないだろうとしか考えていない自分に心の底から嫌悪を覚えた。少し前の自分だったら、慌てて助けに行ったであろうに。
「お前も、フォービドゥンの闇に飲み込まれた犠牲者の一人ってことか」
 しばらくして、ジュアンは俺から目を逸らしながら、吐き捨てるようにそう言った。
「死ぬのは嫌だ。かといって生き残るのも嫌だ。その上勇者にも期待できねえし、この世界の宿命を受け入れて諦めることもできねえ。積極的に生きることも死ぬこともしねえ、ただ息をしてこの世界にいるだけの存在に成り下がってる」
「………」
 何か言い返したかったが、正論過ぎて言い訳すら思い浮かばなかった。開きかけた口を静かに閉じ、再び走り始めたジュアンの背中を目で追う。そのままぼんやりしているわけにもいかないため、ただ条件反射的に自分も走りを再開させた。
 ジュアンの隣に追い付くと、彼は横目で俺に一瞥をくれた後、すぐに視線を前に戻し、言った。
「オレは、信じている」
 今度は俺がジュアンの顔を見返す番だった。真っ直ぐに前を見据える横顔から、揺るぎない何がしかの意思のようなものが伝わってくるのを感じた。知らず視線が吸い寄せられる。
「オレは、勇者が何とかしてくれると信じている。今までの勇者の力量が足らなかっただけで、この時代の勇者は奴が世界を破壊する前にそいつを仕留めてくれると信じている」
「…それが、お前なりの『希望』か」
「どうだろうな」
 走りながら、ジュアンはふっと唇を緩めた。
「自分じゃどうしようもねえからと勇者に全てを丸投げして、オレはただ何もせずにこの世界の行く末を脇で眺めているだけ。他人任せの無責任野郎が、勇者に過大な期待を寄せているだけさ」



 まるでそれが罪であるかのような言い方を彼はしたが、同じようなスタンスでいる人間はおそらくこの世界に相当数いた筈である。世界を滅ぼすほどの力を持つ化け物を、自分で何とかしてやろうなどと思う人間はそうそういない。何せ国でさえ何の対策も講じようとせず、ただの傍観者に徹しているのだ。勇者が何とかしてくれる、きっとこの世界を守ってくれる、救ってくれる──何の力もない凡人にできることといえば、せいぜいそのように願うことくらいしかない。
 だが、願ったところでそれが何かの力になるかと言えばそのようなわけはなく、むしろ願いが通じなかった時に味わう絶望を考えたら、初めから余計な期待などしない方がいいという考え方もあった。どちらかというと、俺はそのような人間の部類に入ったのであろう。
 どの歴史書を繙いても、勇者は完全に世界を救うことはできなかった。その事実が語ることは大きい。では何故勇者は、フォービドゥンをこの世界から葬り去る力を持ちながら、奴が世界を破壊する行為を未然に防ぐことができなかったのだろうか。その点についての理由は記録に残されていないため定かではないが、俺は子供の頃、このように考えてみたことがある。
 ジュアンの言う通り、単に力不足だったということも大いに考えられる。だが、ひょっとすると怖かったのではないか。勇者は、ただ戦ってフォービドゥンを討ち取るだけではない。自分という存在諸共、奴をこの世界から消す。つまり自らの死と引き換えに、世界を完全なる破滅から救ってくれるのだ。
 だがそこに一片の躊躇も生じないのだろうかと考えると、幼心に疑問が残った。勇者とて、俺達と同じ人間だ。ならばいくら世界を救うためとはいえ、死にたくないという欲求が芽生えるのも自然なことなのではないか。周りの人間は、誰もその役目を交代してはくれない。助けてもくれない。むしろ世界中の人間から、この世界の為に死んでくれと願われている立場である。そのような中で死の恐怖に慄いて身動きができないうちに、フォービドゥンが世界を破壊しまくっていたのではないか。そして勇者は泣く泣く、身命を賭して世界を救ったのではないか。あるいは、自分だけ死ぬのは理不尽だと、敢えて大勢の人間を道連れにしたか。俺にはそんな風に思えてならなかった。そしてそこにこそ、俺が勇者を当てにできない理由がある。この時代に現れる勇者が、善意と正義感、そして勇気の塊のような人物であるとは限らないのだ。
 走り続けること数分。少し息が上がり始めた頃、細い路地が終わって馬車が通れる程度の幅員がある通りが目の前に現れた。ここを右手に折れて少し進めば、大聖堂の正門に着く。
 しかし正面から堂々と門を叩くわけにもいかなかった。取材に来たといっても門前払いにされるのは目に見えているし、礼拝に訪れた一般人を装うには、腰にぶら下げた武器の類が邪魔になる。
 通りへと出る前に、近くにあった宿屋の建物の影に身を潜め、敷地内への侵入経路について二人で相談をした。結果、まず大聖堂の裏手へと回り込み、建物を取り囲む柵を壊して関係者用の通用口から侵入しようという結論に落ち着いた。二階の窓から、という案も出たのだが、足場の確保と通りからの人目の問題、それに「怖えーよ!」と青ざめて全力で拒否するジュアンの高所恐怖症の問題で却下である。
「柵を壊すったって、こんな鉄の棒をどうやって壊すんだよ」
 首尾良く人目を避けて裏手へと辿り着いた矢先、ジュアンは黒い塗料で覆われた柵を見上げながら疑問の声を上げた。柵の高さを目測すると、約三、四メートルほどということになるだろうか。
「簡単だ」 俺は胸の前で握り拳を作り、「力ずくでひん曲げて、人が通れるだけの隙間を確保すればいい」
「マジか!すげえ、お前らそんな芸当駆使してネタ拾いに行ってんのかよ」
「…お前、本当に何も知らないんだな、仕事のこと」
 少年のように瞳を輝かせるジュアンを呆れた眼差しで眺めつつ、俺は両方の腰に提げた刃の左片方を鞘から抜き放った。刀身を目線の高さまで持ち上げ、陽の光を反射させて切れ味を確かめる。
「今のは冗談だ。期待を裏切るようで悪いが、実際にはもっと現実的な手法で穴を開ける」
 そう言って、俺は手に持った剣を柵に対して斜めにあてがい、ノコギリを引く要領で腕を左右に細かく動かし始めた。新聞記者の間に広く普及しているこのフラットエッジは、刀身が薄く、重量も極めて軽量であることから強度や耐久性の面で劣ると思われがちだが、実際は硬度の高い希少な鉱物を原料に作られているため、騎士等が持つ一般的な剣と比較してもそうそう引けを取るものではない。加えて刃こぼれしづらいという利点もあり、実戦のみならず日曜大工や時には調理などにも使える極めて画期的な武器であると言えるのだが──
「まるでコソドロみてえだな」
 背後で呟かれたジュアンの声は聞こえなかったことにして、俺は黙々と作業を進めた。
 およそ十分ほど経ったところで、柵を二本取り外すことに成功した。そこに出来た隙間から、敷地内へと素早く身体を滑り込ませた。硬く湿気を含んだ土を踏みしめながら、人目に注意を払いつつ壁沿いに進む。建物内部へと侵入できそうな適当な通用口を見付けることが第二の課題だ。
 この場所に来ること自体は、初めてのことではない。だがこのような形で『侵入』を試みるのは、当然のことながら経験のないことだった。よって、施設内で一般人の立ち入りが許可されている区域については多少の予備知識が頭の中に存在するものの、それ以外の部分については全くの未知の領域だ。内部の見取り図といったものも手元にない状態で動くことになるため、経験で培ってきた知恵、そして何より時の運に身を任せながらの行動になる。
 小国の城ほどの大きさはあろうかというこの建物の規模を考えれば、とても容易な仕事であるとは言い難かった。だからこそ、実力、経験共に他の追随を許さない社長の存在が欲しいところだったのだが、生憎と隣にいるのは剣を振るったこともないであろう万年新人社員である。
「中に入って、地下へと続く階段を探せばいいって話だったな」 後ろについてきているジュアンに声をかけた。
「そういうこった」
「地下に行けばすぐに分かるのか」
 特に拘束されている少女がそこにいるのかを確認しておきたかった。だが、ジュアンは首を横に振るだけだった。
「知らねえ。社長はそれ以上は何も言ってなかったからな」
「くそ、金が足らなかったのか?」
 俺の呟きに、ジュアンが「は?」と訊き返してきた。社長が、『情報屋』と呼ばれる胡散臭い連中から金で情報を仕入れていることをこの男は知らないのだ。奴らはこちらが積んだ金額に比例した量の情報を提供してくれる。『地下へ行け』という漠然とした情報しか得られなかったということは、社長がケチってはした金しか寄越してやらなかったか、大金を積まなければ得ることができない貴重な情報がそこにあるか、若しくは情報屋もそこまでしか嗅ぎつけられなかったということだ。
 やがて、建物の西側後方に、粗末な木製の扉が取り付けられているのを発見した。取っ手の一部は錆びついており、一見すると長らく使われていないような様子である。
 俺はその取っ手を軽く握り、ほんの少しだけ手前に引っぱってみた。動かない。押してみても結果は同じだ。やはり施錠されているようだった。中で殺人が行われているのだから、当たり前といえば当たり前である。無防備に開いている方がおかしい。
 ひとまず内部の様子を探ろうと、扉にぴったりと身を寄せて耳をそばだててみるも、中から何かの物音や話し声といったものを拾うことはできなかった。
「…時間もないことだし、とりあえずここらからお邪魔するか」
「っつったって、鍵がかかってるみてえじゃねえか」
 ここで扉を蹴り破るくらいの芸当を披露できればなかなか様になるのだが、俺は無言でコートのポケットに手を入れた。中から取り出したのは、一本の細い針金である。それを見て瞬時に何かを悟ったのであろう、ジュアンがあからさまに渋い顔を作ってみせた。
「まさか…」
「悪いがそのまさか、だ」
 俺はその場に屈んで、扉の取っ手のすぐ下にある鍵穴へと針金を突っ込んだ。開錠に五分とかからないだろうという手応えが指に伝わる。
「記者に開けられない鍵なんて、銀行の金庫ぐらいなものだ」
「嘘だろ?記者って奴は、皆そういう盗っ人みてえなスキルを持ってるもんなのか」
「ああ。記者の肩書を持っているくせにそんなことすら知らないお前には驚きだが」
「…なあ、さっきから少し気になってるんだがよ」 ジュアンは腕を組み、俺を見下ろしながら訊ねてきた。「地権者に無断で柵を壊すわ、泥棒同様の手段で勝手に内部に侵入するわ、違法じゃねえのか、こんなことして」
 はあ?と思わず訊き返してしまうところだった。今更な質問であるし、どこまで素人なのだこの男は、と呆れ果てた。そうはいっても、俺も新米の頃には同じ疑問を抱いたものだ。その時先輩の社員が返してきた答えを、俺はそっくりそのまま口にする。
「勿論、違法に決まっている」
「何だと!?」
「この建物の中で、何らかの違法行為や犯罪行為が行われているという証拠を掴むことができなきゃ、な」
 俺達がしていることは、一般的には器物損壊、及び不法侵入として当然に罪に問われるべき立派な犯罪行為である。だが新聞記者には、法によって取材方法に規制がある一方で、取材に有利な諸々の特権が付与されているという側面もある。例えば銃刀の合法所持もその一つであるし、今回のような取材目的の不適法行為も、それによって重大な犯罪の認知あるいは犯人の検挙に結び付く結果が得られたのであれば、当該行為の違法性については司法官憲に事実認定をしてもらうことにより不問に付される。何故記者にこのような特権が認められているのかというと、犯罪件数に対して捜査関係者の頭数が圧倒的に不足しているのが現状であり、警察の権限の一部を記者に持たせることで、人手不足をカバーしようという行政側の狙いがあるためだ。
 但し、色々法に触れながら取材した挙句、蓋を開けてみればガセでした、などということになれば話は別だ。会社に業務停止命令などの厳しい行政処分が下されるだけでなく、場合によっては個人としても罰則の対象になる。だからこのような取材方法を採る場合、情報の信憑性を慎重に吟味した上での行動が必要不可欠になってくるわけだ。
「…オイ、大丈夫なんだろうな」
 かちり、と小さく開錠音が聞こえた直後、ジュアンが不安げな声を発した。心配する箇所がズレている、と思ったが、取材経験が浅い…というより全くないのでは無理からぬことかとも思えた。
 俺は立ち上がり、取っ手を掴んで扉を開けた。蝶番が軋む音が、俺とジュアンを出迎える。
「心配するな。今まで社長がガセネタを掴んできたことは一度もない」
「そうだとしても、お前の方は大丈夫なのか」
「は?」
「柵壊したり鍵開けたりして、無罪放免にしてもらえる自信はあるのかっつってんだ。オレは前科持ちになるのは勘弁だからな」
「そっちの方を心配しているのかよ」
 心外だ。仕事のできない男に、きちんと任務を遂行できるかどうかを不安視されているとは。ここにいるのがお前でなきゃ心配することはない──それがジュアンの問いに対する適切な回答となるのだが、それを面と向かって告げるほど俺は嫌味な性格はしていない。
 俺は溜息を一つついた後、胸の前で人差し指を立てた。
「この仕事が成功する条件はただ一つだ」
 立てた指先をジュアンの顔へと向ける。きょとんとした目が、その動きを追う。
「怪我をせず、無事に会社に戻ること。お前が気にするのはそれだけでいい」
「ほーお、頼もしいじゃねえか」 へっ、とジュアンは可笑しそうに笑った。
「基本、俺が剣を抜いた時にはお前はその場から離れるんだ。銃声が聞こえた時には、すぐに床に伏せるなり避けるなりしろ。とにかく死ぬな。いいな」
「分かってんよ。お前がピンチの時には、オレの必殺パンチで助けてやっから心配するな」
「…本当に大丈夫なんだろうな」
 不安だ──つい口が滑りそうになるところを寸でのところで堪え、俺はその一言を喉の奥へと飲み込んだ。

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