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「おう、エリオット。お前も来たのか」
 想像以上の数の市民が、王城の広い中庭をぎっしりと埋め尽くしていた。その中でたまたまジュアンに出会ったことは、まさに奇遇としか言いようがなかった。勇者は城の二階のバルコニーに姿を現すという。少しでも見やすい場所を求めて、人混みをかきわけ前へと進んでいるところだった。
「お、レイチェルちゃんも一緒か」
 俺の背後からひょっこりと顔を覗かせたレイチェルに、ジュアンは軽く相好を崩した。やっほー、と手を振ってレイチェルは応じた。クレープとホットドッグがその手から消えた代わりに、今度はクッキーの袋が彼女の小脇に抱えられていた。
「悪いな。大した不調でもないのに長々と休ませてもらっていて」 とりあえず頭を下げた。
「いいってこった、ってオレが言える立場でもねえのかもしれないが、まあ遠慮なくゆっくりしてろよ。このところ派手な事件も起きてねえみてえだし」 ジュアンは屈託なく笑った。「ま、これから皆が大注目のビッグイベントが始まるわけだが」
「会社の奴も誰かここに来てるんだよな」
 辺りを見回しながら俺は訊ねた。当然、誰かがこの様子を取材に来ているはずだから、そいつにも一言詫びておこうと思ったのだ。
 だが、ジュアンは「いいや」と首を横に振った。
「正式に取材としてここに来てるのはオレだけだ。ひょっとすると他の連中も仕事サボってこっそり見に来てるかもしれねえけど」
「お前が取材?一人で?」 俺は目を剥いた。
「できるのか?とでも言いたそうな面だな」 にやりとジュアンが口角を上げた。「安心しろ、オレでもガキの頃日記くらいは書いたことがある」
「……それは冗談で言っているのか?」
 到底人を安心させる要素など見当たらない台詞に呆れかえっていると、周囲から「わっ」という歓声が上がった。大衆につられるようにして、俺は城のバルコニーを見上げた。
 重厚な軍服をきっちりと着込んだ黒髪の男が、勇ましい立ち姿で中庭に集まった民衆を眺望していた。装飾の施された大振りの剣が、彼の腰の辺りで一際存在感を放っている。精悍な顔立ちに、真一文字に引き結んだ口元。タイミングを見計らったかのように一陣の風が吹き抜け、彼が身につけている深紅のマントを横にたなびかせた。
「勇者……あの人が?」
 もはや雄叫びと称してもよい大歓声の中、俺の耳はレイチェルが隣で呟く声を拾った。俺は即座に横に首を振った。
「いきなり主役のお出ましとはいかないだろう。あれは……」 声がかき消されないよう、少しだけ声を張り上げる。「騎士だ」
「騎士……騎士って、史学の教科書に載ってる『国民の従者』とか呼ばれてた人のこと?」
 過去形で話されても、と思いながらも、その認識は間違ってはいない。今度は首を縦に振った。
 王城に所属する公務員の組織図がどのようになっているのか、まだ学校で教わったことがない年少者などがよく『兵士』と『騎士』とを混同しがちだが、兵士とは国家、つまり王に仕える身である一方、騎士が仕えるのは名目上自国の国民とされている。これはもともと、国民の安全と幸福を保障する憲法の条文を担保する目的でそのような位置付けとされた経緯があり、大昔の時の政府によって騎士団というものが組織された。かつては現代でいうところの警察のような仕事を主な任務としていたようだが、国の直属の管理下にあり、有事の際には兵士と同様戦いに駆り出されていたところからすると、実質的には兵士とさほど変わらない。ただ一つ違うのは、『王』を護るために戦うのか、『国民』を護るために戦うのかの大義名分のみである。
「国民の従者、なんてご立派な二つ名がまかり通っていたのは昔の話さ」
 鞘から抜き放った騎士剣を高々と頭上に掲げる男の姿を眺めながら、冷めた心地で続けた。「今や奴らの仕事といえば、専ら国民の監視だよ。自棄になっておかしな騒ぎを起こさないよう、俺達を見張っているんだ。慌てず騒がず、俺達が大人しくフォービドゥンに殺されるその時までね」
 静粛に、と、よく通るバリトンの声が騎士の口から発せられた。それは命令に等しい響きでもって中庭一帯に拡散し、熱気に溢れ返る群集を一瞬で静まらせた。
「これより、勇者による決意表明及び勝利宣言を執り行う」
 騎士は剣を鞘に収めた。中庭に静寂をもたらすというお役目を終えた彼は、くるりと回れ右をして城内へと通じる扉の脇へと控えた。
 皆が固唾を呑んで、扉の奥の暗がりを見つめていた。期待に高鳴る大勢の人間の胸の鼓動が聞こえてきそうな空気だった。フォービドゥンを倒すことができるただ一人の人間が、ついに我々の前に姿を現す──各々が好き勝手に想像するしかできなかったその容姿とは、一体どのようなものなのだろう。年齢は?性別は?食い入るようにバルコニーを注視する数多の双眸が、ある種の緊張と共にその瞬間を待ち構えていた。
 やがて、扉の向こうからゆっくりと一人の人間が歩いてくる姿が見えた。遠目に見てもはっきりと分かる長身。その縦に長い全身の殆どを、銀色の甲冑が厳重に覆い隠している。それは頭部とて例外ではなく、顔面まで深く覆えるタイプの鉄の兜が、肝心の人相を好奇に満ちた視線から保護してしまっていた。
 ごくり、と誰かが喉を鳴らす音。
 鎧がバルコニーの中央まで来て立ち止まった。その一挙手一投足が見守られる中、そのまま銅像になってしまったかのような屹立した姿勢をしばし保っていた鎧は、唐突に兜の中からくぐもった声を響かせた。
「我が名は、ジャクソン・ジャスティシア・グールド」
 俺はほぼ無意識のうちに、コートの内ポケットからペンと筆記帳を取り出していた。俺のすぐ斜め前に立っている男も、同様の行動をとっているのが見えた。同業他社の人間に違いなかった。
「まずは、私の不在により諸君らに多大なる不安や絶望を与え続けてしまっていたことを詫びておこう。私は常にこの世界の、そして人類の未来を案じ、やがて現れるフォービドゥンに立ち向かうべく日々鍛錬に勤しんできた」
 声質からして、四、五十代そこそこの男だろうと推測した。速記記号を小さな帳面に書き付けながら、ふと横目でジュアンの様子を盗み見た。取材に来ているくせにメモを取る様子がないどころか、欠伸をかみ殺しているその横顔の方が俺にとってはよっぽど絶望的に感じられた。
「我々が住むこの世界は、過去幾度にもわたってフォービドゥンという化け物により滅ぼされてきた。何の罪もない善良な市民が、不条理としか言えない死を強いられてきた。だがその忌まわしい歴史はもう繰り返さない。私は約束する。この世界を、そしてこの世界に生きる人類が織り成す平和な営みを、あまねく守り通すことを」
 数秒の空白の後、何か合図でもあったかのように、一斉に人々が歓声を上げた。耳を塞ぎたくなるほどの大音声が鼓膜を刺激するが、それも束の間のことだった。扉の脇に控えたままの騎士が、薙ぐような動作で剣を横に振り払ったのだ。『静まれ』という合図である。
 水を打ったような静けさが、再び場を支配する。その直後、俺のすぐ近くで異音が響いた。がさがさ、という何とも安っぽい音だ。それが紙袋が擦れる音だと分かると同時に、今度はばりぼりと何かを噛み砕く音がやけに大きく周囲の静寂を引き裂いた。それはすぐ真横から聞こえた。
 筆記の姿勢を崩さないまま、俺はおそるおそる視線だけを横に移動させた。俺の周りにいる人間も、皆が彼女を見ていた。特に強烈な、針のような尖った視線を向けられているのを感じてそちらの方を見てみれば、遠くバルコニーの扉の傍らで、苦虫を噛み潰したような渋面を作った騎士がこちらを真っ直ぐ睨んでいた。
「……後にするんだ」
 周囲の白い目もものともせず、マイペースにクッキーを貪り続けているレイチェルに囁いた。
「ん?何?何か言った?」
「しっ、声がでかい。そいつを食べるのは後にしろと言ってるんだ」
 レイチェルは顔面いっぱいに不満を訴えてきた。
「えぇ〜、だってつまんないんだもん、あの人の話。いかにも台本を棒読みしてまーすって感じのノリじゃん。あんな平凡そうな雰囲気の人が勇者だなんて、何だかガッカリ」
「………………」
 背筋に冷たい汗が流れた。騎士の視線が研ぎたての包丁のような鋭利さを帯びるのが分かったが、気付かないふりをしてレイチェルの二の腕を取り、そのまま中庭の端へと人混みの中を進んでいった。無理矢理引っ張られる格好となったレイチェルから終始抗議の声が上がっていたが、これも無視した。
 中庭の右端に到着したところで、レイチェルの腕を放した。高々と聳え立つ城壁の手前には、青々とした喬木が何本も群がっている。
 いまだブーブー言っているレイチェルを近くにあった切り株に座らせ、バルコニーの方を振り仰いだ。ただでさえ遠巻きに眺めていた勇者の姿が、ここからだと豆粒のようにしか見えなかった。すぐ傍の木の上では、少年が双眼鏡を構えて勇者の言葉を傾聴していたが、全力で耳を澄まさないと何を喋っているのかさっぱり分からないという状況だ。口元まで兜で覆われた勇者の姿からすると、声の通りが悪過ぎるのも然もありなんといったところだろう。
 俺は堪えていた溜め息をこっそりと吐き出した。片手に持ったままだった筆記帳をポケットにしまい、手近にあった木の幹にぐったりと寄りかかった。この先はジュアンに任せよう──という考えは爪の先ほども湧いてこない。この中庭のどこかに同僚の誰かが紛れ込んでいるのを祈るばかりだった。
 またしても歓声が湧き起こった。もはや自分は蚊帳の外にいるという気持ちしかなかったが、条件反射的に顔を上げた。
 それはたまたまだった。ふと、同じように巨木の下でぽつねんと立っている人間が目に留まった。女性だ。俺の錆びた鉄の色のような金髪と違い、彼女のそれは羨ましいと思えるほど純粋な黄金色だった。
 一瞬、その綺麗な顔立ちに目を奪われたのも事実だが、それ以上に俺の興味を引いていたものが別にある。
 唐突に割れんばかりの拍手が湧き起こる中、俺はただじっと彼女の腰に提げてある一振りの剣を凝視していた。違和感を禁じ得なかったからだ。ごく一般的な身なりのうら若き女性が、白昼堂々物騒な刃物を携えている──それだけでも物珍しいのに、武装許可証を所持している記者ですら武器の持ち込みが制限されるこの王城の敷地内で帯剣を許可されるとは、一体どのような理由からなのか。
 兵士なのか?それとも騎士?しかしそれなら制服を着用しているはずだ。敷地内外の厳重な警備を考えると、よもや曲者である可能性はないように思えたが、城の関係者であるようにも見えない。
 俺は、彼女の顔へと改めて視線を転じた。高揚を続ける民衆を眺めるその顔は、無表情でありながらも判別の難しい何がしかの感情を湛えているようであった。彼女の正体を知りたかったが、興味本位で気安く話しかけるには二の足を踏んでしまう雰囲気を彼女は纏っていた。ジュアンであれば、紙切れ一枚よりも軽いノリでひょこひょこと近付いていけたのだろうが。
 どうしようかと気後れしている俺のところに、少し離れたところから声が届いた。子供特有の高い声音は、うねるような歓声の中にあっても聴覚が拾いやすい。
「ねえママ、あの人死んじゃうの?」
 何事かと思い、俺は反射的に声の主を探した。見たところ、まだ幼児と呼んでもよい容姿の縮れ毛の少女が、隣に立つ母親と思しき女性の袖を引いていた。もう片方の手では、バルコニーに立つ勇者を指し示している。
「まあリーナ、駄目でしょ、そんな言い方をしちゃ」
 見上げてくる我が子を窘めながら、母親は噛んで含めるような口調で続けた。
「勇者様はね、みんなの命を守るために命懸けで戦ってくださるの。だからリーナも、勇者様に感謝しなくてはダメよ。頑張れ、負けるなって一生懸命応援して差し上げなきゃ」
「やだよ、そんなの可哀想」 少女の表情が歪んだ。「だって、勇者様っておっかない怪物をやっつける代わりに死んじゃうんでしょ。死んじゃうのに頑張れなんて言うの?じゃあもしリーナが勇者様だったら、ママは頑張れって応援する?ここにいるみんなみたいに、リーナににこにこ笑いながら拍手する?リーナが死んじゃってもいいの?」
 少しだけ驚いた。独り身の俺には子供の発達というものがよく分からないが、この歳で他人の境遇を自分に置き換えて考える能力があるのかと感心した。
 母親は、困り果てた表情で押し黙っていた。彼女がどういう回答を絞り出すのか注視していたが、やがて想像通りの台詞が柔らかい声で紡ぎ出された。
「いいえ、そんなことするわけがないわ。だってママはあなたが一番大事ですもの」
 彼女は屈んで我が子を抱き寄せた。俺はしばしその様子を眺めてから、視線を元の位置へと戻した。帯剣した私服姿の女性──彼女もまた、俺と同じく抱擁する親子の姿を見ていたようだった。その碧色の瞳に宿る感情を読み解くことは相変わらず不可能である一方、口元には薄っすらと微笑みが浮かんでいるようにも見えた。
「しゅーりょー!」
 開放感でいっぱいといったレイチェルの声。俺は軽く身体を竦ませた。辺りを見渡せば、中庭にぎゅうぎゅう詰めになっていた大勢の人々が、バルコニーに背を向けて移動を始めているところだった。切り株から腰を上げたレイチェルが、うーんと声を上げて伸びをしている。
「何だ、いつの間に終わったのか」
「うん。帰ろ帰ろ。なーんか時間を無駄にしちゃった感じ。もっと実になる話が聞けるかと思ったのに」
 あ、とレイチェルが何かに気付いた。退散する人々の間からジュアンが現れたところだった。
「こんな隅っこにいたのかよ。全然聞こえなかっただろ」
 ジュアンがにやにやと腰に手をあてて、俺へと顔を向けた。
「この後、新聞各社に勇者様との質疑応答時間が設けられているようだが、お前行くか?」
「へえ。新聞屋嫌いの王城にしちゃ随分と気前のいい対応だな」
「そんな白けた顔で言うなって」 ジュアンのにやにや笑いが苦笑に変わった。「まあ、勇者殺しなんてはた迷惑な事件にようやくカタがついた直後にこれだ。裏を読みたくもなっちまうわな」
「なになに?どういうこと?」
 教えてオーラ全開のレイチェルを適当な言葉で躱しながら、コートのポケットの中に社員証が入っているのを確認した。いつどこで提示を求められてもいいように、外出する時は常に持ち歩くようにしているのだ。
「王城一階の西側控え室に集合、って話だ」 ジュアンが親指で自分の背後を指し示した。次第にまばらになっていく人混みの向こうに、王城の入口が見える。「一〇分後には開始するってよ。早い者順だっていうから、急いだ方がいいぜ」
「というか……本来はお前の仕事だったんじゃないか。何で俺が行くことになるんだよ」
「オレが行ってもいいのか」
「……いや、俺が行く」
 レイチェルには先に会社に戻っているように告げ、王城へと向かって歩き出した。その時、目が自然と例の巨木の下へと向かった。
 彼女はまだそこにいた。目が合った──ような気がした。慌てて視線を前に戻したから定かではないが、彼女は俺達の方を見ていたようだった。
 この時の俺は、これを単なる偶然としか捉えていなかった。俺は内心どぎまぎしながらも、素知らぬ顔を保ちながら足早にその場を立ち去った。



 俺が王城の西側控え室の扉を開いた時、そこには既に八人ほどの記者達が待機していた。せいぜい三メートル四方ほどの広さしかない手狭な空間には質素な椅子が五脚ほど用意されているが、当然それらは先に到着した記者達によって占拠されている。
 椅子を逃した連中の中には、床に座り込んで待つ者も何人かいた。そのうちの一人は知っている顔だった。
「大陸中央じゃねぇか。久し振りだな」
 無精髭面のやたらと図体のでかい男が、床からのっそりと立ち上がって部屋の隅の壁にもたれている俺の隣に移動してきた。あまりこいつに近寄りたくないため、意図して離れた場所に立ったのだが、酒が入ってご機嫌な野郎というのは知人と見れば絡まずにはいられないらしい。
「またこんな明るいうちから飲んでるのか。仕事中だろうが」
 俺の軽蔑の眼差しなど物ともせず、奴は呼気に酒の匂いを含ませながら赤ら顔を緩ませた。
「ウチの会社には、勤務中の飲酒を禁ずる社則なんぞねぇもんでよ。動力源が枯渇しちゃあ仕事にならんからな」
「お前が酒で動力を得るのは刃物を振り回す時だけだろう。そんなんでまた頭が回らなくても知らないぞ」
「心配ご無用」 へっ、と奴は歪な形の笑みを浮かべた。「どうせまた中身のねぇ上っ面だけの口上を聞かされるんだ。適当にメモを取るくれぇどうってことねぇや」
 この男、アガプキンとは、数年前に起きたアルバド・ポート銀行立てこもり事件の際に一時協力関係を結んだ仲である。通常商売敵である他社の記者と連携して取材に臨むことはないが、彼が行員の通用口の解錠に悪戦苦闘していたところに遭遇し、気まぐれで手を貸してやったのだ。
 呆れることに、奴はこの時も酒に酔っていた。それこそが集中力を欠く要因なのだと指摘したのだが、そんなものはどこ吹く風といった様子だった。心底、こいつがうちの社員でなくて良かったと感じた。
「さっきはとんだ猿芝居を見せられたもんだな」
 黙り込もうとする俺を遮るかのように、アガプキンが話しかけてきた。正直酔っ払いとの会話ほど鬱陶しいものはなかったが、無視をするわけにもいかず、仕方がなく横目で応じた。
「結果的には大成功、って感じに見えたけどな。国の思惑通りに」
「不思議だよなー」 小指で耳の穴をいじくりながら、しみじみと奴は言った。「この国の平民どもは馬鹿ばっかりなのか?冷やかし目的であんだけの暇人が集まったのかと思ったら、国がこしらえた偶像を本気で崇拝してやがる。あの分じゃさっきの舞台にかかしが突っ立っていたとしても大喝采だったろうよ」
「国の公式発表ってだけで、その情報自体に物凄い箔がつく。国が自分達に嘘をつくわけがない、と皆信じてるんだ」
 実際、俺も昔はそうだった。市場に流通する下世話なゴシップ誌の方が、国の発表などよりよっぽど信憑性に勝ると知ったのは、情報を扱うこの業界に身を置くようになってからだ。
「でもよお、ちったぁ違和感ってもんを感じねぇもんかねぇ。ついこないだまで、勇者を狙った殺人が立て続けに起きていたんだぞ。とんずらこいてた大司教様が見付かってお縄になったからといって、また同じような退廃的な思想の持ち主が一方的に奴の意志を引き継いで馬鹿な真似を起こす可能性だってないとはいえねぇ。そんな状況下で暢気に勇者を大衆の面前に晒したりなんかするかぁ?」
「勇者殺しの犯人が捕まったからこそ、一応の安全が確保されたとして勇者を表に出した、と国民は考えるんじゃないか──と国は踏んだんだろう」
 その時、急に控え室の扉が開き、廊下から現れた一人の兵士がセンチュリー紙の記者を呼んだ。入口近くにいた記者の一人が、部屋から出て行く。どうやら勇者との謁見が始まったようだった。
 兵士の姿が完全に扉の向こうに消えてから、アガプキンが声を潜めて訊ねてきた。
「で、てめぇはどう思う?」
「どう思うって何が」
「分かってんだろ?」
 奴の口調は間延びしていたし、顔は真っ赤で息も酒臭かったが、俺に向けられる眼光だけは全く酩酊の色を感じさせなかった。「本物の勇者は今、どこにいると思う」と奴は言葉を足してきた。
「……この地上のどこかだろうな」
 俺のこの回答に、アガプキンはあからさまに舌打ちで不快を示した。「答える気はねぇってことか」
「別にそういうわけじゃない、本心さ。勇者が今どこにいるかなんて、まるで見当がつかない。ただ少なくとも、さっきの舞台上にはいなかったことだけは確かだろう」 小さく嘆息して付け足す。「言うまでもないことかもしれないが」
 勇者の勝利宣言という国が用意したパフォーマンス。これを純粋に国民を勇気付け、希望を与える目的で行われたと見ている記者はまず存在しなかっただろうと思われる。勇者を殺し、世界を破滅させたがる異端者は大司教の一味だけとは限らない。どこかで息を殺しながら勇者の命を狙っている無法者に、「的はここだ」とアピールせんばかりのあの演出は、主にそういった輩の目を欺くために行われたとしか思えなかった。
 つまり、国が偽物の勇者を仕立て上げ、自分達が作り上げた勇者のイメージを国民に擦り込ませる──長身で、そこそこ壮年の男──表面積の殆どが鎧で覆われていたため、その程度の漠然とした情報しか与えることはできないが、そのような特徴に当てはまらない人間については、今後再び勇者殺しが起きたとしてもターゲットからは外されるであろうという算段だ。
 ただしそれにはとある前提が必要となる。国民にそうした的外れな勇者のイメージを定着させるには、本物の勇者がどのような人物なのかを国が把握していなければならない。もし、当てずっぽうに偽の勇者像を作り上げたとして、それが偶然にも本物の勇者の特徴と合致してしまっていては元も子もないからだ。
 我々記者達の間では、フォービドゥン出現の年になっても『勇者』の話題に全く触れようとしなかったこの国の姿勢を見て、『国は勇者の所在を把握しているのではないか』という憶測を抱くようになっていた。血眼になって勇者を探し始めた諸外国と比べ、我が国の勇者に対する無関心ぶりは明らかに不自然だった。真の勇者だということを証明する手立てが不明な以上は探しようがない、と諦めていると見る向きもあったが、そうだとしてもこの街で勇者を狙った殺しが起きた場合、普通なら幾らかの危機感をもって対応に当たるのではないか。最終的に弱小新聞社に勤務する一介の記者の手により事件が解決するなど、他国からしたら信じられないお気楽ぶりであっただろう。
「やっぱり国は、隠してやがるんだ……本物の勇者を」
 狭い室内に待機している記者達の意識が、注意深くアガプキンの声に向けられる気配を感じた。誰も俺達の方を見てはいない。だが意図的にこちらから目を逸らしているという態度が丸わかりだ。
 そんな空気に気付いているのかいないのか、アガプキンは挑むような目で廊下へと通じる扉を睨みながら続けた。
「勇者殺しが起きていても国が動じなかったのは、その間勇者を安全な場所に匿うことができたからだ。んで、犯人が捕まってほとぼりが冷めた今になって、勇者の身代わりを立てた──まさか人目に触れないようずっとどっかに監禁しておくわけにもいかねぇからな」
「単に勇者がこの国から遠く離れた場所にいるから、国は勇者殺しの犯人逮捕にさほど本腰を入れなかったんじゃないか?」
「だったらわざわざこんな遠い場所にフェイクを用意したりするかよ。本物の勇者の近くに身代わりを置くはずだ」
 小馬鹿にするような目でアガプキンは俺を一瞥した。
「何だかんだ言っててめぇも……いや、ここにいる連中全員、腹ん中じゃこっそりと疑ってるんじゃねぇのか?この街の近くに勇者がいるんじゃねぇかと」
 室内の空気がぴんと張り詰めた。俺は薄笑いを浮かべながら、「まさか」と言って否定した。
「そう思うんなら、くどくどと管を巻いていないでどうやって偽の勇者の口を割らせてやろうか策を練っておいたらどうだ」
「馬鹿言え、口先一つで国の隠し事を暴けるとでも思うか」 アガプキンは顔をしかめた。「それが不可能だから今まで何人もの記者が王城への潜入を試みたんだろ。そしてそいつら全員、それっきり行方が掴めねぇ……生きてるのか死んでるのか国に訊ねても、返ってくるのは『一切関知しない』の一言だ。冗談じゃねぇ、法治国家が聞いて呆れるぜ」
 しばらく室内に沈黙が落ちた。アガプキンは依然として扉へと視線を固定していた。まるで敵を待ち受けるかのような横顔を保ち続けていたが、ある時それがふっと緩んだ。
「……ま、常に真実を世に公表することが正義だとも限らんわな」
 俺は顔を横に向けた。無力感に塗り替えられた横顔が視界に映った。
「あの勇者は偽物だ、って記事を書いたところで、誰も喜びゃしねぇんだ。読者受けする記事を書いて食い扶持を稼ぐ──それがオレらの仕事だってんなら、国の情報操作にも敢えて乗っかってやらあ」

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