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 数分後、アガプキンが勤務するオラトリオ紙の社名が呼ばれ、奴はかったるそうに肩を揺らしながら控え室を出ていった。
 俺の順番が回ってきたのは、それから約一時間ほど待たされた後だった。「大陸中央」と横柄な口調で社名を呼ばれ、呼び出しにきた兵士に従って部屋を出、廊下を進んだ。
「質問時間は一〇分間を限度とする。ただし不適切な言動が認められ、更にこちらの指示に従わない場合には、その場で即刻退出を命じる」
 王城での取材を許可されるたびに聞かされるお決まりの口上だ。こちらを振り向きもせずに言う兵士の背中に、分かりました、と答えた。
 王城内部は、華美というよりは堅牢さが際立つ造りで、一般的な城と要塞とを足して二で割ったような印象だ。さほど飾り気もなく、骨董品や古びた絵画が時折散見される程度の控え目な内装が、かえって厳かな雰囲気を醸し出している。
 ここには仕事で何度か来たことがあるのだが、通されるのは決まって三階にある狭い談話室だった。窓が一つもなく、あるのは硬いソファが二つと、それらの間に挟まれている丸いローテーブル、それから兵法書と思しき書籍がぎっしり詰まった本棚だけだ。
 兵士がその部屋の扉を開け、中に入るよう俺に促した。お馴染みのベージュ色のソファの片方に、例の全身甲冑姿の男が腰かけていた。俺が部屋に入ってきても一言も声を発しないし、微動だにすらしない。
 ばたん、と部屋の扉が閉まった。背後を見ると、兵士が出口を塞ぐようにしてこちらを向いて立っていた。
 俺は空いている方のソファに腰掛け、先ほどまで『勇者』として祭り上げられていた男と向かい合った。
「……大陸中央新聞社のエリオット・ヴァイスディーンです」
 男が頷いた。名乗り返す気はないようだったため、俺はあらかじめ準備しておいた質問を口にしようとした。
 俺が声を発しようとした直後だ。
「私の顔を見たいかね」
「……は?」
 開きかけた俺の口から、間の抜けた声が出た。俺の返事を待たず、目の前であっさりと兜を脱いでみせた男のその神経質そうな素顔を、唖然と見つめた。
「別に、そこまで驚くこともないだろう」 男が、細い目を更ににやりと細くする。「私も、きみも何かと忙しかろう。下らん茶番はなしといこうじゃないか」
「どういう意味です?」
「どうもこうもない。きみ達記者はとっくにお見通しなんだろう、この私がフォービドゥンを倒す力など持ってはいないということを。私の化けの皮を剥ぐための質問をたんまり用意してきたのかもしれないが、無意味なインタビューごっこにいちいち付き合ってやるのも滑稽極まりないものでね」
 黒髪を七対三にきっちりと分けた彼のヘアスタイルは、物々しい甲冑とまるでマッチしていない。眼鏡をかければ典型的な学者然とした雰囲気になるであろうその男は、自らの肩書をアルバドール王城広報課長と名乗った。
「先ほどは白々しい舞台にさぞ辟易したことだろうな」
「何のためにあのようなことを?」
 俺が筆記帳から顔を上げて問うと、広報課長はふんと鼻を鳴らした。
「決まっているだろう、世界を守るためだ。この街に勇者の命を狙う不届き者がのさばっていたのを知らぬわけはなかろう。破滅を好む愚か者に勇者を殺されてしまってはかなわんからな。いわゆるダミーというやつさ」
 俺は彼の言うことを黙って帳面に書き付けた。ペンを走らせながら、淡々と質問を投げかける。
「すると……アルバドール王城としては真の勇者の存在を具体的に把握している、と見てよろしいのでしょうか」
「そうでなくして偽の勇者など立てられるわけがない、というわけなのだろう?」 広報課長が苦笑する気配があった。「その質問に対する回答を含め、今きみが知り得た情報を記事にして世にばらまくには、一つ条件がある」
「条件?」
 今までにないパターンだった。多少面食らったが、国が偽の勇者を用意したことをあっさり認めたこの流れについても不審に感じていた。
 何か裏があるのではないか──やや警戒の色を込めて広報課長を見る。「何でしょうか」
 ついてきたまえ、と言って、広報課長は席を立った。廊下に出て階段を一つ下り、二階の廊下を右に折れた。
 武骨な鉄の扉の前まで歩いたところで、彼は足を止めた。扉を押し開いて中に入ると、だだっ広く殺風景な部屋の隅で何かが動くのが見えた。人だ。
「大陸中央……だったな」
 まだ記憶に新しい顔が、ゆらりと椅子から立ち上がりこちらへと近付いてきた。先ほどバルコニーに現れた騎士と同一人物であるということはすぐに分かった。
 俺は広報課長の方へと振り向いた。説明を求めたつもりだったのだが、彼が差し出してきたのは全く別のものだった。
 見慣れた形状の双剣、それが鞘に収まった状態で広報課長の手に携えられていた。ご丁寧に装着用の革ベルトまで用意されている。いつの間に、そして一体どこからそんなものを用意してきたのだろうか。
「何ですか、それは」
「見ての通り、きみ達記者がフラットエッジと呼んで愛用している武器だ」
 そんなことは分かっていると指摘する間もなく、広報課長の口から不可解な指示が発せられた。
「装備しろ」
「え?」 
「今すぐにだ。早くしろ」 押し付けるようにして剣を寄越してくる。「でなければ、彼に先手を取られるぞ」
「何だって?」
 もはや敬語を使う余裕すらなくなっていた。頭の中は混乱するばかりだった。広報課長の視線の先に目を移すと、こちらに向かって歩いてくる騎士の右手には、ずっしりとした重量感が感じられる大振りの騎士剣がしっかりと握られていた。
 彼の目は真っ直ぐに俺を見据えていた。獲物を狙う目だ。本気で殺しにかかろうとしてくる人間の目──今まで何度も見たことがあるから、これが冗談でも遊びでもないというのは考えるまでもなかった。瞬時にして防衛本能が機能し、俺に迎撃せよとの指示が下される。
 腰の両側の所定の位置に馴染み深い重さが備わると同時──騎士は突然物凄い勢いで突進してきた。慌てて両手で剣を抜き放ち、顔面を庇うような形で二本の刀身をクロスさせた。
 馬車がぶつかってきたのかと思わせるような衝撃、それが息つく間もなく俺の両腕に襲いかかる。急拵えの防御体勢では騎士の一撃を防ぎきることはできず、俺の身体はあっけなく後方へと吹き飛んだ。冷たい石の床に全身を強打し、短い呻き声が喉の奥から零れ出た。
「ほお、一応は防いだか」
 悠々と喋りながら、こつこつと近付いてくる靴音。「まあまあ見所はありそうだが……いつまでそこで寝ている気かね。背中が冷たかろう」
「ちょ、待……っ!」
 起き上がりがてら後方へと飛んだ。があん、と派手な音が飛び散った。今まで俺が転がっていた床に、騎士の剣が叩きつけられていた。肉を斬って骨を断つ、まさに獲物を一刀両断にせんとする動きだ。ぞっとして頬が引きつる。
「何なんだ、一体。どういう意味だ」
 荒れる呼吸に肩を上下させながら、俺は広報課長の姿を探した。そもそも質疑応答のための時間として設定されていた筈が、何故騎士に襲われる羽目に陥らねばならないのか。全く意味が分からない。
 彼は部屋の扉の脇に立ち、腕組みをして俺達の動きを見物していた。
「……真の勇者の居所を知りたければ、まずはそいつを倒してみろ。話はそれからだ」
「倒す、って……」
 相手は騎士だぞ──どこまで相手を弱体化させれば勝利と見なされるのかを問いたかったのだが、騎士は俺に休憩する間を与えてはくれない。化け物かと思いたくなるような速度で斬り込んでくる騎士の剣を渾身の力で受け流し、壁側へ追い詰められないよう注意を払いながら一撃一撃をやり過ごす。
 基本的には防戦一手だ。巨大な剣を振り回す騎士の疲労を誘う狙いもあったのだが、何より悪人でもなんでもない人間の血を見る勇気が湧いてこなかった。
 だが、相手の心にはそのような躊躇いは存在しないようだった。それは、騎士の剣の軌跡からはっきりと窺い知ることができた。一切の迷いを感じさせない、流れるような剣捌き。そしてその瞬間は訪れる。
「やべ……っ!」
 右手に握っていた剣が、俺の手を離れて宙に踊った。グローブを嵌めていなかったことが仇となったと言いたいところだが、実際には単純に力負けした結果だと認めざるを得ない。
 床に落下した剣が、からからと音をたて回転しながら遠ざかっていく。回収を試みようとする俺の動きは、大剣とは思えぬ素早い横薙ぎによって阻まれた。
 間断なく繰り出される騎士の攻撃。避けるのに手一杯で、左手に残っている剣を右手に持ち替える隙すら与えてもらえない。
「どうした、もっと本気を出せ。殺す気で挑まないときみに勝ち目はないぞ」
 広報課長から野次が飛んでくるが、勝ち目がないどころの騒ぎではなかった。このままでは殺される──
 俺は意を決した。もはや躊躇っている余裕など残されてはいなかった。歯を食いしばりながら、反撃の体勢へと転じる。
 最も効果的に敵の戦意と戦力を削ぎ落とすには、まず相手の視覚を潰せばいい──俺に格闘術を叩き込んだ先輩の教えだ。卑怯だの何だのと罵られようとも、我が国最強の戦闘力を誇る騎士を相手になりふり構ってなどいられない。
「っ!」
 思いきって騎士の懐に飛び込む。眼球を狙っての初撃は、上体を反らされ回避された。ただし俺の刃の切っ先は、騎士の額に小さな向こう傷を残していた。
「この……っ、小僧めが……!」 騎士の顔が憤怒に歪む。
 一介の記者ごときにご自慢の顔を傷付けられたのがよほど気にくわなかったのかもしれない。騎士の攻撃はより激しさを増した。ただし冷静さを欠いた剣の軌跡は精細さを失い、回避にはさほどの労力を要さなかった。また、騎士は自らの攻撃が俺を有利な立場へと導いていることにも気付いていないようだった。
 騎士の攻撃に押されているように見せかけながら、じりじりと後退を続ける。騎士が大きく剣を振りかぶった直後、その動きを視界に捉えたまま、俺は素早くその場にしゃがみ込んだ。足下に落ちている剣を回収するためだ。
「───!」
 時間が止まったかのように、突如ぴたりと動作を停止させる騎士。たった今拾い上げたばかりの剣の切っ先が、騎士の喉元を狙うポジションで鈍く光を反射させる。
 勝負有り──その時はそう思っていた。顔面を強張らせる騎士の顔を眺めながら、俺は肩で荒い呼吸を繰り返した。心臓が激しく脈打っているのを感じていた。
 相変わらず騎士は動かない。中途半端に剣を振り下ろす姿勢を保ったままだ。
 この時俺は、剣の回収に成功し、相手の生殺与奪の権を握ったことで、すっかり安堵しきっていた。敗因を分析するならば、それが原因だと断定せざるを得ない。不撓不屈の精神を宿す騎士を相手に、一瞬でも油断などすべきではなかったのだ。
「──ぐ……っ!」
 突如、世界は暗転する。自分の呻き声を聞いたのを最後に、深い闇へと落ちていく感覚に呑まれた。


「勝負あったな」
 頭上から聞こえる広報課長の声で、俺は意識を取り戻した。
 鳩尾に地獄のような激痛を感じると同時に、背中を丸めて激しく咳き込んだ。息が苦しい。
「ボリスは騎士団の中でもかなりの腕利きと評されている人物だ。彼に傷を負わせただけでも上々だと言っておいてやろうか」
 広報課長からのお褒めの言葉など、まるで頭に入ってこなかった。随分長い間気を失っていたように思えたが、実際には腹を蹴り飛ばされてから寸刻しか経っていなかったようだ。
 常人離れした騎士の脚力は俺の身体をものの見事に吹っ飛ばし、そのまま壁に激突させた。まさかあそこで突然蹴りをくらうとは思ってもみなかったため、まさに痛恨の一撃だった。何が起きたのかすぐには理解ができないほどの素早さだった。
 壁に凭れかかるような姿勢で座り込んだまま、俺はゆっくりと顔を上げた。騎士の姿を探したが、部屋に残っていたのは広報課長だけだった。できるだけ険しい目つきを作り上げ、目の前に立っている男の顔を睨め上げた。
「……この国の騎士は、理由もなく平気で一般人を斬り殺したりするのか」
「まさか。彼の剣が二、三発命中したところで死になどしないさ。せいぜい青痣が残るか、骨が砕ける程度だろうな」
 広報課長のその言葉に、俺は苦り切った表情を浮かべ、
「模造剣ってわけか……」
 呻くように言った。生死を賭けて戦っていた先ほどまでの自分が、酷く滑稽に思われた。
「あれが本物の剣だったとしたら、先ほどまでの記者どもの大半はボリスに斬り捨てられていたことになる。それを考えると、きみはまあよく健闘した方だ。最後の最後で抜かってしまったようではあるが」
「余計なお世話だ」
 再び咳き込む。俺が落ち着くのを待って、広報課長は口を開いた。
「ここできみを騎士と戦わせたのは、もちろん理由があってのことだ。要はフラットエッジなる双剣を操り敵と戦う記者の戦闘スタイルと実力を観察したかった。騎士を凌ぐとまではいかずとも、対等に渡り合うか、力不足を技術やスピードでカバーできるかどうかを判断したかったのだ」
 何のために、と問う俺の視線を、彼は真正面から受け止めた。予想外に真剣な眼差しがこちらを見おろしており、一体何を言い出すつもりなのかと身構えた。
「……ディルク・ナルディスなる人物がいる」
 広報課長が告げたのは、一人の男の名前だった。そして彼は胸元から一枚の紙切れを差し出してきた。受け取って見ると、細密なタッチで描かれた一人の男が、紙面越しに俺を睨み据えていた。
 オールバックの髪に、やや凄みが感じられる鋭い眼。鼻梁から左頬に向かって走る一筋の刃の傷痕が、余計にその男の人相の悪さを加速させている。
「こいつを、見つけ次第始末してほしい」
 さらっと続けられた台詞に、俺は驚いて顔を上げた。「始末?」
「殺せという意味だ」 分かりきったことを説明した後、彼は続けざまに物騒な台詞を吐いた。「遺体の回収はできるに越したことはないが、無理なら証拠写真でも構わん。崖から突き落とすなり窯で煮るなり好きな方法で消してくれ──さもなければ、奴がこの世界の歴史に幕を下ろすことになる」
「どういう意味だ?」
 まさかこの男がフォービドゥンなのか、と言おうとしてとどまった。もっと現実味のある予想が脳裏に浮かんだからだ。
 そしてその予想は当たっていた。広報課長の口から重々しく言葉が発せられた。
「この男は……勇者の命を狙っている。勇者を殺し、世界を終焉へと導かんとする危険人物だ。奴が勇者を見付け出すのは時間の問題だろう。もはや一秒たりとも世に野放しにしてはおけん」
「ちょっと待て」
 俺は右手を上げて広報課長を制した。広報課長の言葉の端々に、何か引っかかるものを感じたからだ。
「この男は……勇者が誰なのか知っているのか。いや、こいつだけじゃない……さっき『勇者の居所を知りたければ』、とか何とか言ってたな。やっぱり国も勇者の正体を把握しているってわけか。そうなんだろう」
 広報課長は、肯定も否定もしなかった。黙って俺の顔を見下ろしていた。やがて仰々しい動作で腕を組み、言った。
「その問いに対する回答は、きみが晴れてこの男の息の根を止めた時に褒美としてくれてやろう。私が勇者になりすましていたと記事にしてばらすのもその時だ。まずはとにかくディルクを殺せ。無論、奴を殺したからといってきみが罪に問われることはない。この話は王からの勅命だと思ってもらって構わん」
 複雑な顔で押し黙ったままでいる俺に、広報課長は「どうした」と問いかけてきた。何か不都合でも?といわんばかりの平然とした彼の態度に可笑しさすら込み上げた。
 殺人を依頼された。それも国からだ。闇稼業人ならいざ知らず、堅気の俺が、はい分かりました、とすんなり承諾できるはずがない。
「……そういうのは、警察や騎士の仕事だろう。というより、こいつが勇者の命を狙っているってだけで即座に抹殺しろっていうのは、国として明らかに行き過ぎた行為じゃないのか。過激思想の持ち主だというなら、見張りをつけて行動を監視するなり理由をつけて一時勾留するなり、もっと色々適切な方法があるだろう」
 俺が正論で応じると、広報課長は微苦笑を浮かべた。
「適切な方法、ね……。まあ事情を知らぬ者からすれば、そのような寝言を言っていられる余裕もあるのかもしれないが」
 溜息を一つ挟んで、彼は続けた。
「いいか、その能天気な頭に教えてやる。奴……ディルクはもともとこの城に配属されていた騎士だ。奴が勇者を探してこの城を出奔した時、一体何人の騎士や兵士が犠牲になったと思う?十三人だ、十三人。自分の仲間であるはずの十三人の人間を奴は何の躊躇いもなく斬殺し、逃走した。それだけでも万死に値する罪だ。そんな危なっかしい男を生け捕りにする余裕などあると思うか?そもそも正面切って奴に近付こうなどと自殺行為に等しい。さっききみを簡単にのしてみせたボリスでさえ、手も足も出せなかったほどの実力の持ち主なのだぞ」
「そいつを俺に……殺せって?」 笑おうとしたが、頬が引きつっただけに終わった。「話が矛盾していないか」
「きみだけではない。きみ達記者に、依頼している」
「冗談じゃない。無理だ」 ゆらゆらとかぶりを振りながら即答した。「人殺しなんてできないし、まして騎士が太刀打ちできない相手を俺たち記者ごときがどうにかできるとでも思うか。職業柄剣を扱いはするが、所詮そこらのゴロツキに毛が生えた程度の実力でしかないんだ。変に買い被ってもらっちゃ困る」
「だがきみ達には『不意打ち』という名の武器がある」
 広報課長がずいと半歩詰め寄ってきた。「奴はきみ達記者に命を狙われているとは知る由もない。例えばある日偶然奴とばったり道で出くわしたとする。きみは何食わぬ顔で奴とすれ違い、直後振り向いて奴の心臓をその剣で一突きしてくれればよいのだ。それだけなら造作もないことだろう」
 そんな都合良くいくもんかよ、と胸中で毒づいた。更に広報課長はこう付け加えた。
「仮に奴と接近戦になったとしても、フラットエッジとかいうその剣も使いようによっては騎士剣より有利に働くはずだ。軽さがネックではあるが、スピードで十分補える」
「いや、簡単に言ってくれるが──」
「我々とて、一般人に力を乞うなどと苦肉の策なのだ」
 俺に口を挟む余地は与えてもらえぬようだった。広報課長は有無を言わせぬ剣幕で言い募った。
「我々にフォービドゥンの脅威から世界を守る術はない。だが勇者の命を守ることならできる。世界存亡の危機を前に、我々はプライドをかなぐり捨て、どんな手段を使ってでも勇者を守る道を選んだ。きみも今、この世界に生きる一人の人間として自分に何ができるのか──少しは考えてみることだ」



 調子のいいことを言いやがって──広報課長の言葉を頭の中で繰り返しながら、王城の中庭を正門へと向かって歩いた。
 鳩尾の痛みは続いていた。だが歩けないほどではなかった。色々なことを悶々と考えるのに忙しく、痛みなどさほど気にしていられなかったというのもある。
 閑散とした普段の姿を取り戻していた中庭の芝生の上を歩きながら、コートのポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは、先ほど広報課長から手渡された人相書きであった。
 ディルク・ナルディスという名のこの男。広報課長の話によると、勇者お披露目のパフォーマンスは、この男をおびき寄せ、あわよくば奇襲をかけるという裏の目的もあったらしい。『勇者』という名の疑似餌をぶら下げ、一般人を装った騎士や兵士を城壁の周囲や中庭に隈無く配置し、目を光らせていたものの、結局奴が尻尾を出すことはなかった。国の見え透いた策略にまんまと引っかかるほど馬鹿な男ではなかったというわけだ。奴は武術に長けているだけでなく、理知的かつ状況判断能力に秀でた優秀な騎士であった。謀反を起こし、騎士号を剥奪されてなお奴に憧れる部下や同僚も少なくないとのことだった。凶悪そうな面構えに似合わず人徳もあるらしいその男が、何故勇者殺害の決意を固めるに至ったのかを広報課長に訊ねたが、他人の胸の内など知るはずがない、と偉そうに吐き捨てられただけだった。
 広報課長は俺に、帰社次第この男の件を社内周知しろと言っていた。また、情報は社内限りとし、間違っても世に漏れ出ぬよう注意しろと釘を刺された。ディルク・ナルディスなる男が勇者を殺そうとしている、との事実を街中が知るところとなれば、奴の行動の自由をある程度抑制できるというメリットがある一方、正義感に駆られた一般人の無鉄砲な行動が余計な犠牲を招きかねないというデメリットもある。王城としては犠牲を最小限に抑え、隠密に事を成し遂げたいという意向があるようだった。
 もし、どこかでばったりこの男と出くわしたら、俺はどうするべきなのだろう──出口のない迷路を延々彷徨うような心地で歩いていると、「エリオット!」と声をかけられた。と同時に、自分を取り巻く景色がいつの間にか夕刻の大通りへと変化していることに気付いた。
「エリオット!こっちこっち!」
 きょろきょろと辺りを見回しているうちに、雑貨屋の軒先でこちらに向かって手を振っている人物を見付けた。レイチェルだ。
「まだこんなところで油を売ってたのか」 俺は眉を顰めながら彼女に近付いた。「先に会社に戻ってろって言ったじゃないか。もうすぐ暗くなるっていうのに、一人で外をふらふらしてちゃ危ないぞ」
「だって、あっちこっちに珍しいものがいっぱいあるんだもん。それにこの辺でうろうろしてれば、エリオットが通りかかるんじゃないかと思って」
「俺がこの道を通って真っ直ぐ家に帰るとは限らないだろう」
「暗くなるのを待って夜遊びして帰るつもりだったってこと?」
「そんな金はな……いや、そうじゃない」
 どうやらレイチェルは俺が城から戻るのを待っていてくれたらしいのだが、彼女にこの街の治安情勢を始めに話しておかなかったことを後悔した。昼間は王城へと向かう人の群れで通りも大いに賑わっていたが、それは本来の街の姿ではない。普段はいつ背後から刺されてもおかしくないという環境なのだ。しかも十代の少女が一人でいるなど、悪漢に「狙って下さい」とアピールしているも同然だ。
「……とにかく帰ろう」
 自宅に戻るつもりで歩いていたのだが、日暮れが差し迫っている空の下、このまま彼女を一人で帰すわけにもいかなかった。俺はレイチェルと並んで会社への道程を進み始めた。もしサーシャや同僚と社屋の前で鉢合わせしたとしても、ディルク・ナルディスの件については休暇明けまで黙っておくつもりでいた。あるいは出社しても俺の口からは言わないでおくつもりだった。仲間の誰かが人殺しになるかもしれないと思うと、どうしようもない恐怖がじわじわと心の底から湧き上がってくるのだ。
「ねえ、さっきの勇者様からは何か面白い話が聞けた?」
 そんな俺の胸中など全く知らぬレイチェルは、うきうきと期待に満ちた眼差しを俺の方へと向けてきた。何かそれらしいことを言って適当に濁そうかとも思ったが、結局はつまらない冗談と苦笑いで取り繕うことしかできなかった。
「別に。好物はふわふわのパンケーキ、嫌いな食べ物はゴルルヤのピクルスだとさ」
「え〜、何そのどうでもいい情報」 レイチェルはジト目で俺を睨んだ。「必殺技とか、禁断の大魔術とか見せてもらえなかったの?」
「そんなものを城内で炸裂させられたら、俺は今頃消し炭になっているか瓦礫の下敷きだ」
 あははは、というレイチェルの笑い声が、人気のなくなった大通りに場違いな明るさをもたらした。「そだね。それに、大魔術はフォービドゥンを倒すその時までとっておかなきゃだもんね」
 石畳の上に長く伸びる二つの影を眺めながら、暫く無言で歩き続けた。頭の中では、殺人者になるべきかならざるべきかの境界線をずっとさ迷っているままだった。レイチェルが時折、窺うような視線をちらちらと投げてきていることには気付いていたが、とても雑談をするような気分にはなれなかったし、彼女も話しかけてはこなかった。きっと彼女をそうさせるような顔を俺がしていたからだろう。
 だが、俺を背後から見付けた人間にとっては、俺がどんな顔をしていようと関係がないようだった。
「あらまあ、あんたエリオットかい?」
 親しみの色が込められたその声に、俺の記憶が反応を示した。歩みを緩め、ゆっくりと首を後ろへと動かした。
「やっぱりそうだ、久し振りだねえ」と人好きのする笑顔を浮かべて近寄ってくるその人物を見て、俺は軽く目を見張った。
「イネスさん」
 誰?と目で問うてくるレイチェルに、「パン屋のおばちゃんだ」と小声で答えた。恰幅の良い体型に、トレードマークである花柄の生地のエプロンが意外なほどによく似合う。声を潜めたのは、おばちゃん呼ばわりすると彼女の機嫌を損ねるからだ。いい感じに年齢を重ねようとも、心はいつまでも少女ということらしい。
 彼女は俺達の傍まで来て立ち止まると、まずレイチェルに軽く一瞥をくれてから、彼女の特徴でもある大きな声で話しかけてきた。
「こんな所で会うなんて奇遇だね。あ、ひょっとして勇者様を見に行った帰りかい」
「ええ、まあ」
「実はアタシもさ。うちの人に店番を任せて出てきちまったもんだから早く帰らなきゃなんないんだけど、せっかく遠路はるばる王城通りまで出てきたんだ、色々楽しんでおこうと思ってね」
 色々楽しむ、とは彼女にとって買い物を意味するらしい。両手に幾つもの紙袋をぶら下げていた。
「それよりアンタ、最近全然店に顔出してくれないじゃないかさ。突然ぱったり来なくなったもんだから、うちの人とも何かあったのかと心配してたんだよ」
 どきり、と俺の心臓が鳴った。勿論あまり良くない意味でだ。
 続けざま、彼女は俺の動揺を誘う台詞を遠慮なく紡ぎ出した。
「でもまあ元気そうで何よりだよ。今日はエイプリルは一緒じゃないのかい」
「………………」
「どうしたよ、変な顔して。あんたの彼女のことだよ」
 口の中が急速に乾いていくのを感じた。正直俺は、彼女の店から遠く離れたこの場所で彼女と再会することになろうとは、全く予期していなかった。かつて自分の恋人であった女性の名を耳にしたのも久し振りで、それが余計に動揺に拍車をかける結果にもなっていたのかもしれない。
 イネスさんとは、エイプリルが住んでいた実家の近くにあるパン屋の奥さんだ。そして、エイプリルはその店の常連だった。俺も彼女と一緒に何度か店に足を運んだことがあり、話好きのイネスさんとはすぐに打ち解け、店に行けばとりとめのない世間話に延々付き合わされたものだ。
 だがそれも今や過去の話で、エイプリルが死んでからは、店には一度も立ち寄ったことがない。彼女の店は俺の生活圏の外にあり、よほど特別な用でもできない限りはそちらの方面へ赴く機会がないためだ。
 また、エイプリルが亡くなった時にも、わざわざ彼女の店までそれを知らせに行くようなことはしなかった。どのように死因を説明すればよいのか分からなかった。事故や病気など簡単な理由をつけて誤魔化すことなど幾らでもできたのだが、とてつもない後悔と自責の念が当時の俺にそれを許さなかった。かといって洗いざらい自分の罪をぶちまける勇気もなかった。懇意にしていた人間から最低男の烙印を押され、失望され、蔑んだ目を向けられるのを恐れたのだ、俺は。
 イネスさんとのこの邂逅は、何もかも白状しろとの神の啓示なのかと俺には思えた。ぎこちなく固まっているであろう自分の表情を意識しながら、突如直面したこの試練をどう乗り越えるべきかと考えていた。
 彼女は俺が死なせた──時間が経った今なら、その言葉を言えそうな気がした。むしろそうした方が楽になれるような気にも思えた。
 だが、俺が覚悟を決めてイネスさんの顔を正面に捉えたその時、横から思わぬ助け舟が出された。
「エイプリルさんなら、隣町へ引っ越したよ」
 俺はびっくりして隣を向いた。どういうつもりだ、という意味を込めてレイチェルの横顔を見たつもりだったが、彼女は何を勘違いしたか、任せて、というように横目で小さくウインクを寄越してきた。
「へえ、そうなのかい、隣町へ……」 イネスさんは大きな口を開けて驚いた後、俺の顔をしげしげと眺めた。「あんたを置いてかい?」
「隣町の資産家がメイドを探していて、凄く条件がいいからってそこで働くことにしたんだって。だからってエリオットも簡単に今の会社を辞めるわけにもいかないし、色々大変だけど遠距離恋愛で頑張ることにしたみたい。週末は馬車に乗って隣町の彼女に会いに行ってるんだよね。ねっ?」
「えっ」 急に振られて、俺は言葉に詰まった。「えぇと……」
「そうかい、そりゃ大変なこったねえ」
 イネスさんは、レイチェルがでっち上げた話をあっさり信じたようだった。訝しげだった表情がたちまち柔和な笑みにとって変わり、以前と変わらない優しげな目の端に何本もの深い皺が刻まれた。
「でも、別れずに済んで良かったってなもんだよ。あの子、あんたにぞっこんだったものねえ。あたしゃてっきり、隣のその子があんたの新しい彼女か最悪浮気相手なのかと疑っちまったよ」
「浮気?まっさかあ」 奇妙な半笑いを浮かべたまま突っ立っている俺の横で、レイチェルがけらけらと笑った。「あたしはただのエリオットの親戚。彼、本当は今日もエイプリルさんと一緒に勇者を見に行くつもりだったんだけど、彼女さんがどうしても雇い主から許可がもらえなくて、結局あたしが代わりについてきたってわけ。心配しないで、あたしと彼はあなたが思うような変な間柄じゃないから。この甲斐性なしに浮気なんて器用な真似できるわけないじゃん」
「あっはっは。そりゃそうだ……っと、いけない。あんまりのんびりしていられないんだった。馬車に乗り遅れちまう」
 イネスさんが腕時計に目を落とした。立ち去ろうとする気配を見せる彼女に、危うく安堵の吐息をつきそうになった。
 それから二言三言喋った後、俺たちは簡単に別れの挨拶を交わした。彼女との再会は、今後二度と訪れることはないだろうという予感を抱いていた。
 イネスさんは最後に、俺の脇腹を肘でつつき、からかうような声でこう言い残していった。
「あの子がメイドとして働きに出たっていうのは、ひょっとすると花嫁修業のつもりなのかもしれないよ。あたしがこんなこと言ってもただのお節介なのかもしれないが、フォービドゥンに世界をぶっ壊されちまう前に彼女を幸せにしておやり。それができるのはあんただけだ、エリオット」

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