←BACK | TOP | NEXT→

騎士の述懐

 - 18 -


 午前五時。一切の人影のない、静まり返った大通り。チャーターした馬車は予定通りの時刻にグレバドスへと向けて出発した。
 業火が空を覆っているかのような朝焼けだった。俺達四人は車窓越しにその橙色の光を頬に受けながら、暫く無言で馬車の揺れに身を預けていた。早朝の出立ということで、眠くて誰も何も話す気になれなかったのだ。そうしているうちに、気が付くとレイチェルとジュアンが二度寝を始めていた。左肩にこてんと寄りかかってくる重みを感じたので見てみると、あどけなさに満ちたレイチェルの寝顔がすぐ傍にあった。
「不気味」
 ぽつんという呟きが、斜向かいの席から聞こえてきた。声の主であるクリスは、窓の外を食い入るように眺めていた。
「フォービドゥンがこの世界を滅ぼす時、こんな風に空も炎の色に染まるのかしら」
「……どうだろうな」
 「かもしれないな」と返しそうになるところを、瀬戸際で言葉を選び直す。
「星が瞬いたり、太陽が輝いたり、稲光が走ったりこうして炎みたいに燃えてみたり……本当に色んな色になるのね、空って」
 一日の始まりの空に終末の世界の色を重ねる彼女の目は、沈鬱な気配を残しつつもどこか物珍しげな様相を呈していた。当たり前なことにいちいち感心して言葉にまでする理由が俺には分からず、「そうだな」とだけ無味乾燥な言葉を返して、この短い会話は終わった。
 やがて俺も襲い来る睡魔に負け、馬車が街を出て街道を走り始めた辺りで目を閉じた。それまでクリスはずっと、視線を窓の外に固定したまま無言を貫いていた。すぐ傍で眠りこけているジュアンやレイチェルに配慮してのことだったのだろうが、俺には彼女の横顔が雑談をする余裕すらないくらい窓の外の景色に心を持っていかれているように見えていた。まるで、初めて街の外に旅行に出る子供のそれだ。しかし子供と違う点は、溢れる感動を表に出すことはせず、一人静かに胸の内でそれを噛みしめている。大草原に伸びる街道の先を見つめる顔には、どこか切なささえ漂っていた。
 馬車は道中恙無く進み、当初の予定通り、昼過ぎには最初の宿場街として選んだダルセーデに到着した。初日の移動距離としてはかなり少なめに見積もったのだが、これは俺以外の三人が長距離移動に慣れていないだろう点を考慮してのことだ。朝から昼までずっと馬車に揺られているだけでも、体力の消耗は想像以上に著しい。特にジュアンなどは車中から「疲れた」だの「まだ着かねえのか」だの言いっぱなしだった。このような愚痴を夜まで延々と聞かされては、こちらまで余計に体力を削り取られてしまう。
「ああ、腹が減った。これ以上歩けねえ。今すぐ何か肉々しいもんを胃袋の中に収めねえと死んじまう」
 街に入ってすぐの場所に見付けた肉料理店の前で、ジュアンがしゃがみ込んで動かなくなった。俺は腕時計を見て言った。
「宿には二時に着くと連絡してあるんだ。先にそっちで記帳を済ませておかないと……」
「何も全員揃って仲良しこよしで記帳しに行くこたねえだろう」
「……分かった。俺が行ってくるから、先にそこで飯食ってろ」
「あ、あたしも一緒に──」
 レイチェルが同行を申し出てくれたが、「大丈夫だよ」と言って俺は一人宿へと向かった。予約していた宿は、石造りの壁に蔦がびっしりと這っている、何とも古めかしい情緒が漂うものだった。
 最初にその不穏な噂を聞いたのは、まさにその宿のフロントで記帳をしている最中のことだった。連絡先として社名と住所を書き込んでいる俺の手元を覗き込んだ宿の主人が、俺に何気なく訊ねてきたのだ。
「あんた、新聞社の人間だよな」
「ええまあ」
「するってーとあれかい、例のベラトリクス様と、お隣さんの……ええと」
「レグルス王子」
「そうだ、レグルス様だ」 宿の主人はぱちんと指を鳴らした。「二人の結婚式を見に行くってわけかい」
 見に行くという言い方はあまり的確とは言えなかったが、俺はペンを動かしながら首肯した。
 すると宿の主人は、ぐいと俺に顔を近付け、声のトーンを一つ落としてこう続けた。
「やっぱり、アルバドールとグレバドスとで戦争がおっ始まるって噂は本当なのか」
「……何だって?」
 思わず記帳の手を止め、顔を上げてまじまじと間近にある主人の顔を見た。銀縁眼鏡の奥にある小さな瞳は、見るからに不安に揺れていた。聞いたこともないぞ、そんな話、と目で伝えたつもりだったのだが、俺の驚きの表情は彼には「何を今更」とでも解釈できたのかもしれない。不安に揺れていた目は、みるみるうちに恐怖の色へと塗り替わっていった。
「大事な娘を人質のように隣国の王子に持って行かれて、王の腸は最高に煮えくり返っているって話じゃねえか。あれだろ? 結婚式当日に精鋭軍を派兵して、ベラトリクス様を奪還するって筋書なんだろ? 大丈夫なんだろうな、ウチの国の軍隊は。奪還作戦が失敗すりゃあグレバドスの軍隊が報復に来るってこともあり得るってことじゃねえか。国はちゃんとオレ達を守ってくれんだろうな?」
「いやいや、ちょっと待って。何の話だそりゃ」
 一度に入ってくる情報量とその突拍子もない内容に、頭の処理能力が追い付いていかなかった。本気でそのような話など初耳だということが宿の主人に伝わると、彼はまず「記者のくせにこんなことも知らんのか」と心から俺を見下した。
「アルバドの最高国家機密が、何者かの手によって隣国にリークされたんだ」
 部屋の鍵をちゃらちゃらと鳴らして弄びながら宿の主人は話し始めた。
「何が目的で秘密を洩らしたのかは知らん。が、犯人がどんな類の人間なのかは何となく噂になっている。アルバドの騎士団の人間って話だ。具体的な名前までは分からんが」
「騎士……」
 根も葉もない噂話だと決めつけて主人の話を聞き始めた俺だったが、ここに来てまさかと思い始めた。自然と一人の反逆者の名前が脳裏に浮かんだが、『勇者を殺す』という彼の目的と国家機密のリークという行為がどう結び付くのか分からない。
「その国家機密っていうのは何なんだ?」
 主人は無精髭を撫でながら、眉間に皺を寄せた。
「さあな。そこまでは流石に流れてこねえよ。だがその秘密とやらをお隣さんの国が知ったことで、王は溺愛している娘をおめおめと隣国に差し出さなきゃならん事態に陥ったことだけは確かだ。まあ、やっぱ納得できずに力づくで奪い返すみてえだがよ」
「すると、今回の結婚は双方の合意の下ではないってことに……」
「なるな」 主人は腕を組んで大きく頷いた。そして指でこめかみを掻きながら、重々しい吐息をついた。「どうせオレのちっぽけな人生なんざフォービドゥンに殺されて終了ってことは分かってんだがよ……やっぱ生物としての本能ってのか?一日でも長く生きていてえって思うじゃねえか。それがこんな……戦争に巻き込まれておっ死んじまうだなんて冗談じゃねえ」
「まあ、でも、噂だろ?」 俺は署名欄にサインを終え、ペンを置いて肩を竦めた。「そう簡単に戦争になんかなるもんか。勝とうが負けようが、滅びは目前に迫っているんだ。今更世界の片隅で国同士がちまちま殺し合いを始めたところで、何の得にもならない」
「馬鹿め。損得の問題じゃねえんだよ」 俺に鍵を放りながら、主人は口元を歪めた。「お前さんだって、例えば家族やら恋人やらを無理矢理誰かに奪われちまえばそいつを一発殴ってやりたいって気になるだろう。そいつがいずれ死ねばいいという問題じゃねえ。自分自身で復讐を果たさなきゃ溜飲が下がんねえってわけさ。分かんだろ?」
「そりゃまあ、そうだが……」
「んだよ。納得してねえって面だな」
「やっぱり戦争になんかならないさ」
 断言する自分の口調に自信が滲んでいるのが分かった。「もしアルバド王にその気があるのなら、お隣さんに機密が漏れて娘を寄越せと脅迫された時点で武力衝突になっていたんじゃないか。けどそうならなかったのは、諦めているからさ、アルバド王も。強い怒りも屈辱も、フォービドゥンという絶対的な破滅を前に無意味な感情であることを理解しているんだ。何かをしてもしなくても、辿り着く未来は変わらない」
「……何というか、お前さんも……」
 続く言葉は、はあ、という主人の溜め息の中に消えた。やがて彼はやれやれといったように頭を振り、「いや、何でもねえ」と言ってカウンターの奥へと消えた。
 街の入口の肉料理店に戻ると、ジュアン達が座っているテーブルの上には、既に大量の料理の皿が並んでいた。七面鳥の丸焼きと思しき大きな肉の塊を、器用にナイフとフォークで捌いているのはジュアンだ。随分と豪快な金の使い方をしたものだ。
「よう、早かったな」 そのジュアンが一番に俺の姿を認め、左手を上げて手招きした。
「すぐそこだったからな」 俺は席に着き、ウェイトレスが運んできた水を一口喉に流した。「それより何だよ、これ。凄い肉だな。今日はクリスマスだったか」
「お祭りなんだって!」 隣の席のレイチェルが、ぴっと人差し指を立てて俺に笑顔を向けた。「お姫様が結婚するっていうから、今日の夜に中央の広場で皆で踊ったりお酒飲んだりしてお祝いするんだってさ。そんなわけでこのお肉は、お店の人がサービスで安くしてくれたの」
「ふうん」 戦争になるかもという噂が流布しているわりには、比較的のんきなものだ。皆が皆、その噂を真に受けているわけではないということか。
「でね、あたし達もお祭りに行こうって話になって」
「うん」
「エリオットも行くでしょ?」
 やはりそう来たか、と思った。
「いや、俺は遠慮しておくよ」
「えぇっ、何で?」 レイチェルが大袈裟な仕草で仰け反った。「いいじゃん行こうよ、折角の機会なんだしさ。どうせ暇でしょ?」
「暇と呼べる時間があるなら、俺は部屋でゆっくり休んでいたい。明日は今日よりもっと長い時間移動に取られるんだ。お祭り見物は別に構わないが、あまり夜更かししない方がいいぞ」
「けっ、ジジくせえ野郎」 ぶすりとフォークで肉を突き刺し、それをもぐもぐと咀嚼しながらジュアンが口を挟んだ。「いいっていいって、エリオットの一人や二人いてもいなくても変わんねえよ。オレら三人で祭の夜をエンジョイして来ようぜ。なっ」
「三人……てことはクリスも行くのか」
 斜向かいの席では、クリスが黙々と野菜スティックを齧っていた。俺と目が合うと、彼女はこくりと首を縦に動かした。直後、その彼女の横からにゅっと手が伸び、自分の方へと引き寄せるように馴れ馴れしく肩を抱く。クリスの隣にいるのはジュアンである。
「お前も行きたくなったか? ん?」
 ちょっと、と鬱陶しそうにジュアンの手を払いのけようとするクリスと、にやにやと意味深な笑みを浮かべてこちらを見てくるジュアン。俺は暫く黙ってその様子を見つめていたが、その時自分がどのような表情をしていたかは不明だ。思い返して予想するなら、ひょっとすると眉間に一本小さな皺くらい寄っていたかもしれない。二人の様子に嫉妬したというよりは、ジュアンに挑発的な態度を取られたことに対する苛立ちからだ。
「俺は部屋で寝てるよ」 手元の皿へと視線を移し、ナイフを動かしながら淡々と告げた。「遠慮なく三人で楽しんできてくれ」
「はあ、素直じゃねえなあ」 お前は憎まれ口しかきけないのかと言ってやりたいところだったが、ジュアンのこの台詞は無反応でやり過ごす。しかし、
「大人げないの」
 まるで追い打ちをかけるかのように、レイチェルにまで呆れ声で言われてしまった。さすがに一言言い返してやりたい衝動に駆られつつも、何とか踏みとどまった。
 そうだ。俺は素直じゃないし、大人げない。そんなことは分かっている。
 しかし彼らの言葉を認めてやるのは、自分の心の中だけで十分だ。


 一応、人々からは『宿場街』として認知されているダルセーデだが、アルバドとの距離がさほど離れていないため、旅の中継地点として立ち寄る客はあまり多くない。旅慣れた者であれば通常この街は通過して、次の宿場街であるカランドで夜を越すのが一般的である。そのようなわけで、ダルセーデに存在する宿の数はさほど多くなく、街の規模も小さい。古い木造家屋ばかりが立ち並ぶ素朴な街並みだけを遠くから眺めれば、「村だ!」と指を差してしまいたくなるレイチェルの気持ちも分からないでもなかった。
 昼食を終え、宿に荷物を置いて各自自由行動とした後、ジュアン達三人は街を見物してからそのまま祭へと向かうとのことで、すぐに外に出て行った。一方の俺はというと、宣言通り部屋で雑誌や新聞を読んだり、昼寝をしたりして過ごした。正直、ずっと部屋に籠っているのはやや退屈ではあったのだが、少し散歩に出たところでばったりジュアン達と出くわしてしまってはまた面倒なことになるだろうと思い、半ば意地で閉じこもっていたのだ。
 時間よ早く過ぎろと念じながらベッドの上でまどろんでいたその時、突然遠くの方で太鼓の音が鳴り響いた。いよいよ祭が始まったらしい。気にせず寝ようとしたのだが、間断なく続く太鼓の音を意識の外へ追いやることは難しく、それを無視しようとすればするほど逆に意識が冴えてきてしまう。そしてそれを狙いすましたかのように、部屋のドアが外からノックされたのであった。
「エリオット、起きてる?」
 その声が聞こえて数秒後、俺は小さく溜め息をついてベッドから起き上がった。仏頂面になってしまった顔を何とか作り直そうと努力はしたのだが、どうやら上手くいかなかったらしい。開いたドアの隙間から覗く俺の表情を見た途端、クリスは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「あ、ごめんなさい。寝てた?」
「ジュアンの差し金か?」
 大人げない――思わず滑り出てしまった第一声に対しての俺の感想だ。
 クリスは一人で部屋の前に立っていた。不快極まりないであろう俺の言動に対し、彼女は苦笑いで応じた。
「てわけじゃないけど……一人でどうしてるのかなって気になって」
「わざわざ様子を見に来てもらって恐れ入るけど、子供じゃないんだ。留守番くらい一人でできるさ」
「でも、退屈してるでしょ。昼からずっと一人で、話し相手もいなくて」
 俺は再び吐息をつき、胸の中に湧き上がった苦い気持ちを外へと逃がした。相手がジュアンであったならば「余計なお世話だ」と断じてすぐさま追い返してやるところだが、彼女相手にそうするわけにはいかない。作り笑いを浮かべ、やんわりと謝絶の言葉を口にする。
「ジュアンが部屋に戻って来たら来たでまた色々とうるさいから、一人で落ち着ける時間を満喫してるよ。晩飯ももう済ませたし、もう少し部屋でのんびりくつろいでいるさ。俺のことはいいから、早く皆と行って来いよ。もう始まっているんだろ」
「でも、レイチェルも寂しがってるし……少しの間だけでも一緒に――」
「俺がいてもいなくてもなんにも変わらないって」
 嫌味に聞こえないよう注意しながら冗談めかして彼女の言葉を遮ると、すぐにむっとした声で反論があった。
「そんなことない。私も、あなたがいないと寂しい」
「えっ」 俺は驚き、呆れの滲む声で言った。「ジュアンの奴……そんな白々しい台詞をきみに言わせてまでして俺を引っ張り出したいわけか」
 ――それ以外の可能性を疑うことができなかった。ぽかんとした顔をしたクリスが、みるみるうちに眉を吊り上げていく様子を見ても、自分の失言に全く気付くことができなかった。
「……? 何かまずいこと言ったか、俺」
「いいえ、何も」
「何もって顔じゃないだろう……あ、ちょっと、おい」
 顔を背けて踵を返し、大股で立ち去ろうとするクリスを追おうとしたが、流石に薄手のスウェット一枚という格好では寒かろうということに気付く。部屋に戻ってコートを取ってから急いでドアの外に戻った。が、そこにはもう彼女の姿はない。廊下を走って宿の外に出たところで、街の広場へと続く路地の先を進んでいくクリスの背中を見付けた。
 躊躇なく遠ざかっていく彼女を慌てて追おうとした。が、それを阻む声があった。
「あーあ、怒らせちまって」
 聞き慣れた声。腕組みをしたジュアンが、宿の壁に凭れながらにやにやとこちらを見ていた。
「お前ってホンット不器用っつーか、どうしてこう重要な局面で上手く空気を読めねえかねえ。もったいねえ奴」
「……見てたのか?」
 ジュアンの隣にはレイチェルもいた。しかし彼女は溜め息と同時に肩を竦めると、クリスの後を追って路地を走って行ってしまった。
 ジュアンへと向き直る。彼は俺の刺々しい視線を受けても、微塵も動じる気配がない。
「お前な、俺は部屋で寝てるって言ったろ。放っておけよ、鬱陶しい」
「オレだってお前なんか放っておこうとしたさ。でもあいつが」
「あいつ?」
「クリスさ」 ジュアンは人差し指で路地の先を指し示した。「あいつがお前のことを気にしていたから」
「嘘つけ。また調子のいいこと言って適当に切り抜けようったってそうはいくもんか」
「本当だって。オレがクリスを餌にお前を釣って何の得になる? せいぜいレイチェルのお守りをてめえに押し付けて身軽になれる程度だ」
「……ほう、要するにそいつが本音か」
「だーかーらあ」 ジュアンはがしがしと頭を掻き、やがてお手上げとばかりに両手を広げた。「や、もういいや。てめえみてえな朴念仁と話していたって埒が明かねえ。とっとと行こうぜ」
「どこにだよ」
「祭に決まってんだろ。それとも何か? このままあいつを怒らせたまま放置しておくか? まあオレはそれでも一向に構わんが、一応何かしら申し開きしとかんと好感度下げられて終わりだぞ」
 そのように言われてしまうと、もはや折れるしかなかった。ジュアンと二人で広場への道を歩きながら、これはこいつによって仕組まれた巧妙な罠だったのかとわずかながら邪推した。どこからどこまでがそうだったのかは分からないが、俺の足は作為的な何かによって広場へと動かされているとしか思えなかったのだ。
 広場へと近付くにつれ、太鼓の音に交じって笛や弦楽器の音色が陽気な音楽を奏でているのが耳に届くようになった。更に金属同士がぶつかるような音が彩りを添えるようにそれらに重なる。
「お前、踊るのは得意か」 藪から棒にジュアンが訊ねてきた。
「得意なように見えるか」
「いいや、からっきしって雰囲気だよな。愚問だったか」 はははとジュアンは肩を揺すった。「でもまあ、ここの踊りはお前でも上手く踊れそうな気がするぞ。むしろ得意分野なんじゃねえか」
 どういう意味だと訊こうとした時、路地を抜けてがやがやと大勢の人間で賑わう場所に出た。広場を楕円状に囲うように屋台と明かりが連なり、その中央では、沢山の見物客に取り巻かれる形で一風変わった光景が広がっていた。老いも若きも、男も女も、両手に短剣を持ってペアを組み、まるで一対一で戦うように剣をぶつけ合いながら思い思いに音楽のリズムに身を委ねている。
「ギマレスクさ」
 俺が踊りに見入っている間、ジュアンはどこからか二組の短剣を調達してきていた。嫌な予感を抱く俺をよそに、ジュアンは剣を一本真上に放り、くるくると回転しながら落ちてきたそれを器用に右手でキャッチする。
「安心しろ、刃は偽物だ。昔は本物の剣を使ってたみてえだが、さすがに危ねえし女子供が参加できねえってんでこういう形になったんだ」
「ギマレスク? てのは何なんだ」
「この踊りの名称だよ。一種の民俗舞踊とも言えるかもな」
 ジュアンの目が俺から逸れ、剣を両手に楽しそうに舞う民衆へと向けられた。釣られるように俺もそちらを見ながら、どこかにレイチェルとクリスの姿がないかと探してみた。
「二人一組で、ああやって両手に剣を持って踊る。見ての通り戦いを模しているんだ。お互いに目の前の相手をフォービドゥンに見立てて、家族やら恋人やら、故郷やら日々の生活やら、自分にとっての大切な何かを守る誓いを立てながら剣を振るうのさ――気持ちの上でだけの話だがな」
「へえ……詳しいな」 意外な思いでジュアンの横顔を覗き見た。彼はふっと頬を緩めた。
「何かの機会に拾った生齧りの知識でしかねえよ。実際にこの目で見るのは初めてだ。ま、いよいよフォービドゥン襲来の年に至ってなお陽気にこんなん踊っていられるこの街の住人の殊勝な心意気には驚いたがな」
 まさに同じ思いだった。形だけの誓いであり、実際にフォービドゥンが現れた際に果敢に戦いを挑む者がいるとは考えにくかったが、すべてを勇者に丸投げして死への覚悟を固めている人間が大多数の世の中で、踊りを通してこうしたパフォーマンスを繰り広げる街があるのも珍しい。
「先に言っておくが、誘うなら別の奴にしろよ」
 俺は、二人分の剣を持って隣に立つジュアンから半歩距離を取った。男と踊る趣味はないと主張したのもあるが、踊るという行為そのものに苦手意識が先行するのだ。柄じゃない、とも自覚している。
「勘違いすんじゃねえ、誰がてめえなんざ誘うか。気色悪ぃ」
 嫌悪を顔面いっぱいで示した後、ジュアンは「ほれ」、と一組の短剣をこちらに放ってきた。つい反射的に受け取ってしまった俺に、にやりと微笑して言う。「こういうのは可愛い女の子とか美人のお姉さんと楽しむのが定石ってもんだろ。オレはもう行くぜ。お前もそこらで好みの女を引っ掛けて来いよ」
「お前……ナンパする気か?」
「それもまた一興だが、その前にウチの可愛い女の子が下衆い野郎共に絡まれてるみてえだから回収してやんねえとな」
 後で散々叱ってやったが、一人でウロチョロ屋台を物色していたらしいレイチェルが、俺達から少し離れた場所の踊りの輪の片隅で、三人組の若い男達に何やら声をかけられていた。後にレイチェルから聞いた話によると、とある宿までの道のりを訊ねられていただけとのことだったが、奴らに卑しい下心があったことは確実だ。
「ったく、あいつは……」
 問題の現場へ向かおうとする俺の腕を、ジュアンが掴んだ。
「まあ待て待て。だからあっちはオレが引き受けてやっから、お前は向こうの女に声をかけて来い」
「はあ? お前、こんな時に……」
 こんな時にナンパを勧奨するなどどういうつもりだと抗議しようとした矢先、ジュアンの指が示す先を見て言葉の続きを飲み込んだ。広場の隅の方、祭の明かりが辛うじて届いている程度の薄暗がりに、一人丸太に腰掛けぼんやりと踊りを見物している者がいる。表情ははっきりとは見えなかったが、服装や髪色からその者が誰であるのかは容易に判別できた。と同時に、全身に妙な緊張が走った。
 間断なく鳴り響く軽快な音楽と金属音との合間に、ジュアンの舌打ちが短く挟まった。
「あいつ……あんな所で一人で暇そうにしてちゃ、声をかけてくれと誘ってるようなもんじゃねえか。オレみてえな男に目ぇ付けられる前に行ってこいよ」
「いや、でも……」
 いいのか?――妙なところで勘が鋭いジュアンには、俺の心の声など駄々洩れであったようだ。彼は最初きょとんと目を丸くし、次いで乾いた笑みで「お前な」と俺の肩に右手を置いた。
「何か勘違いしてるだろ。あいつはオレの女じゃねえぞ。変な虫が寄り付かねえよう見張ってはいるが、単なる昔馴染みの域を出ねえよ。恋人なら恋人だと始めっからそう自慢してる」
「……だから何だっていうんだ」
「いや……そうだな。だから安心して口説き落とせ、とも言えねえところだな。てめえには悪いが」
 ジュアンは右手をコートのポケットの中へと移し、レイチェルの方へと顔を向けた。「しつけえな、あいつらも」と呟き、再び俺を見る。
「まあいいや、この話は後だ。とにかくオレはあっちを片してからレイチェルを暫く面倒見ていてやっから、お前その間にクリスの機嫌を直しとけ」
 そうして彼は、続けてこう釘を差した。その時は「何だそりゃ」としか思わなかったが、その言葉の真の重みを後の俺は知る。
「いいか、仄かな好意程度なら許すが、本気であいつに惚れるなよ。後で泣きを見るのはてめえだからな」
Copyright © Azuma Kirigaya, All rights reserved.