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騎士の述懐

 - 21 -


 いつまでも隠し通せるわけがないと、彼も分かってはいたのだろう。
 あるいは自分なりにそれを明かす機会を決めていたのかもしれないが、少なくともこの展開は彼のシナリオ通りということではなかったはずだ。
「ユリウス……」
 驚きの形相に少しずつ憎しみの色を混ぜながら、レグルス王子は歪んだ口元で一つの名を紡いだ。右手は腰に差した剣の柄を握っている。
「アルバドールという国は、信じられないくらい身勝手な人間の巣窟だな。いや、人とすら呼べない……悪魔だ」
 俺は直立不動の姿勢を保ったまま、レグルス王子の言葉を真正面から受け止めるジュアンの背中を見つめた。『ユリウス』という聞き慣れない名前にしばし混乱に陥ったが、レグルス王子の目はジュアンにしか向いていなかった。
「悪く思うな。オレは自分の仕事をしているだけさ」 ジュアンはひょいと肩を竦めた。
「死に損ないの親父はどうした」
「とっくにあの世だ。てめえがうちの妹を嫁に寄越せと脅してきたショックで心臓が止まっちまったんだよ」
 くっ、と喉で笑う音。見ればレグルス王子の唇はこれでもかというほど引きつっていた。
「なるほどな。それでめでたく王位を得た貴様がしゃしゃり出てきたというわけだ……私を始め、全世界の人間を見殺しにするためにな!」
「っ、見殺しにするだなんて、兄はそんな……」
 ここで初めて、これまで沈黙を保っていたベラトリクス王女が悲痛な声を発するも、「うるさいっ、お前は黙ってろ」と夫に睨まれ、彼女は唇を噛みながら言葉の続きを封じ込めた。妻の発言権を奪ったレグルス王子の目は血走っていた。
「『世界の中心』だなんだと持て囃されているアルバドールが、文字通り世界の中心であったと知った時の私の怒りが貴様に想像できるか、ユリウス。貴様は、貴様らアルバドールの連中は、すべてを知りながら素知らぬ顔で全世界の民を欺き、フォービドゥンに恐れ戦く我々を防衛線の内側から悠々と眺めていた……。沢山の、罪のない命が失われると知りながらなあ……!」
「防衛、線……?」
 つい口から洩れてしまった呟きにより、レグルス王子の目がぎょろりと俺に向いた。瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。何やら複雑な事情が垣間見える目の前の出来事を蚊帳の外で傍観していたかったのだが、部外者ではいられなくなるであろうことをこの瞬間悟った。大きな運命の波が俺を飲み込もうとしている気配に総毛立った。
「そこの者。お前は記者だな?」
「えっ」
 平凡な身なりから察した、というより一目瞭然であったのだろう。俺の肯定を待たず、レグルス王子は剣の切っ先をこちらに向け、
「どこの国の記者だ。言え」
「あ……アルバドール、ですが」
「ほーう……運の良い奴だ」 意味の分からないことを言いながら、レグルス王子は憎々し気な目で俺を見た。
「アルバドールの民、ということはこの男の罪を糾弾できる立場にはないというわけだな」
「罪……ジュアンの、ですか」
「ジュアン? 誰のことを言っている」
 眉間の皺を深めたレグルス王子は、刃が示す先をジュアンへと転じた。
「ユリウスだ。ユリウス・ハドラー・アルバドール。まさか知らぬのか? アルバドールの第一王位継承者であるこの男を」
「……いえ……いや、でも……」
 これまでの会話の流れから、レグルス王子が言う『ユリウス』が誰のことを指し、そしてそれがいかなる人物であるかということも少し頭を働かせれば理解できることだった。しかし、その事実を受け入れられるかというとまた別の話だ。俺の席の隣でゴシップ紙を読み漁り、会社にいても碌に働かず存在意義が問われ続けていたこの男の正体がアルバドールの王家の人間だったのだと言われても、
「俄かには信じ難い話だよなあ」
 俺の心中を、ジュアンは的確に読み取った。穴のあくほどジュアンの背中を凝視していたのだが、彼はこちらに振り返らないでいた。首元辺りで束ねた長い髪を熱風に揺らしながら、淡々と言う。
「だが残念ながら、親父が死んだ今やアルバドールを統べる人間はオレだ。でもってオレは、保守的な親父と違ってハッキリとものを言う性質でね。ベラとの結婚を足掛かりにアルバドールを乗っ取ろうとするこの男の目論見をみすみす見逃すことなどできねえ」
「乗っ取るだと? 人聞きの悪い」
 すると醜いとすら思える悪役面が、再び俺に向けられた。
「おい、記者。フォービドゥンとはお前達にとってどのような存在だ」
「フォービドゥン?」
「千年に一度、世界を滅ぼさんと現れる巨大な悪魔。大地を割り、空を焼き、海を溢れさせ、この地上の生物という生物の殆どを死滅へと追いやる破壊の化身。まあこんなところか、奴に対する世の認識は」
「はあ……」
 生返事をしてから、俺はあることに気付いた。ジュアンは相変わらずこちらに背を向けたままだったが、身体を固くしているのが見て分かるのだ。緊張しているようにも取れるし、何かに身構えているようにも取れる。
 今思えばこの時彼は、恐れていたのだろう。今まで必死に隠してきた世界の秘密が、いよいよ世に漏れようとするこの瞬間を。下手をすれば真の破滅の始まりになりかねない、その瞬間を。
「だがな、その認識には一つ重大な事項が抜け落ちている」
 憎悪と愉悦の入り混じった声が続いた。ジュアンが項垂れるように下を向いた。勿体ぶるような間が置かれた後、レグルス王子は大きく息を吸い、一語一語を噛み締めるようにしてその言葉を吐き出した。
「フォービドゥンが滅ぼすのは、『アルバドール城及びその城下町を除いた』すべての地域、国々だということだ」

 嘘だろ、とまず呟いたような気がする。
 ひとしきり自分の中に空白の時が流れた。そして気が付いた時には、俺の目はジュアンの背中へと戻っていた。
 辺り一面火の海という状況に変化はなかったのだが、額を流れる汗は生温いものから冷えたものへと変わっていた。もう一度レグルス王子の言葉を心の中で反芻し、改めてジュアンが何か言葉を発するのを待った。といっても、静かに両手で顔を覆ったベラトリクス王女の仕草を見て、否定の言葉は出てこないであろうことを予感した。
「どうだ、驚いたろう」
 レグルス王子が勝ち誇った顔で鼻の穴を膨らませた。嬉しかったのだろう、アルバドールが長年ひた隠しにしていた国家機密を、国王の目の前で、一般市民に、それも記者に暴露してやったことが。また、優越感も抱いていたに違いない。何せベラトリクス王女と結婚することで、彼はアルバドールの系譜に割り込むことにまんまと成功したのだ。そうすれば、アルバドールという安全地帯に堂々と身を置き続けることができる。フォービドゥンによる殺戮から免れることができる――
「……おおっぴらにできなかった事情を察してくれ」
「ジュアン……」
 ジュアンがようやく重々しい動作で振り向いてきた。初めて見る彼の苦渋に満ちた表情に、ぎゅっと心臓を掴まれるような心地になった。
「こんなことを公にしてみろ。どうなるか分かんだろう。箝口令を敷こうが何をしようが、人に口がついている以上情報ってもんはいつしか必ず国の外に漏れていくもんだ。そうなりゃ全世界の住民がアルバドの街へと押しかけてくる。アルバドの居住権を巡って大混乱に陥る。最後には殺し合いだ。オレ達アルバドール王家の人間としては、自国民の命と安全な生活をまず第一に守る義務がある。だから――」
「だから、他所の国の人間には構わず死んでもらおうって話か! ええ!?」
 レグルス王子の怒鳴り声が炎を揺らした。ジュアンも負けじと目を吊り上げてまくしたてた。
「うるせえな、誰もんなこた言ってねえだろうが! ディルクの野郎がどこまでべらべら喋くったか知らんが、うちの国だってフォービドゥンの全てを把握してるってわけじゃねえんだ! フォービドゥンが出てくんのも奴の破壊行為も未然に防止できるもんならそうしてえが、残念ながらその方法が分からねえ。そんでも可能な限り即座に仕留められるよう準備してるところだってのに、てめえみてえなぼんくら馬鹿に横槍を入れられちゃあ長年の計画がパーだって話だ!」
「横槍だなどと……馬鹿馬鹿しい」 やれやれ、というふうにレグルス王子は首を横に振った。「アルバドールがどのような対フォービドゥン策を練っているかは知らんが、それを邪魔しようなどと私は露ほども考えておらんぞ。ただ生き延びる術があるなら、どのような手を使ってでも活用させていただこうって話さ。何せ私も、人並みに命は惜しいものでね」
「調子のいいこと言ってんじゃねえ、てめえの頭の中なんざすべてお見通しだ。ベラと結婚したてめえが成すべき仕事は一つ。まずは適当な理由をつけてアルバドール城に生活の拠点を置く。隙を見てオレやベラを消す。するとアルバドール国王の御鉢がてめえに回ってくる。そうして手に入れた権力を笠に着て自分の身内をアルバドールに呼び寄せ、フォービドゥンが他国を消滅させるのをてめえは玉座に座りながら安穏と見物する。すべてが終わった時には世界の全部が自分のもの、って寸法だ。どうだ、否定できるもんならしてみろ」
「ははは、酷い言われようだな」
 ある日突然自国以外のすべての国々が事実上消え失せ、世界に一つぽつねんと残されてしまった国の王に誰がなりたいのだと俺のような凡人は思う。だが、幸い、という言い方も変だが、アルバドールという国には国交を断絶しても自立し続けられるだけの産業技術と豊富な資源、国力がある。片田舎の小さな農村が取り残されるというような話とは訳が違うのだ。逆説的に考えれば、世界に一つ残される運命だからこそ、アルバドールはあらゆる産業分野をぬかりなく成長させることに注力し、その結果が現在の発展ということになったのではないか。やがて滅ぶ世界の中心で、誰にも頼らず自分達だけで生き、生活を続けていくために、長い長い年月をかけて着実に準備を進めてきた――
「どのみち、てめえの思い描いている通りに事は運ばせねえよ」
 ジュアンは続けて、どすの利いた声でレグルス王子に言い放った。「生憎だが死んでもらう。今、この場でな」
「! 兄さま……!」
 瞠目し、顔を青褪めさせたのはベラトリクス王女だ。肝心のレグルス王子はまるで臆した様子がない。ははは、とまた芝居じみた笑い声を上げたかと思うと、素早い動作で横にいるベラトリクス王女の髪を掴んで自分の胸元へと引っ張り寄せた。そして彼女の首に、持っていた剣の刃を宛がった。
「状況を見極めてから物を言うことだ、と助言しておいてやろう。貴様が指一本でも動かした時点で、可愛い妹の首は地に落ちるものと思え」
「はあ? 今こいつを殺したらてめえはアルバドールに逃げ込む名目がなくなるじゃねえかよ」
 ジュアンが指摘したが、レグルス王子は余裕の態度を崩さなかった。「心配ご無用、証拠隠滅も情報操作もお手の物さ。何をそんなに殺気立っているのかは知らんが、とにかく落ち着いたらどうだ。貴様は単に、大事に大事に守ってきた『世界の秘密』を世に広められたくはないというだけであろう? 私は決してこのことを他言しない。誓おう。それに貴様らを殺そうだなどと下らん妄想に過ぎぬ。だから余計な邪推などせず、お互いの利益を尊重する方向に話を持っていくのが国王としての賢明な判断であると考えてはどうだ」
 そうだ、と内心俺もレグルス王子の言葉に同意していた。レグルス王子を殺すといっても、ジュアンは丸腰であるはずだ。グレバドス城には危険物を持ち込むことができないし、城門での所持品検査をジュアンも俺と一緒に通っている。果敢に素手で挑もうにも、ベラトリクス王女を人質に取られているこの状況からして、ジュアンに勝ち目などあるわけがない。
 だが――
「欲の権化でしかねえてめえの言葉なんざ信用できるわけねえだろう、というのが国王としての俺の判断だ」
 顔面を硬直させているベラトリクス王女をよそに、あくまでジュアンは一歩も譲らない姿勢を貫いた。何故彼がこれほどまでに強硬な態度に出られるのか、その理由を俺はまもなく目撃することになる。
「我がアルバドールが、ただ何もしねえでぼんやりとフォービドゥンの出現を待っていただけだと思うか」
 ふっ、とジュアンの肩から力が抜けたように見えた。と同時に、室内の炎勢が増した気がした。波が荒れ狂うような動きで、かつ何らかの意思が介入しているかのような動きで炎はレグルス王子らの周囲へと集まり始めた。
 不穏な気配を察知したのか、レグルス王子はせわしなく周囲へと視線を巡らせた。「何を……」と気弱な声がその口から漏れた。
「奴に……フォービドゥンの野郎に対抗し得る力を保持するため、かつてのアルバドール王家は消えゆく『魔術』の力を何とか後世に遺せねえかと血の滲む研究を重ねてきた。いつかフォービドゥンを討つために、勇者という最終兵器に頼らずとも、自らの手で平穏な世界を取り戻すために。その努力の結晶が……こいつってわけだ」
 ジュアンの声に呼応するように、炎が唸りを上げた。部屋中を包む炎は、相変わらず何も焦がすことがないまま猛烈な熱さだけを放っていた。不思議だ、と俺は改めて炎を見た。魔術なのか、これは。しかもジュアンが、この炎を操っている。この時点では今一つ現実味が湧かなかったのだが。
「そういったわけでてめえにとっちゃ悲報だが、今のオレにはてめえなんぞ指一本動かさんでも簡単に葬れる術がある。諦めろ」
 悠然とジュアンは言い放った。これに対しレグルス王子はぐっと声を詰まらせたが、ベラトリクス王女を拘束する腕に力を込め直すと、精一杯の強がりとも思える作り笑いを見せた。
「私を焼き殺す気か何か知らぬが、状況を見極めてから物を言えと言っているだろう。私を焼けば貴様の妹も道連れだぞ。簡単な理屈だ」
「早とちりすんなよ。別にてめえを焼死体にするだけが手段じゃねえんだぜ」
「な……んだと?」 レグルス王子の表情が凍り付いた。
「この炎はオレの意思一つで変幻自在に在り方を変える。例えば刃物の形に変えててめえの心臓を……」
「兄さま! 止めて!」
 突如ベラトリクス王女がたまりかねたように声を上げた。「レグルスの言う通りよ。この人は絶対にフォービドゥンの秘密を外に漏らしたりしないわ! それに……私たちを殺したりなんかしない。この人にそんな度胸あるわけがないって、兄さまも分かっているでしょう!?」
「大事な肉親や家族の命が掛かってるんだ。たとえこいつがノミの心臓だろうと、人の一人や二人殺すのに大した勇気はいらんさ」
 ジュアンの返事は取り付く島もなかった。それでもベラトリクス王女は兄の行動を制止しようと懸命に説得を続けた。
「でも、それでも……殺して解決だなんて兄さまらしくない! 兄さまはいつだって悩んで悩んで、正しいと思える道を探りながら一生懸命自分にできることをしてきた。あなたは私の自慢の兄であり、今やアルバドールの国王よ。人殺しなんて……悪党のすることじゃない!」
 ふっ、とジュアンは鼻で笑った。
「オレをどんだけ買い被るつもりか知らんが、ベラ、オレは国王である前にただの人だ。無力で、薄情で、ちっぽけな男さ。おまけに頭も悪けりゃ何の素養も教養もねえ。アルバドールの国民にとってこれほど残念な王はいねえよ」
「兄さま……!」
「ジュアン」
 ぴく、とジュアンの肩が動いた。ジュアンの向こうにいるレグルス王子とベラトリクス王女の驚いた目が、一斉にこちらに向いてきた。
 ここで初めて俺は自分がジュアンの名を呼んでいたことに気付いた。殆ど無意識の発言だった。しかしかけるべき言葉はしっかりと胸の中に存在していた。
 ジュアンの背中を見つめ、俺は言った。
「よせ……止めておけ。後で後悔するぞ、絶対に……。『もっと別の、最良の手段が必ずあったはずだ』と」
「…………」
「込み入った事情はよく分からないが、本当にレグルス王子を殺すしか方法がないのか。話し合いで解決するのが無理でも、もっと穏便に済ます方法が何かあるんじゃないか」
 ディルクを殺す覚悟を決めた人間が、よくもまあいけしゃあしゃあと説得性の欠片もない台詞を吐けたものだと今になって呆れかえる。だが、自分が罪の意識に苛まれるのは良しとしても、同じ苦悩を他人が味わうというのはまた別の次元の話だ。
「ジュアン」
 ジュアンの背中は何も語らない。迷っているように見えたのは、単に俺の願望がそうさせていたに過ぎないのかもしれない。
 実際には数秒でしかなかったであろう沈黙の間が、果てしなく長く感じられた。束の間の膠着状態を破ったのは、奇声とも言えるレグルス王子の叫び声だった。
 彼は拘束していたベラトリクス王女を突き飛ばし、突然剣を構えて斬りかかってきたのだ。鬼神のような形相で、ジュアンに向かって、一直線に――
「! ジュアン!!」
「ちっ……!」
 ジュアンは素早く右手を振りかざした。管弦楽団の指揮者を彷彿とさせる構えを取った彼に、ベラトリクス王女から「兄さま!!」と悲鳴のような声が上がった。
 室内の炎全体が滑るようにジュアンの右手の先へと収束していった。かと思うと、球状に圧縮されたそれは細長い槍のような形に姿を変え、空間を切り裂かんとする速度でレグルス王子めがけて飛んでいった。
 回避も防御もできようはずがなかった。炎の槍はレグルス王子の胸部を容易く貫通し、その衝撃で彼の身体は仰向けになって床に倒れた。そして、
「ぐああああああっ」
 レグルス王子の悲鳴と共に、彼の身体から再び燃え上がる炎。
 たちまち彼は火達磨へと変じた。消火を試みてというより、苦痛に耐えかねるように彼は床の上でのたうち回った。俺はただただ呆然とそれを眺めることしかできなかった。
 この時点で、壁や天井で激しく燃え盛っていた炎は消えてなくなっていた。背後の出口の火も消えていたわけだから、外に助けを求めに走ることも可能だったわけだ。
 だが俺は胃からこみ上げてくる何かを耐え、がくがくと震えたがる足を叱咤して立ち竦むだけで精一杯だった。人が生きながらにして炎に包まれる様を目の当たりにするのは流石に初めてのことであり、それはある意味人生最大の恐怖の体験であったとも言える。
 ふと、言葉にならぬ声を発しながらばたばたと転げまわるレグルス王子の後ろで、ベラトリクス王女が死人のような顔つきで床にへたり込んでいるのに気付いた。それを見た途端、俺の心に静かに怒りが沸き上がってきた。殺すなら殺すで、一思いに息の根を止めることもできたはずだ。殺人に人道も非人道もあったものではないのかもしれないが、自分の妹が見ている前で人を焼殺、という方法はあまりにも目に余った。
 俺は侮蔑と怒りの入り混じった目でジュアンを睨みつけた。背中に突き刺さる尖った視線に気付いたのか、ジュアンは肩越しに俺へと振り返ってきた。
「んな怖え顔すんなって。大丈夫だ、死にゃあしねえよ」
「……は?」
 俺が懐疑的な声を発した途端、変化はすぐに訪れた。レグルス王子を焼いていたように見えた炎が、すっと彼の身体に吸い込まれるようにして消えたのだ。
 レグルス王子は、床に這い蹲る格好のままぴたりと動きを止めた。あれだけの猛火に包まれながらも、やはり彼が纏っている衣服や彼自身に焼けたり焦げたりしている痕跡は見受けられなかった。
「な……んだ、どういう、わけだ……」
 呆けたように言ったレグルス王子は、まず自身の頭部に手をやった。真っ先に確認したかったのは、自身の頭髪の無事ということらしい。
「本当は骨一本残さず消し炭にしてやるつもりだったんだが、気が変わった」
 国王としての倫理が問われるレベルの物騒な台詞を吐いた後、ジュアンは一歩前に進んだ。びくっと肩を震わせたレグルス王子に、続けて告げた。
「たった今、てめえに呪いをかけた」
「呪い……だと……?」
 ああ、とジュアンは頷いた。「正確に言うなら今の魔術をてめえの中に封じ込めたわけだが、まあ実質的には呪いってやつだ。てめえが生きて息をしている限り、この呪縛からは未来永劫逃れられない。今は何も感じねえだろうが、てめえが少しでも不穏な動きをしようもんならてめえの中に封じた炎がすぐさま燃え出す仕組みになっている。しかも今みてえにただ熱さを感じるだけじゃねえ。内臓からじわじわ焼かれて、溶かされながら、時間をかけてなぶり殺しにされるんだ。そういう地獄を味わいたくなけりゃ、アルバドールの隅っこで大人しくしてろ。それがてめえを生かしてやる条件だ」
 分かったか、と最後に彼は念押しした。「はひっ」というレグルス王子の裏返った声が、部屋の中に反響した。彼の目には涙が浮かんでいた。
 突然の火災、そして突然の鎮火、火災の痕跡など微塵も感じさせぬ室内、という不自然な事象に、レグルス王子は『グレバドス城の最先端の技術を結集させたサプライズ演出』というやや雑な説明を添えて騒動の終結を図った。彼はその後、ベラトリクス王女を正式に妻として娶ったことを公にすると同時に、自身が難治性の大病を患い、アルバドールの名医の元に身を置き治療に専念するといった趣旨の発表も執り行う。
 勿論、病気など嘘だ。実際には念願のアルバドール入りを果たした彼は、アルバドール王家の監視の下、街の外れの粗末な小屋に半幽閉状態となる運命にあった。正体がばれぬよう、髭を生やし、眼鏡をかけ、着たこともない庶民の普段着を着用するよう強制され、それらの処遇に文句の一つも言えぬまま――
 唯一彼にとって救いだったのは、大事な頭髪だけはそのまま残しておくことを許されたことだろう。救われたといえばベラトリクス王女もだ。兄が人殺しにならずに済み、また自身も一応レグルス王子というお荷物は捨てた上でアルバドールに戻ることができた。
 めでたし、めでたし――と子供に読み聞かせられるような王子と王女の婚姻譚ではなかったけれども。

「……お前をどういう目で見ていいのか分からなくなった」
 グレバドス城から宿に帰る馬車の中で、俺はジュアンにこう漏らした。貸切馬車の狭い客室の中で、俺とジュアンの二人はお互い反対側の窓の外を眺めていた。
 婚姻式典の後に控えていた、というより個人的にはメインイベントであったはずの食事会には勿論参加する気にもならず、執拗に何事か話しかけてくるアガプキンを適当に往なして帰路についた。ちょうど昼食時であったのだが、食欲など微塵も湧いてこなかった。
「いや、『お前』って言い方もそもそもアレか。ジュアン様……いや、ユリウス様とお呼びするべきなのか」
「お前にそう呼ばれると慇懃無礼にしか聞こえねえな」 ジュアンは鼻の下を掻いた。「そもそも本名で呼ぶのはやめろ。つってもまあ、『ユリウス』なんざありふれた名前だし、オレの顔を見て王家の人間だと分かるような奴はいねえだろうけどよ」
 そうなのだ。アラム・ハドラー・アルバドール国王に息子と娘が一人ずついるのは誰もが知るところだが、息子であるユリウスは公の場に姿を現したことがなく、その人物像は謎のままとされてきた。『ろくに国政に関与しない放蕩息子』というレッテルだけが独り歩きしてきた状態だ。
 何故そういう生き方をしてきたのか。そして偽名を用い、身分を偽り、大陸中央新聞社に紛れ込んでいたのか知りたい気持ちは勿論あったが、この時はそれらの疑問を口に出す精神的なゆとりが全くなかった。とにかく疲れ果てていた。アルバドールが隠してきた事実、ジュアンの正体、レグルス王子にかけられた呪い――これらのことを自分の中に受け入れるには、もう少しだけ心の整理をする時間が必要だった。
「オレとお前の仲じゃねえか」 ジュアンは言った。「立場の違いなんてちっせえこた気にしねえで、今まで通りざっくばらんに接しろよ」
「…………」
「まっ、どうしてもっつーんなら肩揉みくらいさせてやってもいいけどよ〜」
「……お断りする」
 ジュアンなりの気遣い、と解釈するべき申し出であったのだと思う。だが俺はどうしても、胸の中に靄のように漂う複雑な気持ちを取り払うことができないでいた。いくらジュアンが親和的な関係を求めてこようと、これまでと同じように彼に正対できるかどうか分からなくなっていた。
 俺は、苦痛と恐怖で顔面を崩壊させながら炎の中もがき回るレグルス王子の姿を思い出した。いや、正確にはずっとその光景が頭の中から離れずにいた。
「なあ」
 半分ほど開けた窓から吹き込んでくる風を頬に受けながら、俺はジュアンに話しかけた。
「もし……もし俺がアルバドールの人間じゃなかったとしたら、お前はあの時俺にも同じ呪いをかけたのか」
 俺が他国の人間だったとして、あの場でフォービドゥンの真実を知ったとしたら、俺はどのような行動を取ったのだろう。国家機密という言葉ですら安いくらいの衝撃の事実だ。勢い勇んで記事にしただろうか。あるいはレグルス王子と同じように、アルバドール国籍を手に入れるべく死に物狂いで試行錯誤しただろうか。自分一人でも、生き延びるチャンスをものにするために。
「…………」
 押し黙ったままのジュアンに、「どうなんだ」と問い質す気にはなれなかった。また、彼の方に顔を向ける気にもなれなかった。
 見られたくもなかったのだ。フォービドゥンに殺されずに済む権利を得たことにほっとしている自分の、薄汚れた心が滲む醜い顔を。
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