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騎士の述懐

 - 23 -


 生贄のままだ、彼女は――奴は言った。
「封魔石の研究やら兵力の強化やら、フォービドゥンの迎撃準備という名目で水面下であれこれ動いている点については評価する。だが、それらが効を成さなかった時の策はどうなのだ? 打つ手なしということで、結局は『勇者』に頼ることになるのだろう」
「仕留めてやるさ。必ず」
 決意に満ちた頼もしい言葉ではあったが、それとは裏腹にジュアンの顔は苦し気であった。奴の指摘を否定できない心苦しさが表情に現れているに違いなかった。そのような国王に、ディルクは憐れむような視線を送った。
「貴方のその、アラム王には欠片も存在しなかった固い意志と努力と根性は認めますが、事はそう甘くない。一国の王が本気を出すことでフォービドゥンを消せるというのなら、とっくの昔のどこかの時代にそのような前例が伝記となって遺っていたはずなのだ。結局、頼みの綱は勇者だけ……貴方もそれを分かっているから、彼女を手元に置いて放さないのでしょう。そして彼女を城から連れ出し、どこかに匿い、私の目から遠ざけた。いつか私が、彼女を連れてどこかへ逃げ出すのではないかと見越して、ね」
「く……っ」
 ジュアンの視線が地面に落ちた。それは、奴に言い負かされた敗北宣言に等しい行為に見えた。
「貴方は、アルバドールという国は、多くの人類を守ろうとはするがたった一人の人間は守ろうとしない。ならば私だけでも彼女を守る。勇者の不在により世界がどのような運命を辿ろうとも、そして結果的に我々が死することになろうとも、彼女の人生は最期まで何者にも縛られず自由であるべきなのだ」
 俺は饒舌に語る奴の顔を見た。そして心の中ではこう問いかけていた。『もし、勇者がクリスでなく別の人間であったとしても、お前は同じことができるのか』と。何だかんだ正義ぶったことを述べ立ててはいるが、結局は恋人を奪われたくないというエゴを剥き出しにしているだけに過ぎないのではないか、と。
 しかし、それを口に出すことはしなかった。訊くまでもないと感じたからだ。
 奴は本気でクリスと駆落ちをするつもりなのだ。恋人の命が化け物を消すための道具のように使われるくらいなら、この世界がどうなろうと知ったことではないということなのだ。
 また、奴が勇者を殺そうとしているという城の人間の言葉と、奴の主張との矛盾についても推測ができた。『勇者である恋人と駆落ちをしようとしている男を殺せ』、といっても道義的な面で他者の同意を得られにくいが、『奴が勇者を殺そうとしている』と言われれば躊躇する理由がなくなる。要は我々新聞社の人間を焚き付け、この男を殺し、勇者を手元に確保しておくために、城の人間は自分達に都合の良い偽の言い分を用意したというわけだ。
 そうと悟ると同時に、あれだけ漲っていたはずのディルクに対する殺意が、まるで雨水に洗い流されるように身体から抜け落ちていくのが分かった。俺は、離れた場所に横たえたままのクリスを見た。彼女からは相変わらず死の気配しか感じ取れなかったが、彼女が勇者であると判明した今や、「彼女は死なない」というこの男の言葉に妙な説得力をも感じていた。
「どうだ、それでも私を殺したいか」
 問うてくる声に、俺はゆっくりと視線を奴へと移していった。奴は小さく首を傾けた。
「いや、殺したいだろうな。私を殺し、彼女が勇者だと知る人間を殺し、彼女と二人でひたすら遠くへ逃げ隠れたいと思っているはずだ」
「てめえと一緒にすんじゃねえよ」 俺の代わりにこう一蹴してくれたのはジュアンだった。「誰かのために誰かを殺すなんつー腐れ外道はてめえ一人で十分だ」
 だが奴はそれを無視し、俺から視線を逸らさないでいた。俺を生かすか殺すか決めるため、俺の返答を待っているに違いなかった。
 俺は再びクリスへと視線を転じた。もはや彼女に対する自分の感情を誤魔化しきれないのは分かっていたが、俺には奴を殺すどころか、この男から彼女を奪い、彼女をどこかへ連れ去る資格も力もないことを痛いほど実感していた。
 何故なら、ふと思い出したからだ。あの時の彼女の言葉を。奴に対する痛切な思慕の念を。
 誰かが自分の心臓を握り潰しているのではないかと思うほど苦しい感覚に襲われるが、それでも俺が聞いたあの言葉は曲げようもない事実だ。それから目を逸らすことはできない。
 声に悔しさを滲ませぬよう努力しながら、しかし奴の目を見ることはできぬまま、
「クリスは……」
 俺は口を開いた。全員の視線が集まってくるのを感じた。敗北感のようなものが肩に重く圧し掛かってきたが、ぐっと耐え、続く言葉を一息で言い切った。
「お前と生きたいと、そう言っていた……」
 ――雨がより激しさを増す。ジュアンが舌打ちをし、奴が「そうか」と満足げに呟くのを、俺は雨水が打ち付ける路面を眺めたまま聞いた。
 こんなことになる前に、こいつを銃で撃ち殺してやっていればこれほど辛酸を嘗めることなく済んだのかもしれないと運命を呪った。だが逆に、クリスは悲嘆に暮れただろう。やはり銃は置いてきて正解だったのかもしれない。
 ともあれ、俺の戦意が消失したことを確認したディルクは、今度は自分の背後で体勢を立て直そうとしているジュアンへと再度狙いを定めた。大儀そうに身体の向きを変えると、剣を顔の正面で構える独特のポーズを取った。アルバドール騎士団が儀式の際に用いる伝統的な構えなのだと、後にジュアンが教えてくれた。
「できれば貴方とも和解の道を探れればなお良いのですが……」
「死んでもクリスは渡さねえよ」 ジュアンは言下に言い捨てた。
「……やはり交渉の余地はなし、ということですね」 奴は芝居がかった仕草で肩を竦め、直後、表情から一切の余裕を消した。「では、消えていただくしかあるまい。たとえ貴方が我が国の王として君臨する男であろうと、彼女の自由を阻害する者は何人たりとも許すことはできぬ!」
 ディルクがジュアン目がけて地面を蹴る。せめて雨で濡れた地面に足を滑らせ尻もちでもついてくれればジュアンも迎え撃つ姿勢を取る余裕が生まれたのだろうが、当然のことながら奴はそのような無様な姿を晒さない。前屈みになって腹部の痛みと戦い続けるジュアンに、一直線に突き進んでいくのみである。
 今度こそ、あの世への片道切符を掴まされたかと思えた。だがここで、運良く強力な助っ人が現れた。
「させるかあー!!」
 聞き慣れた声。振り向くと、まず目に飛び込んできたのはどすどすと巨体を揺らして爆走してくるスノウ・ベア――アトラスの姿。そのだいぶ後方では、この獣を使役する術者、レイチェルが魔術書を広げ、雨に濡れながら立っている。彼女の足下には、黒色の傘が開いたまま地面に転がっていた。
「なっ……!!」
 さしもの猛者も、何かと想定外の事態であったようだ。走りながら肩越しに振り返ったディルクは、猛然と突き進んでくる巨大な獣の姿を見付けると、大きく目を剥いて足を止めた。アトラスに向かって剣を構え直す時間的な、あるいは精神的なゆとりがなかったらしく、獣との正面衝突を回避できなかったディルクの身体は、馬車に撥ねられたかのような勢いで虚空に放物線を描き――数メートル先の民家の壁に全身を打ち付けた後、声もなく地面に沈んだ。
「っ、クリス……! やだっ、どうしちゃったの!?」
 レイチェルが駆け寄ってきた。そのままクリスの元へと走ると、路上にできた血だまりに仰天したのだろう、彼女は両手で自分の口を塞ぎ、顔面蒼白になった。
「ねえ、嘘、死んじゃったの!? 返事してよ! ねえってばあ……!」
「レイチェル、よせっ、動かすんじゃねえっ」 クリスの肩を揺さぶるレイチェルを、ジュアンの声が制した。「そっとしとかねえと傷口が塞がらんだろうが!」
「う……」
 呻き声に振り向けば、ディルクが早くも壁に手をついて立ち上がろうとしていた。俺だったら即死だったと思えるアトラスの体当たりを受けてなおこの立ち直りの早さ、体力の方も化け物並のようだ。
「あいつなの? クリスをこんな風にしたのは……」
「レイチェル、あの男の動きを止められるか」
 目に見えそうなほどの怒気を撒き散らしてディルクを睨むレイチェルに、ジュアンが訊ねた。本当は「あいつを殺してくれ」と頼みたいところだっただろう。
 レイチェルは、「任せて」と大きく頷いてみせると、「アトラス!」と相棒の名を呼んだ。あの獣に本気で襲わせれば、結果的にはジュアンのお望み通り奴を死に至らしめる事態を招きそうなものだが、奴も身の危険を察知したのか、アトラスの目が奴を捉える前に路地とすら呼べない狭い建物の隙間へと身を滑り込ませた。「あっ、ずるい! とんずらこく気!?」
「くそっ……エリオット!!」
 逃がすな、というジュアンの意は汲み取れた。この場で奴を殺す気は失っていたが、俺の足は咄嗟に消えていったディルクの姿を追っていた。途中、地面に落ちた剣の片方を拾い上げる。
 奴が入り込んでいった二つの建物の隙間は暗く、人一人通るのがやっとという狭さだった。これではアトラスも追うことができない。
 早くも建物の裏側へと抜けてしまった奴の背を追いかけ進んでいくと、薄汚い雰囲気が漂う裏路地へと出た。底が抜けたバケツや壊れた看板やらが、雨でぬかるんだ土の上に野晒しになっていた。生ゴミのような不快な臭いが身体に纏わりついてくるのに顔を顰めながら、きょろきょろと辺りを見回した。
 そこに奴の姿はなかった。と思いきや、馬が嘶く声と、遠ざかっていく蹄の音が背後から聞こえた。
 はっとして振り返る。立派な体躯の黒馬に跨った男が、黒いマントを棚引かせて去っていく後ろ姿。
 雨にけぶる路地の向こうへとあっという間に消えていく男を、俺はその場に突っ立ったままぼんやりと見送った。そうすることしかできなかった、というより、追いかけるほどの執念を失っていたといった方が正しい。頭の中に浮かぶのは、歯ぎしりしながら地団駄を踏むジュアンの姿だけだ。
「エリオット!」
 レイチェルが追い付いてきた。ディルクが去っていった方を指差し何やら俺にまくし立ててきていたが、殆ど聞いていなかった。
 雨にそぼ濡れた身体の冷たさだけを感じ取ることに専念していたかった。


 雨脚は若干弱くなったものの、宿に戻ってからも依然として細かい水の粒が窓ガラスを叩き続けていた。
 各々濡れた服を着替え、沈鬱な顔をしながらベッドの周りに集まった。俺とジュアンとレイチェルが見守る中、ベッドの上のクリスは穏やかに眠っているように見えた。
「すごい、不思議……」 レイチェルがクリスの顔を覗き込みながら、しみじみと言う。「あれだけ血が出てたのに、もう傷口が塞がっちゃうなんて」
 その上、肌の血色もかなり良くなっていた。ディルクを取り逃がしてから宿に戻り、こうして人心地が付くまで一時間も経っていない。というより、普通ならあのまま死んでいたはずなのだ。
「……勇者ってのは、常人離れした自然治癒力を持って生まれてくるんだ。大抵の傷は放っときゃ治るし、性質の悪い疫病に罹ろうと絶対に死にはしねえ。全身木っ端微塵にでもされねえ限りはしぶとく生き続けんのさ――フォービドゥンを殺すまでな」
 窓に寄りかかり、腕組みをして立つジュアンが答えた。濡れた前髪からはまだ雫が滴っていた。
「にしたって、今回はオレの痛恨のミスだったと言わざるを得ねえわな」 ジュアンは大仰に溜め息を吐き、クリスの寝顔を見つめた。「オレ達は奴にここまで誘き出されたようなもんだ。奴がフォービドゥンの秘密をこの国のボンクラ王子に漏らしたのも、オレがレグルスの口封じに来ることを見越してのことだったんだろう。そこまで想像できてたんだから、一瞬でもクリスから目を離すべきじゃなかった。抜かったぜ」
「…………」
 大事な『生贄』を横取りされないためにか、という皮肉は何とか心の奥に飲み込んだ。代わりに、ずっと気になっていたことをジュアンに訊ねた。
「ところで、あれは何だったんだ。お前まで魔術が使えるなんて話は聞いてないぞ」
 グレバドス城で目の当たりにした不思議な炎、そしてディルクとやり合った時に現れた光の剣。どちらも大昔に滅失したとされる魔術としか説明のつかない現象である。
「ああ、ありゃあ魔術っちゃ魔術だが、まあ……」 ジュアンは組んでいた腕を解き、ズボンのポケットから先ほどと同じものを取り出した。例の小さなガラス球だ。指で摘んで俺達に見せたそれを、きらりと光らせる。
「こいつはその昔生きていた魔術師たちが、自身の術を封じ込めて後世に遺したものさ」
 ディルクが先ほど口にした、『封魔石』という名称をジュアンも用いた。「こいつから術を引き出して使いこなすにはそれなりの知識と訓練が必要になるが、上手く扱えば魔術と同等の効果を発揮できる。大抵は遺跡なんかを発掘する際に土の中から出てくるんだ。つっても、このちんけなガラス球が封魔石だってことを知ってんのは、アルバドール城の関係者だけだけどもな。他所の国じゃあ、出土されてもせいぜいガキの玩具として回されるような扱いさ」
「他国にはこの石の真価は秘密ってわけか」
「軍事政策的な面からして、自国が手に入れた強大な力をわざわざ他国に伝授してやる馬鹿な国王はいねえってもんだぜ」 それに、と言ってジュアンは封魔石を手の中に握り、薄く笑った。「この力はな、魔術の力が次第にこの世から薄れつつあるのを悟ったご先祖様方々が、オレ達のために遺しておいてくれたもんだと思っている」
「俺達のため? どうして」
 ジュアンは真顔で顎を引いた。「オレ達がフォービドゥンを倒すために、だ」
「えええっ!?」 とすぐさま驚きの声を上げたのはレイチェルだった。「フォービドゥンを倒す、って……おじさん、本気なの?」
「冗談でこんな大それた話ができっかよ」 本気度を疑われたためか、それとも国王という身分を明かしてもなおレイチェルのおじさん呼びが継続されるためか、ジュアンは不満そうに口をへの字に曲げた。「親父……前国王は勇者に全部丸投げするつもりだったようだが、オレが跡を継いだからにはクリス一人にばかり重い役目を背負わせたりなんかさせねえ。この国で発生する厄介事は、この国の人間全員が平等に分担して片付けるべき問題なんだ。当然、フォービドゥンなんつー化け物を相手にするからにはそれなりの犠牲も避けて通ることはできねえだろうが……本当の本当に『最後の手段』として勇者としての責務を果たすってことにならねえと、納得できねえだろうが、クリスも」
 話しながら、徐々にクリスから目を逸らし、終いには窓の外へと視線を移してしまったジュアンに俺は苦笑を浮かべた。心にやるせなさが重く堆積する中、精一杯作ってみせた笑みだった。
「ディルクが聞いていたら、逆上して切り刻まれそうな台詞だな」
「念の為訊いておくけどよ」 ジュアンの目がちらりとこちらを向いた。その眼差しにはやや鋭い光が宿っていた。「お前はどっちの肩を持つつもりなんだ」
 レイチェルの大きな目も俺へと向けられた。いつか来るだろうと覚悟していた問いだった。俺は、あらかじめ用意しておいた模範解答を口にすることでこの場を凌いだ。
「俺は、クリスの味方さ」
 葛藤しているのだろう、彼女も、と思った。残り少ない人生をディルクと添い遂げたいと願う一方、勇者としての自分の立場を認識し、その務めを果たさねばとも思っている。だからこそ、逃げずにこの場にいるのだ――ディルクへの恋心を胸に抱えたまま。俺は、そんな彼女の意志を尊重してやることしかできない。
「炎の封魔石をもっと準備しておきゃ良かったな」 ジュアンは再び窓の外へと顔を向け、悔しそうに舌打ちをした。「あのボンクラを脅すのに使い過ぎた。ディルクの野郎もあんなタイミングで現れたりなんかしなきゃよ……」
「……手段を選んでいられないというのは分かったけどさ」 俺は言った。「本当に殺すしか方法はないのか? その封魔石とかいうものを使えば、生け捕りにして投獄しておくとかできそうなもんじゃないか」
「そりゃできなくはねえけど、奴は十三人もの人間を殺している。どのみち裁判になりゃ死刑さ。クリスもそれを分かってる」
「でも……」 レイチェルが憂いを帯びた目でクリスを見ていた。「目の前で恋人が殺されるのって、どうなの? 恨まれるだけならまだしも、自暴自棄になって勇者としての役割なんてどうでも良くなっちゃうかもよ」
「そん時は……」
 ふとジュアンは口を閉ざした。床の一点を見つめたまま動かない彼を見て、俺達の反感を買うであろう台詞を飲み込んだのだろうと察した。――その時は、力づくでもフォービドゥンの前に引きずり出すまでさ、とでも言おうとしたのだろうか。
 やがてジュアンは顔を上げた。「……そん時は、クリスに平身低頭して詫びを入れてひたすら頼み込むしかねえわな」
「……ふうん」
 やや釈然としない面持ちで、レイチェルはジュアンから部屋の壁時計へと視線を移した。ジュアンと俺もそれに倣った。時計の針は、午後三時を示そうとしていた。
「暗くなる前にここを発った方がいいだろうな」 ジュアンは組んでいた腕を解き、クリスが寝ているベッドの傍らへと近付いた。「いつまでもここにいたらまたあいつが狙ってこねえとも限らねえ。封魔石のストックももうあんまねえしよ」
「もっといっぱい持ってくれば良かったじゃん。トランクいっぱいに詰め込んでさ」
 レイチェルの的確な指摘に俺も内心頷くが、ジュアンは小さく肩を竦めた。
「この力は国の外には秘密だと言ったばっかだろうが。そこらで気安く魔術を放ちまくって下手に周りの注目を浴びるわけにはいかねえんだ」
 いっそ、封魔石の力を他国と共有し、世界全体で共闘してフォービドゥンに立ち向かったらどうだろうか――そんな風に一瞬考えたが、口に出していたらジュアンに「馬鹿か」と呆れられたことであろう。
 国政に全く関与しない立場の俺でも分かる。アルバドールが世界で唯一の安全地帯であると知れては、グレバドス城の炎の中で聞いたジュアンの言葉通りの未来が待ち受けているに違いないのだ。
 他国が手にした魔術の力は、フォービドゥンを倒すためには用いられない。アルバドールの住人を根絶やしにし、自らの国民をそこに住まわせるための武力として使われるに決まっている。
「とにかく今は無事にアルバドールに帰ることにだけ注力しろ。行きみてえにちょいちょい宿場街で骨休めってわけにはいかねえから、できるだけ水と食い物を買い込んで馬車に載せとけ」
「りょーかい!」
 レイチェルはジュアンに向かって敬礼のポーズを決めてみせた。「菓子ばっか買うんじゃねえぞ」とジュアンは彼女に釘を刺した後、俺へと向き直った。
「オレは幌馬車の手配をしに行ってくるから、お前はすぐに出発できるよう全員の荷物をロビーに運んどいてくれ」
 それが俺に下された指示だった。そして彼は強い語気でこう言い足した。
「くれぐれも気は抜くんじゃねえぞ。もし奴がここに現れたら、躊躇わずに撃ち殺せ。すぐにだ。いいな」
「そういう心配があるなら、役を交代した方がいいんじゃないか? お前がここに残った方が安心だろう」
 遠回しに不満な気持ちを吐露すると、「生憎、オレは銃は使えねえもんでよ」とジュアンは決まり悪そうに首の後ろを掻いた。
 封魔石などという強大な力を駆使できる男が銃を扱えないとはやや意外な気もしたが、一応はそういうことかと合点した。二人が部屋を出ていってすぐに荷物の整理と運び出しに取り掛かり、その仕事を終えると、俺は自分の部屋に行って一つだけ残したトランクの鍵を開けた。そして中から取り出したものを携えてクリスが寝ている部屋へと戻り、ベッドの近くの丸椅子へと腰を下ろした。二人きりの室内に、時計の秒針が時を刻む音だけが妙に大きく響いていた。
 久し振りに手にした銃は冷たく、やたらと重量を感じさせた。無論、奴を撃ち殺すつもりで持ってきたわけではなかった。ただの護身用だ。奴がいつ扉をぶち破って乗り込んできても対応できるよう部屋の出口の方を向いて椅子に座りながら、背後で死んだように眠っている者の存在を意識する。
 世界でたった一人の勇者。まさか彼女が、という驚きよりも、何で彼女が、という絶望の方が勝っていた。そういう意味では俺も奴と同じだ。他の人間が、俺の知らない誰かが勇者であったとしても、こんな暗い気持ちにはならなかったはずだ。同情の念は抱いただろうが。
「……ずっと一人で、重い荷物を背負ってきたんだな」
 聞こえていないと認識しつつも、俺は前を向いたまま、背後で寝ているクリスに声をかけた。「辛いなら、放り投げちまってもいいんじゃないか、そんな役回り」
 彼女を責める資格は誰にもない。だが芯の強い彼女のことだ。そんな無責任なことはできない、とでも毅然と言い返すに違いない。だからこそディルクも、手段を厭わず恋人を攫おうとしているのだ。
「俺が代わってやれたらいいのにな……」
 ぽつりと心から漏れた言葉は、彼女への想いを自分自身に改めて自覚させるものだった。俺は銃を握る手に力を込めた。胸に迫る切なさをやり過ごしながら、緩く指をかけた引き金を凝視した。
 奴への嫉妬の炎を燃やすことで、もう一度あの殺意を蘇らせることはできないだろうか――


 三日三晩振り続いた雨は、馬車がアルバドールへの帰還を果たすと同時に、一行の無事を祝うかのようにぴたりと止んだ。久方ぶりに爽やかな青空を拝んだが、帰路における寝食はほぼ移動の車中で済ませたため、身体中あちこちが痛かったし、疲れ具合も尋常ではなく、心まで晴れやかという具合にはいかなかった。
「クリスはどこに連れて行く気だ」
 会社の前に着いたところで、俺とレイチェルを馬車から下ろしたジュアンに訊ねた。クリスはいまだに目を覚まさないでいた。倒れてからずっと飲まず食わずであったため、寝顔は安らかだが日に日にやつれていく印象を受けていた。
「とりあえずは、警備が一番行き届いている場所に寝かせておくつもりだ」
「……アルバドール城か」
 ああ、とジュアンは頷いた。「そのうち目を覚ますだろうが、それまでは安静にしとかねえと」
「ホントに大丈夫なの? クリス……全然良くなっているように見えないんだけど……」
 不安そうに馬車の中を覗き込むレイチェルの肩に、ぽん、とジュアンは手を置いた。「心配すんなって。落ち着いたらすぐ、我がアルバドール城に招待してやんよ。こいつとでも一緒にクリスの見舞いに来ればいいさ。つっても、今日あたりもう腹でも空かせて起きるかもしんねえけどな」
「…………」
 レイチェルは複雑な視線をジュアンに向けていた。それを受けたジュアンはぱちぱちと瞬きをした。
「? んだよ、変な目して」
「ううん、別に」
 レイチェルはかぶりを振り、ジュアンの頭のてっぺんから爪先までをじろじろと観察した。その作業を終えると、腕を組み、溜め息を一つ。そしてもう一度頭を左右にゆっくりと揺らした。
「この色々と締まりのないおじさんが本当にこの国の王様だったなんて、世の中分からないもんだね」
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