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Happiness 第一章:支配者の帰還

 by 暁 十夜様



(青い空だなぁ……)
 俺はすっかり涼しくなった秋の空をぼんやりと眺めながらそんな事を考える。
 秋の空は少し高く、白いうろこ雲がゆっくりと空の高い位置で流れている。
 いつもやかましいヤツ等に囲まれてるだけに、こんなにゆっくりするのは久しぶりだ。
「そういや、あいつらどこに行ったんだ?」
 俺は服をはたいて立ち上がり、辺りに視線を巡らす。
 いつもなら、呼びもしないのに俺の周りにいつもいる、しごくやかましいやつら。かけがえの無い俺の仲間……
 しかし、その姿はどこにも無かった。
 それどころか人も動物も、虫達でさえいなかった。ただ草花だけが静かに風に揺らされている。
 そして、他にはなにも無かった。山も川も、建物も無く。ただ延々と草原と青い空が続いているだけ。
「……これは……夢か?」
 夢にしてはハッキリし過ぎている。だけど現実としては曖昧だ。
 俺は自分自身に問いかける様に呟く。無論答えは返ってこない。
 ひとしきり考えたあと何所へともなく歩き出す。
 もし夢ならその内覚める。現実だったら……どうしよう……
 ずっと続いている草原をひたすら歩く。
 何所へ行けばいいのかなんてわからない、だけど不思議と足が動く。
 まるで何かに吸い寄せられる様に。
『エリオット』
 不意に誰かに名前を呼ばれる。訊いた事の無い声、誰だ?
 俺は弾かれた様に走り出す。声のした(ような気がする)方向へと。
 息を切らせて、時々つまずきながら俺は全力で走った。
 いつのまにか周囲の風景が森へと変わっている。
(やっぱりこれは夢だ)
 そう思った時、目の前が開ける。どうやら森から出たみたいだ。
 前にはまた草原が広がっていた。ただ一つさっきと違う所があった。
「エリオット」
 俺の前に立っている少女が俺の名前を呼んだ。
 まるで昔からの知り合いの様な、そんな感じのする親しみを覚える声だった。
「キミは、誰だ?」
 息を整え、ゆっくりと少女に近づきながら俺は訊いた。
「お願い、助けて」
 少女は悲しげな表情でそう呟いて、姿が薄らいでいく。
「待ってくれ。いったいどういう、ッ!?」
 俺は今にも消えそうな少女へと駆け寄ろうとした。
 その瞬間、俺のいた辺りから地面が崩れ、俺は暗い闇の底へと落ちてしまった。
『お願い、助けて。エリオット』




「……」
 目を覚ますと俺はベッドから落ちていた、しかも頭から。痛い……
 後頭部をさすりながら俺はよろよろと立ち上がりカーテンを開ける。
 朝の日差しに目を細める。
 秋の澄んだ空には雲一つ無い。見事な秋晴れだ。
 窓を開けて朝の新鮮な空気を入れてから、俺は買い置きのパンをテーブルに置いて朝食の用意を始める。
 外に食べに行ってもいいのだが、いかんせん給料日前、無駄な出費は押さえないとな。
「許してね〜恋ごころよ〜甘い夢は波に浚われたの〜♪」
 少し前の流行歌などを口ずさみながらポットを火にかける。
 フライパンに油を敷いてハムを投入。続けて卵を一つ。
 ハムの焼ける香ばしい匂いが食欲をそそる。
 黄身が半熟になったのを確かめてから皿に移す。ハムエッグ完成。
 次にレタス、キュウリ、トマトなどの野菜を切って皿に盛りつける。
 最後にドレッシングをかけてサラダの完成。
 ハムエッグとサラダをテーブルに運び、コップにコーヒーを注いで朝食完成。
 うむ、我ながらバランスの取れた朝食だ。
 などと考えながらハムエッグを口に運ぶ。う〜ん、やっぱ黄身は半熟に限るよな〜。
「あら、おいしそうな朝食ね」
 パンを食べようとした俺に、いきなり背後からそんな言葉が訊こえてくる。
 俺は驚きの余りパンを喉に詰まらせて窒息しそうになる。
「大丈夫?」
 口ではそんなこと言いながら顔は楽しそうに笑っている……だろうな。
「ぐっ!? ……げほ、はぁ……」
 やっとの思いでパンをコーヒーで胃に流し込む。
 し、死ぬかと思った。
 俺は今のでちょっと青くなった顔を後にいた女性へと向ける。
 そこには銀髪を肩口で切り揃えた長身の女性が立っている。
 まだ秋口だと言うのに足首近くまである部厚いくて重そうな白いコートを着込み、なんとなく人懐っこい笑顔を浮かべている。
 実際年齢は25なのだが、無邪気に細められた目が、実際の年齢よりもぐっと幼く見せている。
 美人は美人なのだが、どことなく冷たさも兼ね備えた女性だ。
「いつ帰ってきたんだよ? サーシャ」
 明らかに不満とわかるような口調で俺はサーシャに言う。
 彼女は俺の言葉など気にも止めず目を細めて面白そうにクスクスと笑う。
「アタシが帰ってきたのがそんなに不満?」
 などと訊き返してくる。
 俺は知っている彼女がこういう顔をする時は俺になんらかの嫌がらせ(本人は自覚して無いが)をする時だ。
 彼女の名前はサーシャ・ドライバー。我が大陸労働新聞社の最高取締役。
 なんとも偉そうな肩書きだが、いわゆる社長の事だ。
 ドラバーズ商会と言う名を誰でも耳にしたことぐらいはあると思う。
 泣く子も黙る超ド級の大手企業。サーシャはその社長令嬢なのだ。
 もちろん実家は超大金持ちで、サーシャもゆくゆくは商会を任されるだろう。
 そんなサーシャがなぜあんなショッボイ新聞社を経営しているのかは謎だが、訊いても「趣味」の一言で片付けられそうで怖い。
 俺と彼女とは幼馴染……と言うよりは腐れ縁の様な間柄だ。
 普通の一般市民の俺の家の隣に彼女の家、と言うか豪邸が建っていた。
 土地は別に一等地とかそんなわけではない。むしろ値段的には安い部類に入る方だった。
 親父も「なんでこんな所に建てるのか。金持ちはわからん」とよくぼやいていた。
 しかし、俺の家とサーシャの家はジィサマの代からの付き合いで、俺の親父もサーシャの親父とは友人で、よく両方の家で宴会をしていた。
 そんなわけで、俺も必然的にサーシャと知り合ったわけだが。
 初めて会って開口一番「あなた、アタシの家来ね」と語尾にハートマークを入れた様な口調で言うような性格だった。
 その直後から俺は彼女に振り回されっぱなしだった。
 今考えてみれば、あの時から俺は本能的に彼女には勝てないと悟っていたのかもしれない。
 そんなこんなの十数年後。アカデミーを出て就職に困っていた俺を、今の新聞社に入れてくれたのはいいのだが……
 いい加減二束三文の安月給でこき使われるのはうんざりしてくる。
「あら? そんなこと言うのね。じゃあ、クビにしても文句は言わないわよね」
 どうやら最後の方は口に出してしまったらしい。サーシャが楽しそうに笑いながら冗談にもならないような事を言う。
 いや、彼女の場合冗談で言った事をそのまま本気で実行する女性だ。このままだとホントにクビにされかねない。
「いや、冗談です」
 俺は泣く泣くそう言ってサラダを口に運ぶ。
 ちきしょう、いつか絶対復讐してやる……
「ところで、あなた会社は? サボりは減給よ」
 実現不可能な復讐計画に想いをはせていた俺にサーシャがそんな事を尋ねる。
「ん? 会社?」
 時計を見ると、もう11時。普段なら会社でジュアンやアベルのお守りをしている時間だ。
「あのなぁ、お前、社員の休みの日ぐらい覚えとけよ」
 少々呆れ気味サーシャに言う。
 そう、毎週水曜日、今日は休みなのだ。俺だけだが。
 社員はそれぞれ自分で選んだ曜日に休みを取れるようになっている。
 そうしないと一週間に1日の休みを取らせるという市の法律に違反するからだ。
 ちなみにジュアンは日曜日に休みを取っている。ナンパには一番いい日だとか言う理由で。
「そうだったかしら? リットったらそんな細かい事はよく覚えてるのね」
「全然細かく無い。それにその呼び方は止めてくれ」
 サーシャは昔から2人でいるときだけ俺のことを「リット」と呼ぶ。嫌いではないのだがなんかくすぐったい。
「恥ずかしがり屋な所も昔と変わらないのよね」
 からかう様な笑みを浮かべてサーシャは言う。実際からかわれているんだが。
 こういうところは昔から変わっていない。
「それで、何の用だ?」
 俺は不機嫌な口調で言う。
「仕事よ」
 サーシャはいともあっさりとそんなことを言う。
「いや、だから俺今日休みなんすけど」
 俺は気のせいか苦味の増したコーヒーを飲みながら言う。
「社長命令が訊けないと?」
 出た、水戸○門の印籠よりも強力なサーシャの「社長命令」
 これを無視して今までクビにされなかったヤツはいない。
 しかも、昔から俺を知っているおかげでサーシャには数え切れないほど弱みを握られている。
 下手に逆らうとクビにされるだけでなく、俺の恥ずかしい過去をダグラム市民全員が知りかねない。
 怖い、怖過ぎる。
「もちろんやるわよね?」
 サーシャが不敵に微笑む。
 ああ、すぐそばで悪魔が微笑んでいる……
「やります。やらせてもらいます」
 俺は涙を飲んで首を縦に振った。
 神様、俺にはたった1日の休みすら許されないのですか……
「ほら、早く行くわよ」
 玄関でサーシャが言う。
 俺は残りの朝食を急いで腹に詰め込むとサーシャの後を追って会社へ向かった。




「のぉああ、みんなハッピ〜か〜い」
 会社に来て一番最初に訊いたのは、ろれつの回ったジュアンのこんな言葉だった。
「……ジュアン、病院行くか?」
 俺はジュアンの肩に手を置いて哀れむような口調で言った。
「む、えりおっと君今日はお休みじゃなかったのかね」
 ジュアンは俺の言葉をさして気にしない様子で手にしたコップを一気に呷る。
 いつもならむっとした様子で反論してくるのだが、どうやらアルコールに思考能力を奪われているらしい。
 そんな事を考えている内にもジュアンはコップで飲むのも面倒になってきたのか、手にした酒瓶をラッパ飲みし始める。
 どうもいつもみたいに暇だから(別にいつも暇というわけではないのだが)飲んでいるといった感じではない。
 なんかヤケ酒の様な飲み方だ。
「なんかあったのか?」
 俺は呆れた様子でジュアンを見ていたクリスに尋ねた。
「はぁ、女性関係でなんかあったらしいわよ」
 明らかな呆れ口調で、金髪緑眼の自称勇者のクリスが言う。
 まぁ、彼女が呆れるのも無理は無いか。そんな事で昼間からヤケ酒を飲んでるんじゃな。
「あらあら、昼間からご機嫌ね。ジュアン君」
 俺の後ろからいつもとなんら変わらない口調のサーシャの声が訊こえてくる。
 しかし、俺はその言葉にある種の恐怖を覚えた。
「仕事そっちのけで酒盛りなんて、出世したものね」
 サーシャの表情はにこにこと笑っているが、目は決して笑っていない。
 野生の猛獣すら裸足で逃げ出すような、そんな冷たさと威圧感を宿して、サーシャはジュアンを見据えている。
「え、いや、これは、その……」
 完全に青ざめた顔で、ジュアンは額にびっしょりと冷や汗をかいておろおろとしている。
 まさかいきなりサーシャが来るとは夢にも思わなかったのだろう。
 自業自得とはいえこの後のジュアンの末路を考えるとちょっと同情したくなる。
「それに、そのお酒は誰のかなぁ?」
 顔面蒼白のジュアンに、ズイっとサーシャが詰め寄る。
 俺はジュアンの持っている酒に目をやる。あ、あの酒はサーシャ秘蔵の銘酒「神・轟氣」
 ジュアンのやつめ。なんと命知らずな事を。
「覚悟は出来てるわよね?」
 サーシャの言葉に、ジュアンはビクっと体を震わせ、乾いた笑みを浮かべて後ずさる。
「いや、だからですね。これは不可抗力というかですね……」
 いったいなにが不可抗力なのか。ジュアンは言い訳にもならない言い訳をして、なんとかその場を切り抜け様としている。
「無駄なことを……」
 俺は、額に手をあてて溜息と一緒に呟く。
 超ド級の金持ちにして、超ド級ケチのサーシャの酒を飲んだのだ。減給どころか、むこう数ヶ月タダ働きが決定したようなものだ。
「ジュアン君、今月から半年間給料80%カット。それから飲んだお酒はちゃんと買って返してね」
「うえ!? マジですか……」
 銘酒「神・轟氣」の瓶を握り締め、ジュアンは声になら無い声で叫ぶ。
 ちなみに買い返せと言われた「神・轟氣」の値段は、約5ヶ月、質素な生活をすればなんとか買えるぐらいの値段だ。
 ただし、それは普通に給料を貰っている場合だ。80%カットを食らったジュアンの給料だと、やはりむこう数ヶ月タダ働きだ。
「うう〜、エリオットぉ」
 すがるように、涙目でジュアンが俺の方に振り向く。
「金は貸さんぞ」
 俺はキッパリと言い放つ。
 その言葉にジュアンは、打ちひしがれた様子で、机に突っ伏してシクシクと泣き始める。
 ちょっとかわいそうかな、とか思ったが。自業自得、仕方が無いというものだ。
 俺だって万年色ボケ野郎を養いながら生活をするほど余裕のある給料なんて貰っていない。
「やっぱり給料全額カットの方がよかったかしら?」
 ふと、思いついた様にサーシャが言う。
 あんたホントに社員のことぜんっぜん、考えて無いな。
 とうの本人は、もうどうにでもして、と言うような悲惨な表情で黙々と仕事をしている。
 がんばれジュアン。せめて餓死しないように祈っといてやるよ。
「ところで、そちらのお嬢さんはどなた?」
 サーシャが、呆気に取られているクリスに気付いて俺に尋ねる。
 その時、俺はある一つの実験を思いついた。
 それはかなり危険な実験だ。下手をすれば俺の命が危ない。
 だが、俺の探求心は止まらない。俺は思いきって行動にでた。……いかん最近アベル病が移ってきたか。
「ああ、お客さんです」
 ここでは一応サーシャは上司なので、俺は敬語で言う。
 一瞬、サーシャに怒気の気配が強まったかと思うと、ふっ、と消える。変わりに顔には思いっきり愛想笑いが浮かんでいた。
「あ、すいません。どうも家の社員はバカばかりでして。ささ、こちらへどうぞ」
 サーシャは極上の営業スマイルでクリスを応接セットに促す。
 そして「リットお茶」と言う意味を含んだ、冷たく厳しい視線が俺に向けられる。
 激変したサーシャの態度にクリスは困惑の表情で「え? えっ?」とか言って応接セットのソファに座らされる。
 そんなクリスの事など全くお構い無しに、サーシャはソファに座って言葉を続ける。
「それで今日はどういったご用件でしょうか? 広告? それとも何か取材の依頼でしょうか?」
 めちゃめちゃ腰の低い態度でサーシャはクリスに尋ねる。
 もはや、さっきの冷徹外道の鬼社長の面影なんぞ微塵も無い。う〜ん、ある意味商売人の鏡か。
「今なら広告代も30%OFF。とってもお得ですよ」
 などと言いながら、どこから出したか、契約書をクリスの前に差し出す。
「え? え〜と、あの」
 クリスはかなり困惑した様子で、サーシャに何か言おうとしているがうまく言葉にならないらしい。
「今なら超お得な特典もつきますよ」
 サーシャがその言葉を言ったその時。
「ほう、それはどんな特典なんです」
「「「ぬお!?」」」
 俺とクリス、そしてサーシャは3人同時に驚いた。
 いきなりサーシャの座っているソファからアベルが生えてきたのだ。
 よいしょ、とか言いながらアベルはソファの上に正座してサーシャの取り出した「超お得な特典」を手に取り眺める。
「ふむ、これは私が最初に頂いたボールペン型水鉄砲ですね」
 などとほざきながら、アベルは来客用(と言ってもいつも俺達が飲んでる物と変わらないのだが)のお茶を啜る。
 しかし、なぜに正座。いやそれ以前におのれはどっから湧いて出た。
「エリオットさん人をボウフラみたいに言うのは止めてください」
 しれっとした顔で、俺の心を読んだアベルが言う。
 コイツ、マジでどっかの軍事国家に売り飛ばしてやろうか……
「不法侵入は犯罪よ」
 恐ろしく滑らかな手つきでサーシャがコートの懐から短剣を取り出し、アベルの首筋ににあてる。
 短剣をちょっと引けばアベルは首から大量の血が……いや、止めとこう。想像しただけで気分が悪くなる。
 サーシャは、なぜか趣味で暗殺術を習っている。なろうと思えば一流のアサシンになれるだけの技量はあるらしい。
 事実コートの中には俺の知る限りでも4種類の短剣やナイフが常時入っている。
「おとなしく出ていくなら見逃してあげるわ。でも出ていかないなら痛いじゃ済まないわよ」
 めちゃめちゃ物騒なセリフをサーシャが言う。冷たく鋭い氷の様な声だ。
 一応言っておくが。ここは密偵の詰め所でもなければ暗殺者の住処でもない。善良な一般市民が働く新聞社なのだ。
 そりゃ俺は棒術は結構使えるし。ジュアンはテコンドーが洒落にならないぐらい強いし、クリスは剣の扱いが半端じゃないけど。アベルにしたって魔法は趣味(?)だし。レイチェルが合気道で大の男6人くらいのせるけど。
 あくまでもここは善良な一般市民が働く新聞社であって異能集団の溜まり場ではない……はず……たぶん。
 ……いや……お願い、信じて。ぷり〜ず。
「いやいや、私は怪しい者ではありませんよ」
 誰がどう見たって充分過ぎるほどの怪しい登場の仕方をしたアベルが、いつもの様に余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべて言う。
 いや、ちょっとは焦れよ。おまえは。
「不審者は皆そう言うのよ」
 サーシャは握っている短剣に少し力入れる。このままだとホントにアベルは三途の川を渡ってしまいそうだ。
 アベルが不審者と言うのは当たっているが、さすがに死んだら寝覚めが悪い。と言うか七代先まで祟られそうだ。
 そう思い、俺が弁解しようとしたところに、クリスの声が割ってはいる。
「えっと、彼はここのアルバイトです。決して邪神崇拝者とか若年性痴呆症患者とかetc.etc.とかじゃありません」
 俺でも思ってても口にしないような言葉をクリスはつらつらと言う。
 ちなみにect.の部分はとてもじゃないが、恐ろしくて口にできん。
「クリスさん、それは弁解してくれてるんですか? それともけなしてるんですか?」
 アベルが困っている様な、そんな笑顔で言う。
「あら? そうなの?」
 サーシャは俺に訊いてくる。無論アベルに短剣を突きつけたままで。
「ええ、そうです」
 俺は苦笑を浮かべて答える。
 そう言えばアベルはバイトと言う事になっているが、こいつが真面目に仕事をしているところを見た事が無い。
 いや、ひたすら黙々と書類整理だの折り込みチラシを入れるだのの作業をしているアベルの姿は異様に怖いかもしれない。
「なんだ、それならそうと早く言ってくれればよかったのに」
 そう言ってサーシャは表情を和らげる。そしてその表情のまま言葉を続ける。
「でもね、ああいう登場の仕方は止めてね。今度からは命は無いわよ」
 一般市民の口からは出そうにも無いセリフを言ってから、サーシャは短剣をコートに仕舞う。
 かさねて言うが、ここは善良な一般市民が・・・(以下略)
「恥ずかしいところをお見せしました。さて、その他の特典としては・・」
 クリスに向き直ったサーシャは営業スマイルを浮かべてさっきの続きを言い始めるがクリスの言葉がそれを遮る。
「いえ、あの私も一応アルバイトなんですけど」
 苦笑気味にクリスが言うと、サーシャは営業スマイルのまま固まる。
 俺は身の危険を感じその場から逃げ出そうとして。そろそろと後ずさる。
 しかし、後を向いた瞬間。何かが俺の頬を掠め目の前の壁に軽い音を発てながら小型の果物ナイフの様な物が突き刺さる。
 これは……投擲用の暗器!?(暗殺者が使う隠し武器)マジデスカ……
 恐る恐る振り向くと、笑顔のサーシャがソファから立ち上がり、俺を見据えている。
「エリオットく〜ん。ちょおっと社長室にいらっしゃい」
 サーシャは笑顔で言う。しかし蒼色の瞳にはあからさまに怒りの色が出ている。
 まずい……俺は今更ながらかなり身の危険を感じてきた。
 くっ、やはり一時の探求心で行動するのはまずかったか。
「なにしてるの、早く来なさい」
 静かな殺気を放ちながらサーシャが俺を社長室に呼ぶ。
 案外暗殺者の修行をするために旅に出たって言う噂は嘘じゃないかもな。
 などと思いつつ、俺は社長室に入る。……父さん、母さん。先立つ不孝をお許しください。
 社長室……この言葉を訊いて人はめちゃくちゃ豪華な部屋を思い浮かべるだろう。高級な絨毯、やたらと高そうな壷。極めつけは何の絵か全くわからない様な絵画。
 しかしクソ貧乏なこの新聞社にはそんな豪華さは微塵も無い。
 単にサーシャがそんな成金趣味を好まないせいかもしれないが。大陸労働新聞社の社長室はいたって質素だった。
 6畳ぐらいの板張りの部屋に書類を入れる棚、応接用の2組のソファとその真中に少し大きめのテーブルに、部屋の右隅には観葉植物の鉢植えが置いてある。
 どれも普通に買える値段だ。と言ってもそこそこ値は張るが。
「さて、それじゃ仕事の内容を話すわよ」
 窓の前に置かれたデスクの椅子に座ったサーシャが真面目な表情で言う。
 ちなみに、サーシャの座っているデスクもそんなに高い物では無い。せいぜい俺の給料4ヶ月分といったところだ。
 だがそんなことは今はどうでもいい。それよりもサーシャの言葉だ。
 てっきりさっきからかった仕返しをされるとばかり思っていた俺はかなり面食らった。
「仕事?」
 俺は思わず間抜けな返事を返してしまった。
 そんな俺の様子にサーシャは軽く溜息をついてから言う。
「あのねぇ、何の為にわざわざ休日出勤してもらったと思ってるのよ。まぁ、いいわ」
 なにがいいのかよくわからないが、サーシャは俺に構わずに言葉を続ける。
「今回の仕事は干潟の調査よ」
「干潟の?」
 俺は思わず訊き返してしまう。
 干潟とは河川や波浪の働きにより浸食・運搬が繰り返され、長い年月をかけて砂泥が堆積してできたもので、干潮時に露出する平底のことだ。特に河川の流れ込む湾部や、潮の干満の差が大きいところによく発達すると言われている。
 ダグラム市の近くにもそれがある。しかし単にただっ広い泥沼の様な(泥沼の様な深さは無い)物だ。それ以上でもそれ以下でも無い。
 確かに珍しい地形ではあるので、そこの生体調査の為に学者などがよく訪れたりはするのだが。
 俺達からすればガキの頃から遊びまくった場所で、今となっては何も珍しい物では無いし、まして記事にするような物は尚更無いはずだ。
「なんであんな所を?」
 俺は素直に疑問を口に出す。
「役所に勤めてる友人が言ってたんだけど、最近になって干潟の魔術場におかしな反応が出るようになったらしいのよ。で、彼女が言うにはもしかしたら古代の魔術遺跡かなにかがあの下に埋まってるんじゃないかって」
 なるほど、大体話は見えてきた。
 サーシャはその魔術遺跡だかなんだかを探し出して記事にしたいのだ。
 そうすれば新聞の売上部数は格段に上がるし、間違い無くダグラム市には遺跡目当ての観光客が押し寄せる。
 もし運が良ければ市からいくばくかの報奨金が出るかもしれない……だが、一つ大きな問題がある。
「どうやってそれを探すんだよ? 昔はそんなもん無かっただろ」
 俺の言葉に、サーシャは不敵な笑みを浮かべて答える。
「だ〜か〜ら、リット頑張って探してきて」
 とても俺より年上とは思えない可愛い口調でサーシャは言う。それが妙に似合っているのはある意味凄いのかもしれないが。
 俺の質問に対する根本的な解答にはなっていない。
「いや、だからどうやって?」
「がんばって〜」
 サーシャは先ほどと変わらぬ口調で言う。
「あのな、俺の言ってる事わかるか?」
 俺は頭を抱えなが訊く。無駄だとわかっていても人間あがいてみたくなるものなのだ。
「がんばって〜」
 と、笑顔で言うサーシャだが。「断ればクビよ」と思いっきし顔に書いてある。
 やっぱし無駄だったか……
「わかったよ。探せばいいんだろ。探せば」
 俺は、半ばヤケクソ気味で叫ぶ様にそう答える。
「うん、素直でよろしい」
 満面の笑みでそう言うサーシャに、俺は深い深い溜息をつく。
 ああ、神様。俺はいったいどこで人生を間違えたんでしょう。
「はぁ、さすがに一人で探すのは無理だから外のやつらの中から一人連れて行くぞ」
 そう言って、サーシャの答えも訊かずに俺は社長室から出ていこうとドアに向き直る。
「あ、リット待って」
 ドアノブに手をかけたところでサーシャに呼び止められる。ものっすごく嫌な予感が……
「な、なんだよ。まさか一人で探しに行けとか言うんじゃないだろうな」
 わかっている、わかっているんだ。サーシャがそんな事で俺を呼び止めたんじゃ無いことは。
 サーシャはおもむろに白いコートを脱ぎ、ソファにかける。中に入っている短剣やらナイフやらがぶつかる音が聞える。
「違うわ。わかってるんでしょ?」
 艶やかな笑みを浮かべてサーシャは言いながら俺の肩に手を乗せる。
 ……まずい、ひっじょうにまずい。このままでは。
 そんな事を考えていると、俺の肩を掴んでいる手に女性にしては異常な程の力が入る。
「いて、いだだだだだ。痛い」
「あら〜、リット結構肩こってるわね〜」
 俺の肩を握り潰さんばかりの勢いでサーシャは肩を揉んでくる。
「いや、全然こってない。俺はこってないぞ!!」
「いいのよ。そんなに遠慮しないで」
 サーシャはにこやかに言いながら俺を床へと投げ飛ばす。ぐっ、は、肺が……
「あらら、腰も結構きてるわね〜、背骨もちょっと歪んでるし」
 マウントポジションを取ったサーシャは拳で思いっきり背骨の辺りを押す。
 一瞬、ゴキッとか言う音がして背中に激痛が走る。
「のぉぉぉぉぉぉ!!」
「次は腰ね」
 メキメキとか言う明かに普通では鳴らない音が俺の腰から耳に響いてくる。
「にょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 あまりの激痛に俺はもう人間の声では無い声で叫ぶ。
「そうだ、ついでだからツボも指圧してあげるわ」
 サーシャはたまらなく嬉しそうな声で、俺の背中のツボを押していく。
 俺はツボを押されるたびに「ぎょ!?」とか「えぐっ!!」とか、もう生物の声かどうか怪しい声を上げる。
「ほらほら、まだまだいくわよ〜」
「うっげーーーーーーーーーーーー!!」
 それから数分、社長室からは悲痛とも滑稽ともとれる俺の叫び声が延々と続いた。
「……」
 サーシャの「地獄の仕置き」から無事生還した俺はげんなりした顔で社長室から出る。
 彼女の趣味は暗殺術の他に整体がある。はっきり言ってこれがもう痛い。ある種の、いや完璧な拷問だ。
 あの細い腕のどこにそんな力があるのか? と全知全能の神に問いたいくらいの力で繰り出される秘技(?)はオーガおも苦悶させ、ヴァンパイヤでさえその激痛で塵に還す。それほど彼女の技は凄まじい。
 おかげでアカデミー時代には「歩く拷問器」だの「悪魔の腕を持つ女」などと言う二つ名を持っていたほどだ。
 やはり拷問ではなく整体だからなのだろうか。これを受けた後は驚くほど体が軽い。
 でもやっぱし二度とサーシャの整体なんぞ受けたくない。
 整体は痛く程じゃないと効かないと思ってるそこのキミ。サーシャの整体を受ければその考えは間違い無く変わる、効かなくてもいいから痛くない方がマシだってな。いや、マジで。
「はぁ、ん? アベルはどこにいったんだ?」
 ダメージを受けたにも関わらず軽い肩を回しながら俺は尋ねる。
「ああ、ちょっとジャガイモ買いに行ってもらったのよ。30分もすれば帰ってくると思うわよ」
 お茶汲み兼、給料日前で金の無い俺達の為に昼メシを作ってくれているクリスが答える。
(魔法関係だから、アベルがいれば何かと役に立ったんだろうが。いないなら仕方が無い。待つのも面倒だ、ジュアンでいいか)
 俺は、もう人生悟りきった表情で淡々と仕事をしているジュアンに近づく。
 近づくと、彼の表情には世の中の酸いも甘いも知り尽くし、もうこの世界にはやる事が無いと言った感じが漂っていた。
 いや、たかが給料80%カットされて、あまつさえその給料で高級酒を買い返せと言われたぐらいでそこまでへこむ事も無いだろうに。
「おい、ジュアン仕事だ、行くぞ」
 俺は自分のデスクに掛けてある上着を引っ掴みながらジュアンに言う。
「行くって、どこに?」
 見事なほどに覇気の無い声でジュアンは尋ねてくる。
 ん〜、なんか痛々しいが、俺一人ではどうしようもない。
 俺は上着を着て簡単に答える。
「干潟」




「やっぱり、無茶だよなぁ……」
 干潟に魔術遺跡の探索に来て約1時間。たった2人で探すには余りにも広い干潟の上で俺は今更ながらぼやく。
 考えてみれば縦にも横にも数kmある干潟を2人で、しかもただ漠然とそこにあるらしいと言う情報だけで探し出すのは不可能だ。
 まして、魔術遺跡がもし地下にあるなら舟に乗って干潟の上から探していても絶対に見つからない。
 もし地下にあったとしても干潟だと潜って探すという方法も使えない。
 このままで見つけ出せる可能性は限りなく、いや完璧に0だ。
「はぁ、なぁ本当にそんなもんあんのか?」
 会社を出る時よりも更に覇気の無くなった声でジュアンが訊いてくる。
「そんなの俺が訊きたいぐらいだ」
 自分でもわかるぐらいに覇気の抜けた声で俺は答える。
「もう、適当に周って帰るか……」
 ジュアンがかなり黄昏た口調で言う。
 うう、果てしなくその意見に賛成なのだが。だがしかし、なんの成果も上げずに帰れば間違い無くサーシャの「秘技・足ツボ攻撃」が……
 いやだ、アレだけは絶対に嫌だ。アレにかかれば神様だろうが魔族だろうが泣いて許しを請うだろう。
 ジュアンもそれがわかっているので。口ではああ言っても渋々魔術遺跡の手掛かりを探している。
 しかし、ここに来て舟に乗ってると子供の頃のあの忌まわしい出来事を思い出す……
 俺はサーシャの親父さんに誘われて、この干潟に来た。
 まだ子供で、干潟の事をなにも知らない俺はかなり興奮した。それはサーシャも同じだったらしく、2人で舟の上ではしゃいでいた。
 そして唐突に。
「ここに落ちたらどうなるのかしら?」
 などと、そんな事をサーシャが言ったのだ。そして俺はその言葉に幼いながらも一抹の不安を覚えた。
 その不安は見事に当たった、最悪の結果で。
 サーシャは俺を「えい」と言う可愛らしいセリフとは裏腹な、かなり強い力で舟から蹴り落としたのだ。
 見事に頭から干潟の中に突っ込んだ俺は泥に体の自由を奪われ、自分の体重であっけなく沈んでいった。
 幸いあまり深くはなかったのでサーシャの親父さんに引っ張り上げられ一命を取りとめたが。下手をすれば死んでいた。
 ……そう言えば落ちる瞬間にムツゴロウが見えたっけな。
 などと、昔の限りなくアホな記憶を思い出している俺の目に、淡く青色に光る円状の物が見えた。
「……なんだ?」
 俺は目を細めて、その円状の物をもっとよく見ようとする。
 それは青い光をだんだんと強くしていった。アレがなんなのかはわからない。
 自然現象なのか、それとも魔術遺跡による物なのか。どちらにしろもっと近寄らないとわからない。
 ジュアンに円状の物に近寄るように言おうとした時。
 俺は舟の上から消えていた……と思う。


 エリオット達が干潟に魔術遺跡の探索に向かってから2時間くらいが発った。
「リット達、ちゃんと探してるかしら?」
 サーシャはオフィスの応接セットでクリスの淹れた紅茶を飲んでいた。
 紅茶の淹れ方は上手い、それに掃除も料理も出来る。
 少々、と言うかかなり一般常識に疎いところがあるが、まぁ、アルバイトだしそれを省けばクリスはかなり優秀だった。
(結婚すればかなりいいお嫁さんになるわね)
 思わずエリオットとクリスの結婚式の様子など思い浮かべてしまう。サーシャは苦笑しながら紅茶を口に運ぶ。
 紅茶のカップをテーブルに置いて窓の外を見た時、入り口のドアが勢い良く開かれる。
 扉を開けて入って来たのはジュアンだった。彼は走って来たのか汗だくで、かなり息を切らせた様子で、肩で息をしている。
「ジュアン、どうしたの?」
 掃除をしていたクリスが驚いた様子でジュアンに尋ねる。
「はぁ、はぁ、ちょ、水」
「あ、ちょっと待ってて」
 クリスは床を掃いていたホウキを壁に立て掛けると、給湯室に行ってコップに水を入れて戻ってくる。
「はい」
 ジュアンはクリスからコップを受け取り一気に飲み干して、ゆっくりと息を整える。
「なにか、あったの?」
 サーシャもジュアンに近寄って行く。干潟からここまで走ってくるなど余程の事だ。
 そういえば、エリオットの姿が見えない。
 サーシャはその事になんとなく不安を覚えた。しかしその不安はジュアンの一言で更に大きくなる。
「エリオットが……消えた」

■あとがき、と言うか解説、ってか言い訳(^^;

 うわ〜い、遅くなった遅くなった遅くなった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 考え付いたネタが多すぎて整理つかなくなっちゃって……いや、葵さんホント遅くなってすいません。
 ん〜、Land短編第4弾の第1話。いかがでしたか? 今回はちょこっと、いや、かなりいつもと毛色が違います。
 どっちかっつうとシリアスな方向に走ってます。でもギャグもあり、これはお約束。
 え〜と、今回は色々とへんちくりんな設定てんこもりでございます。
 サーシャがエリオットと幼馴染(ありがち?)であまつさえ、「リット」とか言う変な愛称で呼んでいる。どうよこれ? どんなんよ?
 しかも性格もかなりあれな人になっちゃいました。いったい葵さんから教えてもらった「クール」と言う設定はどこに?
 まぁ、それは置いといて。なぜか暗殺術だの整体だのわけのわからん趣味をサーシャに引っ付けた挙句。ジュアンはテコンドー、レイチェルは合気の達人になっちゃってます。
 そして今考えてみると……レイチェルちゃん出て無いじゃん。
(更に言い訳は続く……)
 それでですね、干潟についてですが。これは突発的な思い付きです。
 最初は洞窟とか、古代遺跡とかにしてたんですけど。それじゃありきたりだからなんか違うのを、と思いまして思いついたのが、干潟……これもなんか間違ってますね。
 ちなみにムツゴロウは、ジィサマの方ではなく。お魚さんです。ドジョウに似た魚で食べると美味しい(?)らしいです。
 さてさて、2話では暁オリジナルキャラも出ます。楽しみに待っててください。(楽しみにしてくれる人なんているのか? ……いてほしいな……いや、一人ぐらいは(汗))