バンベルグのホテルを朝8:30に出発、フランケンのスイスと呼ばれる森の中の一般道を行く。 約一時間と十五分でバイロイトのホーフガルテン、宮廷庭園横に着く。 この日のガイド、田中さんと言う元気な女性をここで乗せて早速祝祭歌劇場(Richard-Wagner-Festspielhaus)に向かう。

 ここ祝祭歌劇場では毎年7月25日から8月28日までワーグナー音楽祭がひらかれ、世界中から約10万人と言われうオペラファンで賑わう。

 この劇場は1876年、ノイシュバンシュタイン城の建設で有名な、バイエルン王ルートヴィッヒ2世(位1864〜86)の資金援助を受け、ワグナー自ら音響効果を考えて設計した、世界でも最高の劇場と言われる。 一度は公演を観たいものだが、チケットの入手は非常に難しい。 96年のシーズンからチケットの不正売買を厳しく取り締まり始め、正攻法で申し込むと8年は待たなければならないと言う。


  
正面から見たフェストシュピールハウス

 わくわくしながら内部に入る、ラッキーにも劇場平土間からオーケストラピットまで入る事が出来た。 この時期音楽祭の準備も酣で、舞台ずくりの最中であった。 勿論練習の日程も入っておりスケジュール次第で内部の見学は中止となる。 ラッキーにもと言ったのはこの意味である。

祝祭劇場の内部

 内部は通常のオペラハウスと異なって、豪華な装飾は避けられ総てはワグナーの楽劇鑑賞のために理想的な様に造られている。

     
    
客席から舞台を望む

 準備中の舞台、5〜6人の人が忙しく舞台の上で作業をしている。 どうやら「ローエングリーン」第一幕の舞台のようだ。

  

 

オーケストラピットI

 オーケストラピットは完全に客席から隔離され、客席から指揮者は見えない。 指揮者はわずかに舞台を見ることが出来る。 オーケストラの頭上には反射板があり理想的な音響効果が得られる。 ちょっと見えにくいが手前が指揮台。 椅子に座って指揮する。

   
オーケストラピットII

 指揮者の椅子に着席して見た舞台。 普段入る事の出来ないオーケストラピットに入り些か興奮気味。 ましてフェストシュピールハウスのピットとは。 

 

 祝祭劇場の前の庭園

 前の庭園には I Richard Wagner II Cosima Wagner のトルソー III 日本の松阪節三氏の Der Traum という作品が安置されている。 静寂な庭園に囲まれ見事な環境にある。
I II III

 祝祭劇場の見学を終えて再びホーフガルテンの横に戻って、ワーグナーが妻コジマ(リストの娘)と住んでいた屋敷、ハウス・バーンフリート Haus Wahnfried の見学に向かう。 内部は博物館(Richard-Wagner-Museum)としてゆかりの品々や楽譜などが展示されている。

 
ヴァーンフリート荘(Haus Wahnfried)

ワーグナーが妻のコジマと住んでいた家で、この家も祝祭劇場と同じくルートヴィッヒ2世の資金援助で建てられた。 尚、Wahnfried なる言葉はワーグナーの造語で辞書には載ってない。 Wahn (情熱、空想)と Friden (平安、平和)からなっている。そして向かって左に HIER WO WHAENEN FRIDEN FAND- 右に SEI DIESES HAUS VON MIR BENANNT. (ここでわたしの情熱が平安を見出した・・・私はこの家を Wahfried と名ずけた)と書かれている。

 正面に見えるのはルートヴィッヒ2世の胸像。 



  
ワグナー夫妻の墓

 屋敷の裏側には夫妻の墓があり、世界中のワグネリアン(ワグナー愛好家)からの花が絶えない。
 因みにワグナーは1813年5月22日にライプツィヒに生まれ、1883年2月13日にヴェネチアで死んでいる。
 尚、娘のコジマを嫁がせるなど、ワグナーと親交のあったリストは、1886年、この町でバイロイト音楽祭のさなかに死去し、遺体は市立墓地に眠っている。

  
タンホイザーを作曲したピアノ

 内部の展示品。 様々なワグナーに因む品々、と共に音楽祭を支えてきたルートヴィッヒII世、ワグナー一族の写真等が展示されている。



 家族の写真、その頃の生活の模様の展示パネル。 その他彼にゆかりのある、バイエルン国王ルードヴィッヒII像等多数の展示がある。
    
修復中のバーンフリート荘


 ワグナーの大ファンであったヒトラーは、この町を「ナチスの聖地」と位置ずけたため、町は連合軍の爆撃で徹底的に破壊されてしまう。 バーンフリート荘も前半分を残して破壊された。



  
辺境伯オペラハウス

 
 バイロイトはブランデンブルク辺境伯の宮廷が置かれた町で、バロックやロココの建物が残っている。 特にプロイセンから嫁いできたフリードリッヒ大王の姉ヴィルヘルミナ皇女の建てた新宮殿Neues Schulossや、辺境伯オペラハウスMarkgraefliches Opernhausは見逃せない。 辺境伯オペラハウスの外観は地味だが、客席と舞台装置の絢爛豪華さには目を見張るという。 大理石のように見える柱や手すりは実はすべて木製だというから驚く。




ドイツの歴史(V)

ドイツ帝国とワイマル共和国

 ドイツ帝国は第一次世界大戦に敗れ崩壊する。 この後を受けたワイマル共和国は、戦後の巨額の賠償金や超悪性のインフレに苦しむが、インフレを克服して文化面では「黄金の20年代」と呼ばれる繁栄期に入る。

 ワイマル共和国の誕生にあたっては、ベルリンが混乱の極みにあって、新憲法の論議などできる雰囲気でないため、文化都市として名高いワイマルで論議し、また新しい国名も武力を放棄した文化国家のイメージが伝わるようにワイマル共和国と命名した。

 しかしニューヨークの株式の大暴落に端を発した「大恐慌」の嵐に巻き込まれ、政治・経済は安定せず、不満をもった民衆はナチの台頭を許す。 1933年、ヒトラーが政権に就くと第三帝国と称し、オーストリア併合、ポーランド、チェコ侵入を経て1939年、第二次世界大戦に突入し、全ヨーロッパを荒廃させ1945年に第三帝国は崩壊する。   



 

 昼食はゴルデナー・ヒルシェというレストランで摂り、帰路はアウトバーン70号線で約一時間バンベルグに着いた。 翌日はバンベルグの見学、翌々日はいよいよ旧東独地区のアイゼナッハに向かう予定。 アイゼナッハは歌劇「タンホイザー」の舞台となったワルトブルク城のある町、バッハの生まれた町である。 極めて興味深い町だ。

とーるくん