カッセルからアウトバーンで約1時間と少しで、大聖堂のそびえる町フルダに着く。 フルダは、フルダ川のほとりに 修道院を中心に栄えた宗教都市で、オーストリアのザルツブルグやスイスのシヨンと同様、司教が 領主を兼ねる司教領主国家である。 この町はドイツにおけるキリスト教の歴史と深く結びついた 巡礼の地で、18世紀の美しいバロック様式の町並みで知られる。 フランクフルトから北東約100Kmの ところにあり、ゲーテもワイマールなどに赴く途中にしばしば立ち寄った。 彼の定宿だったホテル・ ゴールデナー・カルプフェンHotel Goldener Karpfenは今も営業中だ。 

   

  
パウロ門 Paolustor

アウトバーンA7号線を 降り、パウロ門をくぐるとそこはフルダの旧市街、道の向かって左側には、オランジェリー宮殿、シュロス庭園(Schlossgarten)、市宮殿(Stadtschloss)、右には大聖堂が見えてくる。

    
大聖堂 Dom

2本の尖塔を持つこの教会は、正面を東に向けた珍しい教会建物で、1704年から同12年にイタリアの バロック様式教会を手本に改築された。2本の尖塔の両横にには改築の時に小礼拝堂を付け加え、 力強さを強調したバロック様式の代表的建築といわれている。
 この場所には8世紀のカール大帝の 時代に建てられたアルプス以北では最大と言われた修道院があり、754年に、キリスト教の伝道中に 殺された聖ボニファティウスはその付属教会に埋葬された。 大聖堂はその付属教会の上に建てられた もので、中央祭壇ののしたには聖ボニファティウスの墓がある。 石棺には最後の審判の日に自分の 墓を持ち上げる聖ボニファティウスの姿が彫られ、多くの巡礼を集めた。

  

 聖ボニファティウスの墓

 中央祭壇の地階にある聖ボニファティウスの墓。 石棺の彫刻に注目されたい。

  聖ボニファティウスは754年、北ドイツでのキリスト教の伝道中にオランダで殺される。 彼は751年 クーデターによってフランク王国にカロリング王朝を開いたピピンの戴冠式を行った人物で、本名を ヴィンフリートという英国の僧侶であるが、この戴冠式の功績で、後に教皇から聖ボニファティウス の名を贈られる。

   
市宮殿(Stadtschloss)

バロック様式のこの堂々たる市庁舎は、写真で見る限り城に近い。 領主僧正の命を受けて 1706年〜1721年の間に、大聖堂と同じ建築家ヨハン・ディツェンホーファーの設計を基に、もとの ルネサンス様式の城を拡張、改造し、造りあげられた。 たくさんある『歴史の間』では、フルダの 歴代領主僧正の私宅や、式典ホール、フルダ陶磁器のコレクションが見られる。

  
ゴブラン織りの間

皇帝の間(地階)、緑の間、ゴブラン織りの間、大広間(市議会場)、2階プライベートスペースには ダイアナの間(食堂)謁見の間、鏡の間、フルダ陶磁器コレクション等が見学できる。 



  
市宮殿からオンジェリー宮殿を望む

市宮殿の窓から宮殿庭園、オランジェリー宮殿を一望する。 花壇は植え替え作業中 だった。

  
大広間(市議会場)

大広間、現在は市議会の議場として使われている。

 



 陶磁器のコレクションは食器類、様々な人形、壺などが展示されていた。      

 フルダ見学を終え、イェーガハウスと言うレストランで 昼食後、今日の宿泊地バンベルグに向かって出発、アウトバーンを走ること約2時間で到着した。  早めに到着したのでチェックイン後、市街中心部に出かけた。 明日はワグナーの町バイロイト観光だ。  明後日がバンベルグの観光となっている。

ドイツの歴史 III

(3) ルターの宗教改革と30年戦争

 話は少し戻るが、16世紀に入るとマルティン・ルター による宗教改革(1517年)が行はれ、ローマ教会へに不満から諸侯、騎士、市民、農民を巻き込んだ 社会運動に発展して行く。 こうして1524年、ルターの「神の前には万人が平等である」とする 思想に力を得て、農民達は教会や領主を相手に税の減免・廃止を求めて、鉱山労働者、職人も巻き込んだ 「ドイツ農民戦争」といはれる一揆を起こす。 この一揆は1年で過酷な鎮圧をされてしまうが、 鎮圧後ルター派の運動は、反カトリック、反皇帝(注 皇帝は教皇と争ってはいるがカトリック)の諸侯や 都市を中心に推進され、領内の教会を自分の支配下に納め、教会の力を借りてドイツに権威を維持 しようとする皇帝jと対立する。

 一方、これを見たローマ教皇は、スペイン王も兼ねた神聖ローマ 帝国(ハプスブルグ家)の力を殺ぐチャンスとばかりフランスと手を握る。 このため皇帝は領主に 妥協を余儀なくされ、1551年、「領主の宗教がその土地での宗教である」とする協定が成立し、 ルター派は正式にドイツの地に根をおろす。

 これ以後ルターの改革は他の諸国へと輪を広げて行き 、ついに30年戦争(1618年〜1648年)といわれる国際紛争に発展する。 この結果、国土は 荒れ果て、諸侯や有力都市が独立し300あまりの独立国家が乱立する。 

 この小国家の 乱立が、英仏のように既に統一国家を形成していた国に、後にドイツが大きく遅れを取る原因とされている。  反面、この独立国家であった故の地方や都市の独立性が、個性あふれた地方文化として観光客を楽しませて いる。

  

とーるくん