ゲッチンゲンの駐車場に戻りバスに乗車、メルヘン街道を行くこと 約45分、この日の第2の目的地ハンミュンデンに着く。 この町も木骨組の(ハーフ・ティンバー)の家の 家並みで名高い、深い緑の森で囲まれた静かなハンミュンデンの町には、約560戸の木骨組の家が 立ち並んでいる。 ハーフ・ティンバーは英語でドイツ語ではハッハヴェルクと言うが、木でしきられた構造と 言った意味らしい。 壁には石を詰め漆喰で塗り固めてあるので、耐火性に優れているといわれる。

 またこの町は「鉄ひげ博士」(ドクトルアイゼンバート)の町としても知られている。  ドイツで「鉄ひげ博士」とは日本語の「やぶ医者」に当たるらしい。 「やぶ医者」の語源は 江戸時代の医師、藪井竹庵から来ているが、「鉄ひげ博士」もこの町に住む実在の、たいへん研究熱心 で誠実な医師で、 Eisenbart(1663〜1727)という姓で(eisen=鉄、 bert=髭)であった。

 彼は 新しい治療方法を発見したり、公衆の前で手術をしたりして名声を博したので、他の医師から妬まれ 「鉄ひげ博士」=「やぶ医者」となったと言われている。

 ハンミュンデンの町はフルダ川とヴェラ川の合流点に出来た町でここから川は ヴェーザー川となり、ハーメルン、ブレーメンを経てブレーマーハフェンから北海に 注ぐ。

 わがバスはフルダ川の中州にある駐車場に15:30に着いた。 

  
ハンミュンデン旧市街

フルダ川越しに見るハンミュンデンの旧市街

    
フルダ川とヴェラ川の合流点

左側がフルダ川、右側がヴェラ川、(いずれも本流ではない、写真の左右に見えるのはいずれも中州)手前から奥に向かって流れるヴェーザー川。

  

 
ヴェラ橋より見るウェルフェン城。

 1501年に建てられた このお城、今は図書館と市立博物館として使われている。

   
ランゲ通り

先ほどのランゲ橋を反対側に進むとこの町のメインストリートランゲ通りに進む。 木骨組の家が密集している。 今日は土曜日の午後なので、ほとんどのお店は閉っている。

  
鉄ひげ薬局

”赤ひげ薬局”ならぬ『鉄ひげ博士薬局』 Dr.Eisenbart Apotheke というものもある。 看板がユニーク。  この町全体が鉄ひげ博士でもっているかのよう。 



  
鉄ひげ博士終焉の家 Stebenhaus Dr.Eisenbart

1727年にこの家で死亡。 軒先に太い注射器を持った鉄ひげ博士の像がある。

  
市庁舎 Rathaus

ここにも鉄ひげ博士のしかけ時計があった。  時間になると正面の 時計の下の窓からからくりが現れる。 嫌がる患者に無理やり施術する鉄ひげ博士。

 例によってラーツケラーも地下に併設されていた。



                  
I II III

 聖ブラジウス教会ではオルガンの演奏を聞くことが出来た、 中州駐車場に戻って(17:50)宿泊地カッセルに向かう。 

ドイツの歴史 I

1.ドイツとは

 中世の歴史にはドイツ貴族、ドイツ人傭兵等の言葉は 出てくるが、国名としてのドイツは出てこない。 では正式の国名としては、いつ出てくるのか?、 ドイツとは 何なんだ? と言う視点から、駆け足でドイツの歴史を見ていく。

(1)東フランク王国

 世界史の授業で最初に出てくるドイツ関係のできごとは、『375年、ゲルマン民族の大移動』だろうか。  この大移動の結果として、西ローマ帝国は滅亡に至り、ゲルマン民族による フランク王国が誕生する。

 西ローマ帝国が崩壊した476年頃は現在の ドイツの地には、数十のゲルマンの部族が住んでいた。

 この一族のフランク族のフランク王国が、5世紀の 末にフランス北西部のランスで、王をはじめ3000名という団体でカトリックの洗礼を受け、カトリックや ローマ人の協力も得て拡大を始める。 こうしてフランク王国は8世紀末にはスペインを除き イタリアを含んだ西ヨーロッパのほぼ全域を支配する。

 このカトリックを信じる 強大なフランク王国に、教会を保護してくれる勢力として目をつけたローマ教皇は800年、ミサに来たカール大帝 (位768〜814年 仏、シャルマーニュ)の頭に突然冠を載せ、彼を西ローマ帝国の後継者と認める。

 当時コンスタンチノープルに 本拠を置くキリスト教(ギリシャ正教)のトップ(大主教)は、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)皇帝の 家来の位置付けになっており、ローマ教皇としてはフランク王に保護しては欲しいが、自分が王の下に組み込まれる ビザンチン帝国の形態は何としても避けたかった。

 840年、フランク族の相続法にしたがってフランク王国は 長男は中、次男は東、三男は西の3っの王国に分割される。 850年、長男が死亡し東西のフランク王国は、中フランク王国を 2分する。

 西フランクは現在のフランスの大半を、東フランクはドイツからイタリアとフランス東南部までの、 超能力を持った支配者でなければ治めきれないような広い地域を領有する。 移動も通信もすべて馬の背に頼った時代に 北海、フランス南東部からシチリアまで支配することは想像を絶する苦労があったであろう。

 この広域を支配するに当たって 容易に考えられることは、気心が知れて地域の管理を任せて部下たちへの大幅な権限委譲である。  しかも世襲制にしたので、力をつけた世襲管理者たちが、自治権を得るのに多くの時間は必要としなかったであろう。 こうして 王国には自治権を持った領主が出現する。

 近世に入って統一の遅れたドイツを不幸とするならば、その不幸の 原点はこの時点からということになる。 

  

とーるくん