ーメルンの笛吹き男 の話は子供の頃にグリム童話で一度は読んだことが有るだろろう。 
こんな話だ。 「1284年のある日のことである、まだら模様の服を着た笛吹き男がハーメルンの 町に現れた。 男はねずみを町から追い出し、町からねずみを退治する。  しかし、ねずみの災難から免れると町の人々は約束した報酬の支払いを 断った。 怒った男は笛を吹き、130人の子供たちを誘い出し、山に着くと 子供たち共々姿を消してしまった。 親たちは手を尽くして探したが、子供たち の行方は杳として知れなかった。」

の話は、実際にあった事件をもとにした伝説である。 1284年6月26日に 130人の子供たち(成人ともいわれる)が、忽然と失踪してしまった。 世界中の 多くの学者がいろいろな解釈をたてている。 「子供の十字軍」、「東部移住説」、「舞踏病」、 「疾病による死亡」、あるいは「野獣に食い殺された」、「溺死」、というのまである。 ハーメルン市の新門に設置されたプレート(1556年)には「笛吹き男」ではなく「マグス」が130人の 子供を連れ去ったとある。 「マグス」とはラテン語で神秘の世界の支配者の意である。 本当の所は如何なのか、真相はわからない。

かし東部移住説が最も確からしい。 中世の12-13世紀のヨーロッパは都市が生まれ貨幣経済が浸透し、貧富の差が広がり、 都市の下層市民は厳しい身分制度に縛られながら財力が物を言う世の中を懸命に 生きていた、さらにその下層市民の中でも悲惨な生活を強いられた、卑しいと 思はれていた仕事をしていた人、さらに市民権を持たない貧しい未亡人や未婚の 母などである。 こういった人々が新しい土地に希望を求めてどんどん東に出て行った。  それが東プロイセン現在のポーランドのマズール地方である。 ドイツ帝国の前身となる プロイセン王国の基礎となった。 それらの人々を守り支配したのがドイツ騎士団である。   

  

14世紀のドイツ(神聖ローマ帝国)、ポーランド、ドイツ騎士団領。

方移住は第一次、第二次と自然発生的に起こったがやがて、ロカトールと呼ばれる殖民請負人が出てきた。 その請負人が「笛吹き男」、では ないかと考えられる。 

ーメルンのノイエ・マルクトで集団結婚式を挙た65組のカップルが 「舞楽禁制通り」からオスターシュトラセを経て現在のポーランド、オステローデの町にやって来たのではないかと 考えるのも歴史のロマンであろう。


とーるくん