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赤毛のアン  原作

原作本の紹介 赤毛のアン
原本 Anne of Green Gables
発行年 1907年
原作者 ルーシー・モード・モンゴメリー
カナダ人(1874年〜1942年)
訳書名 赤毛のアン
出版社 三笠書房、新潮社、旺文社 他
翻訳者 村岡花子、掛川恭子、神山妙子 他

原作の補足説明
 赤毛のアンの原作の日本語版は村岡花子の訳した赤い背表紙の新潮文庫が一番有名で、どこの本屋に行っても置いてあるし、この新潮文庫の赤毛のアンを読んだ人も多いだろう。しかしこの新潮文庫の赤毛のアンは完訳ではなく、後半の重要な部分がばっさりとカットされていたりと、原作を楽しむには少し物足りない。神山妙子の訳した旺文社文庫はアニメと台詞も同じでお勧めではあるが、残念な事に既に絶版となっており入手も困難である。有名な小説だけに他にも色々と赤毛のアンを訳した人は多いが、ここでは訳者の解説がとても豊富な松本侑子訳の集英社文庫を紹介する。
アニメとのストーリーの違い
 アニメ化にあたり原作を忠実に再現しようとしただけあり、他の世界名作劇場の作品と違ってアニメと原作ではほとんど差はない。しかしそんな赤毛のアンのアニメでも、やはり原作と異なる部分もいくつか存在するので、それらを紹介する。
 男の子を欲しがっていたグリーンゲイブルズにアンがやってきて、一度は孤児院に送り返されそうになりますが、そのまま引き取られてグリーンゲイブルズで暮らすようになる第5話あたりまではアニメも原作もほとんど同じですが、2点ばかり違いがあります。1つはアンを孤児院に返す為にホワイトサンドへ向かう馬車の上でアンの生い立ちを聞いたマリラの心理描写がアニメと原作では少しばかり異なります。原作ではアンの不幸な生い立ちを聞いてマリラはアンを可哀想に思い、このままグリーンゲイブルズに連れて帰って自分たちで育てた方がいいのではないかと考えますが、アニメにはそんな描写はありません。もう1つは「おさな子らを祝福するキリスト」の絵です。これはアニメでは牧師館にあり、アラン夫人にお茶に招待されたアンは、そこでこの絵を見てアラン夫人に自分の生い立ちを語りますが、原作ではこの絵はグリーンゲイブルズの居間にありました。
 さらにアンはダイアナと心の友になり、学校に行って騒動を起こし、ダイアナをお茶に招いて失敗し、再び学校に通うようになってミニーメイを助け、そしてダイアナの誕生日祝いにふとした事からジョセフィンおばさんと仲良くなるところまではアニメも原作も全く同じですが、一部アンが学校に通い始めた頃の話は原作はアニメほど詳しく描写しておらず、原作の所々でアンがマリラに語って聞かせる話をアニメ化したような感じです。
 アンがグリーンゲイブルズに来てちょうど一年が経過した時、アニメの第20話で原作とアニメで大きな違いがあります。それはアニメではアンがグリーンゲイブルズに来た一周年を記念してマシュウはアンを誘ってブライトリバーまで馬車でドライブに行きますが、原作ではこれとは全く異なる展開となっています。アンは想像力を働かせるのが大好きで、常に道や湖に名前を付けたり、そこで色々な物語を空想していました。ところがアンはダイアナとの家の間に横たわる森に「お化けの森」と名付け、数々の恐怖の想像をダイアナと一緒にしていたのです。白い服の女の人が小川をふらふらと歩き回って泣き叫んでいたり、殺された小さな子供の幽霊が出るなどと想像して楽しんでいたのですが、自分の想像が原因でアンもダイアナも暗くなってから森の中に入れなくなってしまいます。マリラはアンの想像力が間違った方に向かわないようにする為にも、無理矢理アンを夜の森に追い立て、アンはお化けを想像するのは止めようと決心します。ダイアナも同様に「お化けの森」の事をお母さんがひどく叱られた為、ダイアナは想像そのものを止めてしまったようで、その後も妖精の存在を信じてはいけないと思い込むようになっています。
 他にもアンがダイアナの家の屋根から落ちて足を痛めた時、アニメでは「ひどく痛めた」としか言っていませんでしたが、原作には骨折したと書かれています。またこの時、アニメではステイシー先生が見舞いに来てくれたり、ダイアナが病気になったりするエピソードがありますが、これらは珍しくアニメだけのオリジナルのエピソードになっています。
 そこからクリスマスのコンサート、物語クラブ、シャーロットタウンのジョセフィンおばさん宅への訪問など、アニメと原作は同様に進みます。しかしアンがグリーンゲイブルズにやってきて2年半が経過した、アニメの第33話あたりから、アニメは原作を少しばかり脚色したような展開になります。アニメでは結婚の話でダイアナとケンカし、さらに仲直りしてからもダイアナがクィーン学院に行かない事をしつこく尋ねて再びダイアナを怒らせてしまいます。しかしこれらはすべてアニメのみのオリジナルで、原作では両親の都合でダイアナはクィーン学院には行かない事になり、それを知ったアンはクィーン組の補習を受けつつ、一人寂しく帰って行くダイアナを見ながら涙するだけでした。アニメではアンとダイアナの生き方の違いを強調していましたが、これはこれでなかなかよかったのではないでしょうか。
 それから第36話から第37話にかけての物語クラブの解散、カーモディまでの支線の開通も原作では少しばかり触れているだけで、ほとんどアニメオリジナルと言っていいでしょう。さらにジョセフィンおばさんをグリーンゲイブルズに招待する話は完全にアニメのオリジナルです。アニメの第38話でマシュウが心臓発作で倒れてしまい、アンのクィーン学院への受験にシャーロットタウンまで馬車で送って行けなくなり、アンは急遽、汽車でカーモディからシャーロットタウンに向かうエピソードがありますが、これもアニメのオリジナルです。ステイシー先生の別れのシーンもまたアニメオリジナルです。また第39話で合格発表が遅れてアンが気をもんでいた時、アンはマシュウの農作業を手伝って気を紛らわせますが、これもアニメオリジナルの展開です。それから第41話のアンの養子の話や第43話の3人でブライトリバーまでドライブに行く話、第44話のマシュウの心臓病を心配したアンが突然グリーンゲイブルズに帰ってくる話、そして第45話でアンがエイブリー奨学金受賞という栄光を手に久しぶりにグリーンゲイブルズに帰ってきた時、きらめきの橋の上でアボンリーを懐かしむエピソードもすべてアニメオリジナルです。しかしマシュウが亡くなってからのアニメはほとんど原作と同じに戻ります。物語の最後にステラとステイシー先生から手紙が届き、それに対する返事を書くところでアニメは終わっていますが、これもアニメのオリジナルです。
 このように書くと、アニメと原作ではかなり違いが多そうに感じますが、実際には枝葉の部分が少しばかり違うだけで幹の部分はまったく同じなので、両方見ても違いに気付かないくらいです。
アニメとのキャラクターの違い
 アニメは原作を忠実に再現しただけあってキャラクターもほとんど違いはありません。ただ、原作ではマリラは痩せていると書かれていますが、アニメのマリラは痩せているようには見えません。確かにレイチェル夫人ほど太ってはいませんが、少なくとも痩せているとは言えないでしょう。
まとめ
 一般的に世界名作劇場のアニメは1年間の放送枠を埋める為、原作を大幅にふくらましてストーリーを追加したり、面白くなるように設定を変えたり、果ては主人公の性別まで変えたりしているが、この赤毛のアンだけは原作を忠実に再現していると言えるだろう。しかし原作とアニメの両方を注意深く観察すると、アニメはアンから見た心理描写が多いのに対し、原作はマリラから見た心理描写が多いのに気付く。マリラはアンがグリーンゲイブルズに来た頃、いつも落ち着きのないアンに対して物事を冷静に受け止め、穏やかな性格を養ってやるのが自分の務めだと思っていた。しかしアンがグリーンゲイブルズに来て1年も経過するとマリラはアンを上品な礼儀作法と、とりすました立ち振る舞いの模範的な少女に造り替える事などほとんどあきらめかけていた。なぜならマリラはマリラ自身は気付いていなかったが、本当は上品ぶった女の子よりもありのままのアンの方がはるかに好きだったのだ。そしてアンがダイアナの家の屋根から落ちてバリー氏に抱きかかえられてグリーンゲイブルズに運ばれるのを見た時、マリラは初めてアンの事が好きで、この世で一番愛しい人だという事に気付く。そしてアンがグリーンゲイブルズに来て2年半が経とうとしていた頃、マリラはますます深くアンを愛するようになるが、マリラは愛情の表現を身に付けていなかったので、言葉で伝えたり顔に表したりする事はなかった。それどころかアンの事をこれほどまでに深く愛する事が神への冒涜ではないかと恐れ、アンをさほど大切に思っていないかのように冷淡に厳しく当たる事で無意識のうちに罪滅ぼしをしていた。そしてアンがグリーンゲイブルズに来て4年が経過すると、マリラがあれほどまで愛した小さな子供は跡形もなく消えてしまい、その代わりに思慮深い顔をした背の高い真剣な眼差しの15歳の少女が姿を現したのだ。今のアンも幼かった頃のアンと同じように愛しかったが、口数も減り大げさな言葉も使わなくなったアンに、何かを失った気がしてマリラは無性に寂しくなるのだ。結局のところ、マリラはアンがグリーンゲイブルズに来た時、よく喋る女の子だとうるさがり、事ある毎にアンに冷たく注意していたが、いざアンが大人に成長して子供の頃のように喋らなくなると、今度は寂しがって昔のアンを懐かしんで涙する。何とも勝手な話だが、そこがこの物語の醍醐味と言えよう。
 赤毛のアンの原作は1904年、ルーシー・モード・モンゴメリーが30歳の時に書かれたが、3社の出版社に持ち込むもすべて断られ、それから長く屋根裏部屋にしまわれる事になった。しかしふとした事から屋根裏部屋に眠っていた、本人も存在を忘れていた原稿を発見し、読み返すとそれがとても面白く感じた事から再び出版社に持ち込み、1907年に「赤毛のアン」が出版される事となった。「赤毛のアン」は瞬く間にベストセラーとなり、気をよくしたルーシー・モード・モンゴメリーはその続編を次々と執筆する事になる。1909年に「アンの青春」、1915年に「アンの愛情」、1917年に「アンの夢の家」、1919年に「虹の谷のアン」、1920年に「アンの娘リラ」、1936年に「アンの幸福」、1939年に「炉辺荘のアン」の7冊の続編を執筆している。
 それぞれを簡単に説明すると、「アンの青春」はアンの16〜18歳にかけての青春時代を描いた作品で、アボンリーの学校の先生として就任するところから始まり、グリーンゲイブルズに双子の子供を引き取って育てる事になったり、アボンリー村改善会での出来事、ミス・ラベンダーの結婚、そしてグリーンゲイブルズにレイチェル夫人が住む事になり、アンがレドモンド大学に行くようになるところまでが書かれている。この「アンの青春」は、前作の「赤毛のアン」に比べると、出だしから新しい登場人物が続々と登場するので、流れを理解するのに苦労するかもしれない。
 続く「アンの愛情」ではアンの18〜22歳にかけて描かれている。アンがグリーンゲイブルズを離れてレドモンドの大学に通うところから始まり、フィリパとの出会い、ルビー・ギリスの死、パティの家での生活、そしてギルバートがアンにふられ、アンが金持ちで美青年のロイと付き合うようになるが、求婚の最後の瞬間に断ってしまい、結局アンはギルバートの求婚に応えるという、レドモンド大学での4年間が描かれている。この「アンの愛情」は、昔の子供時代の友達は、親友のダイアナは結婚し、ジェーンは西部に行ってしまい、ルビーは亡くなってしまって誰もいなくなり、楽しかった子供時代を懐かしみ、あの時代に戻りたいと思うあたりはなかなか楽しめます。
 続く「アンの幸福」では、サマーサイドに下宿して、中学校校長として就任する22〜25歳のアンが描かれている。サマーサイドにはびこるプリングル一族との争いや、副校長のキャサリンの人間嫌いなどを校長として乗り越えていくアンの姿が描かれている。この「アンの幸福」ではアンがレドモンド医科大学で学ぶギルバートに送る手紙を抜粋しながら物語が進行するので、どちらかと言うとアンの一方的な描写が多く、少し面白味に欠けるところもあるが、ギルバートへの手紙を書くアンのペン先が引っかかりもせずすり減ってもおらず錆びてもいない時に限り、アンはギルバートへ愛の言葉を書いていたようだが、その部分だけは物語から省略されているのが笑ってしまう。
 さらに「アンの夢の家」ではアンがギルバートとグリーンゲイブルズで結婚し、アボンリーから遠く離れたフォア・ウインズに新居を構え、そこで新婚生活を送る25〜27歳のアンの生活が描かれている。フォア・ウインズは住んでいる人も少なく、登場人物も限られているので、この「アンの夢の家」は比較的読みやすい。灯台守のジム船長、リンドおばさんのような話し好きのコーネリア、そして不幸な身の上のレスリーなどが登場し、アンの死産へと続く。その後、不幸続きだったレスリーにも幸せが訪れ、アンにようやく子供ができ、ジム船長が亡くなり、アンとギルバートは幸せな新婚生活を送った夢の家を引き払い、新天地へ引っ越す。
 「炉辺荘のアン」ではギルバートとの新婚時代を過ごしたグレン・セントメアリ村の夢の家を離れて炉辺荘に引っ越し、5人の子供が生まれた、アンが34〜40歳にかけての6年間が描かれている。ウォルターか預けられた先から夜中に戻ってきたりメアリー・マライアおばさんの騒動があったり、アンが内緒で婚約まで済ませた二人の中を取り持とうと苦労したり、ジェムの犬の話、ナンの神との取引やキャシーと入れ替わった話、ロマンスの国、ダイの親友ドヴィーやデリラの話、リラのケーキを運ぶ話などアンの家族を中心に描かれているが、なぜか不思議な事に三男シャーリーの事はほとんど描かれていない。
 続く「虹の谷のアン」では、アンが40〜41歳にかけての1年間が描かれている。しかしこの頃には、もはやアンやギルバートはほとんど登場しない脇役に過ぎず、主役はジェムをはじめとするアンの6人の子供達と、ジェリーをはじめとする牧師館の4人の子供達、そして孤児のメアリーとなっています。物語は妻を亡くした牧師がグレンにやってきて、アンの子供達と友達になり、孤児のメアリーも加わって虹の谷で遊び、色々な事件を引き起こすのが主なストーリーです。
 最後の「アンの娘リラ」では、アンが49〜53歳にかけての4年間が描かれている。この作品でもアンはほとんど登場せず、第一次世界大戦が勃発したことでジェムやジェリーが出征し、戦争に巻き込まれていくアンの子供達と牧師館の子供達を、アンの末娘リラの目線で描いている。すぐに終わるだろうと思われていた戦争も、4年もの長きにわたって続き、その間にウォルターやシャーリーまでが出征し、やがてウォルターは戦死、そして銃後のリラは、ふとした事から戦争孤児の赤ん坊を育てる事になり悪戦苦闘する姿を、リラの日記という形で描いている。
 赤毛のアンは8冊のシリーズ本とされているが、「赤毛のアン」からの流れを汲むのは「アンの青春」と「アンの愛情」の2冊くらいで、「アンの幸福」「アンの夢の家」「炉辺荘のアン」あたりは、もうほとんど別作品と言っていいような内容、さらに「虹の谷のアン」や「アンの娘リラ」に至っては、アンさえほとんど登場しないようになっている。私が読んだ限りでは、初期の作品ほど面白く、後半になるほど面白味が薄れているように感じる。個人的には「赤毛のアン」が一番面白いのは言うまでもないが、その次に面白いのは「アンの愛情」だと思う。「アンの娘リラ」は別作品として見るならなかなか面白いのではないだろうか。

評価
 項目 5段階評価 コメント
アニメとの類似性 ☆☆☆☆☆ アニメは原作を忠実に再現しているのでまったく同じです。
入手の容易度 ☆☆☆☆☆ 有名な作品なのでほとんどの本屋にある事でしょう
お薦め度 ☆☆☆☆ アニメを楽しめたら、原作はもっと面白いかも。
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