2004年5月1日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"What Strange Stars and Skies"(1963)
 ヴィクトリア朝のエイリアン・アブダクションの話。手記形式なので、擬古文で書いてあり、会話もなし。ジョン・ファウルズ『マゴット』(国書刊行会)をふと連想した。つまらなくはない。


2004年5月2日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"The Unknown Law"(1964)
 邦訳は「見えない法律」(小尾芙佐訳、ミステリマガジン1971年7月号)。
 大統領が在任期間中にひとりだけ暗殺できる「見えない法律」があるという話。たんなるアイディアストーリーで、書き方も古くさいSFタッチ。


2004年5月3日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"No Fire Burns"(1959)
 ある大企業で社員が同僚を射殺するという事件が起こる。犯人は逮捕されたあともまるで後悔する様子はなく、「あいつがいたら昇進できないのだから当然のことをしたまで」と冷静に答えるのみ。こうした異常な心理傾向の社員を排除するため、大企業は心理学者に心理テストの作成を依頼する。

 これはなかなかの佳作なんだけど、惜しいなあ。「こうした人間にはなにかが欠けている。内部のなにかが死んでいる。心のなかに炎が燃えさかっているからではなく、なんの炎も燃えていないからこそ、人を殺すのだ」という鋭い洞察は、いまや常識だからね。
 ジュディス・メリルは「これぞ新しいサイエンス・フィクション」と評している。1959年当時は確かにそうだっただろう。しかし、いまやごくありきたりの話になっちゃったわけ。これはデイヴィッドスンの先見性を意味しているので、むしろ勲章だと思うけど。

 追記。The Avram Davidson Websiteの書誌情報によると、"No Fire Burns"という題名は編集者がつけたらしく、オリジナルの題名は"The Shirt of Nessus"だったとか。ギリシャ神話でヘラクレスを殺した「ネッソスの下着」のこと(というのはたったいまGoogleで調べた)。
 やっぱりデイヴィッドスンの題名のつけ方って変。"No Fire Burns"のほうが圧倒的にいいよなあ。


 今日もアヴラム・デイヴィッドスン。

●"The Third Sacred Well of the Temple"(1965)
 邦訳は「聖なる井戸」(曽我容人訳、日本版EQMM1965年12月号)。
 南米のとある静かな村。村人の人柄はよく、食べ物は新鮮でおいしく、物価も安いとあって、6人の英米人がのんびり暮らしていた。ところが、そこに旅行ジャーナリストがやってくる。彼が「穴場のリゾート地」という記事を書くと、たちまちその地には観光客が押しよせ、ホテルが建ち、物価は急上昇してしまうのである。

 デイヴィッドスンのミステリはどれもアクチュアルなので驚く。現代的なことが大嫌いだったからこそ、その本質がよく見えるのかも。南米の異国情緒は楽しめるが、出来としては普通か。


 っつーわけで、デイヴィッドスンの短編を50編読んだから、もういいかなって気がしているわたしである。

 というのは、わたしの調査では、デイヴィッドスンの1970年以前の短編は全108編(A. A. Davidson名義と共作を除く)。このうち『10月3日の目撃者』収録作が12編、雑誌でしか読めない作品が38編。残りは58編である。つまり、入手可能な短編はあらかた読んだと思われる。
 未読で気になるのは、"Basilisk"(1967)と"A Quiet Room with a View"(1964)かな。前者は「どんがらがん」の続編らしい。後者はThe Investigations of Avram Davidson所収だが、落丁していた。やっぱり古本屋に抗議すべきかね。
 ほぼ決定稿の目次案はこちら。


 雑談を少し。

"No Fire Burns"(1959)を読むためだけにYear's Best Science Fiction 5(ジュディス・メリル編、1960)を買ったら、ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」が収録されていたので、ぱらぱらながめてみる。「けーかほーこく」の原文は「progris riport」でした。
 初めて読む英語の短編には選ばないほうがよいと思われ。


2004年5月4日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"The Importance of Trifles"(1969)
 1840年代のニューヨークを舞台にしたミステリ。探偵役はジェイコブ・ヘイズ上級治安官(High Constableと書いてあるのだが、この訳語でいいんだろうか)。
 これはたぶん日本人にとっての「明治ものミステリ」みたいなものだと思う。ミステリ的な趣向よりも、風俗や歴史考証を楽しむ小説。楽しく読めたけれど、いまひとつぴんとこないし、長い。


2004年5月5日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"Selectra Six-Ten"(1970)
 アヴラム・デイヴィッドスンがF&SF編集長エド・ファーマンに送った手紙。「直せと言われた短編はミステリに変えてQQMMに渡した」「直せと言われた短編はそのままバニーボーイ誌に売った」といった内容。たんなる楽屋オチですな。


2004年5月7日

 らっぱ亭主人様がアヴラム・デイヴィッドスンの短編コピーを12編も送ってくださいました。これで当分、読むものに困りません。厚く御礼申しあげます。

 というわけで、今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"A Quiet Room with a View"(1964)
 老人ホームの話。これはおもしろい。ユーモラスで、なおかつグルーミーな味わいがたまらない。


"A Quiet Room with a View"より、アヴラム・デイヴィッドスン先生の鶏肉講義。

"Oh yes, I always say that there is nothing like a chicken thigh because the back is too bony and the breast is too rich and the leg has all those grizzles on it and as for the wing — well, it has hardly anything on it; but the thigh — I always say the thigh is just right."

「そうですの、わたしいつも言ってるんですのよ、鶏の腿肉ほどおいしいものはないって。鶏皮はごつごつしてるし、胸肉はこってりしすぎて、足は白いのがいっぱいついてるし、手羽だと——まあ何もついてないけど、腿は——腿がちょうどいいって、わたしいつも言ってるんですの」(若島正訳)

 わたしは手羽先、好きなんだけどなあ。


2004年5月8日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"Rite of Spring"(1970)
 なんだかよくわからん。初出はOrbit 8(1970)だが、デーモン・ナイトにはわかったんだろうか。もういっぺん読んでみるかなあ。
「わかる/わからない」と読んでいて「おもしろい/つまらない」は別なので、わかっても評価は変わりません。


 もいっちょアヴラム・デイヴィッドスン。

●"The Sensible Man"(1959)
 アメリカからソ連に亡命した宇宙科学者の話。スプートニクショックのころだから、彼は「利口な男」ということになる。いまや完全に古びちゃったお話。


2004年5月9日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"Basilisk"(1967)
「どんがらがん」(1966)の続編。
〈カナラス国〉を救う呪法を求めて旅をつづける若ヘイズリップのマリアンとゼンバック・ピックスは〈タワリス国〉にやってくる。まずは旅人を殺しては金品を奪う悪辣な通行税吏スラッグに出くわすが、返り討ちにして、逆に貯め込んだお宝を手に入れる。宝石商のふりをして、お宝を裕福な地主ケイプに売ろうとするが、スラッグから盗んだものとばれてしまい、やむなく殺してしまう。つづいては、不慮の事故で亡くなったケイプのいまわの遺言を聞いた旅人として、ケイプの館に行くが、遺産相続争いに巻き込まれ、とんでもなくひどい目に遭う。

 ジャック・ヴァンス〈切れ者キューゲル〉を思わせる無責任ピカレスクファンタシー。けっこうおもしろいが、「どんがらがん」よりは落ちる。遠未来の地球という設定がどこかへ行ってしまって、完全にファンタシーになっている点が特に弱い。


2004年5月10日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"They Loved Me in Utica"(1970)
 酒びたりの老いたシンガーとマネージャー役の女性を描いたショートショート。このネタをハードボイルド風に書くとは、アイディア賞もの。ただし、ややネタが高踏的すぎるか。


 もいっちょアヴラム・デイヴィッドスン。

●"Mirror, Mirror"(1965)
「ハンク・レイモンドはA・メリットの愛読者だった」で始まるショートショート。2回ほど笑ったけど、べつにデイヴィッドスンじゃなくても書ける話。


 またまたアヴラム・デイヴィッドスン。

●"Quick with His Hands"(1967)
 火星を舞台にした少年時代の苦い思い出。べつに火星でなくてもいい話。


2004年5月21日

 ひさしぶりに今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"Timeserver"(1970)
 なんだかよくわからん。時間的なことと心理的なことと仮想現実的なこととがごっちゃになっていて、話が混乱しているような気がする。


 がんばってもいっちょアヴラム・デイヴィッドスン。

●"Zon"(1970)
 ヒロイックファンタシー風中編。
 舞台はたぶん遠未来の氷河期の地球で、人間は穴蔵と呼ばれる地下都市で暮らしている。オース穴蔵の若者シボールド(赤毛のモヒカンなのであだ名は雄鶏)は密命を受け、一面の雪のなか、ゾンのスコーパス穴蔵に向かう。ゾンは母王が支配する女族だが、スコーパス穴蔵の母王モーガンは老齢で死にかけている。モーガンの瀕死のうわごと「雄鶏と雌鶏」を予言とうけとめたゾンたちは、シボールドに少女ティンティナ(母王から雌鶏と呼ばれていた)を引きわたし、ふたりは雪のなか、旅立っていく。

 ゾンはアマゾンの略だろう。最大の難点は途中で終わっていること。当然、つづきがあるべきなのだけれど、デイヴィッドスンのことだから書いてない可能性大。

 さて、これで手持ちの単独短編は読みつくしたから、次は共作ですね。

 追記。Gregory Feeley "The Davidson Apocrypha"によると、思ったとおり続編は書かれなかったそうな。翌年、同じWorlds of If誌で似たようなヒロイックファンタシー風連作を始めたので、こちらはやめちゃったらしい。翌年始めたシリーズのほうは2編書いて、Ursus of Ultima Thule(1973)としてまとまったが、これまた尻切れとんぼなんですよ。


2004年5月22日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスンと愉快な仲間たち。

●"Love Called This Thing"(with Laura Goforth, 1959)
 宇宙のかなたにいたある存在が、地球から飛んできた電波をとらえ、アメリカのテレビ番組を見まくるうちに、地球に深い興味を持つ。そこで、電波にのって地球に飛来し、人間の男の形に実体化。そこはクイズ番組のスタジオで、解答者になった存在は莫大な賞金を得る(テレビから膨大な知識を得ていたから)。存在はやがてうら若き女性と結婚し、売れっ子構成作家になる。

 主人公の宇宙人(?)はテレビからしか知識を得ていないので、テレビ的な台詞しかしゃべれない。女性と会うと「きみを愛してる」、タクシーに乗ると「前の車を追え!」というぐあい。デイヴィッドスンがテレビ好きとは思えないので、たぶん共作者のアイディアだろう。誰だか知らんけど。
 SFよりもミステリよりもテレビが好きな拙者は楽しめたけど、50年代アメリカのテレビネタだから、やや古くさい。残念!(というのは波田陽区という芸人の真似です。念のため)


 なんとなく寝つけないので、雑談。

 先日、妙な夢を見たもんだから、ついでに『サッカーSF傑作選』のラインナップをしばらく考えてみたのだが、グレッグ・イーガン「ボーダー・ガード」しか思いつかなかった。ネットで調べても、よくわからん。野球SFなら、こういうチェックリストまであるのになあ。
 これはたぶん、アメリカ人がサッカーにまったく興味がないせいだろう。アメリカのSF作家はアメフトSFならともかく、サッカーSFはまず書かないでしょうね。(イーガンはオーストラリア人だ)

 ところで、調査の結果、イギリス人スティーヴン・バクスターの新刊Hunters of Pangaea(2004)には"A Brief History of Half Time: Football in Science Fiction"というエッセイが収録されていることが判明した。読んだ人がいたら、ぜひなにが書いてあるかどこぞに紹介してたもれ。


2004年5月23日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスンと愉快な仲間たち。

●"The Teeth of Despair"(with Sidney Klein, 1961)
 貧乏な物理学の大学教授が、趣味の電気回路いじりをしながらテレビを見ている。映っているのは「クイズミリオネア」みたいなクイズ番組。問題を聞いた教授が正解をつぶやくと、解答者はまったく同じ言いまわしで正解を言ったではないか。なんと、教授はたまたま解答者の金歯に言葉を伝える送信機を発明してしまったのだった。そこで教授はこんなことを思いつく。同僚の教授を集めれば、どんな難問奇問でも答えられる。そして、正解を送信機で解答者に伝えれば、大儲けできる……。

 またテレビネタだ。なぜだ? デイヴィッドスンにはテレビ好きの友達が多かったのか? たぶん映画「クイズ・ショウ」(ロバート・レッドフォード監督、1994)と同じ事件が発想源だと思う。


2004年5月24日

 河出書房新社様より連絡があり、アヴラム・デイヴィッドスン選集はほんとうに〈奇想コレクション〉第2期に出版されるらしいことを知る。ありがたいことです。続報があれば、またこのページでお知らせします。

 企画スタートといっても、編者(というか目次職人)のわたしの仕事はもう終わってしまっている。共作は収録しないから、目次は決定済み。書名も『どんがらがん』でいいと思うし。
 あとは翻訳家の方にがんばっていただくだけ。ここをお読みの翻訳家のあなた、もしも依頼が来たときは、躊躇せずに快諾してくださいませ。


2004年5月26日

 わけあって、アヴラム・デイヴィッドスンの1970年以降の短編も読まねばならぬはめになったわたしである。デイヴィッドスンの短編を100編読んだら、誰か表彰してくれないかね。

 というわけで、今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"And Don't Forget the One Red Rose"(1975)
 すてきな小品。アイディアはボルヘス風だが、都市生活の現実を描き、弱者にやさしいまなざしを注いでいるところが、デイヴィッドスンならではの味わい。こういう小説書ける人はデイヴィッドスンしかいないよ。
 ホントかウソかわからないペダントリー満載で、翻訳するのはものすごくたいへんそうだが、すでに名人の訳があるので安心である。
 タイトルがうまいのに感心。編集者がつけたのかな?(<デイヴィッドスン先生ごめんなさい)


2004年5月27日

 今日のアヴラム・デイヴィッドスン。

●"Crazy Old Lady"(1976)
 時代の変化についていけず、頭がおかしくなった老婆の話。デイヴィッドスンの反時代性がよくわかる。ある意味では陰惨な話だが、からっとしたユーモラスな書き方なのがよろしい。


2004年5月30日

 ところで、皆さん、SFマガジン7月号掲載のアヴラム・デイヴィッドスン「グーバーども」(浅倉久志訳)はいかがだったでしょうか。わたしはかなりおもしろいと思ってるんだけど。(いま調べたら、考課表ではB+評価だった。書きとめておかないとすぐ忘れるね)
 この短編はオチもいいんだけど、全体の語り口を味わっていただけるとありがたい。あと、デイヴィッドスンの弱者への温かいまなざしも。
 普通、翻訳では語り口がかなり減殺されてしまうものだけど、名人の訳だから安心です。タナナリーヴ・ドゥー「患者第一号」(SFマガジン2004年1月号掲載)を読んだときにも思ったけど、どうしてわたしよりかなり年長の方がこういう若々しい文章を書けるのかね。わしゃ文章年齢ではすっかり老人じゃのぉ。ゲホッゲホッ。