2004年6月2日
今日のアヴラム・デイヴィッドスン。
●"Hark! Was That the Squeal of an Angry Thoat?"(1977)
ニューヨークに火星のジョン・カーターがやってくる話(と説明してもわけわかんないか)。
ほとんどプロットはなく、古き良きニューヨークを翻訳者泣かせのおそろしく独創的な文体でスケッチ風に書いてあるだけ。もはや「ペダントリー過剰の饒舌な悪文」(中村融)の域を超えている。わたしはけっこう好きですけど。
タイトルはエドガー・ライス・バローズの引用かもしれないが、知らない。
"Hark! Was That the Squeal of an Angry Thoat?"より、アヴラム・デイヴィッドスン先生のピザ講義。
Or else, for your sins and your bad karma, you have known nothing but Protestant pizza, may God help you. Not baked in a stone oven according to the Rules of the Council of Trent. Not with the filling so firmly bonded to the crust — and the crust brown and crisp and bubbly round the rim. (...) What do you know of pizza, you with your heritage of Drive-ins and McDonald's, and the Methodist Church, pizza, you think that is pizza, that franchised flop, comes frozen, is thawed, is redone in an ordinary metal quick-a-buck oven, with the cheese from Baptist cows, the tomatoes by Mary Worth, the filing rolling back from off the crust limper than a deacon's dick: this you call pizza?
さもなくば、罪と悪いカルマのせいで、プロテスタントのピザしか知らないんだろう、神の助けあれ。トレント市議会条例仕様の石窯で焼いていない。具はしっかり生地にくっついていない——さらに、生地は茶色でパリパリして縁のまわりが泡ぼこになっていない。〔……〕ピザのことを知ってるのかね、ドライブインとマクドナルドとメソジスト教会で育ったきみ、ピザだよ、あれがピザだと思ってるのか、フランチャイズのできそこない、冷凍で運ばれ、解凍して、ありきたりの金属製お手軽オーブンで焼きなおし、チーズはバプテスト牛産、トマトはメアリー・ワースが育てたやつ、生地からころがりおちかけた具は助祭のポコチンよりふにゃふにゃ。これがピザだっていうのか?
プロテスタントのピザとは、要するにアメリカンピザのこと。イタリアはカトリック、アメリカはプロテスタントの国というわけ。そこからの連想で、このパラグラフはキリスト教づくしになっている。
メアリー・ワースは長期連載された新聞漫画の主人公(老婦人)らしい。日本でいえばサザエさんかな。
なお、翻訳家ではないので、訳せない部分はとばしました。
もいっちょアヴラム・デイヴィッドスン。
●"Naples"(1978)
ヨーロッパの幻想映画のように味わい深い小品。これはすばらしい、と思ったら、世界幻想文学大賞受賞作だった。これで本の帯に「MWA賞、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞受賞!」と書けるな。しめしめ。
2004年6月3日
今日のアヴラム・デイヴィッドスン。
●"Full Chicken Richness"(1983)
ある発明家がチキン風味のスープの缶詰を売り出す。鶏と「別の鳥」を使ってスープをつくっているらしい。七面鳥? ほろほろ鳥? 気になった主人公が発明家の家を訪れると、そこにあったのは……。
まあまあおもしろい。
ガードナー・ドゾアがThe Avram Davidson Treasuryの本編あとがきで書いているように、この「別の鳥」を扱ったSF短編がもうひとつだけある(デイヴィッドスン作ではない)。同じく1980年代の作品で、同じくタイトルに"chicken"が入り、こちらは邦訳があります。
追記。いま思い出したが、この「別の鳥」を扱ったSF短編はもうひとつある。日本人作家の作品だから、ドゾアが知らないのはあたりまえ。厳密な意味でSFであるかどうかも怪しいが、初出はSFマガジンである。
たった3編じゃアンソロジーにはならないけど。SFに限定しなければもっとあるかな。
2004年6月4日
SFマガジン2004年7月号の特集座談会「異色作家短編集を編むということ」(若島正・中村融・大森望)より引用。
若島 最近読んでて面白いと思うのは、アヴラム・デイヴィッドスンとか。彼なら、だれが定義しても異色作家だし、異色作家短編だし、いいと思いますよ。
大森 MWA賞もヒューゴー賞も取っているという。
中村 そんな作家は、他には、ハーラン・エリスンしかいない。
さて、デイヴィッドスンは"Naples"(1978)で世界幻想文学大賞も受賞している。実をいうと、世界幻想文学大賞は3回受賞している。1976年に連作短編集The Enquiries of Doctor Eszterhazy(1975)で、1979年に"Naples"で、1986年にこれまでの功績をたたえられて。
わたしのおおざっぱな調査によると、ハーラン・エリスンは世界幻想文学大賞を受賞したことはないはず。勝ったな。こちとら三冠王だぜ! まあ、エリスンが今後受賞する可能性もありますけど。
ちなみに、短編に限定しなければ、MWA賞、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞を三つとも受賞したことのある作家はもうひとりいる。
答え=ジャック・ヴァンス。
ヴァンスはジョン・ホルブリック・ヴァンス名義の『檻の中の人間』で1960年にMWA最優秀新人長編賞を受賞している(邦訳もある)。また、『ミステリ・ハンドブック』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の記述によれば、エラリー・クイーン名義のオリジナルペーパーバックも執筆していたらしい。
ところで、昨日、シオドア・スタージョン「ニュースの時間です」(大森望訳)を読んだら、くやしいけれど「グーバーども」よりおもしろかった。まあ、しかたないか、相手がスタージョンじゃ。
2004年6月7日
今日のアヴラム・デイヴィッドスン。
●"The Slovo Stove"(1985)
10数年ぶりに故郷の田舎町に帰ってきた主人公が、かつての同級生の家で、スロヴォのストーブという不思議なものを見つける。ラックに黒と青の板状の石を並べてはめこむと、上にのせたやかんや鍋がどんどん加熱されていく。それなのに、石のほうは冷たいまま。
同級生の一家は架空の東欧系移民で、母国の支配階級ハザック族(Huzzuk)と被支配階級スロヴォ族(Slovo)のあいだに確執がある。ハザック族はガスレンジをスロヴォのストーブと間違えた女性のジョークを言っては、スロヴォ族をばかにする。スロヴォ族にとってもスロヴォのストーブはかつての貧困のシンボルであり、そんなものは捨てて、代わりにガスレンジや電気ストーブを使うことを望んでいる。
文明の進歩によって魔法が滅びていくという、いかにもデイヴィッドスン好みの話。しみじみとしていて、わたしはかなり好きだが、やや渋すぎるか。
もうちょっとアヴラム・デイヴィッドスン。
●"The Last Wizard"(1972)
地口オチのショートショート。"Dippa dabba rhuthu thuthu"とか"Coney honey antimony funny cunny crux"という呪文のばかばかしさがカタカナ書きでは伝わらないのが残念。
●"Revenge of the Cat Lady"(1985)
ショートショート。貧乏な老婦人にテレビのお告げがある話。わたしんとこにもお告げ来ないかなあ。
2004年6月9日
今日のアヴラム・デイヴィッドスン。
●"While You're Up"(1988)
奇妙奇天烈なショートショート。The Avram Davidson Treasury併載の序文で、フォレスト・J・アッカーマンは「最初の一文を読んだだけでなんか変だと思わせる」と書いている。だんだんわかってきたけど、デイヴィッドスンのこの手の作品は、深遠かつ難解な意味が隠されているのではなく、読者をけむにまく目的で書いたんだろう。
……などと言いつつも、けっこう好き。意味はさっぱりわからないけど(タイトルの意味すらわからない)。
●"The Spook-Box of Theobald Delafont De Brooks"(1993)
シオボールド・デラフォント・ド・ブルックスはふたりの大統領、シオボールド・ド・ブルックスとグロスヴナー・デラフォント・ド・ブルックスから名前がついた男。本家のド・ブルックス家はセレブだが、こちらのド・ブルックス家は代々貧乏暮らし。しかし、シオボールドはいつか自分にもチャンスが来ると思っている。そんな彼が、ひょんなことから独立戦争当時の先祖が隠した軍資金の入った箱を手に入れて……。
デイヴィッドスンの生前最後の雑誌発表短編。現代のおとぎ話という感じ。
ところで、ド・ブルックスなどという大統領はいない。これは明らかにルーズベルトのことで、主人公の本来の名前はセオドア・デラノ・ルーズベルトということになる。仮名にした理由は、ルーズベルト家の悪口(「金持ちのくせに傍系のルーズベルト家はいっさい手助けしない」とか)が書いてあるからだろう。
さて、これでThe Avram Davidson Treasuryをほぼ全編読むという偉業をなしとげたわたしである。次はThe Other Nineteenth Centuryをかたづけるかのぉ。
ふと気になったので調べたら、これでデイヴィッドスンの短編を73編読んだらしい。全短編は200編以上あるらしいから、まだまだ氷山の一角か。
2004年6月10日
今日のアヴラム・デイヴィッドスン。
●"O Brave Old World!"(1976)
イギリス皇太子フレデリック・ルイスが胸にテニスボールをあてて、気管支が弱くなったので、医者から転地療養をすすめられる。放蕩息子をよく思っていなかった父ジョージ2世が腹立ちまぎれに「アメリカで療養しろ!」と言ったため、ほんとうにアメリカ植民地に行くはめに。
皇太子は新天地アメリカが気に入って、バックスキンの服を着て、ライウイスキーを飲み、噛みタバコをペッと吐きだすような真性アメリカ人になってしまう。やがてジョージ2世が逝去したので、皇太子はイギリス王に即位するが、「イギリスには帰らない」と言いだしたため、米英の力関係は逆転。枢密院も議会もアメリカに移され、イギリス首相にはベンジャミン・フランクリンやジョージ・ワシントンなるアメリカ人が就く始末。
こうしてアメリカの圧政に堪え忍んできたイギリス人も、大好きな紅茶に重税がかけられると、さすがに怒りが爆発。ロンドン茶会事件の発生を機に、イギリスはアメリカからの独立戦争を開始するのであった。
……という改変歴史もの。アメリカ人が読むと大喜びしそうな話。現実の歴史では、皇太子フレデリック・ルイスは夭逝し、その息子がジョージ3世になる(らしい。歴史は詳しくないのよ)。
もいっちょアヴラム・デイヴィッドスン。
●"One Morning with Samuel, Dorothy, and William"(1988)
コールリッジの「クブラ・カーン」執筆を邪魔したのは、阿片の物品税を徴収に来た税吏だったという話。タイトルの3人はサミュエル・テイラー・コールリッジ、ドロシー・ワーズワース、ウィリアム・ワーズワース。英文学の知識が要求されるうえ、ネタもいまいち。
2004年6月15日
今朝のアヴラム・デイヴィッドスン。
●"Down by the Depot"(1989)
『英米超短編ミステリー50選』(光文社文庫)を入手したので、日本語で読んだ。ショートショート。まあ、普通の出来かな。
●"The Man Who Saw the Elephant"(1971)
エズラは敬虔な老クェーカー教徒で、妻とふたりで質朴に暮らしている。唯一の欠点は、ベンガルトラやクジラなど異国の動物に興味津々なこと。ある日、町にサーカスがやってくると知り、いてもたってもいられなくなったエズラは、妻を説得し、生まれて初めて象を見に出かける……。
これはいい話で好きなんだけど、日本人読者はクェーカー教徒ネタになじみがなさすぎるだろう。わたしも台詞のおもしろみまではよくわからない。
●"The Singular Incident of the Dog on the Beach"(1986)
ある男がロンドンのパディントン駅に着いたとたん、腕の古傷がずきずき痛みはじめる。駅員に紹介してもらった医者を訪れると、がっちりした体躯の医者と長身痩躯の友人があらわれる。友人は男をひと目見るなり、こう言う。
「あなたの腕は犬がいるフロリダの浜辺で感染したひどい爬行疹のようですね。ひどくずきずきして、リバプールからの道中ずっとたいへんだったでしょう。甘いオレンジの枝を酸っぱいオレンジの木の幹に接ぎ木するのにも難儀したことでしょうね」
……というホームズパスティーシュ。それ以上でもそれ以下でもない。
2004年6月16日
今日のアヴラム・デイヴィッドスン。
●"The Engine of Samoset Erasmus Hale and One Other, Unknown"(1987)
19世紀にラジオを発明していた男の話。実録風に書いてある。たいしておもしろくはない。
●"The Deed of the Deft-footed Dragon"(1986)
リジー・ボーデン事件の真犯人は斧をあやつる中国人武術家だった。しかもあだ名は「足利きドラゴン」。♪足利きドラゴン斧とってママを40回アチョー! アタタタターッ!
……などと書くと、柳下毅一郎さんが翻訳すべき短編のように見えるが、実際は全然そうではなく、もっと地味な話。おもしろいけど、日本人読者はリジー・ボーデン事件にも中国ネタにもなじみがなさすぎるだろう。
(わたしも中国ネタはさっぱりわからない。"the once-renowned and most-renowned hatchet-man of the great Ten Tongs"ってなんじゃらほい)。
●"The Account of Mr. Ira Davidson"(1976)
発明家だった祖父アイラ・デイヴィッドスンの手記が発見される。ある日、アイラが鉱石ラジオをいじっていると、たまたま水晶のなかにぼやけた映像が映った。アイラはこの現象を「鉱石ラジオ写真」と命名し、映像の観察をつづける。そこに映っていたのは、革のエプロンを着て、真顔で汗だくになりながらラインダンス(?)をつづける中年男たちで……。
虚実がいりまじった一編。元妻グラニア・デイヴィスの付記によると、祖父の名前などは事実らしい。途中までは楽しく読めるのだが、いかんせん、「この変なダンスはなにか?」というオチがわからない(グラニア・デイヴィスにもわからないらしい)。
2004年6月17日
今日のアヴラム・デイヴィッドスン。
●"Twenty-Three"(1995)
男性は必ず23歳で非業の死をとげたり、行方不明になる呪われた一家の話。つまらなくはないが、最晩年(死後発表)の作品なので、ものすごく読みにくい。
付記でヘンリー・ウェッセルズが「ラヴクラフトのパスティーシュではないか」と書いているが、深読みでしょう。
●"Business Must be Picking Up"(1978)
ドーンサイド・プレイスは自給自足の職人村。自然豊かな環境のなか、職人たちがつくった豪華本や壁紙、ガラス細工、陶器などを販売している。「自分たちでできることを政府に頼るな」が老村長の口癖。ところが、近年は高価な手工業品が売れなくなり、村の財政は逼迫してきた。そこで村長がとった起死回生の策とは?
普通におもしろい話だが、興味深く思ったことがあったのでメモしておく。
付記でヘンリー・ウェッセルズは本編を「現代の商業主義と19世紀末アメリカ流の自助自立精神の対立で、その双方を批判している」ととらえている。だからこそ、現代を舞台にした作品であるにもかかわらず、The Other Nineteenth Centuryに収録したわけ。
しかし、わたしの目にはこの「自給自足の職人村」もきわめて現代的に映るのだ。こういう人たちは現代にしか存在しえないと思うから。
たとえば、無農薬野菜を考えてみよう。手間がかかって経済効率が悪い無農薬野菜をつくって、なぜ生計が成り立つかというと、高く売れるからだ。で、なぜ高く売れるかというと、健康志向の都市生活者が購入するからである。したがって、景気が悪くなり、都市生活者に余裕がなくなると、無農薬野菜も売れなくなる。要するに、無農薬野菜農家は資本主義社会に組み込まれているわけ。
あらゆる農家が農薬を使わずに作物を育てていた時代には、こんなことはありえない。無農薬野菜をつくることが「特別なすばらしいこと」という意識もなかっただろう。
というわけで、わたしはこの短編をきわめて現代的な話として読んだ。
●"Dr. Bhumbo Singh"(1982)
呪文と香りと干し首を売るアンダマン諸島出身の呪術師の話。
前半はげらげら笑えるが、途中から突然わからなくなる。重要な場面を省略してほのめかすだけにしたり、重要な台詞をめちゃめちゃ訛ったつづりで書くのはやめてください>デイヴィッドスン先生。
2004年6月18日
今日のアヴラム・デイヴィッドスン。
●"The Peninsula"(1985)
湖に突きだした森の生い茂る半島があり、地元の製材会社は長年、森を守りつつ伐採をおこなってきた。ところが、ある投資家が乗っ取りにのりだし、森をすべて伐採してしまおうと計画する。視察のため、投資家は半島に不法侵入。製材会社の経営者はそのあとを追い……。
まあまあおもしろい。森をすべて伐採して売る相手が日本だという点が現代的。「日本人は木ならなんでも買ってベニヤやボール紙にしやがる」と書いてある。
2004年6月24日
ひさしぶりにアヴラム・デイヴィッドスン。
●"Summon the Watch!"(1971)
ブルックリンに暮らす老嬢ふたりの家に強盗が入る話。ノスタルジックな知識満載だから、アメリカ人は楽しめるのかも。日本に置きかえると、浅草に住む老嬢ふたりの家に強盗が入り、明治時代の話をえんえんとされて閉口するという感じか。
●"A Bottle Full of Kismet"(1971)
中国のかぎ煙草瓶コレクターの主人公が、他のコレクターからパクってきた瓶を開けると、なかから魔神が出てくる。主人公の望みは当然、中国のかぎ煙草瓶なのであった。
普通の話だが、デイヴィッドスンならではの変なところがあり、悪くはない。
●"Basileikon: Summer"(1971)
デイヴィッドスン流ニューウェーブSF短編。ちゃんと断片形式で書いてある。意味がさっぱりわからないことを除けば、たいへんおもしろい。(タイトルの意味すらわからない)
さて、これで手持ちの短編はあらかた読みつくしたな。えーっと(……と調べて)全部で87編読んだことになるのか。まあ、こんなもんでしょう。