◆韓国公演〜前人未到・歴史的ライブ

Record>>04

 2000年8月、韓国で、日本人アーティストとして初めて、日本語による単独・大規模コンサートを行う。 韓国・ソウル市オリンピック公園チャムシル体操競技場にて、2日間で約2万人を動員。
 >>「韓日親善コンサート」2000年8月26日(土)・27日(日)


Episode>>04

04-1>>日本語で歌えるまでに〜文化開放の流れ
 韓国では、日本との歴史的な理由によって、日本人アーティストのライブやCDの発売が制限されていた。
 それが、親日派の金大中・大統領(当時)の政策によって、日本の大衆文化の段階的開放が行われ、「解禁」がなされてきた(1998年〜)。
 音楽については、第2次開放措置(1999年9月)から対象となり、「2000席以下の室内公演」という制限付きで日本語公演の解禁がなされた。その後、2000年6月の第3次開放措置により、コンサートは全面開放、CDは「日本語による歌以外」(歌なしor日本語以外で歌われた日本の音楽)という条件で解禁される。
 CHAGE&ASKAは、この第3次開放を受け、その第1号としてコンサートを行う。

04-2>>突然の決定〜一夜にして親善大使
 2000年4月、C&Aは突然、韓国から招聘を受ける。空港に着くとリムジンが待っていて、SPに誘導されるままホテルに連れて行かれ、そこで「韓日親善大使」に任命される。そして、大統領夫人からコンサートの話を受ける。
 その当時ASKAは、遅れていたアルバムのレコーディング(結果的に完成せず)と、9月から始まるソロツアーのリハーサル(これも延期・中止で、10月スタートに)と、すでにスケジュールが決まっている中、「できるだけ早く」という韓国側に、具体的な返事を延ばしていた。
 5月、韓国サイドが訪日し、「7万人の会場で」という依頼がなされる。C&Aはそれまで、客席の全てに伝わらない、疎外感を感じる人が出てくる、との理由で、1万人を超える会場でのライブは、スタンスとして避けてきた。
 しかも「8月に」という話。とてもじゃないが、十分なリハーサルができる時間はない。ましてC&Aとして活動を行っていない時期に。
 結果的に、会場の件はクリアされ、1万人規模の会場で2日間に分けて行うことが決まる。
 日程はデビュー記念日の翌日、8月26日と27日。
 C&Aサイドは急遽スケジュールの調整を付け、すでに押さえていたASKAバンドと共に、ASKAソロと並行してのリハーサルが進められる。

04-3>>なぜCHAGE&ASKAだったのか?
 明確な理由は定かでない。
 最も大きな理由は、アジアツアーでの成功実績があるから、ということになるだろうが、実は最初からC&Aに決まっていたわけではなかったという。
 親善コンサートの主催者である韓国女性基金団体(名誉総裁・大統領夫人)を中心とするコンサート運営組織が、1999年の一年間、様々なミュージシャンのライブを見て候補を選び、C&Aのライブを見る前に、すでに別の「某バンド」に確定していたらしい。
 年末、たまたま最後に、福岡でのカウントダウンライブを見て、大どんでん返しが起こった。
 一説には、コンサート終了後、ゴミを拾って帰るなどファンのマナーが良く、アーティストの人間性が反映されている云々というのが決め手になったという話がある。

04-4>>重荷と障害
 これまでアジアツアーで、前人未到(踏)のライブを行ってきた実績はある。しかし、事情は大きく違っていた。
 その最も大きな違いは、CDが売られていないこと――。
 先述どおり、現在もなお韓国では日本語CDが解禁されていない。発売されていない。
 つまり、公式ルートにおいて、C&Aの楽曲、あるいは存在そのものでさえ知ることは難しい。(ちなみに放送でも日本語音楽は禁止。)
 過去のアジアツアーにおいても、同じような状況はあったものの、海賊盤や現地シンガーによるカバーによって曲自体は認知されていた。さらに、ツアーとして組まれた以上、プロモーションも行っている。
 しかし、今回は名誉とは言え大統領夫人の関係する団体が主催し、なおかつチャリティーであるがゆえ、商業的プロモーションは行えない。
 CHAGE&ASKAがどんなアーティストか知られていない状況でのライブである。
 これに加えて、韓国――。これはアジア各国どの地域でも同じだが、歴史的背景を無視することはできない。
 特に、侵略戦争の傷跡の大きい韓国で、未だ日本人を嫌う人もいる。
 文化開放という名のもとに、この歴史問題を「なかったこと」のように、ただバカ騒ぎするようなライブはできない。
 そんな幾多の重荷を背負い、ことをなさなければならない使命感は大きい。

04-5>>言葉の壁と過去の歴史
 避けて通れない壁――それは過去のアジアツアーでも同じことだった。⇒Episode>>01
 韓国でもそのスタンスは変わらず、CHAGEがハングル語の書かれた大きなスケッチブックを持ち、韓国語で挨拶。
 そしてASKAが、メモを見ながら韓国語でメッセージを伝える。
 そこで、"歴史"について触れられる。

  「過去の歴史に目を背けるのではなく、一緒に悲しめる世代でいたい。」
  「こんなに近い国なんだもん。僕らの世代で新しい時代を歩いていこう。」

 日本語と韓国語の両方で、ゆっくりとメッセージを伝える。
 それは、歴史の重みよりも、自分たちのスタンスとしてやるべきことだとして取れた。

04-6>>涙の理由、そして成功
 最後のMCが終わり、ラストの「On Your Mark」のイントロが始まる。
 曲は先へと進んでいく。でも、ASKAの声は聞こえない。
 やがてCHAGEのハモリ・パートだけが聞こえる。主旋律のない演奏が流れる。

 ASKAはうつむき、歌えない。感極まって、涙を見せる。
 声を出せば震え、音程さえも狂う。

 そこまでASKAを追い込んだのは、何だったのか。
 ASKAの言及を追うと、
 自分たちがステージに立つまでの間に、スタッフは動き回っていて、それはスタッフだけじゃなく、韓国側が日本文化開放に向けて、コンサートを成功させようと、本気になって取り組んでいる。そのことへの感謝の気持ち。そして、そのプロセスがあってこその韓国公演という大舞台。その成功。
 それが"涙"につながったのだと思われる。

 結果、韓国で日本人のアーティストを韓国人と日本人の観客が一緒になって観る。
 そんな歴史的な光景を生み出した。
 そこはもはや「韓国人」や「日本人」という違いはなく、その場で一緒に音楽を楽しむオーディエンスでしかなかった。

 ただ、彼らが何よりすごいのは、「韓国でライブをやった」ということではなく、どんな場所であれCHAGE&ASKAという音楽の世界を作り出せることだ。
 それは、韓国ライブの映像を見ても、日本のライブの映像を見ても、大差なく"CHAGE&ASKA"のパフォーマンスをやってるということ、同様に感動できるということだ。
 だからこそ、アジアにおいても、日本と同様のセットで同じ規模、同じ構成にこだわった。
 そこには何の差別なく、CHAGE&ASKAであるのだ。

 それは決して“日本代表”ではなく、“一アーティスト”として、オーディエンスを魅了させるために、CHAGE&ASKAとして最大限のパフォーマンスをしようとする、彼らの純粋な姿である。

参考文献
ツアーパンフレット『ASKA CONCERT TOUR GOOD TIME』(ROCKDOM INC./2000年)
外務省「韓国政府による日本文化開放政策」(2002年4月22日更新/WEB=キャッシュ※要・文字エンコード

※(補足)この韓国ライブの決定と第3次文化開放措置を受けて、日本人アーティストの作品としては初めて、『One Voice』(Episode>>03参照)が韓国で正規リリースされている。


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